サキと待ち合わせをしている、川沿いにある小さな公園に着くと、サキは公園のベンチに腰掛けて私を待っていた。自分の座っている場所の横に小型のランプを置いて、スケッチブックに何かを描いている途中だったみたい。
「あ、来た来た! こんばんは、ハル……ってあれ!? チャコちゃん?!」
サキは、私に挨拶をしようとして……私が連れてきたチャコに気付いて、驚いた声を挙げた。
「お待たせ。ごめんねサキ、チャコがどうしても付いていく、って聞かなくて……」
毛玉のことは伏せつつ、私はサキに謝る。
「あー、そうか……チャコちゃんも昼間の話聞いてたもんね……。チャコちゃんも協力してくれるなら心強いな。でもチャコちゃん、絶対に危ないことはしないって約束してね?」
サキは優しい顔でチャコを撫でながら話しかける。チャコもサキに尻尾を振って、分かった、と応えるように「わん!」と元気に鳴いた。
サキは脇に置いていた懐中電灯を点けた後、ランプの光を消してポシェットへとしまう。
「さて、それじゃ行こう。……といっても、どこにハサミのお化けがいるか分からないけど」
サキが早速困った顔をするけれど、これに関しては私から提案があった。
「まずは一昨日、サキがハサミのお化けに出会って襲われた場所に行かない? そこで何もなければ、殺人事件の遺体が見つかった場所を順番に見ていこうよ」
私はお家を出る前に、こっそりお父さんが居間に置いたままだった地域新聞を見つけて、この街のどこで遺体が見つかったかを確認しておいた。
「私が襲われた場所と、遺体が見つかった場所……? あ、確かに以前見た刑事ドラマで『犯人は現場に戻ってくる』って言ってたから、可能性はあるかも!」
ハサミのお化けが同じ場所に現れるとは限らないけれど、何か手掛かりがあるかもしれない。そう考えた私とサキ、そしてチャコは、まずはサキが襲われたという、団地の傍の十字路へと向かった。
「──ここだよ。あの日は図書館の方へ行こうとしてたから、ここの十字路を通って橋を渡ろうとしたんだ」
少し道を迂回しつつ、私達は一昨日サキがハサミのお化けに出会ったという、団地を抜けた先の十字路に来ていた。
夏から始まった工事で川沿いの道が通れなくなっているから、サキの住んでいる団地から図書館の方へ行くにはこの十字路を通らないといけないみたい。
「そしたら、ハサミのお化けが急に目の前に現れて、ばっちり目が合っちゃって。そこから暫く追いかけられたなぁ……」
サキが言うには、目が合った瞬間、ハサミのお化けはすごい勢いで追いかけてきたらしい。
サキは慌てて道路を走って逃げながら、咄嗟に噂の『手と足と首のある物』のことを思い出して、たまたま道端で拾ってポシェットに入れたままだった『コウモリの羽根がある、ペンギンみたいな人形』を、ハサミのお化けに投げつけて難を逃れたみたい。
「それじゃあハル、チャコちゃん。手分けしてこの十字路を調べよう。あの時みたいにハサミのお化けが急に現れるかもしれないし、他のお化けが出てくる可能性もあるから気を付けて」
「うん、分かった」
私とサキ、そしてチャコはその十字路を調べてみたけれど、特に変わった様子はなかった。辺りを懐中電灯で照らして調べても、手掛かりになりそうなものは何も無くて、ハサミのお化けが出てくる気配もない。
チャコも地面の臭いを嗅いで調べてくれたけれど、手掛かりは無かったみたいで、「くぅーん」と申し訳なさそうに鳴いた。私は仕方ないよ、とチャコを撫でる。
「うーん、ここには手掛かりなしか……。ハル、チャコちゃん、次の場所を調べよう?」
「そうだね……。えっと確か、一番新しい遺体発見現場はこの十字路から、あっちに行った──」
そう言って、私が橋のある方とは反対側の道を指差したその時だった。
「う、うわあああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」
今まさに私が指差した方向から夜の街に響く、男の人の大きな悲鳴が聞こえたのは。
「──えっ!?」
「ハ……ハルっ!? 今のは?!」
私とサキは、お互いに驚いて顔を見合わせると、ほぼ同時にそちらへと駆け出す。チャコも私達の後を追うように、後ろに付いてきた。
団地から離れて、私達は声のした方へと進み、私のお家の近所の住宅街に差し掛かった時だった。
「……! ハル、人だよ!! 男の人が何かから逃げてる!!」
私より足の速いサキは、何かから逃げるように走っていく、黒い服を着た男の人を見つけた。
サキはその人を追いかけようとしたようだけれど──足を止めてしまった。
「さ、サキ?」
足を止めてしまったサキに追いついた私は息を整えながら、サキが見据える道の先を見て──息をのんだ。
逃げるように走り去った男の人を追いかける、大きな大きな、黒いハサミ。
最初は道の向こうへと向けられた、大きなハサミだけのように見えたそれは、街灯の明かりに照らされて、そのハサミの後ろに塊のようになって浮いている、黒いモヤを浮かび上がらせる。
こちらを向いていないからサキの絵にあった赤い目は見えなかったけれど……間違いない。
あのお化けが、私達の探していたハサミのお化け──『偽物のコトワリさま』だ。
ハサミのお化けは私達には気付かず、ハサミをジャキンジャキンと鳴らしながら男の人が走っていった道の向こうへと消えていく。
「わんわんっ!! わんっ!!」
チャコの鳴き声で、呆気に取られていた私とサキが、同時に我に返り、顔を見合わせる。
「……!! 追い掛けなきゃっ!!」
「! ……そうだね、急ごう!!」
私の声に、サキも真剣な顔で頷いて、ハサミのお化けと、ハサミのお化けから逃げた黒い服の男の人を追い掛けることにする。
姿は見失ってしまったけれど、ハサミのお化けがハサミを鳴らす音が道の先から聞こえるので、ハサミのお化けがどちらに行ったのかは把握できる。
「……他のお化けがいるね。特別危険なお化けは見当たらないけど、気を付けて」
サキが私の前を走りながら、懐中電灯の明かりや、街灯の明かりに照らされて揺らめいている、お化け達に注意するように私とチャコに伝える。私は頷いてこれに応えた。
私とサキは、懐中電灯の光が眩しいみたいで手で顔を覆う黒い小さな影のお化けや、道の端で休んでいる大きな影のお化け、マンホールから伸びる黒い手に注意を払いつつ、道の先から聞こえるハサミの音を追い掛ける。
これらのお化けは『あの夜』からよく見るお化け達だから、さほど危険なお化けではないことも分かるし、襲ってきた時の対処法も知っているけれど、それでも私にどきどきした緊張感を与えるには十分で、傍を走り抜ける時に足がもつれそうになる。
私は転んでお化け達に捕まらないように注意しながら、先を急ぐ。
丁度道の角に差し掛かった時、私の先を走っていたサキが少し何かにつまずいて転びそうになり、私より遅れる。
私はサキが転ばなかったのを確認しつつ、角を曲がる──
──その時。正面からチリンチリン、と鈴の音が聞こえた。
「──えっ?」
何事かと、目の前に向き直った私の視界の先が──角を曲がった道の先が白く霞んでいて、蜃気楼のように揺らめいて見える。
「っ?! は、ハルっ!! 危ないっっ!!!!」
何かにぶつかる──そう思った瞬間、後ろからサキに抱き止められて、二人して地面に尻餅を付いてしまった。チャコが慌てた様子でわんわんと吠える。
丁度上を見上げるような形になった私の視界に、血走った大きな目が映った。
私の街で、夜の道を通せんぼする、大きな口のある、鯨の頭のようなお化け──
角を曲がってすぐのところにいたから、私の位置からは近過ぎて気付かなかった……。
「あ、危なかった……。ハル、大丈夫?」
「う、うん……。あ、ありがとう、サキ……」
私はバクバクと破裂しそうになっている鼓動を抑えながら、サキに感謝する。
この鯨の頭のお化けは普段私を見つけても追い掛けてきたりはしないけど、すごく怒った眼でこちらを見るから、そこに私がぶつかろうものならもっと怒らせてしまって、私なんか一飲みにされてしまっていたかもしれない……。
それこそ、サキが止めてくれなかったら……いや、それよりも前に、鈴の音に驚いて足を少し止めなければ、勢い余ってそのままぶつかってしまっていた。
「今、鈴の音が聞こえたけど……これがサキが言ってた、『鳴る時』なの?」
私は尻餅を付いたまま、ポシェットに付けた青色の鈴を見る。手を伸ばして鈴を振っても、やっぱり鳴らない。そもそも、さっき鈴の音はこの鈴からじゃなくて、鯨の頭のお化けのいる正面から聞こえた気がするけれど……。
サキは尻餅を付いた体勢から立ち上がると、スカートに付いた砂埃を払う。
「そう。持ち主がお化けに見つかった時、持ち主がそのお化けに気付いていないと、その方向で鈴の音を鳴らしてお化けがいること、お化けに狙われていることを知らせてくれるんだ。なんで鈴の方からじゃなくて、お化けの方から鈴の音が聞こえるのかは分かんないけどね……」
そう言いながら、サキは私に手を貸して私を立ち上がらせてくれた。私はスカートの砂埃を払って、改めて助けてくれたサキと、心配してすり寄ってきたチャコにお礼を言った。
そういえばハサミのお化けは──と思うと、やはり鯨の頭のお化けが通せんぼしている道の奥の方から、ハサミの音がする。
男の人と、ハサミのお化けはここを通り抜けていったのかな……?
「私達も通してくれればいいのに……ケチなお化けだなぁ……」
「うぅーーっ!! わんわんっ!!」
サキが悪態をつき、チャコも怒ったように吠え立てるけれど、鯨の頭のお化けは「早くあっちに行け」と言わんばかりに、お構いなしに怒った眼をこちらに向けている。
襲ってこそ来ないけれど、どうしてもここを通してはくれないみたい……。
「サキ、チャコ、もういいよ。前をちゃんと見てなかった私も悪いし……。少し戻ったところに脇道があるから、迂回して進もう」
私はサキとチャコにそう提案した後、鯨の頭のお化けに向き直って、「今度からは気を付けます、ごめんなさい」と言って頭を下げた。サキは少し驚いた顔をしたけれど、「……そうだね、遠回りになるけどそっちから行こう」と私の提案に頷いた。
来た道を戻ろうとした時、少し気になって後ろを振り向くと、先程まで怒った眼でこちらを見ていた鯨の頭のお化けの目は、もう怒った様子は無くて、どこか不思議そうな目で私を見ていた。
私は鯨の頭のお化けにもう一度頭を下げてから、一足先に行ったサキとチャコを追い掛けた。
脇道に入って、もう一本先の路地に進んだところで、サキがあっ、と声を挙げた。
「あれは……良かった、さっきの男の人だ!!」
サキの指差す方を見ると、さっきハサミのお化けから逃げていた男の人が、電柱に寄り掛かって、ぜえぜえと肩で息をしながら休んでいる最中だった。
「大丈夫ですかっ!?」
サキとチャコが駆け寄って男の人に話しかける……と、男の人はひっ、と細い悲鳴を挙げて、地面に尻餅を付いてしまった。
「や、やめろっ!! 殺さないでくれっっ!! ……って、あ、あれ? 女の子と、犬……?」
ますます訳の分からないといった様子の男の人は、じりじりと後ずさりする。
サキは落ち着いた様子で、タオルとお茶の入ったペットボトルをポシェットから取り出すと、男の人へ差し出す。
「私はここの近所に住んでるんです。さっき窓を開けて外を見ていたら悲鳴が聞こえて、おじさんが大きな黒いハサミのお化けから逃げているのが見えたので慌てて外に出て追い掛けてきたんです。こっちの友達も、おじさんの悲鳴を聞いたらしくて途中で一緒になりました」
サキは嘘を交えながら、男の人にそう説明する。
男の人は恐る恐るタオルとペットボトルを受け取ると、ペットボトルのお茶を飲み、タオルで汗を拭いて、はぁ、と大きくため息を付いた。
「……少し落ち着けたよ。はは、恥ずかしいところを見られてしまったね、可愛いお嬢さん方。心配してくれてありがとう」
男の人はサキの白い髪と、私の左腕が無いのを見て驚いた様子だったけれど、サキもそれを見越してお茶とタオルを差し出したんだと思う。どうしてこんな時間に出歩いているのかを疑われることなく、男の人はほっとした様子でそうお礼を言った。
「サキが見たっていう、黒いハサミのお化けは何なんですか?」
私はサキの嘘に話を合わせながら男の人へ尋ねる。分からない、と男の人も首を横に振る。
「実は僕も、探し物をしている最中にあの化け物に出くわしてね。いきなり襲い掛かってきたんだ。後はそちらのお嬢さんが見た通り、訳も分からぬまま命懸けの鬼ごっこさ……。途中で脇道に逃げて上手く撒けたからいいものの、まったく、追われる側になるのは勘弁願いたいよ……」
「そうなんですか……」
私はそう言いながら隣のサキを見ると……サキは何か怪訝そうな顔をして男の人を見ている。
どうしたんだろう、と私がサキを見ていると、突然、チャコが慌てたように吠え出した。
「わんわんわんわんっ!! うぅーーーっ!! わんわんわんわんっ!!」
私もサキも、そして男の人も驚いて、突然火が付いたように吠え出したチャコを見る。チャコはすごく怒ったような、怯えたような様子で男の人に吠えている。
「お、オイオイ!! 僕が何かしたか?! やめてくれ、あの化け物に見つかってしまう!!」
「ちゃ、チャコ落ち着いて!! どうしたのっ?!」
男の人と、私が慌ててチャコを宥めようとする。
「まさか……。ハルっ!! このおじさんから離れ──」
サキが何か気付き、慌てたように何か言い掛けたその時だった。
ジャキン、とハサミの音が一つ、聞こえた。
吠えていたチャコ含め、私達が弾かれたようにそちらに視線を向けたのはほぼ同時だったと思う。
その先には、街灯に照らされて鈍く光る、こちらに向けられた黒い大きなハサミ。
「あ…………」
その黒い大きなハサミの後ろで黒いモヤが、二つの赤い目でこちらを見ている。
赤い目は、先程の鯨の頭のお化けのものとは比べ物にならないくらいの殺気を湛えていて。
ゆっくりと、大きく……黒いハサミの二つの刃が開かれる。
「に、逃げろっっ!!!!」
最初にそう叫んだのは、意外にも男の人だった。
私達が蜘蛛の子を散らすように離れたその場所目掛けて、ハサミのお化けが切り掛かってきた。ジャキンッ、とひと際大きな音を立てて、黒いハサミの刃が閉じられる。
こちら側に、私と男の人。ハサミのお化けを間に挟んで、サキとチャコ、といった具合に分断されてしまう。
「み、みんな、大丈夫かっ!?」
「サキっ!! チャコっ!!」
男の人と私が、サキとチャコへ呼び掛ける。
サキは何かを言い掛けたけれど、すぐに止めて──私に呼び掛ける。
「とにかく今はこのお化けをなんとかしないと……!! ハル、『手と足と首のある物』を!!」
サキがそう叫んで、ポシェットの中から『手と足と首のある物』を探し始める。だけど──サキが叫んだのがまずかったのかもしれない。ハサミのお化けは、サキとチャコの方へと向くと、ハサミを構える。
「さ、サキっ!! 気を付けて!! そっちに──」
私の声が届いたのか、サキが持っているあの鈴が鳴ったのか……サキがそれに気付いて、飛び退いて黒いハサミを避ける。
「うわこっちに来た!? あーもうっ!! ハサミで襲われるのはこれで三日連続だよっ!! チャコちゃん、気を付けて!!」
「わんわんっ!! うぅーーっ!!」
サキが悪態をつきながら、チャコは吠えて威嚇しながら、ハサミを避けるけれど、これじゃサキが『手と足と首のある物』を取り出せない……!!
「まずい、あの子と子犬が!! どうしたらいいんだっ!?」
男の人はすっかり狼狽えてしまっている。私は急いでポシェットから、昨日入れたままにしていたわらのお人形を取り出す。
「待っててサキ、チャコ!! 今これでハサミのお化けを──」
男の人は、私の行動に驚いた顔をして──
「──オイオイ困るなぁ。なんで都合よくそんな物を持ってるんだい?」
──そう言いながら、わらのお人形を持った私の右手を、がっしりと掴んだ。
「……えっ?」
「今のうちだっ!! 早く逃げようっっ!!!!」
その行動と、直前の言葉に驚いた私には目もくれず、男の人は強い力で私の腕を引っ張って、ハサミのお化けと、サキとチャコのいる方向とは逆の道へと走り出す。
「っ?! 待って!! ハルを離してっっ!!!! ハル!! ハルーーーーっ!!!!」
凄い剣幕でサキが怒鳴り、チャコが先程の比ではないくらい火が付いたように吠えるけど、男の人はそれに構わず、私を引っ張って走ろうとする。
サキとチャコがこちらに来ようとするけれど、やはりハサミのお化けに邪魔をされてしまう。
「ま、待って!! あのお化けを止める方法があるんです!! このままじゃサキとチャコが──」
私は慌てて、私の腕を引っ張る男の人に抵抗しながら呼び掛ける。
男の人はくるりと私に顔を向けると──
「──あの子と、あの子犬にも、『手と足と首』はあるだろう?」
──張り付いたお面のような、無表情の顔でそう言った。
え?……と声を挙げる事も、抵抗する事も……息をする事さえも許さないと言わんばかりの、冷たい空気が、私の全身を通り抜けていったように感じた。
その後は、男の人に半ば引きずられるようにして、私の意志とは関係なく、私の身体はその場を離れていく。
サキとチャコが必死に呼び掛ける声と鳴き声も、ハサミのお化けの立てるハサミの音も、どんどん遠ざかっていき──
──やがて、聞こえなくなってしまった。