三日目(1)『一夜明けて』
──次の日の朝。
「──捕まった犯人がハルの左腕の件に関与したかどうかは、犯人の取調べを続けて、詳細が分かり次第連絡してくれるそうだ。ただ、犯人の精神状態が酷く不安定らしくて、意図的に詳細を聞き出すのは難しいらしい」
「そうですか……。でも良かったわ、犯人が捕まって……」
「そうだねぇ……これで、亡くなった人達が少しでも浮かばれてくれるといいねぇ……」
私は一階の居間でお父さんとお母さん、おばあちゃんが話しているのを聞いて、こっそりと階段を降りて、聞き耳を立てる。
ほっとした様子で話している話題は、昨夜捕まったという、『連続バラバラ殺人事件』の犯人の件についてみたい。
昨夜、通報を受けて空き地に向かったおまわりさん達は、両手首を切断された男の人と、男の人の傍に落ちていた、血痕の付着した折れた鉈を発見したみたい。
目を覚ました男の人は、意味不明な供述を続けているらしいけど、『連続バラバラ殺人事件』の被害者の顔写真を見せると、まるで自慢するかのように、被害者ごとにその被害者がどんな人で、どのように接触したか、どうやって殺したか、証拠隠滅はどのようにして図ったかをペラペラと喋り出したらしい。鉈に付着した血痕も……でぃ……?ディーエヌエー鑑定……?えっと、そういう名前の検査をして調べたら、被害者の人のものと分かったみたい。
ただ……なんで男の人の両手首が切断されていて、それをタオルで止血されていたのかとか、空き地の地面に残っていた細い何かで抉ったような跡と、何か細い物を深く突き刺したような跡がなんなのかとか、そもそも公衆電話で通報したのは誰だったのかといったいくつかの疑問は、おまわりさん達もよく分からないそうで、それを聞いたお父さんお母さんも首を傾げていたけれど。
「──なに、それはなんら不思議なことじゃないよ。この街では夜出歩いているだけでも、『夜の怪異達』に目を付けられるだろうに、それ程の悪しき心を持っていれば、尚更彼らに目を付けられていただろうからねぇ……」
おばあちゃんがそんなことを口にした。これにはお父さんとお母さんだけでなく、私も驚いた。
「……はは、またそれかい、母さん? 確かにこの街は夜になると不気味だけど、僕は生まれてこの方、夜の街でそんなものを見た覚えは無いよ?」
お父さんが笑ってそう言うと、おばあちゃんもこれにはかっかっかっ、と笑い出す。
「当然じゃないか! お前はハルの歳の頃は夜になると外どころか、トイレに行くのにもビクビクしていたからねぇ! 『よまわりさん』もさぞ、『この子は夜、外には絶対に出ないな』と安心して見ていただろうねぇ」
「っ!? か、かかか母さん!! やめてくれよ、それはもう何十年も前のことだろうっ!?」
お父さんが慌ててそう言うと、お母さんも可笑しそうにころころと笑い出す。
「いえいえ、あなただけじゃないですよ。私も小さな頃は、電気の付いていない夜の暗い廊下ですら怖かったのに、外なんてもっての外でしたから。今はそんなことは無いんですけどね……」
「そ、そうだよ、当然じゃないか。もう僕達は大人だからな」
お母さんの言葉に、お父さんがうんうんと頷く。
「──それは夜の怖さに慣れたからじゃない。夜の怖さを忘れただけさ」
ぽつりと、静かに呟くようにおばあちゃんが発した言葉に、お父さんとお母さんだけでなく、私もはっと息をのんだ。
「……私が子供だった頃に比べれば、夜の街は随分と明るくなった。街灯はある、自動販売機がある、他にもいろんな明かりが街に溢れている。都会に行けば、一晩中街明かりが灯り、車や人足の絶えない道だってあると聞く。家の中だって、蝋燭や行燈はもう必要無い。スイッチ一つでぱっと部屋が明るくなる。……だけどねぇ、私はそうやって昔に比べて明るくなった夜を見ていると、思うんだよ……。『これは人が夜に慣れたからじゃない。必死に夜は怖いものじゃない、と思い込んで、夜の怖さを忘れようとしているんじゃないか』ってねぇ……」
「必死に夜の怖さを、忘れようとしている……?」
お父さんの呟きに、おばあちゃんが「ああ、そうさ」と応えて、続ける。
「子供は多感だからねぇ……見える見えないは関係なく、夜の闇に潜む『何か』を感じ取ってしまう。だから子供は夜を怖がる。……だけど大人は違う。『この道は明るいから大丈夫だ』、『この道は人通りがあるから安心だ』と思い込んで夜の道を平気なフリをして歩く。その道を照らしている明かりがフッと消えてしまったら……角を一つ曲がった道の先が人気も明かりもない道だったら……とは思わないし、気付かない。いくら明かりを灯したところで、夜を昼に変えてしまえたわけじゃないんだよ。暗くて見えなかった『夜の闇の中身』を、ただ明るくして見えるようにしただけさ」
おばあちゃんのお話に、私は『明かりが無いと見えないお化け達』のことを思い浮かべる。
明かりが無いと見えないはずなのに、お日様が昇っている間は見えなくて……夜、街灯や懐中電灯の光に照らされて浮かび上がる、あのお化け達を。
……もしかしたら、夜も、あのお化け達も、お日様がお空に昇っている間は、ただお日様の明るい光で隠れているだけで、夜も、お化け達も、ずっとそこにいるのかもしれない。お日様の光も、その明るい光で、夜を隠してるだけなのかもしれない。
「……いくら明かりを灯して夜を明るくしても、夜は夜。昼にはできないってことか……。成程な、母さんのいう通りかもしれない。どんなに明るい光でも、どんなに暖かい光でも、太陽の光ほど、明るくて、暖かいと感じる光は無いからね……」
おばあちゃんのお話に、さっきまで馬鹿にしたように笑っていたお父さんも思うところがあったみたいで、そう言っておばあちゃんのお話に納得したみたいだった。
お父さんも昔は夜が怖かったらしいから、そのことを少しだけ、思い出したのかもしれない。
「今回の殺人事件の犯行も、すべて夜の間に行われていたそうですし、お化けや殺人犯がいるかいないかは関係なく、夜は怖いものなんだと、心のどこかで覚えておかないといけませんね……」
お母さんもそう言って、お父さんとおばあちゃんの言葉に賛同した。
「そうだな……僕も肝に銘じておこう。だけど母さん、この話はハルにはしないでおくれよ? 夜が怖くてお留守番ができないと言われてしまったら、僕らが仕事に行けなくなってしまうからね」
「フフッ、そうですね……」
お父さんとお母さんはそう言って笑ったけれど、おばあちゃんは笑わずに、こう呟いた。
「大丈夫、あの子はまだ幼いからねぇ……夜の怖さを忘れるのは、まだまだ当分先さ……」
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「『大人は夜の怖さを忘れているだけ』、か……。夜の怖さを忘れることが大人になる条件なら、私はずっと子供のままな気がするなぁ……」
──そして、お昼過ぎ。
さすがに二日連続でお家で遊ぶわけにはいかないから、サキとは昨夜待ち合わせに使った、川沿いの公園で待ち合わせをしていた。
もうすぐ夏が終わるといっても、まだまだ今年は暑い日が続くみたい。地面に落ちて動かなくなっているセミ達もいるけれど、まだ街ではセミの鳴き声が響いていた。
ブランコに二人で乗りながら、今朝のおばあちゃんのお話をしたら、サキも私と同じことを思ったみたいで、そう言って難しい顔をして腕を組んだ。
「だけどハルのおばあさんの話、分かる気がするよ。お化けの中には街灯や懐中電灯の明かりを嫌がるお化けもいるけれど、明かりが平気なお化けも多いし、街灯があって明るいから大丈夫だと思ってたら、お化けが街灯や懐中電灯の明かりを消してしまうこともあるからね」
「そうだね。私も何度かそういう経験あるなぁ……」
サキの話に、私も頷く。お化け達も、私達が夜を明るくして少しでも安心しようとしているのを分かっているのか、それとも人工の光でもやっぱり嫌なのか、明かりを消してしまうことが度々ある。
「明かりはあっても、夜は夜……気を付けるに越したことは無いってことかな……」
サキの言葉に、私も頷いた。
「──だけど良かったよ、あのおじさんがちゃんと殺人事件の犯人として逮捕されて。これでコトワリさまが犯人だなんて噂をしようものなら、『情報が古い』、『まったくのでたらめだ』と馬鹿にされてしまうだろうから、あんな噂は早ければ今日中にでも無くなるんじゃないかな。私のお父さんとお母さんも、引っ越してきて早々に起きてた事件で気が気で無かったみたいだから、今朝の地域新聞を見てホッとしてたよ」
サキが明るく言ったけれど、私はその件についても、少し思うところがあった。
「だけどあのおじさん……お父さん達の話だと、何かにすごく怯えている素振りはあっても、事件のことに関しては、人をバラバラにして殺しても今までずっと捕まらなかったんだぞって、ずっと自慢していて、まるで反省してないんだって……。……そんなの、何の自慢にもならないし……何より殺された人達が可哀想だよ……」
私の言葉に、サキが「あ…………」と声を挙げて、悲しい顔をする。
「……ごめん、そうだったね……。……あのおじさんはコトワリさまとハサミのお化けが懲らしめてくれたけど、あのおじさんに殺された人達は、もう返ってこない……。……死んだ人を生き返らせることは、できないんだ……」
サキはそう言って、俯いて黙り込んでしまった。私も暫く何も言えなかった。
キィキィ、と、私とサキの乗っているブランコが、風に揺られて寂しそうな音を立てている。
──ユイも、そうだ。
ユイの場合は、今回の事件の被害者の人達とは少し違うけれど……。
ユイも……もう、死んでしまった……。
死んでしまった人を……。
死んでしまったユイを……。
助けることは、できない。
生き返らせることは、できない。
それが、『あの夜』に……私に突き付けられた、悲しい現実だった──
「──……そうだっ!!」
突然、サキがぱっと顔を挙げて、ブランコから降りる。私もそれに驚いて、顔を挙げた。
「ハル、今日はまだ時間大丈夫だよね? あ、日が暮れるまでで、ってことで」
「? ……う、うん。お母さんには『晩御飯の時間までには帰りなさい』って言われてるけど、まだ大丈夫だよ」
私はうさぎのポシェットに入れてある懐中時計を開いて時間をみると、まだまだ時間はある。
「だったらさ……。『犯人は警察に捕まったよ』って、『犯人はコトワリさまと、ハサミのお化けが懲らしめてくれたよ』って、亡くなった人達へ報告しに行こうよ。それくらいしか私達には出来ないけれど……お参りくらいは、してあげたいなと思うんだ。……どうかな?」
サキの提案に、私は思わず「あっ!」と声を挙げて……サキに頷いた。
「! ……そうだね、いいと思う! あっ、お花は……道端で咲いているお花でいいかな。サキ、一緒にお参りに行こう!」
「うん、行こう!」
私とサキはお互い頷くと、一緒に公園の外へと駆け出した。
私とサキは、遺体の見つかった場所に行ってお参りをすることにした。
どの場所にも既に誰かが置いていった沢山のお花や、ジュースやお茶などの入った缶やペットボトルがお供えしてあったから、私とサキも、そこに道端に咲いていたお花をお供えして、お参りした。私達は会った事も、話した事もない人達だったけれど、一生懸命お参りした。
いくつかの場所では、同じようにお参りに来ていた人達がいた。私とサキを見て、驚いたり、不思議そうな顔をしたり、気味の悪そうな顔をする人もいたけれど、中には私達がお参りするのを見て「偉いねぇ、ありがとうね……」と涙を流しながらお礼を言ってくれたり、「お嬢ちゃん達、ありがとうよ……あいつも喜んでると思うよ」と、私とサキの頭を撫でてくれたりした人もいた。
──きっと、この人達にとって、亡くなった人達は大切な人だったんだと思う。
家族だったのかもしれないし、友達だったのかもしれないし……それとも、近所に住んでいて、顔見知りだったというだけかもしれない。
だけど、私にとってのユイみたいに……とてもとても、大切な人だったんだと思う。
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「お供えするお花を探して集めたり、お参りに来た人達の話を聞いたりしていたから、思ったより時間が掛かっちゃったね……」
「うん、でもいろんなお話が聞けて良かった。それに、いろんな人がありがとうって言ってくれたから……。……亡くなった人達も、喜んでくれてたらいいな……」
「うん、そうだね……」
私とサキは、最後のお参りを済ませて、高校の制服を着たお兄さんに「良かったら、兄貴からのお礼だと思って持っていきな。兄貴、こういう甘いの苦手だから飲まないんだけどなぁ……」と苦笑いしながら手渡してくれたお供え物の缶ジュースを飲みながら、帰り道を歩いていた。ちょっとぬるくなってしまっているけれど、お参りするためにたくさん歩いて汗を掻いたから、美味しく感じる。
お空はまだ明るいけれど、もうすぐお日様が沈んで、夜が来る。
──昨日と変わらない、『あの夜』と変わらない……夜が来る。
「──サキ」
「──それじゃ、ここでお別れかな。ハル、今日はありがとう。ハルと一緒じゃなかったら、今日中にお参りを全部回るのは難しかっただろうし、なによりハルと一緒にお参り出来てよかった」
サキに話しかけようとしたところで、サキがそう切り出した。気付けば、サキの住んでいる団地と、私のお家で帰り道が分かれている、T字路まで戻ってきていた。
「あ、ううん……こちらこそありがとう、サキ。サキが言ってくれなかったら、お参りして回ることを、きっと思いつかなかったと思う」
私は慌ててそう返した。サキは「どういたしまして」と笑った。
……それで、今日の夜なんだけど──
「それじゃハル、またね!」
そう言うと、サキは私に手を振って、道の向こうへと走って行ってしまった。
「あ…………」
私はサキを呼び止めようとして──呼び止める口実が無いことに気付いて、言葉を失った。
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──晩御飯を食べた後。
まだお外に行くには早いから、私は自分のお部屋で机に向かって、ぼんやりと宙を眺めていた。
『──ああ、それで拗ねてるんだね。昨日はサキちゃんの方から誘ってくれたのに、って』
毛玉が話しかけてきたので、今日お昼にサキと一緒にお参りに行ったことと、サキと夜会う約束が出来なかったことは話したけれど、私はどこか上の空で、ちゃんとお話しする気分じゃなかった。
「いや、拗ねてるわけじゃないよ……」
私は一言だけ、毛玉にそう返した。
『……そ、そうなんだね……』
「くぅーん……」
横目でちらりと毛玉とチャコの方をみると、お互いに『さて困ったな……』といった様子で、困った顔の毛玉とチャコが、互いに顔を見合わせていた。
……別に、誘ってくれなかったサキに怒っているわけでも、誘われなかったことを悲しんでいるわけでもないけれど……隣街に住んでいることもちゃんと違って、サキが住んでいるのは私のお家からも近い、すぐそこの団地だ。
待ち合わせをして、一緒に夜の街を歩くことだって、そう難しくはないのに……。
「はぁ…………」
駄目だ……やっぱり私は、サキが誘ってくれなかったことにショックを受けているみたい……。
でも、昨夜みたいにサキを誘うだけの口実が無かった……ハサミのお化けの件は、もう解決した。
サキも、私を誘う理由が特に無かったから、声を掛けてくれなかったのかなぁ……。
『えーと……ハルちゃん? とりあえず、昨日サキちゃんと待ち合わせをしていた、あの公園に行ってみたら? もしかしたらサキちゃんも、もしかしたらハルちゃんが来るかもって、そこで待っててくれるかもしれないよ?』
「……っ!!」
それだっ!!と、ガタッ、と思わず立ち上がった私に、毛玉とチャコがビクッとした。
私があっ、と慌てて視線を向けると、チャコが毛玉の後ろに隠れて、毛玉がそれに慌ててチャコの後ろに隠れて、チャコが慌てて更に後ろに隠れて……というよく分からない攻防を繰り広げていた。
「ご、ごめん、怒ったわけじゃないの……。毛玉のいう通りかもしれない。昨日、サキと待ち合わせをしていた公園に行ってみるよ」
そう私が説明すると、毛玉とチャコがほっとした様子で、その謎の攻防を終える。
『そ、そうだよ、それがいいよ。もし公園にサキちゃんがいなくても、この街を歩いていればサキちゃんに会えるかもしれないし、会えたら一緒にそのまま夜の街を歩けるんじゃないかな?』
「わんわんっ!」
毛玉とチャコが、うんうんと頷くような仕草をする。……毛玉のは、ちょっと怖い。
そうなれば、今日行く場所は決まりだ。まずは、あの公園に行ってみよう。
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ポーン、ポーン、ポーン、ポーン……
「………………」
昨日の夜と今日のお昼にサキと待ち合わせをしていた、川沿いの小さな公園に来たけれど……。
サキがいない代わりに、公園の中でポーン、ポーン、と独りでにボールが跳ねている。
「……いない……。……いや、いるけど……なんか違う……」
私は、公園にサキの姿が無いのを見て、がっくりと肩を落とした。
私の呟きを聞いたのか、跳ねていたボールが段々跳ねなくなって、地面で止まってしまう。
「あっ……ごめん、気にしないで?」
私は慌ててその跳ねなくなってしまったボールに謝る。
ボールは暫くそのまま地面に落ちていたけれど、少しすると、さっきと同じようにポーン、ポーンと跳ね始めた。……ちょっと可哀想なことを言っちゃったなぁ……。
どうしよう。サキはもうどこかへお出かけしちゃったのかな……それとも、まだ来てない……?
でも、この公園で待っていたら、ボールのお化けに気を遣わせてしまうかも……。
「こんばんは。何かお困りかい?」
不意に、私の背後から声がした。
「……っ!?」
私が慌てて振り返った先には、私が首から下げている懐中電灯の光に照らされて、高校生か大学生くらいのお兄さんが立っていた。お兄さんも、手に懐中電灯を持っていて、私を照らしている。
「ああ、ごめん、驚かせちゃったかな? 散歩をしていたら君を見掛けたから、声を掛けたんだ」
お兄さんは、しまったな、といった様子で苦笑いして頬を掻いた。
「あ、いえ、ごめんなさい……こんばんは」
「はい、こんばんは」
私が挨拶をすると、にっこり笑ったお兄さんが改めて挨拶をしてくれた。
悪い人ではなさそうだけど……どうしても昨日の男の人のことがあるから、警戒してしまう。
だけど、なんだろう……このお兄さんとはどこかで会ったような、そうでないような……。
「それで、こんなところでどうしたの? 何か困っているようだったけれど」
お兄さんが私のところへ歩いてくると、すっとその場にしゃがみ込んで、私に目線を合わせてにっこりと笑った。昨日の男の人のお面みたいな顔とは違う、本当に優しい顔だった。
「えっと……お友達がいないかなと思って見に来たんですけど、ここにはいなくて……」
私も、そんな優しい笑顔に安心して、友達を探していることをお兄さんに伝える。
「ああ、そうだったんだね」
お兄さんは、独りでにボールの跳ねている公園を一瞥した後、私に向き直る。
「友達……ああもしかして、そのお友達は、長い髪に、緑色のカチューシャを付けた子かな? それでネコ耳みたいなデザインのポシェットを背負ってる……。その子なら、さっき団地の向こうの道を、橋の方へ走って行ったよ」
「……!! 本当ですか!?」
──間違いない、サキだ!
お兄さんから聞いた思いがけない情報に、私は嬉しくなる。まだ遠くには行ってないはずだから、今から追い掛ければ追い付けるかもしれない。
「そこから先は何処に行ったのか分からないけれど……橋を渡って、踏切の方へ行ったのは間違いないと思うよ。手描きの地図を暫く見てから走っていったからね」
「そうなんだ……ありがとうございます、そっちに行ってみます!」
私がお兄さんにお礼を言うと、お兄さんはにっこりと笑うと、立ち上がろうとして……「あ、そうだ」ともう一度私に目線を合わせながら、ポケットを漁る。
「──はいこれ。良かったらそのお友達と一緒に飲みな?」
そう言って取り出して私に渡したのは、二本の缶ジュースだった。はいどうぞ、と私に手渡すと、お兄さんは立ち上がって、すたすたと向こうへ歩き出す。
「え……え……? ……貰っていいんですか?」
私がお兄さんから貰った缶ジュースを抱えながら、しどろもどろになっていると、お兄さんが振り返ってにっこりと笑った。
「うんいいよ。実は貰い物なんだけど、俺、甘い物はどうしても苦手でさ……君達にあげるよ」
「あ……ありがとうございます……」
私がお礼を言うと、「それじゃ、気を付けてね」、とだけ言い残して、お兄さんは道の向こうへと歩いて行ってしまった。
「……なんだったんだろう……」
結果的に、サキの行き先の手掛かりを教えてくれて、缶ジュースまで貰ってしまったけれど、あのお兄さんは、私が夜お外を出歩いている事も、公園で独りでに跳ねているボールの事も、何一つ触れなかった。
だけど、もしお化けだったのなら、サキから貰った青色の鈴が鳴ったはずだし……。
「……あ、サキを追い掛けなきゃ。折角お兄さんが手掛かりを教えてくれたんだから」
考え事をしていたら、サキに追い付けなくなってしまうかも……そう思った私は、お兄さんの事はひとまず置いておいて、お兄さんから貰った缶ジュースをポシェットにしまった後、サキが走って行ったという、橋の向こう側へ向かうことにした。