「あの日から20年、か。時間はあっという間だね……」
石で組まれた窓からは、眼が眩むほど青い空が窺える。この時間はまだ光が多くて観測することは出来ないけれど、そこには〈叡智の扉〉が開いている……。今日はその、年に一度の日。
「アレク殿?また独り言ですか」
東方のガムシーナという町から魔道具を売りにきた商人の男が、怪訝そうな顔でボクに話しかけてくる。それもその筈、今日はこれで何度目の独り言なのか、自分でさえもわからないのだから。
らしくないね……。20年という節目の歳月が、ボクを焦らせているのかもしれない。
「ごめんごめん、今は大事な商談の途中だったね。……これが約束の報酬。少し色をつけさせてもらうよ。また新しい魔道具の情報があったら、ボクに教えてよね」
王都の金貨が報酬の額だけ入った袋に、懐から三枚の金貨を取り出して袋の中に加える。
こうやって報酬を渡すと、商人の人は喜んでくれるんだ。
「ええ喜んで。アレク殿は話の分かるお方だ。こちらこそ、またよろしくお願いします」
「うん、またね」
王都ウィトリナ、そこに構える魔道師ギルドのマスターをしているのが、今のボクの肩書きだ。
別にギルドマスターになろうと思っていたワケでは無い。と言うと、人によっては嫌味に聞こえるかもしれないけれど、ボクには明確な目的があって魔道師ギルドに入り、人や魔道具、情報が集まる王都ウィトリナを拠点にして、様式の魔法を一人で研究していたら、たまたま功績が認められて、ギルドマスターになっていたんだ。
ギルドマスターという肩書きは、出来ることが増えて気に入っていたんだけど、最近は、縛られているようにも感じるようになった。
ボクの目的は、〈叡智の扉〉の向こうにある故郷に帰ること。
今は二十年前ほど悲観していないし、強く望んではいないけれど、ボクの果てなき好奇心が、現象の究明をしたいと訴えてくる。ボクは魔道師になるべくして、魔道師になったんだと思う。
今頃黒猫の魔法使いくんは、ボクよりもずっと〈叡智の扉〉の真理に近づいているんだろうなぁ……。
一年前に、ボクと似ている眼をしていた黒猫を連れた魔法使いくんと、出会ったんだ。
あの日はこの眼が彼に特別な何かを感じて、今まで誰にも話したことがなかったボクの身の上話を彼にしてしまったのだけど、彼は〈叡智の扉〉について分かった事があったら、知り得た情報は全て話すと約束してくれた。
あのときはその真っ直ぐな瞳に年甲斐もなく照れてしまったけれど。ウィズ……黒猫のお師匠さんも、彼の本質を見抜いていたんじゃないかな。彼は近い将来、いい精霊魔法使いになれる。
「さて、そろそろ遺跡に出かけないとね」
王都は夜になっても地上の明かりが強すぎる。だから空気中の塵も少ない遺跡まで行くのだけど、馬車で半日もあれば今から十分間に合うだろう。今日の日の為に先行隊も派遣して、入念な準備をしてきたんだ。
王都ウィトリナ、ギルドマスターアレク。
二つ名は、星の様式使い。
「うん、星の魔力がいい感じに満ちてるね。今日は道中、魔物の討伐依頼もこなしちゃおうか!〈土星の魂狩人サテュルネ・ソトン〉、〈木星の超重騎士ユピテス・ジョバ〉、〈蒼き美の明星ヴェニュ・スザンミ〉ボクにその力を、かしてよね」
強く、逞しく、美しい三体の精霊が、索敵して魔物を見つけては屠っていく。その手腕は、見事の一言。
「はえー、流石は王都のギルドマスター殿だ。厄介な魔物がみんな、一撃だぁ……!」
馬車を引く
◆
光の奔流は開かれた〈叡智の扉〉からこの世界に飛び出して、重力の概念によって急降下をみせた。
落下予測地点は人の気配の無い牧草地だったのは幸いか、大地とぶつかる衝撃による被害は牧草地を抉るに留まった。クレーターからは三色の眩い光が夜に落ちた太陽のようで、光子が崩れて空気中に散っていくと、そこから人の形が現れた。
「地面?……う───」
長時間の飛行による疲労のせいか、膝から崩れ落ちた俺は意識を手放すと、泥のように眠りだした。
目を覚ましたのは、太陽が空に昇った後だった。
軋む体に鞭打って、鋼の意思で起き上がると、そこは湿った土塊がごろごろしているクレーターの中心で、服は磨り減ってボロボロになっていた。ダメージ加工のファッションと言い訳しても、署までご同行願われてしまうだろう。それぐらいに今の姿は悲惨だ。
「よし、ここから出るか」
クレーターをよじ登って出てみると、牧草地だったのであろう場所に周囲200mぐらいまで土や石が飛び散って、酷い景観になっていた。
自然が豊かな証拠ともいえる、清々しい空気が場違いにおいしいと感じる。
「これって俺のせい、だよな」
登ってきたクレーターを覗き込んで、怖くなって一歩退く。どうしようかと考えて、どこかの誰かにまずは服を恵んでもらおうという方向で指針が決まった。
服の丈はだいぶ余っていて、やはり俺の年齢は十六歳ぐらいに戻っているらしい。その事実から、あの一連の出来事を受け止めなくてはいけないとして、それはさておき、丁度いい長さを決めたらボロボロな服の繊維に沿って二つに裂き、肘のところで帯状になった服を固結びにした。ズボンの方は、繊維が服より丈夫なので、折り曲げて我慢することにする。
「どこに人がいそうかな?」
牧草地の丘へと歩き遠くを見渡してみると、遠くに森と、道らしきもの。それとよくわからない動物の姿を幾つか確認した。……もしかしたら、俺はかなり危ない場所にいるのかもしれない。人探しは尚のこと急務になった。
動物の影を視認したら遭遇しないように遠回りをして、先ほど見つけた道、馬車の通る街道の傍まで来ていた。この道をどちらかに辿っていけば、おそらく人と会うことは出来るだろう。
さて、西と東。どっちに行こうか。
……東にしよう。なんとなくだけど。
第一歩を歩きだそうとしたときに、ソイツはいきなり現れた。
「……キュィィィイイイン!!」
無機物なフォルムに羽の生えた、飛行機のジェットエンジンのような口の赤い化物が、背の高い草の影をから飛び出してきた。なぜだか知らないけれど、とても興奮しているらしい。この化物の縄張りに、知らず知らず入ってしまったのかもしれない。
「は、話は……通じるワケないよねェーー!?」
「キュィィィイイイン!!」
「ゆるしてくれって、俺が悪かった!」
西に向かって全速力で走り出した俺の背を追って、タービンの化物が接近してくる。化物の口が吸い込む風を肌に感じると恐ろしくて、あの口に飲み込まれたら、スプラッター映画のワンシーンみたいになってしまうと想像できる。そんなのって、嫌すぎるッ!
チェイスは五分と持たなかった。無尽蔵なスタミナを有していない俺は、足をもつれさせて転ぶと、タービンの化物が眼と鼻の先に迫っていた。
もうダメだ───次の瞬間、氷の柱がタービンの化物の口に突き刺さった。
“間一髪だった。動けるならこっちに来て”
趣のある帽子とローブを着込んでいる優男風に来いと言われて、反射的に駆け寄った。さっきのは何だったんだろう。その疑問は、次の瞬間に氷解した。
“〈状態異常:睡眠〉、〈肉体強化〉、〈水属性付与〉……詠唱完了”
「グ、グゴゴゴゴッ……ZZZ」
先ほどまで興奮していた様子のタービンの化物が突然眠りだす異常に目を奪われる。さらに優男風の彼の体が輝きだし、手に持つ杖からは冷気が吹き出していた。
これはまるで、ファンタジーの中だけだと思っていた、魔法使いの姿だ。
“えいやっ!”
気の抜ける掛け声と共に杖が振り下ろされると、タービンの化物は硝子が砕けるように粉々になって、光の粒子になると風に乗って飛んでいった。
今のは敵を凍らせて、杖で砕いたんだ……!
「ナァーオゥ!」
彼が連れていた黒猫も、どこか誇らしげに鳴いている。戦闘が終わり魔法使いの下へ黒猫が近づくと、彼はしゃがんでその肩に、器用に黒猫を乗せて立ち上がった。
「ありがとうございました。いきなり襲われて、もうダメかと……」
“君は一人なの?ここは魔物がでるから危険だよ”
「そうなんですが……。安全な場所に行こうと、道に沿って逃げていました」
“その判断は正しいよ。けど、危険だと分かっていて何故?”
俺は、自分の事情を彼に説明するのは躊躇われた。しかし、命の恩人にその場凌ぎの嘘をつきたくはなかったし、しばらく沈黙を守っていた彼の方も、肩の猫に気をとられているようだった。
“ワケあり、みたいだね。気が進まないのなら、別に話さなくてもいいよ”
その一言で、俺は話す決心をすることが出来た。
「いいえ、話します。嘘のような本当の話ですが。自分は、この世界では無い場所から来たんです。神さま、とでも呼ぶのが妥当なのか、自分より上位の存在の力によって、この世界に連れてこられたんです」
不安の一部を話してみると、彼は一度驚いて、思案げに手を口元に置き、何度も首を縦に降った。
“君は、若いのに難しい話の仕方をするんだね。……分かった、まずは君を近くの町まで連れていってあげる”
彼が懐から一枚のカードを取り出すと、ゆるキャラが現実になったような、巨大な生き物が目の前に現れた。
「ワパー?」
“この精霊は、ワパパって言うんだ。背中に乗って、大丈夫だから。乗せてもらえば町に早く着ける”
「……もう、いろいろとお任せします。よろしくお願いします」
常識の枠組みを破壊されて、とっくに俺のキャパをオーバーしている。なるようになれ、難しいことを考えるのを放棄した俺は、ワパパという精霊の背中に飛び乗った。
ゆるキャラな見た目に反して、思っていたよりもずっと固い。これなら安定して座れそうだ。俺が乗ったのを彼は確認すると、ワパパに命令をする。すると、ワパパは自動車ぐらいのスピードで宙を走り出した。加速がとても速くて、後ろによろけそうなのを、なんとか踏ん張ってこらえることが出来た。
「ニャハハハハッ!」
「えっ、猫が笑ってるよ……」
彼の猫が先頭に座って笑っている。猫って笑うっけ。とても頭が痛い。
“師匠は、楽をするのが好きだからね”
この人も、なんかズレてるな。と俺は密かに思ったのだった……。
二人と一匹を乗せたワパパは一直線に、港町トルリッカへと向かう。
※黒猫の魔法使いが王都ウィトリナに訪れた一年後という設定ではありますが、イベントの時系列にはこだわらないです。というか、把握出来ない。(汗