「魔法使いになった諸君に、私から言葉を贈ろう。よくぞ成し遂げた、おめでとう!」
憎々しかった教官の不意打ちな笑顔に、偉大なる賢人達の石像が立ち並ぶホールの空気が、一瞬にして凍りついた。あの教官の表情筋は死んでいる、と誰もが信じて疑わなかった冷血漢が、目尻を垂らして白い歯を見せているのだ。誰だって、我が目を疑う。
そんな空気が、教官にも伝わったのだろう。
「……気持ち良く終われるよう、世辞の言葉を幾つか考えていたのだがね。……気が変わった」
こめかみに血管を浮き上がらせて震える彼の男がいつもの調子に戻ると、場を支配していた氷は溶けて、違った緊張感が走り抜ける。馴染み深いこの感覚も今日が最後だと思うと、しみじみと感じるところがある。……魔法学校での四年間を薔薇色の青春と呼ぶには、少し、刺激的過ぎる毎日だった。
あれは一年目の折り返しの時期だったか。就寝が同室だった歳の近い二人が、同じ日の夜に脱走したことがあった。
二人とは、良好な友人関係を築けている確かな手応えを俺は感じていた。苦しいときも仲間がいるからこそ、弱音を吐かずに頑張れた。……そう思っていたのは俺ばかりで、一言も相談すること無く二人は親元に帰っていったのだと、頭で理解したときの寂しさたるや。恨み節を呟きながら、一人枕を濡らした夜もあった。
それからの俺はというと、虚しさで空いた心を埋めようと、脇目も振らず魔法の世界にのめり込んでいったのだ。魔法にのめり込んでいたからこそ、一年目は力不足で二回生への進級に失敗しても、俺の心は挫けることがなかったのだと、今になって思う。
コンプレックスは、人を脆くする。進級試験の前後では、がらりと変わる人間模様と、何かしらの事件が起きるのが常だった。特に『合成魔獣事件』では、俺も他人事では済まなかったのだからゾッとする。
一、ニと色々あったが、三回生にもなれば、教官の殺人的な扱きにも慣れてくる。あの日は徹夜明けで、天気が気持ち良く晴れていたので気分転換をしようと思い、中庭の木陰でリラックスしながら考え事を始めると、初めて精霊の声が聞こえてきたのだ。
『もし……もし……きこえていますか』
「?えっ……痛ッ」
不意に声を掛けられて、俺は木に頭をぶつけてしまった。ズキリと痛む箇所を手で押さえながら、声の主を探してみたが、辺りを懸命に見渡しても声の主が何故か見つからなかった。
疑問は残ったがただの気のせいだと決着をつけ、このことは忘れてしまおうと別のことを考えだしたところへ、まるで耳元で囁くようにまた、あの声が「もし……もし……」と聞こえてくる。
疑問が確信へと変わり、今度ははっきりと聞き取れたそれは、知らない女性の声のはずなのに、とても馴染み深い声のようにも感じたのが不思議だった。
「どこにいる」
『クスクス……可笑しな人。私はずっとここにいますよ。どこか、分かりませんか?』
「俺の……中から?」
『正解よ♪えらいえらい』
……勘が当たったのを褒められて、ほんの一瞬嬉しくなった自分が恥ずかしくなる。どうやら俺は、からかわれているらしい。
「……今のが馬鹿にされていることぐらい、分かるつもりだけど」
『違うわ?可哀想に……心がいじけてしまっているのね』
赤面しながらも、なんとか男の面子を保とうとしているところを一言で軽く一蹴され、続く彼女の俺を哀れむ声音には、茶化しの無い真剣味を帯びていた。
俺からすれば今日が初めての、声だけが聞こえる誰かに、思いの外正鵠を射られた上に憐れまれたものだから、悔しさでつい嫌味が零れる。
「なんて可愛くないヤツだ、誰なんだよ……コイツ」
『ムッ。小声で言っても、言えてなくても、思っていることは全部聞こえているのよ。……私、今のでとても傷ついたわ』
「変な言い回しだな。それって、つまり……」
正体不明の誰かが何なのか、その正体に心当たりがあった。それを確かめようとするのを遮って、上から被せる彼女の声が頭に響いた。
『考え事?見下げ果てた根性ね。一もニもなく謝ってよ!!』
「ごめん、今のは俺が悪かった!君の姿は見えないけれど、声はとても綺麗だし、その。そもそも、見ず知らずの俺が言えたことじゃない。酷いことを言ってごめん……。それで君はもしかして、精霊なのか」
『……正解よ。でも、大声に出し過ぎね。今度からは心の中だけで話しましょう』
焦った俺とは裏腹に、冷静に大声を指摘してきた精霊な彼女。その気配が遠退いたような感覚があった。けれど、今朝には無かった精霊との繋がりを、今は感じることが出来ている。
スピリチュアルな学問だった精霊使いの知識が体験と初めて合致することで、今までぼやけていたピントが合ったような快感が駆け巡っていた。
「あの……今の大きな独り言は」
廊下がすぐ側にある、中庭という場所だったのがまずかった。変だと思っても見て見ぬふりをしてくれればいいものを、先の精霊との会話に反応し、話し掛けてくる人の姿があった。
「その学帽、君は一回生の子だね。俺はシュンリ、三回生だよ。君の名前は?」
「ルカです」
「そうか、うん。お互い自己紹介も終わったし、それじゃあルカくんの疑問に答えてあげよう。……さっきはね、精霊と対話をしていたのさ」
「え、それって凄い!──ですっ。精霊との対話はとても難しいって、その、聞いています」
後輩の尊敬の眼差しは、俺の自尊心を満たしてくれる。いい気になった二枚舌が自分を飾ろうとするのをグッと我慢し、謙虚さこそを美徳とした。
「恥ずかしながら、出来たのは今回が初めてのことでね。不慣れなものだから、心の内だけでいい声をつい、外に出してしまったってワケさ。……これでさっきの独り言に、説明がついたよね?」
「はい。話してくれて、ありがとうございました」
「それじゃあ、右向け右をして戻るんだ。いいね」
彼はこの場を、にこやかに立ち去っていった。
その日の翌日に、俺は不穏な噂を耳にすることになる。なんでも、精霊にへつらい謝り倒す『精霊
所詮は一過性の噂話と言えども、あのとき、純粋そうな下級生を適当にあしらって帰したことを、後に何度後悔しただろう……。俺は彼にどこから独り言を聞いていたのかを確認した後に、他言無用だとキツく釘を刺しておくべきだったのだ。
◆
「──悔しいか。だが、今のお前達は既に私の生徒ですらない、取るに足らぬ新人魔法使い。私に意見する資格さえないのだ。どうしても文句を言いたいのなら、貴族階級のパトロンを味方につけ、魔道士ギルドに苦情の手紙でも書いてもらうといい。何故なら、この先お前達が魔法使いとしての地位で私と対等に話せるようになることは、万に一つも無いからだ。以上、解散!」
教官の長い激励の言葉も終わり、横を見れば憔悴した顔がチラホラと。生真面目な同期の魔法使い達に軽い挨拶をしながら建物を出れば、一面の分厚い曇り空が重く、頭を上から圧しつけてくるような天候であった。
首元をボタンで留めたローブの下が、風が吹くと靡いて鬱陶しいので、内側から指で摘まんで抑えつける。早足で向かった先の宿屋の女主人の前に立ち、約束をして一時的に預かってもらっていたトランクと、バケットを受けとると、代金を払って馬屋へと向かった。
しばらく歩いて着いた馬屋には、牝馬の手入れをしている馭者の若い男の姿があった。少し早すぎたらしい。
「こんにちは、今はまだ忙しいですか」
既に一度顔を合わせて話も済んでいるので、振り向いた彼は驚くような素振りは見せず、俺を確認して小さく頭を下げた。
「あー、すみません。……困ったな。すぐには片付きそうにないんで、もうしばらく時間を潰しててください」
「では、私は先に馬車の中で休んでいます」
「はい、それじゃあそこのに乗っててください。終わったら、声をかけますんで」
まだ馬の繋がれていない馬車に乗り込んで、トランクを枕にして寝転び、懐から精霊のカードを三枚取り出した。カードに少しだけ魔力を込め、目の前にかざすと、精霊の気配が近づいてくる。
『時間が出来たから、君達の話を聞かせてよ』
『マスターノ生マレタ、異世界ノ話ガ先ダ。ソレガ自然、求メラレル当然ノ対価デアロウ』
『ええっ。昨日は結局、俺ばかり話してたような……』
『わたしは……マスターがそうしたいのなら。先にわたしたちの話をするのもいいと、思うよ?』
『ぶりっこちゃんは黙ってて。そうね、短くていいから何か話してご覧なさいよ。ミカヅチもそれで納得するし、次は私が話してあげるから』
『ウヌ、ソレデモヨカロウ』
『うふふ……あなたのその性格、恨めしいわ』
『あー!この話は、俺がまだ十一歳のことなんだけど。あの頃は秘密の遊び場、秘密基地を作るのが学友との間で流行ってね。友達の車庫のカバーを掛けた黒ベンツの上に基地を作って、帰宅した強面のお父さんにアスファルトに正座で叱られたり、共同墓地の横の空き地の雑草を編んで結んだ基地でゲームをして家に帰ったら服がひっつき虫まみれで、親に「全部取るまで家に上がるなッ!!」って叱られたりしてさ。秘密基地の思い出は、大人に怒られてばかりだったな』
『まぁ!』
『バカね』
『ゲームトハ、祭ヤ遊戯ノコトカ。人ノ子ノ遊ビニモ、学ブコトハ多イト聞ク。我ノ半身モ、コノ前ハ───』
『へぇー、そんなことが。タケミカヅチって、任されたら張り切るタイプなんだね』
『勝負トアラバ、対局ヲ見テ好機ガ訪レル瞬間ヲ待チ構エ、雷轟電撃ノ一撃デ決メル事ヲ得意トスル。故ニ、誤解モ多イ』
『タケミカヅチさんの話す言葉、重みがあります』
『話すのが遅いとも言うわね……あら、人が来るわ。私の話はその後ね』
『ほんとだ、教えてくれてありがとう』
俺は上体を起こしてカードを懐にしまうと、服の乱れを少し整えた。
「シュンリさーん、お待たせしました。馬も繋いで出発する準備が出来ましたよ」
「お疲れ様です。なんだか急かしてしまって、申し訳ないです」
「あっはは、何を言いますやら。謝るなんて、変な人ですねー。出るんで馬車、揺れますよ」
馬車はノクトニアポリスの石畳を馬の蹄鉄が一定のリズムで鳴らして進み、緩やかな減速をして右に左へ道を行く。しばらくして、馬は関所の前で歩みを止めた。
「中の男、積み荷を改めるので降りてこい」
「あい分かった」
「ん、お前……魔法使いか?」
荷台から飛び下りるのと同時に予想外の質問を受けて、反応が一拍程遅れたが、俺はローブの切れ間から手を出して番兵に答えた。その手には、魔法使いを証明するギルドの紋章が刻まれた魔道具を握っている。
「成り立ての魔法使いですが。これがその印です」
「確かに。通ってよーーし!」
番兵の男が大きな声を張り上げると、馬車に乗り込む準備をしていた者達も引いていく……いつみても異様な光景だ。これも、魔道士ギルドの信用が為せることなのだろう。クエス=アリアスで何年か過ごしているだけで、魔道士ギルドの影響力の根の深さがだんだんと分かってくる。自分はそれに属する魔法使いに今日なったのだと、自覚しているつもりだったが、つもりはあくまでつもりなだけだったらしいと、思い知らされた瞬間だった。
馬車は速やかに関所を抜け、それからは精霊との対話の続きをして時間を過ごす。馬の休憩のときには、宿屋で注文しておいたバケットの中身の、サンドイッチを馭者の男と二人で食べた。
町を何度か経由しながら向かう目的の場所は、北の森に位置するラリドンだ。まだまだ先は長い旅なので、気長にいこうと思う。
序章が終わりました。しばらく短編が続きます。
雷枠はイザークかメーベルかラパパかで悩みましたが、選ばれたのはタケミカヅチでした。メタルドラゴンェ……