「ほら、千尋ちゃん。これから暮らす町だよ」
「おばちゃんたちが育った町よ、たぶんしばらくは不便だろうけど……」
男と女の言葉は千尋の意識の上辺を撫でてどこかへと消えていく。そうか、そういえば私は千尋だったんだ。とぼんやり頭の片隅で考えた。
千尋は男の運転する車の中で、着替えなど、自分の数少ない荷物の入ったバッグを枕に寝転がり、揺られていた。
カサカサと鳴っているのは千尋の手の中に握られたピンクの小さな花束、それを包むビニールだった。
花束にそっと挿し込まれているのは誰かからのメッセージカード。
〈千尋ちゃん 元気でね 理沙〉
憂鬱だった、とても。
「千尋ちゃん。窓から学校が見えるよ」
男がひとり言のように言った。あっそ……、と千尋は目を瞑る。
思い浮かぶのは、孤児院の風景。
薄いカーテン、温かな陽の射しこむ窓辺で一人、本を読んでいた。ときおり思い出したかのように顔をあげ、カーテンの隙間から見える窓の外に目をやった。小さな庭と、そこで遊ぶ子供たち。いつものことだ。いつも一人きり。庭で遊ぶ子供たちの笑みは、千尋をますます意固地にし、一人きりにした。
「ここにいるみんなはあなたと同じ境遇の子たちだから、きっと友達になれる」
大人の人の言葉なんて嘘っぱちだ。みんなみんな、楽しそうで、幸せそう。本当に同じ境遇なの? なら、どうしてそんな風に笑えるの?
それとも、現実から目を背けてるだけ? そうだとしたら、なおさら彼らと友達になんてなりたくない。
だいたい、これまで暮らしてきた街に、家、友達、お父さんとお母さん……その全部から切り離された子供たちを、一か所に集めて生活しろだなんて、酷すぎる。彼らと同じように幸せそうに笑ったら、大人たちの思惑通りになってしまう気がして……、そんなのは死んでも嫌だった。
話しかけられれば腹が立つ。大人たちに頭を撫でられて「千尋ちゃんは一緒に遊ばないの?」そんな風に言われると腹が立つ。だから、千尋はいつも本を読んでいた。それでも、いつかはああなってしまうのだろうかと、ときおり窓の外を見つめ、一日が終わっていく。気が付けば、何年も過ぎていた。
そのうち、千尋を引き取るという大人が現れた。孤児院を出る子供には、仲の良かったお友達がお別れの小さな花束を贈ることになっているのだが、千尋に友達なんていない。花束をくれた理沙という女の子を千尋は知らなかったし、理沙という女の子も、千尋のことなんて知らなかっただろう。
千尋は孤児院でついに一人きりだった。
千尋はふと、握っている花束に目をやった。花束、そして、車のシートに落ちた花びらに。
花は……萎れるものだ。千尋はため息をつき、車の揺れに身を任せた。