特別閲覧室へと続く通路で。
複数の銃口を向けられながら。
彼は静かに椅子に座って、本を読んでいた。
ここは図書館の中。
ならば本を読んでいる人物がいる事に疑問を持つことはおかしく感じるかもしれない。
しかし今の時代、書籍はほぼ電子化されていて、紙を媒体にした本は趣味で所有する以外の用途で見かけることは少ない。
今いる図書館も例にもれず、利用者は端末に保存された資料等を各個室内で閲覧するというシステムになっている。
改めて、彼を見る。
彼が持っている本は、明らかに紙を媒体にした本。
そして座っている場所は個室ではなく通路の真中。
明らかに、彼は図書館の利用者ではなく。
私達の目的の邪魔をするために待ち構えている敵だとしか考えられない。
癖のない真直ぐな黒い髪。
体格は細く、一瞬女性かもしれないと錯覚してしまうほどの中性的な顔立ち。
一高の男子用の制服を着ているが、年齢は不詳。
年下にも見えるが同い年にも見え、既に成人を迎えているような雰囲気もある。
足を組みながら背筋を伸ばし、読書をしている姿は完成された芸術品にも見えた。
しかし、その完成された姿はとても自然的で、異質な状況の中でも存在感があまりにも薄く感じてしまう。
それだけならば、唯警戒しなければならない対象という感情しか湧かない。
だけど彼の制服にある一科生の証が、『一科生が私達の邪魔をする』という状況に思えてしまい、私の憎悪に火をつけていた。
目の前に居る生徒は敵だ。
敵なのだ。
敵のはずなのだ。
…………なのだけれども。
私達と同じく魔法に関わる差別の撤廃を目指す同士であり、今回の任務を共に行動している『ブランシュ』のメンバー達に銃口を向けられている彼は、私達を一瞥をすることもなく読書を続けている。
既に三回ほど声を掛けた後なのだ。
読書をしている振りをして、此方の動きを観察している可能性も絶対ないとは言い切れない。
しかし、文字を追う目の動きと静かに捲れていく本のページが、彼が私達を認識してないという方向へと向かわせる。
一体、目の前に居る生徒は何者なのだろう。
痺れを切らしたメンバーの一人が、ゆっくりと近づいて行き、離れてはいるが眉間に確実に当たるであろう距離に銃口を突きつける。
流石にそこまでの状況になれば私達を無視できないらしい。
彼は視線を上げて、真黒な瞳で私達を見つめる。
「……しまった、忘れてた」
そして彼が本を閉じながら小さく呟いた言葉は、より彼を謎めいた存在へと変えていった。
***
謎の男子生徒は、懐に持っていた本をしまいながら椅子から立ち上がると、妖艶な笑みを浮かべながら語りだす。
「ようこそ、皆々様。お待ちしておりました」
首を僅かに傾げ、私達を迎え入れるように左手を横に伸ばす。
その仕草は、客人を迎える執事の紳士的な対応にも。
まだ幼い少女が、遊びで良家の娘のように演じている姿にも見えた。
「とは言っても、私が用があるのはそちらの方なのですけれどもね」
掌を上に向けながら、という少し変わった指の差し方をする男子生徒が指定したのは。
視線も、その指さす先が示しているのも、間違いなく私だった。
「貴様! ここで何をしている! 何者だ!!」
誰もが疑問に思う事。
それをメンバーの一人が、先程まで無視されていたことに対してか、今なお蚊帳の外に置いていく態度に対してか、多少の怒気を込めて彼に問いかける。
「さっきまでは読書をしていましたね。
ここは図書館なので、別におかしなことではないでしょう?」
おかしい。
「私は貴方達からしてみれば何者でもありませんよ。
強いて言えば、『当校の生徒』と言ったところでしょうか」
見れば分かる。……一応。
「私はここでそちらの方と少々話をしたいだけ。
他の方々がここを通りたいというのならば、通っても構いませんよ」
そういうと彼は、椅子の背凭れを掴んで、自らと共に通路の端によった。
『怪しい』。
これほどまでに彼を表現するのに適した言葉は無いだろう。
まるで人間味を感じさせない態度。
感情を抑えることで出来る物ではない。
本心から起こす行動だから見せる自然差。
だからこそ。
「みなさん、先に行ってください」
私には、これが最善なのだと思えた。
私は確かに二科生だけど、魔法については良く知っている。
だからこそ、魔法を侮ってはいない。
一科生とは言っても、実力が備わっているとは限らない。
しかし、陽動を使った秘密裏に実行されている作戦を知った上で、一人待ち伏せしている彼が実力者で無いはずがない。
その彼を私が残る事でこの場に留め、見張ることが出来るのなら、これ以上の策は無いだろう。
今回の作戦に対して、ほんの少しだけあった疑念がこの場にとどまらせる。
そういう感情もあったかもしれないけれど、それが一番の理由だった。
それに私だって魔法を扱う側の人間だ。
万が一、彼が魔法を使おうとしても、それを多少なら察知することが出来る。
しかも私の付けている指輪は『アンティナイト』。
この指輪から生じる『キャスト・ジャミング』は、彼がどのような魔法を使っても、荒れ狂うサイオン波によって乱し、封じる事だってできるはず。
メンバーたちが私に視線を向ける。
大丈夫なのか? と問いかけてくる視線に、私は任せてくださいと頷く。
覚悟を決めた私の答えを知ったメンバーは、最大限に男子生徒を警戒しながらその横を通り抜け、私達が持ち出した鍵を使って特別閲覧室に入っていく。
扉が閉まるのを確認した後、男子生徒は椅子を先程と同じ位置に戻して座る。
「さて、お話をしましょうか。
どうぞ、
彼はそう言いながら、手を差し出す。
床に座れ、とでも言うのか。
そう言おうとした私の後ろで、コップをゆっくりとテーブルに置いたような音が聞こえる。
振り返ると、先程まで何もなかった場所に、彼が座っている椅子と同じデザインの椅子が置かれていた。
***
得体の知れないモノへの恐怖。
そんな感情を知る日が来るなんて夢にも思わなかった。
「……そういえば、まだ自己紹介をしていませんでしたね」
左手を顎に当て、人差し指と中指で口を隠すようにして頭を傾けていた目の前の男子生徒は、今更ながら唐突に語りだす。
「私は一年の月山 読也と言います」
「……二年の壬生 紗耶香よ」
互いに挨拶を終えた後、目の前にいる月山 読也と名乗った男子生徒は、ほんの少しため息を吐く。
少し前かがみになり。
膝の前に肘を置き。
顔の前で掌を合わせて。
指と指を少しだけ交差させ。
真っ黒な瞳で私を見つめていた。
私の全てを見透かしているようなその真直ぐな瞳を見ていると。
冷たい水を頭にかけるような。
寝起きに早朝の空気を思いっきり吸い込んで、眠気が全て吹き飛んだような。
頭の中の靄が晴れていくような。
試合の時のような。
そんな、何処か心地の良い緊張感があった。
「さて、何の話をしましょうか?」
だからこそ、彼の問いかけに対して、私は素直に嫌悪を表情で示す。
「あたしに用があるから、止めたんじゃないの?」
私の問いかけに対して、彼は僅かに首を傾げた。
「あぁ、そうでしたね。
……そうですね。では、貴女の事をお聞かせください」
「……どういう、意味かしら?」
彼の答えに対して、私は眉を寄せて再び重ねて問いかけた。
「貴女が何故ここにいるのか。
ここを起点にして、起源に遡って。
或いは終点として、起源から辿っていって。
その程度でいいので、聞かせてはいただけませんか?」
そう言われた私は、少しだけ、目を閉じて考える。
彼の質問に、素直に答えていいのだろうか?
仮に答えるならば、それをどう伝えるべきなのか。
伝えていい事、伝えてはいけない事の取捨選択。
この学校に対する想い、ブランシュとの関り。
嘘を交えるべきか否か。
私はゆっくり目を開いて、彼を見つめる。
あぁ、嘘はダメだ、きっと彼には嘘が通じない。
私は息を静かに吸って、口を開いた。
「あたしは、…………私は、魔法より剣道が好きだった。
中学時代に剣道の大会で2位の成績を取ったときは凄く嬉しかったし。
それに、魔法の才能があったから父や周囲に将来を嘱望されて。
全国一の名門の第一高校に入学が決まって。
……自信があったの」
私はゆっくり、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
言葉を違えないように、失言しないように。
「だけど、入学してからそれは一変したわ。
……あたしね、『剣道小町』なんて呼ばれてた。
それが、二科生になって。
一科生の補欠になって、『ウィード』って蔑まれる立場になって
それに剣道も……」
いつの間にか下がっていた視線を、私はもう一度上げてしっかりと彼の瞳を見つめる。
「渡辺先輩、知ってるでしょう? 渡辺 摩利先輩」
「知りません」
「そう、まぁいいわ。
私は、渡辺先輩に……」
……え、知らないの?
「風紀委員長の……」
「あぁ、あの人ですか。何というか歌劇団で男役が似合いそうな」
「そう、その人よ」
どうやら、顔と名前が一致していなかっただけらしい。
ただ、あの人を擁護したいわけではないが、その認識はどうかと思う。
「渡辺先輩は、剣術に於いてこの学校でもトップに立つ人でね。
十師族の家系でもある七草会長と十文字会頭の二人と並んで三巨頭なんて呼ばれるような人なの。
……あたしはあの人に試合を申し込んだ。
だけど断られた。どうしてだと思う?」
私はまたいつの間にか下がっていた目線を上げることなく、拳を握り締めて、彼に問いかけた。
「さて、話の流れからして、貴女が二科生であることが理由。
とかその辺りでしょうかね?」
彼は静かに答えた。
嘲笑うかのようではなく。
純粋に類推して、思いついたことをそのままに。
私は皮肉気に笑う。
彼の態度のせいか、ほんの少し毒気を抜かれた気がした。
「そう、その通りよ。
あたしが二科生だから。
戦うまでもない、結果がわかりきった事はしない。
そんな、そんな理由で、ただそれだけの理由であたしの剣道は否定されたの」
言葉にする。
形にする。
抜かれていた毒気が、憎悪が、私の中でまた形を作られてゆく。
「こんな差別は間違ってる……。
だから、あたしはここにいる!
間違いを正すために!!」
私の中の憎悪が密度を濃くしながらも面積を広げ、通路を埋め尽くす。
そんな錯覚を覚える。
そして私は視線を上げた。
目に映る彼は。
少し前かがみになり。
膝の前に肘を置き。
顔の前で掌を合わせて。
指と指を少しだけ交差させ。
ただ先程と違って目を閉じていた。
「……そうですか」
彼は静かに呟いた。
その表情は終始笑っている。
きっと何も変わってない表情は、まるで私を嘲笑っているようにも、取るに足らないという態度にも見えた。
「何が可笑しいの!?」
「ん? あぁ、いえ、面白い所はありませんよ。
ただそうですね。
……貴女は間違った事を少なくともしてしまったんだなと」
真っ直ぐに、彼は私を視線で射抜く。
その視線に負けないようにと、私は彼に牙を剥く。
「間違い? 一体何が間違いだっていうの!?」
私の問いかけに、彼は答える。
さっきまでは私が語り部で。
そして今、彼が語り部になった。
「まず差別は存在するでしょうね。
割と最近、私の知り合いのブラコンとその兄のシスコンがその辺りの理由が原因でちょっとした騒動も起こしましたし。
だから、貴女が差別されたことに憤ることも、間違いではないでしょう。
ただ、やり方が間違っていましたね」
身が縮まる思いがした。
私達が機密文献を盗むことと、差別をなくすことに対する違和感を、真直ぐに指摘された気がしたからだ。
魔法を使えない人々に魔法理論を公開する。
魔法を使えない人に魔法学を教えたところで意味がなく、魔法が使えるようになるわけではない。
つまりは魔法が使える、使えないの差が埋まることは無いのだ。
「きっと……、きっと魔法が使えない人にも役に立つ研究成果があるはず。
それを公開すれば、魔法による格差が埋まって、差別だって……っ!」
だから私は、思わず自分を納得させるために考えた理屈を答えた。
まるで言い訳をするように。
「そうかもしれませんね」
本当は、自分でも何処か違和感がある言い訳だった。
だけど彼は、それを否定しなかった。
「私は、割と最近魔法を覚え始めた人間です。
私が知らないだけで、マジックアイテムのように持つだけで効力がある道具の作り方とか、そこにはあるのかもしれません」
彼は首を僅かに傾げる。
私が本当に目を背けていることが何故判らないのかと問いかけるように。
「そちらではなく、貴女が間違えたやり方とはつまり。
ルール違反。法を犯したことです」
私は息をのむ。
その指摘は正しく。
間違いなく。
私の間違いなのだから。
「学外から銃器を持った人を招き入れ、機密文献をハッキングをして盗む。
これは立派な犯罪、貴女の思想に関係なく、確実に間違ったルール違反です」
……そうだ。
そうだ、その通りだ。
何故そこに思考が回らなかったのだろう。
私だって、法に触れるようなことをするつもりはなかったはずだ。
これはどう考えても犯罪で、私達の目的と少しでも違和感があれば、即座に彼等とは離別するべき事柄ではないか。
そこに気がついた途端に、崩壊したダムのように感情があふれる。
そこには罪悪感もあって、自分の犯した過ちに押しつぶされそうにもなった。
だけど。
あふれる感情はそれだけではないのだ。
私にはこの日の為に積み上げた物があるのだ。
費やした時間があるのだ。
今、それが無駄になろうとしている。
抑えていた。
ずっとだ。
「だったら……っ!」
ずっと私は我慢していたのだ。
「だったらどうすれば良かったのよ!!」
拳を強く握りしめ立ち上がる。
そして私は、前を向いて言えない思いを口にした。
「差別をなくそうとするのが間違いじゃない?
平等を目指すのが間違いじゃない!?
だったらどうすれば良いの!
蔑まれて、嘲笑われて、馬鹿にされて!!
それが嫌だった。
これが間違いで!
だったら!!
だったら……、一体どうすれば良かったのよ……」
色々なものが流れ出ていく。
そして最後は、そのまま崩れて無くなりそうになった。
「…………さて」
静かに。
静かに彼は答える。
目を開き、私は彼を見る。
涙で視界が歪んでいたけど、少なくとも彼が笑っていない事だけは確かだった。
「どうすればいいんでしょうね。
……もしかしたら。
最初から方法なんてなかったのかもしれないな」
あぁ、判る。
判ってしまう。
これは同情じゃない。
『共感』だ。
「こんなの……、理不尽よ」
力が抜け、私はまた椅子に座り凭れ掛かる。
もう、何もかもが出尽くした気がした。
「過ぎたことは、もうどうにもなりませんよ」
もはや思考することも放棄したくなる思いを何とか押しとどめて、私はゆっくりと顔を上げる。
いつの間にか彼の表情は何度も見た妖艶な笑顔に戻っていた。
「さて、どうしますか?」
「……どうする?」
「選ぶのは貴女ですよ、先輩」
そういうと、彼は私に選択肢を指し示す。
「さっきはルール違反だと言いましたが、それはあくまで私の価値観。
それでも貴女が自分が正しいと思うのなら、そのまま続ければいい。
自分が間違っていたと思ったなら自首でもしてみるとかもありますね」
そして彼は首を傾げる。
「受験に落ちたときのような、もう何もかもが終わったような表情していますが、貴女が死を選ばない限り、まだまだ先はありますよ」
酷い例えだ。
だけどその通りかもしれない。
もう私は先が無いような間違いを犯しているのだから。
「このまま突き通すか、自首するか、自決するか、か……」
妙に最後の選択肢が私の頭の中にこびり付く。
その選択はしたくはない。
だけど。
だけど、私は、どうすれば良いのだろう……。
「迷ったときは、選択肢から模索するといいですよ」
「……え?」
彼が出した選択肢。
それ以外の物が他にあるのだろうか。
「可能性だけなら選択肢なんて幾らでもあります。
常識的な概念で無意識に除外していようと、選べないわけではないんです」
彼はそういうと私にまた別の希望を指し示す。
「例えばそうですね……。
花嫁修業とかどうでしょう?」
「………………はぁ?」
希望が斜め上すぎた。
「そうですね、例えば料理から始めるとかどうですか?
切る……のはいきなり難易度が高いですね。
とりあえず焼いてみることから始めるのはどうでしょう。
魚は難しいですし、野菜炒めも味付けが意外と難しいので、最初は肉とか卵とかマシュマロあたりですかね」
どうしよう、言いたいことが多すぎる。
なんなんだこの人。
何で私が料理ができない前提で話が進んでいるんだ。
いやいやそうじゃない。
とりあえず私は、少しでも思考を戻す時間稼ぎの為に、疑問に思った事を口にした。
「マシュマロを、焼くの?」
私は一体何を聞いているんだ。
「ええ、焼き方にもよりますけど、クリームブリュレみたいになって中身がドロッとするのですが。
結構美味しいですよ」
何故彼は真面目に答えているんだ。
誤字報告ありがとうございます。
お久しぶりです。
後編書いてたら書いた方が良いなと思いました。