「お兄様!」
航空機を利用せず帰ると、搭乗記録など色々なところに矛盾が生じる。
なので、一度部屋に帰った後、この事件が落ち着いたらまた沖縄に戻ってちゃんとした手続きをしてからまた帰ろう。
そんなことを深々と考えていた俺は、司波妹の大声で現実に呼び戻された。
周りを確認すると、司波兄が軍の人に連行されているところだった。
様子を見るに任意同行だろうか? 彼はいったい何をやらかしたのだろう。
司波妹は少し駆け足で司波兄に近づいていく。
その光景は、恋愛系(落ちは悲恋もの)の物語のようにみえて、どこか演劇を眺めている気分になった。
二人の会話を、俺は盗み聞きする。
『千里眼』の影響かは分からないが、俺は対象に集中すると、例え音の届かない一㎞先の壁の向こう側の会話も聞き取れる。
なので、本来ならば上手く聞き取れない距離の二人の会話を聞き取ることができた。
察するに、司波妹は、義勇兵となって戦場に行くのを止めようとしていたらしい。
司波兄が連行されていると思っていた俺はとんでもない勘違いをしていたわけだ。
そして司波兄は、家族や自国を守るためではなく、司波妹を傷つけたことに対する復讐をしに行くのだと告げる。
司波兄は語った。
「俺にとって本当に大切だと思えるものは深雪、お前だけだから。 我儘な兄貴でごめんな」
その言葉を聞いた時、少し違和感があった。
最初はそれが何か分からなかったが、その違和感の正体を、司波妹は言葉にした。
「大切だと……思える?」
違和感の正体を知った俺は『千里眼』を使って司波兄を観察した。
今という情報に介入するこの能力は密閉された箱の中身や人体の構造などを把握できる。
応用で色々できるが本来の能力はこれだ。
ちなみに、何でもわかるかというと、そうでもない。
人体の構成が分かったところでそれが何を指すのか分からない。
俺自身に人体に対する知識が足りないからだ。
故に、例えば司波兄の脳の大部分が欠けていればともかく、小さな失陥や悪性腫瘍などの判別はできない。
それでもその言葉の意味に繋がる手掛かりのような物が見えないかを探るため、俺は『千里眼』を使った。
肉体的には何一つ問題はない。
年齢から考えると少し体が鍛えられすぎというぐらいしかわからなかった。
問題はたぶん精神のような物だった。
見えているモノの正体が正確に判っているわけではない。
なので、これは感覚的な話だ。
彼の精神には、何か無理やり広げられた空間のようなものがあった。
たぶんそれは人工的に、後付けされたものだと思う。
例えで言うなら偶然的に出来た洞窟ではなく、無理やり土を削りコンクリートなどで穴の周りを固めたトンネルのような空間だった。
もし、削れている部分が感情だというなら。
もし、残っている感情がそれだけだというのなら。
彼のいう「大切だと思える」という言葉の意味も理解できる。
それから司波兄は司波妹の頬に手を当て、詳しいことは母に聞くように教える。
そして自分は無傷で帰ってくると妹の頭をなでながら宣言して、彼が会話を終えるのを待っていた軍の人のもとへとむかっていった。
司波兄が妹の頬に手を当てているまでの間、二人は兄妹というよりは恋仲のように見えていたが。
彼が妹の頭をなでる姿は兄妹というより父親とその娘のように見えた。
***
司波妹が戻ってくるなり、一番最初にしたことは謝罪だった。
その謝罪対象には俺も含まれているはずだが、俺はその謝罪の返答は彼女の保護者に任せた。
「謝る必要はありませんよ、深雪さん。勝手な真似をする達也を連れ戻そうとしてくれたのでしょう?」
優しく語っているが、隣から伝わってくる感情は明らかに怒気だった。
それから司波兄妹の母親はそのストレスをため息と共に吐き出して、呟くように、聞かせるように語った。
「あんな勝手な真似をするなんて……やはりあの子は不良品ね」
そのなにかを見限ったような言葉で、俺は司波兄の精神に出来た空間を、誰が作ったのかを察した。
精神を医療行為で弄ることはできない。
薬を使ったのだとしても、彼の精神の空間は綺麗に切り取られ過ぎている。
目的は判らないが、その行為に意味があるとしたら、それができるのが誰なのか。
司波兄妹の母親だ。
魔法か、あるいは異能か。
その過程は判らない。
おそらくそれを作ったのはかなり昔だ。
過去観測は未来予測より早く演算処理できるが、たとえ一日かけて調べたとしても、その過程に辿りつけないだろう。
きっとその行為には意味があったはずだ。
だからこそ、彼女は自分の息子を見限ったのだろう。
そこまでやって、その結果が、きっと満足のいく結果ではなかったのだろう。
やはり親も人間なのだと改めて思った。
そして司波兄妹の母親は、その一言で感情の整理を終えたのか、まぁいいかと息子への感情を放棄した。
「お待たせしました。ご案内くださいな」
そう言って近くで待機していた軍の人に声をかけて立ち上がる。
さて、俺はどうするか。
できる事なら一度帰りたい。
というか、この場から離れられるのであれば、別に帰らなくてもいい。
トイレに行く振りをして空間転移で帰るか?
しかし軍の基地内で行方不明者が出れば色々迷惑をかけるし、面倒なことになる。
「月山さん?」
司波妹は俺が座ったまま動かない所を見つけ話しかけてくる。
そして司波妹が立ち止まったことで全員が立ち止まる。
これは帰れる雰囲気ではないな。
まぁ、ここまで関わってしまったのだから、この物語のような事件の成り行きを、俺は最後まで見守ることにしよう。
それに、予知で見た司波兄が、誰の死を看取っているのかも何となく気になるしな。
誤字報告ありがとうございます。