園田さんに案内されて道場に入ると、懐かしい雰囲気に満ちていた。確かに自分はここには昔来たことがあると、そんな実感がわいた。玄関は広く、げたや草履が並んでいた。僕が玄関で子猫を抱えたまま立っていると、先に入っていた園田さんの声が奥から聞こえた。
「お母様、成神さんがいらっしゃいましたよ。」
「あら、やっとですか。」
玄関の奥から園田さんと園田さんに似た女性が出てきた。その姿は園田さんがそのまま大人になったような姿で、美しい着物を着ていた。すると着物の女性は僕を見ながら笑いかけてきた。
「大きくなりましたね、零夜君。と言ってもあの時のことは覚えているかしら?」
「はい。よく覚えていないんですよ。」
「そう。なら仕方ないわね。6年も前のことだものね。じゃあ、ここ周辺のことも覚えていないのかしら?」
「はい。おかげでさっきまで迷子になっていました。」
「あら、そうだったの。大変だったわね。お疲れでしょう?」
同情するような目を向けられてしまった。もとはと言えばスマホの電池が切れてしまったことが原因なんだが、言いづらい空気になってしまった。
「いえ、そんなことはありません。日頃から鍛えているので、大したことではありませんよ。」
「そう?でもお疲れでしょう。お茶を出すから、居間に入っていてください。海未、案内して差し上げて。」
「はい、お母様。」
園田さんに僕の案内を任せると、叔母は行ってしまった。僕が抱えている子猫については何も触れないのか。おばさんが行くのを見送ると、園田さんが僕の方を向いた。
「さあ、成神さん、案内します。付いてきてください。」
園田さんに案内されながら、廊下をしばらく歩いていると、一度広い部屋の前を通った。
「園田さん、ここってもしかして?」
「はい。ここで剣舞や剣道の練習を行います。弓道場はもう少し先にありますよ。見に行きますか?」
「いえ、また今度。」
僕の返事を聞くと園田さんはまた歩き出した。しかし今度は無言のままではなく、彼女から話しかけてきた。
「あの、成神さん。」
「何ですか?」
彼女は前を向いたまま歩きながら話し出した。
「先程、母と話されているときにふと思ったのですが、6年前にここに来た時のことは何も覚えてないのですか?」
「お恥ずかしいことにそうなんですよ。所々かろうじで覚えていることはあるのですが、それ以外のことはさっぱりで、道もわからなく・・・」
続きを話そうとしたとき、急に前を歩いた園田さんが歩くのをやめた。何か気に障るようなことを言っただろうか。不安に思いながら彼女の行動を待っていると隣の障子を引いた。
「さあ、居間に着きましたよ。」
そうだった。僕たちは居間に向かっている途中だったのだ。完全に忘れていた。
居間の中には座布団と大きな机が置かれていた。それ以外に物は置いてあらず、質素な空間が広がっていた。とりあえず持っていた子猫は持ったままにして僕たちは机を挟んで向かいあって座った。それからは沈黙の時間が続いた。こういう時僕から何か話したほうがいいのだろうか。それとも相手から行動があるのを待っていた方がいいのだろうか。悩みが悩みを呼び、無限に同じことに悩み続けてしまう前に入る直前、園田さんの口が開いた。
「先程の話の続きですが、本当に成神さんは6年前のことを覚えていないのですか?」
「はい。だいたいがうろ覚えの状態で・・・」
「穂乃果やことりのことも覚えていないのですか?」
「穂乃果?ことり?ご友人ですか?・・・すいませんまったく覚えていないです。」
「そうですか。じゃあ、穗むらのお饅頭のことは?」
「すいません。何も・・・」
本当に何一つ覚えていないな僕は。穂乃果とことりというこの名前も聞いたことがあるような、ないような気がしてあいまいになってしまっている。お饅頭の記憶と言ってもお饅頭なんてどこでも食べてきたからよく覚えていない。そらみろ、僕があまりにも覚えていないから園田さんが困った表情で俯いているぞ。彼女の顔をうかがうように見ていると、何かを思いついたように明るい顔で前を向き、パチンと両手の甲を合わせた。
「いいことを思いつきました!成神さん、ここ周辺の土地についての記憶もないのですよね?」
「お恥ずかしいことに・・・」
「でしたら、明日私が案内してあげましょうか?」
「えっ?!」
あまりにも予想もしなかった一言に僕は驚きを隠せないでいた。まさか園田さんからそんなことを言ってくれるなんて。ここまでスマホのGPS機能というものに関心していたのに、もしも彼女が案内をしてくれるなら、新しいケータイで喜んでいる以上の喜びが訪れる。夏休みに同年代の男女が出かけるなんて今までしたことがなかったから緊張してしまいそうだ。もしかしてこれは俗にいうデートと言うやつじゃないのか。だとしたら益々緊張してきてしまった。ここはどう返事したらいいのだろうか。はい喜んで、とかだろうか。いや違うな。などと動揺している零夜を見ていた海未が困惑したような表情を浮か出た。
「もしかして、嫌でしたか?」
「えっ?! いえいえ、そんなことありませんよ。ぜひお願いします。案内していただけたらものすごく光栄です!」
「フフッ、そこまで言いますか、普通?」
「す、すいません。園田さん。」
どうやら僕が案内を嫌がっているという誤解は解けたようだ。よかった。ほっと一息つくと自分の前に座っている彼女が俯きながらある提案を出した。
「あ、あのっ。・・もし、よかったらですけど・・・お互い・・・名前で、呼び合いませんか?」
な、な、名前呼びだと。いままで男子の友達にも名前呼びなんてしたことなかったのに、いいのだろうか。名前呼びって、もっと仲良くなったらするものでないのか。いやもしかしたら彼女たちの間ではこれが普通なのかもしれない。さっきも彼女が友達の名前を出した時に名字ではなく名前で呼んでしな。もしかして僕を少しでも東京の環境になじませようとしてくれているのだろうか。なんて優しいんだ。
「ええ、いいですよ。呼びましょうかお互い。」
自分でもいうのは何だが結構爽やかな笑顔で返答した。すると今まで下を向いていて表情が読めなかった彼女の顔が赤くなっているのがわかった。耳まで赤くなっていたら誰だって気が付いてしまうだろう。どうして彼女は顔が赤くなってしまっているのだろう。・・・もしかして僕ははめられたのだろうか。東京でも名前呼びが普通なんて文化はなく、僕に言ったらOKされてしまって、言った本人の自分が照れているのだろうか。やってしまったな、これは。今からでもまだ取り消しできるかもしれないが、成神流の決まりに『約束は破るな』というものがある。簡単だったとはいえこれも約束に部類されるだろう。ということは成神の名前を背負っている以上ここで約束を破るわけにもいかなくなってしまう。でもだからと言って初恋の相手を名前で呼ぶのは勇気がいる。それも相手は6年前から成長していて、美少女になっている。そんな相手をいきなり名前で呼べというのはハードルが高いと思うのだが。正面を見ると園田さんも俯いたまま一言も発してない。気まずいのだろうな。彼女の為にも先に僕が名前で呼ぶべきなのだろう。よし、覚悟を決めよう。一度深呼吸を取ると、真っすぐに正面を向いた。
「そ、それじゃあ、明日は案内をお願いしますね。・・・う・・・う、海未さん。」
その一言で彼女は今まで下を向けていた顔を正面に向けた。そしてまだ赤くなっている顔で笑いながら答えてくれた。
「はい!任されました。・・・零夜さん。」
初めて初恋の相手に自分の名前を呼ばれた。どうしようもなく嬉しいが、同じくらい恥ずかしい。相手の顔もまともに見ていられない。きっと僕の顔は夕日と同じくらい赤くなっていだろう。それはそのd・・・う、海未さんも同じらしく、赤く染まった顔を下に向け、動く様子もなかった。このまま僕たちはお互い会話することもなく時間は過ぎていくのだろうか。なんの反応も見せずに時間が過ぎていくのを待っていると、障子が開いた。
「あらあら、ちょっと目を離したら空気が変わってるわね。何だかお見合いみたいだわ。」
「「!?」」
「お、お母様!?お、お見合いって、そんな・・・」
「そ、そうですよ!僕たちはまだ中学生ですし・・」
「そうかしら?なかなかお似合いだと思うわよ。ねえあなた。」
叔母が後ろを振り向いた先には長身の男性が立っていた。この人はさっき叔母から、あなたと呼ばれていた。つまりこの人が海未さんの父親なのだろう。海未さんのお父さん、叔父は部屋の中に入ってきて僕の隣まで歩いてくると、少し怖いくらいの形相で僕を見下ろしてきた。
「お前が成神のせがれか?」
「? はい、成神家三男の成神零夜です。」
質問に答えると僕を見下ろす顔はより険しいものになった。あれ、この人父の知り合いなんだよな。なんでこんな怖い顔されているのだろう。もしかして父が一方的に知り合いだと思っていて、この人からしたらそこまで仲のいい人ではないとか。ありえるな、あの父が相手だし。とりあえず謝っておいた方がいいだろうか。だとしたら何に謝ればいいのだろうか。父がご迷惑をおかけしますとかだろうか。いやもう遅いか。とりあえずこういう時は相手の目を見たら何を考えているのかわかると何かの本に書いてあった気がする。やってみるか。叔父の目に目を見ると、いや見るまでもなく気迫がすごかった。見上げていると叔父の威圧に圧倒されて自分が小さく思えてきた。それに一度目を合したからわかる。次に目をそらしたら殺されそうだ。怯えながら叔父の反応を待っていると、30秒ほどたってから叔父は口を開いた。
「君は、成神流抜刀術皆伝だそうだな。」
「えっ?!・・はい、いちおう。」
「ならば、私と勝負しないか。私も園田流抜刀術の皆伝でね。君のお父さんと何度も戦ったことがあるよ。だからか、君の力を見たくなった。」
「因縁の対決の続き、ということですか?」
「それは違う。君のお父さんとの決着がついていないことは確かだが、これは本人と対決する。今からやるのは皆伝同士の挨拶のようなものだ。不問か?」
「いえ・・・・」
まずいな。僕も抜刀術皆伝とはいえ、あれはほとんど父の思い付きでなったに過ぎない。型もすべて使えるわけではない。まだ習得していない技を使えば体を壊す可能性もありえる。かたや、相手は園田流抜刀術の本当の皆伝。僕のように親の思い付きで皆伝になったわけではなく自分自身の力だけで頂点まで上り詰めた人だ。僕なんかが勝てるのだろうか。高確率で不可能だ。しかしここで断れば成神流に泥を塗ることになる。それだけは避けなくてはならない。さらに言えばここで負けることも恥となるだろう。つまり、何としても勝たなくてはならないのだ。相手からの挑戦に逃げてはいけない父が教えてくれたことを思い出した。まさかこんな機会にも反映させなくてはならくなるとは。
「わかりました。お受けします。」
「・・・ついてこい。剣はうちの木刀と使え。」
叔父に案内されさっき通った広い部屋に入った。その部屋の奥から叔父は木刀を二本持ってくると、一本のつかを僕に向けた。もう一本は自分で使う用のようで右手に構えている。
「これを使え。」
「はい。ありがとうございます。」
叔父から木刀を受けるとお互いは一度距離を取った。しばらく歩いて均等の間隔を取ると、お互い内側を向いて向き合った。木刀を自分の腰の横に構えると左足を弧を描くように後ろに引いた。
「成神流抜刀術皆伝、成神零夜。推して参る!」
僕の攻撃から開始した。海未さんや叔母は後ろの廊下から見守っている。叔母は真剣なまなざしで勝負の行方を見守っているが、海未さんは心配そうに二人を見ていた。当然だろう。今日六年ぶりに自分の家を訪れた少年が抜刀術の皆伝になっていたうえに、自分の父から勝負を受けたのだ。誰だって動揺する。しかし今の彼女には二人の行く末を、ただ見ていることしかできなかった。
剣って男の子の夢ですよね。傘でチャンバラとか小さいころやりました。友達と一緒に振り回したりして、結局先生に怒られて、今ではいい思い出です。こういうどうでもいい記憶はいつまでも覚えているのに、どうしてテストの時に最後の一問が思い出せないんだ!ああ、憎たらしい。
読んでいただいた皆様に神々の祝福があらんことを