旅路を見守るあさのひざし
メレメレ島───ハウオリシティ船着場。
汽笛を鳴らし、アーカラ行きの船が出港の準備を整えていた。
アローラ地方は四つの大きな島に人口が集中している地方で、島と島の移動は主にフェリーで行う。
その為毎日の定期便は満員になる事も珍しくなく、そこには急ぎ足で船に向かう一人の男性の姿があった。
「いかんいかん。朝一で向かうって伝えたのに、船に乗り遅れたらバーネットに怒られる……っ」
その男性は上半身裸の上に白衣というラフな格好で、冷や汗を流しながら船着場の受け付けに辿り着く。
「定期便、まだ空いてますか?」
「おぉ、ククイ博士。空いてますよ」
彼こそは、アローラ地方を代表するポケモン研究家のククイ博士───その人だった。
彼は主にポケモンの技を研究している博士で、さらにはアローラ地方のポケモンリーグ開設に大きく関わった人物でもある。
「そりゃ良かった。それじゃ、これ代金───」
「邪魔だ邪魔だぁ、スカル団様のお通りだぁ!!」
そんなククイが受付人に代金を渡そうとした直前、後ろから小柄な少女がククイと受付人の間に割って入って来た。
「スカル団?!」
その単語を聞いた受付人の男性は引きつった表情で周りを見渡す。
スカル団といえば一昔前までアローラで有名だったゴロツキ、ならず者───ようするにチンピラだ。
その名前を聞いて良い反応をする人物は限られているだろう。
しかし、彼らの前に現れたのはまだ十代前半に見える小さな女の子だった。服装は厳ついが。
「リア、君も船に乗るのか?」
そんな少女を見ながら、ククイはキョトンとした顔でそんな言葉を落とす。
「当たり前だろ、私は島巡りをぶっ壊す為に居るんだからな!」
そんなククイにかくとうZのクリスタルを突き付けながら、リアは得意げな表情でそう言った。
「ハラさんの大試練をクリアしたのか! 凄いじゃないかリア!」
「ま、ま、まぁな! と、当然……」
想像以上に食いついて来たククイに、リアは少したじろいで視線を逸らす。
実際にハラにバトルで勝った訳ではない。
シルヴィがハラに勝つ瞬間を思い出しては、リアは唇を噛んで表情を曇らせた。
「それで、次はアーカラ島に?」
「……そういう事。そんな訳だから、これお金」
そう言って、リアは受付人に船の代金を渡して船に乗り込もうとする。
「待てリア」
「なんだよ、横入りがダメだってのか? 私は真スカル団だぞ。悪い事してなんぼだからな!」
得意気にそう言うリアに、ククイは困った様子で頭を掻きながら───しかし「いや、違う違う」と彼女が受付人に渡したお金を手に取った。
「え、泥棒?! お前……それはいくらなんでもやって良い事と悪い事があるぞ!」
「本当に君はスカル団のつもりなのか……。いや、そうじゃなくてだな。ほらそれ、君は今島巡りの試練に挑戦中だろう? 島巡り中はその島巡りの証があれば船はタダで使えるんだよ」
そう言って、ククイはリアが払ったお金を彼女の手に乗せる。
受付の男性も首を縦に振っているのでそれが嘘という事ではないらしいが、リアは少しだけ考えてもう一度受付の男性にお金を渡した。
「リア……?」
「私は島巡りをぶっ壊す為に島巡りをするんだ。そんな事には甘えない。……そ、それに! タダで船乗ったらダメだろ普通!!」
そう言って、リアは船に向かって歩き出す。
困り顔の受付の男性に、ククイは「しっかりとした子でしょ?」と我が子のように彼女の行動を自慢した。
「午前の定期便、出港しまーす」
しかしどこからかそんな声が聞こえて、ククイは青ざめる。
結局流されて船に乗るタイミングを失ってしまった。
「ま、まだ乗れますかね?」
「その荷物を持ってアーカラまで立って待ってるというなら……乗れますよ?」
「は、ははぁ……。午後の便を待ちます」
「それが良いです」
溜息を吐きながら、ククイは大きな荷物を横に出発する船を見送る。
「その目のまま、真っ直ぐに進むと良い」
満足気な表情のククイはしかし、頭を抱えながら「午後までどうしようか……」と悩むのであった。
☆ ☆ ☆
船はゆっくりと波に揺られながら海を渡る。
アローラの豊かな海には様々なポケモンが住んでいて、船の外に映るのは海とポケモンが作り上げる自然の絶景だった。
マンタインが水を切って海上を飛び、波に揺られてメノクラゲ達が踊っている。
時折海面から頭を出す水タイプのポケモン達は、船が気になるのかゆっくりと移動する船を視線で追った。
「あと三つか……」
そんな船の上で、リアはかくとうZのクリスタルを握り締めながらそんな言葉を落とす。
メレメレ島での事を思い出しながら、彼女は少しだけ深く溜息を吐いた。
「私は……弱いのかな」
ショッピングモールではなんだかよく分からない内に兄の事を思い出して泣いて、ハラとの大試練はあのまま続けていたらどうなっていたか分からない。
「……ヘルガー?」
震える手を、突然ボールから出て来たヘルガーが舐める。
続いてゾロア、ゾロアーク、ニャビーがボールから出て来て彼女に寄り添った。
ポケモンは人間よりも感覚が敏感である。
主人の不安を感じているのか、ゾロアもゾロアークもリアを心配そうに見詰めていた。
「お前ら……。……こんなんじゃダメだよな。私は島巡りをぶっ壊すんだ」
手を強く握って、強い視線で前を見る。
一匹だけ彼女から離れていたニャビーは、横目でそんな彼女と視線を合わせた。
「アーカラの大試練は絶対にパパッとぶっ壊す。その為にも着いたら修行だな!」
視界に映るのは巨大な火山が中心に聳える島。アーカラ島。
「強くなるんだ……」
振り向けばメレメレ島がモンスターボールよりも小さくなっている。
「……そして、お兄ちゃんを───」
彼女の新しい旅が始まろうとしていた。
☆ ☆ ☆
ハウオリシティ郊外───二番道路。
シルヴィとクリス達は、大方の荷物の整理を終えてからハウオリシティの外れを歩く。
クリスに「ついて来て欲しい」と言われて歩いてきたが、街から離れてしまいシルヴィは首を横に片付けた。
「何処に行くの?」
「午後の便、出発まで結構時間があるからね。せっかくメレメレ島に来たんだから観光スポットの観光と───」
彼に観光の気分がある事に驚くシルヴィ。
「───君に会って話したいって人が居てね」
しかし、その言葉が主な目的なのだろう。
クリスは表情を変えずに、二番道路の脇にある小さな道に足を踏み入れた。
「ここは……」
そして少しだけ歩くと、木々の中に開けた空間が現れる。
視界に入ったのはその空間に沢山並ぶ───墓標だった。
「ポケモンのお墓だよ。ハウオリ霊園って名前らしいね」
「ポケモンの……お墓」
それを見てシルヴィの視線が揺れる。彼女の後ろからついて来たフライゴンは、そんな彼女の瞳を横目で見てから空に視線を移した。
「死んだポケモンが眠る場所。シルヴィはカントー出身だし、シオンタウンのポケモンタワー……今だとたましいの家か。それと同じような場所といった方が分かりやすいかな」
カントー地方には昔ポケモンタワーというポケモンの墓が並ぶ塔があったが、今その塔はラジオ塔になっている。
「うん……」
シルヴィもポケモンタワーの事は知っていて、俯きながらも小さく頷いた。
ポケモンも人間と同じ生き物だから。
命があって、始まりと終わりがある。
ここはその終着点。
そんな霊園のお墓の前で座っていた一人の老人が、シルヴィ達に気が付いて立ち上がった。
そうして手を持ち上げて振る老人の表情は特段暗いという訳でもなく、むしろ明るい印象を受ける。
「……っ、おじい……さん?」
しかしシルヴィはその老人とは正反対に表情を落とした。
老人の姿には見覚えがある。
ショッピングモールのバトルバイキングでバトルした、ヤングースがパートナーの老人だ。
その後ショッピングモールで起きた事件で、彼のヤングースは───
「相変わらず、優しい顔をしているね」
老人は今にも泣きそうな表情のシルヴィにハンカチを渡しながらそう言う。
彼女はそれを受け取って涙を拭き、一度首を大きく横に振ってからクリスに「話したい人って?」と問い掛けた。
「うん。そうだよ」
短く答えたクリスは一度老人に小さくお辞儀をして、シルヴィもそれを見てペコリと頭を下げる。
そんな二人を見て老人はニッコリと笑った。あの日、ヤングースを抱えていた時の表情が嘘のようだ。
そしてよく見ると、彼の足元に小さなポケモンが一匹引っ付いている。
尖った牙が特徴的な、茶色い毛並みのポケモン。
産まれたばかりなのかとても小さいが、それは紛れもなくヤングースだった。
「……ヤングース」
「ん。あー、紹介するよ。ワシの新しい相棒だ」
そう言いながら老人は小さなヤングースを持ち上げて、その頭を撫でながら優しく微笑む。
「ほらヤングース。挨拶しなさい」
「ヤン?」
「やんって、はっはっは」
老人はニッコリと笑う。
「あの後少ししてからね、ワシの家の裏で小さいこの子が鳴いていたんだよ」
そうして、シルヴィ達に背を向けた老人はゆっくりと一つの墓標のの前まで歩いた。
「あの子からの贈り物なんじゃないかなと思ったよ」
そうして、老人は墓標を撫でながらそう言う。
少しだけ寂しそうな表情だが、それでも老人の表情は明るかった。
「どうせ老い先短い人生だ。正直なところ、あの子の後を追いかけようとも思った。ワシは身寄りもなくてな……」
「おじいさん……」
「でもな、君が試練を突破した日か……。街で何かが暴れた日でもあったかな。家の裏でこの子が怯えて丸くなっていたんじゃよ。最初は少しだけ面倒を見て、逃がすつもりじゃった。あの子の事を思い出して、悲しくなるからのう」
老人はそう言ってから立ち上がり、墓標に手を合わせる。
シルヴィもクリスも釣られて墓標に手を合わせて目を瞑った。
あの日の事が脳裏に浮かぶ。
「でもな、ふとリリィタウンでお祭りがあるからと……この子と一緒に見に言ったんじゃよ。そしたら、君が大試練を受けていた」
「来ていたんですか……?」
「うむ。見ていたよ。凄かった。この歳で柄になく興奮してしまったわい。……それでな、この子も目を輝かせてバトルを見てたんじゃ。バトルが終わった後、ワシらの気持ちは一つだったよ」
老人の肩に乗っているヤングースを撫でながら、彼は少し強い目線で真っ直ぐにしっかりとシルヴィの目を見て言葉を落とした。
「バトルがしたい。また、あの頃のように。この子も、君達に憧れたのか……あの子の意志を継いでいるのか。ワシもこんな歳じゃが、まだまだ若いのには負けてられんからの」
ニッコリと笑って、ヤングースと笑い合う。
「君のおかげだ。ありがとう。……それを伝えたかった」
「そんな私なんて……。でも……おじいさんが笑ってくれて私は嬉しいです!」
シルヴィは涙を流しながら、それを隠すように老人に抱き着いた。
老人は驚いたが、まるで孫にでもするように彼女の頭を撫でる。
「君は本当に優しいね。そんな君の成長がワシはとても楽しみなんだ」
そう言って老人はシルヴィと一旦離れて、彼女の瞳を真っ直ぐに見ながらこう口を開いた。
「大試練突破、本当におめでとう」
笑顔でそう言って、老人は二人の旅路を見送るように手を振りながらその場を後にする。
「……私、強くなる」
「そうだね」
残された二人は強く手を握って、空を見上げて呟いた。
R団は必ず止める。
そんな願いを抱き締めて、朝の日差しは墓標を明るく照らしていた。