黒絹の皇妃   作:朱緒

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第192話

 キルヒアイスの昇進問題だが、彼女は解決する力を所持している。

 彼女はキルヒアイスを帝国騎士に叙することも、推薦状を出すこともできる。もっと単純に皇帝に依頼することも可能。

 

 だが彼女はキルヒアイスを帝国騎士にしたくはなかった。

 好き嫌いの問題というよりも、ラインハルトの勢力基盤は平民にある。

 様々な効果を考えるならば、キルヒアイスは帝国騎士にはならず、平民のままその壁をぶち破った方が良い。そうすることで、平民たちの気持ちがますますラインハルトに集まる ―― 平民が帝国騎士になり上級大将、そして行く行くは元帥よりも、平民のままのほうが誰もがラインハルトを、そしてキルヒアイスを尊敬するというもの。

 

―― 最終的には大公になるとしても……キルヒアイスを大公にする場合、アンネローゼとの結婚が条件よねえ。でも大公の条件が結婚となると……

 

 新王朝が興り、キルヒアイスが生存したまま大公になるとしたら、アンネローゼとの婚姻は必須となる。

 

―― 政略結婚でしかありませんが、ラインハルトは反発しそう

 

 キルヒアイスが生きているのは良いことなのだが、生きていることで様々な問題も生じる。

 キルヒアイスは死後、ラインハルトから大公の称号を与えられた ―― これは死亡しているので問題は起こらなかったが、生きているキルヒアイスに同じことをするとなると、山積みになる。

 

 善いキルヒアイスは死んだキルヒアイスだけ。そうしないためにも、そして、そうならないためにも ――

 

「ジークリンデさま、到着しました」

「そうですか。では参りましょうか、キスリング、ユンゲルス」

 

 彼女はミュラーを見舞うため、軍病院へとやってきていた。

 昨晩、激痛から意識を手放してしまったミュラーが心配で、顔を見るだけで良いからと、今晩やってくるシェーンコップに見せる会場の管理を行っているフェルナーに頼んだ。

 フェルナーは名目上「余所の提督を負傷させたので謹慎させていた」キスリングを牢から出し、無言で指示を出す。

 キスリングは心得ていますと、携帯できるの白兵戦用の武器を仕込み、病院へと乗り込んだ。

 正面玄関には武器の有無を確認する装置は置かれているが、彼女はそちらではなく、貴賓専用の玄関から。このクラスの人物の護衛は、武器に関しては書類上の申告だけで済む仕組みになっている。

 

「ミュラーは、まだ眠っているようね」

 

 彼女が見舞うということで、軍上層部、それ以上にミュラーの副官のドレウェンツの強い意志により、ミュラーは睡眠薬を投与され、強制的に眠りの世界に。

 規則正しい呼吸と、苦悶や苦痛を思わせる汗などが浮かんでいないミュラーの寝顔に彼女は安堵し、

 

「目を覚ましたら、言ってもらうわよ、ナイトハルト」

 

 ミュラーの唇に軽く人差し指を押し当ててから、病室を出た。

 この後、彼女は夜にシェーンコップたちに姿を見せるまで、特に予定などはなかったのだが、

 

「シュトライト、ですよね」

 

 右の上腕部を手で押さえているシュトライトと、その部下たちの姿を見つけ ―― 刃物で傷つけられたと聞き、彼女は更に詳細を求めた。

 

「……もしかして、結構面倒なことになってます? シュトライト」

 

 シュトライトの傷は深くはなく、話をしながらでも治療ができるということで、彼女は彼から直接事情を聞く。

 

「今回が初めてです」

 

 シュトライトに怪我を負わせたのは、門閥貴族の分家の青年軍人。

 昇進の推薦状が欲しいとシュトライトに高圧的に依頼するも、何もしていない青年を彼女に推薦させるわけにはいかない。青年は話してくれるだけで良いと言ったが、誰がどう見ても青年を昇進させる理由も意味も意義もない。なにより青年は既に彼の才能以上の地位にあり、これ以上を望むのは身の程知らずというものであった。

 

「私に紹介するのを拒否したら、切りつけたのですか」

 

 彼女には取り次ぐことはないと言い切ったシュトライトに激高した青年は、隠し持っていたナイフをいきなり突き出す。

 

「はい」

 

 シュトライトは避けられそうではあったが、これを理由に断れるとの考えが頭を過ぎり、腕を切られた。

 青年は取り押さえられ、シュトライトは記録を残すために軍病院へとやってきて、彼女に遭遇した。

 

「そんな危険な人物からの依頼は、無理に断らなくてもいいのですよ」

 

―― うん。まったくもって、特権階級です。思考回路は分かりたくはありませんが、そういう人、いっぱい居ますね!

 

 彼女はどこかで自分と血がつながっていそうな青年の、短絡的な行動に、一ミリたりとも共感はできなかったが、”らしい”と、すんなりと納得した。

 そして、このような短絡的な行動を取る人物が、他にも大勢いることを考えて、無理はしないでとシュトライトに頼むも、

 

「まさか、このような些細なことで刃物を持ちだし、暴れるような輩をジークリンデさまと会わせる訳にはまいりません」

「ですが……」

 

 彼女以外の者にしてみると、近づく前に排除しなくてはならない存在であり、彼女はこんな小さなことに心を煩わせる必要はない。

 

―― キスリングも、きっと容赦なく撃つわ-。当然のことですけれど……そうね、近づかないほうが良いのね

 

 彼女は納得しきれなかったが、自分が刃物を向けられたらと考え ―― 過去の経験から、相手は容赦なく撃ち殺されてしまうと答えがすぐに出た。

 

**********

 

 彼女が覚えているシェーンコップの性格は、どうにも捻くれた、一筋縄ではいかない男。ただし、ヤンにあの場で独裁者になることを薦めたこともあるので、民主主義を尊ぶ性格でもない。

 

―― 私があれこれ悩んだところで、どうにもなりません。オーベルシュタインが、顔でどうにかできると言っているのですから、それを信じて!

 

 彼女はシェーンコップに姿を見せるために、邸の庭で観兵式を行うことにした。大貴族が私軍の観兵式を自宅敷地で行うのは珍しいことではない。

 時間帯は夜で、炎を効果的に使い、シェーンコップの心を捉えようというもの。

 夜の観兵式は、正規軍ではあまり馴染みはないものだが、私軍の場合は頻繁とまでは言わないが、炎と行進の対比が美しいということで、行われることがままある。

 

 季節はすでに冬。冷たい夜気に晒されると、彼女の体調が崩れる恐れがあるので、彼らは観兵式は反対したのだが、指を組んで大きな瞳で上目遣いに「お願い」と言われて ―― その視線をまともに受けたフェルナーは五秒で陥落。

 だが最初から最後まで、テラスで風に当たらせているわけにもいかないので、彼女は最初に挨拶をし、天幕の中で観ることになった。

 兵士に寒い思いをさせるので、最初から最後までテラスで……と言ったが、それは聞き入れてはもらえなかった。

 

「ジークリンデさまに気を取られて、確実に失敗します。私も部下の給与を下げたくはないので、ここは妥協していただきたいのです」

 

 ファーレンハイトが絶対に兵士が彼女に見とれると、そして失敗したら査定に響くと言われては、彼女としてもそれ以上の我が儘は突き通せず。

 彼女に見えないところで、フェルナーとキスリングとファーレンハイトがハイタッチしているのを、副官のザンデルスは、様々な理由で善かったなと、生ぬるく見守った。

 

 ちなみに冬の夜の観兵式だが、兵士たちは文句もなにもなかった。寒いといっても、人間が通常の防寒服で過ごせる惑星上でのことであり、どこかから弾丸が飛んでくるわけでもなければ、叛徒がいるわけでもない

 (茂みには、陸戦に長けた逆亡命者が潜んでいるが、それは通知されていない)

 また、気前の良い彼女が、特別手当も用意しているとなれば、やる甲斐はある。

 

 彼女はテラスでほぼ天幕内、両サイドにはファーレンハイトやキスリングなど。彼女の前には四桁の武装した兵士。

 その端の茂みの中に、両手両足を拘束され、リューネブルクとオーベルシュタインに見張られたシェーンコップ。テラスまでかなり距離があり、肉眼ではほとんど見えない状況 ―― 通常、観兵式は最初に整列した軍隊の前を、司令官、この場合は彼女が見回るのだが、この閲兵を観兵式の後に回すことにし、その時、シェーンコップに最大に近づくことにした。

 約一時間の間、シェーンコップは冬の夜空の下、寒さに晒されながら、遠目に彼女が居ると告げられ、最後に彼女の姿を見るという演出になっている。

 簡単に姿を見せて、すぐに帰ってしまっては、効果も何もないので、このような形となった。

 ちなみに閲兵を最後に回すことについては、ファーレンハイトが隊員に、

 

「最初にジークリンデさまのお姿を拝見したら、間違いなく浮ついて失敗する。よって最後にとお願いした」

 

 このように告げ ―― 彼女の容姿を知っている隊員は、特に疑問は抱かなかった。

 こうして邸での観兵式の準備が整えられていた。

 

 下手な行動を取ったら、捕虜全員が不幸な事故で死亡すると脅されたシェーンコップは、久しぶりに昔の上官であるリューネブルクと再会し、軽口を叩くなど彼らしい態度を取り、そして拘束されて、庭の片隅につれて行かれ芝生に押しつけられるようにして、跪かされた。

 シェーンコップが連れて来られた時点では、まだ明かりは灯っていなかったが、兵士たちが並び出すと、庭の居たるところに設置されている、台に火が灯される。

 夜の闇に誘うような炎が、鮮やかに並ぶ。

 しばし時が経ち、軍服姿の彼女が現れる。シェーンコップからは、丁度顔が見えない位置だが、兵士たちが息を飲み緊張した空気が、彼にも伝わった。

 ふとシェーンコップは、自分の頭を押さえつけているリューネブルクの手から、僅かばかり力が抜けたことに気付く。

 このタイミングで、逃げられたかもしれないのだが、シェーンコップは兵士のみならず、リューネブルクまで任務中に意思を持って行かれるほどの女とは、どんな存在なのか? 彼の好奇心が疼き、寒さを忘れてその場に留まる。高貴な人食い虎は、その好奇心で身を滅ぼすことになる ――

 

 彼女は天幕の中から、隊列を組み一糸乱れぬ動きで行進する兵士たちに、驚きと賞賛と、

 

―― 観兵して良かった

 

 シェーンコップに己の姿を見せるために行ったことだが、それを抜きにしても、良かったと思うほど感動した。

 全てが終わり、ファーレンハイトが彼女の天幕を開ける。

 滑り込んできた夜気に、身を震わせた彼女は、

 

「見なかったことにして」

「畏まりました」

 

 何事もなかったことにして、天幕から外へと出て、テラス脇から地上へと続く、優美なカーブが目を引く階段を、彼女の為だけに誂えられた軍帽のベールを、やや手を広げて持ち、風に煽られながら軽やかに、そして優美に降りてゆく。

 夜の闇と邸の白さ。炎の赤さと、それが作り出す仄暗い影。

 地上に降りた彼女は、先導役のフェルナーの後ろを付いて歩く。

 彼女は立ち止まるべき位置に、一際大きな炎を用意しており、そこに到着するとベールから手を放し、シェーンコップのほうを振り返る。

 

―― あの辺りにいるはずですから、この角度がもっとも効果的! ……な、はずです

 

 彼女からシェーンコップたちの姿は見えないが、シェーンコップからは彼女の姿がよく見えた。もちろん、見えるように光源の位置などを計算した結果である。

 

「……」

 

 それら計算されつくした状況で、シェーンコップが初めて直接見た彼女は、荘厳であり儚かった。荘厳さは大勢の兵士を背に、元帥を従え、背にしている炎に照らされて、黄金に輝くベールが、風で翻っている姿なので当然だが、儚さについては、はっきりとした答えはでなかった。

 もっとも荘厳さも儚さも、彼女がシェーンコップの前から去ってから浮かんできた言葉で、彼女を一目見た時には、なにも浮かんではこなかった。

 闇に溶けそうな濃い色合いの軍服と、黄金に染まるベールの中にあって、片側だけ僅かに垂らしている黒髪は、闇夜よりも深く。

 炎の揺らめきを映している瞳は潤み、長い睫に彩られ物憂げ。

 すっきりとした頬と、あどけなさがある唇。揺らめく影、彼女に表情を作るが ―― 彼女は微笑みもせず、然りとて無表情でもなく。

 どう笑うのか、どんな表情で泣くのか ――

 

「あの女、どんな表情を浮かべるのか」

 

 黄昏を思わせる朱の炎を進む彼女が小さくなった時、シェーンコップはそう呟き、立ち上がろうとした。

 最早逃げるつもりはなく、遠ざかる彼女を追おうとしたのだが、拘束されていて動けず。

 体勢を崩すも、視線は彼女へ。

 ベールが黄金に輝いていることもあり、その後ろ姿は、落日に消える黄金樹にも見えた。

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