黒絹の皇妃   作:朱緒

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第31話

 どこかから聞こえてくるキュンメル男爵死亡確認という声や、残党との戦いを援護するオペレーターの指示。色々と聞きたいことはあるのだが、この場で返答する余裕のある者はいないであろうと、ずっと黙っていた。ファーレンハイトが負傷したという報告が入っても ―― 制圧完了という言葉が出るまで待ち続けた。

 表情なく、さりとて現実から逃避しているようには見えぬよう、普段の笑顔よりもずっと気を使い、全神経を集中させて。

 感情はあれど表には出さず ―― 

「ジークリンデさま。もう安全です」

「そうですか。先程は本当によく……ありがとう、キスリング」

 キスリングに声をかけられて口を開くが、表情はそのまま。

「当然のことをしたまでです。ファーレンハイト提督はご無事です。命に別状はありません」

「そうですか。会えますか? 無理にとは言いません。そのまま帰途についたほうが良いというのなら、それでも」

「聞いてみますので、少々お待ちください」

 

 キスリングが連絡を入れると、ゼッフル粒子を被ったので、近くに来られたら困るとのこと。通信が繋がれ、

「いかにも軍人が怪我を負った……という感じね」

 袖を通していない軍服をはおった姿のファーレンハイトが映し出された。

『これでも、軍人ですので』

「私はこのまま帰国すればいいのですね?」

『はい。カストロプ公領では何ごともなかった ―― お願いしても、よろしいでしょうか?』

 事件はあったが、事件の全てが明るみに出るわけではない。

 彼女はそこらの判断は出来ないが、

「ええ。素敵な結婚式でした。私もあんな結婚式が挙げたかったです……とでも、大伯父上に言っておきましょう」

 そのように報告すれば、あとは上手く収まることは知っている。

『もう一度、結婚式をなさいますか? 国務尚書閣下はすぐに用意してくださるでしょう』

「花嫁の父役代理がしっかりと軍服を着ることができない上に、夫が前線では、さすがの大伯父上でも無理でしょう」

 彼女は画面に指を押しつけ、ファーレンハイトはそれに額を押しつけるような体勢を取る。

「帰りますよ、キスリング」

「はい」

 彼女は何ごともなかったとして、マリードルフ伯に挨拶をしてカストロプ公領を出発した。

 

 

 帰国の途についた彼女は、まずミュラーについてキスリングに尋ねた。

「ミュラー中将はどうしました?」

「制圧後、急いで戦場へと向かいました。エッシェンバッハ伯に呼ばれたようです」

 彼女の知ったことではないのだが、フェルナーが以前フェザーンで撮影した大道芸ロミオを、こともあろうにラインハルトに送りつけ ―― 指一本触れていないが、好意を持っている彼女の身を守るべく、ミュラーをも急遽呼びよせることとなった。

「そうですか。あいさつができなくて残念です。夫の元へと馳せ参じたのですから、余計に言葉をかけたかったのですが」

「そうですね。ミュラーのやつも、さぞ残念だったことでしょう」

 キスリングの含みに彼女は気づくこともなく、

「オーベルシュタインに連絡を」

「はい」

 新居は決まったかどうか? を確認するために。

 

―― 帰国するのはいいのですが、住む場所が決まっていないと……オーベルシュタインに依頼したんだから、万が一もないだろうけど

 

『およびと』

 血色悪く、若白髪な義眼の持ち主はすぐに画面に現れた。

「新居はどうなりましたか?」

『ランズベルク伯のご助言のもと、こちらの邸に。お気に召されませんでしたら、遠慮なくおっしゃってください』

―― シュワルツェンの舘……多分ラインハルトたちが住む館は、そんな感じだったはず

 邸の外観と内観を見ながら、彼女はこれからについて考える。

「充分ですよ」

 根拠全くないのだが、皇帝崩御の時期はずれないと彼女は考えていた。時期に皇帝が崩御する、そうしたらアンネローゼが自由になりラインハルトとキルヒアイスと共に住む。その時、自分の立ち位置はどうしたものかと。

『光栄です。それと、こちらからも報告があります。エッシェンバッハ伯が手配したジークリンデさまの警護ですが、ウルリッヒ・ケスラー准将、三十五歳。白兵戦の能力はキスリング准佐には及びませんが、警備技術に長けた男です。さきほど連絡を取ったところ、以前ジークリンデさまの身辺警護を務めたことがあると言っておりました。十五年ほど前のことですが、ご記憶にありますでしょうか?』

「ウルリッヒ……ですか。覚えています。あのウルリッヒですか」

 ラインハルトの配下にいるケスラーということは、確実にこの世界で才能を発揮するケスラー。

 

―― ああ、あのウルリッヒ准尉が、憲兵総監ケスラー元帥でしたか…………この世界での私の初恋はケスラーだったんですか。死んだと思っていたウルリッヒが生きていたのは嬉しいのですが、ちょっと……なんか……いや、いいんですけど

 

 十五年ほど前に出会って二ヶ月間、一緒に過ごした准尉がケスラーだと知り、驚きはしたものの、早期に味方にすることができなくて残念だという気持ちはなかった。十五年前、士官学校卒業後すぐのケスラーをそのまま手に入れたとしても、ケスラーにはなり得ないからだ。

 

 ちなみに彼女がケスラーについて覚えていることは「ケスラー」「憲兵総監」「マリーカ」「若白髪」の四つのみ。十五年前に「憲兵総監」と「マリーカ」は無関係であり、当時のケスラーは「若白髪」などなく、そして彼女に名乗った際、名字ではなく「ウルリッヒ」と名乗った。

 なぜケスラーがウルリッヒと名乗ったのか?

 当時その部隊にはケスラー姓が五人もおり、もっとも階級の高いケスラー以外は名前を用いられていた為である。

 またウルリッヒはごく普通に名にも姓にも使われるため、彼女はいまの今まで、○○・ウルリッヒだと信じて疑っていなかった。

 のちに自由に軍人を検索できるようになってから、ふと初恋の人のことを思い出し調べ、該当者がいなかったので(姓ウルリッヒで検索)すでに戦死したのだろうと、心の中の奥深くにしまい込んでいたのだ。

 

 オーベルシュタインから送られてきた、三十五歳になったケスラーの顔写真を見て、

「両サイドの白髪増えてる……あの当時は白髪なかったしね」

 今のケスラーなら一目でケスラーだと分かるなと……納得し、そしてあまりの恥ずかしさにクッションを抱きしめて顔を埋めた。

 

―― あれがケスラーなら、もう少しこう……あー恥ずかしい

 

 彼女とケスラーの出会いは、父親が兄と彼女を連れて狩猟地へと赴いたときのこと。兄と父親は狩猟をするが、彼女は別荘で留守番。

 彼女としては狩猟には興味はないので、とくに不満はなかった。ただ少々心配性の父親が狩猟地の警備責任者に、彼女の護衛に一人、遊び相手になりそうな若い軍人を寄越してくれと依頼し、もっとも年若かったケスラーが選ばれた。

 当時の言動を全て記憶しているわけではないし、後年のことを考えて平民軍人には優しくしようと心掛けてはいたが、行動そのものは子供で、膝に乗せてブランコを漕いでもらったり、ボール遊びに付き合ってもらったり、ピアノを無理矢理聞かせたりと。

”お嬢さま。今日はこのウルリッヒと、なにをして遊んでくださいますか?”

”そうねえ……”

 狩猟シーズンが終わり帰宅するさいに「再会のお守りよ」と、イヤリングを片方渡して別れ ―― 翌年、また父親と兄とともに狩猟地へ出かけたが、ケスラーはすでに別の任地へ。それから再会することなく、約十五年の歳月が過ぎたのである。

 

**********

 

 オーディンのシュワルツェンの邸で、同期が再会した ―― ケスラーとオーベルシュタインは同い年で、士官学校も同期生である。

「それにしても卿が……なあ」

 彼女の身辺警護をエッシェンバッハ伯から任されたケスラーは、十五年ぶりに会ったオーベルシュタインを前にして、なんとも言えなかった。軍法会議を逃れてローエングラム伯爵夫人の元へ ――

「私も驚いている」

 二人は部屋を一室ずつ見て回りながら、しばらくこの邸で一人暮らしとなる彼女の過去と現在について語っていた。

「お嬢さま……ではなく、伯爵夫人だが、お美しくなられたであろう?」

 幼かったころの彼女は、美しくあったがそれ以上に可愛らしかった。子供らしい柔らかな曲の頬に、子供らしさの特徴である大きな額と瞳。

「お美しい。幼いころもお美しかったのであろう?」

「それはまあ。初めてお目にかかったとき、困り果てたほどにはな。なんというか……伯爵閣下が警護を付けたくなる気持ちが分かったと言えば、通じるだろうか」

 だがそれらの曲線は成長したらさぞや美しくなられるだろう……というよりは、成長したらどれほど美しくなるのか? 末恐ろしいほどだと思わしめる造形であった。

「分かる。ところで卿は結婚していないようだが」

「ああ」

「幼馴染みで恋人フィーアという女性はどうした?」

 十五年以上前のことを正確に覚えている男が一人。

「覚えていたのか!」

 学生時代のケスラーは、年相応の若者で恋人の手紙を喜び、差別などとは無縁で、気にせずにオーベルシュタインに話しかける男であった。

「卿が私に話したことだ」

 無表情で興味なさそうに聞いていたオーベルシュタインが覚えているとは、思ってもいなかった。

「私とて忘れていたことを」

 ケスラー自身、思い出すとあの頃は若かったのだと ―― 過去は否定しないが、士官学校での自分の行動は否定したくなる。

「そうか、あれほど話していたので……まあいい。ところで、ジークリンデさまにウルリッヒと呼ばせるつもりか?」

「そんなつもりはない」

「ジークリンデさまが望んだら、黙って呼ばれるように」

「お嬢さまが、そのように望まれるのであれば」

「卿はウルリッヒと呼んで欲しそうだな」

「性格、すこし変わったなオーベルシュタイン」

「答えていただこうか、ケスラー准将」

 

 ケスラーの返事がどうであったか? 彼女の知るところではないが、

 

「ありがとうございました、メルカッツ提督」

 ネルトリンゲンに乗った彼女は無事にオーディンに到着する。

「あの一件、まことにご迷惑をおかけいたしました」

 ゼッフル粒子による呼吸障害について、メルカッツから謝罪されるが、

「いいえ。知ることができて良かったですわ。ネルトリンゲン内でなければ、もっと危険な目にあったことでしょう」

 それが彼女の偽らざる気持ちであった。

 

 帰国後リヒテンラーデ侯に報告し、西苑へと赴いて変わったことがなかったかなどを代理から聞き、寵姫たちに顔を見せ、カタリナのところへも足を運び、ここでも西苑で事件が起こっていなかったかを確認して帰途についた。

「キスリングも、ゆっくり休んでくださいね」

「はい」

 護衛として神経を張り詰めていたキスリングに休暇を出し ―― 次に新無憂宮に出仕するのは、キスリングの休暇明け三日後のことになる。

 

「警備を担当させていただく、ウルリッヒ・ケスラーです」

 シュワルツェンの邸で待機していた、かつてのウルリッヒ准尉、現ケスラー准将と再会することに。

「久しぶりね、ウルリッヒ」

「再会できて光栄です、お嬢さま」

「会えてうれしいわ」

「私もです」

 

 再会を喜んでから、邸を案内され、

 ―― ラインハルトの部屋の内装が異様にシンプルというか、殺風景というか……帰還後、お好きなようにしてもらうということで……そうよね、オーベルシュタイン

 ラインハルトとキルヒアイスの私室以外は、問題のない内装と家具が整えられていた。そしてブラウンシュヴァイク公爵邸に預けていた、元の侍女たちが揃えられ、彼女は久しぶりに気楽に、だが初めての部屋でやや興奮気味に、眠れぬ夜を過ごすことになる。

 

―― 残念ながらキュンメル男爵の事件は起こってしまったわけですけど……タイムテーブルの混乱がはげしくて、記憶があまり役に立たない。もともと役に立つ記憶なんて、微々たるものですけれど。

被害の程度は……詳しく覚えてないから、同じなのかどうかは不明。

クロプシュトック侯事件に…………そんなに死者でなかったのになあ……なんで死んじゃうかなあ…………。

いまはそれじゃなくて、キュンメル男爵事件にオーベルシュタインの逃走は、時間経過や関係者が違っているものの起こった。

でも、事件の全てが私の身に降りかかるわけではないだろうから。

それよりも、このアムリッツァ会戦終了後、フリードリヒ四世崩御。これはずれないような気がする。

となると政変? 大伯父上、リッテンハイム侯に排除されるよね。

担ぎ上げられる、後ろ盾がない幼児、エルウィン・ヨーゼフ二世はいないから、サビーネが女帝即位で……ラインハルト前に粛清? この場合は女だから生き延びられるという保証もない。

そもそも私とラインハルトの結婚は、ラインハルトが宇宙で最も憎いフリードリヒ四世からの命令であって、存在しなくなったら即破棄もあり得るから、頼れない方向で考えるべきだよね。

大伯父上が失墜したら私も捨てて……マールバッハ伯を追い落として婿の座に。原作でもそういう考え持っていたはず。

ラインハルトがサビーネを選ぶのは、べつに構いはしないんだけど……サビーネはそんなに悪い噂を聞かないから、幸せになって欲しいなあ。

エルウィン・ヨーゼフ二世が存在しないのが……皇太子を処刑台におくった私が言うべき台詞ではないですよね。

でもエルウィン・ヨーゼフ二世がいないから幼帝誘拐もないから、あの人。名前は覚えていないけれど、誘拐阻止できなかったことで自害してしまった古風な武人さんが死ななくていいから。なんて名前だったっけかなあ。

思い出す必要もないか。サビーネはそろそろ十五歳だから、幼帝ではないし。

ああ……大伯父上頑張って。でも頑張れば頑張ったで、ラインハルトに排除されそうな。……眠くなってきた、寝よう……

 

 

 彼女は知らないが、七ヶ月前にペクニッツ子爵ユルゲン・オファーとその妻エリザベートの間に、カザリン・ケートヘンという名の女の子が誕生している。原作においてゴールデンバウム王朝最初の女帝にして最後の皇帝、その人である。

 

**********

 

 カストロプ公領で事後処理にあたっていた、ファーレンハイトの元に

「ファーレンハイト提督」

「なんだ?」

「マールバッハ伯がお会いしたいと」

「ザンデルス、主砲用意」

「ダルムシュタットで来てませんから、客船で帰るんですから。むしろ伯爵に撃たれますって。トリスタンってので来ましたよ」

 ロイエンタールが訪れた。

「仕方ない、会うか」

「喧嘩しないでくださいね」

「さあ」

 ……と、ファーレンハイトに自制を求めたザンデルスであったが、

 

―― どうみても、喧嘩売ってるようにしか見えない。女たらしの伯爵ってやだなあ

 

 自制を求めた自分が馬鹿だったと、現れたロイエンタールを見て思った。

 落ち着いた色合いの服は、ダークブラウンの髪と白い肌、そして特徴とも言える金銀妖瞳の容貌を際立たせ、持っているカサブランカの花束も様になっている。

「怪我をしたと聞いたので、こうして花束を持参した。見舞いだ」

 渡す相手が美しい女性であれば「気障だが、女は好きそうだな」で済ませられるが、

「……」

 花束を突きつけられているのは、見た目とは正反対ともいえる性格のファーレンハイト。

「”私はバラが嫌いだ。父がこよなく愛しているからだ”メッセージつきだ、ぜひ受け取ってくれ」

 だがそんな副官の内心を他所に、ファーレンハイトはカサブランカに埋もれている手紙を見つけ、続けられた ―― 私はバラが嫌いだ。父がこよなく愛しているからだ ―― 皇太子の言葉を聞き、

「……それで?」

「オーディンまで送ろう」

「分かった」

 花束を受け取って手紙を抜き取り、すぐさま花束を床に叩き付け、帰国準備に取りかかった。

 準備を終え、トリスタンに乗り込み離陸してから ―― 

「まず卿に言いたいことがある」

「なんだ? 伯爵」

「俺はジークリンデのことを愛している……なんだ、その表情は」

「知っていることを改めて聞かされて、馬鹿馬鹿しくなっただけだが」

「そうか。では話を始めよう」

「そうしてくれ」

 424年もののワインを前に ―― 私が捜しているオスカーは金銀妖瞳なの。あなたじゃなくて残念 ―― 十六年前にロイエンタールにそう語ったのはジークリンデ。

 

 その時のロイエンタールは、青い瞳にレンズを入れ黒く偽っていた。

 

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