◇
白い異形の天竜。その天竜に二人の人間が乗っている。一人は口に煙草を咥え白煙を靡かせている。もう一人は全身を鎧で身に纏っている。
よく見ればその天竜も煙草から出ている白煙で作られていることが分かる。
「着きましたよ、ロジャーさん」
煙草を咥えた男、メビウスが全身鎧のロジャーに声をかける。
着いたといってもそこは大海。その周りには何も存在せず、島の一つもない。だが、それも当然だ。彼ら二人の目的地は海の中に姿を隠した要塞である。上空から見てもどこにあるかはわからず、専用の眼でもなければ、所在さえ知ることができない。
無論、その眼をメビウスはユテンの《邪眼変性》によって授けられており、容易く要塞の位置を知ることができた。
問題は海の中に姿を隠す要塞への侵入口だけだが、その問題を解決するために全身鎧の男は存在する。
「《シー・ホール》」
ロジャーが海属性魔法を唱えると同時に、大海に大穴が開き、要塞への進入路を露わにさせる。そして、大穴の底には金属製の壁が見えた。
無論、その金属の壁も生半可な攻撃では傷一つつかないことは想像に容易い。だがこちらも”無窮”と呼ばれる<超級>である。壁を破壊する手段などいくらでも存在する。
「《エクスプロード・スティンガー》」
彼は装備していた槍を金属の壁に向かって投擲する。超音速を超え得る速度で飛翔したその槍は壁に激突した瞬間に爆発した。
爆発のあとには無残にも穴が開き、そこからは要塞への進入路がありありと見て取れた。
その穴に向かって飛翔する天竜と二人の男達。侵入不可能といわれた海洋要塞をただ二人の手で侵入してしまったのだ。
「流石ですね、ロジャーさん。こうも容易く要塞内に侵入できるだなんて」
『二度目だからな。効率の良いやり方はおのずと分かってくる』
《ゴルゴネイオン》のクランが初めて要塞攻略に乗りだした時、ロジャーは先陣を切ってことに当たってくれた。その時の経験が生きているのだろう。
「しかし、今の爆発で中の人たちに気づかれたんじゃないですかね?」
『問題ない。気づかれようが俺たちの侵攻を止めることはできん』
「そうですね。…オーナーからです。情報にあった<天地>の者たちも敵にまわったと」
『それも想定通りだ。では手はず通り二手に分かれる』
「了解」
彼らの目的は【死商王】などではない。目的のモノを見つけるためには二手に分かれるのが効率的だろうと侵入前に話し合っていた。
作戦通り、二手に分かれるメビウスとロジャー。ロジャーは正面から堂々と、メビウスは自身のジョブスキルを使い、姿を眩ませながら迂廻路で目的のモノを探す。
自然、正面から侵入を試みるロジャーの側には爆発を聞きつけた機械兵が多数出現する。
要塞で生みだされる機械兵もステータスで言えば精々で亜竜級程度。
しかし、【死商王】のエンブリオ【弩級工廠 アレス】で生みだされた特殊能力付きの武器で強化されており、戦力で言えば純竜級に届いている。
それが数多の連携で襲い掛かってくるのはなるほど厄介だろう。
もしメビウス一人だけだった場合、為すすべなくやられていた可能性もある。だが、ここにいるのはロジャー。たかだか純竜級の機械兵達に負けるような相手ではない。
機械兵達が装備したガトリング砲を一斉に構える。そして、僅かな間も置かず、その全弾がロジャーに向けて放たれる。
一斉砲撃は、例え前衛の超級職であろうとそのHPを即座に全損させるほどの威力を誇る。
機械兵の猛攻を前にロジャーが取った行動は…ただの前進である。
ガトリングの全弾がロジャーに着弾する。
しかし、ロジャーの全身鎧はその全てを遮断する。ただの一ダメージも与えられることはない。それがロジャーの有するエンブリオ【収極技鎧 ベンケイ】の能力の一つである。
『全て躱してもよかったが、この狭い通路で、この弾幕さすがに受けざるを得ないか』
その言葉と同時、ロジャーは装備した槍を構え、瞬く間に機械兵との距離を詰める。その速度はまさしく超音速、音を超えた速度であった。
『《ストーム・スティンガー》』
スキルの宣言と同時に槍が振るわれ、的確に機械兵の関節部を貫いていく。機械兵といえど、関節部分を貫けてしまえば動くことすらできなくなってしまう。そして機械兵は無残にも全て沈黙してしまう。
『あの機械兵、ガトリングとの接続が途切れた途端、沈黙した。やはり、ユテンの言う通り、機械兵は【アレス】で生みだされた武器に寄生された存在という訳か』
その瞬間、ロジャーの頭部に衝撃が走った。頭部が揺さぶられるが、大きなダメージはない。今の一撃の正体を探るが、その答えはすぐにわかった。壁を貫通して飛来する矢がその答えだ。
『俺のエンブリオが複数有する防御スキルを突破して衝撃を与えてくるとは…情報にあった【超弓武者】シュバルツか…面白い』
飛来する矢を手に持った槍で撃ち落としながら強敵の接近に興奮を隠せないロジャー。そしてそれは敵であるシュバルツも同じであった。
今ここに行われるのは<超級激突>、<Infinite Dendrogram>の世界に存在するハイエンドプレイヤー同士の戦いである。
◇
先攻はシュバルツ。
矢を構え、狙いを定める。アクセサリー型の特典武具【索敵臨倶 サーチアイ】によって領域内の相手の居場所を知ることができる。遠く離れていようが、敵を見間違えることはない。
「槍と弓。残念ながら距離の利はこちらにある。このまま押し切る」
【超弓武者】の奥義《一射入魂》は壁を貫通してなおエンブリオで身を守ったロジャーにダメージを与えるほどの一撃を放つスキル。しかしそれでも、決定打になりえないのは先の動きで確認済み。
ならば、今度は【超弓武者】の
《一射捧魂》は簡単に言えば《一射入魂》の超強化版である。
《一射入魂》の時点で遠く離れた地点から遮蔽物を貫通して敵を射貫くほどの一撃。《一射捧魂》では《一射入魂》の10倍の射程距離と威力を誇る。
無論、デメリットもある。それは究極の一射の反動によって放った者の肉体が五体四散してしまうのだ。
まさしく最終奥義。過去の【超弓武者】はこの一撃を以って領地に攻め入った神話級UBMのコアを撃ち抜き、領地を救ったという逸話があるほどである。
今、その究極の一射がシュバルツの手によって放たれた。
ロジャーは放たれた矢の軌道から射主がどこにいるかをあらかた検討をつけていた。メビウスと違い、ユテンから眼を邪眼に変えてもらっていない。透視や索敵といったことはメビウスほどの確度はないが、それでも彼が培った戦闘技能は邪眼と変わらない精度で敵の位置を把握していた。
攻撃の位置が分かっており、一度見た矢の一撃など躱すのは容易い。先と同じように飛来する矢を槍を撃ち払おうとしたが、その目論見は失敗した。
そうなった理由はただ一つ。その矢の威力が先程とは較べものにならないほどのものだったからだ。
『壁を貫通するなんて生易しいものじゃない。壁を破壊して突き進んできたっ。まるでバズーカだな』
超音速機動で動いていたロジャーはギリギリのところでその一矢を避けたが、直撃していれば致命傷になり得たことは想像に難くない。
『だが、今の一撃、エンブリオの必殺スキルかジョブの最終奥義に匹敵する。そんなものが連続で使用できるはずもない。この矢の通り道がそのまま貴様への最短距離と…』
その瞬間、《一射捧魂》の第二射が放たれた。
『…こいつは、さ、す、がに!』
第二射どころの話ではなかった。《一射捧魂》で放たれる一撃は矢継ぎ早に行われる。ロジャーも持ち前のステータスと戦闘技能で躱し続けているが、それもいつ限界が来るかもわからない。
最終奥義の連続掃射。それを可能にしているのはシュバルツが有する<超級エンブリオ>【窮弓射 イージス】の必殺スキルである。
《
その能力は矢を構えてから矢が放たれるまで、自身への一切のダメージを無効化する。ダメージという外的要因を無視しながらその一射に集中できるという本人の望みが分かりやすくエンブリオの能力に顕れており、防御能力に関しては最高峰の能力を持っている。
そして、【超弓武者】の最終奥義と組み合さればそれは最高峰の攻撃性能となる。《一射捧魂》の反動は弦を離した瞬間に返ってくる。そして、その瞬間は《弓矢に一生》の効果適用時間内。
つまり、シュバルツは反動ダメージを無視して最終奥義を放ち続けられる。
「この最終奥義の掃射から逃れられるものはいない。如何に”無窮”といえどここでツミだな」
『そいつはどうかな』
「…ほう。《一射捧魂》の連続掃射を躱しながら俺との距離を詰めていたか」
最終奥義の弾幕。それを掻い潜りながら会話できるほどの距離を詰めるロジャー。そこからも彼の高い戦闘技能が伺える。
「だが、距離を詰めれば躱す時間はどんどん減るぞ」
『逆だ。お前の隙が大きくなる』
その言葉通り、バズーカ砲の如き矢の弾幕を躱し、ロジャーは右手に持った槍を投擲する。
『《エクスプロード・スティンガー》』
放たれるのは【爆裂槍士】の奥義。使用者の膂力によって投擲され、敵に直撃すると同時に槍が爆発する。威力だけならば上級職の中でもかなりの威力を誇り、更に使用者のステータスによって威力は増加する。
例え、超級職の【超弓武者】であろうと致命傷になり得るほどに。
だが、《一射捧魂》は止まらない。
「無駄だ。そんなもの俺には通用しない」
『【ブローチ】…ではないな。そうであれば爆発すらしないだろう。つまり、それが貴様のエンブリオの能力』
「分かったところでどうしようもない。このままお前は死ぬしかない」
『そう言うことは俺にダメージを与えてからにするんだな』
「…なに!」
『分からんか。掃射体制になったときから、一矢、一矢が雑になっている』
「…ッ!」
ロジャーの言う通りだった。シュバルツはそのエンブリオの能力から、最終奥義を特に狙いを定めず、放ち続けていた。
数多く射ればそれだけ当たる可能性は上がる。そして、当たれば一撃で敵を倒すほどの威力。なるほどそのような力を得れば、一矢、一矢が雑にもなろうというモノ。未だロジャーにダメージを与えられていないのがその何よりの証拠だった。
そう、エンブリオによって最終奥義のデメリットを無効化にしたシュバルツは、知らずの内に《一射捧魂》の本来の真髄とは外れてしまった。
文字通り、一射に自らの魂を捧げるという当たり前の真髄を。
「だが、貴様に勝ちはない!」
自らの技能の雑さを指摘され尚、その態度を改めることのないシュバルツ。それも仕方のないことだった。例え、雑であろうと掃射も立派な戦術の一つ。
当たれば、敵を倒す鬼札なのに変わりはない。
だが、相手は”無窮”と呼ばれる<超級>である。その攻撃全てを躱し、シュバルツを倒す手段は無数にあった。
シュバルツの猛攻から身を守りつつ、ロジャーがアイテムボックスから取り出したのは一つの球体だった。
ロジャー自身はどういう理屈かはわかっていないが少なくとも通常攻撃ではシュバルツにダメージを与えられないのは実証済み。
だからこそ、ロジャーはこの球体を取り出したのだ。
間髪入れず、その球体を投げつける。
シュバルツは自身のエンブリオの防御能力に絶対に自信があるのか回避行動すら行わない。球体はシュバルツに直撃した途端破裂し、球体内の液体がかかってしまう。
無論、エンブリオのスキルによってダメージはない。ロジャーの起こした行動に一切の疑問も持たず、シュバルツは矢を構え、ロジャーに放とうとする。
シュバルツのそうした行動にも理由はある。
自身を敵と仮定した場合、一番の攻略法は《弓矢に一生》の効果時間外を狙うというモノ。つまり、矢を放った後、矢を次に構えるまでの時間だ。
しかし、彼の得た特典武具がその数少ない弱点をなくしてしまった。
【霞纏矢 カイゼルデモン】の能力は多数存在するが、その中でシュバルツにとってもっとも有用なものは《即時装填機能》だろう。
矢を放った瞬間に、次の矢が即時に装填されるという能力。
これによって必殺スキルと必殺スキルの間という隙をなくしている。
ジョブとエンブリオと特典武具。
この組み合わせによって、シュバルツは<超級>でも上位の実力を備えている。だがそれと引き換えに、シュバルツは本来備えていたモノをなくしている。
それを示すかのように《一射捧魂》を放とうとしたシュバルツは、特典武具によって装填された矢を指を滑らせて落としてしまった。
不意に生じた絶対的な隙。
それを引き起こしたのは、他でもない先ほど投擲された球体の中の液体だ。それが何かといえば、油である。
無論ただの油ではない。
ロジャーがエンブリオのスキルによって生みだした特別製の油である。その潤滑油によって矢を指先から滑らせてしまったのだ。
掃射の弾幕と必殺スキルの切れ目。その隙を”無窮”は見逃さない。
機械兵の時と同様にステータス強化スキルを重ねがけし、一気に距離を詰め、右手に持った刃物でシュバルツの左腕を斬り落とす。【窮弓射 イージス】を持ったその腕を。
これによって攻撃手段も防御手段も全て失ったシュバルツは為すすべなく、ロジャーに首を絞められる。
「きさま…なぜ」
シュバルツの疑問はただ一つ。
ロジャーが何故、矢を構えることができなければ、必殺スキルが発動しないかを知っていたかということ。
『知らん。ただの偶然だ』
「なん、だと…」
『矢を滑らせれば攻撃が止むと思って油を投げたが…防御スキルも使えなくなるのはうれしい誤算だった』
「クソったれが。そのせいで、指を滑らせて、運がなかっ」
『それは違うぞ。
お前になかったのは運じゃない、技能だよ。
たかだか、油程度で指を滑らせる。
ダメージがないからと相手の攻撃にも疑問すら持たない。
威力を過信して正確に狙いを定めることすらしない。
その程度の戦闘技能しかないお前に俺が負けるわけがない』
お前の負けた理由は、ただ貴様の技量がなかったのだと。
シュバルツにとって一番聞きたくない言葉をロジャーは投げかけた。
その言葉をシュバルツは呆然とした表情で受け取り、【窒息】の状態異常でアバターを全損した。
『思ったより手間取ったが、得るものもあった…か。フン、急がねばな』
そうして、”無窮”は要塞の地下深くへの侵攻を再開した。
シュバルツも強いけど、【弓神】ではないので技量はそこそこなんだ。でも”無窮”はえぐいんだ。