やはりSAOでも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:惣名阿万

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大変遅くなりました。謝辞については後書きにて。

今回は予定していたサイドストーリーです。
時系列的には本作十話の後となります。本編には直接的な関係はありませんが、補完的情報を含む話となっているのでサイドストーリーとしました。糖分多めな話が書きたかった面も多分にありますが。

ともあれ、よろしくお願いします。


ぼーなすとらっく! 彼女たちの、しゃる・うぃー・だんす♥

 《ソードアート・オンライン》の正式サービスが始まって早一か月。暦の上では師走となり、これからはクリスマスに正月とイベントラッシュな日々が始まる。

 かくいう俺も本来ならこれ幸いにと休みを謳歌するはずだったんだが、SAOがログアウト不可になっちまった今、とてもじゃないがそんな悠長なことを言ってる余裕はない。

 

 一日でも早い脱出。それが今の最優先課題だからだ。

 

 それは俺以外の最前線プレイヤーにとっても同じなようで、迷宮区最寄りの町《トールバーナ》では連日攻略に挑むプレイヤーが実用一本の格好で迷宮区と町を往復する姿ばかり目についた。

 

 《第一層フロアボス攻略会議》の場でも同じだ。劇場跡地の中央広場に集った五十人ほどのプレイヤーは、誰もが動きやすい服装に革製や金属製の鎧を纏っていた。会議の後でそのまま迷宮区に行くんだとでもいうくらいの意気込みが窺える。

 

 もちろん、俺だってやるべきことはやるつもりだ。

 日付を跨いで迷宮に籠るほどがむしゃらな攻略はしないが、毎日朝早く起きて迷宮へ通い、夕方は日没近くに町へ戻るという毎日を送るくらいには真剣だ。いやほんと、自分でもびっくりするほどの社畜っぷりだと思う。

 

 

 

 そんなこんなで色々と紛糾した会議もどうにか終わり、参加者たちが三々五々に広場を去っていく中――。

 

 俺は、囚われの身となっていた。…………いや、どういうことだってばよ。

 

 周囲からの訝しむような視線。ひそひそと交わされる囁き声。あからさまに指さしてくる奴すらいて、それがこの状況の異常さを際立たせていた。

 

 別に縛られてたり、手錠やなんかで動けなくされてるわけじゃない。ただ石造りの座席に正座させられているだけだ。いや、強要されたわけじゃなく気付いたらこの態勢をとってたんだから、こんだけ注目を集めてる原因の一旦は俺にあるな。

 

 現在正面に立って俺を見下ろしている人物は毎度お馴染みのユキノ――ではない。

 金髪に碧眼、長身でスタイルがよく、日本人離れした容姿に、それでいて人好きのする笑顔が特徴のプレイヤー。

 

 世にも珍しいナックル使いの《拳闘士》――パンだ。

 パンは腕を組んで指を立て、まるで出来の悪い生徒か弟を叱る教師か姉のような態度でつらつらと説教をしていた。

 

「ワタシ、ハッチやユッキとディナーに行けるの楽しみにしてたのヨ。なのにエスケープするなんて、ハッチはBad boyネ!」

 

 頬を膨らませるパンの口調は愛嬌を感じさせるものだった。それが天然なのか狙ってやってることなのかは判断がつかないが、ともかくこの状況で、こんな声音で、こんな台詞を吐かれたら当然、俺に味方するやつなぞいるわけがない。ついでに言えば、日ごろから味方するやつなぞいない。つまりいつも通りってわけだな。

 

 ま、逃げようとしたのは事実だし、今回は俺に非があるってわかってんだけどな。

 

「だいたい、ハッチからディナーに行こうって言い出したのに、どうして逃げるのよ」

「いや、それはアレがアレでだな……」

 

 とはいえ、食事の話は時間稼ぎのつもりで言ったんだけどな。会ったばかりのパンがいきなりフレンド登録を申し出てきて、どうするか迷った結果の方便だったのだ。

 

 我ながらひどい話だが、会議の後で逃げるなり理由を付けて先送りするなりすれば、パンも諦めると考えたのだ。そうして次回会うまでに探りを入れて信用できるか判断しようと思っていた。

 

 ところがどすこい。こいつは想像以上に粘ってきた。

会議の終了直後のどさくさに紛れて《隠蔽》スキルを使用したにもかかわらず、パンはしっかりと俺たちを追ってきたのだ。

 やはりパンの《索敵》スキルの熟練度は最前線でも1、2を争うレベルなのだろう。なんせキリトですら見失う俺の《隠蔽(ステルスヒッキー)》を見破ったんだからな。

 

「……ハッチはワタシが嫌いなの? ワタシ、迷惑……?」

「いや、迷惑ってわけじゃ……」

「…………ぐすっ」

 

 って、おい、なんで泣くんだよ。そんな泣かれたりしたら――。

 

「なあ、あいつ……」

「だよな。あんな美人泣かして……」

「最低だな」

 

 だーっ、くそっ! やっぱこうなったじゃねえか!

 女子が泣いたらどんな理由があろうと男が悪いって、社会の教科書にも書いてあることだよ。この場合の社会は『社会科』じゃなく『社会の常識』って意味で。

 

 わかりやすくすすり泣くパン。

 するとその隣にそっと別の女子が寄り添った。

 

「女性を泣かせるなんて、あなた最低ね」

「いや、なんでお前までそっち側に回ってんだよ」

 

 あれー、あなたさっきまでこちら側にいらっしゃいましたよねー。

 当のユキノはパンの背中を擦りながら、苦笑いを浮かべた。

 

「冗談よ。それに、諦めるのね。こうなってしまってはもう逃げられないわよ」

「……ぐすっ。I'll never give up よ。ハッチ」

 

 あー、はいはい、わかりましたよ。もう逃げませんって。

 

「…………ハァ。んじゃ、約束通り飯でも行くか」

 

 そうして、ケロッと笑顔に戻ったパンに引き摺られるように町の目抜き通りへ向かった。

 こいつの涙には二度と騙されないようになりたいなと思いましたまる。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 パンが俺とユキノを引っ張ってきたのは、トールバーナの町の中心部からやや外れた場所にある一軒のバーだった。

 レンガ造りの建物が並ぶ中にひっそりと建つそのバーは、表通りにある賑やかしい酒場とは違って落ち着いた雰囲気の外観で、店の前には小さな看板だけが置かれている。

 

「こんなとこにこんな店があったのか……」

 

 なんというか、俺とユキノだけじゃ絶対入らない類の店だ。

 表通りの酒場を賑やかしてるイメージのパンにしては想定外に大人な雰囲気だな。

 

「フフーン、意外だったー?」

 

 振り返ったパンが得意げに笑って覗き込んでくる。どうやら俺の考えは見透かされていたらしい。天然なようでよく見ている。やっぱ油断ならないな。

 

 ユキノも抱いた感想は同じだったようで、呆気にとられた顔をしていた。

 

「ええ、意外だわ。もっと騒々しいお店を想像していたから」

「ンー、ワタシ、みんなでパブに行くのも好きだけど、一人でいるのも好きよ」

 

 パチッとウィンクして見せるパン。こういうさりげない行動が一々似合うあたり、美人ってのはお得だよなーと思う今日この頃。

 

「ハッチもユッキも、パブはノーサンキューでしょー?」

「そうね。私やハチくんが行ってもすることがないし。ただその場にいるだけの時間になるわね」

「だな。だいたい、俺が行っても空気悪くするだけだしな」

 

 俺が言うと、ユキノはにっこり微笑んで口を開く。

 

「あなたの場合、いつもそうよね。そろそろ口元を覆う装備でも買おうかしら」

「おい、お前冗談でもそういうこと言うのやめろ、中学のとき、すれ違ったクラスの女子が咄嗟に口元抑えたの思い出すだろうが」

 

 忘れもしない、あれは冬の寒さも厳しくなってきたある日のこと、風邪に注意するよう締めくくられたホームルームの後ですれ違った須賀さんがいやこの話はやめよう。ちょっと気分も落ちそうだし。

 

 するとその気配を察したのかパンが冗談めかして言う。

 

「きっと、ハッチに見惚れてスマイルしちゃったのが恥ずかしかったのヨー」

「ハイハイ、あからさまなフォローをありがとよ……」

 

 まったく舐め過ぎだぜ、パンさんよ。俺クラスともなると自分で自分をフォローするなんて余裕でできるし、なんなら「いいね!」や「高評価」すらしてるまである。よく戦闘中とかクリティカル出たとき自分に「いいね!」してるんだぜ。こんなことユキノには絶対バレたくない。

 

「またどうしようもないことを考えているようだけれど……」

「ほっとけ。それよか、いつまでも突っ立ってないで入ろうぜ」

 

 そう言うと、ユキノもパンもきょとんとした顔でこっちを見てきた。

 

「驚いたわね。あなたが自分からああいったお店に入ろうと言い出すなんて」

「…………せっかく心の準備したのにそういうのやめてくれる?」

「準備が必要なあたり、あなたらしいけれど……」

 

 困惑した様子のユキノ。もう一つ反抗しておこうかと思ったそのとき――。

 

「ハッチー!」

「うぉっ!」

 

 突然、目の前が真っ暗になり、柔らかな感触が顔全体を包んだ。これはもしかして痛たたっ。ちょっ、痛ぇっつーの、締め付けんな、苦しい、苦しい苦しいいい匂い!

 

「I’m glad だよー! ハッチはワタシとディナーするの嫌なのかと思ったからネー」

 

 おい、バッカ、こいつ、離れろって……だぁ! くそっ! これがかの有名な『パフパフ』とかいう呪文か!

 

「ハァ……。その辺にしておきなさい。その男を甘やかすとろくなことがないから」

 

 ようやく解放されたとき、パンは首根っこをユキノに掴まれていた。そのまま親猫に咥えられた子猫のようにバーの方へ連れていかれる。

 途中、ユキノは一度足を止め、こちらへ振り返った。

 

「何をしているのかしら。いつまでも呆けているつもりなら、今度こそ黒鉄宮に飛ばすわよ」

「…………お前そのフレーズ好きな」

 

 後を追いつつ呟く。ユキノはパンを放すと「便利な言葉よね」とにこやかに言った。まんま脅し文句じゃねえか。怖えよ。

 

 

 

 パンとユキノに続いて、シックな雰囲気の扉をくぐる。店内はダークブラウンの木材をふんだんに使ったシックな色合いで、こじんまりとしつつも天井が高いせいか狭くるしい感じはなく、カウンターと三つのテーブルしかないにもかかわらず居心地の良い雰囲気を感じさせる。

 店内には俺たちの他に客の姿はなく、カウンターの内側でNPCだろうバーテンダーがグラスを拭っているだけだ。所謂、隠れ家的な店なのだろう。

 

 以前、ちょっと入ったホテルのバーは敷居が高すぎて二度と行きたいとは思わないが、ここならそれほど気兼ねしなくてもいいかもな。

 

「素敵なお店ね」

 

 お、ユキノの眼鏡に適うほどなのか。なら内装に関しては相当なものなんだろう。なんせこういう店にもパーティーやなんかで入ったことあるっぽいし。

 

「でしょー! この町に着いた日にfound out してね。時々来るんだヨー」

 

 楽しそうに笑ってパンが先にカウンター席へ座る。それからポンポンと左右の席を叩き、俺とユキノに座るよう促した。

 ちらっとユキノと顔を見合わせ、それから要望通りに席に着く。

 

「Master, アイニッシュのシングルを三つネー」

 

 席に着くや否や、パンはさっさと注文を取ってしまった。

 なにやら得体のしれない注文内容に、パンを挟んだ向こうのユキノと目を合わせる。

 

「アイニッシュ……? アイリッシュじゃなくてか? 聞いたことないな」

「そうね。でも恐らく、お酒だと思うわ」

「はっ? 俺ら未成年だぞ。酒なんて……」

「Don't worry! No problemよ。ここでは酔わないからネ」

 

 パンは俺たちそれぞれに目配せして続ける。

 

「Aincradではお酒にテイストとスメルは似せられるけど、アルコールは再現できないからネ。ちょーっと酔った気分になるだけだよ」

 

 確かに、パンの言う通り、ナーヴギアじゃ酒に含まれてるアルコールの成分を再現できるわけじゃない。だからSAOで酒を飲んでも味と匂いは同じでも、アルコールが脳に影響を与える――つまり酔うことはないわけだ。

 

 と、そのタイミングで俺たち三人の前に琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれる。映画やなんかでよくあるゴルフボール大の氷が浮いていて、絵面的には男心をくすぐられる代物。ほら、アレだ。「バーボン、ロックで」とか言うやつ。こういうの前からちょっと憧れてたんだよなー。

 

「確かに、それなら構わないかもしれないわね」

 

 ユキノはパンの説明に納得したらしく、グラスを手に取った。パンもグラスを持ち、二人は揃って俺へ視線を送る。対人スキルに疎い俺でも、この視線の意味するところはわかる。

 氷の揺れるグラスを手に取って二人の方を向くと、パンがにっこりと笑った。

 

「じゃあ改めて、Nice to meet you, Hachi, Yukino! これからよろしくねー!」

「ええ、よろしく」

「はいはいよろしくよろしく」

 

 カチンカチンとグラスを合わせて、中身をグッと一口飲む。独特な香りと苦みが喉を通り、遅れて胸が焼けるように熱くなる。思わず盛大に咽てしまった。

 

「……ッエホ、ゲホ! うぇ……なんだよこれ、こんなキツイもんなの?」

「アハハ! ハッチはウィスキー苦手なのかもネー」

 

 パンは声を上げて笑いながらぺしぺしと俺の背中を叩く。笑われたのはちょっとイラっとしたが、お陰で楽にはなった。くそっ、これじゃ文句も言うに言えねえじゃねえか。

 

 一方でユキノはこのウィスキーが口にあったらしく、ふっと笑みを浮かべた。

 

「私は好きかもしれないわ。ほろ苦いところとか、頭がスッとするところとか」

 

 そう言ってもう一度グラスを傾ける。カランと氷が音を立てたグラスの中身は既に半分ほどになっている。

 

「おい、いくら酔わないったって、飲み過ぎたらどうなるかわかんねえぞ」

「平気よ。ゲームなのだし。システム的に酔うことはあり得ないのだから」

「そうそう、大丈夫だヨー」

「……だといいんだけどな」

 

 現実じゃあ酔わないって言うやつに限って酔うと酷いらしいからな。雰囲気で酔うとかいう場合もあるらしいし。

 

 

 

 その後、ウィスキーを諦めた俺は甘めのカクテルをパンに選んでもらい、パンとユキノはそのままウィスキーを手に談笑を続けた。

 目的だったフレンド登録も済ませると、パンは自身の生い立ちを話し始めた。

 

 曰く、パンは祖母が日本人のアメリカ人クオーターで、中学二年生のとき、父親が他界したのを機に祖母のいる日本へ移住してきたらしい。その後母親も事故で亡くしてからは、大学へ通う傍ら英会話教室で英語を教えて生計を立てていたそうだ。

 なかなかにハードな経歴を語るパンはそうとは思えない笑顔で、むしろこっちがどう反応していいものか困ってしまった。

 

 だが、パンはそんな雰囲気すら笑顔でほぐし、以降は大学で社交ダンスのサークルに入っているだとか、高校時代はストリートダンスにハマってただとか、空手の道場に通っていたことがあるだとか、それはもう楽しそうに語っていた。

 

 

 

「――それからねー、前にモデルにならないかって言われたことあるよー」

「あー、ありそうだな」

 

 パンの容姿なら十分にあり得ることだろう。日本人離れした顔立ちとスタイルの良さ、華やかな印象……。どうしたって人目を惹くのは間違いない。

 

「Why? どうしてそう思うの?」

「そりゃお前、素材の良いやつがニコニコしてりゃ、さぞかしモテるだろ。スカウトする連中だって男受けする人材に目を付けるのは当たり前だ。売れる算段が立つからな」

 

 俺が言うと、パンは目をぱちくりさせた後でニッと笑みを浮かべた。

 

「ふーん、ハッチはワタシのこと、可愛いって思ってくれてるのネ! 嬉しい!」

「って、コラ……おい、引っ付くなっての……!」

 

 だからそういう無邪気な行動がですねー、世の男子を勘違いさせる原因に――。

 

「ンー、やっぱりワタシ、ハッチのこと好きかも。ねえハッチ、ワタシをハッチのGirl friendに……」

「ダメよ!」

 

 とんでもないことを言いかけたパンを、予想外に大きな声が遮る。

 それはパンの向こうから飛んできた声で、だとすれば当然ユキノのものだ。だがユキノの声にしては信じられないほどに大きく、そして感情的だった。

 

 そうこうする間にパンは引きはがされて羽交い絞めにされる。

 こうなって初めてユキノの顔が見えたのだが、パンを羽交い絞めにしたユキノの顔は真っ赤になっていた。え、なにこいつ、やっぱり酔っぱらったのん?

 

「離れにゃさい。あにゃたにその男は……」

「ゆ、ユッキ……? Are you OK?」

 

 パンの背中に抱きつき、胸に手を回すユキノ。その目は焦点が定まっておらず、話す言葉は呂律が回っていない。もう完全に酔っぱらいじゃねーか。

 なんなのこいつ。あんだけ酔うことはないって大口叩いておきながらあっさり酔っちまったってのか。ゲームなのに。ゲームなのに(大切なことなので二回言いました)。

 

 ユキノは上気した顔でちらっとパンの胸元に視線を送ると、手を視線の先に――。

 

「にゃによ……大丈夫に決まっているわ。まったく、ひとににゃいものを使って……。こんにゃものっ」

「あっ、ちょっ、ユッキ……ぁん、ストップ! ストップ、プリーズ……!」

「姉さんも由比ヶ浜さんもあにゃたも、ずるいのよ」

「ンー! ストップ、ユッキ! んぁ……Help! ハッチ、Help me!」

 

 いや、俺にどうしろと。ふつうに考えてこんな状況に手を出せる男子はいないだろ。見てるだけでもこっちが恥ずかしくなってくるってのに、割って入るとか不可能です。

 いや、違うぞ。断じて百合百合しくて眼福だなー、なんて思ってない。いやほんとマジで。ちょっとしか思ってない。いや、ちょっとも思ってないから。

 

 ユキノの介抱(?)はユキノが力尽きて眠ってしまうまでしばらく続き、終わったころにはパンも疲れ切ったように大きなため息をついていた。

 これ以降ユキノに酒を飲ますのは禁止と決め、店を後にする。ユキノは俺の背中で眠ったままだ。

 

 それぞれの宿へ向かう道中、パンがグーッと伸びをする。

 さっきユキノに揉まれた双丘が月明かりに映えて見え、自然と視線が吸い寄せられていたことに気付き慌てて視線を逸らす。危ない危ない、恐るべし万乳引力の力ッ!

 

「今日はThank youネー、ハッチ!」

「いや、こっちこそ。……ってか、なんか悪かったな」

「アハハ……。No problemヨー。ユッキも悪気があったわけじゃないしネ」

 

 パンは苦笑いでそう言うと、ふと頬に指をあてて何やら思案する。

 それから二ッと悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。

 

「ハッチ、今夜は月がきれいですネー」

 

 試すような、そして少しはにかんだような笑顔。

 表情はともかく、言葉の意味には国語学年三位の俺が気付かないわけがない。

 

「…………そうだな。上の層が邪魔で星空が見えないのが残念だ」

「ムー、ハッチは意地悪ネー」

 

 頬を膨らませてそう言うパンに気付かないふりをして歩く。

 パンはすぐに気を取り直して横に並び、それから楽しそうに鼻唄を歌い始めた。

 

 

 

 右からはユキノの穏やかな寝息が、左からはパンの明るい鼻唄が耳に届いてくる。

 

 多分、このゲームに閉じ込められてから一番安らかな夜だった。

 

 それはパンの作り出す雰囲気のおかげであり、あの店の雰囲気のおかげでもある。酒の力もあったかもしれない。

 

 だからこそユキノは寝落ちするほどリラックスできたのだろうし、かくいう俺も今日初めて会ったばかりのこの女性プレイヤーを信用してもいいかと思ってしまっている。

 

 正直、参った。すっかり絆されてしまった気がして、少々癪に障る。こんなにチョロい性格ではなかったはずなんだがなぁ。

 

「…………まぁ、こいつ相手じゃ仕方ないかもな」

 

 左隣を歩く金髪の美女を見て考える。

 

 容姿端麗、明朗快活な天然交じりの女子大生。

 だがその実は数々の苦労を重ねた大人の女性で、あの雪ノ下陽乃の如く抜け目のない切れ者だ。その天然っぷりが計算なのかはわからないが、気付けばするすると懐に入ってくる。

 

 本当に、全くもって勝てる気がしない。

 

「あっ!」

 

 と、パンが何かを見つけたらしく駆け出した。立ち止まったところで手招きをされる。

 はいはい、今度はなんですかーっと。

 

「……なんだこれ?」

 

 そこには半径五メートルくらいの円形をした石造りの台座があった。

 にこやかな笑みを浮かべたパンが答えを教えてくれる。

 

「フフーン、これはステージだヨー! May be!」

 

 多分って……。いや、まあ、ダンスの経験があるあなたなら詳しいんでしょうけどね。

 

 なんて思っていると、パンはスカートを持ち上げるような仕草で優雅な一礼をした。実際にはスカートなんて履いてないけど。

 

「Shall we dance, Hachi?」

「…………」

 

 月明かりに照らされる中、この日一番の微笑みと共に佇むパンの姿に――。

 

 不覚にも、見惚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど結局、俺がパンの誘いに応えることはなかった。

 

 理由は、この後すぐに目を覚ましたユキノがバーでの一幕を思い出して暴れだし、パンが苦労して宥めることとなったためだ。

 

 俺? 俺は何も見てないし何も聞いてないし、なんならこの夜のことは一切合切忘れろと脅されたからな。手出しとかできるわけないだろ。

 

 

 

 とにもかくにも――。

 

 後に求婚までしてくるようになるパンとの、これが出会いの夜だった。

 

 

 




というわけで、サイドストーリーでした。

また、今回は更新が大幅に遅れて申し訳ありませんでした。
ここ二週間ほど仕事が殺人的に忙しく、職場から帰ると寝るだけの日々を送っていたのが原因です。

今後も一か月ほど忙しい日々が続くため、更新ペースはゆったりとしたものになってしまいます。気長にお待ちいただけたら幸いです。

以上、謝辞でした。次回からは第二章に入ってまいります。
次章もよろしくお願いします。

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