やはりSAOでも俺の青春ラブコメはまちがっている。 作:惣名阿万
仄かに明るく快適な温度に保たれた、とあるレストランの一角。時刻はすでに20時を回り、夕食には少し遅い時間だ。
そんな遅めの夕食の席で、俺はNPCの店員が料理を運んでくるのをじっと見ていた。言葉こそ発しないものの、料理を運び、皿を置き、一礼して立ち去るその姿はプレイヤーと全く見分けがつかない。思わず「ど、どうも……」なんてキョドってしまったくらいだ。黒歴史がまた一つ増えた瞬間だった。
気を紛らわすためにとティーカップへ手を伸ばす。カップはテーブル中央に置かれたランプの光を受けてぼんやり照らされている。無機質な蛍光灯の明かりとは違う、どこか幻想的な灯りだ。
とはいえこの灯りも本物の火ではなく、コンピューターが数えきれない計算をした末に「そう見せている」明かりだ。触ってみれば熱く感じるその熱すら、脳みそに直接送られている電気信号に過ぎない。
目の前に置かれたシチューのような料理も、硬そうなパンも、こうして飲んでいる紅茶も。
すべては仮想のもので、実在するわけではない。だというのに――。
「……なんで美味く感じるんだろうな」
「そうね。とても仮想現実の中とは思えない。多少舌触りが違うくらいかしら」
向かいからそんな、冷静な声が返ってくる。そこにいつものような棘は含まれていない。ちらっと目を向けると、向かいにはカップを口元へ運ぶ雪ノ下の姿。
どうして俺と雪ノ下がこんなふうに夕食の席を同じくしているのか。
その理由は偶然にも雪ノ下と出会ったあの路地での場面まで遡る。
× × ×
「…………雪ノ下」
「比企谷くん……?」
月明かりの下での邂逅。
予想よりも随分と早い再会。
互いに互いの存在が信じられないとばかりに驚き、それ故に言葉が続かない。
こんなときでしかありえないシリアスな空気。
均衡が破れたのは、けれどほんの数秒後のことだった。
「あ……」
「おいっ!」
突然、雪ノ下がふらりと倒れかけたのだ。寸でのところで持ち堪えたが、姿勢を正そうとするうちにもよろよろとふらついていて頼りない。
駆け寄って、けれど身体を支えるわけにもいかず、声だけをかける。
「大丈夫か?」
「……ええ、問題ないわ。少し眩暈がしただけだから」
「眩暈って……。お前ここゲームの中だぞ。いくら体力ないにしてもそんな……」
雪ノ下が体力に欠けるのは知っている。いつだかのテニスのときもスタミナ不足を自己申告していたし、先日の文化祭実行委員でも仕事のし過ぎで倒れたくらいだ。
本人曰く、どんなことも三日あればある程度までできるようになるようで、それ故に継続して努力することがなかったのだと。だから体力やスタミナといったものが付かないらしい。
とはいえ、このSAOはゲームだ。現実と違って継続努力による体力――スタミナの錬成を行う必要はなく、精神力さえあればいくらでも動き続けることが可能なはずだ。にもかかわらず、雪ノ下は体力がなくなったような症状を見せている。
と、ここまで考えて一つ思い当る。
「なあ、雪ノ下。お前、今朝から一回でも飯食ったか?」
すると雪ノ下は苦々しげな表情を浮かべた。
「……いいえ。今朝は少し読書をしていて、気が付いたら正午を回っていたものだから」
「何も食べずにSAOにログインしてきた、と」
雪ノ下にしては珍しく間の抜けた理由だな。
そう思った矢先、雪ノ下は赤くなってこちらを睨んでくる。
「まさかこんなことになるとは思わなかったのよ。少しだけ体験してみて、すぐに止めるつもりだった。けれど気が付いたら……」
既にログアウトボタンは消えていた、と、そういうことだろう。
「なら、取り敢えず話は後だ。まずは腹ごしらえでもしに行こうぜ」
そう言うと、雪ノ下は首を捻った。
「何故、食事が必要なのかしら。ここは現実ではないのだから、食事は必要ないのでしょう?」
「あー、そうだな……」
雪ノ下の言う通り、本当は食事なぞ必要ないのだろう。
なんせここは仮想空間であり、そこで得られる食事にはなんの意味もないからだ。
そもそも、このSAOの中でどれだけ動こうが暴れようが、現実の俺たちの身体はピクリともしていない。身体的には空腹を感じるほど体力を消耗しているはずがないのだ。
だが当然脳みそは働き続けるわけで、身体は疲れなくても脳は疲れる。人間の脳みそは現実と仮想現実を区別するなんてことはできないので、脳が疲れれば当たり前のように睡眠は必要だし、どういうわけか食欲も湧いてくる。
SAOでの食事は現実の身体に一切の栄養をもたらさないが、この空腹感を紛らわす効果はあるのだ。何かを食べた、味わったという行為自体が脳に『腹を満たした』と思わせるのかもしれない。
そんな感じのことを説明するも、雪ノ下の表情は思わしくならない。
「あなたの言いたいこともわからないではないけれど、気力次第でどうとでもなるのならやはり食事なんていらないのではないかしら」
そういうお前は今さっき倒れかかったじゃないですかー、とは言えなかった。
どうも、さっきから雪ノ下の様子がおかしいのだ。いつものような余裕が見られないし、なによりここまで一切罵倒されていないってのが気持ち悪い。
いや、別に罵倒されたいってわけじゃないんだけどな。俺はドMじゃない。
「なら、俺の食事に付き合ってくれ。もう腹減って倒れそうなんだよ」
「…………仕方ないわね」
こうして、俺は雪ノ下を連れて近くのNPCレストランを訪れたというわけだ。
店に入ってからも不満げな表情を崩さなかった雪ノ下だが、目の前に紅茶の入ったティーカップが置かれ、それを一口飲んでからは落ち着いた表情となっていた。食事の必要性はともかく、味覚を潤すという意味では価値があると認めたということか。
× × ×
話は現在に至る。
俺はボッチには難しい任務である「食事中の当たり障りのない会話」ミッションに従事しているわけだ。いやね、そもそも小町以外と食事とか滅多にしない俺にこのミッションは難易度高すぎるんですよ。ましてやあの雪ノ下雪乃と二人きりというこの状況。Lv.1でフィールドボスに挑むようなもんだ。
けどまあ、どっちかが話を切り出さないと先に進めないのも事実ではあるか。
「それで、どうして雪ノ下がここにいるんだ? ゲームとかしないと思ってたんだが」
雪ノ下はカップを手にしたまま、ほうっと息を吐いた。
「普段ならまずやらないでしょうね。けれど今回に限っては姉さんに乗せられたのと、私自身、仮想現実というものに技術的な興味もあったものだから……」
「ああ、なるほど。確かにありそうな話だ」
あの人ならこのゲームに手を出すのもありそうだと思えるし、雪ノ下を煽って引き摺り込むような状況も想像がつく。興味云々についても、こいつは天下のユキペディアだからな。
「ん? ってことはあの人もここにいるってことか?」
「いいえ、姉さんはいないわ。姉さんのナーヴギアは今、私が使っているから」
あー、そういうことか。確かにこいつが自分でナーヴギアとSAOを揃えるとか想像できないしな。いや、あの人なら二セット持っててもおかしくないんじゃないか。
「それに姉さんは実家の会食に出掛けているから、どちらにしろ今日はやらなかったと思うわ」
「おう……なんつーか、相変わらずだな」
「そうね。けれど、私で良かったのかもしれないわね。姉さんには囚われている時間なんてないのだから」
こいつがこんなことを言うなんて珍しいな。それに、さっき感じた違和感もある。
パッと見はいつも通りだったが、雪ノ下も少なからず動揺しているのか。或いは途方に暮れているのかもしれない。
「良かったってことはないだろ。誰だってこんな厄介事に巻き込まれたくはないはずだ。現実の生活もあるし、心配してくれるやつだっているだろ。俺なら小町とかな」
雪ノ下は伏せていた目をこちらへと持ち上げると、やがて小さく笑みを浮かべた。
「真っ先に小町さんの名前が挙がるあたりさすがね、シス谷くん」
「ハイハイ、ソウデスネー」
ようやく少し余裕が戻ったかと思えば、ほんとなんなんですかね。こいつの罵倒は切れ味良すぎるだろ。斬れ味ゲージで言えば紫色レベル。
雪ノ下がカップを置いて一度目を伏せる。それからすぐに顔を上げた雪ノ下の表情は文化祭で実行委員をやっていたときのように真剣なものとなっていた。
「あなたは、これからどうするつもりなのかしら」
雪ノ下の目を見返して、少し考えてから答える。
「……飯食ったら宿に帰って寝る」
「そういうことを言っているんじゃないわ。わかっていてとぼけるつもりなら許さないわよ」
雪ノ下の眼力が三割増しになる。ここが圏外ならダメージ判定があったかもしれない。
「許さないって……どうするんだよ」
「そうね。確かこのゲームにはハラスメントを行った者を監獄へ強制送還できるシステムがあったと思うのだけど――」
「正直に答えさせていただきます」
なんでゲーム素人のくせにそんなシステム知ってんだよ。もしかしてこいつ事前に説明書を読みこんできたのか? メシ忘れるほど熱中してた読書ってそれかよ。どんだけ楽しみにしてたんだよ。俺と同じじゃねえか。
「それが身のためね」
フッと勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、雪ノ下はより具体的な問いを投げてきた。
「それで、あなたは茅場昌彦の言ったように、このゲームの攻略に挑むつもり?」
「…………まあな」
「ヒットポイントがゼロになると死んでしまう。そう脅されて、本当にそうか確認することもできない。そんな状況だとわかっていても?」
「ああ」
「現実では今この瞬間も一万人近いプレイヤーを救助しようと政府や警察が躍起になっているはずよ。安全な街の中で待っていれば助け出される可能性がある。そうとは考えられないのかしら?」
「ここまで手の込んだ大量誘拐を実行した天才学者が、外部からどうこうしただけで解決できるような設計にしてるとは思えないしな」
「天才と持て囃されていても、茅場昌彦だって人間よ。一人でこのゲームを作ったわけではないのだから、運営している企業を捜索すれば解決するのではないかしら?」
「そうかもしれないな」
確かに、これが普通のネットゲームならその可能性もあっただろう。
「なら――」
「けどな雪ノ下、お前は知らないかもしれないが、ナーヴギアを設計・開発したのは茅場昌彦本人らしい。それもたった一人で、な」
雪ノ下が目を見張る。やはり知らなかったか。
「もし本当に茅場が単独でナーヴギアを作り上げたんだとしたら、茅場だけしか知らない機能やシステムの抜け道があってもおかしくない。こんなことしてる時点でまず間違いなくシステムにロックはかけてるだろうしな。下手すりゃネットワークに接続してるナーヴギアを遠隔操作することすらできるかもしれない」
「茅場昌彦本人を取り押さえるか、ルールに従うしか方法がないということね。後者は外部からはどうすることもできないし、茅場昌彦は……」
「当然、雲隠れしてるだろうな。資産のある天才学者が本気で逃げてんだ。十中八九見つかんねーよ」
「つまり茅場昌彦の提示した条件通り、このゲームを攻略するしかない……」
「後々何かしらの方法が出てくるかもしれんが、基本的にはそうだろうな」
雪ノ下が腕を組んで考え込む。攻略以外の方法を思案してるのか、それとも別の何かについてか。何にせよ話が途切れた今のうちに腹ごしらえでもしておくか。
…………やっぱ硬いなこのパン。シチューも味が薄いし、具もほとんどない。あー、小町の料理が食べたい。ビタミン
俺がパンとシチューをもそもそ食べているのを見て、雪ノ下も自分の皿に手を付け始めた。俺だけが料理を注文するということに心理的葛藤があったらしく、仕方なしに注文したものだ。
味に対する感想は俺と大差なかったようで表情は芳しくなかったが、食欲を満たすことはできたらしい。お互い黙々と食事を続け、どちらの皿もすぐ空になる。
食べ終わってからしばらくしても、雪ノ下は黙ったままだった。視線を寄越さずゆっくりと紅茶を飲んでいる。五分ほど沈黙が続いた後、雪ノ下はカップを置いて目を向けて来た。
「……他に手はなさそうね。いいでしょう。奉仕部部長として、部員のあなたが攻略に挑むことを認めましょう」
いつの間に許可制になったのかは知らんが、どうやら部長のお許しも頂けたようだ。
さて、じゃあ明日から忙しいわけだし、そろそろお開きとしますか。雪ノ下には圏内にいてもらうとして、あとは生活資金を稼ぐ方法でも――。
「ただし、私も一緒に行くわ」
「…………はっ?」
え、こいつ今なんて言った? 一緒に行く? どこに? 俺の宿にか?
「あなたに同行するのはとても不本意だけれど、背に腹は代えられないし。ペースを掴むまでは単独行動は極力なしとしましょう」
「いや、おい……」
「喫緊の課題としては、私が攻略に必要なものを揃えていないことかしら。比企谷くん、あなたその辺りの事情には詳しいのかしら?」
「待て待て。話を勝手に進めるな。……どういうことだ?」
「ああ、あなたの鈍重な頭では理解が追いつかないのも仕方ないわね。ごめんなさい」
いつになく素直に頭を下げる雪ノ下。心なしか表情もさっきより明るくなっている。
「謝罪の頭に罵倒を並べるんじゃねえよ。なにお前、そういう生き物なの?」
「あら、知らなかった? これが人間のコミュニケーションなのよ、ヒキガエルくん」
「おい、なぜ今俺の小学生のときのあだ名を引っ張り出してくる必要があった。あと話の頭に罵倒するのが人間のコミュニケーションの常識なら、そんな厳しい社会には絶対出ない」
「現実から目を逸らしてはダメよ。あなたが公的扶助の世話になるようでは困るのよ。……小町さんが」
「ぐっ……確かにそれはよくないな」
働かずに税金で生かされる生活ってのも悪くないが、小町に迷惑がかかるからなぁ。あとは大手を振ってダラダラできないっていうのも痛い。うん、やっぱり専業主婦になろう。
「……って、そうじゃねえだろ。危うく誤魔化されるとこだったわ」
「別に誤魔化そうとしたつもりはないのだけれど。あなたが勝手に振り回されただけよ」
雪ノ下は相も変わらずの饒舌ぶり。心なしか口元には笑みが浮かんでいる。こいつがこんなに簡単に微笑むなんて珍しいな。
でもまあ、いい加減訊かなくちゃならないことがある。
「お前も、攻略に来るつもりか?」
雪ノ下が笑みを潜める。眼差しは真剣なものに変わり、まっすぐにこちらを見据えてくる。
「あなたの考えていることは予想がつくわ。大方、私を街で待たせて自分だけで攻略に挑もうとでも考えていたのでしょう?」
え、なにこいつエスパーなの? ピタリ賞過ぎて怖いんだけど。
「見くびられたものね。あなたの浅はかな申し出を受け入れるとでも思ったのかしら?」
「いや、だってお前、ゲームとかしたことないだろ。だってのに攻略とか無理だろ」
「これがVRゲームでなければそうね。けれどこのゲームでは実際に身体を動かすのでしょう? 前にも言ったけれど、私、大抵のことはすぐにできるようになるのよ。唯一体力には自信がなかったのだけれど、ここでならその心配もいらないでしょうし」
「確かにそうかもしれんが、そうは言ってもだな……」
実際、雪ノ下の運動能力と飲み込みの速さならすぐにSAOでの戦闘に順応できるだろう。俺なんかよりよっぽど強くなる可能性だってある。
だがそれだけじゃダメだ。戦闘だけできてもダメなのだ。
「『RPG』ってジャンルのゲームじゃあ、運動神経がどうこうってだけじゃどうにもならないことがあるんだよ。初見殺しの罠とか、特定の条件をクリアしなきゃ倒せない敵とかな」
ボスの攻撃を避けながらフィールドにある燭台に火を点けて回るとか、道中の戦闘は全部逃げなきゃいけないとか、弓矢じゃなきゃ倒せない敵とかな。攻略ページを見ないでやろうと思ったら何回も死に戻りを繰り返さなきゃならないことも珍しくない。
「そういうのは培った経験がないとキツイ。他のゲームで似たようなギミックを見たことがあるならともかく、このSAOじゃトライ&エラーができないんだ。限りなく攻略不可能ってレベルの可能性だってあるんだぞ」
そんなところに雪ノ下を行かせていいわけがない。攻略しなきゃ帰れないのは事実だが、わざわざ余計な危険を冒す必要もないのだ。
「俺はこの手のRPGもそれなりにやってるからヤバそうなとこは大体わかる。けど、お前は罠とか見抜けねーだろうが。だから攻略は経験者に任せて……」
「そして、もしものときは後悔だけしろと言うのかしら?」
『もしものとき』という言葉に、少しだけ息が詰まった。
「……そういうことを言ってんじゃねーよ。ただ雪ノ下が危険を冒す必要はないだろ」
「なら、あなたが危険を冒す必要もないわね。あなた一人程度の戦力、いてもいなくても変わらないのだし。大人しく待っていればいいと言うのなら、あなたが出る幕でもないはずよ」
実に正論だ。
実際、俺一人の戦力などたかが知れている。いてもいなくても大勢に影響などないだろう。できるとすれば、優秀なプレイヤーの代わりに的になって攻撃機会を増やすことくらいだ。
それでも俺が安全な圏内で待つのではなく攻略に参加しようなどと考えた理由は、単に何もせず待っているのが性に合わないからだ。17年間独りで困難を乗り越えてきたボッチのプライドだな。
そこまで考えて、ああそういえばこいつも似たようなもんだったなと思い出す。雪ノ下を見てみれば、そこには勝ち誇ったようなすまし顔があった。
「そういえば、お前も他人任せにできるようなやつじゃなかったな」
「あなたと同じように、というのは不本意だけれど」
……楽しそうな顔しやがって。本当に雪ノ下はこういうときいい笑顔になる。
翌日の予定が決まったところで、夕食の席はお開きとなった。
その後、雪ノ下は俺の取った宿の別の部屋を取り、俺たちは翌朝の9時に宿の前で待ち合わせる約束をして別れた。部屋に入るなりドッと疲れが圧し掛かってきて、俺はすぐにベッドへダイブした。
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