やはりSAOでも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:惣名阿万

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結局GW中には間に合わなかった……。
物語が進むと整理する情報も多くなるので、筆は遅くなる一方ですね。


というわけで、第4話です。
よろしくお願いします。


第四話:されど、その部屋には甘い香りが漂い続ける

 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 独りで眠るようになったのはいつの頃からだろうか。

 

 両親とは仕事の関係もあって物心ついた時には別々に眠るようになっていた。

 けれどもう一人の家族とは、それからもしばらく同じ部屋で寝ていたはず。

 

 なにがきっかけだったのか。きっかけなどなかったのか。

 もう遠い昔のようであやふやだけれど、遅かれ早かれ別々になっていたのだと思う。

 

 けれど、それも当然のこと。

 たとえ仲が良かったとしても、家族だったとしても、いずれは独りで眠るようになるのは当たり前のことだった。寧ろいつまでも一緒な方が不自然で、まちがっている。

 

 だから、独りで眠ることを寂しいとは思わない。

 独りで眠ることを怖いとは思わない。

 

 ずっとそうしてきた。当たり前のことだった。

 それは一般的に考えても常識で、特別な関係を除けばふつうの感覚だった。

 

 ゲームの中に閉じ込められてからもそれは同じ。これまでの半年あまり自分もそうしてきた。

 これからも続くのだと、意識するまでもなくそれが当然だと考えていた。

 

 だというのに。

 

 こうして血の繋がりのない、同性ですらない相手と寝食を共にする日が来るなんて。

 一日のほとんどすべての時間で顔を合わせて過ごすことになるなんて。

 

 ――そのことに、言い知れぬ安らぎを感じているなんて。

 

 人は本能的に欲していることをすると安らぐのだという。

 なら、これはきっと自分自身の本性なのだろう。だから色々と理由を付けて、自分を納得させて、今の状況を容認している。

 

 けれど、いつかは考えなくてはならない。

 

 そっと寝返りを打ち、隣のベッドを覗き見た。

 穏やかな寝息を立てる背中を見ていると、ほうと小さなため息が漏れる。

 

 この感情をなんと呼ぶのか。

 自分はこの先どうすべきなのか。

 

 これから、考えなければならないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 七月も終わり、現実ならうだるような暑さの続く八月がやってきた。

 ここアインクラッドではリアルのように「冷房の効いた部屋から出たくないー」なんていうほど暑くはないものの、それでも時々刻々とやる気を削がれる程度には気温と湿度の高い日が続いている。

 

 毎年夏になると「夏休みは休むためにあるのだから外出して疲れるのはまちがっている。先生からは夏休みを満喫しろと言われたのだから、誰より夏休みを全うするために俺は部屋から出ない。出ないったら出ない!」と主張していた身としてはアインクラッドにもぜひ夏休みを導入したかったんだが、会議で提案する前にユキノに一蹴された。解せぬ。

 

 暑い中をあくせく働いた甲斐もあって攻略は順調に進んでおり、一昨日も34層のボスを無事討伐した。

 最近ずいぶん活き活きしているキリトと、すっかり《連合》の重鎮ポジションに落ち着いたヒースクリフの二人が大活躍だった。というか、目立つのは大体いつもあの二人だ。

 

 35層の主街区は《ミーシェ》という小規模な農村で、フロア全体にはいたるところに森が広がっている。

 迷宮区の塔はミーシェからも見えているが、途中の森を抜けていかなくちゃならないようだしそう簡単にはいかないだろう。

 

 アインクラッドの各層にはそれぞれテーマがあり、中にはパズルだらけの層やら洞窟が九割の層もあった。

 今回は《森》という比較的わかりやすそうな地形ではあるが、この層のテーマ如何によっては時間が掛かることもある。

 

 そういうわけで35層解放の翌朝、俺とユキノはそれまでの宿を引き払って《ミーシェ》へと移ってきた。持ち歩くには邪魔なアイテムとか予備の装備とかをまとめて移動させるから、ある意味引っ越しみたいなもんだな。

 

 簡単そうなフロアだったり居住性の悪そうな街だったりするときは拠点を移さないこともあるんだが、昨日偶然入った店のケーキを気に入ったユキノが「ここにしましょう」と主張した結果こうなった。いやまあ、確かにケーキは美味かったけれども。

 

 そんなこんなでミーシェに来てから初めての朝食を終え、それじゃあ攻略でもするかーと思った矢先、部屋の扉がノックされた。

 紅茶の準備をしていたユキノが手を止め、扉を開いた。

 

 扉の前に立っていたのは、ある意味で予想通りの人物だった。

 

「オハヨー、二人とも。朝早くごめんヨ。それとも、お取込み中だったかナ?」

「ハァ……。おはよう、アルゴさん」

 

 呆れてため息を吐くユキノの向こうにいたのはアルゴ。いつもどおりヒゲのペイントが描かれた頬をニヤリと歪めている。

 

 念のために言うと、俺もユキノも彼女に引っ越しのことは教えてない。

 いつも通り、知らぬ間に俺たちの居場所を調べ、こうして押しかけて来たのだ。

 

「それで、今日は何のご用かしら?」

 

 慣れた様子で招き入れ、追加のカップを準備するユキノ。

 アルゴの方も勝手知ったる我が家とでも言わんばかりに、テーブルの向かいへ腰かけた。

 

 こうしたアルゴの突撃訪問は初めてじゃない。なんなら日常の一部と言ってもいいくらいだ。週に一回は来るしな。ここに来ればユキノの淹れた紅茶が飲めるからってのもあるんだろう。

 

 けどまあ、基本的には何かしらの用事があって訪ねてくるのが常だ。

 

「ありがとユッキ。……ハァ、やっぱりユッキの紅茶が一番だナ。あ、今日はハー坊に仕事の依頼を持ってきたんダ」

 

 受け取ったカップをそのまま口にしたアルゴは、表情を緩めて長い息を吐いた。ひとの部屋でくつろぎすぎじゃないですかねぇ……。

 

 とりあえず返事の前に俺もカップを受け取り、隣に座ったユキノと揃って紅茶を一口。うん。相変わらず美味い。

 

「ていうか、どんどん美味くなってんじゃね? お前《料理》スキルどんだけ上がったの?」

「――現時点で熟練度が626ね。苦労して手に入れた茶葉にしてはいまひとつ足りないところだけれど、以前までに比べれば及第点といったところかしら」

「けっこう上がってんだな。けどこれで及第点とか、どんだけこだわるんだよ。もうこの前みたいなクエストはやらねぇぞ。ゲームの中なのに腰痛くなるかと思ったし」

「そうね。茶葉はたくさん貰えたけれど、経験値はそれほどでもなかったし。香りも少し強いから、好みが別れるかもしれないわ」

「へぇ、そんなことまでわかるんだな」

 

 呟いて、もう一口飲んでみる。

 うむ、わからん。ふつうに美味いとしか思えない。

 

「やっぱりわかんねぇな」

「そう。なら、しばらくはこのままこの葉を使うわね」

 

 「おー」と気のない返事をしてカップを置き、さてと正面に視線を戻す、と。

 

 アルゴがニヤニヤとこちらを見ていた。

 

「いやー、ハー坊とユッキのやり取りは見ていて飽きないナー。けどお二人さん、イチャイチャするのはそこまでにして、とりあえずオイラの話も聞いてくれないカ?」

「いや、別にイチャイチャはしてねぇだろ」

 

 ちょっとこのネズミは何を言っているんですかねぇ……。

 ほらユキノさん、あなたからも何か言ってあげなさい。

 

「そうね。ハチくんの鈍さを嘆いていただけだもの」

「舌の、な。なんで俺自身が鈍感みたいな話になってるんですかねぇ」

「あら、自覚がないところなんてまさに鈍感じゃない」

「いやいや、プロのボッチは空気を読めなきゃやってけねぇんだぞ。鈍感じゃあない」

「あなたの場合、空気を読んでいるのではなく、あなたが空気なだけでしょう」

 

 ぐっ……否定できないのがつらい。

 俺が言い返せなくなっているのを見て、ユキノがテーブルの下で小さく拳を握った。ほんと、負けず嫌いにも程があるだろ。

 

 ため息を吐きたくなる衝動を堪えて視線を戻す。と、いつの間にかアルゴは机に突っ伏していた。

 

「ん、どうした。紅茶の飲み過ぎか?」

「いんやー。ちょっと甘すぎダナーって思ったんだヨ」

「砂糖の入れすぎか? 程々にしとけよ」

「あなたがそれを言うのね……」

 

 いや、甘いほうが美味いし。紅茶はともかくコーヒーは尚更。人生もMAXコーヒーぐらい甘かったらいいんですけどねぇ。

 

 もう一度紅茶を口にし、カップを空にしたところで本題に戻る。

 

「で、なんだっけ。俺に依頼ってことは、偵察か調査か?」

「そんな感じだナー。それも《連合》からの直々な依頼だゾー」

 

 ……なんだかえらい投げやりだな。まあいいか。

 

 ともあれ、《連合》からの依頼ねぇ。それはまたなんとも珍しい。

 以前ほどじゃないとはいえ、《連合》の中には未だ『マイナーを許すな!』キャンペーンを行っているやつはいる。そうでなくてもソロで美味しいとこを掻っ攫っていく俺みたいなプレイヤーを嫌っているやつは少なからずいるだろう。

 

 にもかかわらず《連合》の名前で、《FBI》の顔であるアルゴが依頼を持ってくる……。

 正直、キナ臭い匂いしかしない。

 

「……で、どんな仕事なんだ?」

 

 まったく、我ながら社畜根性が染みついちゃってるなぁと思う今日この頃。

 色々としがらみがあるとはいえ、こうして自分から仕事内容を訊ねるようになるとは、ちょっと前の俺には思いもよらないだろう。

 

 訊ねるとアルゴはようやく顔を上げ、たて肘をして笑みを浮かべた。

 

「この村の北西にひときわ深い森があるのは知ってるカ?」

 

 ひときわ深い森ねぇ。周囲一帯森だからどこが深いとか考えなかったな。

 ちらっとユキノを見ると、彼女も気付いていなかったようで首を振った。

 

「まあ入ってみればわかるヨ。ともかく、そこは《迷いの森》っていうダンジョンになっててナ。名前からして厄介そうだから、詳細がわかるまで誰も入れないようにしてるんダ」

 

 《迷いの森》……。またなんともベタなネーミングだな。

 

 退魔の剣があるかどうかはさておき、もしそのダンジョンが名前のとおり『迷う』のだとしたら下手に手出しができないのも頷ける。

 どういう理屈で迷わせてくるのかもわからないし、万が一迷ってしまった際に生き残る術も必要だろう。結晶が使えるかどうかも重要だな。転移結晶で脱出できないんなら相応の準備もいるし。

 

「つまりその森がどんなとこで、探索に何が必要かを調べてくればいいんだな?」

「ご名答―。まあフィールドダンジョンだし、それほど強い敵もいるとは思わないけど一応ナー。報酬は弾むから、よろしく頼むヨ」

 

 さて、どうしたものか。

 別にそれほど危険じゃないと思うし、フィールドダンジョンなのだから最悪逃げればいい。何をどうして迷わせてくるのかわからないが、慎重に行動すれば命の危険とまではならないはずだ。いくらSAOに初見殺しが多いとはいえ、本当に死ぬような目にはそうそう遭わないしな。

 

 未踏破どころか手つかずのダンジョンに潜れってんだから見返りはあるだろう。

 報酬も相応に用意してくれるらしいし、途中でレアなアイテムを見つけられれば稼ぎはより増える。貯金はいくらあっても困ることはない。

 

 それに、俺みたいなマイナーに回ってくる仕事を他の誰かに任せるわけにはいかないしな。普段好き勝手にやってる分、こういうときくらいは働かないと後ろ指差されちゃうし。それはいつものことか。

 

「わかった。やるよ。お前はどうする?」

 

 頷き、それからユキノへ視線を送る。

 彼女は考える間もなく首肯した。

 

「当然、私も行くわ」

「そうか。じゃあ、準備すっか」

 

 言って立ち上がる。

 

「ごちそうさん。流しに置いておけばいいか?」

「ええ。後で片付けておくわ」

「はいよ」

 

 返事を背中に聞きながらカップを置いて振り返る。

 と、アルゴはまたしてもげんなりした顔でため息を吐いた。

 

「これでただのルームメイトだって言うんだもんナー」

 

 ……なんだよ。なにか変なこと言ったか?

 

 疑問に思いつつも口にはせず、ダンジョンに行くための準備に向かった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 というわけで依頼された場所に到着。

 場所はミーシェから北西に徒歩15分ほど。周囲には穏やかな野原と林が広がっており、小川はまっさらに透き通っている。実に長閑な光景だ。

 

 目的地の《迷いの森》を除いては。

 

「見るからに怪しげな森だな。なんか出そうなんですけど」

 

 不気味な森だった。木々が鬱蒼と生い茂り、枝と蔦が絡まって先の見通せない暗い道が奥へ奥へと延びている。入り口から窺い見ても5メートルくらいしか見通すことができなかった。

 

「こりゃあ油断するとはぐれかねないな。お前も気を付け……」

 

 言いながら振り返ろうとして、ふいに背中を少し引かれる。

 見ると顔を強張らせたユキノがマントの裾を握っていた。目が合って、驚いたように目が見開かれて、それからようやくユキノは自分の行動に気が付く。

 

「ぁ……ごめんなさい」

 

 放した手を所在なく胸の辺りで握り、ユキノはそっと目を伏せた。

 

「あーその、なんだ。苦手なのか、こういうとこ」

「……そう、ね。少し苦手かしら」

 

 ほーん。素直に認めるなんて意外だな。

 なんて思っていると、ユキノはぷいと顔を逸らした。

 

「別に幽霊だとかそういった非科学的なものが苦手というわけではないの。そもそもそんなものいるわけがないのだし、信じられる根拠もないのだもの」

 

 そんな全力で否定されると逆効果なんだよなぁ。

 と、早口で捲し立てていたユキノが視線を落とす。

 

「ただその……昔、姉さんによく脅かされたから」

「ああ、お前の姉ちゃんか」

 

 雪ノ下陽乃。ユキノの姉にして、ユキノを凌ぐ完璧(パーフェクト)悪魔超人。

 最近のユキノはすっかり大人しくなっているが、SAO(ここ)へ来る前の、現実の雪ノ下であっても敵わない優秀さを雪ノ下陽乃は持っていた。

 

「姉さんはいつもそうだった。私がいくら言ってもやめてくれなくて……」

 

 ぽつりとユキノが言った。

 腕をかき抱き、寂しげに、けれどどこか懐かしそうに。

 

 だがユキノはそれきり押し黙る。

 言葉は尻すぼみに小さくなり、その先は声として届くことはない。

 

 やがて彼女は小さく首を振り、顔を上げた。

 

「ごめんなさい。こんなことを話している場合ではなかったわね。もう行きましょう」

 

 言って、ユキノが森の方へ足を踏み出し、そのまま暗がりへ入っていく。

 

 鳩尾にちくりと刺さる刺激を感じながら、その後を追った。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 フィールドダンジョン《迷いの森》は、十数メートル四方のエリアを転移で繋いだ構造をしていた。

 

 入り口から森へ踏み込んだ俺たちはまず一本道のエリアに飛ばされた。

 突然変わった景色に驚きつつも道を進み、次に三差路のエリアに入ったところで俺が仕組みに気付いたわけだ。

 

 戸惑いながらも俺とユキノは道を進んでいった。

 途中で現れるゴリラのようなmobも一撃こそ重そうだったが難なく倒し、道なりに奥へ奥へと歩いていく。

 

 敵もそう強いわけではなく、道も今のところわかりやすい。《迷いの森》なんて名前にしては拍子抜けなくらい順調だ。そう思っていた。

 

 だが何度目かの転移を終え、エリアの中央付近まで来たところで、それに気付いた。

 

「ん? ここ、さっきも来なかったか?」

 

 目の前に広がる三差路。Y字に広がったその道には既視感があった。

 俺の隣で立ち止まり、同じように周囲を見渡したユキノはけれど首を捻る。

 

「どうかしら。似たような景色が続いているから」

 

 確かにそう言われてしまえば絶対とは言えない。

 だが忘れるなかれ。ユキノは方向音痴なのだ。自分が通った景色を正確に覚えているかはかなり怪しい。っていうか、たぶん覚えてない。

 

 まあマップ見りゃわかるか。

 ついついと指を動かし、ウィンドウから周辺マップを開く。

 

「どれどれっと…………はっ?」

「どうかした?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れ、ユキノが訝しげな顔で覗き込んでくる。

 俺はウィンドウを可視状態にしてユキノに見せ、改めて地図を見る。

 

 

 

 ふつう、マップは通ってきた場所が自動で記録され、帰り道や行っていない場所が一目でわかるようになっている。

 

 だからこそ迷宮区を含めたダンジョンのマッピングは多大な時間と危険が伴うキツイ作業だし、未踏破区域のマップは情報屋に売ることもできるのだ。これで稼いでいるやつもいるし、俺も何度か小遣い稼ぎに利用したことがある。

 

 

 

 今回も同じだと思っていた。

 今まで例外なんてなかったから、疑うことすらしなかった。

 アルゴから依頼された『調査』の内にはこのマッピング作業も含まれていると踏んでいたし、だからこそ当てもなくふらふら歩くのもマッピング作業だと割り切っていた。

 

 だが、ここまでそれなりの距離を歩いてきたというのに、手元のマップはほとんど全体が灰色の未踏破領域扱いになっていた。

 加えて現在地を示す光はマップ左上の端近く。ここまでのルートが一切記録されないままに、だ。

 

 いつの間にかこんな遠くまで来た? いや、そんなはずはない。

 森に入ってから精々15分ってところだ。全力で走ったならまだしも、歩いてた上に戦闘までしててこんなマップの端まで来られるわけがない。

 

 考えられるとすればここまで繰り返してきた転移だ。この森は各エリアの端に転移結晶に似た色の石が並んでいて、その間を通ることで次のエリアに移動することができる仕組みらしい。

 もし、あの転移が隣接するエリア以外を結んでいるとすれば、少々歩いただけの俺たちがこんなマップの端にいることも頷ける。

 

 だとすれば、仮にマップが役に立たないとしても帰り道はわかる。来た順とは逆のルートを通ればいいだけだからな。ユキノみたいに方向音痴だとそれも難しいが、あいにく俺の帰巣本能はかなり強い。方向感覚には自信がある。

 

 問題ない。多少面食らいはしたが、まだ問題ないはずだ。

 ……けど、なんだこの違和感は。なにか、なにかが引っかかる。

 

 見通しの悪い森。エリア移動用の結晶。現在地以外わからないマップ。

 

 この中で違和感があるとすればマップだ。

 マップを役に立たなくさせるなら、そもそも使用できなくすればいいはず。これまでのダンジョンにもそういう場所はいくつかあった。

 

 にもかかわらず『現在地以外わからない』なんて状況を生み出す必要がある。

 

 仮に、俺の気付いていないマップの使い道があるとしたら。

 自分の周囲しか見られないこのマップに何か使い道があるとしたら。

 

 これは一度ミーシェに帰って情報収集した方がいいな。

 

「まさかマップが埋まらないとは思わなかった。一旦戻って出直した方がいいかもな」

「そうね。それがいいと思うわ」

 

 街へ戻ると決め、ユキノを促して元来た道へ転移する。

 

 と――。

 

「なんだ、これ……」

 

 そこはまったく見知らぬ場所だった。

 間違いなく来た道を戻ったはずなのに、目の前に広がる景色はさっきと違っていた。

 

「ハチくん、ここは……」

 

 道はわからなくても見たことがあるかどうかはわかるのだろう。ユキノはキョロキョロと周囲の様子を窺いながら問いかけてきた。

 

「……あー、悪い。道をまちがえたっぽいわ。一つ前のエリアに戻るぞ」

 

 方向音痴なのは俺も同じだったのかー。他人のこと言えないなーアハハ。

 

 口元が引き攣るのを堪えて頭をかき、振り返ってユキノの背後を示す。

 

「ほれ、あっちだあっち」

「え、ええ。……さすがに今来た道をまちがえることはないけれど」

 

 ユキノは少し不満げに口を尖らせる。ごめんなさいね。ちょっと急いで欲しいからね。

 

 ともかく、前のエリアに戻ろうと結晶の方へ歩き出した。

 その瞬間、一瞬だけ両脇の結晶が青白く光った。

 

「今の……」

 

 ユキノも気付いたようで訝しげな声を漏らした。

 

 嫌な予感がする。

 そう思いつつも境界線を跨ぐと――。

 

「……やっぱりか」

「また、知らない景色……っ!」

 

 間違いない。これはランダム転移だ。

 

 しかも――。

 

『グルルル』『ガァルルゥ』

 

 ご丁寧なことに、お迎えのワンちゃんまでいらっしゃった。

 

「い、犬……」

 

 マントの裾が引っ張られるのを感じながら、大きくため息を吐いた。

 

 いつの間にか人を迷わせ、偶然とはいえユキノにとって天敵のmobをけしかける。

 ほんと、このゲームの開発者=茅場は余計なことしかしない。

 

「やっぱ、まじめに働くもんじゃねぇな……」

 

 真夏のアインクラッド、その35層にある深い森の端で、改めて就労意欲を失うのであった。

 

 

 

 

 

 







以上、4話でした。

次回更新は早くて来週、通常進行なら再来週ですかね。

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