やはりSAOでも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:惣名阿万

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お久しぶりです。
遅くなりまして、ごめんなさい。
季節柄か、最近は仕事もモチベーションも上がらないので辛いですね。

などと下らない愚痴はともかくとして。
第5話です。よろしくお願いします。





第五話:繰り返し、比企谷八幡は自らに問いかける

 

 

 みなさんこんにちは。

 アインクラッドを賑わす『マイナー』、ハチこと比企谷八幡です。

 

 今日は第35層にある《迷いの森》へ散策に来ています。天気も今週一番の晴れ模様で、木々の間を抜ける風に木洩れ日がとても心地良い一日となりそうです。

 

 ご覧ください。この青々とした葉を茂らせた木の数々。鳥たちはあちらこちらでさえずり、暗がりの奥からは動物たちの鳴き声も聞こえてきますね。まさに生き物の楽園!

 木々の間から差し込む陽の光が充分に足元を照らしてくれるので、松明のような灯りも必要なさそうです。ただ暗い場所がないわけではないので、準備だけはしておくに越したことはないでしょう。

 

 《迷いの森》はその名の通り、プレイヤーを道に迷わせる仕掛けのある森です。

 専門家によればこの『迷わせる』という仕組みにはいくつかパターンがあり、その中でもこの《迷いの森》は極めて珍しい仕組みをしているとのこと。

 

 森は一辺十数メートルの正方形のエリアに区切られていて、各エリアは転移の仕掛けで繋がっています。道の先がどうなっているのかわからないんですね。

 加えてこのエリア間の接続は、一定時間で切り替わってしまうようです。来た道を戻っても違う場所に出てしまうということですね。

 極めつけはこの森がマッピング不可だということでしょう。通常のダンジョンと違い、この森は通って来た道がマップに記録されないのです。

 

 いかがでしょうか。

 最近《ギルド連合》をも悩ます《迷いの森》。こんなに厄介な場所だとわかれば、早急な対策が必要だと判断されるのも頷けますね。《連合》による攻略法の早期解明に期待しましょう。

 

 あ、ちなみにこの森では転移結晶は使えませんので、挑戦される方はご注意ください。

 

 さて、といったところで我々は森の中を歩いてきたのですが――。

 リポーターのユキノさーん。現在はどういった状況でしょうか。

 

「い、犬……」

 

 おー、なんとも立派なワンちゃんですねー。それも二頭も! ハスキー犬でしょうか。黒灰色の毛並みも滑らかで整っていて、がっしりとした体付きからは力強さが伝わってきますよ。元気に唸り声を上げているのも好印象ですねー。

 

 では、私も一緒に遊んでみたいと思います!

 さあユキノさん、行きますよー。

 

 

 

 

 

 

 …………はい。というわけで、現実逃避終了。

 まったく、厄介な状況にしてくれちゃいやがって。どうすんだよコレ。

 

 前方には唸り声を上げる狼が二頭。

 名前は《ハンティング・ウルフ》。レベルは35。

 

 これまで見てきた狼型mobの中で最もレベルが高く、体格もひときわ大きい。森の暗がりに同化して見えにくい体毛は茂みに潜む時さぞかし役立つのだろう。臭いと音でプレイヤーの接近を感じ取って間近から飛び掛かるのだとすればハンティング(狩り)という名前にも納得がいく。

 

 幸い、今回は転移直後で目の前にいたから奇襲はされなかった。これで背後から襲われていたら相当危なかっただろう。俺だけならともかく、今はユキノがいるのだから。

 

 (くだん)のユキノはさっきから俺のマントの裾を握って竦んでいる。座り込みこそしていないものの、とてもじゃないが戦える状態ではない。

 

 そうなると、取れる選択肢は限られてくる。

 

「おい、お前はさっさと逃げろ。来た道戻って、転移先で待っとけ」

 

 言ってから、ふと前にも同じような状況があったなと思った。

 あのときも狼型の敵が出て、ユキノが戦えなくなったんだったっけか。

 

 マントがきゅっと引かれ、それから弱々しい声が聞こえてくる。

 

「私は、大丈夫。だから……」

「いやお前は犬ダメだろ。無理する場面でもねぇし、大人しく逃げとけって」

「…………わかったわ」

 

 そんな言葉を最後に手が離れる。すぐに地面を踏む音が聞こえてきて、それに気付いた狼の片割れが動いた。激しく吠えながら、俺の横を抜けて追いかけようとする。

 

 当然、通さない。

 

「悪いな、ここは通行止めだ」

 

 バッティングの要領で走り抜けようとした狼を打ち返し、慣性を利用した《水月》で飛び掛かってきたもう一頭を蹴り飛ばす。

 間合いが開いた隙にバックステップで結晶までの距離を稼ぎ、再度向かってきた狼を槍と体術で跳ね返す。と、ちょうどそのタイミングで背後が青白く光った。

 

 一転、背中を向けて全力で走る。筋力値にもポイントを振ってるユキノならともかく、敏捷値極振りの俺なら追いつかれる心配もない。一層の頃ならともかく、今さら狼程度でビビることもないしな。

 

 追いすがる狼を振り切り、結晶の間へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 《ハンティング・ウルフ》を振り切り違うエリアへ転移した俺たちはその後、アルゴへメッセージを送って状況を報せ、とりあえず落ち着くために《安全地帯(セーフティエリア)》を探して歩いた。

 

 途中、何度かさっきと同じ狼に遭遇したが、相手が一頭なら俺が倒し、二頭以上なら逃げるという方法で対処した。ゴリラに関してはユキノに慈悲もなく斬り捨てられていた。南無。

 

 

 

 そうして歩いて逃げ回ること一時間あまり。

 もう何度目かわからない転移の先に、一本の大きな木が立っていた。

 

「雰囲気の違う場所に出たな」

 

 そこは一本の巨木を中心とした広場だった。これまで通ってきたエリアよりも明らかに広く見通しもいい。巨木の周りには茂み一つなく、円を描くように進入不可の木々のオブジェクトが置かれている。

 

 ユキノも広場を一望してから頷いた。

 

「そうね。何かのイベントスポットなのかもしれないわ」

「だな。とりあえずまだマップは使えねぇし、この場所のこともアルゴに伝えとくか」

 

 言いながら振り返り、二つの結晶の方へ目を向ける。

 と、結晶の外側に白い帯が浮いているのが見えた。どうやらこの広場全体が《安全地帯》として設定されているらしい。

 

 中心の木に向かって歩きながら、ウィンドウを開く。

 

「ついでに、ここで休んどくって言っとくわ。散々歩き回って疲れたしな」

 

 宛先にアルゴの名前を打ち込んだメッセージを送る。俺たちが何かのイベントスポットっぽい広場にいること、自力での脱出は難しいこと、今いる広場は《安全地帯》だからここで休んでおく旨を書いておいた。

 

 ひとまずの対応としてはこれでいいだろう。

 あとはアルゴがこの森を攻略するための情報を集めてくれるはずだ。さすがに依頼を出しておいて見捨てるなんてことはしないと思いたい。ここにはユキノもいることだし。

 

 木の傍まで歩いて振り返り、幹を背に腰を下ろす。

 

「っこいせっと」

 

 あー疲れた。やっぱ仕事なんてするもんじゃねぇな。

 美味い話には裏があるように、お高い依頼には危険や面倒がもれなく付いてくる。《連合》から回ってきたこの仕事にもやっぱり厄介なとこがあったというわけだ。

 

 欠伸と一緒にため息を吐いて、ぐーっと伸びをする。

 そうしてから隣で木に寄りかかるユキノを見上げた。

 

「お前も座ったらどうだ? 助けが来るまではしばらくかかるだろうし、下手すりゃ一日二日はここで野宿だからな。立っててもしんどいだけだぞ」

「……そうね」

 

 ユキノは俯いて幾ばくか逡巡した後、諦めたように小さく息を吐いて膝を折った。

 

 それから静かな時間が流れる。

 俺もユキノも何かを話すでもなく、ただじっと天蓋や足下を見つめる。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 不意に、隣から呟き声が聞こえた。

 

 謝罪の言葉。だが彼女が何を以て謝罪を口にしたのかがわからない。

 

「急にどうした?」

 

 問い返すと、ユキノは膝を抱えて俯いた。

 

「ここまでずっと、あなたに頼りきりだから」

 

 言われて、この森に入ってからのことだと思った。

 

「あれはしょうがないだろ。人間、どうしてもダメなもんの一つや二つあるしな。お前が犬苦手なのは知ってたし、別に気にしてねぇよ」

「それだけではないのだけど……」

 

 ユキノは足元を見つめて、ふっと息を吐く。

 そして俺へと顔を向けた。

 

「私は、あなたに寄りかかり続けているのだから」

 

 最初はなんの話をしているのかわからなかった。俺もユキノも木の幹を背に座っているので言葉通りの意味ではないのだろう。そもそもこいつが誰かに寄りかかっている姿なんて一度も見たことがないし。

 

 けれど、続くユキノの言葉で思い出した。

 

「あなたが以前言っていたことよ。『人』という字は支え合っているのではなく、一方が寄りかかっているのだと」

 

 ああ、あのときのことか。

 それはまだSAOに閉じ込められる前のこと。文化祭のスローガンを決める会議で言ったことだ。もう一年近く前のことなのによく覚えているな。

 

「ここへ来てからの私はあなたに頼るばかりで、あなたに負担を強いて、にもかかわらずあなたを排除しようとする人を止めることができないでいる」

 

 ユキノは視線を足元に落とし、つらつらと口にしていった。

 

「それどころか、私は一人で立つこともできないでいた。そのことに気付いてすらいなかったわ。糾弾されて、追い詰められて、どうしたらいいかわからなくなって、結局また救われて、そうして初めて気付いたの」

 

 言って、自嘲するように小さな笑みを浮かべる。

 

「お笑い種よね。自分は他人よりも優秀だから、強いからと言って傲慢に振り回しておいて、実際はなにもできていなかったのだから」

 

 彼女が何をもってそう自己評価したのかはわからない。

 だがユキノには目に見える功績があるはずだ。

 

「いや、お前は《攻略組》のリーダーとして攻略を牽引してきただろ。お前がやらなきゃ攻略はもっと遅れてたかもしれない」

 

 ユキノの指導者としての手腕は《攻略組》に所属していた誰もが認めるところだ。

 冷静かつ合理的に判断を下すことができ、自身もトップクラスの実力を持っている。だからこそ派閥争いのあるトップ集団で長らくリーダーというポジションを務められたのだ。

 

「私がレイドリーダーの立場でいられたのは、私が二大ギルドのどちらにも入らず中立でいられたからよ。攻略がスムーズに進んだのは常にFBIからの情報提供があったから」

 

 けれどユキノは小さく首を振り、穏やかな声音で続けた。

 

「そしてそのどちらにも、あなたは大きく関わっていたわね」

 

 それは問いかけの体をなしてはいたものの、ユキノには確信があるようだった。

 とはいえ答えは決まっているんだが。

 

「俺は何もしてねぇよ。ただ情報屋とパイプがなきゃソロでやっていけないから、アルゴからの仕事は断らなかっただけだ。ALSとDKBに関しちゃあ、連中が牽制し合ってただけだろ」

 

 実際、特定の誰かに肩入れするような思惑を持って動いたことはない。

 ただ自分が生き残るため、生きてこのゲームを終わらせるのに効率がいいと思う行動をとっていただけだ。

 アルゴの使い走りをしていたのも、邪険にされながらボス戦に参加し続けたのも、客観的に考えて効率がいいからだった。

 

「そうでしょうね」

 

 ユキノも俺の行動原理はわかっているのか、また小さく頷く。

 そうしてから、ちらりと視線を寄越してきた。

 

「けれど、どうあれきっかけを作ったのはあなただわ。私たちがALSやDKBとは違う思想を持っていると明らかにしながら、敵意を向けられることのないようにした。そのために自分は嫌われ者役を引き受けて、その上で私たちを遠ざけたのでしょう」

 

 そうだと肯定することはない。

 同時に違うと否定することもできなかった。

 

 かつての俺のやり方は犠牲などではない。

 けれどユキノが身を賭して《攻略組》を守ろうと動いたのを見て、客観的な視点を得たのも確かだった。

 

 それ故に――。

 

 あのときの俺の行動はまちがいなんかじゃない。

 俺の主観においても、また効率の面で見ても、俺に取り得る最善の手を打った。

 だから同情も憐憫もいらない、感謝も謝罪も受ける謂れはない、と。

 

 はっきりとそう言うことが、今はできなかった。

 

「あなたがいなければ、私はここにいなかった。右も左もわからないこの世界で生き残ることはできなかったわ。第一層を突破した後、キリトくんとアスナさんと一緒にいられたから攻略を続けることができた。どれも、みんなあなたのおかげ」

 

 「それなのに」と、ユキノは顔を落とした。

 

「私はあなたに何も返せないでいる。あなたに頼って、助けられて、寄りかかっているだけ。今度は私がって、そう思っていたのに……」

 

 ユキノは消え入るような声で呟いた。膝を抱えて小さく震える姿は弱々しく、そんな彼女を俺は一度も見たことがなかった。

 

『できるものだと、思っていたのにね……』

 

 以前そう言ったときのユキノも同じ声音をしていた。

 諦めてしまったような、限界を悟ってしまったような、空虚で物悲しい響き。

 

 

 

 ――俺はまちがえはしなかっただろうか。

 あれからずっと問い続けたその答えは今、こうして目の当たりにしている。

 

 きっとまちがえたのだと思う。

 《連合》結成からの日々がそれを如実に語っている。ユキノのあの諦観に満ちた微笑みが示している。縋るような眼差しが突き付けてくる。

 

 ただ傷ついてほしくない――。そうした想いが動く理由になることもあると、俺はあのとき知った。なら、他にそういうやつがいたっておかしくない。

 

 もし……。

 もしも、彼女も同じだったのだとしたら。

 もしも、守りたいと願ったものによって逆に自身が守られたとしたら。それを突き付けられたとしたら。

 

 だとすれば、彼女は――。

 

 

 

「その、なんだ……。寄りかかられてる方も、案外それで支えられてるのかもしれないぞ」

 

 気が付けば、そんな言葉を吐き出していた。

 

 考えて言ったことじゃない。けれどまったくの虚言というわけでもない。

 口を衝いて出たそれは、自分でも不思議なほどすんなりと胸に収まった。

 

「ハチくん……?」

 

 目を丸くして、ユキノが振り向く。

 

「あれだ。『人』の字でも、小さい方の線はパッと見寄りかかられて見える。けど、あれだって大きい方の線がなきゃ倒れるだけだろ。それと同じだよ」

 

 ユキノの縋るような眼差しに、知らず知らず口が回る。

 

「っていうか、普段俺もお前を頼りまくってるしな。助けられたことも一度や二度じゃない。なんなら、むしろ俺の方が寄りかかってるまである」

 

 だから気にするなと、そこまでを口にすることはできなかった。

 俺にそんな言葉を口にする資格も権利もない。

 きっと、願うことさえ、許されていない。

 

「…………そう」

 

 ユキノは長い時間をかけて飲み込んだ末に呟いた。

 それからまたじっと手元を見つめ、何かを考えこむ。静かな時間がしばらく続き、やがて小さな息を吐いた。

 

「なら、しっかりと寄りかかってもらわなきゃだめね」

 

 そう言ったユキノはおもむろに足を伸ばし、腰を浮かせてすぐ傍までにじり寄ってきた。

 それから両手を持ち上げ、こちらへ伸ばしてきたかと思うと――。

 

 

 

 俺の頭を引き、倒して、伸ばした膝の上に載せた。

 

 

 

「…………はっ?」

 

 え、なにこの状況。

 これっていわゆるアレか。思春期男子の妄想の産物であるところの膝枕的な。

 

「おい、ちょっ、お前なにして……」

「あら、お互いに寄りかかるものだと言ったのはあなたよ。だからここは大人しくしていなさい。……今はそれで、納得できると思うから」

 

 見上げた先にあった物憂げな顔を見て、それ以上言えなくなってしまう。

 ユキノがこれで通り飲み込むことができるというのであれば仕方ない。多少どころかかなり恥ずかしいが、ここはグッと堪えることにしよう。

 

「少しだけだぞ」

「ええ。少しだけよ」

 

 小さくため息を吐いて横目に見る。

 ユキノは勝ち誇るでもなく、縋るようでもなく、ただ穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん? ああ、寝ちまってたか。

 なんか知らんが久しぶりにがっつり寝た気がするな。

 

 今が何時だかわからないが、ともかく起きるか――。

 

「……スー……」

 

 ………………………………ナンダコレ。

 後頭部には柔らかい感触があって、目の前にはユキノの寝顔がある。

 

 待て待て。落ち着け。クールになれハチマン。こういうときは素数を数えるんだ。で、素数ってどんな数だったっけ。

 

 確か、ユキノが膝枕を強要してきて、少しだけと了承したんだったか。

 結果俺もユキノも眠ってしまうとか、どんだけ疲れてたんだって話だな。

 

 とにもかくにも、まずはユキノに目を覚ましてもらわなきゃならない。体を起こそうにも、未だにユキノの手が俺の頭を押さえていて動けないからな。こいつマジでどんだけ筋力値上げてんだよこいつ。

 

 今頃アルゴはこの森の攻略法を探してるだろう。だとすればいずれ誰かが来るはずだ。

 わざわざ捜索に来てくれる連中にこんな状況を見られるわけにはいかない。見たとこ時間もけっこう経ってるみたいだし、そう先のことじゃないと思う。

 

「おい、起きろ。いい加減起きねぇと、色々まずい」

 

 少し強めに声を掛けると、ユキノは「んっ」と息を漏らして目を開けた。が、まだ寝起きで頭が働いていないのか表情はボヤーッとしている。

 

「起きたか? んじゃあ手を退けてくれ」

 

 頭を押さえてる手をポンポンと叩くと、ユキノは呆けた目でそれを見て、また視線を戻した。それから何を思ったか、額の右手はそのままに、左手が頬に添えられた。

 

 え、なにこれ。これじゃあ頭を起こせないだけじゃなく、振り向くことすらできないんですけど。どういうことですかね、ユキノさん。

 

 なんて身の危険を感じたのもつかの間、ユキノは腰を曲げ始めた。

 寝ぼけ眼のままじっとこちらを見つめ、だんだんと距離が近付く。

 薄く開かれた唇から吐息が漏れ、吐息が口元に当たると身体が震えた。

 

 これはマズい。どうにか目を覚まさせないと。

 頭ではそう思うのに、身体も口も《麻痺毒》を受けた時のように動かない。

 ぼんやりと、けれどまっすぐに見つめてくる視線から目を離すことができない。

 

 

 

 逃げることも止めることもできず、間近に迫った薄紅色に目を奪われる。

 

 距離は徐々に近づき、間もなく鼻先が触れようかというところで――。

 

 

 

 一瞬青白い光が瞬き、今度こそ覚醒したユキノはハタと止まった。

 間近に見える瞳は動揺しきっていて、白い肌に朱が灯る。呆けたように開いた口からは言葉はなく、ただ戸惑うような吐息が漏れるだけ。頭と頬に添えられた手も硬直して震えている。

 

 動こうにも動けない俺の目の前で固まるユキノ。

 そんな彼女が再起動を果たしたのは、脳の処理が追いついた時ではなかった。

 

 

 

「あー、その、助けに来たんだけど、お邪魔だったみたいだな。ごめん」

 

 

 

 ものすごく聞き覚えのある声がしたかと思えば、バッと勢いよくユキノが顔を上げる。

 その際、勢い余って木に頭を打ったらしく、後頭部の辺りに《破壊不能(Immortal)オブジェクト》のシステムメッセージが表示されていた。

 

 顔を真っ赤に染めて、ユキノが捲し立て始める。

 

「いいえ、助けに来てくれてありがとう。それにあなたたちが来てくれなければ私たちはここから動くことができなかったのだから、邪魔だなんてことは絶対にありえないわ。そもそも邪魔かそうでないかで言うのなら、こうしていつまでも人の上で横になっているこの男のほうが邪魔をしていると言えるのであって……」

「はいはい悪かったな。今起きますよっと」

 

 身体を起こして立ち上がり、入り口の方から歩いてくるやつを見る。

 

「わざわざ迎えに来てもらって悪かったな」

 

 キリトはニヤニヤ笑いを浮かべて応えた。

 

「気にするなよ。それに、アルゴに売れるとびきりのネタも手に入ったからな」

 

 でしょうねぇ。今のなんてあの鼠の大好物だしなー。

 

 ため息と共に頭を掻いていると、キリトの後ろからひょこっと黒髪の少女が顔を出した。

 普段は穏やかで癒し効果抜群の笑みを浮かべる彼女が、今はジトーッとした目で睨み、頬を膨らませて呟く。

 

「せっかく心配して来たのに、ハチってばユキノさんに膝枕してもらってたんだね。もし私たちが来てなかったら、なにするつもりだったの?」

 

 サチからの毒気たっぷりなお言葉を頂戴し、もう一度深いため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 







以上、5話でした。
次回更新日は未定です。なるはやで出来ればと思います。

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