ただそれが叶うかどうかは他の神様との兼ね合い次第だけれどね。
生まれ落ちた直後に与えられた言葉を脳裏で反響させながら、今日も彼女は生きていた。
不要な枝葉として切り捨てられる世界の記憶を持って生まれた彼女にとって、魂にこびり付くそれは記憶という名の前世であり、今生は一度途切れた記憶の継続に他ならない。
故にだろう。母に飼い殺されている現状からすれば、その前世の記憶は自分に要らない夢の残滓を見せつけるだけの害悪に他ならず、現実と夢の落差を深める要因でしかなかった。
近くて遠い記憶の中で、大元の彼女は極々普通の凡愚であった。
人であった頃のダラ・アマデュラは『××××』という凡庸な人間で、特に秀でた技はなく、自分の良い所で頭を悩ませ、欠点を聞かれれば二つ三つは特に考えないで口にできる、何処にでもいる普通の人間だった。
外遊びは好きだが運動神経は並みで、中学高校と学年を上げていくと友達の興味関心は美容や化粧、いかに肌を焼かずに過ごすかに向き、かつてのように太陽の下で転げまわる事はなくなった。『××××』はそんな友達に合わせて童心を押し込め、対して興味のない恋愛や美容、流行のファッションの話に耳を傾けては適当に当たり障りのない返答を返す存在に終始した。
それに伴いインドア派の一員と目されるようになった『××××』は一人でできる事柄を趣味にして興じるようになった。彼女の友達は人間から針と糸と石とピンセット、そして小さなミュージックプレイヤーになった。
頭の中に描いた素敵なものを真っ白な紙に描き、お気に入りの音楽に作業のテンポを任せながら、指先は糸を、石を、布を操り、空想の欠片を現実に落とし込む。
趣味は手芸と音楽鑑賞。女らしさが乏しかったお転婆娘の趣味に両親は密かに喜び、『××××』の評価は元気な子から内気な子へと変化した。
事実、『××××』にはもう外へ向かって走っていく無邪気さは残っていなかった。成長していくにつれて見えてきた大人の世界や人の心に、平凡だが馬鹿ではなかった『××××』は持ち前の察しの良さで同年代の誰よりも早く気付いてしまった。
知ってしまえば、もう駄目だった。昨日まで輝いていた世界が急激に色を失い、煤けた空気で覆われる。言葉の裏に隠された本音に気付いてしまえば、二度と純粋な目で人を見ることはできなくなった。
友情を説いたその口が罵詈雑言を吐き出して親友に薄汚い色を塗り込めていく様を見せられてから、『××××』は女子の中で毒にも薬にもならない存在になるよう心掛けた。そうして自分から薄くなって煤に紛れ込むことでしか、凡庸な人間であった『××××』は自分を守ることができなかった。
『××××』は平凡な人間だった。けれど一つ、ただ一つだけ、周囲にも家族にも言えない、履歴書にも書けない特技らしきものがあった。
『××××』には、他人には見えない世界が見えた。他人には見えない世界の住人を知覚できることが、『××××』の誰にも言えない特技だった。
彼らは一般的には幽霊や妖怪、神様、妖精、物の怪と呼ばれる類の生き物で、幼い頃はそうとは知らずによく遊んでもらったり、かと思えば興味を持たれて襲われたり、中々に濃い幼少期を過ごさせてもらった。なんでも『××××』には力があったらしい。神秘の薄れに薄れたこのご時世どころか、遥か神代の頃にも稀有とされるような、強大無比な力が。彼らが『××××』の血肉を求めたのも、『××××』と友誼を結びたがったのもその力のためであった。
『××××』は彼らのその感情にも反応した。むしろ彼らのような自分の生死に直結する力を持つ存在がいたからこそ、『××××』の『見抜く』力は強化されていったと行って良い。
そも、彼らのような神秘の残滓にとって、『××××』のような人間は、魂や魔力は勿論、その情動さえもが甘露であった。そのため、誰も彼もが『××××』の感情を揺り動かそうと必死になったのだ。
あるものは不老不死という名の隷属をちらつかせ、あるものは美食家を気取って手を取り一緒になって遊んでやり、またあるものは、短絡的に手っ取り早い手段……恐怖を与えることに終始した。
当然のように一番最後の手段をとるものが圧倒的に多かったのは、言うまでもない。
そのため、『××××』は内気で大人しい子という評価を得た後も生傷が絶えなかった。打ち身や擦り傷は日常茶飯事で、流血沙汰は両手足の指の数を余裕で超えている。
ほぼ死に戻りに近い状態で怪異から脱出して見せることも間々あったため、『××××』の身を案じた家族によって短い人生の後半はほとんど家から出してもらえない状況になってしまったが、それも仕方ないことだろう。
忍耐強いが精神的に打たれ弱い『××××』が感情の処理の仕方を覚えてからは、過保護にも磨きがかかった。
春の陽だまりのように暖かで可愛らしかった柔和な笑みが、いつの頃からか儚く透き通った、まるで死期を悟った老人の様な透明な笑みに代わってしまっていた。
元々ため込みがちな性格だったから、泣くときは限界まで涙を堪えて、ふとした瞬間に決壊し、自分が泣いたことに焦って驚いて、怒りも悲しみも一瞬で忘れ去ってひたすらおろおろとするのに、まるで波が引くように限界手前で表情を失うようになった。
元々喜怒哀楽の発露は緩やかで穏やかだったが、こうもあからさまに『一定以上の感情を認めない』のでは、家族が「まさか家の娘は外で、なにかよからぬ輩にしょっちゅういじめられたり悪戯されたりしているのでは?」と考えてしまうのも、仕方ないと言えば仕方ない。
ダラ・アマデュラの姿も、その頃の記憶から抽出されている。軟禁状態の妹を案じた兄がその時の手持ちで出来る事で思いついたことが、ゲーム下手な妹に実況プレイを見せてやることだった。後々、カメラでも持って綺麗な景色を撮ってきてやったほうが良かったかと焦る事になるのだが、その時の『××××』は口下手な兄と一緒に遊べる時間ごと、彼が用意するゲームの世界を楽しんでいたため、まぁいいかと流された。
こうして『××××』は年を重ねるにつれて彼らと距離を置き、人の世界へと入っていった。本能で生きているような彼らの世界は心地よかったが、命の危険と引き換えに安楽を求める程『××××』は酔狂な博打はしない。 それに、家族のいる理性の世界が『××××』の異能を排除しようと動きかねなかったのだ。怪異のような超常が跋扈する世界は、常人が理解するにはあまりにも異質過ぎた。
徐々に遠ざかり、真白の魂に襤褸を着せていく『××××』に、彼らは嘆き悲しみ、そして閃いた。
「『××××』が人に成る前に」
「此方へ招いて隠して仕舞おう」
そして『××××』は、齢十六でその生を終える運びとなった。向こう側の住人が意図的に引き起こした事故は『××××』の肉体を完全に破壊し、その魂を宙に飛ばした。肉の器から解放された魂は、順当に行けば彼らの手に隠され、永遠を彼らのそばで歩むはずだった。
しかし、そうはならなかった。『××××』の魂は、現世で類まれな力を有した凡人の魂は、なんの因果か、世界の根幹、こんな枝葉の世界とは違う、継続されるべきと判断された幹の世界への穴を『見抜いて』しまった。
神威薄れ、神秘が空想になり、あらゆる神秘の恩恵が遠くなった地獄のような苦しみの大地の中に一際輝く威容が、肉体という窮屈な器から解放された瞬間、本領を発揮した結果の発見に、『××××』は成す術も無く巻き込まれた。
そうして生まれ落ちたのが、かのメソポタミア神話の世界、それも原初の混沌とも目される母なる女神ティアマトの末仔『ダラ・アマデュラ』だ。
その『ダラ・アマデュラ』の中にある『××××』という凡庸な小娘の記憶は、全体として見れば割と煤けた色をしている。
しかし、『××××』の見る世界は、人間は、汚くて卑小で雑多で即物的だったが……『××××』は、確かに両親から、兄から愛されていたのだ。『××××』は人間に対して苦手意識を持っていたが、決して失望してはいなかった。むしろ斜に構えたような目線でしか物事を測れなかった自分をこそ嫌悪していた。
『××××』は、愛する人たちに愛されて育ったが故に、灰色の世界に辟易しながら、灰色に埋没することを良しとしていた。
だからこそダラ・アマデュラは記憶を持って転生した我が身を嘆く。
怒られることはあれども諦められることはなく、呆れられることはあれども憐れまれることの無かった『××××』の人生は……飼い殺されるままに歌を紡ぐだけの時間を送るダラ・アマデュラからすれば、その灰色は余りにも眩しすぎた。
元々は母の疲弊した心を癒すために望まれたのだから、結果的に見れば現状は正解であるはずだ。
唇に乗せる歌も喉を震わせる旋律も、そのほとんどは前世の記憶から生じた音だ。それを手放しに喜ぶ母の存在は、自分にとって満足のいく姿のはずだ。
けれども、前提として望まれた心を否定された今、いくら愛する母のためとはいえ、ただ歌を紡ぐだけの存在になり下がった現状は彼女の死にかけの心を否応なしに苛むばかり。
『視て』しまう力も神の肉体を得た事で更なる強化が施されたせいで、目と目を合わせる事を忌避し畏れるようになってしまってからは、慕う母の瞳すらまともに見返すことも出来なかった。
その上、他の十一の兄らのように神殺しを成せるかと言えば、『××××』だったダラ・アマデュラは悄然と項垂れるしかない。
彼女にとって、ティアマトを母とする兄弟神とその子らは血族、つまりは身内に他ならず、彼女の常識と良心に従って言うのならば、兄弟殺しも家族殺しも、彼女にとっては禁忌以外の何物でもない。
故に彼女は役立たずの烙印を押されたのだ。末子の威容を見て神殺しに誘った兄たちも、母を超える
母親と兄らに諦められたダラ・アマデュラは、ただ生きることしかできない現状に心を曇らせる。役割をもって生まれることが当然の神々の中で、ただ母を慰めるための歌を口ずさむだけの自分が存在していいのかと思わない日は無い。過剰なまでの力と権能を持って生まれたことが、その自己否定を加速させた。
母を愛するが故に欝々としながらも呼吸を止めないダラ・アマデュラに、この日、外界から母以外の声がかかった。
ダラ・アマデュラを溺愛するが故に強固な結界を作り、その中に彼女を押し込めたティアマトだが、子供たちとの戦いで席を外す時は必ず息子を一人彼女の傍へとおいていた。
それは本来何物にも囚われ得ないはずのダラ・アマデュラが、万が一結界を破壊したときの伝達役であり、同時に今まさに殺し合いをしている新しい子供たちから彼女を守る守護役であった。
ティアマトが頻繁に席を外すことは無いが、それでもティアマトを殺そうとする神々は多い。それらへの対応が息子たちでは荷が重い時は、ティアマト自らが出向くこともある。今日もそのように息子たちだけでは対応できないような戦いが起きたらしく、ティアマトは彼女の傍に十ニの子供の一柱、ギルタブリルを配置したのだった。
神性を表す角冠に、人間の上半身と鳥の下半身、力強く羽ばたく巨大な翼に、自在に動く蠍の尾を持つ兄は、精悍な顔に備わる顎鬚を撫でながら、歪に削れた峻厳な山に巻き付く、自分よりも遥かに巨大な末の妹を見上げる。
いかにも生気の無い様子で自己嫌悪に項垂れる彼女の様子に、十ニの子供の中では珍しく知恵者であり、真面目な性質のギルタブリルは首を捻る。
「何をそんなに沈んでいるのだ、十二番目の仔よ。母が居らぬは寂しいか」
強固に過ぎる結界の向こうから投げかけられた疑問に、ダラ・アマデュラは首を振って否を示す。「では」とギルタブリルが口を開き「我と会うのは、気負うか」と問えば、それもまた否だと、今度は小さく口を開いて答える。
本当の所、ギルタブリルは彼女が己の存在意義に頭を悩ませていることは知っていたが、ギルタブリルは会話することに意義を見出していたため、特に返ってくる答えに意味を求めていなかった。知恵者であるギルタブリルは、彼女が甘い考え方をすると知っている。そしてそれを捨てることが出来ない事も知っていた。
ギルタブリルはその甘さが嫌いではなかったが、他の兄弟たちが彼女の恵まれた体躯から見てその心は不要のものだと否定する意味も、正しく理解している。優しい、といえば聞こえはいいが、この戦局において彼女の持ちえた性質は無用の物でしかない事も事実。それを口にすれば、彼女は弱弱しく透明に笑って、黙り込む。
……黙り込んで、小さく零れる嗚咽を噛み殺す様は、心臓に悪い。
聞けば、ダラ・アマデュラはギルタブリルらと違ってティアマトの毒ではなく混沌から生まれた女神だと言う。であれば、強力無比な力も、堅牢に過ぎる肉体も、ある意味当然の産物と言えるだろう。
しかし、神殺しの権能を与えられておきながら、彼女に求められたのは母を慰めるための『愛玩』。しかも、望まれて生じた筈の
そのうえで過剰なまでに愛され囲われる
一応、可愛い妹だとは思っているようで、時折母の眼を盗んでは一言二言、言葉を交わしているようだ。しかし、一度声高に批判した手前長居し辛いのだろう。結局、たいした言葉も交わせぬままに兄らは踵を返すのが常だった。
ギルタブリルは、彼女の心に否を唱えなかった事から、こうして有事の際は彼女の傍で彼女と会話をする権利を得た……のだが、実際はこの神としては優しすぎて自滅の道を行く末の妹のカウンセリングだった。
ギルタブリルとしても、この大きな妹は可愛いと思う。姿形こそ恐ろしく威厳に満ち溢れた堂々たるものだが、幼気で傷つきやすい性質が見た目を裏切るこの落差が愛しいとギルタブリルは思うのだ。
「ダラ・アマデュラ、お前はどうしたい。神を殺せ、とはもう言わぬが、であれば、母ティアマトへ歌を捧ぐ他にお前は何がしたい」
「どうしたいか……ですか? 私が……望むことは…………いえ、何もありません、ギルタブリルお兄様。私はお母様に歌を捧ぐ以外、成すべき事柄などありません」
一瞬だけ、物思いに耽る眼に楽しげな煌めきが宿ったのに、ギルタブリルは気付く。
常に死に体の様相で、母に歌を乞われてようやく穏やかに微笑むことが出来る妹が新たに示した好意的な反応喰いつかないのでは兄と名乗れはしまい。一も二も無く、しかし不自然ではない程度にギルタブリルは食いついた。
「何を言うか。成すべき事柄は成すべきだが、それは義務というものだ。義務や使命といった行動以外が悉く制限される我等ではあるまい。我等十一の兄も、戦う以外の享楽を知っているぞ」
お前が望むのであれば、それは須らく叶えよう。そうギルタブリルが言えば、ダラ・アマデュラは不意打ちを喰らったかのように身体を硬直させ、まじまじと得意げな顔をする兄を見下ろす。
まるでそのような事考えたことすらなかったとでも言うような様子に、今度はギルタブリルが面食らう。
まさかとは思うが、母ティアマトはダラ・アマデュラに歌以外の声を求めたことがないのだろうかと不穏な考えが脳裏を過った。それを邪推だと一笑に伏すには、妹の憔悴があまりにも哀れだったのだ。
「神殺しの義務も果たせない私が、そのような事を望むなんて……余りにも厚かましいことです。私には、それを望む資格がありません……」
「お前は義務を果たしているではないか。その……それを義務と言えば、お前を蔑ろにしているようで気が咎めるが、少なくともお前は無用の存在ではない。お前の存在は確実に母を癒している。お前の歌声は我等も認めるほどに尊く素晴らしいものだ。それは誇るべき事柄で、決して捨て置かれるべきではない」
「ですが、ギルタブリルお兄様……私は、私の体は、あらゆる全てに害をなすものでしかありません。そんな私が、何を望んでも……それは決して、手に入ることはないでしょう」
悲しそうに苦笑する妹に、息を呑む。
まさか、と動く口がからからに乾いて、喉がひりついた。彼女の答えが予想通りならば、自分が今から口にする言葉は、きっと彼女の心を傷つけてしまうだろう。
けれども。
「まさか、お前は外に出たいのか。外に出て、我らのように自由に歩き回りたいと、そう願うのか」
聞くべきではない、そう思ったが、問わずにはいられなかった質問に、案の定妹は恥じ入るように後悔と諦念を滲ませた声で謝罪の言葉を口にした。高望みが過ぎましたと、己の夢を静かに磨り潰して、殺す。
余りにも手慣れた様子で心を殺し続ける妹の痛ましい姿に、ギルタブリルは天を仰いで己の無力を恥じた。
自分では、母たるティアマトのように彼女の身体を守り抜くことも、母たるティアマトから彼女の心を守ることも出来ないどころか、細やかで小さな彼女の願いも叶えられない。
そして自分に彼女の願いを拾えるだけの力があったとして、それで彼女が救えるかと言えば、それは否だということも、理解した。理解してしまった。自分に妹は救えない。妹は誰かに救われる事を信じない。
――何故ならダラ・アマデュラは、母ティアマトに『可哀想な、憐れまれて然るべき哀しい仔』で在れと
「我らの様に在るがまま振る舞うを良しとする神にとって、忍耐は身体に毒だとお前は言ったではないか! お前も神の一柱なれば、お前もまた在るがままに振る舞って然るべき存在だ。故にその忍耐はお前にとって毒だ。早々に吐き出してしまえ! お前にはそれが許されている!」
呪われているから、望まれているから、ただただ純粋な憐憫と愛情で以て、その魂を縛られているから。
だから、ダラ・アマデュラは救われず、報われない。望みのままに、望まれるがままに、哀れで在り続けるしかない。
それでも吐き出さずには居れない激情染みた慟哭に、ダラ・アマデュラは心底嬉しそうに囁くのだ。
兄の嘆きを、自分に向けられる心配を、望外の幸福だとでも言うように、花が咲くような声で喜ぶのだ。
「私が耐える事を止めれば、私の千刃はあらゆる全てを切り裂きます。私の叫びは星を落とし、お母様や兄弟たちに降り注ぐでしょう。私の心が燃え盛るのならば、その炎は万物を灰燼へと帰す劫火となるのです……そもそも、私が少し身じろいだだけでも、お母様のお体に傷を付けてしまえるのです。千古不易を謳い、不朽不滅を成すこの身を……死ねもしないこの私を殺せる術がない限り、私は耐えるしかないのです…………申し訳ありません、ギルタブリルお兄様。貴方様の御心はとても嬉しいのですが、私にはその御心に適う返礼ができないのです」
喜んでいたのに、途端に項垂れる健気な妹にギルタブリルはついに両手で顔を覆い、心の中で母を詰った。
何故望んだ、何故諦めた、あまりに哀れが過ぎたとしても、母たる貴女に否定されてしまえば、生まれたばかりの頑是ない子供は何を指針に生きれば良い。否定した本人に拾われ、愛玩され、自由すら奪われるのならば、一度諦めて否定された心の行き場は何処だ。
優しさ故に諦められたのに、拾われてしまっては棄てられたと怨み憎むことも出来ない。
優しさ故に怒りを抱くことも出来ずにいるのに、素直に捨てられていれば得られたはずの自由も、愛し愛されるが故に憧れのままで末仔を苛む。
八方ふさがりで行き場のないダラ・アマデュラの現状への諦念と自己嫌悪に、ギルタブリルは思い至らなかった己をも詰った。
「母ティアマトは我らに毒の血液を注ぎ、神殺しとしたが……そうか、母より望まれた心が、お前の本質そのものが……他でもない、お前を殺す毒なのか」
――それは、あまりにも、非情だ。
血を吐くように溢された言葉に――ダラ・アマデュラは、笑った。
その笑顔は余りにも悲しく、力なく、そして儚い笑みだった。
今にも消えてしまいそうな、ひどく淡い笑みだった。
ギルタブリルは、初めて感じる遣る瀬無さに、生まれて初めて涙を零した。
此度でティアマトの命運は尽きるとも知らず、末の妹は健気に己を慕う。
その無垢な心を裏切る事になった己の罪過の重さを感じながら、ギルタブリルは静かに絶望を噛みしめる。
既に己がマルドゥク神の前に膝を折った事を……己が母ティアマトとダラ・アマデュラを裏切った事を知れば、この嫋やかな女神の失意は想像してなお余りあるだろう。
これも母ティアマトの呪いの内かと、ギルタブリルは不意に笑顔を凍りつかせた妹を前にして、思う。
好意がすれ違ってしまった兄と妹の耳には、悲痛に彩られた断末魔が聞こえていた。