離別の果てで、今一度。   作:シー

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思った以上に長くなりそうだ。
これでは色々と都合が悪い。
よし、ここはちょっとズルをして、未来の言葉を借りようじゃないか。





第四話:無辜の虜囚

メソポタミア神話『千の剣を鎧う女神』翻訳・解釈小説『報われない話』概略

 

 

 後世において、悲劇の物語と称される説話や伝承、物語は数多く存在する。それだけ人間が悲劇というものに愛着をもつが故に、その悲しみの種類は多岐にわたり、また復讐劇や愛憎劇といった新たな物語への架け橋と成る。

 そんな数多の悲喜交々の物語の中、『最古の悲劇』と称される神話がある。

 勿論、数千年前、数万年前といった具体的な数字を示すものではなく、あくまで現存する物語の中で文章として残っている物の内で最も古いもの、という意味だ。

 神話の名はメソポタミア神話。原初の悲劇を綴った粘土板は、最古の英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』と同時期に同じ地域で出土した。古来においては『すべてを見たるひと』と呼ばれていた十二枚の粘土板から成る英雄譚に比べ、原初の悲劇を綴った粘土板は女神の生誕と持ち得る権能や特徴で一枚、女神の辿った道筋をその末路まで綴った三枚、合計四枚と、少ない枚数で完結する。

 とある女神に降りかかった八度の裏切りと喪失を描くその物語は、物語と言うには事務的な文体で書かれていたが、五度目と七度目、そして八度目の最後の裏切りと喪失はギルガメシュ叙事詩と完全にリンクしていたため、そこから類推する形で悲劇は紐解かれた。

 

 物語の冒頭を題名と見做す習わしから言うのならば、その神話の名は『千の剣を鎧う女神』。

 

 後世、耳馴染みの良くなった通名を挙げるのならば、その悲劇の神話を万民に広める切っ掛けとなった小説の題名から――『報われない話』と、そう、呼ばれている。

 

 かの女神に降りかかる災難は、生まれた瞬間から始まっていたといっても過言ではない。

 原初の混沌、あらゆる生命が融けた塩水である女神ティアマトから生まれた女神は、いわばティアマトの下位互換とでも言うべきスペックを所持していたと考えられる。ティアマトの毒ではなく混沌から生じたかの蛇龍はティアマトとはまた違った『母体』であり、天地創造の後継機であり、新たな生命の可能性を秘めた系統樹の種であり、母なる混沌を擁する女神であるが故に、既に母たるティアマトの存在する神話世界において、彼女はそれらに成りえる資格を持ちながら、決してそう成れない宿命を負っていた。

 その上、母ティアマトが望んだ心故に天変地異の具象としてはちぐはぐで、神としても成り損ないの部類に入る。そして神格を持って生まれたために人間らしい優柔不断な心根は否定され続け、蛇としても龍としても、そう生きるには過ぎた権能故にただの一生命でも在れず、怪物としても堕ち損なう。

 『蛇王龍』の異称すら、王として持ちえた筈の権力も地位も、既に別の蛇体の神のものとなっていた為、実権を伴わない象徴的な位、『蛇帝龍』の位に押し込められ、その威容による圧倒的な畏怖によってただただ信奉されるだけの存在に成り上がった(・・・・)

 それに伴い、ありとあらゆる虚偽を看破し、真実を見定め、千里眼とも称された瞳、万物を睥睨し、心胆を据えた者でなければ呑まれてしまう威容を宿す蛇王龍の睨眼も位階を上げ、直視した者の心臓を鷲掴みにするような威圧感に満ち満ちてしまい、並の人間ならば真を見抜かれると同時に一瞥で心を壊されるような眼光を放つようになってしまったという。

 これによって女神への畏敬は強められ、敗者側の神格とは信じられない程に重要視された。彼女に関しては日本の『祟り神』への信仰に近いものを感じる。要するに『信じ、崇め、奉らせ、慰霊に勤め、神の位階を与えるから大人しくしていて欲しい。祟らないで欲しい』という意図で以て、ダラ・アマデュラという女神は信仰されるのだ。

 万物の長たるに相応しい何者にも通じるが、真実それらと定義し、一つの型に納める事が出来ない何者か。そのような者であるが故に、彼女の強靭極まる肉体以上に強固な概念、ないしは理と呼称できる超常的な宇宙の法則によって、彼女は竜殺しでも神殺しでも命を落とすことは無い。何者にも成り損なうが故にあらゆる致命傷から逃れられてしまうのだ。

 その上で彼女の悲劇を生み出す最大の要因と成ったのが、女神ティアマトが彼女に与えた憐憫という名の呪いである。

 『憐れなままで、可哀想な仔のままで、ずっとずっと、(いと)しいままで在りなさい』。

 原初の神の呪詛は、ティアマトが死した後も効力を発揮し続けた。心の底から、本心から発せられた呪詛は、彼女をより哀れむために他者の存在を必要とする。

 女神ティアマトが思う最も悲しい事は、哀れだと感じる事は『裏切られること』であった。

 故にこそ、ティアマトの呪いは他者を彼女の下へと呼び続けた。

 

――娘が好意を抱く者があれば、その者は彼女の心に傷を付けられるでしょう。

――もしも娘と心を交わした者があれば、その者は一度だけ彼女の身体に傷跡を残す権利が与えられて。

――もし、もし万が一、娘と情を交わせる者があるならば、その者にこそ、生殺与奪は委ねられる。

――これこそ、何にも侵される事のない娘に許された、とても残酷な死への希望。

――信じ愛する者の裏切り以上に、哀れな事などないでしょう?

 

 これが、愛する我が子に裏切られたティアマトが、娘であるダラ・アマデュラに強いた呪い。

 壊れず、損なわれず、変わらず、死なず、永久に滅びない存在であるはずのダラ・アマデュラに与えられたそれは、不死殺しの武器や権能(きぼう)の手から彼女を遠ざける要因ともなってしまった。

 つまるところ、彼女に与えられる死とは、愛する者からのみ与えられる、そう決定付けられてしまったのだ。

 これこそが、生まれた瞬間から彼女に約束された哀れな末路への第一歩である。

 

(中略)

 

 さて、序盤で述べたが、裏切りの系譜をここで一度おさらいしておこう。

 まず一番最初の裏切りは何度も述べた通り、ダラ・アマデュラの母、女神ティアマトによって行われた。

 原本である粘土板にも詳細は書かれておらず、かの女神も裏切ったという意識は無かったようであるが、『ギルガメシュ叙事詩』から僅かばかりの解釈の余地を与えられた『何も残らない話』では、生まれた直後に与えられた呪いの言葉、つまり生誕の否定を裏切りと捉え、これを一番目の裏切りに挙げている。

 つまり一番最初の裏切り者は『愛する母親』で、失ったものは『生まれた意味』である。

 ほとんどその身一つしか持ち物の無い女神から欠落していくのは、そういった概念的な形の無いものの他、他者の生命といったものまで含まれる。そしてそのいずれもが残酷に、無残に彼女の手から零れ落ちる。

 こういった悲劇の主役に生粋の神が選ばれるのは珍しい事で、なかでもこの女神のように何度も何度も僅かに持ち上げては奈落の底まで落とす、といった風に語られるものはそうそう無い。

 救いを見せた瞬間、僅かな心の高揚ごと強かに地に叩き付ける無残な仕打ちは、思わず「彼女が一体何をした!」と天を仰がずにはいられない。

 一番目は母親から、そして二番目の裏切りもまた、肉親の手によって与えられる。

 二番目の裏切り者は『信頼する兄』であったギルタブリルで、失ったものはメソポタミア神話で語られる通り『愛する母親の命』と『権能の自由』である。

 これらについては前節にて解説したため、ここでは割愛させていただくが、望んで良いと言ってくれた一番最初の存在に裏切られた彼女の結末は、何ともすっきりしないものになったという事だけは述べておく。

 

 さて、三度目の裏切りだが、これは神々の想定を覆し、約定の無効化を匂わせる一手となった出来事でもある。

 これ以降の裏切りは、神々ではなく人間が主体となってなされるのだが、彼ら彼女らの裏切りは常に、裏切る側である自分自身の心をも裏切った。

 そう、この『千の剣を鎧う女神』における裏切りの大部分は、数多の裏切りの物語の中でも珍しく、裏切った側にも同情の声が寄せられる程、切なく悲しい裏切りなのだ。

 その先駆けと成る第三の裏切りも、誰が悪い、と一言で言ってしまうには含む部分がある。

 愛する母を失い、信じた兄弟に裏切られ、大事な眷属は封じられ、その身を一所に拘束されたダラ・アマデュラは、失意の内にあった。峻厳な山々に囲まれた過酷な大地で、漫然とそこに在るだけの存在になり下がった女神の、その一瞥だけで万民の生命を儚くさせてしまう瞳に光は宿らず、伏せた眼窩には昏い絶望だけが横たわる。

 毎日口ずさんでいた筈の旋律は、もう二度と彼女の口から溢れることは無いだろうと、その時までは誰もがそう思っていたのだ。

 しかしある日、彼女の元を訪れる人影があった。山々の尾根を通り抜けて来たのだと朗らかに笑ったその青年は、満身創痍の身体に幾重にも傷を残しながら、遥か高みで首をもたげるダラ・アマデュラに向かって固い掌を差し向けた。

 青年の行動は蛮勇であった。古代メソポタミアにおいて蛇と牛は特別な意味を持つ聖獣であり、強大無比な力を誇る獣であった。青年もそれは骨身に染みて理解していたはずなのだが、どこでその反骨精神を培ったのか、彼は神々が束になって死力を尽くしても敵わなかった蛇龍を一目見に来たのだ。

 青年の名はドゥルバル。結び目(dur)開く(bar)者を意味する名を冠する彼が彼女の下へ至ったのはある意味必然かもしれない。

 屈託のない笑みで手を差し向けたドゥルバルにダラ・アマデュラは瞠目し、次いで山に絡みついているために動かせない腕の代わりにそろりと巨大な尾を動かし、触れても身を損なう事のない剣鱗の腹を差し向けたという。

 こうして考えなし故にダラ・アマデュラの度肝を抜いて見せた青年と、失意の底にあった女神の交流は始まったのだが、その詳細を粘土板から窺い知ることは出来ない。

 四枚程度の粘土板に纏められた女神の話は簡潔で、彼らの交流も三行の内に納められてしまっている。

 曰く「ドゥルバルはダラ・アマデュラの住める峻厳の尾根に家を構え、そこに住まいながらかの女神に自らの旅路を語って聞かせた。その返礼にダラ・アマデュラは久しく忘れていた歌を唇に乗せ、ドゥルバルの旅路を讃え、その疲労を癒した。その内に女神と青年は、友となっていた」そうだ。

 翻訳叙事詩(というには些か感情的なきらいがあるため、私は密かに翻訳小説と呼んでいる)である『報われない話』では、「神を相手にするには考えられない程に無礼な振る舞いが、ダラ・アマデュラには心地よかった。市井の出らしく、粗野で率直だが飾らない言葉、身振り手振りといった大雑把な態度に表れる気安さが、彼女にとっては新鮮で、なにより真っ直ぐ心に届いた。」と、彼らの交流を描いている。

 一番最初の、なんの呵責もない会話というものは、彼女にどれほどの歓喜を抱かせただろう。叙事詩では言葉を尽くしてその喜びが語られているが、粘土板ではご覧の簡素さ。しかし、なにも叙事詩が大げさに誇張している訳ではないと解るのは、その後に待ち構えている裏切りに打ちひしがれるダラ・アマデュラの描写が、簡潔ながらも密接な関係を匂わせる風であるからだ。

 山を越え、神々の約定を超えてきた青年は、哀れな境遇の女神と友誼を結び、そして病に伏せていた妹のために、不朽不滅を成すダラ・アマデュラの血肉に万能の霊薬という効能を求めて透かし視てしまったのだ。

 勿論、ダラ・アマデュラの血肉にそんな効果はない。彼女の身体は世界・生命の礎にこそなれるが、万能の霊薬というには生命力に満ち溢れすぎている。基本的に掠り傷すら付かない肉体を持つ神の血を受けて、人のままでいられるはずがない。

 それでもドゥルバルは弩に手を伸ばした。在りもしない可能性に縋って、病床に伏せる妹の為、無二の友に向けて弓を引いた。

 涙を流しながら放った弓は、狙い違わず彼女の胸に突き刺さった。しかし、ティアマトの紡いだ呪詛によって傷ついた身体は流血こそ許したものの、その鼓動を止めるには至らなかった。ドゥルバルは彼女にとって心を交わした者であり、情を交わした者ではなかったからだ。

 この記述によって、ダラ・アマデュラを殺し得るものがダラ・アマデュラの『伴侶』のみと判明したのだが、それは一度置いておく。

 ドゥルバルの裏切りの理由を知ったダラ・アマデュラは、傷心し呆然としながらもその罪過を許した。家族の為に辛い選択をした彼に、かの女神は尊敬の念すら抱いたという。

 けれども流される血の赤色に、陰った瞳に、身体も心も傷付けたことを理解したドゥルバルは、その赦しに頭を振って泣き喚いたとされている。良心の呵責に耐えられなかった彼は、血に濡れた鱗を抱えて山を去った。その退去こそ、何よりダラ・アマデュラを傷つける所業だと知っていたにも関わらず、彼は己が犯した罪に耐え兼ね、自分を赦した慈悲深い女神から逃げたのだ。

 これが第三の裏切り。希望を魅せつけ、そっと陰って消えた鮮やかな友情の残照は、ダラ・アマデュラに孤独の冷たさを知らしめた。

 

 それからも、彼女は裏切られた。

 四度目の裏切りは、死にたがりの兵士・シュガルによって齎された。仕えた主人の後ろ暗い秘密を知ってしまった彼は、主人から追手を差し向けられ、信じていた同僚から裏切られ、這う這うの体でダラ・アマデュラの住まう千剣の山まで落ち延びた。

 裏切りを経験した者同士である彼らの交流は、傷を舐め合う獣のようにもの哀しくはあったが、まるで父と子の間柄のような穏やかなものだったという。そこにドゥルバルとの対話のように底抜けの明るさや煌めく陽のような楽しさは無かったと想像する。しかし、きっと傷付いた二人の間には優しい時間が流れていたと私は信じたい。

 では裏切られた者同士であるはずのシュガルが、どのようにしてダラ・アマデュラを裏切ったのか。

 シュガルがダラ・アマデュラの下に辿り着くまでに負った傷が悪化し、病を患ったことが、彼を裏切りに走らせた原因であり、彼を追って主人の手の者がダラ・アマデュラの元までやってこようとしていると、遠くを見晴らすダラ・アマデュラに告げられたことが決め手であった。

 事の経緯を思えば、彼の裏切りはある種の優しさでもあったのだろう。ダラ・アマデュラは追手から彼を匿うつもりでいたのだが、病に侵されていたシュガルは己の死期を今と定めてしまった。

 故に、彼はダラ・アマデュラに向かって大剣を振りかざし、その剣鱗を僅かに削り取ったのだ。そして、ダラ・アマデュラが彼の死を気負わぬようにと、思いつく限りの罵詈雑言を彼女に向かって投げつけ、欠けさせた鱗を「せいぜい高く売り払ってやる」と背を向けた。

 全てを見抜くダラ・アマデュラは、当然シュガルの心を伴わない、形だけの裏切りに気付いていた。これは裏切りでも何でもないと、ダラ・アマデュラは彼の捨て身の優しさに哀しみ、血を吐くような声で呻いたという。

 けれども、既に述べた通り、ダラ・アマデュラは神々との約定によってその身を拘束されていた。神が絡まなければ山から離れる事すらできない彼女に、死に向かって遠ざかっていく友を留める術は無い。

 ダラ・アマデュラは数多の言葉を尽くして彼を引き留めようとしたが、既に覚悟を決めたシュガルは、ただ一言、己が欠けさせた剣鱗、大剣の如きその欠片を墓標にさせてほしいと振り向きもせずに言い放ち、そのまま山を離れ、死闘の末に鱗の大剣を抱いたまま山間の谷に身を投げて死んだ。

 千剣の山の上からその様を見ていたダラ・アマデュラは声なき声で友の名を叫び、心臓を振り絞るように泣き続けた。

 約定によって戒められた肉体を引き千切らんばかりの慟哭に、けれど神々は気付かない。どれだけ喉を嗄らしても、大気はか細く震えるだけで、彼女の悲痛を誰かに届けることなどできなかったのだ。

 もしもこの時、彼女の叫びが世界を渡っていたのならば、五度目以降の裏切りは無かったかもしれない。

 しかし、神々によって戒められた激情は、ついぞ誰の耳にも届くことは無かった。

 そうして起きた五度目の裏切りは、シュガルの追手であったある兵士が齎したダラ・アマデュラの鱗の大剣の話によって導かれた。

 死兵と化したシュガルからなんとか逃げ延びた兵士が語った、世にも稀な美しさを持つ不壊の剣鱗の話に、ある女神が興味を持ってしまったのだ。

 メソポタミア神話における愛と美の女神であり、その他に戦や豊穣、王権といった多くの強力な神性を司る女神、イシュタルの関心を引いてしまった。

 創世神話『エヌマ・エリシュ』に語られこそしなかったものの、アヌやエンリル、エアといったシュメールにおける最上位の神々に勝るとも劣らない信仰を受けた女神は、此の世の至宝とでも言うべき美しさを有していた。それは司るものから見ても当然わかるものだろう。かの女神はローマ神話のウェヌス、ギリシア神話のアフロディーテといった名だたる美貌の女神の原型ともされている。

 水神アヌの娘であり、双子の兄に太陽神シャマシュ、姉に冥界の支配者エレシュキガルを持つ――辿ればダラ・アマデュラの姉に相当する女神イシュタルは、自身の持つ『(イシュタル)』の名のように煌めく白金の鱗を欲し、120人の恋人に代わる代わる閨で囁いたのだ。

 

「生命の息吹の薄い山々の奥深く、千剣の山に住む蛇帝龍(ダラ・アマデュラ)の輝く鱗を、私に捧げなさい」

 

 愛情を持たれている内は良いが、冷めた時は惨たらしい末路が約束される女神からのおねだりに、男たちは嬉々として、あるいは恐々としながら、イシュタルのためにと山へと足を向けた。

 しかし、イシュタルは忘れていたのだ。創世神話の神々、英雄神マルドゥクですら傷一つ付けられなかった永遠の象徴に神々が手を伸ばす意味を。ダラ・アマデュラは創世神話以降、役割らしい役割すら与えられずに神話世界の片隅に存在していただけの神格だ。強いて役割を挙げるとするのならば、それは『限定された条件下での報復行動』と『歌を歌い音楽を奏でること』―神事に携わる許可―だろう。それも特に発揮されずにいたのだから、新しい神格の中にはダラ・アマデュラの不朽不滅の肉体や神殺しの力はすでに衰えたと思う者もいた。

 イシュタルもまた、それらの神格の内の一柱だったのだ。神々すら畏れるエビフ山を下したイシュタルは増長し、慢心していた。

 ダラ・アマデュラの不壊の鱗が剥がされた事実が彼女の背を後押しした。伝え聞く常軌を逸した総力戦の様子は未だに背筋を震わせるものだが、それ以上にあの美しい鱗が手に入るか否かがイシュタルにとっては重要だった。そこにダラ・アマデュラが妹だとか、そういう情や感傷は存在しなかった。

 故に、120人の恋人の内、心根が優しく気性が穏やかだった楽師の青年・バッバルフとダラ・アマデュラが意気投合し、歌と音楽を通じて親友になる事を想定していなかったのだ。

 バッバルフは他の恋人たちと違い、自分がダラ・アマデュラの下へと訪れた理由を最初から彼女に説明していた。「私の大切な、とても美しい方の為に、貴女様の鱗を一欠けら拝戴したいのです。」と正直に述べた青年に、ダラ・アマデュラは微笑んで、己の鱗を得る方法を提示した。すなわち、自分とバッバルフが真に友誼を結んだ上で、自分に刃を差し向けなさい、と。

 それを聞いたバッバルフは、たいそう悩んだという。悩んで、悩んで、悩み抜いて、一ヵ月ほど経っても悩んでいたため、ダラ・アマデュラが退治するわけでもないのに、それほど悩まなくてもと慌てたほどに。

 そうして始まった二人の交流には、旋律がつきものだったという。

 そもそもダラ・アマデュラは、神々に新しく役割が割り振られる以前より『歌舞音曲を司るもの』として生まれた女神である。舞こそ形骸化されてはいるが、女神ティアマトの慰撫には必ず彼女の旋律が用いられていた。

 古代メソポタミアにおいて祭祀には音楽がつきものであり、歌とは即ち神々へ捧げる祈りであり、賛美であった。秩序によって支配された世界で、彼女の役割は大々的に知らされるものではなかったが、祭祀において彼女の役割、権能である『歌と音楽』を用いる事そのものが彼女への信仰と同義であったと考えられる。

 つまり、人々が意識するしないにかかわらず、ダラ・アマデュラは礼賛され信仰されていた。それも、他の神々より圧倒的な人数で。なにせ彼女は『歌舞音曲を司るもの』――つまりは『祭祀を司るもの』である。いつ何時誰かが何処かでどの神に祈っても、そこに歌と音楽が存在するのであれば、それは同時に彼女への祈りでもあるのだ。

 

 閑話休題。

 つい話が逸れてしまったが、兎に角、バッバルフとダラ・アマデュラは『音楽に携わるもの』という共通項によって友情を深めていったのだ。メソポタミアにおける音律の祖ともいえるダラ・アマデュラより手ほどきを受けたバッバルフの技量の上昇は目覚ましく、彼等の関係が友人同士から師弟へと変化したのはある意味当然の帰結と言えた。

 旋律を奏でる事こそ己の命題とすら考えていたバッバルフは、やがて最初の目的を忘れたいと思うようになった。傷付けることを前提とした関係に嫌悪感すら覚え、女神イシュタルの微笑を得るか、女神ダラ・アマデュラの微笑みを守るか、彼の中で天秤は平行を描き、徐々に後者に比重が偏るようになっていったのだろう。

 

「確かに、貴女様の剣鱗は天に輝く星々のように美しい。けれども、それ以上に貴女様の心根こそ、何より尊い至宝でしょう。我が愛しの女神イシュタルの微笑も麗しく、出来ることならばこの身にそれを賜る栄誉をと望みますが……それはもう、貴女様を傷付けてでも欲しいものではないのです」

 

 そう言ったバッバルフに、ダラ・アマデュラは滂沱と涙を流した。それに慌てるバッバルフと共にあたふたしながら、それでもダラ・アマデュラは、粘土板にて語られた、まるで感情に閾値が設けられているようだと感じたような情動の制御など働かない、素の感情も露わに、泣きながら微笑んだという。

 心に鍵のかかった彼女を解き放った、なんとも和やかで心温まるエピソードだと思う。ここで物語が終わるのならば、私は満ち足りた心地でベッドに入れたことだろう。

 しかし、これは裏切りの物語なのだ。他者を慮る優しい女神を裏切り、愛しい誰かを想う来訪者自身の絆を裏切る、救いのない物語。それが『報われない話』と訳された記述である。

 故に、私は最初に彼らの末路を読み終えたとき、溢れ出る涙で紅茶を台無しにし、ついで枕を水浸しにし、夢の中でも大いに泣いた。

 バッバルフによる裏切りは、重要なターニングポイントでもある。バッバルフの訪れは彼自身の意志でもあるが、それ以前に女神イシュタルの要望あっての訪れであるのだ。これは前に書いた神々の約定を侵すものである。忘れてしまっている者は今一度ここで再確認して欲しい。

 約定の内容はこうだ。「如何なる理由があろうとも、蛇帝龍(ダラ・アマデュラ)の庇護下にある者、友誼を結んだ者、信頼関係にある者を傷付け、貶め、損なう事があり、それが神々の恣意的に齎された直接的ないしは間接的な介入によるものなれば、千の刃に掛かる戒めの全ては意味を失う」。

 ここで注目して欲しいのが後半の文脈にある「神々の恣意的に齎された直接的ないしは間接的な介入」という一文なのだが、女神イシュタルは現時点でこの約定に手をかけている状態にある。私がこの約定を引っ張ってきた時点で、もう読者もお分かりだろう――女神イシュタルは、王手をかけたのだ。ダラ・アマデュラの鱗が欲しいという発言で動いた恋人たちは「恣意的に齎された直接的ないしは間接的な介入」に相当する。そしてここで一番重要な文脈である「蛇帝龍(ダラ・アマデュラ)の庇護下にある者、友誼を結んだ者、信頼関係にある者を傷付け、貶め、損なう事」を、かの女神は行ってしまったのだ。

 これが切っ掛けで女神イシュタルは女神ダラ・アマデュラの逆鱗に触れ、以降、天敵となったかの蛇龍と殺し合う事になる。そのため、バッバルフの裏切りはターニングポイントとして数多の研究者の口に上ることになるのだが……それを抜きにしても彼の末路は悲惨極まりないと、数多の人々を涙の海に沈めた。

 ダラ・アマデュラを裏切れなくなったバッバルフは、けじめをつけると言って山を下りた。ダラ・アマデュラの下で鍛え上げられた楽器の腕前は神々すら聞き惚れるだろうと太鼓判を押された彼は、それを奏で捧げることで女神イシュタルの願いを無下にした詫びにあてようと考えたのだ。

 そんな彼に、ダラ・アマデュラは今までになく晴れやかな心持で自らの鱗を持っていってほしいと言ったという。お守り代わりだからと懇願するダラ・アマデュラに根負けした彼は、きっとこの鱗をダラ・アマデュラに返しに戻ると約束をして鱗をはぎ取り、故郷へと足を向けた。

 そしてダラ・アマデュラは約束を信じて、バッバルフの再訪を待ち続けた。

 待って、待って、待ち続けた。

 楽師である彼が、今度はどのような旅路を歩み、そしてどのような歌にして自分に聞かせてくれるのかを楽しみにしながら、ダラ・アマデュラは千剣の山でじっと待ち続けていた。

 しかし、バッバルフは戻ってはこなかった。

 いや、この言い方では語弊がある。バッバルフは、正確には戻ってきた。ただ、彼の身体は――生きる事を、止めていた。

 峻厳な山々の尾根を死に物狂いで駆ける荷馬車があった。馬を操る男の顔は恐怖をあらわしたまま固まり、かみ合わない歯の根を盛大に打ち鳴らしながら、ダラ・アマデュラの下まで駆け付けた。

 女神イシュタルの恋人の一人を名乗る男は、震える手で荷馬車の覆いを外し、息も絶え絶えに、それでも懸命に、恋敵であり友人であったバッバルフの事の顛末を吐き出した。

 曰く、「バッバルフは、女神イシュタルに殺された」と。

 バッバルフの死体は、酷い有様だった。美しい旋律を生み出していた白い指は全て潰されてひしゃげ、楽器を支える腕はぶつ切りにされてそこかしこに転がっていた。何処までも旋律を届けられるようにと、ひっそり鍛えていると言っていた逞しい脚は軟体動物のようにくねりとまがり、二つのとぐろを巻いていた。

 あまり、歌う事は得意ではないと言いながら、歌う事自体は好きだった彼の喉は、獣に食いちぎられたかのように無残に刳り抜かれ、ぽかりと空いた口腔は赤黒く汚れていた。そこに、肉厚で形の良い舌が、二つに裂かれて覗いていた。

 そしてその心臓に突き立てられた己の鱗を視認して、ダラ・アマデュラは何度目かの絶望を味わった。

 己の鱗が彼を殺したのかと、ダラ・アマデュラは運び手に問うた。が、運び手は、そうであって欲しかったと、その方がまだ楽に逝けたのにと、青ざめた顔でさめざめと泣いた。

 バッバルフは、女神イシュタルに旋律を捧げる間もなく嬲り殺されたのだと、男は言う。

 ダラ・アマデュラとイシュタルを天秤にかけて、ダラ・アマデュラを取ったことが気にくわなかったのだろう。

 「そんなにあの蛇が良いのなら、お前も同じような姿にしてやるわ」。そう言って、バッバルフの四肢は、舌は、無残に潰されて裂かれたのだ。

 咄嗟に彼がダラ・アマデュラの剣鱗を抱き込んで守ろうとしたことも腹立たしかったのだろう。自分が望んで求めたきらめきを自分に捧げるでもなく、お守りとして渡された大事な預かりものだからと、自らが傷ついてでも守ろうとする様に、イシュタルの理性は切れた。

 生きたまま四肢を潰され、迸る絶叫が耳障りだと舌を裂かれ、喉を潰された。痛みによるショックで死んだのか、失血によって死んだのか、それは解らないが、ダラ・アマデュラの剣鱗がバッバルフの胸に突き立てられたのは、彼がピクリとも動かなくなってからだという。

 イシュタルは彼の血に塗れた鱗を、まるで不浄のものを扱うかのようにしてバッバルフの死体に差し込んだ。そうして死者を辱めながら、イシュタルは恐れ戦く恋人たちに新しい綺麗な鱗を所望した。

 「こんな罪人の血肉に塗れた鱗なんて要らないわ」そう言って、無残な死体を一顧だにすることなく立ち去ったという。

 あまりにも惨い仕打ちに、神々さえ魅了する美貌に囚われていたはずの男は、それこそ百年の恋も冷める勢いで女神を恐れ、彼女の願いを叶えようとする体で彼の死体を抱えてここまで運んできたのだ。

 女神に罪人とまで呼ばれた死体が、まともに葬られる事はないだろう。そう考えた男は、お守りとして鱗をバッバルフに渡した……その鱗を以ってバッバルフの助命を暗にイシュタルに乞うたダラ・アマデュラの下であればと、馬を潰す勢いで山々を超えて来たのだ。

 

 バッバルフはダラ・アマデュラを裏切ることなく山を去った。けれど彼は、死んだ事で彼女との約束を破った。

 こうして第五の裏切りは当人たちの意図せぬ内に成された。

 そうして失ったのは『愛弟子の命』とその『名誉』。初めて己の権能による加護を与えた他者の死は、育んできた関係の眩さに比例して彼女の心を昏く染める。

 

 バッバルフの遺体を運んだ友人、サギという名の男の言葉に、ダラ・アマデュラは生まれて初めて心の底から誰かを憎悪した。神々との戦いにおいても肉親の情から決して理性を手放すまいとした女神は、一瞬で全身を駆け抜けた虚無感と悲哀に後押しされて……そして、失うものなど何一つ残されていない事も相まって、頑なに守ってきた一線を容易く越える。

 それは即ち、女神の出陣。約定によって是とされ、成就を期待された女神の報復は、彼女の怒声から始まった。

 地を震わせ、山を崩し、天を裂いた咆哮によって神代に齎されたのは凶つ星の化身、女神ダラ・アマデュラが生み出した彼女の先兵、天彗龍とも、銀翼の凶星とも呼ばれる女神の眷属「バルファルク」である。

 ウルクの人々からは「バルフルキ(〈外界への扉を開く聖なる流星〉の意)」と呼称されるこの眷属群が現れることは、ウルクにおいてダラ・アマデュラが外界へと身を乗り出した事の先触れであり、いずれかの神々がかの女神の逆鱗に触れたことの証左でもある。

 彼等は女神ダラ・アマデュラと違って慈愛や優しさとは無縁であり、人間への共感や慈悲はゼロに等しい。が、其れにも増して神々への好感度はマイナスどころか底辺であるらしく、彼らの母とも呼べるダラ・アマデュラの無意識の願いもあって人間へ配慮するだけの理性はあるとされている。

 基本的にダラ・アマデュラの為に生きて死ぬことが彼らの本望。彼女の悲しみに涙し、彼女の喜びに歓喜し、彼女の怒りでもって憤怒を示す、いわば彼女の心に寄り添い続ける存在である。

 それ故に、彼女では影響力が大きすぎるために押し殺し続ける憎悪や憤怒を代行する存在でもあるのだが、女神イシュタルとの争いにおいては代行ではなく、ダラ・アマデュラの煮詰まった憎悪の余波が形を成したものとして行動する。

 女神ダラ・アマデュラの咆哮によって凶星は流れ落ち、大地は震えて山は崩れ、木々は呼吸を止めた。飛ぶ鳥は落ち、泳ぐ魚は水底へ、走る獣はその場に固まって横倒しに倒れ、無駄と知りながらか細く震えて息を潜める。創世の神々はかつての戦争を思い出して一目散に己の住処に逃げ込んで戸を閉ざし、新しい神々は言い知れぬ恐怖に心臓を走らせて小さく縮こまった。人間はといえば、突然聞こえて来た恐ろしい咆哮に皆、一度心臓を止めて死に、生きたいと慄く心で生き返り、パニックになりながら神殿や家といった、己が最も安全だと信じる場所へと駆けこみ、家族と抱き合って流星が駆け抜ける空に怯え続けた。

 王は民を守るべく兵をかき集めて拠点の守りに当たらせ、神殿の祭祀から古の約定が破られたことを耳にして、怒気も露わに女神イシュタルを声高に罵ったという。なにせ、女神イシュタルは王の治めるウルクの都市神であるのだから、女神ダラ・アマデュラの怒りはウルクにまで及ぶと考えて当然であった。移動するだけで地形をしっちゃかめっちゃかに変える巨大な竜が迫ってくるのだから、その原因に対して怒るのは当然だろう。

 王の懸念した通り、銀の竜たちは元凶である女神イシュタルの下へ、彼女のエアンナへと殺到した。イシュタルを出せと吠える竜たちに、当のイシュタルは何食わぬ顔で罵倒の言葉を並べたと言う。

 生憎、その罵詈雑言の詳細については不明であるが、イシュタルはバッバルフを、ひいてはダラ・アマデュラを罵倒したようで、その言い様はやりとりを聞いていた巫女長が青ざめ、思わず耳を塞いでしまうほどに酷いものだった。

 当然、己の主人を扱き下ろされた眷属たちは怒り狂い、約定が保証するままにイシュタルのエアンナを荒らし回った。そして当然のように、己の寝所を滅茶苦茶にされたイシュタルも同様に怒り狂うのだが……それ以上に憤怒に呑まれたダラ・アマデュラが放った神殺しの熱線によって、イシュタルの怒りは恐怖に挿げ替えられることになる。

 危機一髪で回避したそれに込められたのは、自分は絶対に殺されないという慢心を一笑する程に濃厚で明確な殺意である。途方もない熱量を孕んだ熱線は、通り過ぎるだけで草木を焼いて空気中の水分を蒸発させ、空に浮かぶ雲すら乾かし、周囲を死の荒野へと変貌させた。

 そんな神すら殺せる太陽の如き熱線が、次から次へと放たれるのだ。イシュタルは一気に下がった血潮を凍らせながら、死に物狂いで逃げ惑った。

 天の女主人を意味するイナンナの名を持つイシュタルは、天空神アヌの代行を務められるほどの強権を持つ女神だった。女神イナンナ、つまり女神イシュタルはシュメルの女神の頂点に立つ神で、力では決して敵わず、なおかつ逆境にあればあるほど力を発揮する女神なのだが、それほどの力を持つ彼女でさえ、旧き神の持つ守りは崩せなかったのだ。

 これについては諸説あるが、多くの学者が言う事には、この力関係は偏に各々の女神を構成する要素や権能が関わってくるという。何度も言った通り、ダラ・アマデュラは芽吹かぬ星の芽であり、何者にも成り得るが完成はしない、未完成であるが故の不死性を持つ。その上、母たるティアマトから与えられた肉体と呪いで死に方を限定された女神を殺すことは、たとえ金星の化身であるイシュタルでも不可能。さらに、ダラ・アマデュラの肉体は混沌で出来ている。この生命を生み出す原初の塩水は、ダラ・アマデュラを決して完成させることは無いが、逆を言えば未完成であるがイシュタルを封殺できる何某(・・・・・・・・・・・・・)かの性質を得る事が可能なのだ。

 少々乱暴だが、粘土板で語られる通りに女神ダラ・アマデュラが女神イシュタルを圧倒するのならこれくらいの強さが必要なのだ。

 

 さて、話を戻そう。

 イシュタルに対する一方的な蹂躙に、けれど決定打となる一撃は決まらず、世界は無為に死の国へと近づいていく。これでは羊が、民が乾いて死ぬと王とその友が身を乗り出しかけた時――その女神は、姿を見せた。

 

 

 


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