百鬼夜行 葱   作:shake

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第一話 「天然転生者」

 エドガー・ヴァレンタインが埼玉県麻帆良市に移り住んでからそろそろ四年になる。越して来た当初は”故郷”と全く異なるこの町並みに違和感を覚えていたものだが、何時の間にやら慣れていた。住めば都と云う程気に入ってはいないが、色々と便利ではある。

 煉瓦が敷き詰められた異国情緒溢れる道をブラブラと歩き、目印としていた店の横に在る狭い路地に入る。暫く進むとコンクリート製の塀が見える――が、これはダミーだ。壁に手を当て二秒待つと、指先にあった硬い感触は消え去り透過出来る様になる。指紋認証システムの付いた結界なのだ。

 壁を隔てた先に在ったのは、和風洋風建築の入り混じった住宅街である。中世欧州風の学園都市。その位相をずらした異界には、江戸後期から現在までをごった煮にした様な町並みが広がっていた。そこを歩くのは人ではない。世界各地に偏在する妖怪、幻獣、妖精その他である。

 足長手長が客引きをする旅籠。博打場に入るドワーフ。エルフの女給が働く喫茶店。コンビニから出て来る猫又。牛鬼や一角獣が荷車を牽く横で吸血鬼がハンバーガーを齧る。車は走っていないのに、道はアスファルトで舗装されている。

 そして空には”ピレネーの城”の様な謎のオブジェが浮いている。一部和風であったり凶悪極まりない砲台が備えられていたりとこちらも無節操だ。

 これが麻帆良学園都市の裏の貌――と言うよりは、実は妖怪の総本山としての麻帆良を隠す為に学園都市が設立されていると云うのが正解である。主に在るのは此方側であり、『日本における西洋魔法使いの拠点』と云う『表の裏』の貌も、これらを誤魔化すカムフラージュに過ぎない。

 そんな場所を歩くエドガーは一体何の妖怪変化かと言うと、妖怪ではなく新米仙人である。ついでに言えば所謂天然転生者でもある。しかも今回で四度目の。

 

 初め、と言うか主人格が形成されたのは、ファンタジーやメルヘンが御伽話として片付けられる二十世紀末から二十一世紀初頭の日本。一般的なサラリーマンとして過ごし、車に撥ねられ三十年の生涯を閉じた。

 そして、対霊騒動駆除等除霊作業に国家資格が存在する世界――と言うか、漫画”GS(Ghost Sweeper)美神 極楽大作戦!!”に酷似した世界に転生した。当初こそ驚いたものの、そう云った展開の二次創作小説はよく読んでいたので混乱は少なく、お約束通りにGSとして生活していた。但し霊力の物質化に特化した霊能力であった為近接戦闘しか行えず(霊力で銃を創った事もあるが、射程が2m程度だった。霊波砲は全く使えなかった)、アシュタロス事件時にB級GSとして果てた。享年三十二歳であった。

 次に転生したのは”ゼロの使い魔”の並行世界だったと思われる。物語の千年程前の時間軸であったので確証は無い。トライアングルクラスにまで上り詰めたものの、御家騒動にて毒殺された。享年二十五歳。

 更に生まれ変わった赤子の時点で、恐らく寿命で死んでも生まれ変わるだろうと云う予覚が芽生えた。度重なる転生によって霊格が上がった所為だと考えられる。肉体依存の系統魔法は使えなくなったが、”ゼロ魔”世界で『言霊や特殊な文字に拠る力の制御方法』を体得していた為、霊力である程度は似た様な事を再現出来る様にもなった。これで生まれ変わっても人生イージーモードだろう……などと楽観していたのが拙かったのか。住んでいた町が突然滅ぼされると云う悲劇が起こり、流されるまま復讐者達の組織に編入された。組織の名は”ブルーメン”。今度は”ARMS”の世界だった。死亡フラグ満載である。実働部隊ではなく科学班に入り、カリヨンタワー崩壊まで生き延びたのだが、バンダースナッチに凍らされて死んだ。享年三十八歳。

 そして今生は魔法使いである。魔法使いの隠れ里で育ちアリアドネーの錬金術学校を卒業。錬金術に関する論文を基に二冊の本を上梓した事で一人前と看做された。前世で読んでいた漫画の続きが気になり来日した処でスカウトされて道士となり、つい先日功績が認められて仙人になった、表向きの職業が少女漫画家と云う変わり種だ。現在十四歳、中学二年生である。

 この世界が何と云う漫画の世界なのか、それとも原作の無い世界なのかは知らないが、今回くらいはせめて四十歳を越えたいと望んでいる……が、まぁ死んだ処で如何と云う事も無いとも思っている。元より思考が人外寄りなのだ。更に言えば霊格はベテランの神仙に近いので、この場においても偶に拝まれたりする。

 エドガー・ヴァレンタインはそうした男である。

 

 そんな彼はこの無国籍且つ無節操な街を五分程歩いて目的の場所に辿り着いた。二体の鎧武者に警備された和風の門。その警備員に通行証を見せて入った先に在る広大な屋敷。中に棲むのは仙人である。

 板張りの廊下を音を立てずに歩き、部屋の外から声を掛ける。

「入るが良い」

「はっ」

 襖を開けると、中は悠に百畳は下らない大広間。空間拡張妖術が用いられているこの屋敷の主は日本妖怪の総大将にして仙界でも五指に入る実力者、妖怪仙人 鼎遊教主(ていゆうきょうしゅ)、ぬらりひょん、近衛 近右衛門(このえ このえもん)である。妖術、仙術、魔法の三種を操る事から鼎遊の号が授けられたと言われている。

「面を上げよ」

「はっ」

 後頭部が異様に突き出た異形が、エドガーの瞳に映る。妖怪としてではなく、人間として過ごす場合もこの姿形を変えないのは何かのポリシーなのだろうか。一応、『教え子を暴漢から護る際に後頭部を負傷し、脳の腫れが治まるまでと頭蓋骨を拡張したのだが、腫れが引く迄に時間が掛かり過ぎた上頭蓋骨も大きくなったのでそのままにしてある』と云うカバーストーリーは存在しているが、学園での認知度は低いと言わざるを得ない。

渡世真君(とせいしんくん)よ。お主には弟子を採ってもらう」

「…………お言葉ですが教主様。私が仙人となってから未だふた月と経っておりませんが」

 一瞬『とうとうボケたかこの爺さん』と思いはしたが、何とか罵詈雑言を飲み込み常識的な意見を述べる。

 尚渡世真君とはエドガーの号であり、これは『世界を渡る』と云う彼の体質(?)からそのままである。

「通常数十年は掛かる道士の修行を、ダイオラマ魔法球を用いたとはいえ三年半で終えたお主が今更常識を述べて如何する?……何、理由は単純じゃ。その弟子候補が魔法使い見習いの人間で、来日の目的が修行課題を熟す為だからじゃよ」

「成程。この時期にその話をすると云う事は、件の弟子候補は今度麻帆良に来るだとか云う『英雄の息子』の片割れですね?」

 魔法世界における大戦の英雄、ナギ・スプリングフィールド。”千の呪文の男(サウザンド・マスター)”と称された彼の息子達、双子の兄弟グージーとネギ(宮司と禰宜に由来するものと思われる)。

 兄グージーは父親譲りの膨大な魔力と破天荒な性格で、弟ネギはそれなりの魔力を持つものの魔法を使えない体質なのだとか。にも関わらず兄弟共にメルディアナ『魔法』学校に通わされ、錬金術を学びたいと云う弟の望みは退けられ続けていた。『優秀な兄と不出来な弟、兄の努力により弟が優秀な魔法使いに』と云うストーリーを作りたいが為の稚拙な謀略の為である。魔法世界に存在する錬金術学校が、アリアドネーにしか無いと云うのも理由の一つであろう。兄弟を神輿にしたいMM(メガロメセンブリア)の手が届き難い国だからだ。

「その通りじゃ。錬金術、仙術、魔術、科学、近接格闘術の師としてネギ・スプリングフィールドを教導してもらいたい」

「仕事多過ぎませんかね!?」

 仙術を教えるだけでも通常数十年は掛かると、先程自分で言ったばかりであろうに。

「お主、自分が既にほぼ不老の身だと忘れておるな?別に何十年掛かろうが構わんから、彼にお主の全てを教えてやれば良かろう。大体、今言った技術の全ては密接に関わっていると言っていたのはお主自身じゃろうに」

「そう言えばそうでしたね……」

 ボケていたのは自分の方だったかとエドガーは反省する。

「まぁ聞いている様に、彼は二月から麻帆良学園本校女子中等部に教育実習生として入る。内弟子としてお主の家で預かってくれ。一月三十日午後に顔合わせを行う予定じゃが、寒波の影響で遅れる可能性も有るから、スケジュールを調整しておく様にな」

「了解しました」

「話は以上じゃ。弟子の育成に関して疑問や相談事が有れば応じるから、気楽に言ってきてくれ」

「はっ。お心遣い感謝します」

 頭を下げ、退出する。

 妖の街を抜けて人の住む場所へと戻り、エドガーはこれから先の事を考えた。

 思えばこれまでの人生で、他人にモノを教えると云う事が殆ど無かった。弟子を採るのは初めてである。PCを立ち上げ参考になりそうな資料を通販サイトで注文しつつ、弟子の育成プログラムをどうすれば良いのかと悩む。

 結局の処弟子の適性も分からぬ今からあれこれ考えても仕方が無いと気付いたのは、夜も白み始めた頃であった。

 

 

*****

 

 

 欧州を襲った寒波の影響で飛行機が飛ばず、スプリングフィールド兄弟が日本に到着したのは二月三日の早朝であった。

 当初は彼等と面識が有るだとか云う高畑なる教師が迎えに行く予定だったのだが、何故か兄が頑なに自分達だけで大丈夫だと言い張り(そう云うお年頃なのか?)麻帆良学園女子中等部に在る学園長室で彼等を待つ事となっている。

 現在一緒に居るのは学園長とエドガー、魔法関係者の渡良瀬 瀬流彦(わたらせ せるひこ)教諭と妖怪(絡新婦)で道士の(みなもと) しずな教諭である。渡良瀬教諭は魔法について知っているが妖怪や仙人については感知しておらず、源教諭は魔法使いについての知識は有るが表向き魔法関係者ではない。よって話題はこれから来る教育実習生の事に限られた。

 約束の時間を五分程過ぎ、矢張り迎えが必要だったのでは?と話している最中、突如扉が勢い良く開け放たれ

「どぉいうコトですか学園長ぉぉッ!?」

 と女子生徒らしき怒号が響いた。

 関東どころか日本最強クラスの魔法使いである関東魔法協会理事にこんな言葉遣いをする魔法関係者は居ない。日本どころか東南アジアの妖怪を率いる大妖に、その膝元で喧嘩を売る妖も存在しない。世界最高峰の仙人に無礼な態度を取る神仙も。なので彼女は魔・妖・仙とは無関係の一般人女子だろう。エドガーはそう判断した。

 実際飛び込んで来た人に目を向けると、妖怪愚鈍に美味しく食べられそうな髪型をした女子生徒だった。ジャージ姿なのは一時限目が体育だからか。

「……何の事じゃアスナちゃん?」

 学園長が長い顎髭を撫でながらそう尋ねる。どうやら知り合いらしい。困惑の表情が見られるので彼女の怒号の正体は分かっていない様だが。

「とぼけないで下さいよ!アレのコトですよアレ!」

 そう言って彼女が指差した先――入り口には生意気そうな赤毛の餓鬼が居た。世の中を完全に舐め切っているかの様な面構えだ。何処かで見た様な気がするなと思っていると、次に現れた少年と学園長の孫を見て気付いた。アレは、グージー・スプリングフィールドだ。目が合ったら豪く驚かれた後親の敵の様に睨まれた。「解せぬ」とエドガーは独りごちる。

 兎も角彼女の話を要約すると、「こんな子供が教師とか有り得ぬだろ常識で考えて」との事であった。

「……教師?誰がじゃ?」

「え?……『この学校で英語教師をやる事になったグージー・スプリングフィールドだ』って、コイツが」

 餓鬼を指差しアスナとやらが困惑した声を上げる。グージーも、何か妙な顔をしていた。

「高畑君?君、どう云う説明をしたんじゃ?」

 学園長は呆れた声で最後に入って来た男に尋ねた。

 魔法世界では『紅き翼《アラルブラ》』の一員として有名らしいが、エドガーは研究三昧の生活であったのでよく知らない。仙人的には咸卦法を究極技法などと言われても『それで本気だなんてご冗談でしょう?』と云う感じであるし。

「え?彼等は麻帆良《ここ》で教師としてしゅ……勉強をすると…………あれ?」

 学園長が『馬鹿かお前』と云う視線を向けると高畑教諭は動揺した様だ。と言うか、今修行と言い掛けたなこの男。魔法使いの秘匿義務はどうした。それを含めての『馬鹿』と云う評価だろうが。

「『教師として勉強をする』ではないわ。『教師となる為の勉強をする』じゃ。こんな子供が教師になんて成れる訳なかろうが。教員免許は取れても就職出来る道理が無いじゃろ?労働基準法とかこどもの権利条約って知っとるか?」

「ええっ?!しかし彼等はオックスフォード大学を優秀な成績で卒業して麻帆良に来たと……」

「何を言うておるか。オックスフォードに通っておったのは弟のネギ君だけじゃと説明したじゃろ?しかもまだ教育実習が終わっとらんから卒業は無理じゃ。お主、人の話を聞いておったのか?今回ネギ君が来たのはその教育実習を終わらせる為で、グージー君は小学生をやる為じゃ」

 机を指先で叩きながら苛立だし気に吐き捨てる学園長。高畑教諭は青褪めている。

「アスナちゃんが子供の冗談を真に受けただけかと思っておったが、どうやらお主にも問題が有るようじゃな高畑君。今回は口頭注意に留めておくが…………って何でグージー君まで鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしておる?」

「え?いや、あれ?ネギと俺は同じ課題をメルディアナまほ――」

「君達は確かに同じメルディアナ『修道院』の基準で小学校卒業程度の学力が有るとは認められておるが、如何せん英国学術機関の認定は別じゃ。牧師さんが幾ら『この子は頭が良いデス』とか言った処で証拠能力は無いんじゃよ。じゃからこそ、院長の知己でありオックスフォードの卒業生である儂が、君達を招いてネギ君に資格を取らせようとしている訳じゃ。英国では教育実習を軒並み断られたからのう」

 恐らくは『メルディアナ魔法学校の卒業時に課せられた』と言おうとしたのだろうが、学園長が遮った。こんな子供に、況してや今迄秘匿義務の無い世界に居た小学生に秘匿意識は低かろう。

「で、でもネギだって実際にはオックスフォードなんて通ってないじゃないか!」

 震えながら、グージーが反論する。別に涙目ではなさそうだが。

「?ネギ君は修道院に居ながらもオックスフォードの通信教育課程を受講しておるよ」

「嘘ぉっ!?」

 その言葉に弾かれた様に、弟を見る兄。知らなかったのか。と言うか、向こうで誰からもその事実や”設定”を告げられていなかったのか?

「……ネギ君はお兄さんに伝えていなかったのかね?」

「言いましたけど、兄は基本人の言う事を聞きませんからね」

 瓶底眼鏡を右中指で上げつつ、溜息を吐きながら弟子候補が言う。大分苦労したのだろう、眉間にその跡が見て取れる。資料では九歳であるが、苦労人レベルは中間管理職級だ。

「『兄さんは日本で教育実習を受ける必要は無い』って言っても、『何を言ってるんだ。教育実習も無しに教師に成れる訳無いだろ』、なんてズレた事を言い出すし……院長もちゃんと説明してくれていれば良かったんですけど」

 院長ェ……。確かに小学生の思い込みを正すのは難しいかも知れないけれど、説明もせずに他国に放り出すとはどう云う了見だ?

 エドガーは半眼で、呆然としたグージーを見た。

「あの阿呆……説明はしたと言っておったが」

「説明して相手が神妙な顔で頷いていれば、復唱させる様な事はしないでしょう?兄は大抵そんな感じなんです」

 日頃の鬱憤が有ったのか。ネギは感情を感じさせない声で言う。それが怖かったのか、グージーは特に何も言い返さなかった。

「ふむ……まぁそう云う事であれば仕方無い。今ここで説明しておこう。グージー君。君が教師に成るには、小学校、中学校、高校、教育学部の在る大学を卒業して資格を取る必要が有る。ネギ君は飛び級で入学した大学の、特例的な教育実習を経る事で大学卒業資格と教員免許状を得る事は出来るが、年齢制限の為に就職は出来ない。じゃから、就職出来る年齢になるまでは小学校に通いながら教育大学大学院の夜間部に在籍する、と云った形になるじゃろう――まぁネギ君は『教師に成りたい』と云う目的を明瞭に持っている様じゃが、君には無かろう。双子だからと云って、同じ職業に就く必要は無いからの…………まぁそう云う訳じゃアスナちゃん。ネギ君は明後日から教育実習生として二週間程君のクラスで過ごすが、就労条件を満たさない限り教師になる事は無い。グージー君はそもそもただの小学生じゃ。一回くらいはネギ君の授業を受けるかも知れんが、それはそれで貴重な体験だと思って欲しい。それで良いかな?」

「え、ええ。問題無いです。よく確かめずに怒鳴り込んでしまってすいませんでした」

 先の遣り取りに目を白黒させていたアスナ嬢だったが、学園長に声を掛けられ頭を下げた。

「うむ。ではそろそろ一時間目の授業も始まる。しっかりと勉強して『他人の話を聞く』大人になるんじゃぞ?」

 高畑教諭をジロリと睨み、学園長が少女に言い聞かせる。睨まれた男は冷や汗をかいているが同情は出来ない。

 源教諭と高畑教諭、先程の少女達が部屋から出て、漸く兄弟にエドガーと渡良瀬が紹介される。この場には魔法関係者しか居ないが、だからと言って認識阻害結界を張り忘れる様なミスはしない。

「ではネギ君、グージー君。彼等が君達二人の面倒を見てくれる魔法関係者じゃ。こっちの彼の名はエドガー・ヴァレンタイン。錬金術師で表では中学生漫画家をやっておる。彼がネギ君の担当じゃ」

 ついでに言えば、英語での会話である。仙人ともなれば即興で新言語を創り上げての会話も可能であるが、三人――内一人は仙人候補とはいえ、その存在を知らぬ為、実質的には”一般人”である――は只の人なので無理だ。

「エドガー・ヴァレンタインです。よろしくね、ネギ君」

「ネギ・スプリングフィールドです…………ええと、ヴァレンタインさんって、もしかして『錬金術から科学へ』の著者ですか?」

 それは魔法世界ではなく現実世界で上梓した本だ。五万部を売り上げたが、日本語訳はされていない。

「あ、ああ」

「『錬金術入門』の?」

「そうだけど……よく知っているね」

 こちらは魔法世界で売り出した本だが、五千部刷って二千部は売れ残っているらしい。錬金術は、魔法世界では人気の無いジャンルなのだ。エドガーの母校も来年で廃校になるらしいし。

「『恭子さんはスケバンです』の?」

「何で漫画まで!?」

 先日二巻が出たばかりだが。英訳はされていない筈である。

「オックスフォードで出来た日本人の友人に借りました!全部とっても面白かったです!今度サイン下さい!」

 目をキラキラさせて見詰めてくる子供にたじろぐエドガー。こう云う事態には慣れていない。

「ふぉふぉふぉ。本の作者と読者が師匠と弟子になるか。縁は異なものよの……で、グージー君は何で彼を睨み付けておるんじゃ?」

「ッ、睨んでねぇよ」

 また睨まれていたらしい。エドガーには心当たりが無いので困惑する。双子なので、尋常ならざるブラコンとか云うオチだろうか。

「ふむ……まぁええわい。それでこっちの彼が、名を渡良瀬瀬流彦と云う。魔力の制御と結界魔法の妙手じゃ。グージー君の担当になる」

「渡良瀬瀬流彦です。よろしく、グージー君」

「……アンタも本とか書いてんの?」

 挨拶も返さずそんな事をほざくグージーに、学園長の鉄拳が飛んだ。

「~~~~ッ!?」

「君は、先ず礼儀作法から学ぶべきじゃな……ムラクモ・ルラクモ・ヤクモタツ、制約の黒い三十一の糸よ。この者に三十一日の束縛を」

 魔法使用を禁止し行動もある程度制限する魔法である。呪文と共に、学園長の背後から現れた三十一本の糸がグージーの体に絡み付いた。

「なっ、てめ、ぐふっ」

 暴れようとしても暴れられない。格上やあまり力量差の無い相手に掛けた場合は返されて大変な事になるが、格下に掛けた場合の効果は覿面である。今回は、目上の者への反抗的な態度や言葉遣いにはペナルティが課される仕様が追加された魔法だった。格ゲーで云う処の弱パンチ一発分の衝撃が彼に与えられる様だ。

「では渡良瀬君。彼の教育を頼む」

 身悶えるグージーの襟首を掴んで、学園長が渡良瀬に言う。彼は冷や汗を垂らしながら、

「ええと……魔法を禁止されたら教える事が無い様な」

 と返した。

「何を言うておる。礼儀作法と日本の常識、教える事は山程有るわ。教育者を名乗るなら、子供の躾くらいはやってみせい!」

「し、しかしですね学園長。相手は英雄の息子ですよ?」

「英雄だろうが大統領だろうが旦那の息子だろうが、悪い事をしたらはっきりと叱る。それが出来んと言うならば――」

 学園長から滲み出る怒気が膨れ上がった。

「わ、分かりました!こここ心を鬼にして遣らせて頂きます!」

「うむ。儂とて先の有るノンケの若者を薔薇高に送りたくはないからのぉ」

「!!!?ししし死ぬ気で頑張ります!!」

 『薔薇高、は通称である。敢えて正式名称は伏せるが、その通り名が示す通りにそれ系の人が集まる麻帆良の深く昏い闇だ』

 ――などと云う噂は有るが、実在はしない。信じているのは一部の粗忽者だけ……だが、まぁあの怒気の後では普通の人間も信じるかも知れない。

「では失礼します!」

 グージーを小脇に抱えて渡良瀬は退室した。

「ふむ。静かになったの……お兄さんは何時もああ云う感じかの?」

「ええ。大体何時もあんな感じです」

「『幼少期に与えられる環境に拠る人格形成の重要性』。中々興味深い論文じゃったよ。些か妙な喩えが有るとは思うたが、実体験か」

「あ、有難うございます!……ええ、お恥ずかしい話ですが」

「まぁ幼い頃から特別扱いされていたら、性格も妙になる可能性が高くなるよね」

 叱る人間が誰も居ないのであれば、子供は際限無く増長するだろう。ネギの言葉にエドガーはうんうんと頷いた。

「ふむ。それでここからが本題じゃが……通信教育課程、とは言え当然年に数度はウェールズからオックスフォード市まで行かねば単位は取れん。ネギ君は、どうやって大学まで往復を?」

「それはですね。転移符を自分で製作して――」

「ほう。五歳の、魔法を習い始めて二年未満でか?ネギ君は優秀じゃのう?」

 学園長が少し意地の悪い笑みを浮かべると、ネギの表情が固くなる。

「学園長――」

「ふぉふぉふぉ。別に嫌味を言いたかった訳では無いわ。ただ、その”嘘”に説得力を持たせる為には、君に魔法具作成の知識が無くてはならんと云う訳じゃ……メルディアナ魔法学校図書室の目録に、それに関連する文献もな」

 その言葉に顔を青褪めさせる少年。

「何。心配は要らん。その程度の記憶改竄ならば楽なもんじゃ」

「そ、それは」

 蒼白になった子供の貌を見て、これは流石にやり過ぎだろうとエドガーは判断する。

「学園長。意地悪が過ぎますよ……ネギ君。我々は、君のその”能力”を咎めようと云う訳ではないんだ。確かに君の能力はあらゆる魔法使いが危険視するものだが」

「ふぉふぉふぉ。安心するがいい、ネギ君。我々も”同じ能力”を持っておる」

 学園長の言葉と共に、窓の外に在る景色が一変する。

 それは、東洋と西洋が、今と昔と未来が混ざり合った奇妙な空間。麻帆良の真の姿。

「!!この感覚は!?」

 立ち上がり驚愕に目を見開くネギ・スプリングフィールド。

「”空間転移”!?」

「ふむ。君はそう呼んでおるか…………我々は、この力を”空渡り”と呼んでおるよ」

 言い終わると、窓から見えていた景色も元の学園都市に戻る。

「”仙術”と呼ばれる魔法とは異なる体系の技術じゃ……ネギ・スプリングフィールド君。我々は、君を『魔法の使えない英雄の息子』ではなく”仙人”候補として君を迎えようと思っておる」

「せん……にん…………?」

 少し呆けた口調で鸚鵡返しにするが、その頭脳は急激に回転しているのだろう。あっさりと元の知性在る表情に戻った。

「君は、自分が他の人間と異なると感じていたんだろう?他人の”遅過ぎる”動きに違和感を覚えていたんじゃないか?」

 しかしエドガーの言葉に再びビクリと硬直する。

「常に必死に考えていないと人との会話が困難になる程の”速過ぎる”思考・反射速度。空間転移や空間干渉その他の異能。それらの力を認識し、制御する術を持つ集団」

「それが、せんにん……」

 呟く少年の声は、瞳は、歓喜に震えていた。

「そうじゃ。それが我々じゃ……ネギ君」

 学園長の言葉に彼は頷く。

 大妖ぬらりひょんはにやりと笑った。

 

「ようこそ、麻帆良へ」


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