母方の親戚の家に用事があり、シルヴィオは汽車に乗っていた。
序に言えば南方司令部に国家錬金術師として要件が無い訳でもないし、
アエルゴ王国の事でも調べておきたいことがある。
アエルゴ王国はかつてイシュヴァールを支援していたという噂もあったのだから。
もしそれが真実であれば、今イシュヴァールと敵対している可能性と、
イシュヴァールの残党を未だ支援している可能性も捨てきれない。
ゴトンゴトンと走る汽車。
車窓の向こう側には美しい風景が流れている。
この様な美しい自然の中に、小さな小屋を建てて、あのホムンクルスと家庭を作るのも悪くない。
いや、寧ろそうなったら万歳だ。シルヴィオがそんな妄想を医術書を手元に置きながら浮かべていた時だった。
「お客様の中にお医者様はいませんか?」
汽車の乗務員が顔に冷静さを張り付けながらも、止まらない冷や汗を流しながらシルヴィオのいる車両へと入って来た。
医者と言う仕事は割に合わないとは良く言われる。最低限度の基準に到達するまでに多大な時間と資金が必要で、
しかも能力が極めて高くあることが前提条件である。
その難問を突破したうえで、失敗すれば強く責められる。
それは高い能力を持つ国家錬金術師が、大衆にとっての都合の良い道具で無いからと、妬まれるのに近い所がある。
故に、この様な時に、普通医者は名乗り出ない。
仕事で来ているわけでないので、道具も薬も無く、助手もおらず、汽車の駆動音や車輪の音が大きすぎて症状が掴みにくい。
そして報酬を確実に手にできるわけでは無い。無理に請求すれば他の乗客たちの手前で居心地が悪くなる。
だが、シルヴィオという医師にはその発想はそもそも存在もしていなかった。
救えるものがいれば救う。人間の命は尊く、医者はそれを救うものだ、と。
患者が少女だったので、急いで男性客には他の車両に移る様に指示した後、少女の服を肌蹴させて診察を開始した。
まず最初に判明したのは呼吸と心臓の停止。
呼びかけても反応は一切ない。
このままでは、
もう二度と人を死なせない。
あの夜、本当にヒューズを殺したのは、下手人では無く、
ヒューズを救えなかった自分自身なのだからと、シルヴィオは歯を食いしばった。
すぐさま素肌に直接手を触れる様に置き、心臓を強く押し込むようにマッサージする。
同時に電子の移動と、効率化の為にランダム軌道を行う電子を一定方向のみに限定する事で電流を生み出す術式を構築。
これらはシルヴィオの専門外の術式だが、シルヴィオの信念において、医者に専門外という言葉は無い。
彼にとって医者とは全ての人々を救う存在の事を指し示すのである。
「皆さん、少し離れていてくださいね。少々なれない事をやるので、周囲への影響までは考慮が難しいのです」
その言葉を周囲の女性乗客たちが理解して距離を取ったのと同時に、裂ける様な音と共に、少女の身体が跳ね上がった。
「もう一度やります」
その言葉通りに少女の身体が音と共に再び跳ねた。
そのショックで少女は目を覚まし、心臓の鼓動と呼吸は再開したが、少女は再び意識を失いつつあった。
脈拍も徐々に低下している様に思えた。
故に、胸ポケットに入っていた金属板を錬成により簡易な注射器に変えて、
少々美しくないとは思ったが、お弁当と水筒から塩分と水分とブドウ糖を抽出させて点滴の中身を作り、
ゆっくりと血管に流し込んだ。
後は経過観察をするしかなかった。シルヴィオの目的地でもある次の駅に着いたら、直ぐに近くの診療所に連れて行こう。
そう考えていたシルヴィオだったが、その次の駅までの時間がとても長く感じた。
だが、シルヴィオは決して人間を死なせたくないと強く思っていた。
乗客たちは、邪魔にならない程度に少女と医師を応援し続けた。
――結局、意識を失った少女が次のダブリス駅に着く事は無かった。
到着の少し手前で彼女は意識を取り戻したのだ。
倒れた少女は自分の足でホームに降りた。
少女の感謝や、乗客や乗務員たちの歓声に頭を下げながら、シルヴィオもまたホームに降りた。
ホームでは、少女に治療費の持ち合わせが無いと謝られたが、シルヴィオは休暇中の事なのでと報酬を固辞した。
こういう所は、リスクだけを許容して医者自体の生活を貶める傾向を作る事になるのだが、
実家がお金持ちでお花畑で世間知らずなお医者様にはそれが解らないし、故に気にしない。
ただ、無駄に死んで良い命など、この世に一つも無い。
其れだけである。
ダブリスの空は、今日も草の香りの混じった良い風が吹いている。
彼は基本何処までも善人なのです。ええ、イシュヴァール人にさえ関わらない事なら。