流血の錬金術師   作:蕎麦饂飩
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知らないのなら覚えておくと良い。
なりふり構わない女性に敵う男性は――――存在しない


何故なら最強だから

かつて『色欲』の名前を冠する彼女は一人の錬金術師に全身を焼き尽くされた事があった。

今の彼女の感じている、不快極まりない昂揚感に似た何かは、その感覚に少し似ていた。

 

「こんな雪山だと言うのに、

少しも寒くないわ」

 

雪山で映画のミュージカルシーンのような言葉を宣う彼女の衣装は、薄手のドレスである。

その上背中バックリ露出である。寒くない筈が無いのだが、彼女自身がそう言うのならそうなのだろう。

彼女の中では。

 

 

足跡さえ、直ぐに吹雪に埋もれる天然の要害ブリッグス。

その頂上に聳え立つは、北の大国ドラクマへの最前線を任せられた歴戦の猛者達が集う砦。

そこに淀みなく極めて優雅に足を進める彼女に気が付いた警備兵達は、

彼女を制止しようとして本能的な恐怖を感じて、凍りついたように動けなくなった。

 

エドもアルも、ラストに気が付いたが、何時も以上に余裕ありげな表情に、

何処か非常に恐ろしいものを感じていた。

 

そして、シルヴィオも気が付いたが、彼が何か言おうとした時に、

急遽自分の下にいる美女に腕を掴まれて引き起こされ、

 

 

「お前の勝ちだシルヴィオ。此処ブリッグズの掟は弱肉強食。

さあ、私の夫になるなり、私を妻にするなり好きにするがいいっ!!」

 

勝手にドエライ事を告げられた。

そして残念なことにその選択肢はどちらも同じ結果しか生まない。

周囲のブリッグズ兵は、まるで奇跡が起こったかのように感動の涙を流している。

 

 

だが、その奇跡をぶち壊すかのように、新郎新婦(アームストロング少将調べによる)の前に更なる美女が歩いてきた。

 

 

「兄さん、この状況、ボク、何ていうか知ってるよ」

 

「ああ、奇遇だなオレも同じこと考えてた」

 

 

「「修羅場だ」」

 

エルリック兄弟がこの場の状況を極めて解りやすく解説していた。

 

 

優雅に微笑むラストに対して、好戦的にオリヴィエは笑った。

 

「お前もこの男を狙っていたのか?

残念だったな。この男は私のものだ。この男は私に勝って私と結婚する権利を得た。

だが安心しろ、私の夫になる人間には愛人の一人や二人程度持つ甲斐性を許そう。

好きにするが良い」

 

 

負けたはずなのに、勝者の身柄を勝手に決定して正妻面しているオリヴィエ。

そして未だに状況が呑み込めていないが、真面目面ながらも取り敢えずラストに会えて嬉しそうなシルヴィオ。

何となく状況が解らなくも無い気がしてきたが、だからと言って先程から絶賛燃焼中の感情が沈下するかと言えばそうでも無い。

 

この時のラストは精神的に無敵だった。

もう何も怖くない。今なら何だってやれる気がした。

なりふり構ってなどいられるものか。

――――人はこの感情を一般的にはヤケクソと言う。

 

 

「では、好きにさせて貰おうかしら?」

 

 

ラストは先程から余裕の表情を無理に作り過ぎて固まってしまった顔の筋肉を何とか動かして、なるべく妖艶に微笑むと、

シルヴィオの頬に手を当てて、少しだけ背伸びして接吻した。

 

 

 

ズキューーンと何かが打ち抜かれる様な衝撃が奔った。

オリヴィエは自信ありげに笑っていた。足元に柄だけになった軍刀が落ちているのを見なければ何時も通りの女傑である。

シルヴィオは思考回路がショート寸前になり、もはやイシュヴァールコロス以外の思考が雪の様に真っ白だ。

ブリッグズの兵士達は、「やっぱりボスは駄目だったか」と後で砦の前の広場が白から赤に変わる様な事を言い合っていた。

エド達は、大人だ…としか思えなかった。

ラストは、今になって自分の暴挙を理解して混乱した。だが、余裕な振りは崩さない。此処は正念場だった。

 

一応国のトップをやっている末の弟(60歳)が手配した紹介状をオリヴィエに押し付けると、

同じく砦に宿泊すると一方的に告げて、奥へと入っていった。

 

髪を縛っている紐を解いて、淡々と進む彼女だが、その首筋まで真っ赤であった事に気が付いた者はいなかった。

 

 

 

 

オリヴィエは手に取った書類に目を通す。

ブラッドレイの直筆で、シルヴィオの助手の看護師であるラスト・スルクンムホを、

彼の補佐として付けるので、なるべく連絡調整が密に取れる様に隣室または同室(・・)が望ましいと書いてあった。

 

オリヴィエは紹介状をビリビリに破くとその場に巻き捨てた。

 

周囲の男達は、よっぽど嫌な事が書いてあったのだろうなと思ったが、推測するのも危ないと理解して触れない事にした。

 

 

 

その日、シルヴィオが砦の施設説明で渡された、浴室へと入ってのんびりとしている時だった。

ガラガラと扉が開く音がした。

シルヴィオは、誰かが来たのだなと考えていた。寧ろ砦の人数を考えるとシルヴィオ以外誰もいない今までの時間が珍しかったのだ。

 

湯煙の向こうから影が近づいてくる。

シルヴィオはそれをあまり気にすることなくのんびりと見つめていた。

 

そして、その人物が湯煙の向こうから現れた。

その人物は、オリヴィエ・ミラ・アームストロング。軍の階級は少将。

シルヴィオはまだしっかりとは確認していないが、僅かに湯煙から覗いた光景から判断するに恐らくこの女、

何も身に着けていない。堂々とし過ぎである。

 

 

「此処は男性用ですよ」

 

背を向けてシルヴィオはそう言ったが、相手が去る様子は無い。

 

 

「何を言っている。此処は女性用だ。

そもそも、あの施設案内の地図には男性用か、女性用か書いてあったか?

書き忘れていたかもしれん」

 

 

こういう時は、三十六計逃げるに如かずとシルヴィオは判断し、

目を瞑ったまま脱衣所の場所までの距離や構造の記憶を頼りに駆け抜けようとした。

 

だが――――

 

「今、女湯の前の廊下を部下達が清掃中だ。

まさか、女湯からお前が出てきたら部下達は驚くだろうな。

私が女湯に向かった事を知っているなら、更に別の意味でも」

 

 

それは、既・成・事・実ーーーーッ!!

 

嵌められた。まだ何もしていないけれど、完全に嵌められた。

婚前交渉などもっての他だと、貞淑に護って来たものが、今まさに狙われている。

 

このいい歳で未婚の女、なりふり構わない。

 

 

 

「あら、彼らならもういないわよ?」

 

だが、シルヴィオの足を掬う女神がいれば、彼を救う女神もまた、存在した。

 

「――――彼らに今から私がお風呂に入るのだけれど、ずっと廊下に居直られては安心できないわ。

マナー違反ではないかしらと言ったら、蜘蛛の子が散る様に去って行ったわ?

貴女の部下は、見た目に寄らず紳士的な所もあるのね?」

 

 

バスタオルを巻いて入って来た、数時間前に彼の意識を停止させた美女に、

再び意識を天国へと持ち上げられ、

 

 

「イシ…………ールコ…ス」

 

完全に意識が途絶えた時に唯一残る思考だけを僅かに口から洩らしながら、

彼は昂揚感と倦怠感の極みに達して、鼻から流血しつつ倒れた。

 

――――人はそれを湯当たりと呼ぶ。








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