「色々あって、大変遅くなりました。すみませんね」
「いや、治してくれた事に関しては感謝してる」
そんな会話をしたのは何時の事だっただろうか?
ジャン・ハボックにとって、シルヴィオという医師は、大佐に危険な人物だと釘を刺されている相手であり、
自身の恩人でもあった。下半身不随を治せる人間がこの世にいるとは、正直に言うと思ってもいなかった。
「脊髄の構造にはこの所随分詳しくなったもので、安心してください」
そう言っていた年若い医師の熱意に押されて、ようやく勉強とその他の準備が出来たと言われたハボックは、
シルヴィオの治療を受ける事になった。
その治療はあっという間に終わってしまった。思っていた以上に早く終わった。
「終わりました。もう歩けると思いますが、長く使っていなかった筋力が身体を支えるのに不十分な事を良く理解して、
まずは手摺を離さない事を気を付けて下さいね」
そう言われたにも関わらず、立ち上がれた事に興奮して、直ぐに歩き回ろうとして、
勢いを足が制御できずにこけたのは良い思い出になっただろう。その後の医師のお説教も含めて。
勿論、ジャン・ハボックはこの時、その医療の為に多くのイシュヴァール人が生きたまま脊髄を引き抜かれたかを、
賢者の石に変えられたかを知ってはいなかった。
それに、それを知っていたとしても、血に塗れた医師が恩人である事に何の代わりも無かった。
ハボックは、病院の電話を手に取って、ある所へとかけた。
「なあ、親父、お袋。
信じられるか? 俺また、歩けるんだぜ…」
――――かつて、そんな事があった。
そして彼は今、反逆者マスタング組として戦闘に参加して、中央についた『流血』と敵対関係にあった。
北部軍と、表立ってない部分であれば東部軍とも裏で手を組んで、
中央を敵に回し、あろうことか大総統夫人を人質にしたロイ・マスタングを筆頭とする
あらゆる攻撃を防ぐ盾となりながら、盾の後ろに逃げ込んだ負傷兵達を、
後ろについた糸を伝って遠隔操作される無数のメスと針を使い、同時に十数人を治癒しながらハボック達と戦闘状態にある。
ハボックはその絶技が出来るであろう人物はこの世に一人しか知らない。
彼が知るアメストリス最高の医師――――――、シルヴィオ・グラン。
「先…せ…い」
ロイ・マスタング大佐から一応は聞いていたが、『流血』と『先生』では余りに印象が違い過ぎた。
信じられなかったというより、信じたくは無かったというのが正解だった。
「誰のことかは解かりませんが、貴方はどうやら足がぎこちないですね。
最近治癒されたばかりでしたら、リハビリの為に病院に戻る事をお勧めしますよ?」
『流血』本人はしらを切っているつもりであったようだったが、患者を心配している余り、語るに落ちていた。
イシュヴァールに対する『流血』のヤバさは誰もが伝え聞いていたが、今の『流血』のイシュヴァール以外に対しての攻撃はあまりにも精彩を欠いていた。
これ以上敵対行動をとらないのであれば、反逆者組の負傷も責任を持って救護すると言う『流血』。
その普段の評判と余りにもかけ離れた、必死に命を救おうとする姿に困惑したのか、
反逆者側の負傷者が、『流血』を信用できないと逃げようとするので、結局仕方なくその仮面をはがした素顔に驚いたのか、
その場所における戦闘は一時完全に停止した。
その戦闘が再び開始したのは、一枚岩と名高い、北の猛獣どもを引き連れてやって来た女将軍の刀が『流血』の身体を射抜いてからであった。
「少しズレたな」
「ええ、私の
何事も無かったかのように、血を吐きながら奇襲により射抜かれた体で飛び込むように回避して、
その刃を身体から抜いたシルヴィオは、無数に伸びる糸で操ったメスと針の一部で自身を治療しながら答える。
どうみてもハード路線な雰囲気の筈にも拘らず、彼には髪と服を揺らす爽やか風が吹いていた。
「からかっているつもりか」
そう怒気を孕ませたアームストロング少将。
だが――――
「…からかうも何も、それが自然体なのよ彼は。
だから随分と振り回されてしまうわ。
それが不快だと言うつもりは無いのだけれど」
もう一人、怒気を声に滲ませた、
「でも、貴女の存在はとても不快だわ」