その五線譜からは珈琲の香りがする。   作:らんちぼっくす。/ヘスの法則

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すごくお久しぶりです。あけましておめでとうございます。勉学がしっかり忙しくなってきたので今後もペース遅くなりそうです。
なんでこっちやねん!と自分でも思いましたがしょうがない。大人の事情ですすいません。
しかも本編(メインキャラが出会う所)行くとか前回言ったのに、行ってません!なんてこった!しかもしかも、今回ピアノシーンなし!なんだってー!
···はい、ほんとすいません。恋愛までもう少し時間かかりそうです。
ということで本編、前半はチノ視点、後半はオリ主・歩来澪の視点です。どうぞよろしくお願いします。


第2話

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「なあ、チノ。」

「はい、なんでしょうか?」

 日が落ちかけていた。この日の営業が終わり、食器の片付けをしている時、隣のリゼさんが唐突に聞いた。

「この店で流れてる曲、ほとんどピアノ曲だよな。選んでるのって、親父さんか?」

 ああ、その事か、と、私は食器を拭きながら顔を上げた。

 確かに、こんな雰囲気のお店ではクラシックとか、あるいはオシャレなジャズ系の洋楽でも流れていそうなものだが、ラビットハウスのBGMはピアノに偏っている。

 私は静かに首を横に振った。

「違いますよ。私が父に頼んでかけてもらってるんです。別にこれで嫌がるお客さんもいませんし。」

「あぁ、やっぱりチノのセレクトだったのか。···いつも思うけどお前、結構渋い趣味多いな。チェスとかボトルシップとか。」

 リゼさんは苦笑しながらもうんうんと頷いた。

 この人は大事な話を聞くと、こんな風に確かめるように大きく頷くクセがある。これは最近分かったことだ。

 まだ出会って日が浅い私たちは、日を重ねる度知ることが増える。それが出会いの持つ面白さなのかもしれないが、私は人と話すのが得意な方ではないので、どうしてもそういう日々が上手くいくか不安になりがちだ。

 でも、高校生になるからと新しくバイトに入ったこのリゼさんは、いい意味でどこか変わっている。頼りがいのある人だけれど、男勝りな部分があって、でも優しくて話しやすい。アプローチの仕方も、手作りのぬいぐるみをプレゼントするような可愛いところがある。

 お陰様で、私はこの日々をそれなりに楽しく過ごせていた。

「やっぱり私、そんなにおかしな趣味なんでしょうか···」

「い、いや!全然そんなことない!いいと思うぞ、大人びてて!」

 先輩とはいえ歳の近いリゼさんに渋いと言われてしまうとなると、やはりどこか気にしてしまう。慌ててリゼさんは弁解する。彼女のことだから貶すつもりは無いと分かっているが、私も一応年頃の女子だ。少し気にするところはあった。

 少し大きめにため息をついて、私は最後に一つ残ったカップを拭き終えて、厨房を出て倉庫のコーヒー豆を確認しに行った。

 ブルーマウンテンとキリマンジャロが残り少ない。客の少ないこの店のことだし、明日くらいはもつだろうが、早めに買いに行くに越したことはないだろう。

「···コーヒー豆が少なくなってるので買ってきますね。父によろしく言っておいてください。」

 倉庫から戻り、リゼさんにそう声をかけて、出かける支度を整える。リゼさんは、それを聞くと怖々と頷いた。

「あ、ああ···チノ、本当に怒ってないか?」

「お、怒ってませんから!」

 普段しっかりしているのに変なところで無駄に心配性な同僚を宥めて、私は出かけるのだった。

 

 

 

 

 

「···ふう、たくさん買ってしまいました。」

 呆れるほど小さな両手で重量感のある紙袋を抱えながら、私はようやく帰路についた。

 ラビットハウスのコーヒー豆の仕入れ先には、そこそこ頻繁に新しいコーヒー豆が売られていたりするので、買う時は直接見に行き、注意深く観察することにしている。

 どの豆を選ぶかとか、こういう事は父がやった方がいいんじゃないか、と最初は思っていたのだが、今では一人で行くのに慣れてしまっている。

 これは父が言っていたことなのだが、私はどうやらやたらと鼻が利くらしい。コーヒーの種類を────そのまま味わえるかは別として────物心つく前から香りで判断できていたという。

 まあ、コーヒーが生活の一部であることは認めてはいたが、まるで自分が犬っころのように思われているみたいで、正直そこまで嬉しいものでもなかったが、それでも自分にしかない特技があることは、私にはバリスタの夢を追うに十分な希望となりえた。

 そんな事情もあって、コーヒー豆の調達は私が行くことにしているのだが、今日はいい豆が多くていささか買いすぎてしまった。荷物が多くなると小柄な私には少し辛い。そろそろ自制することを覚えようと反省しつつ、転ばぬように慎重に歩いていった。

 

 その時。

 その人とすれ違ったその瞬間、ふっと風が通り過ぎた。

 私は不思議とその微かな風に強く導かれるように、風の吹く方を見た。

 銀色の髪。すらりとした体。

 そこには、どこかで見たような、懐かしいような────そんな少年の、遠ざかる背中が見えた。

(気のせい···ですよね···)

 そこに、有り得ない希望を重ねようとして、やめる。

 彼がここにいるはずなど無いのだ。彼がここに、来るなど。

 私は再び、我が家へと歩き出した。

 

 

 

 

「···ただいまです。」

「おかえり、チノ。買い出しありがとう。」

 家に帰ると、父が迎えてくれた。リゼさんの姿はない。

 彼女を探して少し視線を泳がせた私の考えを見透かしたように、父は言った。

「リゼ君なら、ついさっき帰ったよ。今日もしばらく手伝ってもらっていたが、もう遅いからね。」

「···そう、ですよね···」

 ある程度予期していた通りの結末に、私は少しため息をついた。

 最近、私達はリゼさんにとてつもなくお世話になっている。自分のシフトが終わった後も、「チノと親父さん二人だけじゃ大変だろう?」なんて言って、片付けやバータイムの準備なんかを手伝ってくれるのだ。

 こんなお礼では足りやしないのは分かっているが、そういう時はいつも、ありがとうございます、という気持ちを込めて、コーヒーをご馳走したりしていた。

 今日も早めに帰って、また何かご馳走したいところだったけれど、買い出しに必死になりすぎて、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 リゼさんのことだから、この話をすれば、そんな事気にするなよ、と言うのだろうけど、それでも一方的にお世話になるのは、やはり申し訳ないものだ。

「···なに、お礼はまたすればいいさ。それに、一杯のコーヒーをもらうより、暖かい言葉がある方が良いって人も、沢山いる。」

 父は笑いながら、そう言った。

 そういうものなんだろうか。私は子供心にそんなことを思ってみて、結局よくわからなかった。

 

「···そういえば、チノ。さっき聞いたんだが、この町で今日ピアノの発表会があったらしいな。」

 悶々としている私の気を紛らわすためか、父が話題を変えた。

「ああ、そういえば、会場が新しく出来たんでしたっけ。」

 羽織っていたコートを壁に掛けながら、私は答えた。

 コンサートなど普段は見られない上に、見ようとしてもこの街にまともなコンサート会場はこれまで無かったから、少し惜しいことをした気もする。

 最後に見たコンサートは、そう、まさに三年前のあのコンサートだった。

 あの時は色々な奇跡があった。なんと私はその時、その会場でリゼさんを見ていたのだ。彼女の演奏を実際に聞いた、という、偶然の交わりがあったからこそ、私達は比較的すぐ打ち解けられたのかもしれない。

 そして何より、あの少年の演奏。それはあの日からずっと残っている。私の美的感覚は愚か、人生観すら塗り替えるほどの衝撃を与えたのだ。

 とにかく私には、ピアノコンサートに特別な思いがある。だから今回の機会くらい、もう一度聴きに行っていれば────

 

 

 

(······あれ?)

 そこに思いを馳せてから、私ははっと思い出したのだ。さっきすれ違った、あの風のことを。

 今日あったコンサートは、本当に彼がいたのではないか?私の予感は、勘違いなんかでは無かったのではないか?

 そんな私の思考を誰かが推し量ったみたいに、父はまさにその時とんでもないことを言った。

 

「そうそう、なんの偶然かな。聞いた話だと、主催者の先生は三年前見に行ったのと同じ人らしいな。」

「や、やっぱりですかっ!?」

「うぉっ!?」

 

 私は思わず父の方に向き直って叫んだ。父は面食らった様子だったが、そんなことを気にする余裕は無かった。

 

 なんてことだろう。

 こんな奇跡みたいな確率があるのか。

 こんな奇跡みたいな不幸があるのか。

 今日コンサートがこの街で行われ、そこに彼がいると以前から分かっていたなら、あらゆるものを捨ててでも見に行っただろうに。

 すれ違った彼の姿をそれと確信できていれば、どれだけ自尊心を捨てるような真似をしてでも話を聞いていただろうに。

 針の穴を通すみたいに、出会いたくない不幸に出会ってしまった。

 どうにも自分がみっともなく、無様に感じられて、私はその夜口を開くことは無かった。

 

 人間の欲望とは実に愚かしいものだと、私は思う。

 どんなに渇望したものでも、時が経てば欲は弱まっていく。それを皆は「無欲になった」と感じるが、そうではない。

 心理の奥底で、欲は生き続けるのだ。

 そしてもし、それが一度近くまで来たと知ると、忘れかけていた欲望は、酸素を受けた消えかけの蝋燭みたいに、たちまち燃え上がる。

 

 あの音が聞きたい。

 今だけは何を投げ出しても、彼に会いたい。

 私の心を埋めつくしていたのは、その欲、ただそれだけだった。

 

 ところで、その時レコーダーから流れていた曲は、どうやら「木星」のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「今日もお疲れ様。相変わらず良かったよ。」

「······」

 

 先生の車に揺られて、僕は新しい家へと向かっていた。

 コンサートはこれで4回目だったが、こんなに喪失感をもって臨んだのは初めてだった。

 読んでいた本を、最後のページを読み切ってからも閉じることなく指で抑えたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 華やかで柔らかい街の灯りが、目の端に映り込んで嫌に眩しかった。

 車が赤信号で止まった。先生は滑らかな動作で次の右折のためのウインカーを出している。

 

「澪くん。今更になっちゃうんだけど、一つ聞いていい?」

「···なんでしょう。」

 先生は前を向いたまま、隣の僕に滑らかな声をかけた。

「課題曲は自分で自由に選んでいいよ、って、最初に言ったけれど···どうして、あの曲を選んだの?」

「······」

 僕は黙って後部座席を振り返った。

 小綺麗な紙袋の中に、出演者へ渡される花束と、今日演奏した「木星」のピアノスコアが乱雑に突っ込まれていた。

「最初は驚いたんだ。てっきり澪くん、もう簡単な曲じゃ満足出来なくなってるかと思ってた。だから、どれほど難解な譜面を出されてもいいような心構えはしてたけど···

『木星』って、中級者位の弾く曲だから、気になってたんだ。なんでわざわざ、あの曲を?」

「···僕は元々、難しいことを成し遂げようなんて心でピアノをやってるわけじゃありませんよ。それに···」

 重い口を開いて、語る。こんな言葉を吐けるのは今となっては先生だけだ。

「時々分からなくなるんですよ。自分が何者なのか、どこへ向かうのか···今、どこにいるのか。

 歩いているのか、止まっているのか、退いているのか···自分が何が好きなのかすら、曖昧なことばかりなんです。」

「居場所が分からないが故の『木星(遠く向こう)』か···なるほどね、澪くんらしいかも。」

 僕がぽつぽつと語るのを聞いて、先生は少し笑った。悲しさがあるような気がした。

「···分かるよ。私も、これでも音楽一辺倒で生きていたんだもん。いろんなものを失ってしまった時に、嫌でも音楽にすがらなきゃいけない不安感は、すごく分かる。」

 僕は先生の流れるような声をただ聞いていた。

 先生はいつだって、滑らかに、優美に、自分の言葉を尽くしてくれる。逆に、僕の絞り出した言葉も理解してくれる。この人ほどの理解者は、他にいない。

 

「先生···」

「うん?」

「······いえ。なんでもありません。」

「···そっか。」

 

 ────だからこそ、僕の本当の問いには答えないのだ。

 自分と同じように、僕が壁に当たっても、きっと越えられると信じるが故、一人で乗り越えろと突き放す。それが先生の考えみたいなものだった。────僕はそんな期待に応えられる強さなんて持っていないと思うけれど。

 先生のそういう所は、僕もそろそろ分かってきた。

 だから、『僕はこれからどうすれば良いのか』なんて問いは、飲み込むのだ。

 

「···着いたよ。お疲れ様。」

 それからしばらくの静寂を経て、車は新しい家の前に到着した。

「本当に、何から何まで、ありがとうございました。」

 先生に頭を下げ、後部座席の荷物を取ってから、ドアを開けようとしたところで、先生がちょこんと僕の袖をつまんだ。向き直ると、その目は優しかった。

「澪くん、私は君の味方だよ。···今は辛いだろうけど、いつまでも支えるからね。」

 それだけを言ってから、そっと僕の背中を外へ押し出した。

 急に励まされてきょとんとしたまま押されたので、少しよろける。

 慌ててもう一度先生を振り返ると、彼女は窓越しにいつものように微笑んでいた。

 

 僕はそれに微笑み返すようなことはどうしてもできなくて、ただずっと頭を下げたまま車を見送るばかりだった。

 

 

 

 

 まだ手になじまない鍵で扉を開くと、暗くしんみりした部屋の匂いがした。

 つい最近までは、まだもう少し活気があったような、そんな気がするのに。もう気が付いたら、それなりに時間は経ってしまっていた。

 時間が経つのを早く感じられるようになったのは、ここへ引っ越したお陰なのかもしれない。あそこにいたままじゃ、きっと僕はいつまでも前に進めなかっただろう。

 壁を伝う手の感触で電気のスイッチを入れる。新品の電球はなんのラグもなく部屋をオレンジに染めた。

 リビングには運び込まれたばかりのダンボールの群れが無秩序に転がっている。

 僕は手に持った紙袋と一緒に、空いたスペースに腰を下ろした。

 僕の手という支えを失った紙袋が倒れる。中の楽譜と花束が少し飛び出た。その様を、僕はただぼんやりと見ていた。

 

(···才能は残酷だ。)

 心の内で呟く。

 飛び抜けた才能なんてものは、ある意味持つべきではないのだ。

 他者から下手に持て囃される日々を繰り返した先にあるのは、得てして不安や虚無感だ。自分の好きなようになにかに触れたくても、「天才」というのはそれだけで「娯楽」に留まるを許されぬ存在なのだ。

 僕はそういう、才能と呼ばれる自分の異常を、一応分かっている。独りよがりに音楽に触れたいのに、他者との交わりを求められる日々は、どこまでも苦痛だ。しかしそれでも、あらゆる悲しみや虚無を抱えた時、ピアノを辞めたいと思う時さえも、ピアノに縋らないと生きていけないのだ。それは、僕の異常を僕に知らしめるには十分な事象だった。

 ────こんな気持ちになるなら、ピアノなんて最初から無ければよかった。

 産まれた時に僕が選びたかった。どんな才能を手にするのか、みたいな事を。

 

 深くため息をついて、僕は散らかった床にごろんと寝っ転がった。

 同じように隣に倒れる花束を、なおもぼんやり見ていた。

 

 アベリアの花だった。花言葉はなんだっただろうか。

 

 もう一度大きく息を吐いて、大の字に寝たまま目をゆっくり閉じた。

 足元にダンボールが当たっている。とりあえず明日は片付けをしよう、などと考えているうちに、意識は夜のもたらす闇へ落ちていった。




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