元ロード・エルメロイII世の事件簿「case.砂中の聖なる杯」   作:赤雑魚っ!

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ちょっと不慣れながら戦闘描写もあります。


灼熱する砂漠

 時計塔十二科の中で最も小さい現代魔術科(ノーリッジ)の学術棟。そこにある師匠の私室は手前と奥とで隔てられており、手前の部屋の入ってすぐの場所には靴棚が置いてある。

 自分はそこの丸椅子に座り、靴クリームとリムーバー、布を使い師匠の靴を磨くのが倫敦に来てからの数年間、仕事というよりは日課の一つになっていた。無意識のうちに鼻歌を歌ってしまうくらいに、この時の仄かな油の香りが安らぎを与えてくれる。

 光沢を持った靴がぼんやりと自分の姿を映し出すくらいに磨き終えたので、別の靴を磨こうと思っていた時だった。手前の部屋の入り口が開かれたのだ。

 入ってきたのは金髪の美人だった。その肌は陶器のように白く、高価な人形ようだといつも思う。

 

「やぁ、グレイ」

 

「こんにちわ、ライネスさん」

 

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ 。少し前に成人し、師匠が保持し続けたエルメロイの君主(ロード)の称号を継承した女性だ。

 貴族と田舎出身とでもともと離れていた立場がさらに離れたので、多少なりとも自分との関係に変化があるものかと思われたが、前と違わず接してくれる良き友人であり、師匠の義妹でもある。

 彼女の後ろにはいつも通り水銀メイドのトリムマウが付いている。

 

「そう毎日毎日靴磨きというのは飽きないのか?」

 

「毎日と言うほどでは…」

 

(…せいぜいが週に一度だろう)

 

 同性の自分でもはっと息を呑むほど美しい彼女の微笑みで、どうやら今の質問はちょっとした冗談であったことに気がついた。真面目に返してしまったのが恥ずかしくて顔が少し熱くなった。

 

「ふふ、気にしなくていいさ。それより兄はいるかね?」

 

「はい、奥に」

 

「ありがとう」

 

 そのまま奥の部屋に行くものかと思われたが、ライネスはまじまじと自分の顔を見つめている。自分は顔を見られ続けるのは苦手な(たち)なので、目のやりどころに困ってしまう。

 師匠の靴を膝の上に置いたまま数秒ほど視線を泳がせているが、ライネスは自分の顔から目を離してくれない。

 

「あ…あの、()に何か?」

 

「ふむ、そうだな……」

 

 ライネスが考え事をするかのように顎を触り、その美しい焔色の眼がやっと自分から離れてくれて、今度は床を向いた。そしてまた数秒後に自分を見る。

 

「兄と二人きりで話そうと思ったが、やっぱり君にも話しておくべきだろうな」

 

「はい?」

 

「さぁ、早くその靴をしまえ。手はこれで拭くといい」

 

 そう言われ、すぐに靴を棚にしまうと差し出されたのは真っ白で綺麗な刺繍の入ったハンカチだった。これをこの手が汚すと思うと罪悪感で胸がいっぱいになる。

 

「せ、拙は自分の物があるので…」

 

 断ってしまったことを不快に思われないだろうか。これでまた罪悪感を覚えるのだから自分という人間は面倒なやつだと思う。

 

「そう気にすることもないのだがね。ただその気遣いはありがたく頂戴しよう」

 

「す、すみません」

 

「ふふふ、君は本当に生真面目だな。見ていて面白い」

 

 綺麗なハンカチをしまって、「早く行こう」とライネスは自分の手を引っ張る。まだ手を拭いていないのだが…。

 ノックもなしにライネスが師匠の部屋のドアを開けた。

 夏を迎えつつあるが涼やかで微かなタバコのかおりの風が吹き込む。

 部屋を見渡せばスライド式の本棚にはジャンルとサイズごとに並べられた師匠の蔵書コレクションの一部。机上には裏返された資料と万年筆やギロチン式のシガーカッター、その隅に最近買った新しい携帯式のゲーム機が置いてあり、師匠のアパートとは違って片付けられていて生活感に溢れている。

 部屋の奥のアンティークの椅子に座り、師匠は一服しているようだった。このタバコの匂いも自分は好きだ。

 自分たちが部屋に入ってきたことにより、三十半ばという歳のせいか、それとも日頃の疲れのせいか浅くシワが刻まれた眉間をさらにしわ寄せている。

 ウェイバー・ベルベット。元ロード・エルメロイII世にして、祭位(フェス)の位から上に行けずにいる魔術師である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何の用かね、レディ…」

 

 レディ、今のこれはライネスに向けられたものだろう。時折自分もそう呼ばれるので判然としないがたぶんそう。

 

「ご機嫌よう我が兄上。あいかわらずの仏頂面だな。目の前にロードがいるのだから畏まってくれてもいいんだよ、元ロード・エルメロイII世?」

 

 ライネスがロードになり師匠がロード・エルメロイII世の名を返還してからは実の名前を名乗っているが依然として周囲の人間はロード・エルメロイII世呼びが抜けずにいる。

 実は自分も師匠はロード・エルメロイII世の方が未だしっくり来る。他にも色々ニックネームがあるのだが、ここでは割愛しようと思う。

 ライネスの嫌味ったらしいからかいはいつものことなのだが、師匠は負けず嫌いの一面があってか皮肉で返すのが常だ。ライネスはそういう師匠の姿を見て悦に浸る。なかなかいい兄妹仲だと自分は思っている。

 だが今日に限ってライネスはすぐに話題を変えたのだ。

 

「今日はちょっと依頼があってね」

 

 そう言ってライネスは後ろについているトリムマウの方へと手を伸ばす。するとトリムマウが彼女に何か一枚の紙を手渡した。

 

「っ!それは…」

 

 師匠は驚き、危うく指で挟んでいたタバコを落とすところだった。

 見たところ何かの約定だろうか、紙面がこちらに向かないので印が押されてあることしかわからない。

 

「第四次聖杯戦争の生還者ならば気になる話題だろう?」

 

 聖杯戦争。かつてウェイバー・ベルベットを名乗っていた(今もだけど)師匠が彼の大王と駆け抜け生還した殺し合い。

 師匠の先代にあたるエルメロイのロードであったケイネス・エルメロイ・アーチボルトがその戦いで命を落とし、その一端を担ったとされる師匠がエルメロイのロードの地位を守るためにロード・エルメロイII世を名乗ることになった原因だ。

 ライネスは口角を釣り上げ、師匠の反応を見てしたり顔だ。早々に話を切り出したのはこのためか。

 

「中東の砂漠に現れたという聖杯。それの調査を承って来た」

 

「あんな根拠もなくただ流れて来た噂話を鵜呑みにする馬鹿がいたとは法政科の連中も顎を外しているだろうさ」

 

「おやおや兄よ、まるで他人事のように言っているが」

 

 ライネスが師匠の机上にあった資料を表に返し、

 

「君も調べているじゃないか」

 

「………」

 

 見透かされていたことに腹を立てて歯ぎしりが聞こえる。

 

 

「イッヒヒヒヒ!聖杯だってよグレイ!これまた『縁』ってヤツなのかねぇ!?」

 

 

 自分の右手の辺りから友人の声がする。彼の発言は少し皮肉めいていた。確かに『縁』なのだろう。だけどそれは自分には()()()なモノだけど。

 

「もちろんエルメロイから君を推薦すると進言して来たよ。ここに魔術協会の印も押してある」

 

「勝手な真似を…」

 

「どの道行くのならばバックアップを得られる方がいいだろう?お情けで経費や役立ちそうな魔術礼装を拝借させて頂いたよ。あとはその土地に詳しそうな、それでいて魔術を知る者がいればいいのだが……」

 

「それならばもう目星を付けている」

 

 ライネスの読みは当たっていたようで、師匠は行く気満々だったらしい。

 

「君が今持っているその資料の二ページ目を開きたまえ」

 

 話しているうちに短くなってしまったタバコを一回吸って灰皿で潰すと、師匠が言った。

 

「数年前の知人でね、中東あたりを中心に活動している魔術使いが一人いる」

 

 ライネスが見ている顔写真付きの資料を自分も斜め後ろから拝見させてもらうと、自分も知っている人物だった。

 遊牧民を連想する民族衣装に筋肉質で髭面、垢と埃で黒ずんだ男だ。

 フリューガー 。名前を気に入っていないのでフリューと名乗る傭兵だ。

 剥離城アドラではあのルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが一時雇用するほどの占星術師である。

 

「すでに彼とのコンタクトはとってある。『金さえ払えばOK』と言われたよ」

 

「手回しが早くて何よりだ」

 

 師匠は「お前だけには言われたくない」と一蹴する。

 

「ふふ、どうやらその様子では私との約束は忘れていなかったようだね。結構結構。君は見事に君主(ロード)の座を守りきり、私に家庭教師つけた。残る契約はあと二つ。聖杯とやらが真に万能の願望機たりうるならば……」

 

 

「先代から回収できたエルメロイの源流刻印。それを一瞬で修復できるだろうな」

 

 

 師匠がライネスの言葉を引き継いだ。どちらも思惑は同じようで、やはりこう言うところは血ではない何かしらの兄妹愛の証ではないだろうか。

 ライネスは「ついでに君が負っているエルメロイ派の借金の返済も願ってくれて構わんのだよ?」と冗談めかして言っている。

 源流刻印——エルメロイ派の魔術刻印だ。師匠の先代の死体にあったそれはひどく損傷しており回収できたのはわずか。師匠をウェイバーと呼び続ける親友(向こうの自称だが)、調律師であるメルヴィン・ウェインズでも五十年という気の遠くなりそうな調律を計画するほど甚大らしい。

 その源流刻印を受け継いだのがずば抜けて適性があったライネスというわけだ。

 

「ところで我が兄よ、向こうでは銃火器が火を噴くことなどそう珍しくないらしいぞ。おや?困ったなぁ。未熟な私では己が身一つしか守りきれん。これは愛しい兄を守ってくれる騎士(ナイト)が必要だなぁ……」

 

 ちらりとこちらを見るライネスの口調がわざとらしい。師匠をからかっているのか、自分をからかっているのかわからない。

 師匠は一度咳払いをして、

 

「そのようだな。グレイ…」

 

「は……はい」

 

「その、なんだ…いつものことなのだが、君がいないと私は簡単に死んでしまう人間だ。付いて来てくれないか?」

 

 本当にいつものことなのだが、改まって頼まれるとむずがゆく感じてしまう。顔が熱くなり、無意識のうちに被ったフードを両手で握っていた。

 それでも自分も改まってこう言うのだ。

 

「…はい。いつものことなので、付いていきます。………どこまでも」

 

 

 

 …その時ばかりは自分もにやにやしていたライネスを恨めしく思ってしまった。

 

 

 そして味気のない初めての飛行機旅を経て、現在に至る。

 日暮れ時となりフリューガー が休むことを提案してくれた。死にそうだった師匠の顔色も幾分良くなりつつある。

 こういう時には「私は都会育ちなのだ」という決まり文句が出るのだが、暑さにやられたせいか今回は聞けていない。

 ライネスが協会から拝借したという魔術礼装は基本的に魔力で稼働するようなサバイバルグッズだった。冷凍保存ができる旅行鞄ほどの大きさのケース、荷物をコンパクトにできるバッグ、一瞬で簡易的な結界を張る宝石とか、他には攻撃的なものが少し。結界に関しては風避けと使用者が身内と定めていない人間が入ると警報を鳴らす仕組みだ。防御壁ではないので決して安全というわけではない。

 

「師匠…頑張りましたね」

 

 唇がカサカサになっている師匠にペットボトルの水を渡す。すでに息は整っているようだった。

 

「すまないレディ」

 

 こうしている間にも、フリューガー がテントを二つ設置し、ライネスがトリムマウに指示を出して料理を作っている。正直言って自分と師匠は現段階で役に立っていない。むしろ食料の関係上邪魔である。

 

「早く食事を終えて明日に備えよう」

 

 もっともらしいことを言っているようで、その実自分が食べたいだけというのが師匠らしいといえばそうだが、少しは反省したほうがいいのではないだろうか。

 ふらついている師匠の体を支えながらライネス達の元へ歩いた。こんな過酷な地でも美味しい料理が食べられるというのは本当にありがたい。

 無駄な光がない分より鮮明に見える美しい星空の下、焚き火を囲んで食べるのは野菜と豚肉のスープ、味付けはコンソメだろうか。それに加えて主食はライスだ。小食な自分は一杯だけで十分だが、師匠とフリューガー は二杯は食べる。ここは性別の差だと思う。

 ふと、ライネスの手が止まっていることに気がついた。

 

「……ライネスさん?」

 

 その眼の色は視線の先にある焚き火に負けぬくらいに燃えるような焔色だ。

 刹那、ライネスが立ち上がった。そして視線を結界の向こうへ。自分も同じ方向を見る。

 

 

 そこには、炎の化身と呼ぶにふさわしい魔物が立っていた。

 

 

 その足が一歩を踏み出した瞬間に、耳障りな警報音が鳴り響く!

 

「っ!………アッド」

 

 すぐに立ち上がって、不慣れな砂上を駆けていた。

 いつも大きめで灰色のフードによって右手あたりに隠してある鳥籠のような檻。その中にいる人格を備えた匣型の魔術礼装。自分の友人の名前を呼ぶ。

 匣型のアッドはその姿を変える。それは、誰もが知る収穫の形状。魂を刈り取るカタチ。

 

 

 —————死神の鎌(グリム・リーパー)

 

 

 拙が走り出すとほぼ同時に、魔物も炎を纏ってこちらに向かってきた。

 近づいてみてわかったが頭に二本の捻れた角が生えていて、二メートル長の人型だった。そして、これも近づいてわかったが()()()()()()()()()()()ということだ。

 その魔物は夜を迎えた砂漠に堕ちた太陽の如く煌めき、そして熱かった。

 魔術回路を限界まで回し、自分を『強化』する。

 魔物の拳が降りかかる。紙一重で避け、拙の鎌が虚空に弧を描いた。

 魔物の鮮血が空中を舞い、星空の光を乱反射する。

 

「っ!」

 

 確かに斬った。やっぱり、これは……。

 

「おいおいおい!ヤバイぜグレイ!こいつ精霊や悪霊の類じゃ無いみたいだぜ!?」

 

 アッドが自分の思いを代弁した。アッドの言う通り、この魔物は()()を持っている。墓守りの特性上、遠巻きでは霊に近いものだと感じていたのに。

 墓守りである自分の魔術礼装のアッドは、霊体や魔力を捕食することでその真価を存分に発揮する。相手が肉を持つ異形では精々が大気の魔力を喰らうことしかできないだろう。

 だが僥倖もあった。この魔物が持つ魔力が滲み出て逆に死神の鎌(グリム・リーパー)に流れ込んでくるようだ。

 さらに自分は集中して、『強化』をより深化する。ひとえに『強化』と言っても身体面だけでは無い。『強化』とは性質に働きかけることこそが本質なのだと聞いたことがある。

 電球をより明るく、石をより硬く、そして技術をより巧みにすることもやろうと思えばできる。

 自分の場合は身体能力と技術を『強化』し敵を斬る。

 一閃。またも闇に赤色の液体が飛び散る。

 

「■■■■■■!!!」

 

 魔物の咆哮。刹那、さらに炎を纏って灼熱の化身へと変貌を遂げた!

 咄嗟に飛び退いた。振り下ろされた拳が砂を溶かしたように見えたのは見間違えじゃ無いだろう。あの熱には死神の鎌(グリム・リーパー)も溶かされてしまう筈だ。

 魔物の進撃は止まらない。自分が後ろに行くたびに、師匠達の方へと近づいていってしまう。

 灼熱の化身が手のひらをこちらに向けた。そして、その手のひらに炎が集まって行く。

 

「アッド、第一段階限定応用解除!」

 

「ははは!無茶無謀だなぁオイ!」

 

 アッドに魔力を込める。大鎌から匣型に戻り、ルービックキューブのように表面が回転、そして展開されたカタチは大きな盾だ。

 刹那、灼熱の化身から一筋の炎が放たれた。自分はその一線を大盾で受け止める。

 その圧力に自分が押されて行くたびに、砂の大地が焼け焦げて溶かされて行く。だが盾状のアッドは影響を受けていないようで安堵する。

 

「おい、このままじゃあの娘さんがやべぇんじゃねぇのか!?」

 

 フリューガー が気にかけてくれているが、それは杞憂だ。その証拠に師匠もライネスも静観しているし、自分もこの攻撃はしのげる自信がある。

 

「行けるぜグレイ!」

 

 盾の表面から炎が吹き上がった。敵のものではない。この盾は単に防御力だけを兼ね備えているわけでは無いのだ。

 

———反転(リバース)!」

 

 自分が叫ぶ。すると、炎から魔力が放射される。

 アッドの核となっている『宝具』には及ばないが高密度な魔力の塊だ。

 敵の攻撃による圧が減少して行く。盾から放たれた魔力と灼熱の一線が衝突しあい、魔物と自分の中間で爆発が起こった。

 すでに結界の中とあって風を避けるすべがない。足元の砂が、砂嵐のように舞い上がって視界を奪う。

 だが、砂塵の奥の煌めきはまるで褪せてなかった。それどころがより強くなっている。

 

「嘘……」

 

 魔物が二体に増えた。

 

「グレイ!逃げるぞ!」

 

 師匠が叫ぶ。振り向いた瞬間、今度は自分が叫んだ。

 

「師匠!後ろ!」

 

 三人の背後に複数人の影が見えた。その手にはだいぶ昔にエルメロイ教室のみんなで観た映画の突撃銃らしきものが見える。

 魔物の侵入によってすでに耳障りな警報は意味をなさずにいるので、その者達の見逃してしまったのだ。水銀メイドのトリムマウがいち早く反応しているが、手数が足りない!

 再び魔術回路を回す。より速く走るために『強化』を施す。

 

(間に合って!)

 

 師匠達に向けられた突撃銃が火を吹こうかという瞬間だった。

 師匠達と侵入者達の中間辺り、闇の中で美しい何かが星々の光を反射して光ったのだ。とても小さい何かだった。

 刹那、その何かが内側から眩い光を放つ!

 その光によって視覚を奪われている間に、聞き慣れない詠唱が聞こえてきた。

 

 

———投影(トレース)開始(オン)

 

 

 眼を開く。侵入者達と師匠達の間に、近代的なゴーグルを付けた赤銅を思わせる色の短髪の男がいた。

 その人の右手付近、何もなかった空間に大きな鉄板が出現するのが見えた。直後に発砲音が聞こえ、その鉄板が弾丸を阻んでいる。おそらく鉄板は『強化』されている。

 そして、赤銅色の男は『強化』されているであろう腕で豪快に鉄板を投げつけたのだ。

 

———投影(トレース)開始(オン)

 

 再び詠唱。右手に現れたのは太い紐だった。それで気絶した侵入者達を縛っている。

 乱入してきた彼に気を取られていると、背後、つまりは魔物達がいた方向から大きな音が轟いた。

 そちらを見やればどこかで見たことある黒装束、それを着た金髪の男性が信じられないことに一本の剣を持って二体の魔物と拮抗していた。

 

(あれは確か……)

 

 その黒装束は神父服だ。そして、その手に持っているのは黒鍵だった。

 かつて出会った聖堂教会の老戦士が持っていたのを思い出す。

 金髪の男は二体の魔物の拳や炎の乱舞を超人的な動きで躱し続けている。とあるタイミングで、彼は魔物の片割れとの間に開いた空間を黒鍵で斬り裂いた。地面と垂直で一切のブレが見られない見事な斬撃だったが、

 

(斬撃を外した…?)

 

 金髪の男のミス…それにしてはあまりに間抜けだと言わざるをえないものだった。

 そして、次の瞬間に魔人が彼に接近して拳を振り上げる。これは流石に自分も間に合わない。

 

 

 刹那、男の目の前の魔物が頭から断裂された。

 

 

 金髪の男はその時ただ立っていただけにも関わらずだ。

 文字通り真っ二つに引き裂かれた魔物は多量の血を垂れ流し、その肉塊を砂の上に落とした。

 

(あの魔物を…殺した?)

 

 だけど、どうやって?にわかに信じ難い光景だった。そして男はまた黒鍵で空を裂いた。生き残っている魔物がいる方向に、今度は美しい横薙ぎを。

 そして豪速で接近した灼熱の魔物の身体が男の眼前で胸部から横に斬り裂かれる。その瞬間また男は悠然と立っていただけだったのに。

 

「グレイ!」

 

 師匠が駆け寄ってきた。

 

「怪我はないか?」

 

「拙は平気です。師匠は大丈夫ですか?」

 

「私は闘ってなどいないからな。…まさかこんな所で()に助けられるとは」

 

 師匠は赤銅色の男性を眺めながら呟いた。師匠の知り合い……いや、よく見れば自分にも見覚えのある人だった。

 

(えっと……確か名前は……)

 

 極東の冬木の地から一時期二人の日本人が来ていた。彼はその一人だった。もう一人は何度か声をかけて来てくれたので記憶しているのだが…とにかくその一人であるリン・トオサカとルヴィアの赤銅色の彼を巡る殺し合いは時計塔の名物になっていたという割とどうでもいい情報が浮かんでくる。

 

(なんだったっけ?)

 

 彼の名前は……、

 

 

「あ、シロウ・エミヤだ」

 

 

 


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