元ロード・エルメロイII世の事件簿「case.砂中の聖なる杯」   作:赤雑魚っ!

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明けましておめでとう御座います。そして今年もよろしくお願いします。

正月は実家に帰るなり従姉妹の双子の片割れのJKに宿題を手伝わされてました。
なんでも複数人の男と取っ替え引っ替えでデートしていたとかで宿題はノータッチ。いつ後ろから刺されてもおかしくなさそうな冬休みを過ごしていたそうです。東京で家庭教師のバイトをしているとみんな信じられないほどやる気に溢れていたので、やる気のない従姉妹を見た瞬間に「田舎なんてこんなもんか」と思いました。
…今年から受験生のくせに大丈夫かしら?


今回は書きたいところまで書くと文字数がやばくなりそうだったので途中で切り上げました。ちょっと中途半端に思う方もいるかもしれません。文字数管理って大変ですね。

*私の持っていた知識の中に勘違いというか間違えが見つかったため、そこの文章だけ修正いたしました。もう少し深く調べてからいつか後書きか前書きでそれついて書こうかと思います。


暗転

 早朝に目を覚ました。

 半球状の岩の部屋を見渡すと、意外にも静かな寝息を立てるフリューガーと珍しく自分よりも早起きした師匠がいる。

 師匠は髪が乱れたままメモ帳になにかを書いているようだった。

 

「おはようございます、師匠。今日は早いですね」

 

「あぁ、おはよう」

 

「なにを書いてるんですか?」

 

 バッグから櫛を取り出し、師匠の背後に行き彼の寝癖を直し始める。ついでに後ろからメモ帳を覗き込んだ。

 

「昨日起こったことの整理と地下で見た魔法陣さ。君はアレをどう見た?」

 

「アレ…ですか」

 

 師匠のメモ帳には大きな円に五芒星が内接し、接点を中心に小さな円が描かれている。大きな円には小さな文字が縁取るように描かれていて、自分には普通の魔法陣に見える。

 

「拙は中心の炎と一面の血に目を取られていたので…」

 

 そもそも大部分が血に染められて見えなくなっていたはずだ。恐らくこれは師匠が記憶を掘り起こし、復元と予測によって描かれたものなのだろう。

 

「小さな円の中で見えたのはこの二つだけ。あと一つは半分以上が血によって見えなかった。残りの二つは全くだ」

 

 手に持った万年筆で示された小さな円の中には黒い円が描かれている。半分以上見えなかったというものは端っこの部分に幾本かの波線……でいいのだろうか?他の三つは空白のままだ。

 

「あの、師匠、もう一つの見えた円は?」

 

「見ての通りの空白だよ。この中には恐らく何かの象徴(シンボル)が描かれていたのだろう、と思ったのだが…」

 

「空白がその仮説を否定している?」

 

 自分の言葉に師匠は頷き、こう続けた。

 

「…質問を変えよう。あの魔物たちと戦った時に感じたことはなかったか?」

 

「感じたこと……」

 

 一旦櫛を動かす手を止めて、彼らとの殺し合いを反芻する。

 

 肌を焼くような灼熱を。

 目を潰すような煌めきを。

 大気を震わせる咆哮を。

 人ならざる圧力を。

 他を蹂躙する剛力を────

 

「あ……」

 

「何か思い出したか?」

 

「はい。拙は初めて魔物を見たとき、アレは霊の類だと思いました。でも実際は肉体を持っていて……」

 

「限りなく霊に近い生命…アレの体はエーテルではないのだろう?」

 

 自分は頷く。聖杯戦争に呼び出されたサーヴァントなどがエーテルによる体を持つらしいが、あの魔物は確かに一つの生命だった。

 

「あの、他の疑問な点は一体何なんですか?」

 

「そうだな、まずはなぜ聖杯の少女は逃げ出さないのか」

 

「拘束されているからじゃ…」

 

「違う。()()()()()()()使()()()()()()()()()()と言いたいんだ。我々はもっと根本に立ち返るべきなのかもしれない。

 例えばミスタ・ハサンは彼女の力を使わないように集落で決めたと言っていたが、そもそも無差別的に人々の願いを叶える能力ならばそれ相応の措置は必要だ」

 

「措置、ですか?」

 

「彼女が人々の願う心を受信することができるなら、周囲が他へ発信する想念全てを遮断しなくてはならない。そのための結界の中であの少女をいつまでも閉じ込めておくほど彼らは非人道的だと思うか?その力が一生のモノかもしれないのに」

 

 非人道的…だが彼らは昨日、躊躇もなくヒトの喉を引き裂き、心臓を穿ち、その命を確かに奪っていった。

 

「拙には測りかねます」

 

「そうか?私には彼らがそこまで非道に見えないが」

 

「師匠がそう思うなら、そうなのかもしれません。あの、他には?」

 

 頭の良くない自分が考えても仕方のないことだったので話題を変えた。これ以上考えすぎて彼らとまともに話せなくなるのも避けたい。

 

「なぜ少女が忽然と姿を消したのか。それも転移などという魔法に近いモノを使ってだ。敵魔術師が彼女と一緒に逃げればいい話だ。姿をくらませていたということは我々の侵入も予想していた事態だったはずなのに」

 

「わざわざ自分たちに彼女を見せびらかす理由でも?」

 

「馬鹿馬鹿しい。単なる嫌がらせじゃないか」

 

 止まっていた手を動かし、師匠の髪をとき始める。今日の寝癖はしつこくないようで、やはり寝床があるのはいいことだと実感する。

 

「あの工房の警備をわざと緩くして我々が逃げられないほど奥に進んだところで崩落させる。ただ殺すと言う観点から見れば成功率は高い手段ではあるが、代償が大き過ぎる。そしてやはり彼女と我々を会合させる意味がないし、なにより魔術師としての在り方に疑問を呈さざるを得ん」

 

 魔術工房。魔術師の陣地であり研究所みたいなものだ。当然そこには代々の研究成果や資料が多く貯蔵されていて、家柄を尊重し、継続を考えるならば命よりも大切なもので、幾重にも罠を仕掛けるのが普通なのだ。そんな場所を敵もろとも捨て身を考えない限りはあんな真似はしないだろう。

「しかも私たちがライネスを運び、地上に上がって撤退する時に見たドームは無傷だった。彼らにとって下の工房よりもなんら魔術的措置が施されていないあの空間が貴重だということを意味しているかもしれないことにもなる」

 

「あの、変な言い方になるかもしれませんが…あそこの工房は仮置きだった、とかは?」

 

「根拠は?」

 

 半分だけ後ろを見た師匠が言ってくる。突き刺すような視線が痛い。

 

「あの岩山の地形があまりに不自然だったので、聖杯の力を使って新たに建てられた工房なのかなって……。だから、魔術師の本当の工房は別の場所にあって、あそこはただあったら便利な拠点でしかなかったのかな、と」

 

 寝癖が直った。幾らか絡まった髪を櫛から取って櫛をバッグにしまう。

 

「あったら便利、その程度であの規模のモノを造り出した…」

 

「すみません。忘れてください」

 

 随分的外れなことを言ってしまったらしい。師匠の眉間にシワが刻まれているであろうことが容易に想像できる。

 

「いや、候補の一つに入れておこう」

 

「はい?」

 

「何かおかしなことでも?」

 

「いえ…なんでも」

 

 振り向いた顔は小難しそうであるが、苛立ちはなさそうだ。

 

「あ、あの、拙はライネスさんの様子を見てこようかと思っているんですが…」

 

 「師匠も一緒にどうですか?」そう言おうと思ったのだが、

 

「そうか。私はここでもう少し考えている」

 

 そう即答されてしまった。

 

「…じゃあ、一人で行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライネスの見舞いのために廊下に出た。ガラスのない窓の外は空が白み始めている。

 

「イッヒヒヒヒヒ!さりげなく誘ったデートを振られちまったな愚図グレイ!」

 

「デート…」

 

「ああいうお堅い殿方にはよぉ、もっとこうグイッと強引にだなぁ…」

 

 べらべらとアッドが喋るのを聞き流していると人の声が複数聞こえて来た。どこの部屋もドアがないので声が漏れているのだ。こんな早朝から何をしているのだろう?

 少し気になるが、あまりじろじろと見ていいものでもない気がしたのでライネスや凛のいる部屋へ早足で向かう。

 アサシンたちが住む上の層ではなく、自分たちは下の層に部屋を借りており、凛たちの部屋も同じく下である。

 部屋に着くと夜通しライネスを診てくれていたのか凛の目の下にはクマがあった。相部屋なのか士郎もいる。

 

「おはようございます」

 

 顔を覗かせて挨拶する。

 

「おはよう、グレイ。よく眠れたか?」

 

「はい。砂漠や車の荷台なんかよりはずっと」

 

「ははっ、確かにそうだな」

 

 凛は眠いのか、こちらに目をくれず、といった感じだ。

 

(あれ?そういえば…)

 

「あの、トリムマウは…?」

 

 ここに残ったはずのライネスに付き添う水銀メイド兼護衛の姿がない。

 

「あの水銀ゴーレムならそこにいるわよ」

 

 不機嫌そうな凛が指差した先にあったのは水銀が入った大きな容器だ。

 

「ライネスの魔力消費を減らすために一時停止中。『I'll be back.』って言って親指立てて水銀の海に沈んでいったわ」

 

 絶対にフラットが教えた映画のセリフだ…。

 

「で?何の用?」

 

「え、あの…ライネスさんの様子を見に」

 

 苦しそうに眠る彼女は昨夜と変わり映えなく、言葉通りの現状維持なのだろう。

 自分の言葉がまずかったのか、凛は一度ため息をつく。

 

「崩落の時のショックで寝込んでいるだけよ。解呪ができなくても目覚める時には目覚めるわ。

 …あんまり頻繁に来られるようになったら迷惑だから言っておくけど、何かあったらこっちから士郎でも使って連絡するから、あんたは今後のことを心配なさい」

 

「今後?」

 

「敵の主戦力はあの魔物。だけどあんたやあの神父にはまるで通用しない。だったら今度はもっとタチの悪い奴が出てきてもおかしくないでしょ?加えてこちらは情報なし。後手を取らされざるを得ないのよ」

 

 まるで諭すかのように凛は言う。彼女が言うのだからきっと間違いではないのだろう。

 

「あんたの専門があのへっぽこ講師の世話と戦闘ならそっちに気を向けなさい。今ここにいて何ができるわけでもないし、私は集中したいから」

 

「…はい」

 

「それとこれ」

 

 差し出されたのはハンカチだ。赤い布地に黒猫が刺繍されている。

 

「まずはその埃だらけの顔を洗ってきなさい。こんな環境でも身だしなみを整えるのは淑女としての基本よ?」

 

 優しくそう言われ、ハンカチを受け取る。

 

「じゃ、俺は朝食のために水汲みに行かなくちゃいけないからグレイを案内してくるよ。遠坂も休めるときに休んでおけよ。倒れられたらこっちが困る」

 

「わかってるわよ。どこぞの馬鹿と違って身の程は弁えてますし」

 

「その馬鹿が誰なのかは聞かないでおくよ。じゃ、行こうか」

 

 若夫婦でも見ているかのような気持ちになっていると、士郎が立ち上がり自分とともに外に出た。

 

「ごめんな。遠坂の言い方はああだったけど、きっと君を心配してるんだと思う」

 

 士郎は穴蔵の出口にあった持ち手のある大きな容器を二つ持つ。

 

「いえ、どういう人なのかはわかっているので。…一つ持ちましょうか?」

 

 確かに傷つく言い方だったが…。それでも気遣いを忘れずにいる素敵な女性だと思う。

 

「女の子に持たせるのは抵抗があるんだが…」

 

「いえ、大丈夫ですよ?」

 

「…そうか?じゃあよろしく頼む。まずは渓流に行こう。晴れてるし景色が綺麗だと思うぞ」

 

 穴蔵の外に出て、整えられていない岩肌を下ると同時に迂回して山の裏を目指す。

 

「ここの裏にも険しい山が幾つか続いていてさ、歴代のハサンの一人がそこの山で修行していたらしいんだ」

 

「もしかしてここに集落を作った理由って…」

 

「あぁ、俺も詳しくは聞かなかったけど、彼らにとって所縁(ゆかり)の地なんだろう」

 

 魔術師だからこそのペースで歩いていると流水の音が聞こえてくる。思った以上に早く着きそうだ。

 士郎は話題選びに困っているのか、地面と靴底が擦れる音が続く。とはいえ話題がないのは自分もそうなのだが。

 

「そういえば……」

 

 途端に思い出した。

 

「何かしたか?」

 

「その、昨日はありがとうございました。師匠と自分を助けていただいて」

 

 どんな方法を用いたかは聞かない。術式の話になれば基本的に理解が及ばないし、魔術師同士で魔術の詳細(ディテール)を言わないのは暗黙の了解だ。

 

「ん?あぁ、崩落の時の…そうだな。確かに俺がやったけどお礼はいいよ。当たり前のことをしただけだし、ライネスは救えなかったからな」

 

「あの崩落は師匠も気づけなかったことですので…何もできなかったという意味では拙の方が…」

 

「何言ってるんだ。グレイはあの魔物たちを倒しただろう?」

 

「でも、もし拙が倒さず逃げ帰れば……」

 

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 見透かされていたような発言。途端に足が止まった。自分が止まったことに気づいて士郎は数は先で振り向き、こちらを見上げる。

 

「結果論でモノを言っちゃ意味がないぞ。そしたらサームが納得しないままになってしまう。誰かが心身ともに無事だったなんて保証はどこにもないんだ。きっと聖杯をめぐる争いってのはそんなものなんだと思う」

 

「わかりません。サームさんだって目の前からあの子が消えて…」

 

「それでも無事…とは言い難かったけど安否は確認できただろう?それだけでも希望につながるはずさ」

 

 刹那、風が吹いた。

 フードが風にさらわれ脱げてしまう。

 士郎が少しだけ息を飲むのが見える。

 そして、優しく微笑んだ。

 

「それにさ、グレイはアーサー王の生き写しなんだろ?その力を振るった先にあったことを卑下しないで、堂々としていてくれた方が俺は嬉しい」

 

 彼の言葉が温かい。だが、その分だけ恐ろしい。きっと彼は誰かと自分を重ねて話しているから。

 慌ててフードを被り直し、目を伏せる。

 

「あ、いや…悪い。君の事情を何も知らないのに勝手なことを……無神経だったな。そのことで嫌な思いもしたかもしれないのに」

 

 士郎は、「やってしまった」そう言いたげに眉間に手を当てている。

 

「いえ、気にしないでください」

 

 そういう風に気遣ってくれた人はどれほどいただろうか?後にも先にも自分の状態を知った人でそうしてくれたのは師匠やライネスだけだったかもしれない。

 

「そっか。まぁ、色々言ってしまったけど、要するに昨日のことはあんまり気にするなってことさ。目に見える全てを救いたいなんて壊れた幻想を抱く奴は、たった一人で十分なんだから」

 

「…拙は、そこまで利他的にはなれません。ただ親しい人だけは守れればそれでいいと思っています」

 

 どこか自虐的に響いた言葉にそう返した。

 

「そうか。それはいいことだと思う。本当に」

 

 そこからは無言で歩いた。景色が変わり出したしたのは歩き始めてすぐのことだった。

 ここの土地に来て景色といえば岩か砂だけだったが、眼前に険しくも美しい山々が現れた。眼下にはハサンが言っていた渓流があって、水のすぐ近くの岩にはへばりつく緑色が多い。

 

「な?綺麗だろ?」

 

「はい…とても」

 

 自分と士郎は斜面を下り、渓流に近づいていく。

 底が見える透き通るような水。触れれば冷たくて気持ちいい。

 手ですくって顔に当てる。それを数回繰り返し、凛から借りたハンカチで拭いた。そのあとはハンカチを水に浸して絞る。

 

「スッキリしたか?」

 

「…はい」

 

「じゃ、とっとと水汲んで厨房に運ぼうか」

 

 自分と士郎は容器に水を汲む。ひょっとしたら五リットルくらい入るのではないだろうか?

 

「持てるか?」

 

「問題ないですよ」

 

「へぇ。…グレイは力持ちなんだな」

 

「ある程度鍛えてはいるので」

 

 何気ない言葉を交わしていると、足音が一つ。それが聴こえた瞬間に二人揃ってそちらを見やる。

 

「あぁ、おはよう。朝早くから何してたんだ?」

 

 先に声をかけたのは士郎だ。

 

「おはようございます。ちょっとした散歩ですよ。思いの外時間を食ってしまいました。グレイ殿もおはようございます」

 

 オルハンはいつもの如く丁寧な口調で挨拶をする。

 

「…おはようございます。あの、ここら辺に何かあるんですか?」

 

「特にはありませんね。強いて言うなら上流には山々、下流には麓の結界の起点でしょう。起点は魔術に精通した者が定期的に確認することになっています」

 

「朝の祈りはいいのか?やっと時間ができたのに」

 

「時間になったかもしれないと思ったので道中で済ませてしまいました」

 

 初めてオルハンの真面目な顔が綻ぶのを見た。というか祈りとはなんなのだろうか?

 

「我々は明け方から日の出(ファジャル)正午から昼過ぎ(ゾフゥル)昼過ぎから日没(アッサル)日没直後(マグリブ)就寝前(イシャ)の五つの時間帯にメッカのカアバ神殿を向いて神への祈りを捧げることになっているんですよ」

 

 自分の頭の上に疑問符でも浮かんでいただろうか?オルハンは聞かずとも丁寧に答えてくれた。

 

「もしかして、それを毎日ですか?」

 

「はい。特別なことがなければ毎日。それと今日みたいに金曜日はサームが代表して街のモスクで礼拝をするのが基本なのです。流石に集落全員が街に行くだけの足はありませんので、ゾフゥルの時は集落の全員が集まり、祈りを捧げることになっています」

 

 六信五行は知っていたが、これほど大変だとは思わなかった。

 オルハンは「持ちましょうか?」と自分が持っている水の容器に手を伸ばす。その指が自分の手に触れた途端、

 

「──っ!」

 

 

 ────自分の全身が何かを感じ取った。

 

 

 熱くて冷たくて停滞するようで痺れるようで蠢いていて狂おしくて欲深くて悍ましくて恐ろしくて揺れていて重なっていて震えていて嫌に誘惑的で近づきたくない何かがすぐ近くにいる。

 すぐさま周囲を見渡すが何もない。

 でも確かに何かが自分を刺激したはずだ。

 何度も何度も首を振って周囲を探す。

 何処だ?何処だ、怖くて怖くて怖い何かは何処にいる?

 

「…い?…レイ?おい、大丈夫かグレイ?」

 

「……へ?」

 

「どうかしたのか?すごく顔色悪いぞ?」

 

 士郎がフードの中を覗き込むように、自分の顔を見ている。気づけば冷や汗をかいていた。容器を落としていたようで、地面に水が溢れている。

 

「へ?あ、いや…その」

 

 顔と顔が近くて、自分はフードを深々と被って俯いた。

 

(今のは一体…?)

 

 何もいない。何もいないはずなのに何かがいた。

 

「大丈夫ですか?やはり私が代わりに持ちましょう。きっと疲れているのですよ」

 

 オルハンはいち早く容器を拾い上げ、水を汲み、たくましい腕で軽々とそれを持ち上げた。

 

「いえ、勘違いだったようです。大丈夫ですので拙が持ちます」

 

「ダメだ。オルハンに持ってもらえ」

 

「でも…」

 

 何かしていないと落ち着かないのだ。そのせいか、親しいわけでもない人に図々しく食い下がってしまう。

 

「わかった。じゃあ、こうしよう。戻って顔色が良くなっていたら料理を手伝ってくれ」

 

 士郎は、「仕方ない」とでも言いたげな表情だ。

 

「…わかりました」

 

 これ以上しつこくするのも申し訳なく、自分は渋々頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 士郎が厨房と呼ぶ場所は、下の集落の隣に掘られた比較的通気性のいい場所だった。一般的な鍋やフライパンなど調理器具は充実しているようだが、火元は車で片道四時間くらいの街で買った木材を燃やすらしい。

 

「火加減が慣れるまで苦労したけど、そこらへんは俺が調節するからグレイは気にしなくて大丈夫だ」

 

「はい」

 

「そういば、羊の肉は余ってたっけ?」

 

 これは自分に向けられた質問ではなく、さきほど水を運び終えたオルハンと入れ替わるように入って来たアレクセイに投げかけられたものだ。

 

「えぇ、残りわずかですが朝食で使い切ってしまっても問題ないでしょう。私はライスを炊きますので、後はお二人でごゆるりと」

 

「…含みのある言い方はやめてくれないか?」

 

「え?グレイさんを狙ってるんじゃ…」

 

「誤解だって言っているだろ!?この際だから言っておくけどな、遠坂は……遠坂は誤解だけで人を殺しかねないおっかない女なんだぞ!」

 

 食い気味に士郎が言う。その必死さから彼の苦労が滲み出ている。本当にいつか女性が原因で死にそうだ。

 

「ははっ、面白い冗談だ」

 

 半笑いのアレクセイはそれをさらりと流してライスの調理に取り掛かり始めた。口だけ笑って目は全く笑っていないのは見間違いじゃないと思う。

 

「はぁ……とりあえず俺たちは野菜を小さめに切っていこう。羊肉はその後だな」

 

 自分が頷くと、士郎も頷いてジャガイモの皮を剥き始める。

 

「グレイは普段から料理するのか?」

 

「料理というほどかはわかりませんが、師匠にトーストや目玉焼きとか軽いものを作ったりはします。スープも作るので野菜を切るのは慣れてます」

 

「ハッ!エルメロイの奴は生活力ゼロだもんな!」

 

 アッドが声を上げた。自分のフードの下ではなく、部屋の隅からだ。流石に料理をするにはアッドを持ちながらじゃ不便だったのだ。

 

「そうなのですか?てっきり私生活もきちんとした方だと思っていたのに」

 

「神父さんよぉ〜、荷台の上で年下女子に髪を整えて貰う男がそんな奴なわけないだろうが」

 

「あぁ、言われてみればそうですね」

 

「そうだぜ!英国紳士を名乗って都会に憧れていた田舎娘のグレイを騙して連れて行った先は散らかり放題のクソアパート!それからコイツは掃除やら何やら身の回りの世話を押し付けられたんだ!」

 

 嘘と事実が混同していてどこから突っ込めばいいのやら。というかアッドはことの詳細を全て知っているだろうに。

 

「それはお気の毒。にしても意外ですね。グレイさんは上品なお顔立ちからどこぞの都市のお嬢様か何かかと予想していました」

 

「世辞はやめとけ!調子にのるぞ!」

 

 なぜのあの匣と神父は仲良さげに話しているのだろうか?いや、そんなことはどうでもいいから話題を変えて欲しい。あんな虚言に耳を傾けつつも慣れた手つきでライスを研いでいるのもまた腹立たしい。

「しかし本当によく喋る魔術礼装だな。時計塔にいた頃でも見たことがない」

 

「初めて見た時は師匠も驚いてました。拙にとってはアッドが喋るのはごく普通なんですが」

 

「…あの人が何かに動じる姿はイメージしづらいな」

 

人は見かけによらずと言うが、師匠はまさにそれを体現しているのだろう。中身は膨大な知識を持った貧弱な現代っ子である。

 

「師匠はライネスさんが持ってくる無理難題に割と取り乱したりしてますよ」

 

 そのせいで胃が華麗に三回転半を決め、さらに胃に穴が開くのではないかと思うほど胃液が働きすぎることもある。あとはフラットの常軌を逸した言動に対してもそんな感じだ。

 

「血が繋がってないって聞いたけど、それでも仲がいいんだろうな」

 

「拙も、そう思います」

 

 そうであって欲しい。でなければ自分が見てきた彼らは一体何だったのかわからなくなる。そんなことを思っていると、いつのまにかライスを研ぎ終え、釜に熱を加えている神父が口を開いた。

 

「情や絆の前に血筋なんてモノを持ち出すのは愚かなことですよ」

 

 首に掛けられている錆びついた十字架に茶色の目を落とし、懐かしむようにいじりながらアレクセイは言葉を綴る。

 

「…血統とは一生解けることのない呪いに等しい。足掻き続けても、己の身の内に確かに流れているのだから、肉体を捨てずしてそれから逃げることは叶わない。私はそんなものが絶対の愛の証明だなんて考えたくはなですね」

「…なんだかキリスト教徒らしからぬ言葉ですね」

 

 愛の宗教と呼ばれるキリスト教の神父の言葉とは到底思えない。まるで神の愛(アガペー)以外は認めないとでも言いたげな口調だ。

 

「お恥ずかしながら周囲からもそう言われます。ですがこの考えだけは捨てなくないのですよ」

 

「…まともな神父は良いことを言うな」

 

 まともじゃない神父でも見たかのような呟きが士郎の口から漏れた。

 

「まぁ、血の繋がりだけで家族と言うのは俺も抵抗があるな。そんなモノがなくても気持ちが繋がれば誰だって家族にはなれるし」

 

「…なら師匠とライネスさんはちゃんと家族でしょうか?」

 

 ライネスを心配するそぶりを見せない師匠を思い出す。もっと表に出して貰わなければ分かりづらくて仕方がない。考えれば考えるだけ不安になる。

 

「それは俺たちに聞いても仕方がないことだぞ?彼らのことをよく知っているのはグレイの方なんだからさ」

 

 まったくもって士郎の言う通りだ。

 

「…浮かない雰囲気だな。やっぱりライネスの方が心配なのか?」

 

「そんなの……当たり前です」

 

「そんなに心配なら遠坂に頼めばいいじゃないか」

 

「いえ、邪魔するのは嫌です。…ただ、少しでもそばに居られればいいな、と」

 

自己満足なのは重々承知だ。傍に自分がいて何ができるわけでもない。今のライネスに必要なことではないのだ。

 

「だったらさ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の荷台はこれまで乗った車とは違って覆いがあり、砂の煩わしさはそう感じない。

 厨房での士郎との会話から朝食を終えて、自分は士郎の提案により彼の代理として車に乗り込み、砂漠の中にある街へと向かっている。運転手は知らない人物で、荷台にはサームと神父服から民族衣装に衣替えしたアレクセイのみだ。

 一応、凛の代理としてアレクセイが来ているのだがサームと一緒というのはなかなかの人選ミスだと思う。

 

「あの…今更ながら拙が乗ってよかったんですか?」

 

 サームに向かい尋ねてみる。

 

「本当に今更だな。別に買い物と積み荷を手伝ってくれるならば誰でもいい。あとくれぐれも礼拝の邪魔はするなよ、そこの神父」

 

 睨みをきかせるサームにアレクセイはにっこりだ。それがサームの神経を逆撫でしている。笑顔を作るのはアレクセイなりの処世術だと思うが、もしもこれを狙ってやっているのならば、この神父は聖人に見えてその実とても性格が悪いのではないだろうか?

 

「邪魔などしませんよ。崇拝する神を同じくする者の祈りを邪魔立てするなど罰当たりにもほどがある。それよりも貴方は昨日の今日で大丈夫ですか?」

 

「貴様に心配されるまでもない。昨日オルハンに指摘された通り来訪の者の前でいつまでも弱気ではいられん。何より公私混同はしない主義だ」

 

 立ち直りが早いのか、それとも見栄を張っているのかはわからないがそういう風に振舞ってくれるのは見ていて安心する。士郎が言ったように少女が生きていたことが彼に希望をもたらしているのかもしれない。

 

「そういえば…今朝オルハンさんから聞いたんですけど、なんで集落の代表がハサンさんではなくサームさんなんです?」

 

 質問した自分の方を向いたサームは一瞬だけ固まった。まさか聞いてはいけないことだったのだろうか?

 

「あの、失礼な質問でしたか?」

 

「いや、無知は罪でも悪でもない。知ろうとしないことこそ怠惰故に悪しきことだ」

 

「はぁ……」

 

 いきなり教師のような口調になったサームに間の抜けた返事をしてしまう。その切り替えの早さは少しだけ師匠を思わせた。

 

「我が集落が今衰退しつつあることは言わずともわかっているだろう?なぜだと思う?」

 

「宗派の分裂があったと聞きましたが…」

 

「それはある意味衰退の結果に起こったことだ。まぁ、言ってしまえば一番の原因はハサンにある」

 

 まっすぐ向けられた視線に射抜かれる。猛禽類を思わせるような眼力に目を逸らしたくなるが、その反面で逸らせない何かを感じる。ある種のカリスマというやつかもしれない。

 

「聞き及んでいるかは知らんが今のハサンは血統によって決まる。だが昔は違った。厳しい修行の末に暗殺の秘奥“××××(ザバーニーヤ)”を得た者を山の翁として崇めていたのだ」

 

「ザバーニーヤ…」

 

「いつから秘奥がそう呼ばれていたかは知らないが、ザバーニーヤは地獄を管理する十九人の天使の名であり、その名を冠する秘奥に至った翁もまた十九人。伝承を聞いた何者かがそう呼んだという説がある。

 ……ザバーニーヤは一子相伝の秘奥ではなく、個々人が持ち得た超常の力と思えばいい。たとえ過去の翁のそれを模倣できたとしても、その者が翁に選ばれることはない。つまりザバーニーヤはその代の翁の代名詞だったわけだ。だが時代が進むと同時に科学が発展し、地上の神秘が薄れた。今のアサシンに修行の末に得られるものは技術の他に何もない」

 

 …なるほど。なんとなく話は見えてきた。

 

「得心いったか?」

 

「はい。その代名詞があったからこそ、山の翁はアサシンたちに崇められていた。だけど今はそれがないから昔ほどの支持が得られないわけですね」

 

 だから宗派の中でも思想が入り乱れて分裂を引き起こした。

 

「その通りだ。今の山の翁を象徴する物はあの髑髏の面のみ。故にたとえ見知らぬ者の前であっても仮面を外すことは許されないのだ。流石に街に髑髏の面をつけた男がいては怪しいから私が代表として来ているわけだよ。

衰退の最中、宗派の拡大を図らない翁に付き従わなくなる者がいても不思議ではないだろうな」

 

最後の言葉を言う時には鋭い眼光が消え失せていた。そして最後に付け足すように、

 

「とは言え、布教をしないという兄者やそれ以前のハサンの考えを責めるわけにもいくまい。我らが生業とし、極めるものは所詮は人殺しに他ならない。愚者の手に渡れば無差別な殺戮が繰り返されるハメになる」

 

 そう言った。

そして車が止まった。降りてみればすぐそこでバザーが催されていた。街並みはまさしく発展途上で古い建物と真新しい建物が混在している。唯一目を惹かれるものといえば人の流れが向かう先にある宮殿のような建物だ。

 

「時間が迫っている。礼拝を済ませたらここで買い物をしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾフゥルの時間にギリギリ間に合ったサームと付き添いの人が礼拝堂の中へと入っていくのを見送り、流石に大勢が礼拝をしている場に居合わせるのは憚られ、礼拝堂の外でアレクセイとともに待ちぼうけしている。

 モスクと呼ばれる礼拝堂は外観が豪華絢爛な宮殿のようで、どうしてか既視感を覚える建物だった。初めて見たもののはずなのに……どこか似た場所に入ったことがあっただろうか?

 

「そういえば以前から気になっていたのですが、グレイさんは霊媒師か何かなのですか?」

 

 暇を持て余し、壁に寄りかかるアレクセイの唐突な質問が飛んで来た。

 

「…何ですかいきなり?」

 

「いえ、単なる興味本位です。答えたくなければ今の質問は取り消しますよ」

 

 神父は「事情は人それぞれですし」と続ける。それを見て自分は、

 

「…拙は、とある霊園出身の墓守りです」

 

 そう答えた。この人はおそらく他人の事情に深く踏み込むことないだろう。

 

「どうりで。昔仕事で出会った人と似ていると思いました」

 

「似てる?」

 

「外見じゃなくて身体のない者の本質をが見えすぎるという意味ですよ。まぁ、貴女のは些か度が過ぎるようですが」

 

 身体のない者。

 それは死者よりも死者らしく。

 生者よりも生者らしく。 

 故郷で、自分がいくつもいくつも見てきた光景。 

 不条理で、不合理で、生きても死んでもいないもの。

 

 

 ────『お前が滅ぼすべきはアレだ。アレだ。アレだ。アレだけだ』

 

 

 その存在を感じるたびに、故郷の空気を、土を、緑を、そして言葉を頭の中でリフレインする。衰えるどころがより鮮烈に色を帯びていく。

 

「元ロード・エルメロイはなぜ貴女を内弟子に?」

 

「できればII世をつけてあげてください」

 

「これは失敬」

 

 礼儀正しく頭を下げるアレクセイを一瞥し、自分は答える。

 

「師匠は、第五次聖杯戦争に参加するつもりでした。英霊を使い魔(サーヴァント)とするあの闘いに臨むため、墓守という対霊戦に特化したスペシャリストを求めていたんです」

 

 民族衣装に身を包んだ神父は黙って耳を傾ける。人の話を聞き慣れているのか、その態度は話す者の言葉を引き出すためのものだろう。

 

「当時の拙の先生に当たる方は最初はどうするつもりだったかは知りませんが、色々あって結局師匠に拙を預けました」

 

「で、貴女を授かり、内弟子にしたにもかかわらず結局彼は第五次には参加しなかった」

 

「なぜそれを?」

 

「言峰神父…同僚からの報告は教会で目を通してますので」

 

 第五次で監督役は死んだと聞いているので、言峰という人はすでにこの世にいないのだろう。別段仲のいい存在でもなかったのか、アレクセイは淡々と言っていた。

 

「そうえいば、彼の報告の中にマスター登録した人のリストがあったのですが、遠坂さんと衛宮さんは参加していたようですね。知ってましたか?」

 

「衛宮さんもですか?」

 

 少し意外ではある。

 

「はい。彼の気質からすると儀式に巻き込まれた感じだと思いますがね」

 

「あ…」

 

 ────『聖杯、それがあるだけで争いは絶えなくなる。……俺はそれを止めたいんだ』

 

 

 途端に彼の言葉を想起した。あの言葉を聞いた時点で決めつけてしまっても良かったかもしれない。師匠が士郎を少しだけ特別視している要因は彼が第五次聖杯戦争の生存者だからだろうか?

 アレクセイとの数分ほどの会話の途中で人々が出入り口から流れ出てきた。さらに二、三分くらい待っているとサームたちがこちらに寄ってくる。

 

「待たせたな。では、買い物をすませようか」

 

「すみません。その前にここの中を見てもいいでしょうか?」

 

 アレクセイがモスクの出入り口を指差してサームに尋ねる。それに対してサームは怪訝そうな顔で口開く。

 

「異教徒の貴様が何をしに入るんだ?」

 

「なに、観光がてら社会勉強みたいなものですよ」

 

「…まぁ、いいだろう。時間などたっぷりあるからな」

 

「そんなに長居するつもりはありませんよ」

 

 アレクセイの言葉の後に、サームの案内で中に入った。そして自分はここにきてから感じていた既視感の正体、それにようやく気づくことができた。

 神秘的な幾何学模様の壁に、飾り気のない美しい建物。昨日見たドームに雰囲気が似ている。むしろ色があるので、見た目だけで言えばあそこよりも神聖さを増しているようにも思える。

 

「…やはり昨日の空間はこれを模していたんですね。ハサン殿はここに来たことがあるのですか?」

 

「先代…我らの父が亡くなるまでは兄者が代表として街に来ていたからな。見間違いと思ったのは久しくここに来ていなかったからだろう」

 

「貴方とオルハンさんはなぜ黙っていたのですか?貴方は毎週ここに来ているし、オルハンさんも付き添いでいくらか来ているのでしょう?」

 

 神父の茶色い瞳から柔らかくも力の込められた視線がサームを貫くように放たれる。疑念を孕んだそれに対して抗議の意が含有された猛禽類のような眼力がぶつかり、不思議な緊張感が生まれ始めた。

 

「兄者が見間違いだと言ったからだ。オルハンの方もそうだろう」

 

 その口調に棘がある。放っておけばサームが殴りかかってもおかしくなさそうな雰囲気だ。

 

(これは…少しマズい)

 

「その…そう言えば、ぐ…偶像とかはないんですか?拙は興味があるのですが……」

 

 雰囲気が悪くなる前に(すでに悪いが)自分は話題を変えるため、ふと思ったことを口にする。

 礼拝といえばマリア像のイメージが強い自分には、この飾り気のない空間を礼拝堂と呼ぶにはしっくりこない。

 

「ありませんよ。イスラム教では偶像崇拝より固く禁じてますし、三位一体の思想を否定していますからね。我々と考えを(こと)にする一つの要因ですよ」

 

 建物の中を見渡すように首を動かすアレクセイが自分の問いに答えてくれた。そして幾らか見渡した後に、

 

「どちらが劣っているとも思いませんが、彼らの方が神をより神聖なものと見ているのかもしれませんね。……見たいものは見れましたし、買い物に行きましょうか」

 

 自然な微笑みを作り出してそう言った。さきほどの無礼を詫びるかのように一歩譲った言い方だった。

 

「……」

 

 アレクセイが踵を返す。サームが彼の背中を睨みながら歩き始めた。自分ともう一人の集落の人は二人の後ろを黙って歩く。

 まだまだ日が高い時間帯。気まずい雰囲気の中、自分たちは食糧を求めてバザーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は進み、砂漠の向こうに太陽が沈んだ頃。

 街に向かった一行は未だ集落についていない頃。

 夕餉が終わり、士郎は大鍋を片付けるべく穴蔵を歩いていた。

 

「ん…?」

 

 聞こえてきたのは泣き声だ。

 幼い喚きに足が向き厨房とは真逆の方向、つまりは穴蔵の奥へ奥へと進んでいく。光源の蝋燭の火が揺らぐ薄暗い空間だ。

 泣き声を上げている少年はそこにいた。

 

「どうしたんだ?友達と喧嘩でもしたのか?」

 

 士郎は集落に長期間滞在しているため、大半の人間とは顔見知りだ。少年もその一人。集落において数少ない子供達は外部の者の珍しさからか、よく遊ぶ間柄でもある。

 少年は肩に添えられた手に気づき、半身で後ろを振り向き目の前の空間を指差した。

 

「────っ!」

 

 

 

アカイロだ。

 

 壁も、床も、全部が全部滴る液体にアカく、紅く、赤く塗りたくられている。

 液体の源は黒い瞳の眼球を床に転がし、喉を引き裂かれ、壁に貼り付けられている二つの肉塊。士郎はその基となった人間も知っている。

 件の聖杯の少女の両親だ。彼らの先には無造作に投げ捨てられた複数の死体が寝そべっている。

 

(この殺し方は……)

 

 不意な出来事に驚きはしたものの、死体を見慣れている彼はすぐに落ち着きを取り戻し、泣きじゃくる少年の両目を手で覆った。

 

「…見るべきものじゃない。まずはここを離れよう」

 

 囁きかけて少年とともに踵を返した。

 刹那、蝋燭の火が強く揺らぎ暗転した。

 暗黒にて鼓膜を弱く、しかし印象的に叩くは卑しい嗤い。

 周囲を確認するため、二人は一度足を止めた。

 

 ────次の瞬間、士郎の喉元に斬撃が疾った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同刻。

 半球状の部屋にて元ロード・エルメロイII世とフリューガーは体を休めていた。

 

「なぁ、酒持ってないか?手持ちの分を切らしちまった」

 

「初対面の時に言わなかったか?私には酒を持ち歩く習慣がない」

 

 フリューガーの何気ない質問に、葉巻を吸いながら、万年筆を片手にメモ帳と睨み合う元エルメロイII世は即答する。

 

「んな六年以上も前の話なんざ覚えちゃいねぇよ!じゃあ、葉巻を一本くれ!」

 

 フリューガーに葉巻を一本渡した後、元エルメロイII世はメモ帳の一ページを破り、丸めて部屋の隅に投げ捨てた。これを何度も繰り返しているので、その分だけ部屋の面積を丸め込まれた紙に侵食されている。

 

「ありゃ?初対面の時は葉巻はやらんと息巻いてなかったか?」

 

 わざとらく眉を顰めるフリューガーは「毒でも入れてんのか?」と冗談めかす。

 

「なに、ほんの気持ちだよ。吸わないならば返してもらっても構わんがね」

 

 そう言いながら元エルメロイII世はギロチン式のシガーカッターとマッチを手渡す。

 

「ははっ、ありがたく頂戴するさ」

 

 葉巻の両端を切断し、マッチを擦り火を付ける。二本の葉巻が煙を上げ、部屋に充満しだした頃だった。

 

 

 ────卑しい嗤いが木霊する。

 

 

 廊下の蝋燭の火がいつのまにか消されており、二人の部屋の出入り口の前に見知らぬ褐色の男が佇んでいた。

 その口から漏れる嗤いが、同時に長い詠唱であることに気がつくのに数十秒。二人はいきなりのことに唖然としていた。

 男がこちらに手をかざす。刹那、数多の呪弾が顕現、そして射出された。

 

「「な────!?」」

 

 紫と黒の呪弾が二人に迫る。

 しかし、逃げ場のない彼らを撃ち殺さんと大気を走るそれは出入り口を通過しようというところで『壁』に阻まれた。

 その『壁』は彼らがここに来たばかりの時に元エルメロイII世の指示の下、フリューガーとライネスが展開した結界だ。

 

「おいおいおいおいおい!!!何だあいつは!?」

 

「私が知るものか!いいから結界に魔力を込めるぞ!」

 

 男の手のひらから溢れ出る呪弾は底知れず、未だに結界を叩き続ける。

 二人は部屋の中心に寄り、結界の起点に魔力を込める。しかし、元はライネスの細かな魔力調節を当てにした結界だ。すぐにそれは軋みを上げ始めた。

 

「おいエルメロイ!あんたのせいで魔力の込め方にムラができてんだよ!」

 

「私はこと実技に関しては平々凡々なのだ!それと“元”と“II世”をつけたまえ!」

 

 繰り返される軋む音が、今度は結界に亀裂をもたらした。

 

「あぁクソが!あんたはもう魔力を込めるな!俺が一人で負担する!」

 

 フリューガーの提案をすぐに飲み、元エルメロイII世は引っ込んだ。

 亀裂の修復と破壊が応酬される。

 フリューガーの魔力が底尽きるかのが先か、敵の魔力が枯渇するのが先か。

 拮抗は続く。卑しい嗤いも止まらない。

 しかし刹那、大気を震わす衝突音が鳴り止んだ。同時に男の頸部から噴水の如く赤い液体が湧き上がっている。

 

「お二人とも、お怪我は!?」

 

 血を伝わさせ、地面にしとしととそれを落とす黒塗りの短刀を持った男が声をあげた。

 

「…ミスタ・オルハン。感謝する」

 

「いえ、こちらの不手際ですので。付いて来てください。ここからあなた方を逃すようにとハサン様に仰せつかっています」

 

 そう言った。オルハンの背後へ、元エルメロイII世は葉巻を投げた。

 途端、ぼうっ、と葉巻が発火しオルハンに迫っていたもう一人の男を怯ませる。

 すぐさま振り向いたオルハンが短刀で敵の心臓を突く。

 

「…やはりこの土地では火力が鈍いな」

 

彼でも即興で使える簡易魔術。幾らか私物には仕込みは施してある。

 

「おい、何だよその葉巻?凶器を人にお裾分けしてんじゃねぇよ」

 

「ちょっとした護身術だ。気にしなくていい」

 

 さらりと答える元エルメロイII世にフリューガーはため息をつく。そしてオルハンが今一度口を開く。

 

「ありがとうございます。状況の説明は走りながらで」

 

頷く二人。そして三人で穴蔵の廊下を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首元の鋭い悪寒。士郎は少年を抱えたまま体を後ろに倒した。

 

「──投影(トレース)開始(オン)!」

 

 倒れながら右腕を薙ぐ。詠唱の直後に右手に鉄パイプが現れ、暗闇に潜む影へ弧を描いた。

 打撲音が聞こえ、鉄パイプが叩いた人物は壁に衝突したようだ。

 少年を横に避け、立ち上がった士郎は襲撃者を確認する。

 

「…何であんたが」

 

 その男にも見覚えがあった。

 上に住まうアサシンの一人だ。

 

「あんたが彼らを殺したのか!?」

 

 激昂し、男を揺さぶる。男は狂ったように嗤い、顔を上げた。暗闇の中で光るその黒い瞳には狂気が内包されている。

 

「声が……」

 

震える唇が、不安定な声を漏らす。

 

「声?」

 

「あぁ、声が聴こえたんだ!今宵ここでの悪徳総てを神が黙認する!殺して殺して殺して殺して殺し尽くしたところでこれは裁きに値しない!」

 

「ふざけたことを…!」

 

 ぎりり、と歯を鳴らし士郎は男を睨む。

 しかしそれでも口からよだれを、目から涙を、全身から欲望を滲み出し、狂ったように男は叫び続ける。

 そして途端に囁くように、

 

「ふふ…ふははっ!なぁ?なぁ?衛宮士郎?……君にはこの声が聴こえないのか?」

 

 高揚する男は士郎に問いかけた。

 

 これは幕開けだ。

 強きが弱きを蹂躙し、欲と殺意が入り混じる。

 血に塗られた夜が始まったのだ。

 

 

 ────刹那、暗転した穴蔵を数多の悲鳴が支配した。

 

 

 

 

 




次回は事件簿七巻を読み終えたら書き出そうかと思っております。

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