元ロード・エルメロイII世の事件簿「case.砂中の聖なる杯」 作:赤雑魚っ!
大地を潤す二本の大河。
草は茂り、実のついた木々が聳えている。
様々な動物の声が入り混じる。
とても豊かな場所だった。
(…まるで楽園だ)
動物たちの糞尿で肥えた土壌の匂いが懐かしい。
(何でだろう……?)
その体は草をかき分け、楽園の中央へと向かっていく。そこにいた女性を目を細めて見上げている。
「…そこな女よ────」
ぱちり、と瞼が開いた。疲れているのか不思議な夢を見た気がした。あまりに現実味を帯びて来ない場所をほふく前進していたのだろうか?あいにくながら自分の姿は映し出されなかったのでわからない。
(…ただの夢か)
なら考えても無駄だろう。そう思い、これで三度目になる岩の天井を見つめ、上体を起こす。隣を見れば師匠が、師匠を挟んでフリューガーが眠っている。
部屋の外を見ると日はまだ昇っていない。就寝中だが蝋燭の火は付いていたようだ。
自分たちが到着するまでに起こったことは聞いている。光源を絶たれ、何も見えない中で多くの人が多くの人を殺したらしい。きっと、生き残った人たちは皆揃って暗闇を怖がったのだ。だから物資の無駄遣い覚悟で火が灯っている。
もともと百七十人程度であった集落は四十人の
昨日今日で死体を見えないところに集め、後日に葬儀の準備に取り掛かるらしいが、土葬のための穴を掘る時間はかなりかかるだろう。大きな穴を開けて、家族は一纏めにするから腐敗が始まる前に埋葬できるかもしれないとサームは言っていた。
(風に当たろうかな…)
立ち上がって修復された結界をすり抜けた。
咽びそうになる鉄の匂いは既にしない。昨日のうちに、あの夥しい血液の沼は凝固したからだ。だが、赤黒い壁や床、呪弾や魔弾に削られた跡。そして、濃縮された死の概念が殺戮の凄惨さを物語っている。
よくない者が寄り付きそうだ。そう思って不気味な廊下をほぼ駆け足で通り過ぎて外に出た。
日照が始まり、朝食を終えると遺体の回収が開始された。
穴蔵は思っていたよりも広大なので遺体がどこにあるのかを発見することから始めなくてはならない。さらに精神的に安定している人が少なく、今日で終われるかどうかも怪しい気がしてくる。
「………」
斜め前を歩くハサンは無言のままだ。負傷している師匠とフリューガーは用心のために、凛のところで時間を潰している。本当に彼女には何から何までお世話になりっぱなしだ。
ぴたり、とハサンの足が止まった。彼の背中を見て、自分も立ち止まる。
「いないと思えば……」
仮面の下から声が漏れた。
横にずれて、彼の視線の先にあるものを見せてもらう。すると、地面に転がる生気を喪った黒い瞳がこちらを見つめている。
「あ………」
この声は自分のものだ。
黒い瞳を内包した眼球の先には、壁に貼り付けられた二つの遺体。……聖杯の少女の両親だった。奥にはまだまだ複数の遺体が転がっている。
「酷いことをする。彼らに限った話ではないがな」
目玉をくり抜かれた二人だが、中には修復不可能なまでに酷い状態の人もいる。変な言い方になってしまうが、見て来た中でも綺麗な状態ではあるのだ。
ハサンは彼らの体を下ろし、眼球を丁寧に埋め込んだ。
「グレイ殿、すまないが…」
「わかっていますから」
自分は聖杯の少女の父親の遺体の両脇を持ち、ハサンが両脚を持つ。持ち上げられた遺体をこれ以上傷つけないよう慎重に運ぶ。
「本来ならば我々で済ませるべき仕事だ。手伝わせてしまい申し訳無い」
「いえ、置いていただいている分だけ働かないといけませんし……たぶん、拙に出来るのはこの作業だけですので」
体無き者を怖がる自分だからか、遺体を怖いと思うことはなかった。ある意味適任だと思うのだ。
ふと、耳に馴染み始めた声──彼らの祈りの声が流れ始めた。しかしその声の中に、どこか鬼気迫るモノを感じる。
「……休めば良いものを。こんな時は我らの主も大目に見てくれるだろうに────」
祈りの声を耳にしたハサンが嘆く。
「────これでは祈っているのではなく、縋っているようではないか」
さらに二日を経て、葬儀が執り行われることとなった。とはいえ、師匠や自分たちは士郎たち三人とは違い、滞在期間が短い。葬儀の間は静かに待機することにした。
昼は厨房を使わせてもらい、軽く三人分の料理を用意しようと裏手の渓流へ水汲みに行った。
水面に映し出された顔は、自分でも自覚できるほどに陰りを纏っている。その顔を見るとさらに気分が陰鬱になるような気がした。気づけば大きなため息を吐いて背中が上下する。
先日の戦いでここも荒れ果てていた。
それらを見渡していると太陽の光を反射して赤く光るモノが目に入った。近寄って見ると赤い液体……血、だろうか?
「おはようございます」
「ふぇ!?」
背後からの声に驚き、間抜けな声を上げてしまった。何者かが音もなく近寄って来たのだ。後ろを振り向くと、無表情な水銀メイドがしゃがみこむ自分を見下ろしていた。
「…トリムマウ!?」
「Yes. おはようございます」
「………こ、こんにちわ」
こんな時間におはようございますを言うのは彼女が稼働していなかったからだろう。ひどく久しぶりな気がする彼女の登場に見開いた目をぱちぱちさせ、次の言葉を待つ。
「お嬢様は常々おっしゃっております。『グレイは頭の回転が鈍くてトロいところが可愛い。いじめがいがあるから』と。たしかにグレイ様は察しが悪いようです」
人のカタチをしているのに無機質な唇が発した言葉、その意味がよくわからず自分は聞き返す。
「……えっと、その、つまり?」
「この水銀メイドが『I'll be back』の宣言通りに帰還したことが何故なのかを考えればすぐにわかるものかと思われます」
彼女の銀色の肌を見つめながら、数秒ほど停止していた。自分たちの静寂の中に渓流の音が流れ出す。
答えを出せない自分に助け舟を出すがごとく、彼女は言った。
「つまり、お嬢様が目を覚まされました。口には出しませんが、グレイ様に会いたがっておいでです」
トリムマウの報せを聞いてから直接ライネスの元には向かわず、まずは食事を用意した。
────『だったらさ、ライネスが目覚めた時に備えて食材を用意しておいたらどうだ?寝起きならスープとかの材料がいいと思うんだが…』
あの日、士郎の代理で街に出向いたのは彼の提案で食材を買いに行っていたのだ。
自分でも調理できそうなモノを買い、集落の貯蔵庫から羊肉を少しだけ頂いて作ったスープだ。普段からいい食材を使った料理を食べている彼女の口に合うかどうかは不明だが…。
部屋を訪ねてみると上体を起こして部屋の中央に座っているライネスがいた。解呪はなされておらず、白い肌の上で黒い
「ライネスさん!」
スープを置いて思わず抱きついてしまった。それでも体重をかけないように控えめにしたつもりだ。
「お久しぶり、です」
虚を突かれたようで驚いているライネスは一拍遅れて口を開く。
「やぁ、グレイ。まさか君がこんなに大胆なことをしてくるとは思わなかったよ。…この場合は『久しぶり』と言うべきなのかな?私からしてみれば寝て起きたら色々起きていた、と言った状況なんだが」
少しだけ目元が熱くなる。本当に色々あって経過した時間以上に会っていなかった気すらする。
「あの、話は誰から…?」
「ん?我が兄から聞いている途中だったが?」
ライネスを抱きしめていた腕の力を緩めると、彼女は自分の後方を指差した。言葉通り師匠が、その隣にはフリューガーがいる。…全く気づかなかった。
「まぁ、なんだ?大変だっただろう?」
「…ライネスさんに比べればずっとマシな方です」
「二人とも……話を戻しても構わないか?」
後ろからの師匠の声に二人で頷くと、まだ説明しきっていなかった部分の話に入る。
士郎が現れた時の話から始まり、あの日亡くなった人たちの葬儀が渓流へ向かう迂回ルートの真反対で執り行われているという話で終わる。大方のことは自分が来る前に話し終えていたようだ。
「衛宮士郎の宝具投影に、サーヴァント級の敵──
「別に、信じたくなければ勝手にするといい。私とて馬鹿馬鹿しい事態に頭を抱えている有様だ」
裏切ったオルハンにやられた傷を覆う包帯をさすりながら、師匠は吐き捨てる。随分と不機嫌そうだ。傷が痛むのもあるだろうが、葉巻を切らしてしまったのがおそらく一番腹立たしい事態なのだろう。流石に未開の地に携帯ゲームを持って来るほどの余裕はなく、落ち着きがない挙動不審な時間が多くなった。あと貧乏ゆすり、これはいただけない。
「あの、ライネスさんにスープを用意したんですが…」
話が終わる頃には冷めてしまっていた。
「…温め直してきますね」
「いいや、すぐに頂こう。なにも食べていなかったせいか、いまだかつてないほどの空腹でね」
「そうですか」と返して、床に置いておいた器をライネスに渡す。
すると、器を受け取った彼女がまじまじとスープを眺め始めた。そのまま静止したまま黙り込む。
「…虫が入ってました?」
こんな高所にも生存しているのか…。彼らの生存力も侮れない。
「いや……時にグレイ。このスープには呪いに効く魔術でもかけたのか?」
「え…?」
魔力を感知すると色が変わる彼女の魔眼が自分のスープに反応したということだろうか?しかし、自分は彼女が今言ったような魔術ができるほど芸達者なわけではない。すぐに首を横に振った。
自分の反応を見たライネスが「ははぁん」と呟く。
「だそうだ。我が兄よ、少しリハビリに出かけたいのだが付き添いを頼みたい。グレイもね」
そう言った彼女はトリムマウに抱え込まれる。…トリムマウがメイドではなく執事ならばどれだけ絵になっただろうか。
「…わかった。だが、君を黙って動かしたことを知られれば遠坂凛に殺される。悪いがフリュー、言伝を頼めるか?」
「…一体何しに行くんだ?」
フリューガーの質問には同意だ。二人だけで話を進めないで欲しいのだが…。
「なに、後手を取らされると痛い目に合うからな。先手を取らせて貰うだけさ」
立ち上がり、師匠は半球状の部屋の出口へと向かう。
「
師匠とライネスに
「どうだ?」
「普通の魔術師には感知できないほどに薄いが、確かに魔力の残滓が感じられる。灯台下暗しと言うやつかな?」
師匠の質問にライネスが答える。
「あの、そろそろ拙にも状況を教えて欲しいのですが…」
「ああ、歩きながら話そう」
そのまま師匠とトリムマウの足が上流へと向かう。続く山々の険しさに辟易しつつ、師匠は説明を始める。
「簡単な話だ。君のスープに混入していた魔力は渓流の水に混じっていたものだった」
「そのようですね」
「……君はこれに違和感を覚えないのか?」
なぜか落胆された…。師匠は溜息をついてから、
「つまり、この上流で魔術を行使した者がいると言うことだ。こんな僻地にいるのは我々と集落の者だけだろう」
呆れ顔でそう続けた。だからなんだと言うのだろう?考え込もうとしたところで、ライネスの声が耳を刺す。
「麓とは別方向に魔力を感じるな。たぶん、人避けの結界だろう。罠を張って誤作動を起こそうものなら、それこそ我々に気取られる」
「…いや、この地形そのものが罠だろう」
「それは君が軟弱者だから出る意見だ」
あいかわらず辛辣な言い様だが、久々のやり取りに頰が緩む。ライネスが指し示す方向に足を進めて行くと、段々と高度を上げて行くのがわかる。師匠が音を上げないことを祈るばかりだ。
足が進む先は渓流に沿っているようだ。だが、進むにつれて人が歩くには不親切な地形が増えて来る。存外にも師匠の言う通り地形こそが罠なのかもしれない。
(…ん?罠?)
「……なんだかこの先に敵の工房でもあるような言い方ですね」
「ははっ。グレイ、私たちはさっきからそう言っているんだぞ?」
「え?そうなんですか?」
師匠が黙り込むほどの高度になったところでを渓流沿いから逸れて、入り組んだ岩壁の中を進む。途端、魔力が体を通り過ぎる。
「…結界ですか?」
自分の質問に、ライネスが頷いた。
「たとえ地図を持っていても人がここに辿り着くことは不可能だよ。結界の精度によってはフリューの占いでもね。……ああ、結界を通り過ぎたならば当然来るよな」
彼女の視線の先で、四足歩行の動物が十数頭ほどの群れを成して牙を向けている。そのどれもが正気とは思えないほどによだれを滴らせて唸っている。
(犬……?)
それとも狼だろうか?
(…でも、この感じは)
鼓動が速くなる。
果たして彼らは
「ジャッカルだな。死肉を漁る姿から死を連想するモノに例えられるイヌ科の一つだ。……グレイ、頼む」
その言葉を聞き、がちん、と肩のフックを外す。アッドを
先陣を切っていた一匹を両断。直後に周囲のジャッカルたちがしなやかに跳躍する。体を回して
(…手応えがない)
確かに斬っているのに、まるで空気を斬っているような感覚だ。
刹那、周りのジャッカルたちが煙のように霧散する。転がっている死骸もだ。
(…やっぱり、そちら側の存在だ)
それら一つ一つが、巨人へと姿を変えた。下半身は煙のようで、自分たちの周囲の岩壁にギリギリ隠れるくらいの大きさだ。
「…なるほど、ジャッカルはアラビア圏ではジンが化ける姿の一つだったな」
師匠の呟きが聴こえる。
「グレイ!斬撃ではなくアッドに喰わせてしまえ!人に使われている時点で底は知れている!」
師匠の指示を聞き、魔術回路を回した。体全身に『強化』を施し、ジンなるバケモノの眼前まで跳躍する。そして、一閃。
途端、巨人の体が崩れ、その存在が消える。
「どことなく人工的な味わいだなぁ…」
気味の悪いモノでも食べたかのようにアッドが呟いた。
『■■■■■■────!』
刹那、巨人たちが雄叫びを上げ、両手から巨大な魔弾を発射する。
自分はアッドを大きな盾に変えて、魔弾を受け止める。衝撃を流しきれず後方へと吹き飛びつつも、盾の表面に灯った炎を確認した。
「
盾からの高密度な魔力放射。迫り来る魔弾を貫通し、巨人の数体を消し飛ばした。
同時に後ろに流されていく自分の体を、柔らかい何かが受け止める。
「いやはや、君は相変わらず性格とは裏腹にお転婆だな」
ライネスの声だ。彼女を片手で抱える水銀メイドのもう一方の手が水銀の膜となって、自分を受け止めたようだ。
「トリム、投げてやれ」
「
トリムマウは無表情のまま、その可憐な見た目では想像できない腕力で上空へ自分の体を投げ飛ばす。
いま一度、巨人の群れ──その頭上へと移動した自分はアッドの姿を今度は破城槌へと変形させた。
破城槌の魔力放出で勢いを付け、巨人たちへそれを振るう。同時に聴こえるアッドの咀嚼音。彼らを喰らうことで破城槌の速度はブーストされていく。
そして、最後の一匹の体を破城槌が殴り付けた。
「あ……」
…高く飛び過ぎた。このまま地面に叩きつけられればスプラッタ確実だ。しかし、地面と自分の間にトリムマウの水銀の膜が現れた。それに包み込まれて事なきを得る。
「
直後にトリムマウが叫ぶ。
「…なんの台詞ですか?」
「Frankenst○inです」
絶対にシチュエーションが違う気が……。
「フラットに植え込まれた無駄な知識は逐一削除しろといつも言っているだろ」
「申し訳ございません、お嬢様」
水銀の膜から地面に降りると、師匠が近づいてくる。そして、
「君たちには緊張感というものがないのかね」
咳払いの後にそう言ってきた。
「ふん、暗い雰囲気よりは幾分マシだろうに。お堅い兄上だな」
「もう少し君の中の呪いには働いてほしいものだ。生意気な
「あの……喧嘩しないでください」
自分の言葉に二人とも我に返ったようだ。剣呑な雰囲気を収め、師匠は周囲を見渡す。それにつられて自分やライネスも眺め始めた。
とは言え、見えるものといえば岩の壁だけで、他には何もない。
「ここに警備があったということは確実に何かあるはずだが…」
「ふむ、一番魔力を感じるのは……」
トリムマウに抱えられたまま、ライネスは岩壁に触れた。
『────!』
彼女の手首が消えた!否、その壁は幻術の類だったのだ。
「入るぞ二人とも。嫁入り前の私を傷物にした輩の本拠だ」
ニヤリ、と怪しくも美しい笑顔が向けられる。やはり彼女はブレない。そういところが同性として少し羨ましい。
幻術を通り過ぎると、そこはまるで集落の穴蔵と同じ構造をしていた。もしかしたら技術的な観点から見れば一歩勝るほど自然な構造だ。光源である壁に埋め込まれた光る石はあの地下で見たモノと同じだろう。
「…規模は集落に劣るようだな」
先頭を行くライネスが言う。
入ってすぐの場所に書物庫。そこを一旦無視して進んだ先には扉があった。
(水の音…?)
渓流から引いているのだろうか?この空間のどこかを、微量ながら流れているようだ。
「工房にしてはあまりに無防備だな。いや、構造的欠陥と言うべきか。自然に忠実であるが故に、魔力や術式残留物を外に漏らさざるを得ない。それを最低限に抑える措置はしているようだが…」
なんにしても、敵にとってライネスの存在が想定外だったという話だろう。
「…なんとなくですが、古い感じがしますね」
代継ぎの工房なのだろうか?それにしては管理が行き届いていない気がする。自然の風化の影響を受け、壁の表面の所々で脆くなった部分が目立つ。
進んだ先の扉には防護結界らしきモノが掛けられている。ライネスの指示により、トリムマウが腕を水銀の鎚にし、遠慮なく破壊した。
「…これは────!」
その先にあったものを見て、師匠が呟いた。
あの後、工房に師匠達を残し自分だけ集落に戻った。
葬儀を終えたばかりのハサンたちと、集落に残してしまったフリューガーを呼ぶためだ。
師匠たちを残して行くのが不安であったが、トリムマウがいれば大抵のことはやり過ごせると言われたので仕方がない。
彼ら──オルハンを除いてあの日、地下にいたメンバーを連れて元来たルートを辿り、外に出ていた師匠たちと合流した。流石に人避けは術者かライネスがいなければ突破できない。警備がなくなった工房に入ると師匠は一つの古めかしい書物を脇に抱えながら話し始める。
「わざわざお呼び立てしてすまない。あなた方が葬儀を執り行っている間にこの工房を発見したのでね。そろそろこの茶番にも終止符を打とうと思う」
一同は不思議そうに工房を見渡している。
「ここはかつてこの山で修行していたという山の翁の魔術工房だ」
その言葉を発した師匠にこの場にいる全員の視線が集中した。しかし、地下の時のようにみっともなくたじろぐことなく師匠は堂々と話し続ける。
「起こったことから整理していこう。理由づけはその後だ。まずは敵魔術師──いや、敵の魔術使いは少女の血を多量に抜いたという。これは術式を解析した少女の聖杯の力を使える使い捨ての魔術礼装を作るためだ」
全員が黙ったまま扉があった場所に向かい歩く師匠について行く。
「壁や床に練り込まれた呪いは傷一つない死体を作るモノ。身ぐるみを剥いで縛ってしまえば、たとえ魔力を扱えるものであっても恒常的に供給される呪いに耐えられず、そのうち死に至るだろう。そして死んだ者の体に、創造した擬似精霊である魔物を押し込めた」
「ちょっと待って────」
凛の声だ。
「────なんでわざわざ肉体なんて与えるのよ?力が弱まるんじゃない?」
彼女のの質問に、師匠は頷く。
「敵にとってはそれでいいんだ。力が弱まることで使い魔としてやっと支配できる存在だからね。何より、魔物の存在を保つ魔力を補うために聖杯と複数のラインを作っていたら、彼らの目的が果たせなくなる。だからこそ、肉体を与えて独自に魔力を賄わせる必要があった。
あの儀式陣には多量の血があっただろう?おそらく乾いた血は擬似精霊が無理やり肉体を変貌させる際に流したモノで、乾いていなかったのは先ほど言った少女の血で作られた礼装。中央にあった炎は擬似精霊を産み出す基となったものだ。彼らのオリジナルは煙のない炎と熱風から作られたという。煙のある炎から生み出されれば不完全であるのは当然だ」
思い出したのは渓流で見た乾いていない赤い液体だ。今思えばあそこは
師匠は壊された扉の前で立ち止まった。
「擬似精霊の正体は悪性のジン──この辺りでは悪魔と言うことになるか。その中でも火の魔神と名高いイフリートと呼ばれる者だ。シェヘラザードの
背中を向けていた師匠が振り返る。果たして誰に視線を向けているのだろう?
「あそこで少女が拘束されていたのは工房の異界化と壁や床の呪いへの魔力供給のため。世界は異物を嫌う。少女が転移魔術で工房から消えれば魔力供給を断たれた異界がいち早く崩れ去る。あそこには警備があっても罠はなかったが、状況が揃ったから敵の魔術使いは我々を殺すことを目的に工房を破壊した。
それと、これはミスタ・ハサンの言葉から推測したことだが、少女が逃げ出せなかったのは聖杯としての能力が『言われたことしか叶えられない』という極めて受動的なものであったからだ。敵の魔術使いが事前にそのことを知っている。この古い工房が使われた形跡あるという事実で犯人は絞り込める。
その人物は
師匠の解説を聞き、自分の視線が動いた先は白い髑髏面の男だ。彼は集落にいながら
おそらく周囲の視線が彼に向いていたであろうその時、師匠はまた口を開いた。
「────貴様だろう、サーム」
一応次回のあとがきは読んでいただきたいと思います。