なぜ、なぜ、なぜ……!?
ソードアート・オンラインが狂気の世界へと変貌して二日目。
義仲――いや、この世界ではアバター名である『シヴァ』が妥当か――の頭の仲間を埋め尽くすのは、ただひたすらにパニックと疑問符である。
もう茅場晶彦がデスゲームの宣言をしてから10時間を超えた。
にもかかわらず、現実の世界からの音座他はまったくない。
だからと言って、彼にはどうしようもないのだ。おとなしく、とりあえずは安全な『圏内』である始まりの街で救援を待つしかないのである。
だが―――
「お、俺は外に出るぞ! 戦って、レベルアップすれば……!」
「正気かよ!? 死ぬかもしれないんだぞ!」
「わかってる! だけどあの狂人が平気でモンスターが圏内を突破してくる設定に変更するかもしれないだろ! それに、もし、このまま助けがこなかったら……」
男の叫びにも似た声に、ざわざわと周囲がどよめき出す。
それは果たして無謀か、英断か。
シヴァには預かり知れないことであるが、男と同じように街の外へと足を運ぶプレイヤーも数人存在した。
彼らの行く末に死が待っているのかはわからない。だが、デスゲーム脱出のためにいち早く行動した事実には変わらないだろう。
デスゲーム脱出の方法は、現実世界からの救援ともう一つ、ゲームクリアがあるのだから。
「なら……俺もだ……! いつまでもこんなとこに留まってられるか!」
「ま、待て! 僕も一緒に……っ」
一人より二人。二人より三人と、最初に声をあげた男を中心に勇気を振り絞って声をあげていくプレイヤーたち。
計六人。彼らは震える足で街の外へと歩いていった。
残ったのは、重苦しい静寂である。
その静寂の中、シヴァには二つの選択が生まれていた。
一つは、これまで通り救援を待つこと。
もう一つは、強さを求めて微かな希望を頼りに、電子の怪物ひしめく街の外へ旅立つこと。
後者を潔く決断する勇気がシヴァにはなかったが、前者のままで果たしていいのかと訴えかける自分もいる。
悩みに悩み続けて、シヴァはこの災厄を招いた茅場晶彦の言葉を思い出す。
―――これはゲームであっても、遊びではない。
つまり、裏を返せば、それは、遊びではないがゲームであるということだ。
この世界をゲームだとし、クリアというゴールがあるならば。
クリアまでの道標が確実に、隠されているはずである。
だからこそ。
自分の強さを磨き、装備を揃え、道具を確保し、情報を集め、逃走を惜しまず、闘争を恐れず、ただ目の前の課題を斬り伏せていけば、そう簡単に死ぬこともないのだろう。
どのゲームでもそうだ。自分がレベル1とはいえ、最初の敵に敗れることはまずない。
ソードアート・オンラインは現実ではない。
いきなりドラゴンが襲いかかってくる理不尽もないはずだ。
まず自らに立ち塞がるは、
ご都合主義とも言えるそれは、過酷なる世界からの親切だ。
「…………」
彼は無言のままに立ち上がる。
戦うと心に決めたのだ。
恐怖はある。現に手は震えている。だがその恐怖すら飼い慣らそう。
そう、やるならば―――徹底的にだ。
◇◇◇
彼は一人草原へと駆け出した。
一人なのは、レベルアップの効率を少しでも上げるためだ。
まず一人でモンスターと戦い、無理があるならば街へ戻ってしまえばいい。
大切なのは、見極めること。逃走を惜しまず、闘争を恐れないことだ。
彼は数多くある武器種の中で、一番手に馴染んだ
腰の鞘に納まるは、その細剣のもっとも初歩的なものの、『スモールレイピア』である。
そして少ない所持金をはたいて購入した、
設定上木と革で作られたそれは、ステータスで言えば少しばかり
生命力とはこの際、防御力と言ってもいい。
両手剣や両手斧などの両手武器は盾を装備できない。攻撃力ではそれらに劣る片手武器の特権だ。
片手武器使用者のなかには、敏捷性重視か格好を意識して盾を装備しない者もいるらしいが。
彼にはそんなプライドを持って戦い続ける度胸はなかった。
さて、彼は一番手頃なモンスターを見つけると、遠巻きに様子を伺った。
モンスターを一言で表すならば、青い猪。
むしろそれ以外の表現が見つからないほどに、青い猪であった。
あの青い猪は、確かこのソードアート・オンラインで最弱クラスのモンスターであったはずだ。
青い猪は今一匹である。好機。
彼は気づかれないよう、慎重に後ろから盾を掲げ、細剣構えて忍び寄った。
充分に距離を狭めたと判断すると、彼は次にモーションを取る。
振り返るな、そう念じながら自らの細剣に光が宿っていくのを感じた。
ふぅ、と体が押し出されるような感覚。
細剣の鋒は青い猪の体躯に突き刺さり、細剣カテゴリのすべてのソードスキルの祖、『リニアー』を発動させた。
「プギュルアアアアアア!!?」
「…………っ!」
青い猪の絶叫がこだまし、彼の内から形容しがたい熱が溢れ出す。
生来のものか、そう感じるようプログラミングされているのか。
興奮と恐怖。シヴァはそれ存分に味わう。
青い猪は自身の命そのものであるHPを4分の1あたりまで減らし、表示される色を赤く変えていた。
これが野生動物ならば、まず間違いなく逃げていたことだろうが、生憎目の前の猪は電子の怪物だ。
作り出された本能に従いプレイヤーを轢き殺そうとする。そこに一切の死への恐怖はない。そうプログラミングされていないからだ。
彼は青い猪の敵意を確かに感じ取りながら、全力で後退した。
威力の高い技を命中させれば、一旦離脱すると相場が決まっている。
「ふぅーっ……」
「ギュルルル……」
恐怖が勇気を呑み込んでしまわないよう、深呼吸。
もう一度ソードスキルを命中させれば確実に。そうでなくともあと数擊で相手は堕ちる。
ましてやこれは最弱の敵。恐れることはないはずだ。
青い猪の目と、彼の目が合う。
「プギュルアアアアアア!!」
「っ!?」
刹那、こちらに向かって突進する青い猪。
彼は隙を突いて一撃浴びせようとしていたが、慌てて回避した。
ぶるぶると手が震え、足はがくがくとおぼつかない。
恐れることはない。だが人間は、もしもを考える生物である。
―――恐怖が勇気に勝ってしまった!
「ギュルウアア!」
「くっ……!」
またもや突進。それ再度回避する。
体の震えのせいだろうか、先程よりも無様とさえ言えた。
「く、くそっ……、クソクソクソクソクソッ!」
罵詈雑言を吐いて己の体を叱咤するが、やはり足は震えたままだ。
そして彼がどんな状況にあっても、モンスターは攻撃の手を緩めない。
三度目の突進を、彼は転げるようにして避けた。
「なんてことだ……笑えない……俺はこんなことをするために、ここへ来たんじゃないぞ……」
ぼそりと呟いて、青い猪を見る。
そう、少なくとも彼はあのようなモンスターに死を感じ、愚かにも逃げ回るためにソードアート・オンラインの世界へと足を踏み入れたのではない。
最弱のモンスターに、自分は命を散らすのか。
それを考えたとき、湧き上がってきたのは恐怖でも興奮でもなかった。
怒りである。
「そうだ………。なぜお前如きに俺が怯えて逃げ回らなくちゃいけない? お前は最弱のモンスターで、倒されて然るべき相手だ」
「ギュゥゥゥゥ……」
「俺が怖いのは死だ。間違ってもお前じゃない。お前如きが俺を殺すなんて、認めるか!」
「ギュラアアアアアア!!」
猪が四度目の突進を行う。それに対し、彼は一切の逃げの選択肢を捨てる。
代わりに盾をゆっくりと掲げた。
迫る猪。
その額に―――盾を思い切り振り下ろした!
「ギュアアアアア!!?」
「ぐ、う、おおお……!」
シヴァが猪もろとも倒れる。
命の具体化であるHPが数ドット削られる。
代わりに彼は、猪を抑え込んだ。
盾の下でもがく猪を歯を食いしばりながら押さえつけ、細剣を逆手に持ち変える。
「死ね―――!」
「ギュアッ!?」
ドズリ、と細剣が青い猪の片目に突き刺さる。
盾の下で悲痛な吠え声が上がった。
気にすることなく、もう一度、もう一度。
もう一度。
「ギュアアアァァァァァァァァ……」
HPをすべて削り取られて、青い猪は断末魔を上げて消え去った。
盾の下の感触は一切消え、もうこの世界にたった今死闘を繰り広げた相手の存在を示すものは何一つ残っていない。
あるとすれば、この瞬間に得た経験値だろうか。
彼はどさりと座り込むと、深呼吸をした。
熱は未だ引かず、勝利の余韻はあまり実感できない。
なにせ最初の敵だ。これが倒せないようでは、論外。
ただ、安心がシヴァには訪れていた。
「………ん?」
シュワン、と背後で音がした。
振り返ると、青い光とともに現れた、さっきとまったく同じ、青い猪。
猪は自分がたった今この世界に生まれ落ちたことも知らないような素振りで、これまでしてきたかのように草を食み出す。
ふ、と彼は口元の口角が上がるのを感じた。
考えてみれば、当たり前だ。これはゲームなのだから。
彼は、ゆっくりと剣を構えた。
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