ぐしゃり。
雪を踏んだ。今までの音とは違う音に、僕は少しだけ眉を顰めて下を向く。
半分以上は溶けて透明になっている雪と、その下にあった雑草。なるほど、これを踏みつけた音だったみたいだ。
今度は上を向いた。日がな一日中、雲に覆われて見えなかった青空は最近毎日見えているし、太陽光も暖かい。冬真っ只中になかった光の量に、僕は少し口角を上げて喜ぶ。
冬から春になる。不老である僕らには早すぎる変化を自然は齎してきていた。僕はそれが少し怖かったけれど、けどそれ以上に摂取する光の量が多くなったことに嬉しくなった。
慣れたとはいえ、少ないよりも多い方が良い。そのせいで冬よりも月人が多く出現するが、冬じゃないときはいつもなので気にしない事にしている。
できたならば、アンタークと一緒に春を迎えたかった。
海の向こうに見える太陽に目を細めながら、そう考えると、所々残っている流氷達は僕の考えに賛同して海の中へと誘った。
そっか。そっか、なら。
おいで。覗いてみて。
行けるかも。アンタークのところへ。
一緒に、春を迎えられる。
そんな訳ない。アンタークは月に行ったんだ、海にいるわけがないじゃないか。
そう心の中で返すけれど、口に出していないからか流氷達は黙ることも無く喋り続ける。
もう慣れたから良いけど、こうも話し続けられるとうるさいんだよなぁ。ホワイトの声も聞こえない事もあるし。まぁ慰められる事もあるので、悪いことばかりではないのは明白だ。
久し振りの一人での仕事になんだか、気分が落ちながらも残りの流氷を割っていく。春が近いからか悲鳴が小さく、力のない声だ。彼らは冬にしか現れない鉱石。僕らと違い、はっきりとした意思を持っているわけでもないけど、この付き合いが今日で終わりだと思うと少し寂しく思う。
じゃぁ、一緒にいる?
一緒になる?
一緒なら寂しくないよ?
……。
「慰めてんのか誘ってんのか、どっちかにしてくれ…………」
どっちもー。
悲しいの?首取る?
胴体いっちゃう?
「そんな軽い感じで身体失くすのはちょっと」
この声を切り裂く明るい声が聞こえないことに内心気落ちしながらも、仕事の手は止めない。ホワイト曰く、赤ん坊の泣き声という悲鳴すら聞こえなくなっていく。
風が吹いて、短くなった僕の髪を撫でる。一面真っ白な景色はいつの間にか、緑が多くなって、こうしてたまに風が吹けば木の葉が舞い散る。
たまに桜という木の花びらも舞っていたりすると、お花見の時を思い出して笑ってしまう。
あの時は楽しかった。この時間が永遠に続けば良いだなんて、寿命がない僕が考えることではないけれど、そう思ったんだ。
こうして僕たちと比べて早く移り変わる季節が、怖かったのかもしれない。
桜が吹雪いた。
あぁ。
「春だ」
垂れ下がったシーツを思いっきりめくって、固定する。太陽の光が室内を明るく照らした。
先生から許可が下りたこの日、みんなを起こす日である。本能でわかっていたのか、太陽が照らした瞬間皆が皆、もぞもぞと動き出した。
レッドベリルなんかはもう既に起きていたけれど、彼はいつもの事だ。服担当なので、あぁしてみんなに服を配り回っている。
あの服に対する情熱は何なのだろうか。僕には到底真似できないな……しようとも思わないけど。
「もう春ですか……」
比較的近くにいたルチルがそう呟いた。
そう春である。けれど冬眠から目覚めたばかりの彼らには少し起き上がるのは億劫だろう。
レッドベリルを除き、まだ眠そうな彼らに向けるように言葉を紡ぐ。
「まだ寝てて良いよ。他の事は僕らがやっておくから」
そう告げると彼はふわりと欠伸をして頷く。乱れている寝間着を寝ぼけながらも正していた。
「ありがとうございます、アンターク」
お礼を言う彼に良いよと言うつもりが、最後の言葉で詰まってしまった。
彼らはアンタークが月に行ったことを知らないのだ。片方の足だけを残して消えてしまった彼への罪悪感と、僕に対する嫌悪感が蘇るけれど、今は後悔よりもルチルに居なくなったことを告げないと。
「アンタークは、月にいる……」
声は震えてなかっただろうか。なるべく平坦に、他人から見ればなんて事ないように告げたのだけど。
此方を見るルチルの瞳が見開かれて、僕の頭の天辺から爪先までを見渡した後、僕の名前を呼んだ。どうやら僕が起きていることに驚いたらしい。
「どう、いうことです?というか、貴方、なんで起きて……いえ、その前にその腕は……」
疑問が尽きないのだろう彼に苦笑いしながら、片方の腕を抑える。大丈夫後で教えるから。先生からも通達があるだろうし。
ルチルもそのことがわかったのか、軽く頭を振ってからシンシャの所へ夏服を届けて欲しいと言われた。
シンシャ?シンシャって誰だ?
言葉から分かる事は僕らと同じ宝石だろうけど、そんな宝石いただろうか。僕が知らない宝石なんて。
答えなかった僕に何を勘違いしたのか、ルチルは自分で届けると言った。僕としては居場所すら知らないし、届けるも何も特徴すらわからない……けど、一度頼まれたのに良く分からず引き下がれられるのは罪悪感があるので、いや良いと告げる。
「僕が届けておくよ。そのシンシャって奴の、特徴と居場所を教えてくれたら一人で行けるし」
外は歩き回ったので迷いなく行ける。だから大丈夫だと判断しての返答だったのだけど、ルチルはまた目を見開いていた。
……わー、僕は何回ルチルを驚かせたら気がすむんだろうね。
現実逃避はやめよう。どう考えても今の発言は失言だったとわかる。あのルチルが凄く驚いているのだから。
少し考えればわかることだ。僕は脚に腕と自分自身を失くしている。しかも中にある合金によって本来の身体も磨り減っているのだから、記憶を失くしていても当然。そしてその中にシンシャというのがあっても。
「あー、今のを取り消すのってできる?」
「……できませんね、聞いてしまいましたから」
「ですよねー」
顔を手で覆って隠す。心の中でシンシャという名前を連呼するものの、やはり思い出せない。これは本格的にやぶ、じゃなくて名医のルチルにお願いするしかない。
「というか、心の中読めたりする?」
「貴方から、人を小馬鹿にする様な雰囲気を感じ取れたので」
「なにそれ怖い」
苦笑して踵を翻す。あとは彼らが勝手にするだろう。僕は他の事をしなければならない。
「……じゃ、そのシンシャって子の事、あとで教えて。僕は仕事あるから」
「えぇ」
僕を見送るルチルの哀しそうな目がやけに印象に残った。
春だー!!!
「はーーーーるだーーーー!!」
カッカッカ!と流氷の上を走り降りる。フォス先輩と交代したこの仕事、恐らく最後になるであろう仕事をこなす為に走り回る。
春になり陽の光が差し込むようになったこの頃、粘り強く残っていた氷の赤ん坊達は鳴き声を上げながら、沈んでいく。その声は様々で老若男女問わず聞こえてくるが、申し訳ないとは思っていない。今ここで壊さなければ、五月蝿いからだ。人間は都合の悪いものは切り捨てる思考がある。俺はもう人間ではないけれど、多分同じような感性を持っているだろう。違うのは宝石の身体についてだけか。
ズドォン!と水飛沫を上げて、海面に激突する氷。うわ痛そうだなんて、心にもない事を思いながら眺める。氷の上をぴょんぴょん飛びながら、安全地帯である陸に上がるとそこにはフォス先輩がいて、あれ?と首を傾げた。何故ここにいるのだろうか?
「フォス先輩じゃないですかー。仕事はどうしたんです?」
「終わらせて来た」
マジかよ、早いな。この仕事人間めーと肘で脇をつつきながら、海を見る。もう流氷達は海に変わりつつある。悲鳴も聞こえない事から、もう大きいのはいないのだろう。
「流氷割り、終わりましたよ」
「うん。お疲れ様、ホワイト」
「いえいえ。冬最後の仕事ですからね、張り切っちゃいました」
また来年もするなんて事はないのだろう。本来冬担当は、夏に寝て冬に起きるらしい。つまりは、みんなとの生活リズムが違うのだ。大体は先生がいるとはいえ、一人でするものだからボッチの仕事である。やってみてわかるブラック具合。
フォス先輩も俺も冬に適した宝石ではない。だから来年からは誰かが担当する、はず。まぁ俺としては冬眠するだなんて事、なさそうだから来年もしそうな気もするけども。それはなってみなくちゃわからない。
俺は思ったより、冬を気に入ったらしい。
「春だね」
不意にフォス先輩がそう呟いた。海を眺めるその横顔を見ると、天辺に登ろうとしている太陽に目を細めていた。
目玉まで宝石でできていると言えど、眩しいものは眩しいし、暗いものは暗い。水晶体のないただの塊なのに、どうやって光を取り込み反射させているかわからない。けれど、“そう”なのだから深く考えても仕方ない。
先輩と同じように太陽を見ようとして、光の量に耐えきれず目を細めた。眩しい。こくりと先輩の言葉に頷く。
「もう皆さん起きたんですか?」
「起きたよ。みんな今夏服に着替えて、朝会の準備してる」
朝会とは、普段は朝に見張り組の宝石達が集まって、どこを担当するか決める会議であるが、今回の場合は冬眠から目覚めた全宝石が金剛さんの下に集まって、金剛さんと冬担当の宝石が冬で起きたことを説明する会だ。
だから冬を担当した俺もこの会に参加しなくてはならない。勿論顔合わせも兼ねてる。
「君を見たらみんな驚くだろうな。三百年振りの新しい仲間だもの」
「そうですかね」
「そうですよ。僕の時だって結構、見られてたし」
生まれたての宝石は言葉を覚えていない。良く悪くも何も知らないそれはとても純粋だ。金剛さんに言葉を習い、常識を習ってから他と関わるのだと言う。
でも俺はそれをほぼすっ飛ばして、ありとあらゆる学問に着手しちゃっているので今回のように生まれてから数ヶ月の筈なのに宝石達との接触が許された。
「楽しみですねぇ。見た限り皆さん個性的ですから」
「ホワイトならすぐ馴染めそうだと思うけど」
「そうですかね」
「そうですよ」
そっかー、と呟く俺。俺結構平凡的だと思ってるから、個性的なみなさんにやられないかな?って思ってたんだけど、フォス先輩のお墨付きだ。大丈夫だろう。
なんかちょっと馬鹿にされてる感もあるけど。
「だけど、フォス先輩だから許しちゃるー!」
「うわ!何だよ急に!」
ヒール分も含めて俺より背の高いフォス先輩に抱きつき、笑う。ちゃっかり腕の合金で防御しているのは流石である。最初の頃は反応できずにちょっと割れてたのを思うと、少ししみじみする。フォス先輩も成長するんだよ。
俺のお陰で反射神経上がったフォス先輩は、だから抱きついてくんな!割れる!とお怒りだ。ごめんなさいと謝り離れるが、俺はちっとも反省はしない。だってこれが恒例と化してるし。
俺の様子を見て、反省してないのを悟った先輩はため息を吐いて踵を翻した。どうやら帰るつもりらしい。これは俺も帰る感じかな?
数歩歩いた先輩は此方を振り返って、何してんだと言うような顔をした。俺も帰る感じらしい。
「そろそろ準備終わってるだろうし……遅刻するぞ?」
「ヒーローは遅刻するものでは?」
「誰がヒーローだ」
「俺の事ですよ」
俺の言葉に少し目を見開いたフォス先輩は呆れたような顔になり前を向いて歩き出した。長い脚を忙しなく動かしているのでどんどん距離を離されるので、慌てて付いていく。
前を歩くフォス先輩の横に行き、顔を覗き見る。顰めっ面をしていた。怒っている、というより照れているのか、これは。流石に血は通っていないので、赤面する事はないが多分恥ずかしがっている。
おやおや?と自分の表情がにやけ顔になるを自覚した。
「もしかしてですけど」
「何?」
「そのヒーローっての、自分だと思いました?」
「っ!思ってないわよ!」
「うん、思ってたんだな」
珍しく声を荒げるフォス先輩に向けて、やーい!思ってたー!そういうのこう言うんだぜ!じいしきかじょうって!なんて難しい言葉を覚えた小学生みたく揶揄ってやりたくなったが、自重する。合金の腕が飛んできそうだ。本当に怒ったフォス先輩は怖いのだ。
それにしても照れたフォス先輩は貴重だな。カメラがあれば納めてる。まぁフォス先輩が勘違いするのも仕方がない。最初に言った時、フォス先輩を思い浮かべて言ったのだから。その後になんか違うなと思って俺に変えた。
フォス先輩は確かにこの世界の主人公である。何の因果かこうして俺が転生して、フォスフォフィライトの後輩として存在している。だから作品の中の主人公という事を抜きにして見てきたフォス先輩はやはり、主人公だなと思う。
だけど、ヒーローではない。彼は主人公だけれど、英雄にはなれないような、そんな気がするのだ。もし英雄になったとしても、多分本人が納得しない。自分は英雄ではないと否定するような気がする。
何処か夢見がちで、変に現実主義で。ゆらゆらと満ち引きする潮のように、ころころと表情を変える。まぁ殆ど死んだような表情だけど。
主人公なのだから、何か大きな事を成すのだろう。それについていけるのかはわからない。けど、事を成す前の彼は本当にただの宝石で、こんなにも情緒不安定で、でも奥底には強い何かを持っている、俺の自慢の先輩だったのだと知っていてあげたい。そう思う。
さて、そんな日が来たら、なんて妄想をするのはここまでだ。
「この先が集会所だ」
いくつもの柱が並ぶこの場所でとある宝石を抜いた全宝石が集まっているのだと言う。
「僕の後ろに付いてくるように」
「!」
俺が思っている事を言い当てたように言うフォス先輩に苦笑しながら、俺はハイ!と元気よく返事をした。彼が笑いかける。
前言撤回。
やっぱ俺は、フォス先輩について行きたいようだ。
「どこまでもお供しやすぜ、フォスの旦那」
「ははっ、何だそれ」
俺たちは笑いあった。
「アンタークの代わりに冬を担当してくれた子達がいる。それは---」
「フォスフォフィライト、ただ今参りました。遅れて申し訳ありません」
「同じく遅れました!コランダム、もといホワイトサファイアです!すみません、先生!」
春が始まる。
これにて、完・結・!!
遅れて申し訳わけない。言い訳させて、忙しかったんだ。
シンシャ
ぼっち。フォスを主人公に取られそうになってる。でも大丈夫、両想いです。
春を迎え、他の宝石が起きたので『先生と先輩と冬』は完結になります。続くとしたら冬が春に変わるか、番外編としてこの小説に投稿するかどっちかですので、その時はまたよろしくお願いします。
今までありがとうございました!!不定期更新の終わるかわからないこの小説を応援してくださった皆様!感謝が絶えない!何でこんな高評価なんだろ!わからん!でも嬉しい!
完結記念として、匿名消してホワイトサファイアの容姿載せときます。下手なのは許してね。
【挿絵表示】