「陽が落ちるわね」
もう夕暮れ時だ。私は未だに手首に巻き付いている腕輪を見て、がっくりしていた。
霊夢はこんなことをするようなタイプには見えなかったけど、こんなことをしてしまう人だった。
「そうね。そろそろお夕飯にしましょう」
急須と湯飲みを手早く片付けた霊夢は、それらをお盆に乗せゆっくりと立ち上がった。
「ふぅ、それじゃあ待ってて。おいしいご飯を作ってきてあげるから。下準備もしっかりしてるしきっとおいしいわ」
「待って霊夢」
「なに?」
私が昼頃に目覚めてからもう何度も腕輪を外してくれるよう頼んだが、その試みは毎度失敗した。
「こんな腕輪つけてちゃ鎖が邪魔で食べにくいわ。はずしてくれないかしら?」
それでも私は諦めずに外してくれと乞うのだった。
はあ、と息をつく霊夢。
どうしたものかという表情だ。まるで駄々をこねる子供を前にした母のようだった。
「ダメって何度も言ってるでしょ? もう今日のこと忘れたの? あんたは外に出たら危険なの、いつ誰に狙われてるかわからないのよ?」
その直後、私の目の前は真っ暗になった。加えて顔に柔らかい感触が伝わってきた。
霊夢が私を優しく抱き締めたのだ。
「ごめんなさいアリス、すぐに外に出ても大丈夫なようにしてあげるから。だから、もう少しだけ時間をちょうだい?」
いいよ、なんて言ったらずっと私は博麗神社に囚われたままになるだろう。かと言って、いやだ、と言ったところで結果は変わらない。
私はダメで悪い女だ。
霊夢の胸の中で私は小さく呟いた。
「霊夢、苦しいよ」
本当は苦しくなんてなかった。むしろ、誰かに好意を向けられて、人の体温を感じられることがたまらなく幸せだった。
本当にダメダメで悪どい女だ。
ひとりぼっちが嫌だからとか、みんなと仲良くしたいとか、そんな理由は問題じゃない。
私はどうしようもなく汚い性格をしてるんだ。
じゃなきゃ、魔理沙はあんな風に死ななかった。
じゃなきゃ、親友が死んだって時にこんな風に幸福を感じてない。
私の心の底はきっと闇だ。
「私はアリスを危険な奴らから守りたいだけなの」
霊夢はそう言って私から離れた。
「せっかくアリスが居るんだし張り切って作ってくるから楽しみに待ってて」
「あっ、霊夢......」
私の声は届かなかった。
部屋に私一人になった。
この部屋にはちゃぶ台と棚くらいしか物がなかった。
布団は少し前に霊夢が片付けてくれた。
「一人は寂しい」
無意味に独り言を発する。
「やっぱり魔法は使えない」
腕輪を壊そうとしたがやはり無理だった。
どうやら腕輪には魔法を封じる何かがあるみたいだった。
霊夢が少しだけ腕輪を緩めてくれたので、輪の裏側が見えたが、お札に書いてありそうなよくわからない文字が書かれていた。
きっとそういうことなのだろう。
何もできない私は何もしなかった。
ただ霊夢が帰ってくるまでちゃぶ台にうつ伏せになっていた。
「これからどうなるんだろう」
わからないことだらけだ。
ずっと続くと思ってたから。
たくさんの友人とずっと平和な日常を過ごしていけると思っていたから。
平和な日常は崩れかけだ。
友達の一人を失い、友達の一人に軟禁されてる感じだ。
「なるようになれ......」
数十分が経った。
私は無駄なことを考えていた。
寂しさと退屈を紛らわせるために、ひたすら数を数えていた。
途中で止まったりどこまで数えたかわからなくなったりした。一つ飛ばしで数えたりした。
数字遊びをしていた私はふと思った。
「時間が戻ればいいのに」
そうしたら何もかも元通りだ。
「魔理沙が死なないようにして、多分霊夢もこんなことしない。またいつものような日常に戻したいな」
妄想にふけった。
朝目が覚めたら時間が戻っていて、私は魔理沙を死なせない。そのうち霊夢も来て、三人で紅茶でも飲みながら談笑する。今度は人里に行ったりして、買い出しに来ていた咲夜とたまたま出会って、一人で団子を食べてた妖夢も巻き込んでみんなで歩き回る。そうしたら、薬を売りに来ていた鈴仙がいて私達は──。
「待たせたわねアリス」
夢見心地の妄想が終わった。
代わりにいい匂いを感じた。
「どう? 割と出来がいいと思うんだけど」
霊夢はお盆に乗せた皿を次々と置いていく。
あっという間に並んだ料理を見て、私は言った。
「うん、とっても美味しそうね」
和食だ。
定番の白米に味噌汁、焼き魚に野菜の納豆和え、トドメに漬物と来た。
普段和食は食べないけど、それでも食欲をそそった。
スタンダードでシンプルでノーマルな料理が最も美味しいものだ。
余計なものなどいらないのだ。
料理にはほんの少しの技術とありったけの想いがあればいい。
私が料理をするときはそう思ってる。
以前、霊夢にもそのことを言った。
思い違いかもしれないけど、もしかしたら霊夢もそれを思い出して今日のご飯を作ったのかもしれない。
「ありがとうアリス。さあ早く食べましょう」
こうして私達は食事を始めた。
いつもと変わらないようだった。
この前こんなことがあったとか、この一品はちょっとした工夫をしているんだとか、昔の異変を思い出して話したりした。少しの沈黙でさえ心地よかった。
私は今までと変わらない日常を楽しんでいた。
魔理沙のことはどちらも一切話さなかった。
私はその方がいいと思った。
食事が終わり、私は霊夢に伝えるべきことを伝えた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせた。
「霊夢、ご飯とても美味しかったわ」
霊夢は気恥ずかしそうにしていた。
「片付けてくるわね」
そう言って霊夢は部屋を後にした。
数分くらいして霊夢が帰ってきた。
「実は前にチーズケーキ作ってたの、食べない?」
「......ええ頂くわ」
霊夢ってチーズケーキ作るんだ。知らなかった。
皿とフォークを受け取り、私達は一緒にケーキを食べ始めた。
「これ好き......」
「本当に!?」
私がポロリとこぼした言葉に霊夢は激しく反応した。私は笑って答えた。
「本当よ、嘘言ってどうするの。ただチーズケーキに緑茶ってのはなんだかなぁって思うけどね」
「そ、そ、そうよね。アリスは紅茶好きだし紅茶の方が良かったわよね」
「別に緑茶が嫌いってわけじゃないわよ」
「そう......でも本当に良かった」
「そんな大げさな」
霊夢はそっと胸を撫で下ろした。
「大げさなんかじゃないわ、このケーキはアリスのために作ったんだもの」
「え?」
「ねえ、この前私がアリスの家に遊びに行ったとき覚えてる?」
この前遊びに来たとき、そういえばちょうどあのときケーキを作ってたような。
「あの時、私にチーズケーキを作ってくれたじゃない。あの時アリスって、チーズケーキに最近ハマってるって言ってたから、私も作ってみようと思ったのよ。最高のチーズケーキを作ってアリスに食べさせてあげようって思ってね」
私の胸に何かこみ上げてくるものがあった。
自分のために何かしてくれたことが嬉しかった。
「ありがとう霊夢、私すごく嬉しい」
想いがぐちゃぐちゃだ。
私は霊夢のことが好きなんだ。
だから嬉しいんだ。
でも魔理沙のことも好きだ。
魔理沙が私を好きだと言ってくれたことは嬉しかった。
気付けば気付くほど理解してしまう。
今回の一番の悪は私だ。
私が幻想郷の日常を壊そうとしてるんだ。