なにかとあのあたりの橋の修理を行なっているというマンプクの手際は非常に手慣れたもので、レヴンが思っていたよりもずっと早く、橋の修理は終わった。修理のための資材がすでにあったのも、大きかった。
あのあたりの橋は、魔物なり天災なりで壊されることがあり、そうなった時、すぐに修理にとりかかれるよう、常にある程度の資材を揃えてあるらしい。それに加えて、最近壊れた、よその地域に行くための西の橋を修理するために作っていた物を回して貰えたため、橋を作る手間と時間は、大幅に短縮することができた。
駆け続けた。デルカダール兵と鉢合わせするかもしれないと頭に浮かばなかったわけではないが、そうなったらそうなった時のことだと思い定め、馬を駆けさせた。
途中、視線を感じた気がしたが、近くに人の気配は感じられなかった。気のせいか、それとも遠くからこちらを
ナプガーナ密林からイシの村までの距離は、そこまで遠くはない。村には、それほど時間をかけることなく辿り着いた。
村は、無事だった。デルカダール兵の姿もなく、レヴンが見慣れた、いつものイシの村の姿があった。
***
釣り糸を
釣りをしながらも頭に浮かぶのは、昔、旧友と別れ際に交わした約束のことだった。
左手に不思議な痣を持った男性を見つけたら、連れて来て欲しい。そんな約束だった。それに頷き、別れた。
その後も旅を続けた。あらゆる人に出会い、あらゆるものを見聞きした。
しかし旅の中で、そんな痣を持った人物を見かけることは、ついぞなかった。
ちょっとずつ、躰がうまく動かなくなっていた。まだ若いつもりでいたが、その気持ちに躰がついてこなくなっていた。
それを自覚したところで、ここらが潮時なのだろうと、ひとところに落ち着くことにした。のんびりできる場所がいいと考え、落ち着く先としたのは、とある渓谷地帯にある小さな村だった。
この村は、かなり珍しい集落だった。
魔物はどの地域にもおり、人を襲う。それに対抗するために、ひとつの地域でひとつの大きな村や町、場合によっては
この村は実質的に、外界と隔絶されたところだった。旧友の住んでいる聖地ラムダも似たようなところではあるが、あちらはほかの地域からも認知されているぐらい、有名な場所である。
このイシの村は、ほかの地域どころか、近くの村や町からもほとんど知られていないところだった。村の規模も小さく、おそらく集落としては、自分が知る中では一、二を争うぐらい小さい。独力では、魔物に滅ぼされていてもおかしくないぐらいだ。
滅ぼされずに済んでいるのは
神の岩は神聖な気を発しているらしく、魔物を寄せ付けない力がある。ひょっとしたら、この神の岩があるために、ここに村が作られたのかもしれない。
神聖なる加護によって存在している集落と言えば、聖地ラムダもそうだった。土地がそうなのか、それとも里を見守るように立つ賢者セニカの像による加護なのかはわからないが、あの里もまた、小さな集落であるにもかかわらず、ずっと昔から存在しているという。イシの村がいつからあるのかはわからないが、どこか似たところがあると感じるのは、さすがに考え過ぎだろうか。
旧友との約束には、孫が関わっていた。孫は、いまからおよそ六年前、嵐のあとに川上から流れてきたのを拾い、育ててきた。その子の左手には、旧友が話していたと
約束を果たす時が来たのだろうと思いながらも、悩んでいた。
旧友の住まう聖地ラムダに行くとなると、長く険しい旅になる。孫はまだ幼く、自分もまた、若いころほどには動けない。危険ではないかという思いがある。だが同時に、いまならまだ、孫を連れて一緒に聖地ラムダにむかうことができるだろう、という思いもあった。あと二、三年もしたら、おそらく自分はもう、旅に耐えられる躰ではなくなってしまっているだろう。
もう一度だけ旅をしたいという思いが、心のどこかにあった。孫に、世界というものを見せてあげたいという思いがあった。孫と一緒に旅をしたいという思いが、あった。
しかしこれは、身勝手な考えではないか、とも思った。幼い孫を、それに付き合わせていいのかと、理性が引き留めていた。
孫は、いつか嫌でも旅に出ることとなる。それが、あの子の宿命だ。ならば、その時に聖地ラムダを訪ねるように言う方がいいのではないだろうか。そのころには、彼は
「おじいちゃんっ。テオおじいちゃんっ!」
「む?」
背中から聞こえてきた幼い声に、テオは一旦思考を中断し、顔をむけた。真ん中分けのサラサラとした髪が特徴的な、幼い少年の姿があった。
「おお、どうした、レヴン?」
よほど急いで駆けて来たのか、孫、レヴンは息を切らしていた。
「エマのスカーフが風に飛ばされて、木の上に引っかかっちゃったんだ。
「おお、そうか。わかった、待っておれ。いま行くでな」
「うん!」
「レヴーン!」
レヴンに頷き、立ち上がったところで、幼い少女の声が、村に繋がる道の先から聞こえてきた。
「エマ?」
レヴンが不思議そうに呟いた。
道のむこうから幼い少女と、青年が歩いてくるのが見えた。青年の姿にテオは
青年が着ている紫色の旅装束は、見覚えのあるものだった。なにより、その瞳と、サラサラとした髪は、いまここにいる最愛の孫と、そっくりなものだった。
「エマ、スカーフは?」
近づいてきた幼い少女、エマにレヴンが訊いた。エマの頭には、スカーフが巻かれてあった。
「このお兄ちゃんに取って貰ったの。それでね、このお兄ちゃん、あなたに会いに来たみたいよ。知ってる人?」
エマの言葉に、レヴンが青年の顔をじっと見て、やがて首を横に振った。
「ううん、知らないよ?」
「えっ、この人、レヴンの名前を知ってたんだけど」
「彼は、わしの友だちじゃよ」
「おじいちゃんの?」
「ああ。ちょっと込み入った話になりそうじゃからの。二人はむこうで遊んでなさい」
『はーい!』
レヴンとエマが声を揃えて元気よく返事をし、青年に頭を下げた。
「エマのスカーフを取ってくれて、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「どういたしまして」
二人の言葉に、青年がやわらかく微笑んで返した。二人が笑顔で駆け去って行く。
二人のうしろ姿が見えなくなったところで、テオは青年にむき直った。
「さて、おまえさんもレヴンじゃな?」
青年、レヴンが眼を見開いた。微笑みかける。
「わかるともさ、愛する孫のことぐらい。眼がそっくりじゃ」
「テオじいちゃん」
「しかし、こんなにも成長した孫の姿を見ることができるとはのう。それに、その旅装束は」
「うん。じいちゃんが使っていた物だよ。母さんに仕立て直して貰ったんだ。じいちゃんにも見て」
そこでレヴンが、なにかに気づいたように言葉を止めた。
ちょっとだけ首を傾げ、あることに思い至った。
おそらく、レヴンが旅立った時にはもうすでに、テオは亡くなっているのだろう。
レヴンが旅立つその日に、その姿を見れないことを残念に思いながらも、いまこうして見ることができている。奇妙なめぐり合せではあるが、それは素直に嬉しかった。
「レヴン。わしは、果報者じゃ。こんなにも立派に成長した孫の姿を見ることができたのじゃからな。命の大樹の導きに感謝しなくてはな」
「じいちゃん」
青年、レヴンが泣き出しそうに顔を歪め、ハッとしたあと、真剣な表情となった。
「テオじいちゃん、訊きたいことがあるんだ」
「なんじゃな?」
「『まほうの石』が、どこにあるのか知りたい」
「ふむ。『まほうの石』か」
懐かしい名前だった。もちろん、捨ててなどいない。聖地ラムダで貰った、大切な思い出の品だ。
「ひとつ、いや、二つ訊いてもいいかの、レヴン?」
「うん。なに?」
「デルカダールには、行ったかの?」
「う、ん」
レヴンの顔が、一瞬だけ曇ったように見えた。いま見せている表情は、力強いものではあるが、どこか
「そうか。どうやら、つらい思いをさせてしまったようじゃな」
「え、いや、そんなこと」
「その顔を見れば、おまえさんがなにかつらい目に遭ったことなど、すぐにわかるわい」
「っ」
レヴンがうつむき、少しして顔を上げた。
「だけど、目標ができた」
「目標?」
「うん。あの人を超えたい。そう思える人が、デルカダールにいたんだ」
力強い光が、その眼にあった。
「そうか」
「うん。それで、もうひとつの、訊きたいことっていうのは?」
「うむ。聖地ラムダには、行ったかの?」
「うん」
「いつじゃ?」
「十年ぐらい前、六歳のころだよ。じいちゃんと一緒に」
「そうか」
行ったのか、という驚きがあった。
「旅は、つらくなかったか?」
「大変だとは思ったけど、つらいとは思わなかったよ。楽しかった。大事な友だちができたし、それに、大切な人ができた」
はにかむように、レヴンがやさしく笑って言った。なにか熱いものが、胸の奥からこみ上げてきたような気がした。
「そうか。そうか」
それだけ言うのが、やっとだった。
いまにも流れ出してしまいそうな涙を必死で押し
「レヴン。この邂逅はおそらく、ほんの一時のものじゃ。命の大樹の根っこに刻まれたという土地の記憶を辿った、言ってみれば過去の世界に、おまえさんはおるのじゃろう」
レヴンが頷いた。
旅の中で聞いたあらゆる言い伝えに、大樹の導きの話はある。選ばれし者に、大樹の意思を伝えるのだと。
世界中に張り巡らされた、命の大樹の根っこ。遥か
目の前にいるレヴンからは、眼を離すと消えてしまいそうな、そんなおぼろげなものを感じるのだ。レヴンの方も、同じような感覚を覚えているかもしれない。
「イシの大滝の、三角岩はわかるな、レヴン」
「うん」
「その前を掘ってみなさい。そこに、おまえの
「うん。わかったよ」
「レヴン」
レヴンの肩に、手を置いた。レヴンの背は、テオよりも高くなっていた。それに、なんとも言えない感慨があった。
「おそらく、これから先も、おまえには数々の困難が降りかかることになると思う。心無い言葉を浴びせてくる者もいるじゃろう。醜いものを眼にすることもあるじゃろう。理不尽な目に遭うこともあるじゃろう。じゃが、人を憎んではいけないよ。どんな時であっても、慈悲の心だけは、なくさないで欲しい」
「慈悲の心?」
「他者を慈しむ心。相手を思いやる気持ち。誰かを救おうとする意思。それを忘れずに、いて欲しい」
それがきっと、大いなる闇を打ち払う者、『勇者』というものなのではないのかと、そう思うのだ。
いや、そんな大層な理屈などいらない。孫が憎しみに駆られて生きることなど、誰が望むものか。
「余計なお世話だったかもしれぬがのう。じいじのお願いじゃ。頭の片隅にでも置いといてくれ」
「余計なお世話なんてこと、ないよ。ありがとう。テオじいちゃん」
レヴンが、やさしく微笑んで言った。
頷き、躰を離した。レヴンが頷き、眼を閉じた。
レヴンが、大きく息をつき、眼を開いた。レヴンの眼は、潤んでいた。テオの視界も、滲んでいた。
「それじゃあ、僕は行くよ」
「うむ。レヴン。わしは、おまえの心の中で生きている。寂しがることなんてないぞ」
「うん。じいちゃん、元気で」
「おお。おまえも、達者での」
互いに笑顔で言い合うと、振り切るようにレヴンが
その背中が、滲んだ視界から消えたところで、テオの頬を涙が伝った。
***
イシの村に着いた時、デルカダール兵たちの姿はなかった。なんとか彼らよりも先に来ることができたようだと、カミュはレヴンとともにホッと安堵の息をついた。
ほんの数日前に旅立ったはずのレヴンが帰ってきたのだ。村人たちには当然驚かれたが、その場での話はすぐに切り上げ、大事な話をしなければならないと村長の家にむかった。
レヴンの義母だというペルラに、エマというレヴンの幼馴染みも含めて村人たちを広場に集めて貰い、話をした。
『勇者』が『悪魔の子』と呼ばれていること。
そのために、デルカダールで一度捕らえられたこと。
牢獄でカミュと出会い、一緒に脱獄したこと。
レヴンを捕らえたグレイグが、村人たちに不必要に危害を加えることはしないと約束してくれたが、それでもやはり村の者たちが捕らえられずに済む方法はないかと考え、村に戻ってきたこと。
そんな、旅立ってからのことを、レヴンは手短に話した。
「勇者が悪魔の子と呼ばれているというのはほんとうか、レヴン?」
沈黙を破り、最初にそう訊いたのは、村長だった。
「はい。それで、十六年前、ユグノアが魔物に襲われたのは、勇者が悪魔の子で、魔物を呼び寄せたからだと、そう言われているそうです」
「ううむ」
村長が唸った。周りの者たちも、なんと言ったらわからないとばかりに、顔を見合わせていた。
「って言ってもな、村長さん。そりゃ、噂で言われているだけだ。その噂を信じているやつは、確かに多いがな。あんたも、その噂を信じて、レヴンが悪魔の子だって思うかい?」
カミュが言った。
束の間、考えるそぶりを見せたあと、村長が首を横に振った。
「いや、思わん。わしらは、レヴンと一緒に暮らしてきた。レヴンが災いを呼ぶ悪魔の子などと、信じられるわけがないわい」
「けど、いまから村が焼かれるかもしれないんだろ」
ぼそっと言ったのは、村の男のひとりだった。その言葉に、場の空気が重苦しいものとなった。
かすかに剣呑なものが混じった視線を、周りの者がその男に送った。その空気に
「うっ、わ、悪い。けどよ」
「おぬしの言いたいことはわかる。じゃが、それはレヴンが悪いわけではあるまい。それに、レヴンはこうして村に駆けつけてきてくれた。危険を
「そ、それは」
諭すような村長の言葉に、男が頭を下げた。
「そう、だな。すまん、レヴン」
「いえ、そう思われてもしょうがないことですから」
静かに、レヴンが言った。傷ついていないわけではないだろうが、いまは傷ついている場合ではないとばかりに、力強い声だった。
「時間は、おそらく残されていません。単刀直入に訊きます。村のみんなが、デルカダールから逃げる方法はありませんか。抜け道とか、隠れ場所とか、そういったものは」
レヴンがそう言うと、全員が考えこんだ。
「撃退は、できないのか?」
やや目つきが鋭い、黒髪の男が言った。レヴンが首を横に振った。
「闘ったら、勝ち目はないと思う。正面はグレイグ将軍がいるし、搦め手も軍師ホメロスがいる」
「その二人は、そんなにすごいのか?」
「グレイグ将軍に僕は、手も足も出せずに捕まった」
その言葉に、どよめきが起こった。信じられないとばかりに眼を見開いている者もいる。
「軍師ホメロスの方は、少数の部隊で魔物の大群を討伐するぐらいの知略の持ち主」
「そんなに」
「グ、グム~」
村人たちが呻き、空気がさらに重くなった。
「レヴン。なにか、いい考えはないか?」
「考え続けてきましたが、いい手はなにも。さっき訊いたような、抜け道や隠れ場所などがないかと期待してきたんですが」
「そうか。すまん、わしも長いこと、このイシの村に住んでおるが、そういったものは知らんのじゃ。谷を降りた先の樹海の中に行けば身は隠せるかもしれんが、とてもわしらが生活できる環境ではない」
村長が、申し訳なさそうに言った。場の空気は、さらに暗く沈んだものとなった。
「なら」
「なら、しょうがねえ。次善の案でいくしかねえな」
レヴンの言葉を遮るようにして言ったカミュに、周りの視線が集まった。
レヴンが、自分が言うとばかりに視線を送ってきたが、カミュはそれを眼で制した。
「次善の案とは?」
「逃げるんだよ」
カミュが言うと、村人たちが顔を見合わせた。
「逃げるといっても」
「行くあては、一応ある。ただ、ここからだと、遠く、険しい旅になる。とてもじゃねえが、全員を連れて行く余裕はねえ」
「旅に着いていけそうにない者は、切り捨てろと?」
言ったのは、撃退はできないのかとさっき訊いていた、目つきの鋭い男だった。さらに目つきが鋭くなっていた。真っ直ぐに見つめ返す。
「全員を連れて行ったとしても、デルカダールに捕捉されて結局捕まる可能性の方が高い。村は焼かれるだろうが、抵抗さえしなければ、あんたらは多分、投獄されるぐらいで済むはずだ。レヴンはまず間違いなく、処刑だろうけどな」
ぐっ、と男が鼻白み、うつむいた。
「カミュと言ったか、おぬし?」
「ああ」
村長の方に、カミュは顔をむけた。
「全員を連れて行く余裕はないが、何人かは連れて行けると?」
「腕利きのやつと、女子供の数人ぐらいなら、なんとかなるはずだ。道中でどこか安全な場所を見つけたら、そこからはオレとレヴンだけで行くことも考えてる」
「安全な場所と言うが」
「味方になってくれるやつは、必ずいるさ。オレは、そう信じてる」
レヴンにちょっとだけ視線をむけ、言った。
村長がうつむき、悩む様子を見せたあと、意を決したように顔を上げた。周りの村人たち、いやエマを見ていた。
「なら、エマ。おぬしと」
「行かないわ」
村長の言葉を遮って、エマが言った。その場にいる全員が、唖然としてエマを見た。
エマが、毅然とした様子でレヴンを見つめた。
「レヴンの足手纏いには、なりたくないから」
「足手纏いなんてこと」
「聞いて、レヴン」
なにかを言おうとしたレヴンの言葉を遮り、エマが言葉を続けた。
「一緒について行ったとしても、私はレヴンの力にはなれない。それどころか、逆に足を引っ張りかねないし、そうでなくても気を遣わせることになると思うの。成人の儀式の時、ただ守られるだけだったみたいに。その方が私は嫌。なら私は、レヴンを信じて待つわ。そこが牢獄だろうとなんだろうと」
エマが、笑顔を浮かべた。明るく、力強い笑顔だった。
「私は、レヴンを信じてる。レヴンは悪魔の子なんかじゃないって。いつか必ず勇者の真実を突き止めて、私たちを助けてくれるって。グレイグ将軍って人は、信じられる人なんでしょ、レヴン?」
呆気に取られたような様子を見せていたレヴンが、はっとしたように頷いた。
「うん。それは、間違いなく」
「なら私は、その人を信じるわ。その人を、信じられる人だって言った、レヴンを信じてるから。だから、レヴンは行って」
「そう、じゃな」
息をついたあと、村長が言った。
「レヴンについて行くという者は、おるか?」
村人たちが顔を見合わせ、全員が首を横に振った。
「エマにそんなこと言われたら、ついて行くなんてとても言えませんよ、村長」
「ご、ごめん、ジャイル」
目つきの鋭い男、ジャイルの言った言葉に、エマが謝った。
ジャイルが、苦笑した。
「いや、責めてるわけじゃない。エマの言う通りだと思う。俺たちは、捕まっても囚われるだけかもしれないが、レヴンは違うんだろ。なら、行ってくれ」
「ジャイル」
「大丈夫だ、レヴン。エマが言ったろ。エマが言うように、俺もおまえを信じてるからな」
ジャイルが、ニヤッと笑って言った。
「よし。では、レヴンよ」
「村長!」
村の入口の方から、見張りをしていたはずの村人が駆けこんできた。
レヴンとともにハッとし、北の方に眼をやる。
「どうしたっ?」
「北の方から、土煙が」
「なにっ?」
「来やがったか」
カミュが言うと、村長がこちらに顔をむけた。
「デルカダール、か?」
「多分な」
大きな、ひと塊の気配が近づいて来ている。デルカダールの部隊だろう。もう、いつこの村に足を踏み入れても、おかしくなかった。
ただ、ひとつ気になることがあった。土煙を上げて接近しているということだ。
このタイミングでやつらが来たことを考えれば、イシの村への移動中に感じた視線は、デルカダール軍の見張りによるものだったと思われるのだが、なぜこんなに堂々と接近してくるのか。近づいて来る気配も、それを隠そうとする感じがない。まるで、自分たちの存在を誇示するかのようだった。感じた視線は気のせいで、ほんとうにただの偶然という可能性はあるが、どうにも気になった。
「母さん」
レヴンが、恰幅のいい女性、ペルラに顔をむけた。
「なんだい、レヴン?」
「テオじいちゃんが持ってたはずの『まほうの石』のこと、知らないかな?」
「『まほうの石』?」
うーん、とレヴンの母が唸り、ハッとした。
「そういえば、おじいちゃんが以前、レヴンが『まほうの石』のことを訊いてきたら、大樹の声を聞くように伝えてくれって」
「大樹の声?」
「確か、そう言ってたね。そう伝えれば、レヴンならきっとわかるはずだからって」
カミュは、レヴンと顔を見合わせた。
どういうことなのか。このような伝言を遺しているということは、テオも大樹に導かれたことがあるということなのか。
首を傾げていた村長が、レヴンにむき直った。
「レヴン。いまはとにかく身を隠すんじゃ」
「あ、はい。けど、身を隠すところと言われても」
「神の岩の方に行け。そこから谷の方に降りると、樹海に入れる。そこなら身を隠せるはずじゃ。強い魔物が棲むところではあるが、おぬしの強さなら、どうにかなるはず」
「わかりました」
「レヴン」
エマがレヴンに近づき、なにかを差し出した。小さな袋だった。首にかけられそうな、長めの紐がついていた。
レヴンが受け取り、エマの顔を見た。
「御守り。気休めにしかならないけど」
「そんなことないよ。ありがとう、エマ。必ず、みんなを助けるから、待ってて」
「うん。カミュさん。レヴンのこと、お願いします」
「ああ。任せてくれ」
「レヴン。絶対に逃げ切れよ。俺たちのことは気にするな」
言ったのは、近づいてきたジャイルだった。レヴンが彼にむき直る。
「ありがとう、ジャイル。みんなのこと、頼むよ」
「ああ、任せろ。それとカミュさん、さっきは、突っかかってすまなかった」
「気にすることねえさ。むしろ、立派だよ、あんたたちは」
こんなふうに、レヴンを信じて、送り出そうというのだ。
なにか、眩しいものを見ていると、そんなふうに感じた。
村の者たちにレヴンとともに礼をすると、馬を曳いて、南にある神の岩というところに急いだ。
進んでいくと、山が見えた。山ではなく巨大な岩であり、それが神の岩だという話だった。
その近くで、人の手の入っていない方に進んだ。道と言えるほどのものはないが、それだけに身を隠せそうなところではあった。馬を連れて行くのは難儀しそうだが、荷物も含めて、捨てるわけにはいかない。
足跡を消しながら慎重に進んで行くと、樹海に入った。鬱蒼とした森で、禍々しい気配が奥の方から感じられた。強力な魔物がいる。それがわかった。ナプガーナ密林で、下層の方に強力な魔物たちが生息していたが、あそこと繋がっているのかもしれない。あまり奥には進まず、入口からちょっと入ったあたりで身を潜めることにした。
腹が減っていたことに気づき、携行食として持っていた干し肉を口にした。カミュが差し出すと、レヴンもそれを口にした。とても食欲があるように見えなかったが、しっかりと食べていた。笑顔で、礼を言われた。無理をした笑顔だと、嫌でもわかった。
暗くなったが、火は
交代で睡眠をとり、やがて夜が明けはじめた。
人の気配が近づいてくることは、なかった。幸いなことに、魔物に襲われることもなかった。
まだあたりは暗いが、イシの村の様子を見に行くことにした。
イシの村のことが心配でしょうがなかったのだろう。レヴンの目の下に、
カミュは、なにも言わなかった。なにか、言えるはずもなかった。
来た方を戻り、イシの村にむかう。村の方に、人の気配はなかった。
イシの村に着いた時には、歩くのに困らないぐらいには、空が明るくなっていた。
イシの村にはすでに、誰もいなかった。なにも、なかった。
家という家が、みんな焼かれていた。
「先に、村の中を見てもいいかな?」
静かに、レヴンが言った。
冷静を装っているが、その拳は、血の気を失うほどに固く握り締められていた。カミュはなにも言わずに頷くと、彼とともに歩き出した。
油を撒いたのか、すべての家屋が焼け落ちていた。畑なども、潰されている。
幸い、と言っていいのかわからないが、血の跡はどこにも見当たらなかったため、少なくともこの場で誰かが殺されることはなかったと推察された。
それでも、ここまでやるのかと、カミュは
教会も、民家も、レヴンの家も、やはりみんな焼け落ちていた。レヴンは、それらから眼を逸らさず、眼に焼き付けるようにして、真っ直ぐに見ていた。
「レヴン」
「大丈夫、だよ」
レヴンが、笑って言った。見ているだけで居たたまれない気持ちになる、そんな、無理をした笑顔だった。
カミュがなにも言えずにいると、レヴンが南の方にむき直った。
「大樹の根のところに行こう」
「ああ」
再び歩き出す。
村の中は、何度見ても、すべて焼け落ちている。農耕具などは、焼けずに済んでいる物もわずかに見受けられたが、それだけだ。イシの村の者たちが無事にここへ帰れたとしても、村が元通りになるのに、どれだけの時がかかるのだろうか。
南の入口前の、井戸のそばにある木に、レヴンが近づいた。木には、ナプガーナ密林で見たのと同じような、大樹の根らしきものが、絡みついていた。
レヴンがその木に近づき、大樹の根に手を翳した。
しかし、なにも起こらなかった。
周りを見回してみるが、特になにも見えない。ナプガーナ密林で見たような、過去の映像でも見えるのかと思ったが、なにも見えることはなかった。
愕然とした気持ちに、カミュは襲われた。デルカダールから抜け出すあてが、潰れた。
そう思いながらも、気持ちを切り替え、思考をめぐらせる。
これからどうする。『まほうの石』を求めて、村の中を探し回るか。いや、あまり時間をかけ過ぎると、またデルカダール兵が村に来るかもしれない。そう考えれば、村の中にあるかどうかすらわからない『まほうの石』を探すのは、得策とは言えないだろう。ほかの手段を考えるべきだ。
こうなったら、以前、レヴンが言ったように、どうにかして船を造るか、あるいはマンプクのところに行って、よその地域に行くための橋が直るのを待つか。なんであれ、ここを離れるべきだ。
そう考えると、レヴンにむき直った。
「レヴン。一旦、ここを離れよう。レヴン?」
呼びかけるが、レヴンの反応がなかった。レヴンは、木に手を翳したまま、静かに佇んでいた。
「レヴン、どうした?」
顔を覗きこんでみる。どこを見ているのか判然としない、茫洋とした眼になっていた。
「おい、レヴン?」
肩に触れて、もう一度呼びかけてみるが、やはり反応がない。それだけでなく、レヴンの躰は、まるで彼の躰が一本の樹にでもなってしまったかのように、不思議とびくともしなかった。
なにが起こったのか、何者かの攻撃でも受けているのかと周囲を見回したところで、レヴンがハッとした仕草を見せた。
「レヴン?」
レヴンが、どこか不思議そうにこちらを見た。
「カミュ?」
「カミュ、じゃねえよ。どうした、なにがあった?」
「え?」
なにを言っているのかとばかりに、レヴンが不思議そうに眼を
「おまえ、その木に手を翳したあと、ボーっとしたまま、びくともしなくなったんだよ。なにが起こったのかと焦ったぜ」
カミュがそう言うと、レヴンが考えこむ仕草を見せた。
「どうした?」
「テオじいちゃんに、逢った」
「なに?」
詳しく訊いてみると、過去の世界に行って、祖父であるテオと逢った。そこで祖父から、イシの大滝のそばにある三角岩の前を掘るように言われたとのことだった。イシの村が焼かれることは、言えなかったらしい。テオを心配させたくなかったのだろう、とカミュは思った。
ナプガーナ密林の時とは違い、カミュにはその過去の光景とやらは見えなかった。それで過去に行ったと言われても、普通なら信じられるものではない。
だが、レヴンならば、あり得ないとも言い切れないのではないか、と不思議と思えた。それに、テオの伝言が、過去に行ったレヴンと出逢ったために遺されたものだというのなら、辻褄も合うのだ。確かめる価値は充分にある。
イシの大滝は、イシの村から北に出て、東に行ったところにあるという。遠く離れた場所ではないし、デルカダール神殿への通り道でもある。ならば、すぐにでも行くべきだろう。
見張りがいる可能性を考慮し、まずはカミュだけ先行することにした。馬たちはレヴンに任せ、物陰に身を潜めながら、あたりを偵察した。
見張りは、いなかった。少なくとも、カミュには見つけられなかった。昨日感じた視線などもない。レヴンがデルカダールに行った時に通ったという、北にある洞窟も確認してみたが、やはりどこにもいなかった。
困惑しながらもレヴンのもとに戻り、そのことを伝えた。レヴンも戸惑っていた。
罠の類かとも思ったが、このままここにいるわけにもいかない。警戒しつつ、イシの大滝にむかうことにした。
イシの大滝には、何事もなく辿り着いた。
イシの大滝は、聞いていた通り、そんなに遠くはなかったが、見張りを警戒しながら進んだため、多少時間はかかった。
見張りは結局、いなかったようだった。それに不可解さと、いささか不気味なものを感じながらも、三角岩を探すことにした。
三角岩は、すぐに見つかった。名前通りの形だった。
岩の周囲の地面を調べてみると、わずかに違和感を覚えるところがあった。
レヴンに、顔をむけた。
「多分、ここだな。ちょっとだけ、周りと土の感じが違う」
カミュがそう言うと、レヴンが頷いた。
「じゃあ、掘ってみよう」
「おう」
二人でそれぞれスコップを手に執り、地面を掘りはじめた。スコップはイシの村から持ってきた物で、なんとか焼かれずに済んでいたものだった。
土は、そんなに固いものではなかった。二人でしばらく掘り続けると、なにか箱らしき物が、土の中に見えた。
「こいつか?」
「多分」
周りの土を、もうちょっとだけ掘り返す。箱はそこまで大きな物ではなく、それはわずかな時間で済んだ。
レヴンが箱を開けた。中には、封に入れられた二通の手紙と、不思議な力を感じさせる、掌に乗るぐらいの石、そして一冊の書が入っていた。
レヴンが、二通の手紙を箱から取り出した。一通は、かなり昔に書かれたものなのか、だいぶボロボロだった。手紙を裏返すと、差出人の名前らしきものが書いてあった。
「新しい方はテオじいちゃんが書いたものみたいだけど、こっちは、エレノア?」
ボロボロの手紙の方を見て、レヴンが戸惑ったように言った。
「誰だ?」
「わからない。けど、なんだか懐かしい感じがする」
レヴンが、『エレノア』という差出人の名が書かれた手紙の封を開けた。
レヴン。
あなたがこの手紙を読んでいるということは、おそらく私の命はもう、命の大樹に還ってしまっているのでしょう。
あなたの故郷であるこのユグノアの地はいま、魔物の襲撃を受けています。この襲撃の中、あなたを連れて一緒に逃げ切れるかどうかわかりません。もしもの時のために、この手紙には、あなたに伝えなければならないことを書き
心ある人に拾われ、立派に成長したら、ユグノアの親交国であるデルカダールの王を頼るのです。
あなたは、誇り高きユグノアの王子。そして、大きな使命を背負った勇者。
勇者とは、大いなる闇を打ち払う者。いずれ、この言葉がなにを意味するのか、わかる時が来るはずです。闇に負けることなく、光を掲げて生きて。
レヴン。一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい。
無力な母を、許して。
手紙には、そう書かれてあった。急いで書き上げたのだろう、文字は、ところどころ乱れていた。
どれだけ無念だったのだろう、最後の方の文字は震えており、滲んだ跡がいくつかあった。涙の跡だと、レヴンは思った。
母。レヴンを産んでくれた人。
母がレヴンのことを想ってくれていたのは、この手紙を読むだけで、自然と感じられた。
デルカダールで捕らえられてから、考えないようにしていたことがあった。
魔物を操ったわけでなくとも、もしも、勇者であるレヴンの命を狙って魔物がユグノアを襲ったのだとしたら、それで誰かが不幸になったのだとしたら、自分はやはり、災いをもたらす悪魔の子なのではないかと。
だが、母はレヴンの身を案じてくれていた。赤ん坊であったはずのレヴンがこうして生きていることから、母が自らの身を
母の想いが、祈りが、願いが感じられた。自分を悪魔の子だなどと考えてしまうのは、そんな母の想いを
育ててくれた母と、産んでくれた母。自分には、母が二人いる。レヴンには、そう思えた。
不意に涙が溢れそうになったが、それは堪えた。いまは感傷に浸っている場合ではない。母を想って泣くのは、あとでいい。いまは、前に進むことだけを考えろ。
そう自分に言い聞かせ、テオからの手紙を開いた。
親愛なる孫、レヴンへ。
約束通り、おまえの道しるべになる物をここに埋めておいた。
母親からの手紙は、もう読んだかのう?
あの手紙は、おまえが流されてきた時、一緒に入っていた物じゃ。
なぜユグノアの地が魔物に襲われ、勇者が悪魔の子と呼ばれているのか、わしには真実を突き止めることはできなかった。なれば、真実はおまえ自身の眼で確かめるしかない。
魔法の石を、おまえに授けよう。これがあれば、東にある旅立ちの祠の扉を開けることができよう。世界を巡り、真実を求めるのじゃ。
おまえが悪魔の子と呼ばれ、追われる勇者となった、すべての真実を。
そして、もうひとつ。一緒に入れてある書は、ラムダのファナード殿から託された、古から伝わるという、勇者の書。おまえに渡した指南書は、この書から写したものじゃ。必ずや、おまえの力になってくれるはず。
レヴンや。
人を恨んじゃいけないよ。
わしは、おまえのじいじで幸せじゃった。
「じいちゃん」
読み終え、レヴンはポツリと呟いた。
母からの手紙を読んだ時と同じく、涙が溢れそうになった。涙が零れないように、天を仰いだ。
言葉にしきれない、さまざまな思いが、胸に去来していた。同時に湧き上がるのは、己への鼓舞。
立ち上がれ。前をむけ。歩き出せ。
エマたちを助けるためにも、レヴンを信じてくれる人のためにも、生きてと願ってくれた人たちのためにも、ベロニカとの約束を果たすためにも、こんなところで立ち止まるな。
おまえは、勇者なのだから。
二人の手紙を丁寧に仕舞うと、勇者の書を手にとった。
書を開き、軽く眼を通す。
ふっと、眼に留まったものがあった。
少しの間、その
顔を上げ、カミュの顔を見る。
「大丈夫か、レヴン?」
「大丈夫。こんなところで、立ち止まっていられないからね」
そう言って、笑いかけた。
じっとレヴンの眼を見ていたカミュが、そうか、と頷いた。
「そうだな。立ち止まるわけにはいかねえよな。行こうぜ」
「うん。まずは、デルカダール神殿だね」
「ああ」
掘った穴を埋め、雷刃たちのもとへ行く。
雷刃が、鼻面をレヴンに押し付けてきた。気遣ってくれたように感じた。首をやさしく撫で、大丈夫だと伝える。雷刃が、耳を動かした。
ベロニカのリボンと、エマから貰った御守りを取り出した。祈るようにそれらを両手で包みこむと、リボンを胸もとに仕舞い、『エマのおまもり』を首にかけた。
雷刃を曳き、同じように疾風を曳いたカミュとともに、歩き出す。
不意に、やわらかな風が吹いた。
運命に負けるでないぞ、レヴン。
風と滝の音に紛れて、そんな声が聞こえた気がした。
お待たせしました。
せめて隔月にまではならないようにしたい。
いろいろ悩んだけど思い切ってオリジナル部分多め。
『谷を降りた先の樹海』は、ゲーム中では行けないけど神の岩の頂上から見渡せるあそこ。
卵が先か鶏が先かと悩むテオじいちゃんの道標。
いろいろ考えたあと、いろいろな意味で「あまり深く考えない方がいいな、これ」ってなった。
それはそうと過去でのペルラ義母さんの対応、不審者ってのはわかるけどちょっと酷くないですかね、って気持ちになる。なった。