異聞 ドラゴンクエストⅪ ~遥かなる旅路~   作:シュイダー

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Level:10 レッドオーブを求めて

 どうしたもんかな、とカミュは頭を掻いた。

 物陰に身を隠しながら、慎重に見定める。

 視線の先にあるのは、レッドオーブが保管されているというデルカダール神殿である。大きく長い階段を登った先に、デルカダール神殿があるのが見えた。神殿の周りは、小さな山に囲まれていた。

 カミュが頭を悩ませているのは、どうやって神殿に入るかということだった。

 神殿に入るには、あの大階段を上るしかない。しかし神殿の入口には、見張りとして何人かの兵士がいるようだった。おそらく、中にもいることだろう。真正面から大階段を上っていったら、すぐに見つかって、増援を呼ばれるのが目に見えている。グレイグのような大物でも出てこない限りは、打ち倒すのはおそらく難しくないだろうが、あまり荒っぽい手段は採りたくないところだった。いろいろな意味で、敵を増やすようなことはするべきではない。

 ほかに神殿に入る方法となると、周りの山の方から進み、神殿の壁を登っていくしかないだろうか。

 そう考えるものの、山から神殿までは少々距離があるうえに身を隠せそうなところがなく、神殿の壁の高さもかなりのものだ。少なくとも、明るい内にそんなところを移動したら、まず見つかってしまうだろう。いずれにせよ、昼間に忍びこむのは無理があると考えざるを得ない。

 下見を終えると、慎重にその場を去った。レヴンが待っている、女神像のある野営地にむかう。レヴンを残したのは、イシの村のことで、カミュ以上に疲れているだろうと思ったからだ。

 小さな山を西に抜け、森に入ってから北にしばらく進むと、目的地に着いた。拓けた場所。女神像のある野営地だ。街道をややはずれた森の中にあるゆえか、ここ最近使われた形跡がないため、ここで休息をとることにしたのだ。

 ここから森を西に進んだところがイシの大滝で、さらに山間(やまあい)を西に進むとイシの村がある。こう言ってはなんだが、外部の者にほとんど知られていないのも納得するしかないほどに、(へん)()な場所だった。

 レヴンの姿を探して辺りを見回すと、女神像の前に、相棒である男の姿があった。

「っ?」

 女神像の前で、レヴンが祈りを捧げていた。陽光を受け、輝いているようにも見えるその姿は、一枚の芸術画のようにも見えた。

「レヴン?」

 近づいたところで声をかけると、レヴンがふりむいた。

「あ、カミュ、おかえり。どうだった?」

「ああ。どうもこうも、侵入するのはかなり骨が折れそうだな。大階段を上っていったら間違いなく兵士に見つかるだろうし、だからといって周りの山から壁に取りつこうとするには、身を隠す場所がねえ。夜闇に乗じて、どうにか進入できればいいが」

 そうか、とレヴンがゆっくりと頷いた。

「ところで、ずいぶんと熱心に祈ってたようだったが、なにを祈ってたんだ?」

 イシの村の人たちのことだろうと思いながらも、それだけではない気もした。レヴンから、強い焦燥のようなものを感じていたせいかもしれない。

 デルカダール神殿を目指してイシの大滝を出発し、森の中をしばらく進んだところで、レヴンはどこか落ち着かない様子になっていたのだ。それまでは、周りを警戒しながらも泰然としていたため、余計にそれが気になった。その時、どうかしたのかと訊いてはみたのだが、本人もよくわかっていないようだった。

 レヴンが、困ったような表情を浮かべた。

「イシの村のみんなのこともだけど、ベロニカのことが、なんだか頭に浮かんでしょうがないんだ」

「ベロニカ?」

「うん。自分でもよくわからないけど、なんだか、彼女が危険な目に遭ってるような気がしてね」

「それで、祈ってたわけか」

「うん。それぐらいしか、できることがないからね」

 自嘲するように、レヴンが言った。

「祈りか。勇者様の祈りなら、意外と御利益があるんじゃねえか?」

「え?」

「普通ならあり得そうにねえ、『勇者の奇跡』を何度も目撃して、体験してんだ。おまえの祈りだったら、案外効果があるんじゃねえかと思えるぜ」

「そう、かな」

「おまえが弱気になってどうすんだよ。祈るしかないってんなら、とことん祈ればいいだろ。届くって信じてな」

「カミュ」

 柄にもないことを言った、とカミュは手を振り、レヴンの言葉を遮った。

「とにかく、いまは躰を休めようぜ。ここで時間をかけるのは危険かもしれねえが、明るい内に神殿に行くのはさすがに危険だと思うし、少しでも疲れをとっておかねえと」

 椅子代わりとして野営地に設置されている丸太に腰を下ろし、そう言うと、レヴンが頷いた。

 安全を考えるなら、レッドオーブをあきらめ、早々に旅立ちの祠にむかうべきなのだろう。だが、いまここを離れたら、レッドオーブを手に入れる機会がいつ来るかわからない。それに付き合わせるかたちとなるレヴンには申し訳ないと思うが、できることなら、この機会を逃がしたくはなかった。

 もうすぐ夕刻。躰を休め、暗くなったら、もう一度デルカダール神殿にむかう。夜の闇に紛れて、忍び込めればいいが。

 ふっと、ひとつ気になることがあった。

 レヴンに眼をむけると、彼は再び祈っていた。

 邪魔するのは気が引けたが、どうにも確認しておきたいという気持ちがあった。

「なあ、レヴン。ひとつ聞いていいか?」

「ん、なに?」

 レヴンが、カミュに顔をむけた。

「どうしておまえ、レッドオーブの奪取に付き合ってくれるんだ?」

「いや、いまさらそれを聞く?」

「まあ、いまさらと言えばいまさらだけどよ」

 盗賊として方々で盗みを働いていたカミュが言えることではないが、盗みは罪だ。それも、国宝とされている物である。ただでさえ追われる身であるレヴンの立場が、さらに危うくなる代物だ。

 それにレヴンは、真っ直ぐな男だ。盗みの片棒を担ぐなど本意ではないだろう。それに付き合わせておいて、なにをいまさらというのはまったくその通りであるが、反対されても仕方がないことだとも思っていたのだ。

 レヴンが、考えこむ仕草を見せた。

「確かに、止めようって気持ちがなかったわけじゃないよ。どんな理由があっても、盗みは盗みだし。けど、カミュの大事な約束に関係があるんだよね?」

「ああ。だけど、おまえが言うように、盗みは盗みだ」

「うん。それがわかっていても、止まれない理由があるんでしょ。だったら、とことんまで付き合おうって思ったんだ」

「そうか」

 だけど、とレヴンが真っ直ぐにカミュの眼を見つめた。

「もしもカミュが、自分の目的のために誰かを傷つけて平然としてるような人間だったら、僕はきっと手伝わなかったと思うよ」

 なんと返したらいいかわからずにいると、レヴンがニッと笑った。

「まあ、そんなわけだから、共犯者ってことで、ね」

「そうかい」

 なんとなく気恥ずかしくなり、カミュは顔をそらした。

 気にするな、と言われた気がした。自分のわがままに付き合わせてしまっているのではないか、と思っていたのを見透かされていたようだと、カミュは思った。

 小さく苦笑すると、レヴンの方に再び顔をむけた。

「そうだ。ついでにもうひとつ訊いていいか?」

「いいけど、なに?」

「あの勇者の書ってやつだが、なにか役立つこと書いてあったか?」

「うん。まだ全部に眼を通したわけじゃないけど、勇者が遣っていたっていう剣技や魔法はいくつかわかったよ。聖なる光で魔物を消し去る魔法と、魔物を寄せつけないようにする結界を張る魔法。この二つは、もう使えると思う」

「早いな、おい」

「でも、そのほかの魔法に関しては、いまはまだ使えそうにないね。力が足りてないって感じる、っ?」

 レヴンが、顔をよそにむけた。

「どうした?」

「なにか、嫌な感じがする」

「なに?」

 レヴンの視線の先に眼をやる。見えるのは、森の木と緑だけだった。聞こえてくるのも、風にそよぐ枝葉の音か、虫の音ぐらいだ。

 じっと気配を探るが、カミュにはなにも感じられなかった。

「カミュ」

「皆まで言うな。行ってみようぜ」

「うん」

 武器を執り、立ち上がった。

 気配を察知する感覚自体はカミュの方が鋭敏だが、レヴンはそういったものとはまた違った、カミュにはわからないなにかを感知する力がある。勇者の力に起因するものなのかはわからないが、そう思わせるものがレヴンにはあった。その彼が、嫌な感じがすると言うのなら、無視するべきではないだろう。

 速やかに荷を馬に載せ、騎乗した。

 森の中なのであまり速度は出せないが、それでもナプガーナ密林ほど鬱蒼としているわけではない。枝葉に注意しながら進んで行く。

 森を、抜けた。

 一度立ち止まり、レヴンがあたりを見渡した。

 視線を一点で止め、その方向を指差しながら、カミュに顔をむけた。

 あっちの方から、なにかを感じるということなのだろう。頷き合い、駆け出した。 

 駆け出したところで、むかう方向にあるものに気づいた。この方向は、デルカダール神殿がある方向だ。レヴンの先導に従い、街道を進む。人の姿はなかった。

 道に、足跡が散見されはじめた。人間のものではない。かたちからして、魔物のものだ。一体や二体どころではなかった。

 足跡を追うようにして駆ける。足跡は、デルカダール神殿の方にむかってのびていた。

 遠くの方から、闘争の気配らしきものを感じた気がした。

 やがて、神殿が見えた。

 大階段と、それを上る魔物たちの姿が見えた。やはり一体や二体どころではない。眼に見えるだけでも、三十は優に超えている。すでに神殿へ侵入した魔物もいるかもしれない。

 魔物が徒党を組んで、デルカダール神殿に攻め入った、ということなのだろうか。

 なぜいきなり、あんな数の魔物が神殿を襲うのだ。そんな疑問が頭に浮かんだが、レヴンが駆ける速度を上げたのを見て、その疑問は一旦、脇に追いやった。カミュも速度を上げる。

 神殿の間近で馬を停めた。今度は自分の足で駆け出そうとしたところで、レヴンがなにかに気づいたかのように馬にむき直った。

「トヘロス!」

 レヴンが呪文らしきものを唱えると、清らかな空気があたりを包んだ気がした。

「これは、さっき言ってた、結界ってやつか?」

「うん。雷刃たちなら大丈夫かもしれないけど、やっておくに越したことはないからね」

「なるほどな。よし、行くぜ」

「うん」

 大階段を駆け上がる。何体かの魔物が、カミュたちに気づいた。

 先日闘ったいたずらデビルと同じ、インプ。

 金属の躰を持った小さな鳥型の魔物、メタッピー。

 宙をふよふよと浮く、目と口のついた青いクラゲのような魔物、ホイミスライム。

 赤い躰に凶悪そうな面相を持った、びっくりサタン。

 ほかにも、このあたりで見かけるさまざまな魔物がいた。

「イオ!」

 レヴンが呪文を唱えると、轟音とともに魔物たちの中心で爆発が起こった。何体か消し飛んだが、ふっ飛ばされただけで健在な魔物も少なくなかった。

 だが、道は出来た。

 短剣を引き抜き、混乱する魔物たちの中に(おど)りこむと、進行方向にいる魔物を中心に斬りつける。魔物たちはろくに反撃もできず、次々と斃されていく。

 雄叫びを上げ、レヴンも斬りこんできた。魔物たちはさらに混乱し、逃げ惑うようにして階段から飛び降りていくものも出てきた。そういった魔物は放っておき、レヴンとともに階段を駆け上がりながら、行く手を阻む魔物たちを屠っていく。

 神殿に、辿り着いた。荘厳な作りの神殿は、昔に作られたためか、それとも今回の襲撃によるものか、壊れた箇所がいくらか見てとれた。

 中で、二人の兵士が、多数の魔物たちを相手に奮戦している姿が見えた。ほかにも数人、倒れ伏している兵士がいる。彼らにトドメを刺されないようにか、兵士たちはかなり無理をした闘い方をしているように見えた。

 残った兵士はよく闘っているが、数の差を覆すような強さは持っていないようで、すでに満身創痍といった感じだった。

「メラ!」

 レヴンが火球を飛ばした。兵士と闘っていた魔物の一体に直撃し、燃え上がる。

 魔物たちの間に、動揺が走った。兵士たちがこちらに顔をむける。

「え、援軍か!?」

「助かっ、あ、あのサラサラヘアーは、まさか、悪魔の子!?」

「なにっ。じゃあ、この魔物たちはあいつが」

「変な誤解すんじゃねえ!」

 声を上げながらも、カミュは魔物へ斬りつけた。レヴンは兵士たちの言葉にはなにも言わず、魔物を蹴散らしながら、倒れている兵士たちのもとにむかった。彼のもとに魔物がむかわないよう、カミュはまた魔物たちの間に躍りこんだ。

 兵士たちを庇うように、レヴンが魔物たちの前に立ちはだかった。

「なっ」

 敵であるはずの兵士を守ろうとするレヴンの行動が理解できないのか、兵士たちが唖然とした様子を見せた。兵士たちの気持ちもわからなくもないが、ああいった行動をとれるのがレヴンだともわかっているため、カミュに動揺はなかった。

「ニフラム!」

 レヴンが呪文を唱えると同時、光が部屋の中にいた魔物たちを包んだ。

「なにが、えっ?」

「魔物が、消えてる?」

 光が一瞬で消え、兵士たちが困惑した様子で呟いた。光とともに、そこにいたはずの魔物たちの姿も消えていた。斃された魔物が残すはずの宝石もない。

 さっき野営地で聞いた、聖なる光で魔物を消し去るという魔法だろうか、とカミュは思った。

 神殿の入口に、また数体の魔物が姿を見せた。

「トヘロス!」

 レヴンが、続けて呪文を唱えた。さっきも感じた清らかな空気が、あたりを包んだ気がした。

 あたりに満ちた清浄な空気を厭うように、魔物たちが神殿に入ってこなくなった。侵入するのはあきらめていないのか、神殿から離れようとする魔物はいないが、入ってこようとする魔物はいなかった。

「ベホイミ!」

 倒れた兵士にレヴンが手を翳すと、やわらかな光が兵士の躰を包んだ。苦し気に呻いていた兵士が、穏やかな息遣いになっていく。

 兵士たちに、レヴンがさらに回復魔法を施していくのを見て、残っていた兵士は困惑した様子だった。

 兵士たちが、レヴンに近づいた。殺気は感じられなかったため、構えはしなかった。警戒はしておく。

「なぜ、俺たちを助けるんだ?」

「誰かを助けるのに、理由が必要ですか?」

 回復魔法をかける手を止めず、レヴンがそう言うと、兵士たちは唖然とした様子を見せた。

 レヴンは複雑そうな表情ではあったが、やっていることに対しては微塵も後悔などないとばかりに、はっきりとした答えだった。

「あなたたちに対して、思うところがないわけじゃありません。だけどそれは、誰かを見捨てていい理由にはならないと思います。あとは、意地のようなものです」

「意地?」

「僕を悪魔の子って呼ぶのなら、それにどこまでも抗ってやるって、災いをもたらす悪魔の子になんてなってたまるかって、そんな意地です。それだけですよ」

「そう、か」

 兵士たちがうつむき、なにか考えこむ仕草を見せた。そんな彼らにも、レヴンは回復魔法をかけた。

 意を決した様子で、兵士のひとりがレヴンの顔を真っ直ぐに見つめた。

「すまない、頼みがある。神殿の奥に侵入した魔物を追ってくれないか」

「お、おい、ペテル。そいつは」

「わかってる」

 ペテルと呼ばれた兵士が、ゆっくり頷いた。

「わかってる。俺たちが、こんなことを頼める立場じゃないってことも、恥知らずな物言いだと言うことも。だが、魔物を率いてきたボスらしき二体の魔物は、俺たちの手に負える相手じゃない」

「ボス?」

「ああ。イビルビーストという魔物だ。その二体にボミオスという動きを遅くする呪文をかけられて、物量で一気に押され、まず隊長がやられたために隊は総崩れ。それで俺たちはこのざまだ。中の警備をしていた者や、やつらを追った兵士もいるが、無事でいてくれるかどうか」

「わかりました。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがあります」

「なんだ?」

「僕たちの目的は、レッドオーブです」

「おい、レヴン!」

 馬鹿正直に言うレヴンに、カミュは思わず声を上げた。

 兵士たちは、また唖然としていた。

 頼んできた兵士、ペテルは頭を抱えると、少しして笑い声を上げた。もうひとりの兵士はポカンとして、笑い声を上げるペテルを見た。

 ペテルが笑うのをやめ、レヴンの顔を見た。

「いや、君、馬鹿だろ?」

「馬鹿って」

「馬鹿だよ。そんなこと、わざわざ俺たちに言うことじゃないだろ。やっぱりおまえが魔物を操ってたんだな、とか誤解されてもおかしくないことだと思うぞ」

「それは」

「まあ、いいさ。行ってくれ。俺たちは念のため、ここで防壁を作っておく。あと、できればでいい。中の兵士たちを助けてやってくれないか?」

「もちろんです」

「もちろん、か。そんなふうに、君は言ってくれるんだな」

 ペテルが苦し気に声を洩らし、もうひとりの兵士が気まずそうにうつむいた。

「ありがとう。すまない。頼む」

 そう言うとペテルは、もうひとりの兵士に魔物を見張るように言って、倒れた兵士たちの介抱にむかった。

 レヴンの使った魔法、トヘロスは一定時間しか効果がないらしいが、いますぐに切れるというものでもないとのことだった。効果のある内に、神殿の入口で防壁を作っておけば、奥に行った魔物を斃す前にトヘロスの効果が切れたとしても、どうにかなるだろう。怪我をしていた兵士たちも、レヴンが回復魔法をかけていったおかげで、なんとか死人は出ずに済みそうだ。

 階段は、奥にある祭壇の裏側に隠れるようにして作られていた。

 レヴンと頷き合い、カミュたちは階段を下りた。

 

***

 

 デルカダール神殿を襲撃し、レッドオーブを奪え。

 それが、イビルビースト・デクストラとイビルビースト・シニストラに下された(めい)だった。

 命を下してきたのは、ある御方の腹心を名乗る存在だった。

 頭から全身をローブですっぽりと覆い、その姿を確認することはできなかったが、その身から漂ってくる闇の気配は、自分たちではどう足掻いても敵わない力を持った存在だと、嫌でも感じさせるほどのものだった。

 だが、その『腹心』を見ていると、妙にモヤモヤとしたものが胸に湧き上がってくるのも感じた。その感覚に名前をつけるならば、敵意と言うのがおそらく合っている。

 なぜそんな感覚を覚えたのかはわからないが、それはなんとか抑えつけた。敵意を見せ、不興を買ったりしたら、間違いなく消し飛ばされる。それぐらいはわかったからだ。

 『腹心』の正体や気配など、いろいろと気になるものはあったが、その命には一も二もなく頷いた。率直に言って欲求不満だったのだ。

 このあたりで下手に暴れると、『デルカダールの英雄』たちが飛んでくる恐れがある。『武勇の鷲』も『知略の鷲』も、イビルビーストたちでは到底叶わないほどの強さを持っているため、嫌でも身を潜めていなければならないのだ。

 人間を虐げ、苦しめ、殺す。それが、魔物の正しい在り方だ。だというのに、それが叶わないとなれば、ストレスが溜まって当然である。今回の襲撃はいいストレス発散になりそうだし、見事に命を果たせば褒美は思いのまま。それに加えて、あの御方からの心象もよいものとなるだろうという打算もあった。断る理由など、あるはずもない。

 『デルカダールの英雄』とその軍は、人間たちが『悪魔の子』と呼ぶ『勇者』を追っているため、魔物への対応がやや甘くなっているとのことだった。いまなら、迅速に襲撃して引き揚げれば、問題なくレッドオーブを奪えるだろうとも。

 人間の内輪揉めが、敵であるはずの自分ら、魔物を利するのだ。これほど愉快な話はない、とデクストラはシニストラと笑い合った。

 迅速に、あたりにいる魔物たちを集め、デルカダール神殿にむかった。あたりにいた魔物だけでなく、例の『腹心』が連れて来た魔物もいた。総数で、およそ百。

 どうやって探ったのかはわからないが『腹心』によると、警備の兵士は十人程度で、『デルカダールの英雄』のような猛者(もさ)はいないという話だった。レッドオーブがここにあることは秘密となっているらしく、そのために多くの兵士や、名のある将などを配置できないという事情があるためだとのことだった。兵士の質自体は高いものであるため、油断はするなとも言われた。

 実際に襲撃してみると、確かになかなかの強さを持った兵士たちだった。だが、イビルビーストたちの力と、十倍近い兵力差をもってすれば、突破は難しいものではなかった。

 できることなら、人間たちを痛ぶってやりたいところだったが、それに時間をとられると、『デルカダールの英雄』が駆けつけて来る可能性がある。背に腹は代えられぬと泣く泣くあきらめ、兵士たちを蹴散らしながら、手勢の半分ほどを連れて神殿の奥に進んで行った。残したもう半分は、入口の兵士たちの相手と、兵士の増援が来た時の足止めだ。『デルカダールの英雄』でも来なければ、充分過ぎる戦力だろう。

 途中、神殿内を警備していた兵士と出くわしたり、入口から追って来た兵士などと闘ったが、手こずることはなかった。

 広い神殿ではあったが、作り自体は複雑なものではなかった。

 やがて、大きな扉が見えた。大柄な人間と比べてもひと回りふた回りは大きいイビルビーストたちが悠々と通れそうなぐらい、大きな扉だった。

「なかなか立派な扉だなあ、シニストラよぉ?」

「だなあ。大切な物を仕舞ってます、って言わんばかりの立派さだぜ」

 互いに顔をむけ、そう言い合うと、ニヤリと笑い合った。

 連れて来た手下の連中に言い、扉を開けさせた。手下だけで開けられそうになければ、イビルビーストたちも協力してやるつもりだったが、扉はすんなりと開いた。軽い材質で出来ているのか、それともなにかしら魔法でもかかっているのか、それはわからないが、特に問題なく開けられたのは好都合だったため、デクストラたちはまたニヤリと笑った。

 中は、広い空間だった。正面に真っ直ぐ進んだところに、祭壇らしきものがあった。その祭壇に、赤いなにかが載っているのが見えた。

 手下たちを部屋の入口に残し、イビルビーストたちはその祭壇らしきところに進んだ。

 祭壇の上にあるのは、赤い球。こうして見ているだけで、不思議な力のようなものを感じる。これが、レッドオーブに相違あるまい。

「楽な仕事だぜ。このオーブをあの御方に渡すだけで、褒美は思いのままって話だからなあ、バッシャシャシャシャ~~」

「バーシュシュシュシュ~~、まったくだなあ。あとは、ヤバいやつが来る前にここをずらかろうぜ、デクストラ」

「おう」

 デクストラが祭壇に近寄り、手を伸ばそうとしたところで、入口の方から慌ただしい気配を感じた。連れて来た魔物たちが騒いでいる。

 レッドオーブに伸ばしかけていた手を戻し、シニストラと顔を見合わせた。

「まさか、もう来やがったのか!?」

「馬鹿な、いくらなんでも早すぎ、っ!?」

 入口から見える通路のむこう側から、光が満ちてくるのが見えた。通路を埋め尽くす光が、この部屋の入り口のあたりにいた手下全員を飲みこみ、すぐに消えた。

「なん、だと?」

「ゲェェェーーーッ!?」

 シニストラが愕然と声を洩らし、デクストラは驚愕の叫びを上げた。

 光とともに、手下の魔物たちが全員消えていた。まだ十体以上はいたはずだというのに、そのすべてが一瞬で消え去っていた。

 あの光は、なんだったのだ。おそらく魔法なのだろうが、あんなふうに魔物たちを消し去る魔法など、デクストラは見たことがない。

 あの光からは、なにか嫌な感じを覚えた。あれを放った者は、自分たち魔物を脅かす存在であるという直感が、胸にあった。

 やがて、通路のむこうから、二人の人間が姿を現した。

 片方は、紫色を基調とした旅装束を着て、剣を持ったサラサラヘアーの男。もうひとりは、短剣を持って青髪を逆立てた、軽装の男。どちらも鎧は着ていない。『デルカダールの英雄』ではないが、デクストラの肌を刺してくる気配は、かなりの強者であることを伝えていた。

「てめえら、いったい」

「おまえらと無駄話する気はねえ。そのオーブ、オレたちがいただくぜ」

 デクストラの言葉を遮って、青髪の男が言った。

 シニストラと視線を交わし、男たちにむかって臨戦態勢をとる。この連中もデクストラたちと同じく、レッドオーブが狙いのようだ。

「ちっ、てめえらがどこの誰かは知らねえが、あの御方の命を邪魔するようなら容赦しねえぞ!」

「っ、おい、デクストラ!」

 シニストラが叱責するように声を上げ、デクストラはハッとした。

「あの御方?」

「どういうことだ。誰かの命令でここを襲ったってことか?」

 男たちが眉をひそめた。

 しまった、と思いながらも、デクストラは笑みを浮かべた。

「へっ、別にいいだろ。こいつらをここでぶっ殺しちまえば済むことじゃねえか」

「ちっ、まあ、それもそうだがよ、こいつら、かなりやるぞ」

「わかってるよ。だからよ」

「ああ、そういうことか」

 デクストラの視線を受け、シニストラがニヤッと笑った。

『ボミオス!』

 シニストラと同時に呪文を唱える。淀んだ空気が、男たちを包んだ。

「っ、これは」

「あの兵士が言ってたやつか」

 ボミオス。相手の反応速度を低下させる魔法だ。地味ではあるが、一瞬の遅れが致命的なものを招く戦闘において、非常に効果的な魔法と言えた。

 どんなに強い人間でも、魔物の膂力で引き裂いてやれば、大抵は死ぬ。男たちは、鎧を着ていない。頭を砕いたり、爪で胴体を切り裂いてやれば、殺せる。

 シニストラと同時に飛び出す。デクストラはサラサラヘアー、シニストラは青髪の男だ。

「死にな!」

 振り上げた腕を、全力で振り下ろす。

 必殺の意思をこめた、痛恨の一撃。ボミオスで反応速度を低下させられた男に、これを防ぐ手段などない。

 そう、確信していた。

「な、にっ?」

 その一撃が、男の剣によって止められていた。

 デクストラの全力をもって放った、痛恨の一撃。それが、難なく止められた。押しこんでも、男は平然としている。この男は、デクストラ以上の力を持っているというのか。

「ふっ!」

「うおっ!?」

 男が剣を()ね上げた。体勢を崩される。

 魔物の俺様が、人間ごときに力負けした。そう愕然としながらも、慌てて男と距離をとり、反撃に備える。

「っ、てめえ」

 男は反撃に移らず、こちらを見据えていた。ただ、じっと構えている。

 底知れない男の佇まいに一瞬、恐怖のようなものを感じたことに気づき、頭がカッと熱くなった。

「てめええええええええ!!」

 認められるわけがなかった。魔物は、人間の上位種だ。人間は、魔物の玩具だ。魔物を愉しませるために存在しているのだ。

 魔物である自分が、玩具である人間に恐怖を感じるなど、あってはならないのだ。

 突撃する。男が(たい)(さば)いて、それを躱した。再び突っこむ。

 今度は、爪を振るう。連撃。何度も何度も振るう。

 すべて、防がれていた。

 剣で防がれ、捌かれ、避けられる。かすりもしない。反応が遅くなっているはずなのに、こちらの動きを読んでいるかのように、すべて対応されている。

「クソがあああああああああああ!!」

 横薙ぎに爪を振るう。男の姿が、小さくなった。

「っ!?」

 一瞬、硬直し、ハッとした。跳び退(すさ)り、間合いを空けられた。男が、大上段に剣を構えていた。

「大地」

 男の声が、聞こえた。

 斬られる。

 咄嗟に腕を躰の前で交差させて全身に力をこめ、防御の体勢を作った。

「斬!」

 なにかが、交差させた腕と、躰の真ん中を通った気がした。

 剣を振り下ろした体勢で、男がデクストラの目の前にいた。男が、ゆっくりと構えを解く。

 不思議と、周りがゆっくりと見えていた。ボミオスだろうか。この男も使えたのか。そんなことを思った。

 男が、背をむけた。

 待ちやがれ。まだ勝負は終わってねえぞ。どこに行きやがる。

 攻撃しようとするが、躰がうまく動かない。なぜか、視界が右と左でずれている気がした。

 そのずれた視界の中にあった、なにかが落ちた。

 一拍遅れて、音が聞こえた。そのなにかが床に落ちた音だろうか。

 眼を下にむける。見憶えのあるもの。デクストラの、両腕。

 まさか俺は、斬られたのか。

 それが頭に浮かんだ直後、視界になにも映らなくなった。

 

 

 なんなんだ、この人間の速さは。

 青髪の男の素早さに、イビルビースト・シニストラは戦慄すら覚えていた。爪どころか、ギラを放っても平然と避けられる。とんでもない素早さだった。

 相棒であるイビルビースト・デクストラと同時に放ったボミオスは、確かにこいつにも効いたはずだ。普通なら、こんなに速く動けるはずがない。こちらの攻撃を感知するのが遅くなるだけでなく、普段の自分の感覚とのずれがあるために、うまく躰を動かせないはずなのだ。

 なのに、この男は、平然と動いている。

「ちっと動きづらいな」

 男の呟きが聞こえた。やはり効いているのだ、と安堵し、再び戦慄した。

 ボミオスが効いていて、この動きなのか。ボミオスが効いていなかったら、知覚することすら適わなかったのではないか。シニストラはそう思った。

 だが、勝ち目はある。この青髪の男の攻撃は、かなり軽い。さっきから、男の振るう短剣は何度もシニストラの躰に直撃しているが、どれも深いものではないのだ。躰に力を入れれば、致命傷はない。

 ならば、ここは耐えてチャンスを待つ。青髪の男が疲れて動きが鈍ったところで、トドメを刺すのだ。そう思い定めた。

 チラッとデクストラの方を見る。あちらはデクストラが押していて、サラサラヘアーの男は防戦一方だ。あの調子なら、そろそろ勝負がつくだろう。そうなったら、二体がかりでこの青髪の男を仕留めてもいい。

「そろそろか」

 男がまた呟いた。なにが、そろそろだと言うのだ。

 そう思った直後、シニストラは眩暈を覚えた。脚から力が抜け、片膝をついた。

 なんだ、これは。疲労。いや、違う。

「まさか、てめえ」

「ああ。毒だ」

 男の言葉に、シニストラはギリッと歯を食いしばった。

「小ずるい真似しやがってっ」

「オレは魔法がほとんど使えないんでな。こんな手だって遣うさ」

 勝ち誇るようでもなく、淡々と男が言った。

 どうする。デクストラがあっちの男を倒すまで、耐えられるか。

「クソがあああああああああああ!!」

「っ!?」

 デクストラの叫びが聞こえた。苛立ちと、恐怖が滲んだ声に思えた。

 反射的にデクストラの方に顔をむける。サラサラヘアーの男が、デクストラから間合いを離し、剣を振り上げていた。デクストラが両腕を躰の前で交差させる。

「なっ」

 気がつくと、デクストラが真っ二つになっていた。

 いつの間にか踏みこんでいた男が振るった剣が、デクストラの防御を意に介さず、頭頂から股間まで真っ二つにしていた。

 男が、デクストラに背をむけ、シニストラを見据えてきた。

 デクストラの両腕が、思い出したかのように地に落ち、一刀のもとに両断された躰ともども消滅した。

 (つか)()、茫然とし、シニストラはハッと青髪の男に顔をむけた。

 青髪の男が、シニストラの懐に飛びこんでいた。

「終わりだ」

 男がシニストラの躰を数度斬りつけ、間合いを離した。

「っ?」

 痛みは、ほとんどなかった。躰もまだ動く。

「なにが終わりだと、っ!?」

 不可解なものを感じた直後、痛みが全身を支配した。

 どこが痛いなどというものではない。全身。躰中が痛い。なにかに蝕まれている。激痛。悲鳴を出すことすら適わない。

 気がつくと、シニストラは地に倒れ伏していた。

 いつの間に倒れていたのだ。そう思うも、躰が動かなかった。痛みは、なおも全身を蝕んでいる。

 痛みに思考が支配されるなか、あることがふっと頭に浮かんだ。さっき青髪の男が斬った箇所は、その前に男が短剣で斬りつけた箇所ばかりだった。

 ある毒と毒を掛け合わせることで、より凶悪な毒を作ることができるという話を、どこかで聞いた。これは、その毒なのか。

 そこまで考えたところで、イビルビースト・シニストラの意識は、なにかに蝕まれるように黒く塗り潰されていった。

 

 

 カミュが相手をしていたイビルビーストが、苦悶の表情を浮かべて倒れ伏し、躰を痙攣させたあと、消滅した。

 ほかに魔物がいないか気配を探りつつ、レヴンはカミュに近寄った。

「いまのが、ナプガーナ密林で言ってた?」

「ああ。掛け合わせた毒による攻撃だ」

 カミュの答えに、レヴンはなんともいえない気分になった。

 こうして目の当たりにすると、まさに凶悪としか言いようがない毒だった。魔物ですら、あの有り様とは。

 ちょっとだけ眼を伏せ、黙祷する。

 同情する気はない。闘わなければならないのなら、闘う。斃さなければならないのなら、斃す。そう思い定めている。だが、だからといって、死んだ魔物にまで敵意をむける気にはなれない。おためごかしだと、()(まん)ではないかと思いながらも、そうせずにはいられなかった。

「それにしても、すげえ技だったな。大地斬とか聞こえたが、例の勇者の書に載ってたやつか?」

 カミュが言った。

 意識を切り替え、カミュに顔をむけた。

「うん。勇者の遣った剣技のひとつ。大地を拓く、剛の剣。それが大地斬」

「まさか、一刀両断にするとは思わなかったぜ」

「カミュの動きも、すごかったよ」

 とてつもない身のこなしだった。ボミオスを受けて動きが鈍くなっているはずなのに、イビルビーストの攻撃をすべて余裕で避けていたのだ。カミュの素早さは知っているつもりだったが、それでもすさまじい速さだったと驚くしかない。

「そりゃ、おまえもだろ。全部捌いてたじゃねえか」

「わかりやすい攻撃ばかりだったからだよ。呪文とかを織り交ぜられていたら、危なかったと思う」

 激昂していたためだろう、レヴンが相手をしたイビルビーストは、肉弾戦のみを仕掛けてきた。カミュが相手をしていたイビルビーストのように、ギラなどを遣われていたら、どうなっていたかわからない。

 カミュが、なにか言いたそうな眼をむけてきた。

「なに?」

「いや、ギラとか遣われても平然と対応してたんじゃねえかと思うんだが。まあ、いいや」

 一方的に話を切り上げたカミュが、祭壇の方にむき直った。

 祭壇の上には赤い珠、レッドオーブが鎮座していた。カミュが祭壇に近づく。

 カミュが、レッドオーブを手に取った。

「ようやくだ。ようやく手に入れたぞ、念願のレッドオーブ」

 カミュがそう呟き、感極まったように躰を震わせ、(かぶり)を振った。

 カミュがふりむいた。どこか複雑そうな表情に思えたが、眼には強い光が宿っていた。

「レヴン。オレは、改めて確信したぜ。おまえと一緒に行けば、いつか必ず、オレの目的は、約束は果たせるってな」

「カミュ」

「改めて、今後ともよろしく頼むぜ、相棒」

 カミュが、ニヤリと笑った。

 ちょっとだけポカンとしたが、ニヤリと笑い返す。

「こちらこそ、改めてよろしく、相棒」

「おう」

 拳を突き合わせ、再び笑い合うと、レヴンたちは祭壇のある部屋をあとにした。

 

***

 

 眼を醒ますと、周りで動く気配があった。

 なにをしているのだろうかとぼんやり考えたあと、自分はなぜ寝ていたのだろうか、とペテルは思考を進めた。

 イビルビーストたちを追ったレヴンたちが戻り、神殿の入口にいた魔物が、慌てた様子で散っていった。ボスであるイビルビーストたちがやられたことを悟ったためだろう。

 そして、レヴンたちと話をしようと近づいたところで、急に眠気が襲ってきたのだ。ラリホーでもかけられたのかもしれない。

「っ!」

 ハッと起き上がり、周りを見渡す。躰にかかっていた毛布が落ちた。

 隊の者たちが荷物をまとめている姿が、見えた。

「気がついたか、ペテル」

「隊長?」

 こちらに気がついたのか、隊で最も年嵩の男である、隊長が近づいてきた。

 立ち上がり、むかい合った。

「隊長。御躰は?」

 魔物たちに真っ先に狙われた隊長は、最も傷が深かった。レヴンの回復魔法のおかげで一命は取り止めたものの、すぐに動ける傷ではなかったはずだ。

「大丈夫だ。動くのに支障がないぐらいには回復している。おそらくだが、ここを去る前に勇者レヴンが回復していってくれたのだろうな」

「そうですか」

 二重の意味で、ほっと胸を撫で下ろした。ほかの兵士たちを見てみると、同じように傷を負っていた者たちもピンピンしていた。彼らも回復して貰ったのだろう。

 隊長が苦笑し、真剣な表情を浮かべた。その顔に、ペテルも姿勢を正した。

「撤収だ。荷物を纏め、城に帰還する」

「っ、では、レッドオーブは」

「ああ。勇者レヴンとその仲間に持っていかれたようだ」

「申し訳ありません」

 反射的に、ペテルは頭を下げた。

 隊長が首を傾げた。

「なにを謝る必要がある?」

「俺は、独断で彼らを奥に通しました。処罰はいかようにも」

「ペテル」

 隊長の声に、ペテルは思わず言葉を止めた。叱責されることは覚悟していたが、それでも思わず首を竦めた。

 隊長が、再び苦笑した。

「叱責する気はない。話は聞いている。むしろ、おまえはよく決断してくれた」

「ですが」

「我々は、生きている。ひとりも欠けることなくだ」

 ハッと、ペテルは目を見開いた。

「もし、勇者レヴンたちが来るのが遅かったら、おまえが、彼らを奥に通すとすぐに決断してくれなかったら、中で警備していた者たちや、魔物を追った者たちは助からなかったかもしれん」

「そうだぜ、ペテル」

「本気で危なかったからなあ。もう駄目かと思ったよ」

「命の大樹が見えたぜ、俺なんかよ」

 笑いながら言ったのは、中で警備していた兵士たちだった。頷いている兵士もいる。

「確かに、我らは任を果たせなかった。処罰は免れないだろう。だが、生きているのだ。生きているのなら、どうとでもなる。私は、そう思っている」

「はい。しかし勇者とは、ほんとうに悪魔の子なのでしょうか」

 思わずペテルは、そう言ってしまっていた。

 ハッとすると、ペテルは眼を伏せた。

「申し訳ありません。失言でした」

「構わん。私も同じことを思ったからな」

 よそでは言うなよ、と釘を刺され、苦笑しながら頷いた。隊長も苦笑していた。

 表情を真剣なものとした隊長が、息をついた。

「だが噂では、悪魔の子は魔物を操ることができるという。その力による自作自演かもしれん」

「俺は、そうは思えません。いえ、思いたくないというだけかもしれませんが」

「思いたくない、か。なぜ、そんなふうに思う?」

「彼は、俺たちを助けてくれました。敵であるはずの俺たちを、です。あれが自作自演だったなんて、俺は思いたくありません」

 言っていいことなのか、とためらいながらも、ペテルは言った。

 ペテルたち、デルカダールに対して思うところはあっても、誰かを見捨てる理由にはならないと思うと、彼は言った。悪魔の子と呼ぶのなら、それに抗ってやると、彼は言った。信じられる男だと、ペテルは感じた。

 これらがすべて計算づくであるというのなら、彼は確かに悪魔の子なのだろう。だが、自分たちを助けてくれた彼らを、そんな悪魔だなどと思いたくはない。しかし、そう思わせるのが目的だとしたら。

「あまり考え過ぎるな、ペテル」

「ですが」

「ただ考えたところで、答えが出るわけもない。我々は、勇者というものがなんなのか、ほんとうには知らんのだからな」

「勇者が、なんなのか?」

「『ユグノアの悲劇』は、勇者が魔物を操って人々を襲わせたと言われているが、逆に、勇者を狙って魔物が襲撃してきたのではないか、と考えられなくもないのではないか。私は、そう思った」

 その言葉に、ペテルは眼を()いた。この隊長は、名こそ広く知られていないが、長く国に仕え、王のために闘い続けてきた歴戦の兵だ。まして、勇者を悪魔の子だと言ったのは、デルカダール王。王への疑念をこんなふうに口にするとは、思ってもみなかったのだ。

「勇者を悪魔の子だと最初に言われたのは、陛下だ。我々はそれを信じ、疑おうともしてこなかった」

「陛下が、嘘を仰っていると?」

「そうは思わぬ。だが、陛下も人の子。愛する娘が行方知れずになってしまったのだ。魔物を勇者が操ったのか、魔物が勇者を狙ったのかの真偽はともかく、原因の一環だと思えば、感情のままにそんなことを言われてもしょうがないのではないか、と私は思う。悪魔の子と呼ばれる羽目になった彼からすれば、たまったものではないだろうが」

「確か、陛下の娘といえば、『ユグノアの悲劇』で」

「そうだ。あれから、十六年になる」

 隊長が、遠い眼をした。

 デルカダール王の妻であった王妃は、ユグノアの悲劇が起きる数年前に亡くなっている。それに続けて、愛する娘の行方がわからなくなったのだ。確かに、なにかに感情をぶつけなければ、やり切れなかっただろう。

 たが、実際に見た勇者、レヴンの瞳は、ハッとするほど強く優しい光を湛えていた。そして、敵であるはずの、デルカダールの兵士であるペテルたちを、助けてくれた。

 悪魔の子が城に現れたという連絡は数日前、彼が城に現れ、脱獄したという報告とともに受けていた。人相書きも回っていた。見事なサラサラヘアーが特徴だとも伝えられた。実際に見て、なるほど、実に見事なサラサラヘアーだと場違いにも思ったが、それはどうでもいい。

 わからないことだらけだ。いや、隊長の言う通り、知ろうともしなかったのだ。

 暗くなりゆく神殿の外を見て、ペテルはそんなことを思った。

 

***

 

 金属同士が擦れ合う耳障りな音とともに、牢の扉が開いた。牢の中に突き飛ばされる。肩から落ちるようにして、石畳の床に倒れこんだ。普段ならなんなく受け身をとれていただろうが、うしろ手に縛られていてはそううまくはいかない。だいぶ痛かった。

 扉が閉まる音が、聴こえた。

 上体だけ起こして、いましがた閉められた牢の扉を見る。鉄格子のむこうから、翼を持った影のような魔物、『あやしいかげ』が、吊り上がった大きな眼らしき部分を鋭くして、こちらを見ていた。

「おとなしくしてるんだな。魔法を封じられた魔法使いにできることなんて、なにもありゃしねえぜ。さっさと魔力を回復させて、親分に捧げるんだなあ」

 嬲るように言ってくる魔物になにも言わず、鋭く睨みつけた。魔物は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直したように鼻で嗤った。鼻がどこにあるのかはわからないが、とにかくそんな感じだった。

「凄んだって無駄だぜ。てめえの状況は変わらねえ。せいぜい、そうやって虚勢を張ってな」

 そう言って、あやしいかげがそそくさと去って行った。大きな扉を開閉する音がして、魔物の気配は消えた。

 どっちが虚勢を張ってるのだ。あやしいかげがさっき発した震えた声に、そんなことを思った。

 腕を縛っている縄をほどこうともがく。少しして、無理だと悟った。頑丈な縄できつく縛られており、びくともしない。ますます食いこんで痛くなるばかりだった。

 魔法が使えれば、こんな縄、焼き切ってやるのに。

 そう歯噛みするが、魔力を吸われたうえに魔封じの呪いをかけられたいまの状態では、叶わないことだった。魔力自体は少しずつ回復しているようだが、回復したとしても、魔法を行使することはできそうにない。縄を力づくで引き千切るなんて真似も無理だ。身のこなしには自信があるが、腕力自体は大してないのだ。

 牢の中を見渡す。いつ掃除したのかと思うほどに汚い。壁はところどころが破損しており、どこかに続いていそうな穴らしきものもあるが、大きさはせいぜい小さな子供が通れそうな程度のものであり、成人女性である自分が通るのは無理そうだった。

 床には藁が敷いてあり、ボロボロの毛布が置かれている。おそらく寝床のつもりなのだろう。

「――?」

 牢の隅に、白いなにかが積み重なっているのが見えた。

 人骨だと、少しして気づいた。

「っ」

「おい、姉ちゃん、大丈夫か?」

 気遣うような男の声が、隣の牢から聞こえた。洩れそうになった悲鳴を、歯を食いしばって堪えると、息をついて、声が聞こえた方に顔をむけた。

「ええ、大丈夫よ。おじさんは?」

「俺も大丈夫だ。俺はなにもされてねえ。すまねえ、俺のせいだ。俺が人質にとられたりさえしなけりゃ」

「いま、そんなこと言ってもしょうがないでしょ。それより、ここを脱出する手立てを考えないと。娘さんが待ってるんでしょ?」

「ああ」

 どうにかして牢から脱け出し、やつらの眼を盗んで迷宮から脱出する。必ずチャンスは来るはずだ。

 成し遂げなければならない使命がある。妹との誓いがある。彼と交わした約束がある。

「セニカ様。セーニャ。レヴン」

 口の中でそう呟くと、勇気が湧いてくるような気がした。そうだ。こんなところで、死んでたまるものか。

 勇者を導く双賢の姉妹の片葉、ラムダの天才大魔法使いベロニカが、こんなことであきらめるものか。あきらめてたまるものか。

「あきらめるもんですか」

 己を鼓舞するように、ベロニカはそう呟いた。

 




 
「ねんがんのレッドオーブをてにいれたぞ!」

お待たせしました。

大地斬やらなんやら。
両手剣をメインに使ってると「あれ、いつの間にこんな技おぼえたの?」という気持ちになる技。「アバンストラッシュだ!」と感激したあと、「属性考えるの面倒くさいから覇王斬とか使うね――」という気持ちになる技。せめて大樹崩壊後、勇者の力が戻ったあたりで覚えてくれませんかね、って気持ちになる技。
そんなわけでこの段階で遣えるようにする。した。でも技はダイ大仕様。

dexter(デクストラ)と sinister(シニストラ)。ラテン語で右と左。判別しやすいようにつけた名前。
ペテルというのはTemple(神殿)からなんとなく。

デルカダール神殿周りの描写は、3DS版の2Dモード時のグラフィックを参考にしたもの。2Dモードだと、イシの村が外部に知られてなかったの納得するしかないぐらい山と森に囲まれてる――。

次回、ついにヒロイン合流。
 
 

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