迷宮の中は、ひんやりとしていて涼しかった。ここも一応、ホムスビ山地に入っているはずなのだが、そうとは思えないぐらいに涼しい。実際、外は暑かったのだ。
どういう仕組みでそうなっているのか不思議ではあったが、暑いのが苦手なカミュとしては、非常に助かるものだった。
「まあ、汚えけどな」
「うん」
「そうね」
おそらくは人の手によって造られたのだろうその迷宮は、古代から存在していることを示すように、壁や床がひどく汚れていた。迷宮の作りにはどこか神秘的なものを感じはするが、それがかえって世の無常さを感じさせずにはいられなかった。
「ここに、セーニャが」
「ええ。なんとなくだけど、あの子がいるのを感じるわ」
レヴンの言葉に、ベロニカがはっきりと答えた。
双子であるゆえか、ベロニカとセーニャは、互いの存在を感じとることができるらしい。加えて、この迷宮の近くに、セーニャの馬である白馬もいたため、間違いないだろう。
ホムラの里を
「床には、落とし穴が仕掛けてあるところが結構あるわ。いくつかは憶えているところもあるけど、気をつけていきましょ」
「トラップか。なら、オレが先頭で行くか」
「そうだね。僕は
「わかったわ」
ベロニカは、魔法の行使ができず、体格が小さな子供のものとなっているが、まったくの無力というわけではなかった。ちょっとだけ見せてもらったのだが、鞭さばきはかなりのもので、このあたりの魔物なら彼女ひとりでも退けられるだろうと思わせるぐらいの技量を持っていた。もっともベロニカが言うには、本来の姿の時に比べると、かなり威力が落ちているとのことだった。
「可能な限り急ぐ。だけど、それで罠に掛かったら、かえって時間を無駄にすることになるからね。慎重に行こう」
真剣な表情で、レヴンが言った。カミュもベロニカも、重々しく頷いた。
セーニャも心配だが、ほかにひとつ懸念があった。ベロニカとともに攫われたという、ルコの父親らしき男のことだ。彼はいわば、ベロニカへの人質となるかたちで、ここへ一緒に連れて来られたらしい。
蒸し風呂で魔物の襲撃を受け、そのうちの一体を即座に仕留めたところで、その男が入って来たという。店員が誰もおらず、男湯と女湯の
そして、彼は人質にされた。ベロニカも、まさか男が入ってくるとは思わなかったために一瞬固まってしまい、その隙を衝かれてしまったそうだ。
最初、その男を見捨てるフリをして魔物たちを怯えさせ、追い払おうとしたそうなのだが、ベロニカの演技に気づかなかった男の、小さな娘がいるんだという発言に思わず動揺してしまい、結局一緒に捕まってしまったらしい。
服だけでも着替えさせて欲しいと頼み、というかせめて着替えさせなさいと凄み、着替えすら駄目だというのなら人質など知ったことではないと脅し、なんとか着替えたのだという。ベロニカの強さに魔物が怯えていたのを見越して、そんなことを言ったそうだ。
人ひとり入るぐらいの袋に押しこまれて、連中のアジトに連れていかれ、親玉のところに引き出されると、最初に魔力を限界まで吸われ、魔封じの呪いをかけられた。そのあとは、魔力が回復してはまた吸われ、のくり返しだったという。
魔力と一緒に生気も吸われていたのか、徐々に躰が衰弱していくのを感じたらしい。それに加えて、脱出の手立てがない囚われの身であるという神経を
それが、何度か吸われたところで、なぜか躰が縮んだ。
驚きながらも、この躰なら牢の壁に空いた穴から逃げ出せるのではないかと希望を見出し、両手を縛った縄をなんとかほどこうともがくと、思いのほかあっさりと解けたという。小さくなったおかげなのか、縄がわずかに
あとは、逃げ出したことが発覚するのが少しでも遅れるよう、毛布代わりの
そして、落とし穴に何度か掛かりそうになりながらも、なんとか落ちることなく迷宮を
さっき言った通りカミュが先行し、ベロニカ、レヴンとついてくるかたちで歩き出した。
迅速に奥にむかい、人質をこちらで確保するか、むこうに対応される前に、一気に親玉を仕留めなければならない。
少し進んだところで、カミュは足を止めた。ふりむく。
二人との距離は、すでに十歩ほど離れていた。
「遅えぞ」
近づいて来たベロニカに言うと、彼女は眉を吊り上げた。
「しょうがないでしょっ。躰が小さくなってるから、歩くのも遅くなっちゃってんのよっ」
声量は抑えてあるが、ベロニカが怒った調子で言った。
ベロニカの言いたいことはわかるが、ベロニカの歩調に合わせていたら、それだけで遅くなってしまうだろう。
どうする、とレヴンに眼をやると、彼はちょっと考えこむ仕草を見せたあと、ポンと手を叩いた。
「じゃあ、僕がベロニカを背負うっていうのはどうかな」
なんてことないように、レヴンが言った。ベロニカがレヴンの方にふりむく。
「助かるけど、大丈夫?」
「大丈夫。鍛えてるからね」
「じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかしら」
「うん」
レヴンがベロニカに背をむけて屈むと、彼女は彼の背に跳び乗った。おんぶのかたちになる。レヴンが軽々と立ち上がり、カミュの方にむき直った。
レヴンが歩き出し、カミュのそばに来たところで足を止めた。小さな子供の体格とはいえ、人ひとり背負っているというのに、足運びにはまったく揺るぎがなかった。
「うん。問題ないね。さすがに、戦闘時には降りて貰った方がいいかもしれないけど」
「わかったわ。その時はすぐに跳び降りるから」
「うん」
「あー、じゃあ、行くか」
なんとなく、なにか苦い物を口にしたくなった。
迷宮を徘徊する魔物は、外にいる魔物と大して変わらない強さの連中ばかりで、手こずることはなかった。というか、こちらを見かけたら逃げ出す者ばかりだ。
杖を持った、しわしわの顔に手足が生えていると形容するしかない姿をした魔物、ドルイド。
一見、
腐りかけの死体に悪霊が宿り、魔物となった、くさった死体。
ドラキーの上位種である、緑色の体色をした、タホドラキー。
操り人形を思わせる姿をした、泥をこねて作られた人形に魔力が宿り、動き出したといわれている魔物、どろにんぎょう。
六本脚の魔獣の骸骨を駆る、どこか奇妙な風体の衣装を纏った悪魔、スカルライダー。
それらを蹴散らしながら、奥にむかう。
気になったのは、魔物たちから、統率がとれている感じがしなかったことだ。
逃げる時はそれぞれが我先にと逃げ出し、てんでバラバラな様子で、レヴンたちからある程度離れるとまた徘徊に戻る。そんな魔物ばかりで、親玉のところに報告にむかおうとするような魔物は、一体もいなかった。
「もしかして、この階の魔物たちは、ベロニカを攫った魔物の仲間ってわけじゃないのかな」
「報告に行こうとする魔物が一匹もいねえってのは、そう考えた方が自然な気がするな」
魔物のアジトに繋がる階段を前にレヴンが言うと、カミュが思案顔で応じた。
階段へは、思ったよりも早く辿り着くことができた。カミュが落とし穴を的確に見抜いてくれたこともそうだが、ベロニカが脱出する際に通った道の大部分を憶えていてくれたためだ。
階段を下りる。魔物の待ち伏せを警戒したが、特になにもなかった。
地下二階は、これまでいた階層よりも明るかった。壁や床に使われている材質自体が、ほのかに光を発しているようだった。
進む先から、なにやら清らかな空気を感じた。
「泉が近いわね」
ベロニカが言った。この先の部屋の中央に、女神像と、そこから湧き出る水が満ちた泉があるという話だった。脱出を優先したため、ベロニカはそこで休憩することはなかったが、おそらくは野営地にあるのと同じように、魔物を寄せ付けない力があるはずだとのことだった。
「セーニャが、そこで休憩してくれてたらいいんだけど」
「うん」
「そうだな」
ずっと馬で移動してきたであろうセーニャと、キメラの翼で道程を短縮してここまで来たレヴンたちにどれぐらいの時間差があるのか、それがわからない。
ベロニカの言うように、休憩しているところにでも追いつければいいのだが、そこはやはり祈るしかなかった。
この清浄な空気のおかげか、地下二階に下りてからは、魔物の姿は見えなかった。人間で言えば、スラムのゴミ捨て場に漂う空気の中を行くようなものらしいので、それもむべなるかなと言ったところだった。わざわざそんなところの奥にアジトを構えている魔物は、かなり変わり者なのかもしれない。
女神像らしき物が、行く手に見えた。
拓けた部屋に入る。女神像と泉を中心に、清浄な空気が部屋に漂っている。ただ、かなり広い部屋であるためか、隅の方にまではその効果は満ちていないようで、魔物の足跡らしきものがわずかに見受けられた。
ベロニカを降ろし、三人で部屋を見渡した。
ベロニカが、息を呑んだ気配がした。見ると、ベロニカが愕然とした表情を浮かべていた。
「セーニャッ!」
ベロニカが駆け出した。泉を回りこむようにして、右手の方にむかう。レヴンとカミュも、彼女を追うようにして駆け出した。
ベロニカによく似た顔立ちをした女性が、床に横たわっていた。
「セーニャッ、セーニャッ!」
女性、セーニャのすぐそばに屈みこんだベロニカが呼びかけるが、セーニャはなにも反応を見せなかった。レヴンとカミュも、彼女に駆け寄る。
ベロニカは、いまにも泣き出しそうな様子でセーニャに呼びかけていた。
「セーニャッ、約束したじゃないっ。ずっと一緒だって」
「ベロニカ、落ち着いて」
「レヴンの言う通りだ。まずは落ち着け」
「っ、そ、そうね。まずは脈を」
「ふわぁ~~~~」
セーニャが、欠伸らしきものをしながら上体を起こした。そのまま伸びをするセーニャに、三人でポカンとする。
「すみません。私、人を探していて。疲れて眠くなってしまったもので、泉のそばで休んでいたのですが、そのまま眠ってしまったみたいで」
眼を擦りながら、寝ぼけた調子で喋っていたセーニャが、ベロニカを見たところでハッとなった。
「お、お姉さまっ。なんと、おいたわしい姿に」
「え、あ、あんた、あたしがわかるの!?」
「もちろんですわ。何年もお姉様の妹をしてますもの。ちょっとお姿が変わったくらいで、間違えたりしませんわ」
セーニャが朗らかに笑い、安堵の息をついたベロニカが頬を膨らませた。
「も、もうっ、心配させないでよねっ。てっきり、あんたが」
恥ずかしいところを見せたとばかりに、ベロニカがそっぽをむいて言うと、セーニャが静かに微笑んだ。
セーニャが、レヴンに顔をむけ、またハッとなった。
「あなたは」
「久しぶり、セーニャ。僕がわかる?」
「ええ、もちろんですわ。お久しぶりです、お
「へ?」
「ぼふぁっ!?」
顔を赤くしたベロニカが噴き出した。なにを言っているのかわからず、ちょっとポカンとしたあと、どういう意味かレヴンは気づいた。
顔が、熱くなった。
『セーニャッ!』
「あ、まだそう呼ぶのは早かったですね。すみません」
「そ、そうよ、まだはや、じゃなくって、えーと、その」
「再会したばかりのわけだし、そういったことを考えるのはまだあとっていうか」
「ちょっと落ち着け、おまえら」
呆れたように言うカミュの言葉に、少しだけ冷静になった。
「そ、そうね。落ち着きましょう」
「そ、そうだね」
ベロニカと二人そろって、深呼吸する。二度三度とくり返すと、落ち着いた気分になった。
不意打ちにもほどがある言葉だった。状況が立てこんでいるため、ベロニカとのことは、いまはまだ考えないようにしておこうと思っていたのだ。さっきの反応からすると、ベロニカの方もそうだったのだろうか。
セーニャが立ち上がり、カミュの顔を見たところで、動きを止めた。
「あの、あなたは」
「あ、セーニャ、紹介するよ。彼はカミュ。僕の相棒」
「カミュ、様?」
「あ、ああ。カミュだ」
二人の様子に、レヴンは首を傾げた。ベロニカも同じように首を傾げている。
セーニャはじっとカミュを見つめたままで、カミュはどこか居心地が悪そうな雰囲気だった。
「あの」
「詳しい自己紹介はあとにしようぜ。いまは、ベロニカの魔力を取り戻して、捕まったルコの父親を助けなきゃならねえからな」
「あ、はい。わかりましたわ」
セーニャの言葉を遮ったカミュの言葉に、セーニャが頷いた。セーニャは、どこか残念そうに見えた。
二人の様子に、レヴンは再び首を傾げた。
カミュの言葉はもっともではあるが、どこか慌てたふうに感じたのだ。セーニャはセーニャで、カミュに対してなにか問いたげな空気だった。
「レヴン、一旦休憩しようぜ。セーニャに現状の説明をしておいた方がいいだろ?」
カミュが、こちらを見て言った。二人の様子は気になるが、確かにいまは、ルコの父親を助け出すことと、ベロニカの魔力を取り戻す方が先だろう、と意識を切り替える。
ちょっとだけ考えたあと、ベロニカの方に顔をむけると、頷いてきた。頷き返し、カミュたちの方に顔をむける。
「そうだね。ちょっとだけ休憩しよう。セーニャも交えて、作戦会議」
「おう」
泉の水を飲んで、ひと息ついた。こういった神聖な加護のある場所に湧き出る水は、飲むことで体力や魔力を回復できるものがあるという。口に含んでみると、躰に力が漲ってくるような気がした。
「旨いな、この水」
「はい。あ、水筒に汲んでおきましょう」
「そうだな」
「ベロニカ。魔力は?」
「回復はしてるわ。でも、魔法は依然、使える気配なし。ほんとに
「はい」
セーニャが
少しして、セーニャが眼を開けた。首を横に振る。
「解呪は難しそうですね。少なくとも、すぐに解けるものではないと思います」
そうか、とレヴンは頷いた。
ホムラの里を出る前、里に滞在していた流れの神父にもベロニカの解呪をお願いしてみたのだが、やはりうまくいかなかった。呪いというのは、魔力である程度抵抗できるのだが、その抵抗するための魔力がなければ、呪いは躰の奥にまで浸透してしまうらしい。
ベロニカは、魔力をほとんど吸われた状態で呪いをかけられたために、かなり深いところまで呪いが巣食ってしまっているようだった。
「ただ、あいつに奪われた魔力を取り戻せれば、呪いを弾き飛ばせると思うわ」
「魔物を斃さなくても?」
「勘だけどね。まあ、あいつを斃しても同じだろうし、あまり気にしなくてもいいわ」
「わかった。それで、ベロニカ。ベロニカたちを攫った魔物について、話して貰っていい?」
「ええ。まず、あたしたちを蒸し風呂屋で攫ったのは、あやしいかげ。五体ぐらいは見たけど、もっといても不思議じゃないわね。それで親玉は、デンダとかいう水色のデンデン竜っぽい魔物よ」
「水色?」
その言葉に、レヴンたちは首を傾げた。デンデン竜というのは、ずんぐりとした体型をした、壷を背負った二足歩行の大きな蜥蜴のような魔物だが、デンデン竜の体色は、確か黄色だったはずだ。
ええ、とベロニカが頷いた。
「多分、あいつ、変異種よ。そもそも、人間の魔力を吸うデンデン竜なんて聞いたことないし、デンデン竜属の魔物に体色が水色のやつはいないはずだしね」
「変異種か」
『魔物』には多種多様な種族がいるが、ごく稀に、ほかに類を見ない姿や特性を持った特殊な魔物が現れることがあるという。まさに突然変異としか言いようのない個体で、そういった魔物を変異種と呼ぶのだ。
ここに来るまでに聞いた話では、ベロニカが入れられた牢には、まだ新しい人骨がいくつもあったという。ベロニカのように攫われて、そこで死ぬまで魔力を吸い尽くされたと考えるしかなかった。
もっと早くここに来ていれば、犠牲者を減らせたのではないか。
「必ず、魔物を斃そう。犠牲になった人たちのためにも、これ以上悲劇を生まないためにも」
レヴンがそう言うと、ベロニカたちがこちらを見て、ゆっくりと頷いた。
失われた命は、戻らない。確かに、死者を蘇らせる魔法、蘇生呪文というものはあるが、どんな命でも戻るわけではないのだ。少なくとも、白骨化してしまった死体から蘇生することはできない。最低でも重要な臓器に大きな損傷のない遺体でなければ、蘇生呪文は無意味だ。
「それで、デンダについてだけど、あたしの魔力を奪った以上、それを使って攻撃してくることも考慮するべきだと思うわ」
「お姉様の魔力で攻撃魔法を使われたら、ひとたまりもありませんね」
ベロニカの言葉に、セーニャが神妙な顔で応えた。
「そんなにすげえのか、ベロニカの魔力って?」
「はい。放ったメラが、メラミと勘違いされる威力ですから」
「まだまだよ。いつか、メラゾーマと勘違いされるレベルになってみせるつもりだからね。いまのはメラゾーマじゃないわ、メラよ、ってね」
おどけたようにベロニカが言い、みんなで苦笑した。
「ベロニカの魔力をどう使ってくるかはわからないけど、警戒しておくに越したことはないね。セーニャ、マホトーンは使える?」
「使えますわ。ただ、変異種となると、確実に効くかどうかはわかりません。それに、マホトーンで封じられない手段で攻撃してくる可能性もあります」
「うん」
マホトーンは、魔法を封じこめる呪文だが、必ず効果があるというわけではない。そのうえ変異種は、通常種よりも魔法などへの耐性が高いと言われている。攻撃魔法もそうだが、ラリホーやマホトーンなどの、状態異常付与系統と分類される魔法に対してもである。魔法だけでなく、眠り毒や麻痺毒などの毒物に対しても同じらしい。
それに、セーニャの言う通り、魔力を魔法ではなく、自身の能力の底上げに使ってくることも考えられる。呪文を伴った『魔法』でなければ、マホトーンは無意味だ。
「効くにしろ効かないにしろ、マホトーンが無意味に終わった場合は、オレかレヴンが接近して、一気に叩くしかねえか」
「うん。あとは、ベロニカの魔力を先に取り戻すとか」
「ああ、その手もあったか。デンデン竜が溜めこんでるとすると、壷か?」
「ええ。デンダのやつは壷に溜めていたわ」
「じゃあ、壷の破壊も一緒に狙おう。セーニャ、ほかに使える魔法は?」
「各種回復魔法に、マヌーサやスカラにスクルト、ピオラ、ピオリム、ディバインスペルといった補助系統魔法。攻撃魔法では、バギやザキが使えますわ」
マヌーサは、相手に幻覚を見せ、惑乱させる呪文。スカラとスクルトは、物理的な攻撃に対する障壁を躰に纏わせ、防御力を上げる呪文。スカラは個人、スクルトは複数人数にかけられる。ピオラとピオリムは、反応速度を向上させる魔法で、以前、イビルビーストが使っていたボミオスと真逆の効果をもたらす魔法だ。ディバインスペルは魔法への耐性を低下させる呪文。バギは、竜巻を起こして相手を切り刻む攻撃魔法で、ザキは血液を凝固させることで対象の息の根を止めるという凶悪な呪文である。
ちょっと考えこみ、頷いた。
「わかった。じゃあ、まず、セーニャがマホトーンをかける。効かなかったとしても何度か試して、誰かが傷を負ったら回復を。ほかの魔法は、魔物たちの強さと戦法次第かな」
魔法は、非常に有用なものだが、使うのに魔法力を必要とする。精神力とも言い換えられるものなのだが、これを回復する手段はそう多くはなく、寝るか、魔力を含んだ液体、『まほうのせいすい』などを摂取するのが主な手段となる。特殊な修練を積んだ者や、身に着けた者の魔法力を回復する特殊な装飾品などもあるそうだが、それで回復できる魔法力は、そう大きなものではないという話だ。
特に補助魔法は、術者にいくらか負担がかかる。維持する必要があるのだ。
維持しながらでもほかの魔法を行使するのは、ある程度の実力を持った者ならそこまで難しいものではないそうだが、補助魔法を遣うより攻撃魔法などで直接攻撃した方が早い、といった状況もあり得るのだ。
魔法力は、無限ではない。無暗やたらと魔法を遣うのは避けるべきだった。
「セーニャの判断に任せることになってしまうけど、攻撃魔法も補助魔法も、有効だと思ったら遣って欲しい」
「わかりましたわ。お任せください」
「カミュは、奥の牢に一気にむかって、人質の救出をお願い。人質の安全が確保できたら、戦闘に参加して欲しい」
「おう」
「ベロニカは、セーニャの護衛を頼むよ。状況によっては援護を」
「わかったわ。ま、この躰でも、鞭を遣えばそれなりにやれるから、あまり気を遣うことないわよ?」
「うん。でも、無理はしないでよ。僕は、デンダを狙う。取り巻きも、仕留められれば仕留める」
頷き合い、誰ともなく奥に進み出した。
この通路を真っ直ぐ行くと、大きな扉があるらしい。そこが、デンダ一味のアジトだ。
「ん?」
歩き出し、ちょっと進んだところで、カミュが壁に眼をやった。
「どうしたの、カミュ?」
「いや、結構でかい穴があるなって」
カミュの視線を追うと、ちょっと大きめの穴が、壁に空いていた。
「その穴が、あたしが脱出に使った穴よ」
「これが?」
「ええ。牢の中に空いていた穴と繋がってたおかげで助かったわ」
大きめと言っても、いまのベロニカでどうにか通れるかといった程度の大きさだ。ベロニカが言っていた通り、彼女の躰が小さくならなかったら、脱出はできなかっただろう。
「だいぶ小せえな。関節はずせば、いけるか?」
「あんたの腕を侮るわけじゃないけど、牢の鍵、開けられるの?」
「そいつは、物によるとしか言えねえな」
「だったら、やめておいた方がいいんじゃないかしら。穴の途中で詰まる可能性もあるし、行って結局駄目だったら目も当てられないし」
「それもそうか」
「あの、なんの話をしてらっしゃるのですか?」
セーニャが、首を傾げながら言った。
「ん、ああ。ベロニカが牢から脱出する時に使った穴を通って、先にルコの父親を助けに行けないかって思ってな」
「あ、そういうことですか」
「まあ、リスクも高えし、やっぱ人質として使われないうちに、一気に斃しにかかった方がいいな」
「うん」
再び先に進む。しばらく進んだところで、大きな扉が見えた。あれが、魔物たちのアジトに繋がる扉だろう。
「これ、どうやって開けるんだ?」
扉には、鍵穴も取っ手らしきものもない。レヴンとカミュの二人がかりで押してみたがびくともせず、周りに仕掛けらしきものも見当たらなかった。
「ベロニカ。この扉を開ける時、魔物はなにかやってなかったか?」
「ごめん。連中のアジトに入るまで、ずっと袋の中に押しこめられてたから、この扉を開けるところは見てないのよ。ただ、一体だけ先行した魔物がいた気がしたんだけど」
「そうか。なにかアイテムでもいるのか、それとも合言葉か?」
「魔物が開けるのを待つしかないのでしょうか?」
「もしくは、さっきの穴を通って、内側から開けるしかねえか?」
「っ?」
不意に、左手が熱くなった。なにかに呼ばれている気がした。ふっと、ナプガーナ密林とイシの村での出来事を思い出し、レヴンは周囲を再び見回した。
淡い光を帯びた、緑色の木の根っこのようなものが、壁に走った亀裂の隙間に見えた。
「どうしたの、レヴン?」
「大樹の根が」
『え?』
レヴンの言葉に、ベロニカとセーニャが不思議そうに声を洩らし、カミュがハッとした。
「呼んでるのか、レヴン?」
「うん」
壁の隙間から見える大樹の根に、レヴンは左手を翳した。光が、視界に満ちた。
影が、例の扉にむかって行くのが見えた。翼の生えた怪物の影とでも言うような姿をした魔物、あやしいかげ。
あやしいかげが扉の前に立ち、じっとしていたかと思うと、なにか思い出したような仕草を見せた。
『ヤミ心あれば、カゲ心!』
あやしいかげが、そう声を上げると、扉から小気味よい音が鳴った。あやしいかげが扉に触れる。扉が開き、あやしいかげが中に入っていった。
合言葉で開く仕掛けだったのか、とレヴンは思った。
視界が元に戻り、ベロニカとセーニャが不可解そうに周りをキョロキョロと見渡しているのが見えた。
「い、いまのは、いったい?」
「大樹の導き、ってやつらしいぜ」
「いまのが。言い伝えで聞いたことはあったけど」
「まさか、ほんとうに体験できるなんて」
ベロニカとセーニャが、驚きながらも感激したふうに言った。
「にしても、助かったな。合言葉で開くタイプだったのか」
「みたいだね。よし。それじゃあ、みんな、準備はいい?」
レヴンが呼びかけると、三人とも力強く頷いた。
「ヤミ心あれば、カゲ心」
合言葉を告げると、扉から音が鳴った。扉に触れ、ゆっくりと開けていく。
扉と扉の隙間から、そっと中を覗きこむ。中は結構明るく、水色のデンデン竜らしき魔物と、デンダの子分らしき、あやしいかげたちの姿が見えた。二十体はいるだろうか。
あやしいかげたちはデンデン竜の前で整列しており、デンデン竜は彼らを威圧するように
「あれが?」
「ええ。デンダよ」
「おまえらなあ」
声をひそめてベロニカと確認し合ったところで、水色のデンデン竜、デンダが口を開いた。子分たちが、怯えたように躰を震わせた。
こちらに言ったのかと一瞬思ったが、どうやらデンダは、子分たちに説教しているようだった。
「ごめんなさい、じゃねえんだよ!!」
『ヒィィィィィ~~~~~~~~!?』
デンダが怒鳴り、子分たちが震え上がった。
「あのベロニカって女はなあ、まずお目にかかれねえほどの、桁外れの魔力と極上の資質を持ってやがったんだぞ。あの女の魔力を徹底的に吸い尽くし、その魔力を、いずれ姿を現されるであろう魔王様にお納めすれば、その右腕にすらなれたかもしれねえ。俺たちが成り上がる最大のチャンスが転がってきたと言ってもいいぐらいだった」
『魔王?』
デンダの言葉に、四人で小さく首を傾げた。
カミュと同時に、レヴンはハッとした。
「レヴン。デルカダール神殿で、イビルビーストたちが言ってたこと、憶えてるか?」
「うん。あの御方、って言ってたやつだよね」
「ああ」
「それを、逃げられましただあ~っ!?」
『ヒィィィィィィィ~~~~~~ッ!?』
再びデンダが怒鳴り、また子分たちが震え上がった。
「もしかして、いまのいままで、お姉様が逃げたことに気づかなかったのでしょうか?」
「そういうこと、なんだろうね。まさか、いままでずっと説教してたわけじゃないだろうし」
「確かにカモフラージュはしておいたけど、それでもこんな時間まで気づかれないとは思ってなかったわ。ルコちゃんのパパがごまかしてくれてたのかしら」
「つってもよ、ベロニカが逃げ出してほぼ一日だろ。なんつーか、間抜けなやつらだ、な!」
困惑しながら口々に言っていると、カミュが声を上げ、ふりむきながら短剣を振るった。レヴンたちの背後に近づいていたあやしいかげが、斬り裂かれた。
あやしいかげが、信じられないとばかりに眼のような部分を見開き、消滅した。
「っ、誰だ!?」
いまのでレヴンたちに気づいたのか、デンダと子分たちが扉の方をむいた。
扉を勢いよく開け、対峙する。部屋はかなり広く、天井もかなり高い。デンダを挟んだむこう側に、扉が見えた。おそらく、あれが牢に繋がる扉だろう。
「な、なんだ、オメーらは。このデンダ様のアジトに勝手に」
ベロニカを見たところでデンダが言葉を止め、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。
「ははーん。なるほど。俺が取り逃した獲物を、わざわざ届けに来てくれたってわけか。果報はブチギレて待てたぁ、このことだなあ。さあ、野郎ども。仕事の時間だ。こいつらの魔力、全部吸い尽くしてやるぞ!」
『ヒー!!』
デンダの子分たちが、威勢よく掛け声らしきものを上げた。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。さっさとあたしの魔力を返して、呪いを解きなさい。せめて苦しまないように
「そこは一応、見逃してやるとか言うところじゃねえのか、ベロニカ?」
「あいにくと、人の命を奪った魔物にかける情けは持ってないのよ。悔い改めて、二度と人間に危害を加えないって約束するんなら、まだ見逃してやってもいいけど」
「悔い改めるだあ?」
はっ、とデンダが鼻で嗤った。
「馬鹿が。なんで人間を殺したことを悔やまなきゃならねえんだよ。人間ってのはなあ、俺たち魔物の玩具で、食い物なんだよ。なにしようが勝手だろうが。ゲバゲバゲバ~~ッ!!」
「ほらね」
ベロニカが、笑い声を上げるデンダを鋭く睨みつけて、言った。カミュも眉を
「ひとつ訊く」
デンダを見据えながらレヴンが言うと、デンダが途端に嗤うのをやめた。周りの魔物たちも、びくっと躰を震わせていた。ベロニカたちも、どこか驚いたようにこちらを見ていた。
「おまえは、その目的のために、何人の命を奪った」
デンダがたじろぎ、ハッとした仕草を見せたあと、また鼻で嗤った。
「さあなぁ。数えちゃいねえよ。憶えておく必要なんてねえだろ。よく言うじゃねえか。オメーは、いままで喰った肉の数を憶えてるのか、ってなあ。ゲバゲバゲバ~~!!」
剣を握る手に、思わず力が入った。
「そうか。わかった。もういい」
レヴンはただ、それだけを返し、剣を構えた。
身も凍るような寒気を、デンダは感じた。サラサラヘアーの男からだ。すさまじいまでの怒気が、男から感じられた。
「人質を」
指示を出そうとした時、悪寒を覚えた。咄嗟に壷を庇う。同時に、躰の数箇所に痛みを感じた。
「っ!?」
ふり返ると、青髪を逆立てた男が、牢に繋がる扉の前にいた。短剣を構えている。
連中との距離は、十歩は離れていたはずだ。牢に繋がる扉は、それ以上に遠い。あの一瞬で、デンダに斬りつけつつ、扉の前に移動したというのか。
青髪の男が、扉に手をかけた。
「ちっ、おまえら、ヒャドとラリホーで」
「イオ!」
「マホトーン!」
「攻撃を、っ!?」
サラサラヘアーの男が起こした爆発に子分の何体かが消し飛ばされ、デンダも含む残った魔物たちに、緑色の服を着た女の放ったマホトーンが掛かった。全員の魔法が封じられたわけではないようだが、二十以上いた子分たちはすでに、半分近くが無力化されてしまったようだった。
サラサラヘアーの男がむかってくる。子分たちがかかっていくが、剣と魔法で難なく蹴散らされていく。牢の扉の方にふりむくと、青髪の男の姿がない。牢のある部屋に入ったようだ。何体かの子分が後を追い、少ししていくつもの悲鳴が聞こえてきた。子分たちの悲鳴だった。女たちをどうにかしようと飛びこんでいく子分もいるが、例のベロニカという女が操る鞭に打ち据えられ、次々にやられていく。緑色の服の女が放つ小さな竜巻、バギによって、子分がやられる時もあった。
なんなんだ、こいつらは。
戦慄しながらも、必死に思考を巡らせる。
相対した時点で、この連中が相当の強さを持っているというのは感じていた。だが、数の差で押せばなんとかなると思っていたのだ。それが、まったく相手にならないとは。
このままでは、全滅する。冗談ではない。なんのために、これまで魔力を集めてきたというのだ。
「っ、魔力」
ハッと閃くものがあった。
だがこれは、来たる魔王降臨の際に献上するために集めていたものだ。こんなところで失うわけにはいかない。だが、このままでは、魔力どころか命を失う羽目になる。
「イオ!」
「っ!」
再び壷を庇う。サラサラヘアーの男の起こした爆発が、デンダを吹き飛ばした。倒れながらも壷を放さなかったのは、偶然としか言いようがなかった。
男が、こちらに駆けて来る。
『ヒー!』
跳びこんでくるサラサラヘアーの男を妨害するように、三体の子分が壁になった。
「海波斬!」
『ヒーッ!?』
壁になった子分たちが、一瞬で斬り捨てられた。太刀筋が見えなかった。
残る子分は、三。それらも、すでに逃げ腰だった。
「ヒ、ヒーッ、お、親分、もう無理ですっ。諦めて降参しましょう!」
「ヒヒーッ、そ、そうです、親分っ。這いつくばって、這いつくばって、這いつくばって、さらに這いつくばってごめんなさいして悔い改めれば、この人間様たちも許してくれるかもしれません!」
「ヒッヒヒーッ、地獄までついていく気ではいますけど、やっぱり死ぬのは嫌ですよー!!」
「馬鹿野郎!」
成り上がってやると誓ったのだ。
デンダのこのつぶらな瞳と水色の躰を馬鹿にしたやつらを見返してやると、この荒野の地下迷宮の奥深くにアジトを構えた。上階にいる魔物たちも、やはりデンダの瞳と体色を馬鹿にし、関わってくることはなかった。
それならそれでいい、と思った。子分たちがいれば、それでいい。ほかの魔物の力を宿すことができるはずの『あやしいかげ』でありながら、その力を使いこなせない子分たちもまた、仲間内で馬鹿にされていた者たちだった。
ドジが多い連中だったが、彼らはデンダを慕い続けてくれた。
子分たちと一緒に成り上がるのだと、魔力を集め続けてきた。デンダには、人間から魔力を吸い取る力があったのだ。デンデン竜の中で、デンダのみにある力だった。
ついてきてくれた子分たちとともに、この力で成り上がってやると、誓ったのだ。
その子分たちを殺したこいつらに、頭を下げて許しを乞うなど、できるわけがない。
「子分どもを殺されて、黙っていられるわけねえだろうが!!」
デンダの言葉に、子分たちがハッとなった。
「仇討ちだっ。仲間を殺したこいつらに、必ず落とし前をつけさせてやる!!」
「ヒーッ、お、親分、すまねえ、俺たちが間違っていたぜーー!」
「ヒヒーッ、親分の言う通りだぜ~~っ。仲間を殺したこいつらに許しを乞うなんて、恥知らずにもほどがあったわ~~っ!」
「ヒッヒヒーッ、命を落とした仲間たちのためにも、俺たちは負けられ」
「ふざけるな!!」
サラサラヘアーの男の怒声が響き渡り、デンダたちの躰が硬直した。辺りの空気が震えている。凄まじい気迫だった。
「人間を玩具だと、食い物だと、多くの人を苦しめ、殺しておいて、勝手なことを言うなっ!!」
「っ、あ、あれは」
男の左手が、光っている。いや左手の甲に、光を放つなにかがある。
「ま、まさか」
勇者。その言葉が、不意に頭をよぎった。
十六年前に取り逃したという、大樹に選ばれし存在。
なぜ、こんなところにいるのだ。
「おまえたちが殺した人たちの中にも、おまえたちが仲間を想う気持ちに負けないぐらい、その人を大切に想う家族や友だちがいたはずなんだ。その人たちは、おまえたちに殺された人たちの帰りを、いまでも待っているかもしれない。帰らぬ人となったことを知らずに、いまでも待ち続けているかもしれない。身勝手な理由で理不尽に人の命を奪い、悲劇を生み出しておきながら、被害者ぶるなっ!!」
再び響き渡った男の怒声に、子分たちが
うるせえ、馬鹿が。人間と魔物は同列じゃねえんだよ。そう嘲笑おうとしたが、躰がうまく動かなかった。
躰が、怯えている。これが、勇者。
歯を喰いしばり、怯える躰に活を入れる。
なんと言われようが、人間なんぞ、いくら苦しめようが知ったことではない。
だが、このままでは勝ち目はない。もはや、これしかない。
そう決断すると、デンダは壺の蓋を開けた。
「こうなりゃ、
壺に溜めこんでいた魔力を体内に取りこむ。すさまじいまでの力が、躰に
「ゲバアアアアアア!!」
完全に取りこむのは無理だ。己の最大の攻撃である『つめたい息』に乗せ、威力を向上させる。
「みんな凍っちまえええええええ!!」
冷気が、部屋に充満する。『つめたい息』どころではない。『かがやく息』にも匹敵しそうな冷気が、部屋に吹き荒れた。
「ベギラマ!」
サラサラヘアーの男が放った熱線がデンダに直撃するが、痛みを感じることはなかった。凄まじい力を得たのだとわかった。
あとは、連中が凍りつくまで、吐き続けるのみだ。
「お、親分~~」
「や、やめてくれ、親分~」
残った子分たちが凍りついていく。『つめたい息』を吐き続ける。目の前の人間どもを殺せればいい。子分たちも、この人間どもを殺せれば、喜んでくれるだろう。
なにか、おかしい。そう思いながらも、デンダは息を吐き続けた。
部屋に吹き荒れるデンダのつめたい息は、すでにデンダの子分たちを凍りつかせ、部屋を極寒の空間に変えていた。息どころか、すでに吹雪だ。口だけでなく、デンダの躰全体から冷気が出ているようだった。
ベロニカの背後から、綺麗な音色が聞こえてきた。寒さがやわらいでいく。
ちらっと眼をやる。セーニャが、竪琴を弾いていた。セーニャの特技のひとつで、魔力をこめて竪琴を弾くことで、冷気や熱などをやわらげる旋律を奏でることができるのだ。
「レヴン、こっちに!」
吹き荒ぶ吹雪に立ち止まっているレヴンへ呼びかけると、彼はすぐに戻って来た。
「暖かい?」
近くに来たところで、レヴンが驚いたように言った。
「セーニャの特技よ。竪琴を弾くことで、こういった冷気とかをやわらげることができるの」
「そんなことができるんだ。すごいね、セーニャ」
「私もお姉様同様、鍛え続けてきましたから」
セーニャが、やわらかく微笑んで言った。
「にしても、デンダのやつ。往生際が悪いっていうか、暴走してるじゃない」
「うん」
ベロニカも含めて、何人もの人から集めたというその魔力は、デンダが操るには荷が重かったのだろう。すでにデンダは、ベロニカたちを凍りつかせることしか頭にないようだった。いや、意識が残っているかどうかすら怪しい様子だ。
「あたしの魔力を使った攻撃、か」
ひとつ、思い浮かぶものがあった。眼を閉じ、集中する。
思った通り、部屋に満ちる冷気から、ベロニカの魔力を感知した。ただ、デンダのつめたい息に使われているためか、吸収するのはまだ難しそうだ。
「カミュ!」
レヴンが、声を張り上げた。眼を開き、牢に繋がる奥の扉の方を見ると、扉の前に彼の姿があった。部屋の様子に驚いているようだった。
「カミュ、こっちに!」
レヴンがそう声を上げるとカミュは、吹雪の中心であるデンダを避けるかたちで、こちらに駆け寄って来た。
「暖けえ?」
カミュが、さっきのレヴンと同じような反応をした。
「セーニャの特技らしいよ。竪琴を弾くことで、辺りの冷気とかをやわらげることができるんだって」
「そんなことができるのかよ。すげえな、セーニャ」
「ありがとうございます、カミュ様」
セーニャが、嬉しそうに言った。レヴンに言われた時とはまた別種の感情があるような気がした。
ちょっと気になったが、いまはこの状況をなんとかするのが先決だ。
「カミュ、ルコちゃんのお父さんは?」
「無事だ。怪我もねえ。牢の方には魔物はいなかったから、追ってきたやつらを片付けるだけで済んだ。おっさんは牢の方で待たせてある。一応、聖水も撒いておいた」
「わかった」
「つーかよ、なにがあったんだ、これ」
「いままで溜めこんだ魔力を取りこんで、暴走したみたいだ」
「ちっ、面倒なことを」
「レヴン。カミュ。ちょっとお願いがあるんだけど」
ベロニカが言うと、二人がふりむいた。
「あいつのつめたい息、止められるかしら?」
二人がデンダに眼をやったあと、互いを見て、頷き合った。
「レヴン。あれ、やってみようぜ」
「うん。ベロニカ、任せておいて」
そう言って、レヴンとカミュがデンダを見据えた。少しして、蒼い光が二人の躰を包んだように見えた。
「お願いね」
精神を集中する。部屋に漂う魔力を一気に取りこむのはまだ無理だが、ちょっとずつならできなくはない。躰に巣食う呪いを、外から取りこんだ魔力でちょっとずつ解除していく。内側の魔力を閉じこめるように作られた壁を、外からの魔力で穴を開けるような感じだった。
「ギラ!」
「ジバリア!」
レヴンとカミュが、同時に呪文を唱えた。デンダの足元に、魔法陣が描かれる。
『火炎陣!』
「ゲバッ!?」
二人の声とともに、魔法陣から隆起した、炎を纏った岩がデンダを突き上げた。岩は槍のように鋭いが、魔力で強化されているのだろうデンダの躰を貫くには至らなかったようだ。
だが、デンダのつめたい息は、止まった。辺りに漂うベロニカの魔力の吸収を妨げるものは、もうなにもない。
亀裂が走った壁が壊れるように、呪いが一気に弾け飛んだのを感じた。
両手を、頭上に掲げた。
「レヴン、カミュ。トドメは、あたしが刺すわ」
「うん、っ!?」
「おう、って、でかっ!?」
ベロニカの前からどけつつ、こちらをふり返った二人が、驚愕の声を上げた。視線は、ベロニカがいま頭上に作っている火球にむけられている。
火球は、いまのベロニカの躰よりひと回りは大きなものだった。
「メ、メラゾーマ?」
「いいえ。これはメラゾーマじゃないわ」
レヴンの言葉に応えつつ、ベロニカは上体を反らした。
「メラミよ!」
放り投げるようにして、デンダに火球を放つ。岩の槍に突き上げられ、落下していたデンダに、火球が直撃した。
「ゲ、ゲバアアアアアアアアアアア!?」
炎が、デンダを包む。デンダの悲鳴が響き渡り、その躰が焼け落ちていく。
「ゲバッ、ま、魔王様の右腕になるというオレ様の野望も、ここで潰えるのか」
理性を取り戻したのか、デンダがそんなことを言った。
「さっきもそんなこと言ってやがったな。その魔王ってのは、なんだ?」
「ゲーバゲバゲバゲバ~~ッ、オメーらに教えることなんぞ、なにもありゃしねえよ。どうせオメーらは、いずれ魔王様にやられっちまうんだからなあ。命あっての特ダネとはこのことよ~~っ。ゲバッ」
嘲笑うようにそう言うと、デンダは焼滅した。
デンダが消え、その身を包んでいたメラミの炎が消えた。まだ若干寒さが残っていた部屋も、残っていた火炎陣による熱で徐々に温かくなっていく。
ほどよい温度になったところでセーニャが竪琴を弾くのをやめ、レヴンたちも火炎陣を消した。
火炎陣。勇者の書に記されていた連携技のひとつで、ギラとジバリアによって魔法陣を作り、そこから炎を纏った岩の槍を突き出し、攻撃するというものだ。単に岩の槍で貫くだけでなく、魔法陣の周囲にいる敵を、炎や熱による攻撃に弱くする効果もあるという。
「ぶっつけ本番だったが、うまくいったな」
「うん。みんな、おつかれさま」
「はい。やりましたね」
「あとは、ルコちゃんのパパを迎えに行って、ホムラの里に戻るだけね」
「うん。あれ?」
ベロニカの躰は、小さいままだった。戻る気配もない。ベロニカを除く三人で顔を見合わせた。
ベロニカに、視線を戻した。
「呪いは解けて、魔力も戻ったんだよね、ベロニカ?」
「ええ。間違いなくね」
ベロニカが、指先に炎を
「この通り、すっかり元通りよ」
「ですが、お姉様、そのお姿は」
「呪いは解けて、魔力も戻ったけど、年齢までは元に戻らなかったみたいね。でも、せっかく若返ったんだし、まあ、いいわよねっ」
「そんな」
笑いながら言うベロニカの言葉に、セーニャが愕然とした表情を浮かべた。
よよ、と泣き崩れるように、セーニャが崩れ落ちた。
「お姉様とレヴン様のラブロマンスを楽しみにしておりましたのに」
「あんたはなにを期待してんのよ」
「あ、でも、呪いによって本来のものとは違う姿になりながらも、変わることない愛を貫く男女というのも」
「話を聞きなさい!」
ベロニカが、かすかに顔を赤くしていた。セーニャの言葉に、レヴンも顔がちょっと熱くなっていた。セーニャがなおも夢心地な様子でなにか言い、ベロニカが声を上げた。
ふっと、ラムダでベロニカ、セーニャとともに過ごした、幼いころのことを思い出した。
口もとが緩み、ハッと引き締める。
目的のひとつである、ベロニカ、セーニャと再会するという目的は果たせた。だが、イシの村のみんなを助けるまで、気を緩めるわけにはいかない。
「よかったな、レヴン」
カミュが、静かに言った。
「うん。だけど」
「いまは、素直に喜んどけよ。村のやつらのことが気にかかるのはわかるが、ずっと張り詰めっぱなしじゃ、おまえが
ぶっきらぼうな言い方ではあったが、カミュの声は、どこか優しいものだった。
カミュの顔に眼をやる。カミュは、ベロニカとセーニャの方にじっと視線をむけていた。
視線は、優しいものだった。ただ、どこか憧憬のようなものが、横顔から感じられた気がした。
「妹、か」
カミュが、ボソッと呟いた。
「カミュ?」
「まあ、いいわ。さて、それじゃあ、セーニャ?」
「はい。改めて、御挨拶いたしましょう」
「ええ」
話が終わったのか、ベロニカたちがこちらに顔をむけた。
カミュの様子が気にはなったが、いまは彼女たちの話を聞こうと意識を切り替える。二人が、レヴンのすぐそばに近寄ってきた。
セーニャが跪き、ベロニカと躰を寄せ合うと二人は、お互いの掌を胸の前で合わせた。
二人は、レヴンを見つめていた。
『命の大樹に選ばれし勇者よ。こうしてあなたとお会いできる日を、心よりお待ちしておりました。私たちは、勇者を守る宿命を負って生まれた、聖地ラムダの一族。勇者の導き手、双賢の姉妹。使命を果たすその時まで、命を懸けてあなたをお守りいたします』
朗々とした二人の声が、辺りに響いた。
ベロニカとセーニャの顔をじっと見つめる。いろいろと話したいことはあったが、なにから聞いたものか。
「二人は、僕が勇者だと知っていたのかい?」
「あたしは、つい最近気づいたところね。セーニャは多分、旅立つ前に聞かされてたんじゃない?」
「はい。黙っていて申し訳ありませんでした、お姉様」
「別にいいわよ。あたしのためを思ってのことだったんでしょ?」
「ベロニカのため?」
「え、あ、こ、個人的なことだから、秘密よ!」
ベロニカが言った。かすかに顔が赤くなっている気がした。セーニャが、微笑んでベロニカを見ていた。
ごほん、とベロニカが咳払いし、セーニャが再びレヴンに視線をむけた。
「まず、勇者は、レヴン様は災いをもたらす悪魔の子などではありません。こうして再会し、身も知らない誰かのために怒れるレヴン様を見て、それは間違いのないことだと改めて確信いたしました」
「あたしもよ。再開した時にわかってはいたけど、さっきのではっきりとわかったわ。ああ、レヴンが、あたしたちが探し求める勇者なんだって。悪魔の子なんかじゃない。瞳の奥に温かな優しさを宿した、伝説にある、大いなる闇を打ち払う者なんだって」
力強く、しかし優しく紡がれた二人の言葉に、胸が少し軽くなったのを感じた。なにか、救われた気持ちになった気がした。
「ありがとう、ベロニカ、セーニャ」
声が震えていたことに気づき、慌てて天を仰ぐ。涙がこぼれそうだったが、それはなんとか堪えた。ベロニカもセーニャもカミュも、静かに待っていてくれた。
やがて落ち着くと、レヴンは視線を正面に戻した。
カミュが、レヴンの肩を軽く叩いた。
「命の大樹に選ばれし勇者、か。こうはっきりと言われちゃ、ますます悪魔の子なんかになるわけにはいかねえよな」
「うん」
ニヤッと笑いながら言うカミュに頷くと、ベロニカとセーニャに改めてむき直った。
「二人に訊きたいこと、話したいことはたくさんあるけど、まずはルコちゃんのお父さんを助けて、ホムラの里に戻ろう」
「そうね。ルコちゃんを安心させてあげなきゃ」
「はい。行きましょう」
ベロニカとセーニャが、優しく微笑んだ。
幼いころの二人の姿が、重なって見えた。レヴンの好きだった、優しい笑顔だった。
「私、甘いものには目がないんです」
セーニャ合流。
クレイモランで凍った人たちを見て「いや最初に言う言葉それかよ!?」という気持ちになったり、大樹崩壊後、「どうやってクレイモランを抜けてきたの――?」という気持ちになったり、ベロニカがああなったあとの覚悟が美しくも切なかったり、時を戻ったあとの姿がちょっと寂しくもホッとする娘。
正直スキルパネルのスキルポイントを持て余す娘。竪琴スキルとか使わねえっていうか、キラキラポーンと聖女、天使の守りぐらいしか使った記憶ないんですが。
変異種とかいうのはオリジナル。要はボス仕様のやつ。
ヨッチ族どうするか悩む。ヨッチ族というか、ルドマン邸のあのイベントとか。