異聞 ドラゴンクエストⅪ ~遥かなる旅路~   作:シュイダー

5 / 15
Level:4 勇者脱走

 グレイグたちに捕らえられたまま、城の中を素直に歩き続ける。階段を上り、通路を進む。

 特に拘束はされていないが、逃げるのは無理だろうと思った。レヴンの前を進み続けるグレイグの背中からは、一切の(すき)が見受けられなかった。逃げ出すそぶりをわずかにでも見せようものなら、おそらくただちに打ち据えられることになる。それが、レヴンの頭にありありと思い浮かんだ。

 いまはとにかく、機会を待つしかない。自分に言い聞かせるようにして、周りを視線だけで見ながら、足を進めた。

「無駄だ、悪魔の子よ」

「っ」

「いまこの城は、厳重な警戒態勢に入っている。おまえを捕らえながらも逃げられた、などということがないようにな」

 ふりむきもせず、()()ぐに正面だけを見ながら、グレイグが静かに言った。レヴンの眼の動きすら感じとったというのだろうか。あるいは、レヴンの気配だけでそれを読み取ったのかもしれない。いずれにしても、やはりグレイグの実力は、レヴンよりも数段高いところにある。捕らえられた時にも思ったが、そう考えるしかなかった。

 周りの兵士たちからは、グレイグほどの気配は感じられないが、それでもかなりの実力者ばかりのように感じられた。ひとりひとりなら負けるとは思わないが、複数でかかって来られると、どうなるかわからなかった。

「最初から、僕のことを疑っていたんですか?」

「いや。最初はおまえに言った通り、かなりの手練(てだ)れと感じたからだ。さらに鍛えれば、どれほどの戦士になるのだろうか。そう思わせるものも感じた。勧誘したのは、俺の本心だった」

 意外なことに、グレイグは素直に答えてきた。周りの兵士たちは特に反応も見せず、レヴンの動きを警戒しながら歩いていた。

「十六歳という年齢。左手にあるはずの(あざ)を隠せる、手に()めたグローブ。とはいっても、別にこれだけなら、特に珍しいものではない。だが、レヴンという名前までとなると、気にしないわけにはいかなかった」

「それはつまり」

「そうだ。当時産まれたばかりだったユグノアの王子にして、勇者の生まれ変わりと(もく)されていた赤子の名前だ」

「ユグノアの、王子?」

 後半は予想していたが、前半は予想していないものだった。

「そこは、噂として広めていない部分だったな。おまえ自身は、自分の()(じょう)をどこまで知っている?」

「僕が聞いたのは、僕が勇者の生まれ変わりだという話と、ヒスイの首飾りをデルカダール王に見せた時、なにかが変わるだろうといったことだけです。それを言った母も、祖父から聞いたことを伝えただけで、なにかを知っていたらしき祖父自身は、数年前に(やまい)で亡くなっています」

「そうか。『勇者』の噂を詳しく聞いたのは、街で俺と出会ってからだな?」

 問うというよりは、確認といった調子の声だった。

「はい。なぜ、そう思います?」

「聞いていたなら、あそこまで無防備に話はしないだろうと思った。事実、おまえは街をすぐに出ようとしたようだからな。街の者たちの一部から、『勇者』のことを訊いていたという証言もとれている」

「やはり、監視していたのですか?」

「それとなく見張れ、といった程度にな。あとは、いま言った通り、街の者からなにを訊いたのか確認し、おまえがとっていたという宿の方にむかった。気配を察知されないよう、部下たちは少し離しておいてな」

「グレイグ将軍があの場に来たのは、いつですか?」

「おまえが、屋根から飛び降りたあたりだ」

「あの時でしたか」

 もっと早くあの少女のもとに行って、もっと迅速に猫を助けていれば、まだ逃げられたかもしれない。そんなことを思った。

「惜しいな」

 グレイグが言った。なにに対して言っているのだろうか、と思った。あと少しで逃げられたのにな、という言い方ではなかった気がした。

「なにが、ですか?」

「おまえが『悪魔の子』でなければ、助命の嘆願書を書いていたかもしれん。そう思っただけだ」

「え?」

 もう話すことはない、ということなのか、グレイグはなにも答えなかった。グレイグの背中が、これ以上の会話を拒否していた。

 捕まってから城に入るまでの間に街の人たちから受けた視線を、ふっと思い出す。

 怒り。恐怖。困惑。いろいろな視線があった。その中には、今日、レヴンが話をした人たちもいた。少しではあるが、談笑した者もいた。

 そういった人たちがレヴンを、まるで魔物を見るような眼で見ていた。それが、つらかった。

 ひとつ救いがあるとすれば、レヴンが捕まった現場にいた少女と男性からは、そんな視線を受けずに済んだことだろうか。事態の(すい)()についていけなかっただけかもしれないが、それでもちょっとだけ安堵することができた。

 しばらく行くと、ひと(きわ)豪華な扉が見えた。

 その扉の前で、止まった。

 兵士のひとりが扉を開ける。奥の方にある立派な椅子、玉座に腰掛けた人が見えた。その横には、グレイグとは対照的な白い鎧を(まと)った、金髪の騎士がいた。扉から玉座までの道を作るように、立派な絨毯(じゅうたん)が床に()かれており、その左右には数人の兵士たちが、槍を立てて一列ずつ並んでいた。直立し、油断なく佇んでいる。

 再び歩き出す。中の様子はやはり豪奢なもので、かなり広い空間だった。むかい合う兵士たちの間を通るようにして進み、玉座まであと数歩程度の距離で、止まった。

 玉座に腰掛けていたのは、仕立てのいい(ころも)に身を包み、立派な(ひげ)をたくわえた、眼光の鋭い老人だった。実物ははじめて見たが、頭には王冠らしき物を被っている。髪も髭も、どちらも真っ白だが、弱々しい雰囲気はない。それどころか、グレイグとはまた違った凄みが感じられ、貫禄にいたってはグレイグ以上だと思った。

 だが、なにか妙な感じも受けた。なにがどうとは説明できないが、嫌な感じがあった。言ってしまえば、邪悪な気配のように思えた。

「その者がそうか、グレイグよ?」

 老人が言った。嫌な感じは、ますます強くなった気がした。

「はい、我が王よ。この者が勇者、悪魔の子、レヴンです」

 グレイグが答えた。示し合わせていたかのように、レヴンの左にいた兵士が、レヴンの左手を掴んだ。痣が老人、デルカダール王によく見えるよう、左手を掲げさせられた。抵抗はしなかった。レヴンの左手の痣をじっと見るデルカダール王を、レヴンもじっと見つめた。

「その痣。間違いないな。あの時の赤ん坊だ」

 デルカダール王が、確信を持って頷いた。続いて、兵士のひとりがデルカダール王に近づき、(ひざまず)くようにしてなにかを差し出した。デルカダール王がそれを手に取る。ヒスイの首飾りだった。

 ヒスイの首飾りを見定めるようにして、じっくりと見ていたデルカダール王が、ゆっくりと頷いた。

「これも、間違いないな。ユグノア王家の者であることを示す、ユグノアの首飾りだ」

「では、やはり」

「うむ。ようやく見つかったな」

 グレイグの言葉に、デルカダール王が重々しく頷いた。デルカダール王の声は、どこか喜色を含んでいるように思えた。嫌な感じが(とど)まることなく大きくなり続けている。

 嫌な気配は、デルカダール王ほどではないが、金髪の騎士からも感じていた。グレイグやほかの兵士たちからは感じられないこともあって、それがどうにも気になった。

「グレイグよ。この者は、どこから来たのだ?」

 デルカダール王が言った。

「はっ。ここから南に行った渓谷(けいこく)地帯の奥にある、イシという村からだそうです」

「そうか。ホメロス」

「はっ!」

 デルカダール王が呼びかけると、金髪の騎士、ホメロスが声を上げた。

「行け」

「はっ。お任せください」

 ホメロスが、優雅さを感じさせる仕草で礼をした。デルカダール王が頷く。

 ホメロスがレヴンにむき直り、ニヤリと笑った。

 嫌な笑い方だ、とレヴンは直感的に思った。細面(ほそおもて)の、美形と言い切っていい顔立ちのはずだが、なにか気味の悪いものを感じてしょうがなかった。

「なにを、する気ですか」

 視線をデルカダール王にむけ、顔をじっと見つめる。

「決まっておろう。悪魔の子を育てた邪教の村を、焼き払いに行く」

「っ!?」

 デルカダール王は、なにもおかしなことなどないとばかりに、平然と言った。あまりにも自然と返され、レヴンは二の句が継げなかった。

 ホメロスが歩き出す。レヴンの脇を通りかけたところで、思わずその腕を掴んだ。

 周りの兵士たちはレヴンに武器をむけたが、それを気にしている余裕はなかった。ホメロスも特に気にした様子はなく、レヴンにゆっくりと顔をむけた。ホメロスの視線は、まるでゴミを見るかのようなものに思えた。

「なにかな、悪魔の子よ?」

 ホメロスが、もったいぶった調子で言った。人を見下しているような、そんな嫌味さをなんとなく感じた。

「村の人たちはなにも知りませんっ。なにかを知っていたらしき祖父はすでに他界して」

「ふん」

「っ!?」

 ホメロスが鼻で笑い、レヴンの腕を振り払った。

「悪魔の子の言葉など信じられるわけがなかろう。それを確かめるのも含めて、その村に行くのだ」

 馬鹿にするようにして、ホメロスが言った。

「なら、なぜ焼き払うなどと」

「焼き払うのは確定事項だ。悪魔の子を育てたのだぞ。当然ではないか」

「な」

 ホメロスはなんの気負(きお)った様子もなくそう言うと、再び絶句したレヴンから、もう興味はないとばかりに顔を(そむ)け、また歩き出した。

 止めなければと、飛びかかるために脚に力を入れた。

「がっ!?」

 飛びかかる前に、誰かに躰を押さえつけられた。持ち上げられ、そのまま床に思いっきり叩きつけられた。

 二度三度と躰が(はず)み、壁にぶつかったところで、止まった。そのまま床に倒れこむ。とっさに受け身はとっていたものの、衝撃は凄まじく、痛みに立ち上がることもできないほどで、床に倒れたままとなった。

 痛みによって呼吸もろくにできず、それでもホメロスを止めようと手を伸ばすが、彼はもうレヴンを気にすることなく扉を開け、何人かの兵士とともに出て行った。力が抜けた手が、床に落ちた。

 影が、レヴンを覆った。床に倒れたまま、なんとか顔を上げる。グレイグがレヴンを見下ろしていた。やはり、なんの感情も感じさせない表情で、じっとレヴンを見ていた。おそらく、さっきレヴンを押さえたのは、グレイグ。

「グレイグよ。その災いを呼ぶ者を、地下牢にぶちこむのじゃ」

「はっ」

「待、て、みんなに、手を、出すなっ」

 絞り出すようにして言うが、デルカダール王もグレイグも、レヴンを気にした様子がなかった。

 いままで感じたことのない無力感が、レヴンを(さいな)んでいた。

 

 グレイグに、荷物のように肩に担がれ、階段を下りていく。ずいぶんと階段を下りているというのに、まだ着かない。かなり深いところにある階層のようだった。

 躰の痛みは少しずつ引いてはいるが、まだ自由に動けるほどではなかった。グレイグもそれをわかっているのだろう。どこか無造作な感じがあった。周りには数人の兵士もいるが、彼らもどこか安心している様子だった。

 やがて、階段が終わった。さらに歩いていく。

 燭台に火は(とも)っているが、それでも暗さを感じさせる場所だった。城の最下層にある牢で、重犯罪人が(とら)われる牢獄だということだった。

 牢がいくつも見えた。グレイグに下ろされる。ふらつきながらも脚に力を入れ、グレイグの顔を見上げた。やはり彼は、無表情のままレヴンを見返していた。

「歩け」

 グレイグに言われ、大人しく彼が(うなが)す方に歩き出した。躰はまだ痛むが、なんとか歩けるぐらいにはなっていた。

 しばらく歩いた先、一番奥にある右手の牢を、先に進んでいた兵士が開けた。そこが、レヴンが入れられる牢のようだった。

 入れられる前に、両手を()げさせられ、兵士たちに拘束された。なにか隠し持っていないか、検査するとのことだった。グレイグは、レヴンの動きを監視するように、眼を光らせていた。

 この服には、いろいろと小物を入れられるように、ポケットがあちらこちらに着けてある。とはいっても、薬草など、もしもの場合に使用する物などは入れているが、基本的にそう大した物は入れていない。たったひとつ、なによりも大事な物を除いて。

「ん?」

「っ!」

 兵士のひとりが、レヴンが胸もとに大事に入れていた物を取り出し、(いぶか)()に声を()らした。大切な、彼女から(もら)った思い出の品。

「リボン?」

「返してください」

「なに?」

「それは、僕の大切な物です。返してください」

 手を出してしまいそうになったが、(つと)めて冷静に言った。

 リボンを取った兵士が、小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「牢に入れられる分際で、そんなことが言える立場だとでも」

「返せっ!!」

 頭がかっとなり、意識する前に躰が動いていた。痛みはまだあったが、無理矢理それは無視した。腕を押さえていた兵士を振り払い、リボンを握った兵士の腕を、両腕で掴んだ。

 (あっ)()にとられていた周りの兵士たちが、ハッとしてレヴンの躰を引き()がそうとした。痛みによって、普段とはほど遠い力しか出せなかったが、兵士の腕は離さなかった。

 リボンを離すまで、この手は離さない。その思いだけが頭にあった。

 腕を掴まれた兵士が、(うめ)き声を洩らしはじめた。腕を掴まれている痛みゆえであろうと思ったが、力を緩めはしなかった。腕を握り潰さんばかりに、ますます力をこめた。兵士の呻き声が、さらに大きくなった。すでに、悲鳴に近いものとなっていた。

 周りの兵士たちの何人かが、力づくで引き剥がそうと拳を振りかぶった。

「待て」

 その言葉に、兵士たちの動きが止まった。グレイグだった。思わずレヴンも、少しだけ力を緩めた。

 グレイグはリボンを持った兵士に近づくと、それをそっと引き抜き、まじまじと見つめた。

 少しして、グレイグがレヴンにリボンを突き出した。兵士の腕を離すと、すぐさま受け取り、胸に()(いだ)いた。ほっと、安堵の息をついた。

 グレイグが、呆気にとられた様子の兵士たちを見回した。

「ただのリボンだ」

『は、はっ!』

 グレイグがそう言うと、兵士たちが戸惑いながらも返事をした。

 あとは、特にこれといった物は見つからず、身体検査が終了し、牢に入れられた。薬草などは、念のためとして没収されたが、リボンだけは残して貰えた。リボンは再び、胸もとに大事に仕舞った。

「少し、こいつと話したいことがある。おまえたちは戻れ」

『はっ!』

 グレイグの指示に、兵士たちが従い、去って行った。人の気配は、自分たちのものだけとなった。

「そのリボン。それほどまでに大事な物なのか?」

「はい。彼女と別れる時に渡された、大切な思い出の品です」

「そうか」

 グレイグが、眼を閉じた。

 複雑な思いが、レヴンの胸に渦巻いていた。グレイグは、確かにレヴンを捕らえた張本人だ。だが、不思議と憎む気にはなれなかった。さっきリボンを返してくれたからかもしれないし、街で会話したせいかもしれない。

 さっき玉座の間で投げられたのも、仕方のないことだったと理解している。もしも実際に飛びかかっていたら、兵士たちかホメロス本人に斬られていたかもしれない。それを防ぐのも含めて、グレイグはああしたのだろう。

 グレイグが、眼を開いた。

「三日もすれば、おまえの言うことが真実かどうかわかるだろう」

「え?」

「三日もすれば、探索に出たホメロスが戻ってくる。おまえの命は、それまでと思うがいい」

「っ」

 淡々と言われ、思わず顔をゆがめた。

 どうすればいい。頼れるものは、なにもない。

「この牢獄の壁は、魔法では破壊できない。魔法に対しての強化処理を(ほどこ)しているのでな。物理的な力なら不可能ではないが、それは人の力で(かな)うものではない。おまえにそこまでの力はないだろう。そしてこの鉄格子は、魔法の効果が失われるように作られている。牢屋内で使うのは可能だが、牢屋の内から外への魔法は、なんであろうとかき消されることになる。鉄格子の隙間から手を出して放とうとしても、同じだ」

 ぎりっと、歯を喰いしばった。

 少しずつ強くなる。それでいいと思っていたし、力を()りどころにする気もなかった。

 しかしいまは、力が欲しくてしょうがなかった。無力であることが、これほどまでにつらいことだと、思っていなかった。

「後悔しているか?」

 グレイグの言葉に拳を震わせ、頷いた。震わせた拳に視線を落とす。

「もっと、僕に力があれば」

「違う」

「え?」

 顔を上げ、グレイグの顔を見た。グレイグが、レヴンの眼を見つめてきた。

「あの少女たちを助けたことをだ」

 なにを言っているのかわからず、思わず首を傾げた。

「あの少女たちを助けたことで、おまえはこうして捕らえられることになった。おまえが助けなくても、あの猫は誰かに助けて貰えたかもしれない。そう思ったりはしないのか?」

「あのことで僕に後悔があるとすれば、もっと早くにあの場所へ行って、猫を助けるための行動を迅速にしていれば、捕まらずに済んだかもしれない。そんなところです」

「助けたことを、後悔はしていない、と?」

「はい。確かにグレイグ将軍の言う通り、僕が助けなくても、誰かが助けたかもしれません。だけど、あそこで見捨てたら僕はきっと、見捨てたことをずっと後悔しながら生きていくことになったと思います。その方が、僕は嫌です」

 真っ直ぐに見つめ返し、グレイグに言った。グレイグも、真っ直ぐに見つめたままだった。

 グレイグが、ため息をついた。

「ほんとうに、なぜおまえが、悪魔の子なのだろうな」

 残念そうにグレイグが言った。後悔の念は感じないが、ただただ残念そうだった。

「グレイグ将軍」

「聞いておくことがある。イシの村の者たちは、ほんとうになにも知らないのだな?」

 グレイグの言葉にハッとすると、ゆっくりと頷いた。

「はい。それに、『勇者』の噂も村までは届きませんでした。そのために、おとぎ話にあるような、勇者とは、大いなる闇を打ち払う者という認識です」

「『勇者』を(かくま)っていたわけではない、ということだな?」

「はい。祖父が、テオという老人が、川を流れて来た赤ん坊である僕を拾い、ペルラという女性が義理の母となって、村で育ててくれた。それだけです」

 テオたちを他人のように言うのは嫌だったが、言わなければならないことだった。

「村の人たちに罪はありません。ラムダの方も、半年ほど滞在しただけで、なにも関係ありません」

「わかった。確認はしなければならないが、不必要に村人たちを傷つけるような真似はしないと約束しよう。だが、半年いただけのラムダはともかく、イシの村は焼き払わなければならん」

「なっ」

「それは、無理矢理にでも納得して貰いたい。ユグノアの悲劇のために、悪魔の子を憎んでいる者は方々(ほうぼう)にいる。なにかしら、村人たちも被害者なのだと、やりすぎではないのかと思わせるぐらいのことでもしなければ、八つ当たり(まが)いに村へ押しかけてくる者も現れかねん」

「村の人たちは、どうなるんですか?」

「捕らえられ、ほとぼりが冷めるまで、この城の牢に囚われることとなるだろう。理由は、いま言ったのと同じことだ」

 グレイグなりの精一杯の譲歩であり配慮なのだと、理解はしている。それでも、いままで一緒に過ごしてきた人たちが囚われ、故郷が焼き払われるというのは、耐え(がた)いことだった。

「もうひとつ、聞いておきたいことがある」

「っ、なんでしょうか」

 動揺をなんとか鎮め、聞き返した。

「おまえと約束した、ラムダの姉妹の名は?」

「なぜ、そんなことを?」

「おまえが約束を果たせなくなったことを、伝えなければならないだろう?」

「っ!」

 はじめて、グレイグに対する怒りが湧き上がった。鋭く睨みつけると、グレイグがどこか満足そうにニヤリと笑った。

「それで?」

「結構です。約束を破る気は、毛頭(もうとう)ありませんので」

「そうか」

 グレイグはあっさり引き下がると、牢から離れ、歩き出した。話は終わりということなのだろう。

 最後の約束のことについてはともかく、ほかの件については、複雑な気持ちではあるが感謝の言葉を言おうかと思ったが、やめた。彼の背中は、それを拒んでいるように見えた。

 さっきの、約束に対する言葉は、レヴンに対する挑発だったのかもしれない。冷静になってみると、発破をかけられたような感じだった。

 本気で立ちむかってこい。そう言われた気がした。

「ベホイミ」

 ホイミより強力な回復効果を持つ呪文を唱え、躰を(いや)す。痛みが徐々に引いていく。

 グレイグが言った通り、魔法自体は使えるようだった。そのことに、ちょっとだけほっとした。

 少しして、痛みは消え去った。ふうっ、と息をついた。

「おい」

「っ!?」

 突然声をかけられ、レヴンは驚きに躰を震わせた。声をかけられた方に顔をむける。

 向かいの牢に、人がいた。壁に背中を預けるような恰好で座っている。フードを被っていて、顔はよく見えなかったが、声と体格からして、男だろうと思った。

 牢の扉は閉まっており、彼がずっとそこにいたことを示していた。

 人の気配は、感じられなかった。いまも、そこにいるとはっきり見えているのに、気配はかなり薄く、眼を離したら消えてしまうのではないかと思えるぐらいだった。

 男が、首を傾げたように見えた。

「どうした?」

「いえ、まさか人がいるとは思わなかったもので」

 そう言うと、男はキョトンとしたあと、ああ、と納得したように頷いた。

「ここにぶちこまれるまでは盗賊をやってたもんでな。なんとなく気配を消しちまうんだよ。驚かせて悪かったな」

「はあ」

「まあ、それはともかくだ。ちょっと訊きたいんだが、あんたが勇者だってのは、ほんとうか?」

「はい」

 一瞬、答えるかどうか迷ったが、はっきりと頷いた。

 どこか、他人(ひと)事のように思っていた。その意識が、この事態を招いた一因だった。

 自分が勇者なのだと、受け入れなければならない。強くそう思った。

 それに、話を聞かれていた以上、ここで誤魔化すことに意味がない。どんな反応をされようと、ここははっきりと答えるべきだ、と思った。

「マジかよ。まさか、勇者さまが同じ牢だと。あの予言はほんとうだったってわけかよ」

 男が、誰にともなく言った。信じられないと言わんばかりの言い方だったが、同時にどこか嬉しそうにも思えた。

「あの?」

「っと、悪いな。詳しい話をしたいところではあるが、ここじゃ落ち着いて話もできねえ。ちょっと協力してくれないか?」

「協力?」

「そろそろ飯の時間でな。兵士がオレの牢に飯を置くあたりで、兵士の注意を引いてくれないか?」

「わかりました。派手な音を立てても?」

 いまの自分には頼るものがない。ここからどうやって脱出するかの当てもない。いや、ひとつ考えている手段はあるが、できることならやりたくないことだった。成功するかどうかの確証もないし、なによりも、無用な犠牲を出しかねない手だった。

 目の前の男が何者かはわからないが、不思議と悪人とは思えなかった。ならば、信じるだけだ。そう思い定めた。

 男が、レヴンをじっと見つめた気がした。

「なにか?」

「いや、ずいぶんとあっさり言うんだな、と思ってな。なにをする気か、とか聞かないのか?」

「脱獄でしょう?」

 そう言うと、男がポカンとした。

 少しして男が、クックック、と低く笑った。

「どうしました?」

「いや、なんだな。さっきのグレイグとの会話を聞いてた時にも思ったけどよ、面白い奴だな、と思ってな。なあ、もっと砕けた(しゃべ)り方にしてくれないか。オレ、おまえで呼び合いたい」

「わかりました。いや、わかった。僕は、レヴン」

「カミュだ。っと、来たな。音は、多少派手でも構わない。頼むぜ、レヴン」

 男、カミュに少し遅れて、人の気配に気づいた。階段を下り、こちらにむかって来る。数は、ひとり。足音が聞こえてきた。

 鉄格子から、覗くようにして、気配が近づいて来る方を見る。思った通り、兵士がひとり。食べ物が入れられているのだろう、食器を持っていた。カミュは、壁に背中を預けたままだった。

 兵士は、レヴンにチラッと視線をむけたが、牢の中ではなにもできないと踏んでいるのか、すぐに視線をはずし、カミュの牢にむき直った。

「お待ちかねの食事の時間だ。俺が離れるまで、近づくなよ?」

 牢の前に立ち、兵士が言った。カミュの動きを警戒しているようだった。

 鉄格子の下の、食事を牢の内側に入れるための隙間に兵士が食器を入れようとしたところでレヴンは、兵士を見ながら自分の牢の壁に(てのひら)をむけた。

「メラ」

「っ!?」

 口の中で呟き、火球を放つ。火球が壁に当たり、大きな音が響いた。壁に当ててもかき消されるようだったら、鉄格子を蹴りつけるつもりでいたのだが、いい意味で当てがはずれてくれたようだった。

 兵士がびくっと躰を震わせ、思わずといった調子でレヴンの方にふりむいた。

「っ?」

 気がつくと、兵士のうしろにカミュがいた。いつ立って、いつ移動したのか、レヴンにもわからなかった。いや、見えてはいたのだが、なぜか反応ができなかった、という感じだった。

 カミュが、兵士の首を絞めるようにして手を添えた。兵士は呻き声を洩らすと、躰の力が抜けたようにグッタリとした。カミュは兵士の躰を支えると、手早く兵士の躰をまさぐり、鍵束を手に取った。

 レヴンの視線に気づいたのか、カミュが軽く手を振った。

「殺しはしてない。気絶させただけさ。人の物は()っても命までは()らねえってのが、一応ポリシーなんでな。まあ、盗みを働いてる時点で、そんな威張れたもんじゃないがな」

「そう。よかった」

 カミュの答えにほっとした。兵士が死んでいないこともそうだが、カミュが、人殺しや盗みを、よくないことと認識していることに、安心していた。

 カミュは扉の鍵を開けると、兵士を自分の牢の中に引き()りこんだ。兵士が腰に()いていた剣をはずし、レヴンの方に歩いて来る。カミュの身長は、レヴンよりもやや低いようだった。

 カミュは一度、牢の扉のあたりで立ち止まり、警戒するように通路を覗きこむと、再びレヴンの方に歩き出した。レヴンの牢の前に立ったカミュが、鍵束から一本、鍵を取り出し、鍵穴に差しこんだ。レヴンの牢の扉が、開いた。

「ありがとう」

「おいおい。礼を言うのはまだ早いんじゃないか。オレがもし、おまえを殺すつもりだったら、どうするんだ?」

「その時は抵抗させてもらうよ。まだ死ぬわけにはいかないからね」

「さっき言ってた、約束のため、か?」

「うん」 

 フードの下からこちらにむけられた眼を、真っ直ぐに見返しながら答えた。

 じっとレヴンを見つめていたカミュが、苦笑した。

「来な」

 カミュが、レヴンの牢を出た。レヴンも素直に着いていく。カミュは、自分がいた牢に戻ると、粗末な寝床の横に立ち、それを見下ろした。レヴンもカミュの横に立ち、寝床を見下ろした。この寝床に、なにかあるということだろうか。

 階段の方から、また気配を感じた。兵士の帰りが遅いと思ったのか、それともさっきのメラの音のせいか、はたまたほかの理由かはわからないが、少なくとも脱獄したとは考えていないのだろう。気配はひとつだけのうえ、足音が無警戒だった。

「カミュ」

「もうひとり来たか。ちょっと待ってな」

 そう言うとカミュは、剣を持ったまま疾風(はやて)のように()け出した。レヴンは、思わず眼を見張った。

 レヴン以上かと思わせる速さもさることながら、足音がまったく聞こえない。駆けているはずなのに、異様に気配も薄い。

 牢からちょっとだけ顔を出す。カミュが、階段に(つな)がる通路の角から現れた兵士に、当て身を食らわせるところが見えた。呻き声がかすかに聞こえ、兵士がグッタリした。

 カミュが兵士を引き摺り、階段の横にある、ここから見て通路の奥の部屋に入っていった。

 少ししてカミュが、剣を二本と、なにかを持って部屋を出てきた。こちらに駆けて来る。やはり、速い。足音も聞こえない。気配も薄い。

 駆け寄って来たカミュが、持っていた物、袋を差し出した。見覚えがある袋だった。

「これ、おまえのだろ?」

 頷いた。レヴンの使っていた、貴重品を入れる袋だった。

 礼を言って受け取り、中を確認する。財布などはちゃんとあったし、ヒスイの首飾りが一緒に入っているのも見つけた。ヒスイの首飾りがあることに、不思議とほっとしている自分がいた。

「あの部屋に囚人の荷物を保管していたみたいでな。オレも、愛用してた短剣を見つけた」

 その言葉に、カミュの姿を改めて見てみると、さっきまではなかった短剣が、彼の腰にあった。

「おまえの、旅の荷物らしき物もあったんだが、そっちを持って逃げるのは、さすがに難しい」

「大切な物は、ここにあるから大丈夫。ありがとう。それにしても、よくそんなふうに気配を消せるね。足音も全然聞こえないし」

「ん、ああ。ちっとばかり、警備が厳重なところに入る理由があったんでな。そのために必死で身に着けたんだよ」

「厳重なところに?」

「まあ、なんだ。オレも、約束みたいなものがあってな」

 フードを被っているうえに顔を背けられ、表情は見えなかったが、どこかつらそうな雰囲気があった。

「それで、あちこちを巡って、一年前ようやくその目的の物を盗み出すことはできたんだが、とんでもねえやつが出張(でば)ってきてな。捕まっちまったってわけだ」

「とんでもないやつ?」

「さっきまでおまえと話してたやつさ」

 ああ、と納得した。

「グレイグ将軍か」

「ああ。気配を消すのには自信があったんだがな、正確に察知してきやがって、あえなく御用になっちまった。武勇のグレイグって呼ばれてんのは、伊達(だて)じゃねえってところだな」

「ほんとうに、とんでもないね」

 仮に、カミュを捕まえなければならない立場に立ったとして、実際に捕まえられるかというと、できる気がしない。それほどまでに、カミュの気配の消し方は堂に()ったものだった。

 それをやってのけるグレイグの技量は、いったいどれほどの高みにあるというのだろうか。

 彼はおそらく、これからもレヴンの前に立ち塞がることになるだろう。

 あの人に、勝ちたい。あの人を超えたい。(おじ)()づくよりも先に、不思議とそんな思いが胸に燃え上がっていた。

 闘志。そう呼ぶべきものなのかもしれない、と思った。

「とにかく、いまはここを脱出しないとな。ちょっと手伝ってくれ」

「うん」

 寝床の横に行き、カミュとともにそれをどかした。カミュが、寝床があった場所に(かが)みこみ、床の石畳の石に手をかけた。そのまま石を持ち上げる。

 床に、穴が()いていた。人がひとり通れるぐらいの穴だった。

「これは」

「脱獄のために、ちょっとずつ空けていった穴さ」

「よく空けたね、こんな大きな穴」

「ああ。兵士の眼を盗んで、少しずつ」

 そこでカミュが、なにかに気づいたように言葉を止めた。

「カミュ?」

「いや、なんでもねえ。そんで、今日脱獄するつもりだったんだ。そんな日におまえが来たのは、運命とかそういうもんなのかもしれねえな」

「さっきも、予言がどうとか言ってたね」

「ああ。その辺のことは折を見て話す。とりあえず、これ使いな」

 二本持っていた『兵士の剣』の内、一本を渡された。礼を言って受け取り、一度剣を抜いた。

 複雑な気持ちではあるが、愛用していた『イシのつるぎ』よりも出来はいいようだった。そこまで見てとると、剣を鞘に納めた。

「よし。行こうぜ」

「うん。あ、ちょっと待って。確認しておきたいことがあるんだ」

「ん?」

「メラ」

 鉄格子にむかって火球を放つ。鉄格子に当たるあたりで、火球が消滅した。

 今度は鉄格子に近づき、鉄格子から手を出すようにしてメラを唱える。火球が生まれることもなく、魔法がかき消された感じがあった。

 ()(げん)そうなカミュに近づくと、牢の中に倒れている兵士にむかって、指を突き出した。

「お、おいっ」

「ラリホー」

 牢の中に倒れている兵士にむかって、眠りの呪文をかける。兵士の眠りが、さっきよりも深くなった感じがあった。

「なるほど。言っていた通りか」

「おいおい、ちょっと焦ったぜ。気絶している兵士にまでメラ使うのかって」

「あ、ごめん。でも、無力化した人に攻撃したりはしないよ。それだけは誓う」

「そうか。いやオレも疑って悪かったな。なんでそんなことしたかは、あとで聞く」

「うん。じゃあ、行こう」

「おう。おまえから先に行きな。一応、うしろを警戒しとく」

「うん」

 答え、穴に入った。真っ暗だ。

 どこに辿り着くのだろうか。

 どこかに辿り着けるのだろうか。

 『勇者』として、僕はどこへむかえばいいのだろうか。

 リボンを仕舞いこんだ胸もとに手を当て、頭に浮かんだそんな言葉を、レヴンは振り払った。

 

***

 

 見事な馬だ。

 宿の(うまや)に繋がれている、立派な黒馬を見て、グレイグは素直にそう思った。馬の額には、白い模様があった。なんとなく、(いかづち)を思い出す模様だった。

 あたりは、すでに暗くなっていた。周囲に備え付けられた燭台に灯された火のゆらめきと、窓から差す月の光を受けた馬の姿は、悪魔の操る魔獣のようにも、神話に現れる聖獣のようにも思えた。

 愛馬リタリフォンに勝るとも劣らない、まさに名馬と呼んで差し支えないだろう。ひと目見ただけでそう思えるほどの馬だった。

 レヴンの馬らしいが、馬とは思えないほどの気を感じさせた。兵士たちが城に()いていこうとしたらしいが、そのすさまじい気配に皆、近づくに近づけないという有様だった。

 じっと馬を見つめる。馬も、グレイグを見つめていた。

 殺気のようなものはない。ただ、鋭い気配だった。怒っているのだろう。

 つくづく惜しいな、と思った。レヴンという男は、馬も友にしている。そう思わせる気配が、目の前の馬から感じられた。

 友を捕らえられたのだ。怒って当然というものだった。

「む?」

 こちらに駆けてくる気配があった。訓練された者の気配ではない。

 やがて、ひとりの男がグレイグに駆け寄って来た。兵士たちが止めようとしているが、手を挙げてそれを止めた。

「グレイグ将軍っ!」

「おまえは」

 強面(こわもて)の男だった。見覚えがある。レヴンを捕まえた現場にいた男だ。

 男は呼吸を整えると、キッとグレイグを見上げた。男は、なかなかいい体格をしているが、グレイグには及ばなかった。

「グレイグ将軍っ。あのあんちゃんは、どうなったんですか!?」

「落ち着け」

 男を促し、厩から出た。空に雲はなく、月の光だけでも、歩くのはそこまで苦ではないぐらいだった。

 人の気配がないところまで移動し、男にむき直った。

「あんちゃんというのは、悪魔の子のことか?」

「悪魔の子とか言わねえでくだせえっ。あのあんちゃんは、猫と嬢ちゃんを助けてくれたんでさぁ!」

 悲痛な声だった。普通だったら()(しゅく)してもおかしくないだろうグレイグに対して、男は(おび)えることなく言っていた。顔は(いか)ついが、善良な男なのだろう。そんなふうに思った。

 もう一度、落ち着け、と手を挙げると、男はハッとした様子で周囲を見渡した。

 男は大きく息をつくと、再びグレイグを真っ直ぐに見つめた。

「あのあんちゃんは、どうなるんですか、グレイグ将軍?」

 本来なら、部外者に話すことではない。だが目の前の男は、聞き出すまでは一歩も引く気はないという空気を漂わせていた。

 男は、荒っぽそうでいて、理性的な部分が見える。ならば、話しておいた方が落ち着いてくれるだろう。放っておくと、レヴンに助けられたということを周りに言い出し、人心を惑わせたとして、兵士たちに捕らえられることになりかねない。それは、レヴンも望むことではないだろう。

「あの男が住んでいた故郷に、ホメロスがむかっている。そこで事実確認し、『勇者』ということがはっきりと判明したなら、処刑となるだろう。村も、焼き払われることになる」

「そんな。なんとかならねえんですかっ?」

「あの青年は、十六年前にユグノアの悲劇をもたらした『悪魔の子』だ。生かしておくと、またなにか災いを呼ぶかもしれんのだぞ?」

「なにかの勘違いかもしれないじゃねえですか!」

「勘違いでなかったらどうする。確かに彼自身は、悪魔の子などと呼ばれるような男ではない。だが、例えば彼の中になにか危険な力が眠っていて、そのために大きな災いがもたらされるとしたら?」

「そんな力があったとしても、あのあんちゃんがそんなことするわけ」

「彼の人格がどうこうではなく、力そのものがそれを呼びこむかもしれんぞ」

「っ」

 男が、苦虫を噛み潰したように顔を歪め、肩を落とした。

「あのあんちゃん。多分、グレイグ将軍たちに追われることに気づいていたと思うんですよ。それなのに、猫を、嬢ちゃんを助けてくれたんです。誰かを助けたのに、本人はそんな目に()うなんて、あんまりじゃねえですか。どっちが悪魔なんですかっ」

 力なく、男が訴えてきた。

 この男の言うことは、きっと正しい。

 誰かを助けたことを後悔などしないと、レヴンは言い切ったのだ。真っ直ぐな瞳だった。一片の曇りもない、心からそう言っていると信じられる、そんな眼をしていた。

 そんな男を、ほんとうに殺していいのか。そんな思いは、確かにあった。

 十六年前の『ユグノアの悲劇』から、デルカダール王はどこか変わった。そんなふうに思う自分も確かにいる。言動であったり、(まつりごと)であったり、どこかそれまでと違う部分が、確かにあった。

 だがグレイグは、この国、いやデルカダール王に(つか)える騎士であり、軍人なのだ。デルカダール王に対する恩義は、返しきれないほど大きなものだ。

 グレイグの故郷は、北東に位置するバンデルフォン大陸にかつて存在していた、『バンデルフォン王国』。いまは、すでに滅びている。いまから三十年ほど前、ユグノアと同じように、魔物の侵攻を受けて滅んだのだ。

 当時幼かったグレイグには闘う力などなく、たったひとり、命からがら逃げ出すのが精一杯だった。家族も皆、殺されている。

 それを拾ってくれたのが、デルカダール王だった。それだけでなく、まるでほんとうの子供のように接してくれた。

 その恩義に(むく)いるために、魔物から人々を守るために、グレイグは騎士を目指した。強くなることを決めた。魔物によって不幸にされる人々を、少しでも減らす。それが、グレイグの闘う理由だった。

 それもあって、魔物を呼んだという悪魔の子を、深く憎悪したこともあった。

 ユグノアの悲劇によって、多くの命が失われ、敬愛するデルカダール王のひとり娘、デルカダール王女であるマルティナもその後、行方(ゆくえ)がわからなくなった。デルカダール王がどこか変わってしまったのもわかるし、悪魔の子を憎むにも充分な理由だ。それはグレイグも同じだった。もしも悪魔の子が目の前に現れたなら、必ず(たお)す。そう思い定めていた。

 しかし、悪魔の子とされていたはずの勇者、レヴンは、とてもそうとは思えない青年だった。

 口先だけの男ではない。彼の口から出る言葉は、彼の本心から言っている言葉だと信じられるぐらい、(まこと)の男だった。

 デルカダール王の言葉を、はじめて疑った気がした。ほんとうに、彼は悪魔の子なのかと。ほんとうに、彼が災いをもたらすのかと。

 ほんとうに、彼を殺すことで、世界が平和になるのかと、グレイグははじめてデルカダール王を疑った。

 それでも、グレイグはデルカダール王に仕える騎士。主君を裏切ることなど考えられない。

 デルカダールの騎士であり、軍人であること。男であること。それが、グレイグの()り方だ。いまさら変えられようもないことだった。

 レヴンと約束した、イシの村とラムダに対する事柄(ことがら)は、それに反したことではなく、それに(のっと)ったものだった。

 力とは、強さとは、騎士とは、軍人とは、力なき人々を守る盾となるためのものだと、グレイグは思っている。

 騎士として、力なき人々を傷つけることはできない。だから、村人たちを助ける。

 軍人として従わなければならないことはあるだろうが、イシの村の者たちを殺さなければならない理由はない。ならば軍人として、『勇者』を育てた村人たちを捕らえ、牢に入れる。それによって、村人たちに対する、外部からの糾弾を少しでも抑える。

 そして、誰かを助けるために己の身を(かえり)みない、騎士とさえ呼べる気高さを持ったレヴンという男に対する、ひとりの男としての敬意。

「『勇者』は」

「え?」

「『勇者』は十六年前から、『悪魔の子』と言われるようになった。だが、その前までなんと言われていたか、わかるか?」

 男が、首を傾げた。不可解そうにしながらも、考えこむ仕草を見せた。

「え、えーと。昔、聞いたことはある気がするんですけど、忘れちまいました」

「あの青年の故郷の村には、『勇者』の噂が伝わっていなかったそうだ。だから、彼の村では、ずっとそのまま伝えられていたらしい」

 言葉を切り、一度、眼を閉じた。息をつく。

 少しして、グレイグは眼を開いた。

「『勇者』とは、大いなる闇を打ち払う者だと」

「闇を、打ち払う?」

「いま世界に広がっている噂とは、まるで反対だな。どちらが正しいのか俺にはわからん。だが、もしも、彼の故郷に伝わり続けていた話が正しく、あの青年になにか使命というものがあるとしたら」

 馬の(いなな)きが聞こえ、グレイグは言葉を止めた。男もあたりを見回している。

 どこかから、騒がしい声が聞こえてきた。さっきグレイグがいた宿からのようだった。男を置いて駆け戻る。

 宿、厩の方から、けたたましい音が響いていた。中に入る。

 レヴンの馬が、暴れていた。兵士たちが逃げ惑っている。

「グ、グレイグ将軍っ。う、馬が突然暴れ出して!」

 ひとりの兵士の言葉に、はっと頭に浮かぶものがあった。

「外に出してやれ」

「え、で、ですが」

「いいから出してやれっ!!」

『は、はいっ!!』

 一喝すると、兵士全員が飛び上がった。

 馬が、いつの間にか暴れるのをやめ、グレイグを見ていた。怯えたわけではないのだろう。じっと静かに見つめていた。

 馬が、素直に厩から曳き出された。馬から発せられていた、周りを威圧していた気は収まっていたが、兵士たちは恐る恐るといった(てい)だった。

 外には、騒ぎを聞きつけたのか、人々が遠巻きに見ていた。

 外に出されると馬は、城門の方に歩き出した。市民たちが、警戒したように、馬の進む道を開けた。馬は見向きもせず、ただ城門に歩いて行く。

 兵士のひとりに、なにも手出しせず、門を開けてやるように言った。

「い、いいのですか、グレイグ将軍?」

「馬一頭程度、逃がしてやれ。それとも、このまま街中で暴れさせたいか?」

『いいえ!!』

 グレイグの言葉に、兵士たちが震えあがった。兵士たちの様子にほとんどの市民が、それほどまでに恐ろしい馬なのかと、馬に怯えた視線を送った。

 城門が開けられ、馬が静かに外に出て行く。外に出たところで、馬が顔をこちらにむけた。グレイグを見ているようだった。

 馬が、耳をちょっとだけ動かしたような気がした。

 礼を言われた。不思議とそんな気分になった。

 馬が改めて外にむき直り、駆け出した。

 速い。いや、(はや)い。雷のごとき迅さと、刃のごとき鋭さ。なぜか、そんなことが頭に浮かんだ。

 あっという間に、馬の姿は見えなくなった。

「グレイグ将軍!!」

 ひとりの兵士が、駆けて来た。慌てた様子だった。息を切らしている。城の方から来たようだった。

 その慌てように兵士たちが、周囲の人々に聞こえないようグレイグを中心に円を作り、人々を散らしていく。

 近づいて来た兵士が、グレイグに耳打ちするような体勢となった。

「悪魔の子が、脱獄しました」

 その言葉に、眼を見開いた。まさか、捕らえたその日に脱獄されるとは。

 そう驚くとともに、なぜか愉快な気分になった。表に出ないよう押し留めはしたが、不思議と愉快な気分は消えなかった。

「わかった。俺は一度、城に戻る。街中の警備を厳重にするとともに、市民は家に戻るように促し、()(やみ)に外に出ないように言い渡せ。『悪魔の子』のことは言っても構わんが、あまり不安にさせるようなことは言うな」

「はっ!」

 そばにいた、街中の警備隊長に言うと、彼は敬礼した。頷き、城に戻るために歩き出す。

 兵士たちが、犯罪者が脱獄したことと、安全のために一時帰宅するよう市民に通達すると、人々は慌ただしく姿を消していった。

「グレイグ将軍」

 かけられた声に足を止め、顔をそちらにむけた。強面の男だった。不安そうでいて、どこか期待らしきものを含んだような表情に見えた。

 兵士のひとりが彼を引き離そうとしたが、グレイグはそれを止め、兵士たちを離した。

「どうした。兵士たちの通達は聞いただろう。やつが、脱獄した」

 あの青年のことだ、と言外に言うと、男が頷いた。

「へい。ただ、ひとつだけお聞きしたいことがあって」

「なんだ?」

「さっき、なんて言おうとしたんですかい?」

 その言葉に、ふっと苦笑した。

 言おうとしたことが、実際に起きた。苦笑するしかなかった。

「あの青年になにか使命というものがあるとしたら、こんなところでどうにかなったりはしないだろう。そう言おうとしたのだ」

 男が、眼を見張った。

 あの青年に肩入れするようなことは(ふい)(ちょう)しないようにと言い含め、再び歩き出した。男はもう、止めてこなかった。

 階段を上がり、昼間、レヴンと会話をした広場に入った。一度そこで足を止め、城門の方にふりむいた。城門は閉まっており、そこから外は見えない。だが、城門の上から外は見える。

 あの馬はきっとレヴンの、友のもとにむかったのだろう。あるいは、友と再会できる場所か。

「塩を送るのはここまでだぞ、レヴン」

 口の中でそう呟くと、グレイグは城にむかった。

 




 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

主人公の相棒、カミュ。いろいろ頼れる人。記憶喪失時の言動がいろいろヤバすぎる人。最終的に『バイキルト分身』からの特技で変な笑いが出てくるダメージを叩き出す人。なに、あのダメージ。
多分パーティーメンバーで一番真面目な人。
「グロッタの町の南に行ってみないか?」


カミュとの身長差は、公式のイラストからのもの。「シルビアさん、めっちゃでかくね?」ってなる。

牢屋と鉄格子の魔法関連はオリ設定というか独自解釈。こんな作りじゃないと、囚人ごとにマホトーンかけるとか、喉をどうこうしなきゃならない気がするので。
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。