異聞 ドラゴンクエストⅪ ~遥かなる旅路~   作:シュイダー

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Level:6 導きの光

 闇の中を歩いていた。一歩先ですらなにも見えず、道があるのかもわからない。

 ほんとうに自分は、歩いているのだろうか。歩いているつもりのだけで、ほんとうは一歩も進んでいないのではないか。そんなことを考えてしまうぐらいの、深い闇だった。

 立ち止まり、ふり返ってみた。光が見えた。

 光は見えたが、そちらに戻ろうという気にはならなかった。いや、戻ってはならないと、心のどこかで思う自分がいた。

 再び前をむき、歩き出した。前をむいた途端、うしろに光があったのは錯覚だったのだとでも言うように、また闇に包まれた。

 いつから闇の中にいたのだろうか。

 自分は、どこに行こうとしているのだろう。

 どこにむかえばいいのだろう。

 ほんとうに、このまま進み続けていいのか。

 進む道は、ほんとうに間違っていないのか。

 迷いが、恐怖が、たえず胸にあった。それでも、進むしかないのだと、自分に言い聞かせながら、歩き続けるしかなかった。

 いまからでも、光があったところに戻ったらどうだ。そんな(ささや)きが聞こえてくる。

 それだけは、できない。そう思った。

「っ?」

 突然、光が生まれた。足を止め、見下ろす。光は、胸もとから生まれていた。

 手を胸もとに当てると、不思議な温かさを感じた。

 服の胸もとを開く。中に大事に仕舞っていたリボンが、光を放っていた。そっと、リボンを取り出した。

 ひと筋の光が、リボンから前にむかって伸びた。

 顔を上げると、ずっと遠くに小さな光が見えた。小さな光と、リボンから伸びた光は、繋がっているようだった。進む先を示してくれている。導いてくれている。自然とそう思った。光にむかって歩き出す。

 光は、だんだん大きくなっているようにも、小さなままにも見えた。辿り着けるかわからない。それでも、足を止めるつもりはなかった。光にむかって進み続ける。

 不意に、光に包まれた。眩しさに眼を瞑る。

 ゆっくりと目を開けると、緑に包まれていた。彼女たちと一緒によく遊んだあの里の森を思い出し、ハッとした。思い出すどころではない。あの森の風景だった。遠くに、彼女と約束を交わした、あの大木が見えた。

 歩き出したところで、違和感を覚えた。視界が低く、歩幅が狭いような気がした。

 見下ろすと、躰が小さくなっていた。幼いころの、それこそ、あの里で過ごしていたころの躰つきに思えた。身に纏っているのは、祖父のお下がりでもある旅装束で、なぜか子供の姿の自分にもピッタリ合っていた。

 なぜ、こんな姿に、と思いながらも、リボンを胸もとに仕舞い、足を進めた。呼ばれている。不思議とそんな感覚があった。

 大木の下に入るあたりで一度立ち止まり、大木を見上げた。やはり、あの大木だ、と思った。懐かしさが、胸に去来していた。

 誰かの気配を感じ、幹の方に顔をむけた。幹のむこうに、ひとりの少女の姿が見えた。

 赤を基調とした服に身を包んだ、赤い帽子を被った少女だった。不思議そうにあたりを見渡している。

 ドクンと、ひと際高く鼓動が鳴った。弾かれたように、彼女にむかって駆け出していた。子供の躰ゆえにそこまで速く駆けられないことが、酷くもどかしかった。

 少女がふり返った。顔がはっきりと見えた。約束を交わした、探し求めていた少女だった。

 こちらに気づいたのか、少女が眼を見張った。彼女もまた、弾かれたように駆け寄って来た。

 近づいたところで、お互いにゆっくりとした歩みになり、手を伸ばせば届くぐらいの距離で、どちらともなく立ち止まった。

 少女が、まじまじとこちらを見つめたあと、(ほが)らかな笑顔を浮かべた。笑顔を返した。

 話したいことがたくさんあったはずなのに、言葉が出てこなかった。彼女の方もそうなのか、困ったように頬を掻いて苦笑していた。

 少女が手を伸ばし、頭を撫でてきた。気恥ずかしいものを覚えながらも、懐かしい感覚に心地良さを感じていた。思わず眼を細めた。

 突然、彼女に突き飛ばされた。そのまま尻餅をつくようにして地面に転び、痛みにちょっとだけ眼を瞑った。

 どうして、と彼女の方を見る。一瞬遅れて、彼女の姿にハッと眼を見開いた。

 彼女が、闇に拘束されていた。生き物のように(うごめ)く闇に、少女の躰が少しずつ取りこまれ、周りの緑、光までもがその闇にどんどん侵食されていた。

 彼女に(かば)われたのだと、わかった。

 慌てて近づこうとするも、まったく身動きがとれなかった。いや、闇を恐れるように、躰が動いてくれなかった。精神まで子供に戻ってしまったのか、言いようのない恐怖が心と躰を支配していた。

 いまの躰でなにができるというのだ。助けようとしたところで、自分まで闇に取りこまれるだけだ。逃げろ。そんな声が、どこからか聞こえてきた。

 ふざけるな。彼女を見捨てることなんて、できるわけがないだろう。そう思っても、躰が動いてくれなかった。少しずつ闇に取りこまれていく彼女を見ていることしか、できなかった。

 苦悶の表情を浮かべ、もがいていた彼女が、こちらを見てハッとしたあと、笑顔を浮かべた。

 心配いらないわ。大丈夫。あなたはあたしが守るから。だから、逃げて。そんな、安心させるための笑顔だった。苦しそうでありながらも、力強い、綺麗な笑顔だった。

 全身が、かっと熱くなった。守りたいと思った彼女に、守ると決めた彼女に、ただ守られている。それが、なによりも情けないことに思えた。

 守られるだけでいいのか。なんのために強くなろうとしたのだ。誓ったのではないのか。

 彼女を守ると、ずっと一緒に旅をすると、約束したのではないのか。

 心を燃やせ。闇に、恐怖などに負けるな。()退()けろ。

 立ちあがれ。己の無力に屈するな。奇跡が必要だというのなら、引き起こせ。

 大切な(ひと)ひとり守れないで、なにが男か。

 闇を、打ち払え。

 彼女の名を叫ぶようにして吼え、駆け出した。それに呼応するように、左手から光が(ほとばし)った。その光に、闇が少しずつ消えていく。しかし闇は完全には消えず、しぶとく彼女にまとわりついていた。

 間近に迫ったところで、跳躍して左腕を振りかぶった。そのまま闇にむかって拳を叩きこむ。弾き飛ばされるように、闇が彼女から引き剥がされた。

 引き剥がされながらも、闇は宙で往生際悪く蠢いていた。左手が再び輝く。光を受けた闇は、それでもしばらくの間もがいていたが、やがて消え去った。

 再び、あたりに光が満ちた。

 彼女に近づき、顔を覗きこむと、彼女は怒った表情を浮かべた。

 危険な真似をしたことに対して怒っている。雰囲気でそれがわかった。ごめんなさい、と謝った。

 彼女はハッとしたあと、ちょっとだけバツが悪そうな表情を浮かべて大きく息をつき、ぎゅっと抱き締めてきた。そのぬくもりに、安らぎを覚えた。

 彼女がそっと身を離し、はにかんだ。

 あたしの方こそ、怒ってごめん。助けてくれて、ありがと。

 その言葉に、首を横に振り、笑顔を返した。

 彼女はちょっと考えこむ仕草を見せたあと、頬を赤く染め、意を決した様子で顔を近づけてきた。眼を(しばたた)かせた。

 やわらかなものが、頬に触れた。彼女が顔を離した。

 茫然と、彼女の顔を見た。感謝の気持ちよ、と彼女が照れくさそうな笑顔を浮かべた。その笑顔に、思わず見惚れていた。

 不意に、眼が(くら)むような強い光が、再び左手から迸った。反射的に眼を瞑った。

 (つか)()を置いて、光が収まったことがわかった。眼を開く。()(ぜん)とした。

 目の前に、美しい女性がいた。さっきあの娘が着ていた服を身に纏った、あの娘の面影(おもかげ)を感じさせる、勝気そうでありながらも優しい瞳をした女性だった。彼女もまた、こちらを見て唖然とした様子だった。

 ふっとあることが思い浮かび、自分の躰を見下ろした。もとの、大人の姿に戻っていた。

 改めて彼女に眼をやると、まだ状況についていけないようで、ポカンとこちらを見ていた。とても、可愛らしく見えた。

 気がつくと、彼女を抱き締めていた。躰が熱くなったが、離したくなかった。

 固まっていた彼女が、少しして顔を真っ赤にし、あたふたしはじめた。あたふたしながらも逃げようとはせず、やがて、ぎこちなく腕をこちらに回してきた。少しだけ腕に力を入れると、彼女も腕に力をこめた。

 顔を覗きこんでみるが、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしたまま、目を合わせてくれなかった。それがまた、可愛らしく思えた。

 もう少し、こうしていたい。そう思う自分がいた。しかし、それは無理なのだと、なんとなくわかった。

 彼女の躰が、ちょっとずつ薄れていた。彼女も、自分の躰の様子に気づいたようだった。周りの景色も、陽炎(かげろう)のようにおぼろに霞みはじめていた。先ほどの闇とは違って、焦燥や不安といったものはなかった。

 別れの時間が来た。そういうことなのだと、不思議とわかった。

 そっと躰を離すと、さっきまでの慌てた様子が嘘のように、彼女がじっと目を見つめてきた。真っ直ぐに見つめ返し、微笑んだ。

 大丈夫。必ず、君を見つけるよ。

 そう言うと、彼女は満足そうな笑顔を浮かべ、頷いた。

 またね。

 彼女のその言葉に、ゆっくりと頷き返した。

 やがて、光とともに彼女が消えていった。

 気がつくと、風景が一変していた。深い闇が、再び世界を包んでいた。光は、もうどこにも見えなかった。

 頬に手を当てる。熱くなっていた。そこから(でん)()するように、躰中に力が(みなぎ)ってきているような気がした。

 行く手を見据える。光は見えない。だが不思議と、道は見えていた。進むべき道は、そこにある。そう思えた。

 迷いは、すでになかった。決意が胸にあった。

 道が正しいかなどわからない。だが、自分がなにをしたいのか、なんのために旅に出たのかを思い出した。

 ベロニカに逢いたい。彼女とともに、歩んでいきたい。

 闇の中、レヴンは再び歩き出した。

 

***

 

 目を醒ますと、ベッドの上だった。天井が見えた。横たわったまま、躰の調子を確認する。

 痛むところは、特になかった。()(だる)さなどもない。ゆっくりと手や足に力を入れる。問題なく動かせた。

 上体を起こし、周りを見渡した。本棚、(たく)、椅子、扉、窓。どこか(おごそ)かなものを感じる作りの部屋だった。教会だろうか。日の光が、窓から差しこんでいた。影の傾きからして、昼をちょっと過ぎたところだろうか。

 自分の躰を見下ろすと、家の中で着るような、簡素な服を着ていた。

「――――?」

 左手の痣が、淡い光を(とも)していたように見えた。一瞬、そう見えただけなので、気のせいかもしれない。

 なにか、不思議な夢を見ていたような気がするのだが、思い出せなかった。ただ、活力のようなものが、躰中に溢れている気がした。必ず彼女を、ベロニカたちを見つけるのだという思いが、心の中に満ちていた。

 扉を軽く叩く音が聞こえた。扉に眼をやり、返事をする。扉が開いた。

 扉を開けた人物が、軽く手を挙げた。

「よう、相棒、おはようさん。調子はどうだ?」

 ツンツンと逆立てた青髪が特徴的な青年、カミュが言った。手に、なにか持っている。レヴンの旅装束と貴重品袋のようだった。

「おはよう、相棒。いたって好調だよ」

「そうか。なら、よかったぜ」

 そう言って扉を閉め、近づいて来たカミュが、首を傾げた。

「なに?」

「いや、少し顔が赤く見えるんだが、ほんとうに大丈夫か?」

「え?」

 手を顔に当てる。確かに、ちょっと熱い気がした。ただ、熱があるという感じではない気がした。

「なんだろう。特に体調が悪いわけじゃないんだけど」

「ほんとか?」

「うん。むしろ、力が漲ってるくらいなんだけど」

「そうか。まあ、おまえがそう言うんなら信じるけどよ、調子が悪いと思ったら無理せず言えよ?」

「うん」

 カミュが、手に持っていた荷物を卓の上に置いた。やはり、レヴンの旅装束と貴重品袋だった。リボンも服の上に置かれている。

 そこまで見てとると、カミュに顔をむけた。

「ところで、ここは?」

「あの崖の近くにあった教会だよ。どこまで憶えてる?」

「崖から飛び降りたところまでは」

「そうか。まあ、だいぶ限界みてえだったからな」

 そう言ってカミュが、息をついた。安心したような、どこか気落ちしたような、複雑そうな感じに見えた。

「ごめん、カミュ」

「ん、なにがだ?」

「なにか、大事な話をした気がして」

 カミュが眼を(しばたた)かせ、軽く苦笑した。

「ああ。まあ、したな」

「そう。やっぱり」

 再び謝罪の言葉を口にしようとしたところで、カミュが人の悪そうな笑みを浮かべた。

「ベロニカって女が、おまえにとってどれだけ大切な女なのか、とかな」

「ぼふぁっ!?」

 カミュの言葉に噴き出した。確かにベロニカは大切な女性だが、自分はなにを語っているのだ、と思った。

 恥ずかしさに、全身が熱くなってきた。

「ど、どんな会話の流れで、僕はそんなことを?」

「まあ、いろいろとな。オレの方もまあ、確かにちっとばかり個人的な話はした。ただ、なんつーか、勢いで語っちまったところもあるからな。憶えてないなら憶えてないで構わねえというか、オレも気分的には助かる部分がある。オレも、まだ完全にむき合えたわけじゃねえからな」

 自嘲するようで、強い意思のこもった言葉だった。やるべきことを思い定めた、そんな声に聞こえた。

 カミュが、窓に近づいた。

「ただ、そうだな。多分、いつかおまえの力が必要になる時がくる。その時が来たら、力を貸して欲しい。それだけ憶えといてくれるか?」

 窓から外を見るようにして、カミュが言った。はっきりと表情は見えなかったが、真剣な声だった。

 すっと、動揺していた心が鎮まった。

「うん。わかった。僕の力が必要になったら、いくらでも貸すよ」

「ああ。ありがとな、相棒」

 どこか照れくさそうに、カミュが応えた。頷いて返した。

「ところでよ、あの黒馬って、おまえのか?」

 カミュが、窓の外を指さした。指の先を追うようにして、外を見た。見慣れた黒い馬の姿が、視界に入った。

「雷刃?」

 レヴンの愛馬、雷刃がいた。

「雷刃っていうのか、あいつ?」

「あ、うん。けど、どうしてここに?」

「とりあえず、順を追って説明するぞ。崖から飛び降りたあと、川岸に流れ着いてな。そこから離れようと移動してる途中、あの馬が現れたのさ。追手かと思ったが、乗り手はいねえし、(くら)もついてねえ。で、あいつの姿を見たところで、おまえが気を失っちまって、どうしたもんかと頭を抱えたところであの馬が近づいて来て、この教会まで乗せてきてくれたんだ」

「そんなことが」

 おそらく、雷刃の姿を見たことで、張り詰めていたものが途切れてしまったのだろう。

「ごめん。迷惑かけたね」

「んなこたねえさ。そもそもおまえの馬、雷刃が乗せてくれたおかげで、魔物に襲われることなくここに来れたわけだからな。にしても、大した馬だな。おまえのいるところがわかったってことだよな」

「うん。自慢の友だちだよ」

「馬が友だち、か。あの馬の様子を見ていると、ほんとうにそんな感じに思えたな。外にいるからよ、あとで礼を言っておきな」

「わかった。カミュもありがとう」

「おう」

 カミュが扉を開け、出ていった。

 立ちあがり、机に近づくと、リボンを手に取った。綺麗に洗われており、ほっと安堵の息をつくとともに、誰にともなく感謝の言葉を呟いた。

 服に触ってみると、しっかりと乾いていた。念のため、貴重品が入っている袋の中を確認する。大切な物は、すべて入っていた。ヒスイの首飾りもある。再び安堵の息をついた。

 着替えを終えると、扉を開けた。カミュが、壁に寄りかかるようにして佇んでいた。頷き合い、ともに歩き出した。

 この教会の位置をカミュに確認すると、デルカダールから南の方にある場所で、ここから南に行くと、ナプガーナ密林があるという話だった。頭に地図を思い浮かべる。ナプガーナ密林からさらに南に行けば、イシの村だった。

 これからどうするか、と考えたところで、テオのことをふっと思い出した。祖父が世界を巡るのに使った、ある道具のことも。

 礼拝堂に出た。シスターが、女神像に祈りを捧げていた。

「シスター」

 カミュが声をかけると、シスターがふり返った。それなりに年を()したシスターだった。

 シスターが、微笑みを浮かべた。

「お連れ様も眼を醒ましたのですね。大事ないようで、安心いたしました」

「ありがとうございます、シスター」

「助かったよ、シスター」

「いえ、これも神の(おぼ)し召しでしょう。食事を用意しておりますので、どうぞお召しあがりください」

「重ね重ね、ありがとうございます。ただ、その前に、愛馬のところに顔を出してきます」

「そうですか。わかりました」

 礼をすると、カミュとともに表に出た。

 表に出ると、雷刃の姿がすぐ近くに見えた。

「雷刃」

 呼びかけると同時に、雷刃がレヴンにむき直った。じっと見つめてくる雷刃に、ゆっくりと近づいて行く。

 傍らに立つと、雷刃が鼻面を押し付けてきた。やさしく抱き締め、頭を撫でる。

 心配をかけた。来てくれてありがとう。雷刃の方も無事でよかった。そんなことを、語りかけた。

 それにしても、雷刃は(うまや)に繋いであったはずだが、どうやってここに来たのだろうか。ふっと、そんなことを思った。

 デルカダールに捕らえられてもおかしくなかっただろうし、無理矢理逃げ出したのなら、どこかに怪我をしていてもおかしくないはずだ。だが雷刃の躰には、特に怪我のようなものは見受けられなかった。誰かが逃がしてくれたのだろうか。そう考えてみるが、誰が答えてくれるわけもなかった。

 少しして、雷刃が顔を離した。もう一度だけ首を撫でると、雷刃が耳を動かした。

「さて、これからどうする、レヴン?」

 カミュが言った。彼の方にむき直る。

 周囲の気配を探り、誰もいないことを確認してから、レヴンは口を開いた。

「いくつか考えていることはあるよ。カミュの方は?」

「デルカダールから離れるってのは考えてるが、その程度のもんだ。どうやって離れるかまでは思いつかねえ。デルカコスタからの船は抑えられているだろうし、ナプガーナ密林からよそに行くための橋は壊れてるって話だ。ナプガーナ密林の深いところを抜けて、よその地域に行けるかどうか」

「行けるの?」

「わからねえ。五年ぐらい旅はしてたが、あのあたりを根城にしたことはねえからな」

「そう。あとは、舟でも作るとか?」

「川を越えてよその地域にとなると、このあたりは警戒が厳しいと思う。だが海に出るとなると、かなりしっかりした船にしねえと、死ぬぞ。だが、そんな船を造るには、人手も時間もねえ」

 カミュの声は、確信に満ちていた。海に関して、かなり詳しいようだった。

 気にはなったが、彼の身の上に関わることとなると、触れるべきではないと思った。話したい時に話してくれればそれでいい。そう思っている。

「とりあえず、僕の案だけど」

「おう」

「イシの村に、一度戻りたい」

 カミュが、ピクリと眉をひそめた。

 なにか言いたそうではあったが、カミュはなにも言わず、視線だけでレヴンを促してきた。

 ひとつ頷き、言葉を続ける。

「言いたいことはわかるよ。僕が行ったところで、なにもできない。女性や子供たちだけでも一緒に逃げられないかって思ったけど、デルカダールに追われながらの旅に付き合わせる方が、よっぽど危険だ。逃がすのも、おそらく逆にみんなを危険に晒すことになる」

 最初は、エマやマノロたちだけでも連れて行けないか、と思った。行く当てはある。だが、遠く険しい旅になるだろう。それに、デルカダールによる追手を気にしながらの旅となってしまう。連れて行くのは、かえって危険だと思わざるを得なかった。

 だからといって、どこかに逃がすというのも、現実的とは言えなかった。

 実際のところ、どこに逃げればいいのか、という話になる。デルカダールは大国だ。いまから逃がそうとしても、あっさりと補足され、結局捕まるのが眼に見えている。むしろ、逃げることで、一層の嫌疑をかけられることになってしまうかもしれない。下手をすれば、グレイグでも庇いきれない事態になってしまうかもしれない。

 イシの村の人たちは、なにも知らない。そういうかたちにするべきだった。

 カミュが、ゆっくりと頷いた。

「そうだな。グレイグの野郎がああまで言ったんだ。村人たちにひでえ真似はしねえだろ。敵を信じるしかねえってのも、情けねえ話だとは思うけどな」

「敵、か」

 確かにグレイグは、立場的には敵となるのだろう。それは間違いないことだ。

 だが、改まって彼は敵だと言われると、どうにも違和感を覚えるのも事実だった。

「なんだ。グレイグは敵じゃないって言いたいのか?」

「敵と言うよりは、壁かな。越えなきゃならない、大きな壁」

 拳を握り締めて、レヴンは言った。カミュが、ポカンとした。

 少しして、カミュが愉しそうに笑った。

「ったく、大した野郎だって言うべきか、図太い野郎だって言うべきか。まあ、大物には違いねえな、おまえはよ。あのグレイグを相手に、そんなことが言えるなんてよ」

「そうかな?」

「ああ。オレははっきり言って、できることなら会いたくねえって思ってるからな」

 カミュが苦笑した。

「それはそうとしてだ。そこまでわかっていて、なんでイシの村に行くんだ?」

「うん。テオじいちゃんのことを、思い出したんだ」

「おまえの、じいさん?」

「テオじいちゃんは、世界を股に掛けたトレジャーハンターだったんだ。それで、僕はそのじいちゃんの冒険譚を聞いて育ったんだけど、その中に、遠く離れた場所と場所を繋ぐ、『旅の扉』っていう不思議な泉の話があった。それも使って、世界中を巡ったって」

「旅の扉のことは、オレも聞いたことがある。使い方がよくわからねえってこともな。おまえのじいさんは、そんなもんを使って旅をしてたってのか?」

「うん。それで、それを使うためのアイテムが、『まほうの石』って言うらしいんだ。昔、じいちゃんが、聖地ラムダの長老さんから貰ったらしい」

「貰った、って。一介のトレジャーハンターに渡すには、かなりの貴重品だと思うんだが」

「その長老さんの息子さん、ファナードさんって言うんだけど、じいちゃんがその人を助けた御礼に貰ったって聞いてる。いまはそのファナードさんが長老になってるんだけど、本人も懐かしそうに喋ってたよ」

「なるほど。それで、その『まほうの石』が、イシの村のどこかにあるかもしれないってことか?」

 レヴンの言葉の先を継ぐようにして、カミュが言った。

 うん、と頷く。

「それと、デルカコスタから、さらに東に行った先にある『旅立ちのほこら』ってところに、その旅の扉のひとつがあるって言ってた」

「『まほうの石』さえ見つかれば、そのまま『旅立ちのほこら』からよそに行けるかもしれねえってことか」

 カミュが手を打った。小気味いい音が響いた。

「よく、わかったぜ。それに、その『まほうの石』のことを知っているやつも、村人の中にいるかもしれねえな。そんな貴重品で、なおかつ思い出の品と言えるような物を捨てるとは思えねえし」

「うん。ペルラ母さんなら、なにか知ってるかもしれない」

「わかった。それならオレも異存はねえ。ただ、一度デルカダールに行っておきたい」

「デルカダールに?」

 カミュの言葉に首を傾げた。デルカダールはおそらく、レヴンたちが脱獄したということで、警戒が厳しくなっている可能性がある。山を挟んだ向こう側の街道も同じだろう。そうなると、ここからナプガーナ密林を越えるしかない。

 ふっと、頭に浮かぶことがあった。

「旅の支度、だね。ナプガーナ密林を越えなくちゃならないし」

 できることなら、ただちにイシの村にむかいたいところではあるが、旅の荷物は手元からなくなっている。ナプガーナ密林は、一度入ったら二度と出られないとすら言われる樹海だ。それがなくとも食料や水、ほかにも必要な物を揃えなければ、道中で命を落とすことになるかもしれない。軽率な行動は慎むべきだと、自分に言い聞かせるようにして思った。

「それもあるが、回収しておかなくちゃならねえ物があるんだ」

 カミュが、静かに言った。

「それは、大事な物?」

「それ自体が、オレにとって大事な物ってわけじゃない。ただ」

 カミュが眼を閉じ、息をついた。

 意を決したように、カミュが眼を開いた。

「オレにも、いくつか約束みたいなものがあってな。そのうちのひとつが、それに関わってるんだ」

 カミュから真っ直ぐにむけられた眼と見つめ合い、レヴンは頷いた。

「わかった。行こう」

「ああ。悪いな」

「旅の準備もしなくちゃならないし、気にすることないよ。それに、約束は、守らないと。そうでしょ?」

「そう、だな。その通りだ」

 カミュが、重々しく頷いた。

「預言によると、オレはおまえを助ける運命にあるらしい。改めて、よろしく頼むぜ、勇者様」

「こちらこそ、よろしく、カミュ」

「おう」

 互いに拳を突き合わせ、ニヤッと笑い合った。

 シスターのもとに行き、遅めの昼食を頂いた。質素ではあるが、味は悪くないものだった。量もそれなりにあり、こんなに頂いて大丈夫なのかと尋ねたが、なにかと顔を出してくれる人が届けてくれるので、心配はいらないとのことだった。

 食事の後片付けを手伝い、出発することを告げた。

 シスターが、ひとつ頷いた。

「そうですか。御引き留めはいたしません。どちらにむかわれるおつもりですか?」

「デルカダールに行こうと思ってる。ここから北の方でよかったよな、シスター?」

「はい。ですがデルカダールの方では、凶悪な犯罪者が二人脱獄したということで、街中が厳戒態勢に入っているとのことです。それと、あの英雄グレイグ将軍が、その囚人が来たという、イシという村に出陣したと。むかうのであれば、お気をつけて」

 シスターの言葉に、カミュと二人で息を()んだ。

 どうとでも取れる言葉ではある。しかしシスターの瞳は、どこか深い光を(たた)えているように見えた。

「シスター、あんた?」

「私も、神に(つか)える者の端くれ。人を見る眼は、それなりにあると思っています。あなたたちは、悪人だとは思えませんでした。それだけのことです」

 やはりシスターの言葉は、どうとでも取れるものだった。

 カミュと二人で姿勢を正し、礼をした。

「ありがとうございます、シスター」

「ありがとう、シスター」

 シスターが、穏やかに微笑んだ。

 教会を出ると、シスターに言った通り北に進路をとり、デルカダールにむかった。

 途中、魔物退治を生業(なりわい)にしているという戦士と出会った。そろそろ壮年に差しかかろうかという外見ではあったが、それを思わせないほどに力強い気配を持った戦士だった。さっきまでレヴンたちがいた教会に昔から世話になっているらしく、なにかとあそこに行くらしい。シスターが話していた、なにかと顔を出して食料などを届けてくれる人と言うのは、彼のことのようだった。

 なにか気になったのか、ちょっとだけ立ち合って貰えないかと、戦士から頼まれた。

 少し考えたあと、それを受けることにした。ある意味で一飯(いっぱん)の恩を受けたと言えることもあるが、戦士の腕が、かなりのものだと感じられたからだ。手合わせすることで、なにか得られるものがあるかもしれない。不思議とそう思った。

 道中を急いでいるのは確かだが、いずれグレイグと闘うことになるのも間違いないのだ。彼に勝つためにも、少しでも腕を磨いておかなければならない。そんな思いがあった。

 その戦士の強さは、レヴンの予想を大きく超えたものだった。

 結果自体は、引き分けというかたちで終わった。だが戦士からは、どこか余裕のようなものが感じられた。本気で挑まれていたら、おそらく敗れていた。そう思えるほどの腕だった。

 カミュも同じく、手合わせをした。こちらも、引き分けというかたちになった。レヴン以上の素早さで動くカミュの動きに対応できる戦士は、やはりまだ余裕を残しているように見えた。

 最後に、レヴンとカミュ、二人同時にかかってくるように言われた。二人で息を合わせ、(ひと)太刀(たち)()びせてみせろと戦士が言い、構えた。

 その姿が大きく見えるほどの強烈な気配が、戦士から発せられた。殺気を伴ったその気は、一瞬でも隙を見せれば斬られる、と感じさせるほどのものだった。

 弾かれたように、二人で同時に構えをとり、戦士と対峙した。

 張り詰めた空気が、あたりを支配した。汗が額から(にじ)み、顎から(したた)り落ちるほどに、すさまじい緊張感と恐怖を覚えていた。ここで死ぬのではないか。頭にそんなことが思い浮かび、死んでたまるものか、と心を奮い立たせた。

 対峙し、どれだけの時間が流れただろうか。不意に、深い水の底に入ったかのように、世界が静かになった気がした。

 自分の躰、カミュの動き、戦士の動き、さらには、周りの風の動きや地面の状態、すべてがわかるような感覚を覚えた。カミュもその感覚を覚えていると、なぜか確信できた。

 レヴンが飛び出し、剣を振るった。戦士がレヴンの剣を防ぐ。レヴンは身を(ひるがえ)して、戦士の側面に回る。戦士がレヴンに一瞬注意をむけたところで、レヴンの影にいたカミュが、戦士に短剣を振るった。

 戦士の剣が、カミュに弾き飛ばされた。

 カミュの動きは、見えたわけではない。ただ、感じた。

 あたりが静寂に包まれ、突然戦士が大きな声を上げて笑った。

 まさか、こんなに早くその境地に辿り着けるとはな、と戦士が笑いながら言った。

 戦場のすべての動きが知覚できるような感覚を覚える、極限の集中状態、『ゾーン』と呼ばれるものがある。レヴンたちがなったのは、まさにそれだと。

 そして、その集中状態でお互いの動きを合わせた、さっきの二人の攻撃はまさに、『シャドウアタック』と呼ばれる『れんけい技』だと、戦士が言った。

 (しょう)(じん)しろよ、若者たちよ。そう言うと、戦士は豪快に笑いながら去って行った。

 

***

 

 スラム街に足を踏み入れると、そこかしこから視線を感じた。

 面が割れないようにと、カミュから渡されたフードの下から、レヴンは周りをそれとなく視線だけで見た。デルカダールの城下町で話だけ聞いていたスラム街は、その話に(たが)わず、荒れ果てていると言って差し(つか)えないところだった。

 人が住んでいるらしき小屋や天幕は、パッと見たかぎりでも建て付けが悪かったり、傷があったりといったものばかりで、汚れも目立つ。人々も、どこか探るようにして眼を光らせているように思えた。

 隙を見せるのはまずい。そう思わざるを得ない空気が漂っていた。

「行こうぜ、相棒」

「あ、うん。行こう」

 カミュに促され、ともに歩き出した。カミュの歩き方は、無造作なようで、隙のない歩き方だった。相変わらず気配も薄い。レヴンも、周りを警戒させないように気配を抑えながら、隙を見せないようにして歩いた。

 雷刃は、街の外に一旦放しておいた。一頭だけにするのは気が引けたが、雷刃はかなり目立つ。兵士たちには、レヴンが乗っていたことも知られているだろう。スラムの目(ざと)い者たちに雷刃のことを知られ、城の方に話が行ったら、こちらに兵士たちがむかってくることも考えられた。

 雷刃なら、このあたりの魔物ぐらいは蹴散(けち)らせるし、逃げ出すこともない。街中に入れるよりもよっぽど安心だと、カミュに言われたのだ。

 雷刃の手入れをしてあげたいところではあったが、カミュの言葉はもっともなものであり、頷かざるを得なかった。落ち着いた場所に行ったら、しっかり手入れをすると雷刃に約束し、レヴンたちはスラム街に入った。

 カミュに従ってしばらく歩いていくと、嫌な臭いを感じた。気配とかそういうものではない。純粋に、目と鼻の奥が痛くなるような、すさまじい刺激臭だった。

 思わず口と鼻を手で押さえた。カミュも同じだったが、彼はなおも進んで行く。仕方なく、レヴンもカミュのあとを追った。

 嫌な臭いが、どんどん強くなってきた。

 やがて、山が見えた。(うずたか)くゴミが積み上げられた、文字通りのゴミの山だった。臭いの中心は、そのゴミの山からだった。ゴミは城下町の方から捨てられているものらしく、こんなゴミ捨て場は、ほかにもいくつかあるという話だった。

「ここだ」

 ゴミの山の前で立ち止まり、カミュが言った。反射的に、カミュに顔をむけた。

「こ、ここ?」

「ああ。手早く済ませっちまうから、周りの警戒を頼む」

「て、手伝うよ?」

 そう言うと、カミュが苦笑した。

「無理すんなって。これに関しては、オレのわがままみてえなもんだからな。そうでなくても、汚れ仕事はオレに任せときな」

「汚れ仕事の意味が、なんだか違う気がするけど」

「ま、とにかくだ。警戒の方に力を入れてくれる方がありがてえからよ、気にすんな」

 カミュがゴミの山の前でしゃがみこみ、手を軽く振った。

「う、うん。ごめん」

 謝りながら、ゴミの山から顔を逸らすようにふりむき、周りを警戒する。背後では、カミュがゴミを漁る音が聞こえていた。時々、閉じこめられた臭いが開放されたような、ひと際鋭い臭いが漂ったりもした。吐きそうになったが、我慢した。

 これだけでもこんな気分になるのだ。もとより、手伝うのは無理だったのかもしれない、と申し訳ない気持ちを覚えながらも思った。

 どれだけ時間が経ったのだろうか。いや、そこまで時間が経ったわけではないのだろうが、ずいぶんと長い時間ここにいるような錯覚を覚えるほど、嫌な臭いだった。

 だんだん臭いに慣れてきた。嬉しくなかった。

 リボンにこの臭いが染み付いたら嫌だなあ、と辟易(へきえき)しながら、周囲の警戒を続けた。

「ない」

 ポツリと、カミュが言った。ゆっくりとふり返る。

「え?」

「ない。ここにあるはずなんだが」

 不可解そうに、カミュが独りごちた。

「誰かが持っていったとか?」

「ここは、とびっきり臭いのキツいゴミ捨て場でな、わざわざ近寄ろうってやつはそういないはずなんだ。まったくいないわけじゃないが、そういったやつに回収されないように、しっかりと細工しておいたはずなんだが」

「そうなの?」

「ああ」

 声をひそめて言い合い、二人でちょっと考えこんだ。

「ほかに、細工を知っている人とかは?」

「細工を知ってるやつ、か。デクぐらいしか思い浮かばねえな」

「デク?」

「盗賊やってる時に組んでた、以前の相棒だよ。盗賊としての腕は微妙だったが、どうにも憎めねえやつでな。交渉事なんかはオレよりもよっぽどうまかった」

 カミュは懐かしそうに言うと、(かぶり)を振った。

「疑いたくはねえが、ほかにこのことを知ってるのは、あいつだけだ。とにかく一度会って、話を訊く」

「わかった。でも、どこにいるのか、見当はつくの?」

「このスラムに、オレたちが(ねぐら)にしていた下宿がある。そこに行こう。そこの女将(おかみ)なら、なにか知ってるかもしれねえ」

「わかった」

 頷き、歩き出した。

 カミュの先導に従い、いくらか歩くと、周りに比べて幾分しっかりした建物が見えた。看板らしきものが入り口の上にかかっている。そこが目的地らしい。

 扉の前に立ち、カミュが扉に手をかけた。

「ん?」

「どうしたの?」

「開かねえな。留守みてえだ」

 カミュがちょっと考えこむ仕草を見せ、あたりを見渡した。視線を一点で止める。見ると、スラムの住人がいた。

 その住人にカミュが近寄り、小銭を握らせて、ちょっと質問をした。

 女将は、ちょっと前に宿を出て、城下町の方に行ったらしい。多分、まだ戻ってきていないのだろうとのことだった。

 念のため、あたりを捜してくるから、スラムと城下町を繋ぐ門を見張っていてくれるか、とカミュから頼まれた。近くにある(やぐら)から、門を中心に見ていて欲しいとのことだった。女将は、ふくよかな、赤髪の中年女性だと特徴を伝えられ、頷いた。

 櫓は、かなり高かった。登ってみると、櫓の上には誰もいなかった。まず、あたりを見渡し、女将らしき人がいないか一応確認する。

 視界内には、それらしき人はいなかった。門の方に眼をやる。兵士がひとりだけ、槍を持って佇んでいた。佇んではいるが、どうにも覇気らしきものが感じられない兵士だと、遠目に見ても思った。

 ひとりの老婆が、門に近づいて行った。門番が老婆を追い返した。

 ひとりの男が門に近づいて行った。門番が追い返そうとしたところで男が、なにかの袋を門番に差し出した。袋の中を確認した門番は、門からちょっと離れて顔を明後日(あさって)の方にむけた。男が門に入って行った。

 踊り子のような衣装に身を包んだ女性が、門のむこうから出て来た。女性が色仕掛けらしきものを行うと、門番は鼻の下をのばして、心ここにあらずといった状態になった。

 仕舞いには犬に追いかけられ、門の前から逃げ出していた。

「ん?」

 門番がいなくなったところで、門からひとりの女性が出てきた。ふくよかな、赤髪の中年女性。カミュから聞いていた女将の特徴と一致している。そのまま見ていると女性は、例の下宿にむかって行き、扉を開けて入っていった。

 おそらく、あの女性だろう。そう考え、櫓を降りると、カミュがちょうどよくレヴンのもとに来た。

 カミュが軽く手を振り、首を横に振った。

「こっちは収穫無しだ。そっちはどうだ?」

「ふくよかな、赤髪のおばさんだよね。例の下宿に入っていったよ」

「お、そうか。なら話は早え。さっそく会いに行こうぜ」

「うん」

 頷き合い、ともに歩き出した。ほどなくして、下宿についた。

 カミュが扉を開け、中に入る。レヴンもそれに続いた。

 先ほど見た赤髪の女性が、勘定台(カウンター)に立っていた。帳面になにか記している。

「よお、女将。久しぶりだな」

「いらっしゃいましー。今日はお泊まりで」

 顔を上げ、笑顔とともに紡がれた女将の言葉が、カミュの顔を見たところで止まった。信じられないものを見たとばかりに、女将は口を大きく開けて固まっていた。

「あ、あんた、まさか、カミュちゃんかい!?」

「ああ。久しぶりだな」

「いつ、牢から出してもら」

 そこで女将が、なにかに気づいたように言葉を止めた。視線がレヴンにむいている。

 なるほど、と女将が頷いた。

「釈放された、ってわけじゃなさそうだね。城の牢から脱け出した脱獄囚二人ってのは、カミュちゃんたちのことだね?」

「っ」

「ああ」

 女将の言葉にレヴンが息を呑んだところで、カミュがあっさりと頷いた。思わずカミュの顔を見ると、彼は苦笑を返してきた。女将も陽気な表情で軽く笑い声を上げる。

「心配すんな、相棒。女将は信用できる相手だ」

「あ、うん。すみません、女将さん。身構えてしまって」

「気にすることないさ。警戒して当然だからね。むしろ、そんなにあっさり信じられる方が、ちょっと心配になるよ」

「カミュが信じている相手ですから。僕も、信じられる人だと思いました」

 そう言うと、二人がポカンとした表情を浮かべた。

 なにか、と首を傾げると、カミュがまた苦笑して頭を掻き、女将が愉しそうに笑い声を上げた。

「いい子だねえ、あんた。カミュちゃんもそう思うだろう?」

「まあ、クソ真面目で馬鹿正直で、呆れるぐらい底抜けのお人好しってのは、間違いねえな」

「そこまで言う?」

「少なくとも、おまえのお人好しっぷりに関しては、それぐらいじゃ足りねえと思うぜ?」

「え、えー」

 肩を落とすと、女将がまた声を上げて笑った。

「いい相棒だねえ、カミュちゃん」

「まあ、いろいろと世話が焼けるやつだけどな。それはともかく、訊きたいことがあるんだが。デクのこと、なにか知らないか?」

「デクちゃんかい。デクちゃんならいま、お店をやってるよ」

「店、だと?」

「城下町のお城の近くで店をはじめてね。ずいぶんと忙しくしてるらしいよ。羽振りがよくて結構なことさ」

「城の近く、って富裕層でかよ。一等地じゃねえか。そんなところに店を出すとなると、なんらかのツテだとか、かなりの元手がいるはずだが」

 そこでカミュが、はっとした表情を見せた。

「まさか、デクのやつ、あれを売りやがったのか」

「あれって、例の?」

「ああ。だとしたら辻褄(つじつま)が合う。裏切りやがったのか、あいつ」

 カミュが拳を震わせ、複雑そうな表情を浮かべた。怒りと悲しみが()()ぜになったような、そんな表情に見えた。

「ほんとうに、裏切ったのかな」

 口を()いて、そんな言葉が出ていた。

「なに?」

 レヴンの言葉に、カミュが目を吊り上げ、睨みつけてきた。睨んではいるが、瞳は複雑そうに揺れていた。じっと見つめ返す。

「僕はそのデクって人のこと知らないけど、カミュが相棒って信じていた人だったんだよね?」

「ああ、そうだ。あいつがヘマやったところにたまたま出くわして、なんとなく助けたら、アニキアニキって人のこと追いかけてきてよ。追い払おうとしても付いて来るもんだから、めんどくさくなって放っておいたら、いつの間にか相棒になってて」

 カミュが言葉を切り、大きく息をついた。

「いや、そうだな。あいつが裏切ったって決めつけるのは、まだ早えな。あいつの店、か」

 カミュが眼を閉じ、うつむいた。少しして顔を上げ、レヴンの眼をじっと見つめてくる。

「相棒。頼みがあるんだが」

「みなまで言うことないよ。行こう。そのデクって人の店に」

「ああ。ありがとよ」

 頷き合い、女将に顔をむける。カミュがデクの店の住所を訊くと、答えが返ってきた。

 カミュが、金の入った小さな袋を取り出した。

「悪いな、女将。できることなら、一泊でもして金を落としてやりてえんだが、あまり長居するわけにもいかなくてな。せめて情報代として受け取ってくれ」

「それじゃ、遠慮なく受け取らせて貰うよ。にしても、カミュちゃん、ずいぶんと落ち着いたねえ」

「なに?」

「以前までのカミュちゃんだったら、デクちゃんが裏切ったと決めつけて、人の話なんか聞かなかったんじゃないのかねえ」

「そうなの?」

「あー」

 なんとなく意外な感じを受け、カミュを見ると、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。

「まあ、そうかもな」

 カミュが、チラッとレヴンの顔を見た。

「ま、いまの相棒がこんなお人好しだからな。感染(うつ)っちまったんだよ、きっと」

感染(うつ)るって」

 憮然として言うと、カミュが苦笑して肩をすくめた。

「行こうぜ」

「あ、うん」

「街中は物々しくなってるからね。二人とも、気をつけていくんだよ」

「ああ」

「はい」

 カミュが(きびす)を返し、彼を追うかたちでレヴンは外に出た。

 

 




 
お待たせしました。次の話はだいたい書き上がってるので、そこまで間を置かずに投稿できる、はず。デクと会ってデルカダール出発まで、と思ったら、なんかすごい長くなってたよ――。

女将さんの名前って、あの看板に書いてある『アマンダ』でいいんだろうか。アマンダだよね、あれ、ってちょっと悩む。

 
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