出てきた型を、じっと見つめる。そうしていると、目の前の型が、不思議と語りかけてくるような気がした。手に持った鎚、『ふしぎなハンマー』を振り下ろす。金属同士がぶつかり合い、甲高い音が夜の闇に響いた。
そこを打て。
違う、そこじゃない。
そうだ、そこだ。そこを強く打ち続けろ。
次は、違う場所だ。そこは、そんなに強くなくていい。
鎚で、型に
しばらく叩いたところで、声は聞こえなくなった。完成だ。最後に、そう言われた気がした。
仕上げを行うと、手拭いで汗を拭きながら、出来上がった短剣を見た。悪くない出来だ、とレヴンは思った。
「出来たのか?」
うん、と頷き、出来上がった短剣、『せいなるナイフ』をカミュに差し出した。カミュが短剣を手に取り、まじまじと見つめた。
カミュから視線を離し、再び『ふしぎな鍛冶台』に素材を投入した。ほとんど間を置かず、型が作られた。剣の型だ。じっと見つめ、また声が聞こえてきたところで、鎚を振り上げ、叩き出した。
カミュとデクが旅の中で手に入れた物の中でも、まさしく逸品と呼べる代物。それがこの、『ふしぎな鍛冶台』だとのことだった。
『ふしぎな鍛冶台』は、普段は人の掌に乗るぐらいの、一見すると玩具か模型にしか見えない代物だ。それが、女神像のある野営地でこれを置くと、実際に鍛冶仕事ができるぐらいに巨大化する。
そしてこれの素材投入口に素材を投入すると、素材に対応した型が鍛冶台に作られるのだ。あとはその型を『ふしぎなハンマー』で叩き上げることで、武器や防具、さらには不思議な力を秘めた
剣の型を叩き続け、声が聞こえなくなったところで、仕上げを行なった。『せいどうのつるぎ』。これも悪くない出来だ、と思った。
鍛冶仕事のために、頭のうしろで結んでいた髪をほどいたところで、カミュが唸り声を洩らした。
「なに、カミュ?」
「いや、この『せいなるナイフ』も、『せいどうのつるぎ』も、すげえいい出来だと思ってよ。おまえ、ほんとうに鍛冶やるの、はじめてか?」
「うん。この『せいどうのつるぎ』で、通算四つ目かな」
試しとして、『せいどうのつるぎ』と『せいなるナイフ』を先に一本ずつ作った。そこで感覚を掴み、
カミュが、呆れたような表情を浮かべた。
「どっちとも、そこらの店で見る物よりよっぽどいい出来だと思うんだけどよ」
「『ふしぎな鍛冶台』のおかげだよ。型自体は出来てるんだから、あとは叩けばいいだけだし」
「だからって、どこを叩けばいいとか、どれぐらいの力加減だとかは、おいそれとわかるもんじゃねえだろ。少なくとも、オレにはわからねえ。それこそ、長年の職人の勘とかそういったもんだろ」
「出てきた型を見つめていると、ここを打てって声が聞こえてくる気がするんだ。それに従ってるだけだよ」
「それ、職人の勘とかそういったもんだと思うんだが」
カミュがまた呆れたように言い、苦笑した。
「まあ、いいや。迷惑じゃなければ貰ってくれ。オレには使いこなせそうにねえし、その方がそれも喜ぶだろ」
『ふしぎな鍛冶台』を見つめる。『ふしぎな鍛冶台』が、なにかを訴えるように、淡い光を放っているように見えた。
これが盗品だったら、使うのに抵抗があったかもしれない。だがこれは、カミュがデクと組んで旅をしている途中で見つけた、ちょっと不思議なダンジョンで手に入れた物だということだった。
そのダンジョンは、階層ごとにまったく違った様相を見せる、奇妙な迷宮だったという。しっかりとした作りの人工の洞窟だったかと思えば、いきなり天然の石造りの洞窟になったり、かと思えば次の階層ではマグマが床や壁を這う灼熱の洞窟だったり、氷に覆われた極寒の洞窟だったこともあったらしい。不可解なことに、いろいろな武器や防具、道具などが、使えとばかりにあちこちに落ちていたそうだ。
『ふしぎな鍛冶台』は、そこの地下十階で見つけたという話だった。
地下九階までは下りの階段しかなく、地下十階にいたっては、最初は行き止まりだったという。それが、『ふしぎな鍛冶台』を手に入れた途端、上りの階段が現れた。地下九階から上の階層も同じで、こちらは下りの階段が消え、上りの階段だけになっていたらしい。
そして、ダンジョンを脱出した直後、その迷宮は消えた。まるで、『ふしぎな鍛冶台』を手に入れる者が現れるのを待っていたかのようだった、とのことだった。
「わかった。ありがたく使わせてもらうよ」
カミュだけでなく、『ふしぎな鍛冶台』に対しても言うような心持ちで言った。『ふしぎな鍛冶台』が一瞬、強く光ったように見えた。なんとなく、礼を言われたような気がした。
「おう。そうしてくれ」
カミュがそう言い、視線を
焚火の上には、鍋が掛けてあった。デクから貰った食材や、この辺りで採った野草や茸などが浮いている。
焚火のそばに突き立てた数本の木の枝には、魚と肉が刺さっている。レヴンが近くの川で釣った魚と、カミュが
「そろそろいいかな?」
「そうだな。食おうぜ」
鍋の具を器に分けると、二人で肉に手を伸ばした。ほぼ同時に
会話もなく、お互い一心不乱に肉に
「旨いな」
「うん」
それだけ言い合うと、今度は魚を手に取り、また同時に齧りついた。時に、器に分けた汁を
荷物を貰ってデルカダールから出たあと、雷刃たちを駆けさせ、ナプガーナ密林へとむかった。道中の魔物の強さは、『地獄の殺し屋』という異名を持つ、キラーパンサーという大きな豹の魔物を除けば大したものではなく、ナプガーナ密林までは順調に進むことができた。キラーパンサーにいたっても、近づかなければ襲ってくることはない。馬を駆けさせ、魔物はみんな無視して進んで行ったというかたちだった。
ナプガーナ密林に入ってからは、雷刃たちから降りて、徒歩で進まざるを得なくなった。
木と木の間は、人どころか馬が通るのも難しくない程度には離れているのだが、枝葉が邪魔なのだ。騎乗するとなると、枝葉を気にしながら移動する必要があり、降りて歩いた方がまだ進みやすいぐらいだった。
ここでは、魔物による奇襲を警戒する必要があった。木の陰や、頭上から襲いかかってくる連中がいたのだ。強さ自体は大したことないし、気配自体は察知できるため、実際にその奇襲で不意を衝かれることはなかったが、それでも歩みは遅くせざるを得なかった。
暗くなってきたあたりで、女神像のある野営地と、小屋を見つけた。小屋は、この辺りに住んでいるという
小屋を勝手に使わせて貰うのは気が引けたため、野営地の方で一夜を過ごすことにした。早朝より前の時間から移動してきたことによる疲労もあったが、この先にある南の橋が壊れていたのだ。向こう岸まではかなり距離があり、跳んだところで届く距離ではない。別の道を探そうにも、夜の樹海である。探索など、ろくにできるはずもなかった。
二人でそれぞれ獲物を捕らえ、
「ん?」
カミュが、なにかに気づいたように食べる手を止め、樵の小屋の方に眼をやった。レヴンも食事の手を止め、カミュの視線を追う。彼は、小屋ではなく、小屋の脇の繁みの方を見ていた。
少しして、なにかが近づいて来る気配を感じた。繁みをかき分ける音が聞こえてくる。強い気配ではないが、警戒するに越したことはない。二人とも武器に手を伸ばし、立ち上がった。
繁みから、なにかが姿を現した。
「犬?」
カミュが呟いた。現れたのは、一頭の犬だった。大きくも小さくもない。そんな程度の大きさの、特に特徴的なもののない、犬だった。
犬が近づいて来て、吠えはじめた。
「なんだ、腹減ってるのか?」
カミュがそう言って、肉をひと切れ放り投げた。肉が犬の手前に落ちる。犬は一瞬硬直すると、なぜか困ったようにレヴンたちを見た。
「どうした。食っていいぞ?」
カミュが続けてそう言うと、犬はなにやら思い悩むような仕草を見せ、やがて
あっという間に、犬はその肉を食べきった。
「なんでこんなところに犬がいるんだか。樵が飼ってるやつか?」
そう言って、カミュがもうひと切れ、肉を放り投げた。犬はその肉にも飛びつき、一心に貪っていた。
「っ?」
犬から、なにか妙な気配を感じた。
レヴンの反応に気づいたのか、カミュがレヴンに視線を移した。
「どうした、レヴン?」
「いや、なんだろう。その犬から、妙な気配を感じるんだけど」
「妙な気配?」
カミュが、手に持っていた短剣を、わずかにそうとわかるぐらいに構えた。
「あ、いや、魔物とかそういうのじゃないとは思うんだけど」
レヴンが言うと、カミュは小さく首を傾げた。
肉を食べきった犬は、お座りしていた。
深めの皿に水を入れ、犬の前に差し出した。犬は礼を言うようにひと吠えすると、その水を飲みはじめた。
「どうする、この犬?」
「放っておいていいんじゃないかな。女神像のそばに来ることができるってことは、少なくとも魔物じゃないと思うし」
「ふ、ん。まあいいか」
言葉のあと、一瞬だけ視線を交錯させた。
一応、警戒はしておこう。眼でそう言われ、小さく頷いた。
レヴンたちも食事を再開し、ほどなくして、終えた。
犬は、だいぶ疲れていたのか、水を飲み終わるとすぐに眠りはじめていた。よく見ると、深いものではないが、躰には傷がいくつかあった。魔物に襲われたのだろうか。念のため、ホイミをかけておく。
ふっと、エマとルキのことを思い出し、小さく
「どうした?」
「いや、イシの村の幼馴染みと、彼女が飼ってる犬を思い出しただけだよ」
「そうか」
大切な幼馴染みを、一緒に過ごしてきた家族や村人たちを、切り捨てるのだ。テオとの思い出も詰まった、故郷が焼き払われるのを、許容してしまうのだ。
「っ」
いまは、それを考えるべきではない。
ほんとうは、すぐにでもイシの村に行って、みんなをどこかに逃がしたかった。デルカダールの南の教会でカミュにはああ言ったが、イシの村のみんなを逃がす方法はないかと、ずっと考え続けていた。
いい方法は、なにも浮かばなかった。考えれば考えるほど、逃げる方が危険だと思わざるを得なかった。
イシの村は確かに小さいが、それでも村人は何十人もいるのだ。イシの村のある渓谷地帯なら、身を隠せるところはあるかもしれないが、デルカダール国の規模を考えると、見つかる可能性は高い。うまく身を隠せたとしても、生活は非常に苦しいものとなるだろう。
デルカダールと闘うのは、無理だ。勝ち目はない、と考えざるを得ない。
村の者たちでは、武装した兵士たちには敵わない。腕の立つ者がいないわけではないが、数が違いすぎるし、装備の質も違う。なにより、グレイグとホメロスがいる。世界でも有数の実力者であるグレイグと、軍師として数々の実績を残しているというホメロスを同時に相手取って勝利するのは、いくらなんでも無理だ。
渓谷地帯のどこかに逃げこむのではなく、レヴンが目的地として考えているところまで、一緒に逃げるのはどうか。
これも、道中のことを考えると、やはり危険だった。
レヴンがむかうあてとして考えていたのは、聖地ラムダ。神語りの里と呼ばれており、古の勇者たちの物語を語り継ぐ里だ。勇者のことや、テオがレヴンを連れて行ったことなど、諸々のことを考えれば、ファナードとラムダは味方と考えていいはずだ。あの地なら、イシの村の人たちを匿ってくれるのではないか。
だが、あの地へ行くとなると、遠く険しい旅となるだろう。デルカダールに追われることによる圧迫感も考えれば、大の男であっても途中で根を上げかねない。女性や子供ではなにを言わんかやといったところだ。
だからといって、途中の町や村に置いて行くのも、不安があった。レヴン、『悪魔の子』を育てた村の者だと知れたら、どんな目に遭うかわからない。一緒に行くとなるとおそらく、どれだけ苦しくとも、途中で脱落するのは許されないという、過酷な旅になってしまうだろう。
不必要に村人たちに危害を加えることはしないと言ったグレイグのことを、信じるしかない。無力さを自覚しながら、レヴンは自分にそう言い聞かせた。
「ちょっと思ったんだけどよ、イシの村の村人たちの中に、腕が立つやつっているか?」
「っ?」
唐突なカミュの言葉にレヴンは、首を傾げながらも頷いた。
「一応、何人かは」
「一番強いやつで、どれぐらいの腕だ?」
「デルカダールの兵士になれそうなぐらい、かな」
デルカダールで見た兵士たちの腕を思い出しながら、レヴンは言った。
イシの村は、神の岩の加護のおかげで魔物の被害はほとんどないが、狩りの時などに魔物と出くわすことなどはある。そのために若い男は、ある程度なら武器を遣えるように訓練するのだ。デルカダールの兵士としてもやっていけるだろうと思えるぐらいの腕を持つ者もいる。
その中で一番腕が立つのは、レヴンよりひとつ歳上の男だ。レヴンの鍛錬に付き合う時もあり、村の中ではレヴンに次ぐ実力だった。
そうか、とカミュが呟いた。
「そこそこか」
「そこそこって」
「いや、言い方が悪かったな。なあ、兵士程度に腕が立つってんなら、そいつに一緒に来て貰ったらどうだ?」
「え?」
「その男も含めて数人程度なら、一緒に行けなくもねえんじゃないかって思ってな」
カミュの言葉に、レヴンは眼を瞬かせた。
「村人全員を逃がすのは、おまえが言った通り、無理だと思う」
「うん。だけど、エマたちを連れて行くのも」
「その腕の立つやつがいてくれるんなら、どこか安全なところを見つけて、そいつに守って貰っておくってのもありじゃねえかな。おまえの味方になってくれるやつも、旅先でできるかもしれねえし、そういったやつに一緒に匿って貰うとかな」
呆気にとられながらカミュの顔を見ると、彼は苦笑した。
「楽観的な考え方だとは思うさ。ただよ、おまえはおまえで、悲観的に考え過ぎだと思うぜ。それもしょうがねえとは思うけどよ、思い詰め過ぎるのもよくねえよ」
カミュが、じっとレヴンの顔を見つめてきた。
「おまえが納得してるってんなら、それでいいんだ。だが、オレにはそうは見えねえ。グレイグを信じるとかの問題じゃなくて、おまえ自身が、自分の選択に納得できてない。オレにはそう見えるぜ」
「それは」
「手を伸ばさなかったことを、後悔するかもしれねえ」
カミュの声には、深い
助けを求めて伸ばされた手を、とることができなかった。
不意に、そんな言葉が頭に浮かんだ。誰が言った言葉だったろうか。
おぼろげな意識の中で、それを聞いた気がした。
崖から飛び降りたあと、カミュから聞いた言葉なのではないか。ふっと、そんなことを思った。
「理屈ではそうするべきだと思っても、それでもあの時、なにかできたはずなんじゃないかって、後悔する。そういうもんだ」
カミュの言葉には、重みがあった。なにも言えず、ただカミュの顔を見つめる。
「デルカダールから脱走する時、兵士たちを助けたろ」
「うん」
「あれは、理屈じゃなくって、おまえがそうしたかったからだろ。それと同じさ。おまえはどうしたい。どうするのが、一番納得できる?」
「僕は」
口を衝いて出そうになった言葉を、無理やりに止めた。
どうしたいかなどと、決まっている。だがそれは、レヴンのわがままではないのか。レヴンが納得するために、誰かに負担を
「おまえはさ、真面目過ぎるんだよ」
「え?」
「おまえの背負ったもんを考えれば、そうなっちまうのもしょうがねえとは思う。だけどな、おまえはひとりじゃねえだろ。なんでもかんでも自分だけで抱えこみ過ぎだ。もうちょっと誰かに頼っても
「だけど」
「言えよ。おまえが本気なら、オレはいくらでも手を貸してやるよ。オレは、おまえの相棒だからな」
カミュが、ニヤッと笑って言った。
一度、大きく息をつき、眼を閉じた。気持ちを整理する。
抱えこみ過ぎる。確かに、そうなのかもしれない。
自分はどうしたいのか。無理だとかそういったものは考えず、ただそれだけを考えてみる。
眼を開き、カミュの眼を真っ直ぐに見つめた。
「みんなを、逃がしたい」
そう言ったあと、少しだけ視界が明るくなった気がした。同時に、自分の視野が狭くなっていたことに気づいた。自分の考えだけで、完結していた。
うまい手があるかはわからないが、みんなを守る方法を探す。いや、みんなで考えるべきだったのではないか。そんなことを思った。
レヴンが考えつかないような良案を思いつく者もいるかもしれないし、ダン村長のように昔からイシの村に住んでいる人たちなら、レヴンが知らない抜け道や隠れ場所なども知っているかもしれない。
楽観的な考えだと言われれば、その通りかもしれない。だが、やる前から無理だと決めつけ、みんなに犠牲を強いようとしていたのではないか。あきらめていただけではないのか。そう思う自分もいた。
それに、レヴンは脱獄した。グレイグは、村人たちに不必要に危害を加える真似はしないと言ってくれたが、彼がそう言ってくれた時と、状況は変わっている。
グレイグは信じられる男ではあるが、だからといってただ逃げるなど、甘えでしかなかったのではないか。それこそ楽観的に考えていたのではないのか。自分の全知全能を懸けて、村のみんなを守るための行動をとるべきだったのではないのか。
できるかどうかではない。やるのだ。自分の頭の中だけで延々と思い悩み、勝手にあきらめるよりも、そう思い定めて行動するべきだった。
「おう、そうだ。その方が、ずっとおまえらしいと思うぜ」
カミュがそう言って、ニヤリと笑った。
食事の後片付けを終え、ちょっと休憩したところで、カミュが荷物の方にむかった。
荷物から、カミュがなにか取り出した。薬を調合する時に使う物に見えた。続けて、四つほど小さな袋を取り出した。
「それは?」
「毒薬を作る道具」
「毒薬?」
「オレは、身のこなしに関しちゃ並より上だって自信はあるが、魔法が達者なわけじゃねえし、腕力が
作るのは、眠りの毒と、躰を
四つの袋は特別製で、それらの毒を持ち運ぶために作った物らしく、それぞれ違った模様がついていた。
二つは普段使うもので、もう二つは組み合わせ用の毒だとのことだった。ひとつは毒や麻痺毒に侵されている相手、もうひとつは眠ったり混乱している相手に使うことで、凄まじいまでの効果を発揮するらしい。
「要は、魔物に対する切り札さ。まあ、おまえみたいに魔法が遣えりゃあ、わざわざこんなことをする必要もないんだけどな」
「そうかな。魔法が遣えない状況だって結構あるし、カミュから教わっておきたい技術もあるよ。
石を、手で打ち放つ。兎を獲る時に、カミュが遣った技だった。手で石を打つだけといっても、これがなかなか侮れないもので、カミュが打った飛礫は、兎が反応する間もなく直撃し、あっという間に二羽の兎を狩ってしまったのだ。
続けざまに数発放たれれば、撃ち落とすのは難しいだろう。そう思えるぐらいの技だった。
カミュが、苦笑した。
「オレのあれは、それこそ小技さ。達人が遣えば骨だって砕ける技だが、オレはそこまでの腕じゃねえからな。硬いやつにはほとんど通用しねえ。それに、攻撃魔法が遣えるんなら、そっちの方がいいと思うぜ。無理に小技を覚える必要はねえだろ」
「けど、なにが必要になるかはわからないし、学べるものを学んでおきたいんだ。闘いで遣えるかもしれないし」
「教えるのは構わねえけどよ、戦闘で遣うのはやめとけ。多分、おまえに合った技じゃねえ」
「え?」
「追い詰められた時とかならともかく、積極的に遣うのはやめといた方がいい。オレのやり方は、なんでもありの盗賊流。極論すりゃ邪道の闘い方さ。勇者には勇者に合った闘い方があると思うぜ。前におまえが言ってた、デインって魔法とかよ、勇者だからこそ使える魔法や技があるんじゃねえか?」
「勇者だからこその魔法や技、か」
「変に小技を覚えようとするよりは、そっちの方がよっぽど身になると思うがね。そういった魔法の制御とかも含めてさ」
ふっと思い出すのは、ファナードが語ってくれた、古の勇者の物語。勇者が遣ったという魔法と、剣技。
大地を
レヴンの剣は、その領域にはほど遠い。剣に火炎を纏わせた技などはできるが、灼熱の剣などと言えるほどの技ではないのだ。純粋な剣技にしても同じだ。
呪文に関しても、
剣も魔法も、まだまだ未熟。それが、いまのレヴンの実力だった。
「あれもこれもと手を出すよりは、自分だけの力を磨くべき、か」
「オレはそう思うぜ。おまえができないことは、オレがやりゃいいだけの話さ。もちろん、逆も
「そう、だね」
幼いころ、はじめて魔法の練習をした時にベロニカから言われたことを、思い出した。
できなくてもいい。人には向き不向きがあるのだから。ひとりでできないことなら、助け合えばいい。
その言葉に、ずいぶんと気持ちが楽になったのを憶えている。だからこそ、自分ができることは、可能なかぎり磨かなければならないのだろう。そんなふうにも思う。
そういえば、ともうひとつ思い出したことがあった。
ラムダからイシの村に帰ったあと、テオから一冊の書を渡された。剣の指南書の写しだった。
武器はひと通り遣えるが、最も自分に合っていると感じたのは、片手剣と両手剣。片手剣に関しては、その指南書に沿って修めたもので、指南書が擦り切れるほどに読みこんだものだった。
なぜかはわからないが、不思議と躰に馴染む遣い方だった。
両手剣は我流ではあるが、躰の動かし方の土台となっていたのは、やはりその指南書のものと言えた。
ただ、その指南書に載っていたのは基礎的な部分だけであり、技の類は載っていなかった。原本があるとしたら、技なども載っているのだろうか。
いずれにせよ、技も魔法も磨かなければならない。いまよりもずっと強くならなければならない。
剣を執り、立ち上がると、火からちょっとだけ離れ、夜の闇にむかって剣を構えた。
そのまま、じっと構え続ける。自分自身と立ち合うような心持ちであるとともに、己の中のなにかと対話するような感覚でもあった。
どれだけそうしていたのだろうか。なにか、かたちの見えないなにかがぼんやりと浮かび上がってきたところで、レヴンは一度だけ剣を振った。
眼を醒ますと、日が昇ったところだった。カミュはすでに起きており、朝食の準備をしていた。
「ごめん、寝坊した」
「いや、オレが早く起きちまっただけさ。食ったら、辺りの探索をしよう」
「うん」
昨晩の残りを焚火で温め、食事を摂り終えると、速やかに荷物を纏めた。
イシの村に続くはずの、壊れた橋をもう一度確認する。橋の真ん中から見事に壊されており、修理するよりは作り直した方が早いだろうと思えるぐらいだった。
周囲を見渡してみるが、通れそうな道はない。崖の下を覗きこむと、ここらの魔物とは比較にならないぐらい凶悪そうな魔物が徘徊しているのが見えた。勝てる勝てないはともかく、降りたところで、向こう側に登れなければ意味がない。下に降りるのは、ほかに行く道がないとはっきりした場合の、最終手段だろう。
「やっぱり、橋を作り直すしかないかな」
「そうだな。しかし、ここに住んでるっていう樵は、どこに行っちまったんだか」
昨日、小屋の中を見た限りでは、いなくなってそれほどの時間が経ったわけではなさそうだった。この橋を直すための木を
「とにかく、探しに行くか。雷刃と
「うん」
疾風というのは、カミュが貰った馬の名前だった。
名前は、もともとはなかった。カミュもつける気はなかったようだが、レヴンの提案でつけることになった。
これから長い旅に付き合う、命を預ける友になる。名前をつけた方がいいのではないかと思ったのだ。
カミュはちょっと悩んだようだったが、やがてそれに頷いた。
乗り手であるカミュにも似合う、そんな名前として、『疾風』というのはどうだろうか。そう言ってみた。カミュに異論はなく、あっさりと名前は決まった。
「じゃあ、ちょっと行ってみるか」
「うん。雷刃。疾風と一緒に、ここで待っててくれるかい?」
レヴンが言うと、雷刃が耳を動かした。頷いたような感じだった。レヴンも頷き返した。
カミュとともに辺りを見回すと、昨日、犬が出てきた繁みが気になった。カミュも同じだったようで、まずはそこから探索してみることにした。
繁みをかき分けて中を覗きこむと、獣道があった。カミュが先に入り、ともに周りを警戒しながら進んで行く。犬もついて来た。
やがて、拓けた場所に出た。
「ん?」
訝し気なカミュの声が聞こえた。視線の先を見ると、イシの村の木に巻きついていたものと同じような、大きな木の根っこらしきものがあった。
根っこのようなものに近づき、観察する。淡い光が、根っこを包んでいるように見えた。
「っ?」
左手から、不思議な熱さを感じた気がした。眼をやると、左手の痣もまた、根っこと同じように淡い光を放っているように見えた。
呼ばれている。ふっと、そう感じた。
「どうした、レヴン?」
「なんだか、呼ばれてる気がする」
「なに?」
首を傾げるカミュにそれ以上応えず、根っこのようなものに左手を
痣と根っこが、呼応するように光を放った。
気がつくと、どこからか覗きこむように、樵の小屋を見ていた。どこか、ぼんやりとした視界だった。見回そうとしても視界を変えることができず、まるで誰かの眼を借りているかのように、その景色を見ることしかできなかった。
『カッコン、カッコン、木を伐るべ~。オラは樵、森の恋人~』
歌らしきものが、どこからか聴こえてきた。
小屋のむこうから、髭を生やした中年の男が歩いて来た。男の背はあまり高くないが、かなりがっちりとした躰つきをしていた。
樵が、なにかに気づいたような仕草を見せ、硬直した。
『ゲエエーーーーーーーーッ!?』
硬直の解けた樵が、驚愕の声を上げた。彼の視線を追うように、視界が変わった。
樵の視線の先には、壊された橋があった。
『昨日直したばかりの橋が真っ二つ。また作り直さなけりゃならんっ。誰だべや、こんな酷いことをするやつは!!』
『ジャジャーンッ!!』
憤慨する樵の声に答えるように、橋の下から声が響いた。間を置かず、橋の下からなにかが飛び上がり、橋の残骸の上に降り立った。
紫の体色。頭には二本の触覚。背中には小さな羽を生やし、一本の尻尾をゆらゆらと揺らしている。インプという魔物だったろうか。
『それはこのオレ、いたずらデビル様よ~~っ!』
『なっ』
『いたずら!』
樵が固まり、インプ、いたずらデビルがなにやらポーズをとった。
樵が逡巡する様子を見せた。いたずらデビルと闘うか、それとも逃げるか、迷ったように見えた。
『変身!』
いたずらデビルが、違うポーズをとった。
樵がハッとし、いたずらデビルに背をむけて駆け出した。逃げることを選んだようだった。
『あー、こら、逃げるなよ!』
いたずらデビルが不満そうな声を上げるが、樵はふりむかずに駆けていた。
もう少しで女神像の近くに到達するというところで、いたずらデビルがニヤッと
『なーんてな、ビーム!!』
『ぎょえーーーーーっ!?』
いたずらデビルが触覚から放った光線が、樵に直撃した。あたりに、白い煙が立ちこめた。
煙が晴れる。樵の姿はなく、代わりに一頭の犬がいた。あの犬だった。
『キーッカキカキカキカ~~、残念でしたー。必死になって逃げちゃって、面白かったぜ~~』
『キカキカ~~、
いたずらデビルが言い、飛んだ。
再び、視界が変わった。宝箱が見える。滝の音が聞こえた。
宝箱のそばに、いたずらデビルが降り立った。
視界が、段々暗くなってきた。
『おっ、この宝箱は空っぽか。じゃあ、お次はこの宝箱に隠れてっと』
その声を最後に、視界が暗闇に染まった。
***
眼を開けると、真っ暗だった。同時に、窮屈さを感じた。
混乱しかけたところでいたずらデビルは、宝箱の中だということを思い出した。樵に悪戯したあと、滝のそばにあった宝箱の中に隠れたのだ。
人間がこの宝箱を開けようとしたところで、不意を打って飛び出し、驚かせてやるつもりだったのだ。しかし、待てども待てども人間が来ることはなく、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
このままこうしていても、人間は来ないかもしれない。そう思いはしたが、いまさらこの宝箱から出るのも、なにかに負けたような気がして嫌だった。別に誰かと勝負しているわけではない。気持ちの問題である。
しかし、いつまでこの宝箱に入っているつもりなのかとは、自分でも思わなくはなかった。
どうしたものかと思ったところで、あることに気づいた。この樹海を通る者は、よその地域に行くために通るのがほとんどだ。だが、ナプガーナ密林とよその地域を繋ぐ西の橋は壊れており、南側に通じる橋も、いたずらデビル自身が壊した。そしてこの滝は、樹海の奥に多少踏み入ったところにある。それで、この滝の近くにわざわざ来る者などいるだろうか。
まず、いないだろう。壊れた橋を見たところで、まず引き返す。こんなところまで来る酔狂な人間など、そうはいまい。
「チッ」
無駄な時間を過ごした、といたずらデビルは舌打ちした。
このあと、どうするか。ほかの場所に行くのもいいが、どうにも物足りないという思いが強かった。
ふっと、ひとつ思いつくことがあった。
樵を元に戻してやるのだ。そして、樵が橋を直したらまた壊し、再び樵を犬にするのだ。一度喜ばせてやり、突き落とす。いい考えではないか、といたずらデビルは思った。
「っ?」
思い立ったが吉日とばかりに宝箱から出ようとしたところで、近づいて来る人間の気配を感じた。
ついてるな、といたずらデビルはほくそ笑んだ。宝箱から出ようとしたところで人間が来たのだ。これはすなわち、思う存分、悪戯をしろという、魔王様の
足音が、近づいて来た。
さあ、驚かせたあと、どんな悪戯をしてやろうか。あの樵みたいに犬にしてやろうか。いや、猫とか鳥とかどうだろうか。
考えているうちに、足音が間近で止まった。思考を一時中断し、ニヤッと笑った。
いまだ。
「ジャジャジャ、えっ?」
宝箱の蓋を勢いよく開けようとしたが、持ち上がらなかった。蓋の上になにかが乗っているかのように、びくともしない。
二度、三度とさっきより力を入れて持ち上げようとするが、やはり開かない。なにかに押さえつけられているようだった。
力を、ふり絞った。
「こ、このおおおおおおおおーーーーーーーーー、っ!?」
今度は、拍子抜けするぐらい簡単に開いた。予想していた抵抗がなかったせいで、つんのめるように宝箱の中から躰が飛び出し、
視界の上の方に、誰かの足が見えた。顔を上げる。紫色の服を着た、サラサラヘアーの男がいた。
「ほんとにいたな」
「っ!?」
声は、いたずらデビルの背後から聞こえた。慌ててふりむいた。
宝箱の蓋の向こうに、青髪をツンツンと逆立てた男がいた。なにやら複雑そうな表情を浮かべていた。
いつの間にうしろに、と思った。人間の気配は、ひとりしか感じなかったはずだ。だがいまは、強い気配を放っていた。気配を隠していたのだと、わかった。
宝箱を押さえつけていたのはこの男かと、ハッと思い至った。
正面の、サラサラヘアーの男にむき直る。険しい眼でこちらを見ており、強い気配を放っていた。うしろの青髪の男よりも強い。近づいていた気配は、こんな強いものではなかったはずだ。
サラサラヘアーの男は、いたずらデビルの注意を引くために気配を抑えて無造作に近づき、青髪の男は気配を消して宝箱に近づき、押さえつけたということなのだろうか。いたずらデビルがここにいることを、知っていたということなのか。
いろいろと気にはなったが、どうでもいいことだった。このいたずらデビルを驚かせてくれたのだ。なにか痛い目に遭わせてやらなければ気が済まない。悪戯するのは大好きだが、悪戯されるのは大嫌いなのだ。
「おまえら、このいたずらデビル様を怒らせて」
「樵を、元に戻すんだ」
サラサラヘアーの男が言った。声に含まれた怒気に、いたずらデビルの躰が思わず
「な、なに?」
男が、ちょっと考えこむ仕草を見せた。
「犬にした樵を、元の姿に戻して欲しい」
「な、なんで知ってやがる!?」
あの術は自分が作り上げたものであり、ほかのインプは使えないはずだ。使ったのも、あの樵に対して使ったのが最初であり、あの場にはほかに誰もいなかったはずなのだ。知られているはずがない。
得体の知れない存在に内心で恐怖を抱くものの、なにをビビってやがる、と己を叱りつけた。魔物、知性を持った悪魔族であるこのいたずらデビルが、人間ごときに臆してたまるものか。
「キッカーッ!!」
飛び上がり、空中から男たちを見下ろした。二人が武器を抜き、構えた。サラサラヘアーの男は剣、青髪の男は短剣だった。
「はっ、なんで人間なんぞのお願いを聞かなくちゃならねえんだよ。だいたいだな、オイラは魔物だぜ。人間を襲うのがライフワークってやつよ。殺されなかっただけありがたいと思いな!!」
「っ」
「キカッ!?」
サラサラヘアーの男の眼が、鋭くなった。威圧感が増し、いたずらデビルは反射的に高度を上げた。
男たちを見据え、グルグルと腕を回した。
「ギラ!」
「っ!」
「当たるかよ!」
突き出した指先から熱線を放つが、男たちは軽々と避けていた。
気配の強さからして、いたずらデビルが敵う相手ではないというのはわかっていたが、吠え
そこで、はたと気づいた。やつらの目的は、あの樵を元に戻すことのようだ。あれは呪いの類であり、いたずらデビル自身の手で消すか、いたずらデビルが死ぬことで解呪される。
このままいたずらデビルが逃げてやれば、やつらの目的が達成されることはない。いたずらデビルとしては、やつらが悔しがればそれでいいのだ。勝てそうにない相手に対して、無理に危険を
そう思い直すと、高度を
「樵を元に戻したけりゃ、オイラを
大声でそう言うと、青髪の男が焦りの表情を浮かべた。ニヤッと嗤う。あの顔が見たかったのだ。
この距離と高度なら、近接武器はまず届かないし、攻撃魔法も避けられる。見たところ、弓などは持っていない。
いたずらデビルを斃すことは、不可能だ。
「おとなしく、樵を元に戻すつもりはないということか?」
サラサラヘアーの男が、声を上げた。焦りは感じられず、淡々とした声に聞こえた。
言いようのない恐怖が、いたずらデビルの胸に湧き上がった。
「二度も言わせるなよ。人間なんぞのお願いなんぞを聞く義理はねえんだよ、バーカ!!」
自分の中の
サラサラヘアーの男が、大きく息をついたように見えた。
「そうか。わかった。もういい」
その声は、不思議とはっきり聞こえた。静かな声だった。普通なら聞こえるわけがない大きさの声のはずが、まるで耳もとで言われたかのように、はっきりと聞こえていた。
天を指さすように、男が左手を翳した。
逃げろという叫びが、己の内から聞こえてきた。
その声に逆らうことなど考えられず、連中に背をむけるように、いたずらデビルは急いで反転した。
「デイン!!」
声が聞こえたと思った瞬間、いたずらデビルの躰を凄まじい衝撃が襲った。視界が閃光に包まれている。なにも見えない。なにも聞こえない。
衝撃はすぐに消えたようだったが、躰の自由が
すでに、いたずらデビルの躰は、死を待つのみとなっている。このまま地に激突して死ぬか、それとも宙で消滅するか、どちらにしても長くはないだろう。それなのに、眼ははっきりと見えていた。思考を走らせることもできる。意味もなく。
あの男たちが、見えた。きっと、いたずらデビルを斃すことができて喜んでいることだろう。最期に見る光景が、人間の喜ぶ姿などとは、
「――――」
サラサラヘアーの男が見えた。真っ直ぐに、いたずらデビルを見つめていた。ただ静かに、見つめていた。
形容しがたい感情が、胸の内に生まれていた。
クソが。魔物を斃したんだぞ。もっと喜べよ。人間のくせに、なんでそんな眼でオレを見やがるんだ。
そう思ったのを最期に、いたずらデビルの意識は暗闇に呑まれていった。
いたずらデビルが落下しながら消滅したのを確認し、レヴンが剣を鞘に納めた。カミュも同じく短剣を鞘に納める。
「レヴン」
カミュが呼びかけると、レヴンがむき直った。
「なに、カミュ?」
「魔物ってのは、基本的に人間を敵視してる。友好的なやつもごく
じっと見つめ合い、カミュは小さく息をついた。
「言っておきたいのは、それだけだ」
「カミュ」
「いたずらデビルの言葉がほんとうなら、樵も元に戻ってるだろ。行こうぜ」
「うん」
カミュが先行し、レヴンがあとを追うかたちで歩き出した。少しして、並ぶかたちになった。
いたずらデビルが潜む宝箱に行く前、レヴンからひとつ相談されたのだ。人語を解する魔物だったら、言葉が通じるのなら、斃さずに済ませることはできないだろうか、と。
人語を解する魔物がいるのは知っていたが、遭遇するのははじめてだったらしい。まず無理だろう、とカミュは答えた。
魔物は、人間に対して強い敵意を持っている。人間だけでなく、人間とともに暮らす動物などに対してもそうだ。野生の獣が魔物から襲われることはほとんどないが、人間とともに暮らしていた、野に放された動物は襲われる。それほどまでに、ほとんどの魔物は人間を敵視している。
なぜなのかは、いまだにわかっていない。そういうものなのだ、と言うしかないものだった。
ただ、人とともに生きることを選んだ、人に友好的な魔物も時にいるという。そういった魔物は、人の言葉を喋れる者が多いという話だ。基本的に人の言葉を喋れないはずの魔物も、喋っているという。
レヴンの祖父であるテオも、そんな魔物を旅の中で見たことがあったそうだ。ある地方にある学校では、人間だけでなく魔物も一緒に学び、仲良く暮らしていたという。
そんな話を聞いていたのだから、斃さずに済ませられないかとレヴンが言うのも、わからなくはなかった。
それでもレヴンは、闘うと決めたら、闘う男だ。誰かの命がかかっているというのなら、なおさらのことだ。覚悟は決めていたのだろう。いまは、はっきりと前をむいていた。魔物を斃したことを誇るわけではない。ただ、しっかりと受け止めているように見えた。
歩き続けると、やがて女神像と小屋が見えた。小屋の前に、髭を生やした男がいる。男が、カミュたちに気づいたような仕草を見せ、手を振ってきた。レヴンが手を振り返した。
橋を渡り、女神像のあたりに来たところで、男が駆け寄って来た。
「おう、旅人さん方、ありがとな。おかげで元の姿に戻れたべ!」
「ってことはあんた、やっぱりあのワンコロか?」
「ワンッ、じゃない、おうっ。あの魔物の術で犬に変えられていた、樵のマンプクだ。いやあ、ありがとうなんて言葉だけじゃ、オラの気が済まねえだ。なにか、オラに手伝えることはねえか?」
「手伝えることか。あるぜ。あの壊されちまった橋を修理するのを、手伝って欲しい」
「お安い御用ってもんだべ。それに、それはもともとオラの仕事だ。橋の修理さ、終わるまで、オラの小屋で休んでいくといいべ」
「いえ、僕もやります」
「同じくだ」
「だけど、疲れてねえべか?」
樵、マンプクが気遣うように言った。
「平気です。それに、じっとしていられなくて」
「そうか。わかっただ。じゃあ、お言葉に甘えて、手伝って貰うべ」
「はい」
「おう」
「にしても、サラサラヘアーの兄ちゃんが木の根に近づいた時に見えた光景だけどよ、命の大樹の導きってやつかもしれねえだな」
「命の大樹の導き?」
マンプクの言葉に、カミュは聞き返した。レヴンも興味深そうにしている。
命の大樹。世界の真ん中に浮かぶ巨大な樹。葉っぱの一枚一枚にすべての生き物の生命を宿し、世界の調和を保っていると言われる神木。
マンプクが、頷いた。
「んだ。亡くなったオラの爺様から、よく聞かされてただ。あの木の根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが顔を出したもんで、選ばれし者に大樹の意思を伝える。それを大樹の導きって言うそうだと、爺様が話してただ」
「選ばれし者」
レヴンと顔を見合わせると、マンプクが笑い声を上げた。
「オラがいくら根っこに話しかけてもなんも起きなかったし、大樹の意思を聞いたとかいう人も見たことなかったからな、爺様のホラ話かなんかだと、いまのいままで忘れてたぐらいだ」
マンプクが、レヴンにむき直った。
「兄ちゃん。あんた、命の大樹に愛されてんだな。髪の毛もサラサラだし、羨ましいかぎりだべ」
「命の大樹に愛されし者、か」
呟いたところで、カミュの頭にあることが浮かんだ。
野営地で、犬になっていたこの樵に、自分たちの話を聞かれたりしてないだろうか。寝ていたはずだが、聞かれている可能性は捨てきれないのではないか。
レヴンもそれに思い至ったのか、ハッとしてマンプクを見た。
「どうしただ、二人とも?」
「いや、あんた、犬になっていた時のこと、どれぐらい憶えてる?」
「ん?」
首を傾げたあと、マンプクがなにかに思い当たったかのような仕草を見せた。
「そだなあ。少なくとも、昨日の夜はあっという間に眠っちまったからなあ。二人の会話はほとんど聞いてなかっただなあ」
そう言って、マンプクが声を上げて笑った。
再びレヴンと二人で顔を見合わせ、マンプクの顔を見た。
「あんたらはオラの恩人だ。旅の無事を祈ってるだよ」
マンプクが、男くさい笑みを浮かべた。
***
井戸のそばにある木の下で、エマは大きく息をついた。昼の休憩時間だ。
レヴンが旅立って、数日が過ぎた。レヴンのことで、エマを気にかけてくる人たちもいたが、心配いらないと笑顔で返している。
レヴンがいなくなって、最も気にするだろうと思われていたエマが、そんなふうに普通に生活しているからだろう。最初のころはみんな、ちょっとぎこちない感じがあったが、少しずつ慣れてきたようだった。
レヴン以上に、自分たちのことを心配しなけりゃならないだろう。そう言ったのは、レヴンの義母であるペルラだった。
本来、魔物が現れるはずのない神の岩に、魔物が現れたのだ。このイシの村も、いつ魔物に襲われるかわからない。魔物が村を襲ってきたら、いま村にいる者たちで対処しなければならないのだ。村一番の腕利きであるレヴンがいない状況で、である。
確かにそうだと頷いたのは、村の若い男たちだった。自分たちの生活を守るためにも、レヴンの故郷を守るためにも、自分たちの手で村を守るのだと気炎を吐いていた。
「エマ」
「ん?」
かけられた声にふりむくと、見知った男がいた。黒目黒髪で、体格はレヴンと同じぐらい。目つきが少し鋭く感じるが、特徴と言えばそれぐらいのものだ。名は、ジャイル。歳はエマとレヴンのひとつ上で、彼もまた幼馴染みと言える間柄である。
剣の腕では、村の男たちの中でも、レヴンに次ぐ実力を持っているとされる男だった。
「ああ、ジャイル。お疲れ様」
「ああ。エマも、お疲れ様」
「うん。ジャイルは、これから特訓?」
エマが言うと彼は、ああ、と頷いた。
「レヴンがいなくてもこの村を守れるように、強くならなきゃいけないからな」
村の入り口がある北の方を見て、ジャイルが静かに言った。淡々としているが、並々ならぬ強い意志が感じられる声だった。
真面目な男であり、いわゆる
「それにしても」
ジャイルが、エマにむき直った。なにか言いたげな眼をしていた。
「なに、ジャイル?」
「いや、レヴンが旅立って数日経ったわけだけど、普通にしてるなと思ってさ」
「普通にしてたら、おかしいかしら?」
「おかしいだろう」
「へ?」
断言され、エマは呆気にとられた。
「な、なんで?」
「なんでもなにも」
ジャイルが、遠い眼をした。
「幼いころからずっと、レヴンレヴンって言ってべったりしてたろ」
「そ、それはそうだけど」
「一緒に遊んでたはずのほかの連中、俺とかを放っておいて、あいつのところに行ったりした時もあったな」
「そ、そうだったかしら」
「それに昔、あいつがテオじいさんと一緒に旅に出た時なんか、あいつが戻ってくるまで一切笑顔を見せなかったじゃないか。普通にしてたら、なんだかおかしいと思うぞ」
「そ、それは、って、ちょっと待ってよ。それってみんな、子供のころの話でしょ。私だって成長ぐらいするわよ!」
エマが声を上げるとジャイルが、なに言ってんだこいつ、とばかりに
「暴れ馬退治の依頼の時、レヴンが雷刃を連れて帰ってきた時だけど、ひと晩あいつが村を留守にしたな」
「え、ええ。そうね。それがなに?」
「村長が言ってたぞ。エマが全然笑わなくて、とても居心地が悪かったと」
「そんなことっ」
ジャイルの言葉に、あの日のことを思い出す。あの日のことは、なぜかはっきり思い出せた。
誰かが話しかけてきても、ポツポツとしか答えず、まったく表情を変えていなかった。
「そんなこと、あるかもしれないわね」
目を泳がせながらエマが言うと、そうだろう、とジャイルが頷いた。
「あと、ダジャレを言っても、まったく笑ってくれなかったと」
「それはいつものことよ」
「そうだな」
ジャイルが苦笑し、エマも苦笑した。エマの祖父であり、イシの村の村長であるダンはダジャレが趣味であり、エマなどになにかとそれを聞かせてくるのだ。クスっとしてしまうようなものもたまにあるが、基本的にはしょうもないダジャレが多かった。
「まあ、なんだ。そんなエマが普通にしてるからさ、なにかあったのかと思ってさ」
「なにかって」
「レヴンとだよ。告白でもしたのかなって」
ジャイルが笑った。爽やかな笑顔ではあったが、どこか苦しそうな笑みにも見えた。
その笑顔に内心で首を傾げながら、軽く苦笑した。
「してないわよ。ただ、ちょっと約束しただけよ。旅がひと段落したら、一度帰ってきてねって」
ベロニカのことは、言わなかった。ジャイルも、エマとレヴンがいつか結婚するだろうと思っているひとりだ。下手にベロニカのことを言うわけにはいかない。
そうか、とジャイルが息をついた。なんとなく、ほっとしたように見えた。
「それに、ね。私もちょっと思うことがあるのよ」
「思うこと?」
「ええ。私も、変わらなくちゃって」
レヴンを見送った時にも思ったことを思い出し、微笑んだ。
ジャイルが、ちょっとだけボーっとした様子を見せたあと、慌てたようにエマから顔を逸らした。顔が、かすかに赤くなっているように見えた。
「どうしたの?」
「い、いや、別に、ん?」
ジャイルが北の入口の方を見て、なにかに気づいたように声を洩らした。
「ジャイル?」
「いや、なんだかむこうが騒がしい気が」
「え?」
北の入口の方にむき直る。確かに、どこか騒がしい気配が感じられた。
不意に、レヴンのことが頭をよぎった。
まさか、彼が帰ってきたのだろうか。そんなことを思ったあと、いくらなんでも、こんなに早く帰ってくることはないだろう、とその考えを否定する。
「なにかしら?」
「さあ、なんだろうな。ちょっと行ってくる」
「あ、私も行くわ」
ジャイルのあとを追うように、エマも歩き出した。
お待たせしました。
「エマのやつ、おまえが旅に出ている間、みんなに心配かけないようにって無理して笑うんだ」とかだったら、『健気な子!』って気持ちになるけど、「全然笑わないんだ」とか言われるとさすがに、『重いよ!?』って気持ちになる。なった。
一応、二人目のオリキャラとなるジャイル。原作で、「エマを頼むぞ」と言っていたイシの村の彼が元だったり。
名前の元ネタは、ドラクエ5の妖精の国、春風のフルート関連のイベントで出てきた『ザイル』だったりしますが、なぜ彼の名前からとったのか自分でもわかりません。小説版の彼はなんかいいキャラしてたというか、いい役どころだったなーとか思う。
『ふしぎな鍛冶セット』の設定は独自解釈です。あの大きさの物を常に運んでるんか、と思ったので。『キャンプ地でしか鍛冶ができない=女神像のところに行くと巨大化する』という感じで。というか、ほんとにどこで手に入れたんだ、この鍛冶セット。