機動戦士ガンダムSEED ZIPANGU   作:後藤陸将

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PHASE-34.5 発熱仮面39度

 

 C.E.71 6月11日 フィリピン海 深度700m ボズゴロフ級潜水母艦ラッセン

 

 汗で全身に張り付いたシャツの不快感でアスランは目を覚ます。体を起こすと、彼は同年代よりも広い額に張り付いた前髪を剥がした。髪に触れた手のひらに水気を感じる。タンクトップ姿のまま外に出るのはまずいだろうと考えて上着を袖を通さずに羽織る。喉も渇いていたので、彼は水分を補給するために食堂へと足を運んだ。

 

 ……食堂はいつからゾンビが迫り来るゲームの舞台に改装されたのだろうとアスランは自問する。食卓には上着を脱いで、その趣味があるお姉さま方ならば目を輝かせるであろうタンクトップ一枚の姿を見せつけているゾンビが1、2、3……計4体。長いすにもたれかかるようにしているツナギのゾンビが6体。そして、彼らは食堂への来訪者に目玉だけを向けてきた。正直怖い。

「ニコル……まさか、シフト外れてからずっとこの様子なのか……?」

そう、彼らは現在休憩中のはず。自分と同じように寝室で寝ているはずだったのだ。その時、腹這ゾンビ……もとい、イザークが口を開いた。

「貴様の寝室は恵まれているからそのようなことが言えるのだ……」

いつもと違って覇気がない。何か色々と諦めている様子だ。こんなに大人びて……いや、こんなに静かなイザークなんてアカデミー時代から見たことが無かった。目を丸くしているアスランにニコルが説明する。

「僕達に割り当てられた士官室っていうのが、機関室と壁一枚隔てたところにあるんですよ……室内温度が40度から下がらないんです。冷房も一昨日に力及ばずにお亡くなりになりました」

なるほど。自室で休むほうが辛いためにここで死んでいたということか。まぁ、実際はゾンビになっただけで死んでないんだが。

 

 彼らは現在、大日本帝国が所有する種子島のマスドライバーを破壊する任務についていた。そして種子島までの道のりに設置されている海底ソナーと100機を越す対潜哨戒機、対潜装備が充実した駆逐艦によって構成されている大日本帝国海軍ご自慢の対潜哨戒網を潜り抜けるために海底火山帯のど真ん中を進んでいたのである。

当然、熱せられた海水の中を進む彼らの潜水艦の内部は凄まじいことになっていた。機関室では気温が50度を超え、熱中症で倒れるクルーも出ていた。いくらナチュラルよりかは丈夫なコーディネーターといえども、限界がある。

作戦の説明時では、『通常のコーディネーターであれば海底火山帯を航行中の潜水艦の内部の環境に耐えうる』というフェブラリウス中央病院の医師のお墨付きがあるため、理論上は問題は無いとクルーゼから聞いていたが、絶対嘘だとアスランは断定していた。

艦内の最低温度は35度。しかもこれは冷房の出力を最大にしたという前提でだ。さらに乗員の発汗によって湿度は常時70%以上をキープという地獄の環境だ。もしも、この作戦から生還できたならばこの作戦の立案者を1週間男の汗が充満したサウナに閉じ込めてやるとアスランは決めていた。これは艦のクルーの総意でもある。

因みに、クルーは常に生理食塩水を携帯することが船医によって義務付けられている。しかも2リットルサイズの水筒に満タンに入れてだ。なんの冗談かと思うかもしれないが、当事者たちからすれば当然のことである。

船内の勤務は3交代制で、一人当たり一日8時間勤務に当たることになっている。室内温度35度、湿度70%の環境で長時間勤務するとなれば水分補給は必須である。因みにラッパ飲みが普通だ。

そして、艦内の臭いも凄まじい。周囲の海水から真水を取り出せるために一応炊事洗濯用の水には困らないが、汗が止まらない環境下ではいくらシャワーで汗を流そうと、汗まみれのなった服を洗おうと常に誰かの汗が気化しているために臭いは消えない。食事も基本的に温められたもののみだ。

 

 某ホラーアクションアドベンチャーゲームの舞台となっている食堂にまた誰かがやってきた。その特徴的な仮面を目にした瞬間、ゾンビ共も一瞬にして飛び起き、上着を羽織って敬礼した。

「ザフトの範たるエリートの君たちが情け無い姿を曝しているな……ふん、君たち、知ってるかね?我々が戦いを挑む日本では昔から、『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉があるらしい。この言葉の意味は、人間多少の暑さぐらいどおってこと無いと……」

ザフトの英雄、ラウ・ル・クルーゼ隊長。今作戦の指揮をとる人物はこの地獄のような環境の中、その白服を普段通りに着こなしている。そしてあの仮面、蒸れないのか気になる。正直言って見てるだけで暑苦しい。そしてこの蒸し暑さの中での訓示というものほど疲れるものはない。しかも、今回のクルーゼ隊長の話は長い。普段であればあまり時間を取らずに切り上げる隊長にしては非常に長い。

「……プラントという気温、湿度、日照量まで調節された環境で育った若者はまるでモヤシのようではないか。だいたい……」

アスランは何かを超越した感覚の中にいた。自分の髪から滴る汗の一滴まで鮮明に見える。そしてそのハイライトが消えた目でクルーゼを見据える。

おそらく、この暑さで隊長もどこかおかしくなっているのだろう。隊長として暑さでへばっているところを見せられずにいるため、自分達以上の苦行を強いられていることは察していた。しかし、だからといってこのような形で不幸と苦痛の再分配をしなくてもいいものを。そうアスランは切実に感じていた。

「作戦部に私が所属していたならば、このような作戦を提案するならば、自分たちも共に乗り込むぐらいの覚悟を……を……」

そこまで言った時点で突如クルーゼは腹を抱えて前のめりになって膝を折り、そのまま食堂の床に崩れ落ちた。

 

「た……隊長!?クルーゼ隊長!?しっかりしてください!!」

ハイネが駆け寄り、クルーゼを揺さぶる。しかし、クルーゼの意識は無い。

「おい、アスラン!!医務室に隊長を運ぶぞ!肩を貸せ!」

そのままクルーゼは医務室に担ぎ込まれた。

 

「体温が39度……そして、発汗作用に異常。うん、なるほど……熱中症だな」

そんなことは今更聞かなくてもでもわかる。灼熱地獄であんな暑苦しい格好を続けていて耐えられるわけがない。せめて仮面ぐらいはずせばいいのにとアスランは内心溜息をつく。指揮官であるクルーゼには意地を張らないで健康を保っていて欲しかった。作戦の実行時に備えて。

「全く、こないだは集団食中毒、今度は熱中症か。もう少しみんなには健康に気をつかってもらいたいもんだ。医務室が戦闘前に盛況なんて状況はどうにもなれやせん」

船医の言葉にも一理あるとは思うが、この環境ではそれも仕方が無い。一昨昨日に起こった集団食中毒もある意味仕方が無いことだ。熱水の中を進んでいるうちに冷蔵庫内部の温度が上昇し、生鮮食品がいたんでいたのだから。より厚い外壁に覆われた冷凍庫はなんとかその機能を維持している。幸いにも元々容量が大きな冷凍庫であり、多くの水を入れることができた。現在、ここで造られている氷が全クルーの命を支えているといっても過言ではない。

因みにアスランもその際に犠牲者になっている。お湯が流れるトイレで用を男達が代わる代わる済ますあのおぞましい光景はもう思い出したくはない。コーディネーターは病気への抵抗力が強いはずだったが、限度を超えていたのだろう。

そんなことを考えながら医務室にディアッカを残してアスラン達は通常勤務に戻っていった。ディアッカも軽い脱水症状の恐れがあると船医に診断されたためだ。

 

「隊長!?気がつきましたか?」

「ここは……そうか、私は食堂で倒れて……なるほどな。熱中症か」

アスラン達が通常勤務のために退室した10分ほど経過し、クルーゼは意識を取り戻した。、ディアッカに声をかけられた後に一瞬で自分の身に何が起こったかを把握するクルーゼの状況判断能力は感嘆するものだった。しかし、そんな能力があるのならば意地を張らずに冷静に判断しておけばよかっただろうに。ハイネは呆れ半分、尊敬半分といったところで素直にこの上官を敬うことはできなかった。

 

「隊長、わかっているとは思いますが……」

ディアッカがそこから先を言う前にクルーゼが口を開いた。

「ふっ、分かってるさ。私もこのような環境下で鯱張ってはいられない。私自身がもたないし、他のクルーの体調にも関わりかねん。ここは一つ、対策をうつとしようか」

 

 

 艦内はクルーゼが倒れたという噂でもちきりだった。あまりこの噂が拡散することはいいことではないとアスラン自身は思っていたが、これは仕方が無い。目撃者も多く出ているし、この狭い艦内で情報を遮断することは難しすぎた。

MSハンガーで清掃作業にアスランが汗を流している中、艦内の連絡用モニターに突如クルーゼが映し出された。ベッドに座っていることや、後ろに移っているものから推測するに、医務室から回線を繋いでいるのだろう。何故かズボンの裾が膝まで捲くられていることが気になる。

「艦内の全クルーに通達する。私が熱中症で倒れたことは諸君も既に知っているだろう。この暑さの中では私の次の犠牲者が出る可能性も否定はできないだろう。そこで……」

その時、画面の端にバケツを持ったディアッカが映りこむ。何事かと思って目を凝らす。

「隊長、失礼します」

「うむ」

ディアッカが屈み、その手に持っていたバケツが画面の外に消える。クルーゼが足を片方ずつ上げるのに合わせてディアッカがクルーゼの足元に何かを運んでいるようだ。そして、ディアッカは先ほどとは異なるバケツを持って退室した。クルーゼは仮面で表情は良くわからないが、どこか気持ちよさそうだ。

 ……おそらくだが、クルーゼは足を水の入ったバケツに入れていたのだろう。そしてディアッカは足元のバケツをより冷たい水に交換したというところか。そんな光景を見せられたクルーはなんとも言いがたい表情でモニターを見つめる。ネビュラ勲章を授与された英雄の締まらない姿に何を感じたかは言うまでもないことだろう。

画面の先の相手のことなど全く気にしていないのか、クルーゼは話を続ける。

「ああ、話を戻そう。艦内の異常な高温多湿の状況を考慮し、艦内の居住区温度が30度以上となった場合に限り、服装規定を撤廃することとする。流石に良俗に反しない程度という制限はあるが、それさえ守られるならば、各自、涼しい服装でいることを私が許可しよう。それでは諸君、健康管理を怠らずに任務に励んでくれたまえ」

そう締めくくって艦内のモニターからクルーゼは姿を消した。

 

 翌日から、ラッセンの艦内は上半身がタンクトップ、首や頭にタオルという姿がデフォルトとなった。いつからザフトは肉体労働系アルバイターの職場になったのだろうかとアスランは自問する。そういう彼もランシャツにランパンとさわやか運動部系のファッションであるのだが。因みにクルーゼもタンクトップ姿であったということだ。ただ、彼はその仮面をはずすことは一度としてなかった。その脅威の精神力だけはクルーにも評価されていた。

そしてこうした軍艦にあるまじき光景は種子島攻撃の3日前まで続いた。

 

 余談だが、この作戦に参加していたもう一隻の潜水母艦レーニアには女性士官が乗り込んでいたこともありここまでの薄着は許されず、男は上着を脱いで上はシャツ一枚、女性はフィットネスウェアで勤務していたということだ。


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