C.E.71 7月1日 L4 『伏見』
L4コロニーの中で『安土』は最も外延部に位置するコロニーで、そこは大日本帝国宇宙軍連合艦隊が利用する軍港コロニーだった。それ故にL4に迫り来る敵の迎撃にはうってつけの場所であった。ここに設置された『安土』鎮守府はL2方面に展開している宇宙軍を統括している軍政機関でもある。そしてその鎮守府の指揮下には同じくL4に存在する工廠コロニーや教育機関、研究機関コロニーがある。
しかし、先月のザフト軍の奇襲により『安土』は深刻なダメージを被り、軍港としての機能を果たせなくなった。現在、宇宙軍工作隊は大破した『安土』の修復に全力を傾けているが、全面復旧には最短で2ヶ月かかる状態であるという報告を受けて宇宙軍の艦隊は現在その母港を建設途中だった新造軍港コロニーであった『大坂』に移動させていた。
また、『大坂』の後方にて建造中だった工廠コロニーは7月から稼動をはじめ、先の戦闘で傷ついた軍艦の修繕作業を開始している。『安土』内に設置されていた聯合艦隊総司令部も艦隊の移動を受けて『大坂』への移転作業にかかっていた。
その一方、日本の宇宙実働部隊の統括機関であった『安土』鎮守府は軍の教育施設と病院が設置されているコロニー『伏見』にその機能を移設させていた。これは鎮守府の軍政機能を維持できる程のスペースがあり、通信設備もそこそこに充実していたためである。
密閉式シリンダー型のコロニー『伏見』両端部にある湾口に到着したコロニー間連絡船から軍服姿の若い男女が降りてきた。女性と連れ添っている青年の軍服姿は板についたものであったが、彼に付き添われている女性の軍服姿には違和感を覚えるものであった。
昇降口から降りた彼らの前に黒髪の麗しい女性が歩み寄り、敬礼した。
「お久しぶりです篁中尉」
「こちらこそ。白銀中尉、ここからは自分が鎮守府にまでご案内します」
唯依の案内を受けて彼らは港の外に駐車してあった車に乗り込み、港を後にした。目的地は、仮の鎮守府が置かれている宇宙軍兵学校である。
「白銀中尉、種子島での戦いは聞いています。随分と奮闘なされたとか」
車内で唯依は武に話しかける。
「いや、結局『息吹』を守ることはできませんでしたよ」
武は謙遜する。実際、目に見える形で戦果をあげたわけではないのだ。武自身、あの防衛戦で活躍したのは新田原の空軍部隊だと思っている。
「謙遜することはないでしょう。防衛省が功績を評価して、実際に昇進しているのですから」
そう、武は先の種子島防衛戦での活躍やアラスカ攻防戦での活躍が防衛省に評価され、一階級昇進して中尉となっていたのである。アラスカの一件は未だに大部分が秘匿されているために、表向きは種子島攻防戦での獅子奮迅の働きを評価しての昇進ということになっている。
そんなことを話している間に車は宇宙軍兵学校の校門に到着する。
武は同乗していた女性の手を取って車から降りた。
「白銀中尉、帰りは別のものが来ることになっておりますので、私はこれで失礼します」
「ご苦労様でした」
短く挨拶を済ませると、唯依は車を出して兵学校を後にした。それを見送った武たちは兵学校の警備兵に入校許可証を提示し、門をくぐった。
「失礼します」
武はまっすぐに鎮守府司令官室に赴き、扉の前にいた警護兵に取り次いでもらい入室する。扉の内には3人の男がいた。軍服を着た男はL4『安土』鎮守府司令長官の神田輝明中将と副司令の国友満少将だ。そして最後の背広を着た男を見たとき、武は内心驚愕していた。だが、その表情は軍人生活で身についた鉄面皮で隠し、敬礼する。
「帝国宇宙軍安土航宙隊『
「白銀中尉、護送任務ご苦労だった。後は我々の仕事だ。君は外で……」
神田がそう言いかけた時、武の連れていた女性が口を開いた。
「待っていただけませんか?」
その声を聞いた神田は目を見開く。隣の二人も同様だ。そして女性はその髪に手をかけ、茶髪のかつらを取り去った。その下から現れた髪は鮮やかな桃色だ。
「まさか……本当にラクス・クラインか?」
神田が呆然としながら問いかける。
「はい。私がプラント最高評議会前議長シーゲル・クラインの娘、ラクス・クラインです。目立つのは避けたかったので今回は日本の軍服で移動しておりました」
「コペルニクスから報告を受けたときは正直なところ、半信半疑でした。しかし、間違いなく貴女は本人のようですな……失礼、申し送れました。私は元在プラント日本公使の珠瀬玄丞斎と申します。本日は外務省の代表としてこの場に臨席しております。そして、こちらがL4『安土』鎮守府司令長官の神田輝明中将と副司令の国友満少将です。本日は私どもとラクス嬢の4人で会談を行う予定になっているのですが、何故白銀中尉の同席を望まれるのでしょうか?」
背広を着た男――珠瀬玄丞斎が会釈をし、先ほどの言葉の趣旨をラクスに問いかけた。
「それは、私に味方がいないからに他なりません。会談する相手にこのようなことを申し上げることは下策なのでしょうが、何れは……いえ、この会談中にも知られることでしょうからお話します。私は前代表の娘でありながら外交の経験も、政治家としての勉強をした経験もございません。頼りない小娘とお笑いになるやも知れませんが、私は自分の味方と成る経験も付き人もいないままこの会談に臨むことは不安なのです。武様は、私をコペルニクスで保護していただいたときから傍についていただいておりましたし、この場に同席していただければ心強いのです」
ラクスの心の内を聞かされた神田は珠瀬に目配せをする。珠瀬もそれに気づき、小さく頷いて口を開いた。
「わかりました、ラクス嬢。彼の同席も認めましょう。そして……ふ、君が白銀中尉か。現在我が国最高の
「は……同感であります」
武は短い言葉で当たり障りのない返答をする。だが、実はこのとき冷や汗をかいていた。〝かつて〞の記憶の中のことだが、たまパパにはいいように弄られて痛い目にあったこともあったのだから。
「……では、ラクス嬢。会談を始めましょう。白銀中尉も座ってくれて構わない」
珠瀬に促されたラクスと武はソファーに腰を下ろす。神田らも武から向かって正面のソファーに腰掛けた。目の前のグラスには冷茶が注いである。おそらくこれはL4で収穫した摘みたての茶葉を使っているのだろう。武は緊張で渇いた喉を冷茶で潤す。
幸いにもこれ以上武を弄ることも無く珠瀬はラクス・クラインとの会談を開始したいらしい。武は内心ホッとしていた。
「では、私がコペルニクスにいた経緯を説明いたします」
そしてラクスが語った事実に一同は驚愕することになる。
全てはラクスの父、シーゲル・クラインが司法局で取調べ中に殺害されたことにはじまる。彼女の父が殺害された後、彼女はクライン邸に軟禁された。彼女を監視していたのはザフトの手の者であったということだ。そして、2週間程経過したある日、彼女が就寝中にことは起こった。突然部屋の天井を破って出てきた男に連れられて部屋から脱走。途中で見張り番らを素早く無力化した彼らはクライン邸の書斎に隠された秘密の抜け穴を使って彼女を同志の下へと脱出させた。
彼女が後に聞いた話らしいが、もともとクライン邸には何本か隠し通路が存在したらしい。彼女の寝室の天井裏に存在するダクトに偽装した通路もその一つらしい。これは独立運動中、親友であったパトリックが理事国の手のものと思われる武装集団から襲撃されるという事件があったために施されたものだそうだ。
そして彼女はマルキオ導師の支援を受けてコペルニクスに軽い変装をして入国することに成功する。入国手続き等は手を事前にまわしていたためにスムーズに終わり、彼女はこの都市で潜伏生活を始めることになった。
そして彼女はそこでマルキオ導師の企てていた計画を知る。混迷の闇から抜け出せず、戦禍からも抜け出せない世界を救済して導くためにSEEDを持つラクス・クラインを旗印に蜂起し、戦争に加担する勢力をただ撃破し続けることで戦闘を停止させ、平和を保つために彼女が世界を統べるという全く意味が分からない計画だ。さらにその作戦、彼女が脱走するころには蜂起に参加させる予定の戦力の7割近くが既に集まっていたという。
自分が世界を更なる混迷の闇へと向かわせる集団の旗印になることを忌避した彼女は、偶然見つけた元アークエンジェルの艦長を頼って脱出することを決意したのだという。艦長が日本軍の制服を着ていること、隣に以前見かけた武がいたことから、日本軍の関係者であるとあたりをつけた彼女は武たちに縋ってみることにしたらしい。
日本でいい思いができるとは確信してはいなかったが、それでもテロリストの旗印となることよりはマシだと判断したのである。
ラクスの話が終わると、国友が申し訳なさそうに尋ねた。
「なるほど……しかし、一つだけよろしいでしょうか。現在、プラントには貴女の他にもう一人、ラクス・クラインを名乗るものがいます。本当に、貴女が本物ということでよろしいのですか?」
ラクスは少々ムッとした表情をしているが、淡々と答えた。
「私は確かにシーゲル・クラインの娘であるラクス・クラインです。私は以前アークエンジェルの艦長様と話したことがございますので、そちらに確認を取っていただければすぐに私が本物であると納得していただけるでしょう」
「よろしいでしょうか?」
武が神田に発言の許可を求める。彼はあくまでラクス・クラインが指名した付添い人というだけであり、本来ならこの会談における発言権は無いのである。
神田が頷いたことを確認し、武は再び口を開いた。
「彼女は間違いなくシーゲル・クラインの娘であると考えます。自分はラクス嬢を保護したその日に同じ質問を彼女にしました。その際に彼女はアークエンジェル内でクルーと話した内容についても話してくれました。当時アークエンジェルの艦長であったラミアス大尉からの質問にも澱みなく返答していたので、彼女が偽者ではないと考えるのが妥当でしょう」
武の証言を聞いた国友は息をつくと、ラクスに顔を向けた。
「申し訳ない、ラクス嬢。私としてはまず、これをはっきりさせておく必要がありました。プラントにいるラクス・クラインが偽者か否かというのはプラントの情勢を考察する上で無視できない要素ですので。そして、ラクス嬢。貴女は現在プラントにいる偽者にお心当たりはありますか?」
ラクスは静かに首を横に振る。
「私に心当たりはありません。私に妹か姉がいたなんていう話も聞いたことはありませんから」
その後もいくつかの質疑応答をし、会談は気づけば数時間に及んでいた。既に5人のグラスの冷茶も空となっている。
「なるほど……実に参考になりました。今日はありがとうございました」
そう言って珠瀬はソファーから立ち上がった。しかし、それをラクスが呼び止めた。
「待ってください!!最後に一つ、見てもらいたいものがあります。本当でしたら最初にお伝えすべきことだったのですが、こちらの話を信用していただいた後に見せるべきだと思いまして……」
そういうと彼女は桃色の髪に美しく映える月をモチーフにした髪飾りを手に取った。そしてそれを分解し、内部からデータチップを取り出した。
「父が司法局に身柄を拘束される前日に私に託したものです。これを貴方方に見ていただきたいのです」
彼女の手のひらにある小さなデータチップがもたらすものを、この時点では誰も知りえなかった。