機動戦士ガンダムSEED ZIPANGU   作:後藤陸将

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急に寒くなりましたねぇ。朝は布団という全て遠き理想郷からでられない……


PHASE-65 歩み

C.E.71 10月15日 元オーブ領アメノミハシラ

 

 「では、オーブ連合首長国はこの割譲の条件に異存はありませんな」

千葉外務大臣に確認のために訪ねられたカガリは静かに肯いた。

「我ら、オーブ連合首長国もこの条件に異存はありません」

双方が納得していることを確認した千葉は秘書官に命じて筆を持ってこさせる。カガリもユウナからペンを受け取り、自分の目の前にある書類にサインする。そして互いに契約を定めた書類を交換する。これをもって契約は成立した。

 

 今日、アメノミハシラで成立した契約はアメノミハシラの譲り渡しについてのものである。オーブはその資産であるアメノミハシラを大日本帝国に譲渡する。大日本帝国はアメノミハシラに駐留していた艦隊が停泊地を失うので代替となるコロニー一基をオーブ連合首長国に提供するということになっている。

そして代替としてオーブに与えられるコロニーだが、それはヘリオポリスに決定していた。ヘリオポリスは既にザフトの襲撃で崩壊していたが、オーブはこのコロニーを再建可能と判断してオーブが陥落するまでに宇宙軍の工作部隊を送り、再建工事を行っていた。

本来ならばほぼ無償で譲渡されるはずであったのだが、それにはオーブ側が強く反発した。確かにオーブ側はオーブ陥落直前に口約束とはいえどほぼ無償でアメノミハシラを譲渡すると宣言していたが、譲り渡す以上はより多くの支援を引き出そうと考えていたのだ。

かといってあまりにも強欲さを出せば庇護者である日本の機嫌を損ねることにもなりかねない。それゆえ、妥協点がヘリオポリス再建の支援となったのだ。

ヘリオポリスはれっきとしたオーブ領だ。そこに留まって抵抗運動を続けるということには大きな意義がある。オーブ亡命政権は外国で口だけの抵抗活動をしているのではなく、祖国で抵抗活動を続けているというパフォーマンスにもなるのだ。

日本側としても、最低限の支援はしないとオーブを開放する際に面倒だと考え、ここは譲歩した。

 

 余談だが、千葉の署名は毛筆で書かれており、達筆であった。カガリの字は……察して欲しい。二人の署名を並べると、どこかの連立政権発足時の三党合意書を思い出すほどであったとだけ言っておこう。

カガリの右腕的な存在であるウナトは、カガリには書道の指導も必要になると知って頭を抱えることとなる。礼儀作法、各種教養、語学、交渉術など、カガリが修めなければならないものは多数あったのだから。そしてウナトはせめて普通の女性らしい習い事の一つもカガリにさせなかった愚かなウズミを恨んだ。

 

 

 

 カガリは交渉後の食事会を終えると、東京に戻るシャトルに搭乗した。シャトルの窓からはアメノミハシラから出港し、L4を目指すイズモ級戦艦一番艦のイズモが見える。オーブの宇宙戦力はアメノミハシラが完成するまでの間、L4の軍港コロニーの一部区画を借り受けることとなっていたからである。

 

「……契約は成立したらしいな」

カガリは不意に後ろから声をかけられる。

「ああ。だが、宇宙軍の兵士がほぼ全員我々亡命政権側についてくれたのは幸いだった。感謝するよ、ロンド・ミナ」

カガリに声をかけた長髪の女性はロンド・ミナ・サハク。このアメノミハシラを管理していたサハク家の生き残りである。自信に満ちたその態度はオーブの上級氏族の間でも密かに注目されていた。

 

「私の庭の兵たちは元から私の忠実な僕だ。説得の必要はない。コペルニクスに宿を借りていたやつらを懐柔するのは少し骨が折れたがな。だがカガリ、分かっているな?」

険しい視線を向けられたカガリは首を縦に振る。

「ああ……戦後、我が国はジャンク屋という組織は認めない。海賊として取り締まり、各国にこのジャンク屋を“壊滅”させるように働きかける。約束は果たそう」

カガリの宣誓を聞いたミナは満足そうに笑みを浮かべた。

「ならばいい……楽しみだな。あの賊どもがどのような結末を迎えるのか」

狂気とまではいかない。あれは理性あるもの、それゆえに理性無き狂気よりも恐ろしいものであるとカガリは感じた。

 

 

 ロンド・ミナ・サハクが半身を失ったのは一ヶ月ほど前のことだ。

大日本帝国が連合への参加を表明し、ザフトの敗色が色濃くなったことが世界中に明らかになったころ、サハク姉弟は戦後にオーブの国際社会における地位が大きく低下し、オーブは凋落することを予感していた。

彼ら姉弟の野望は優れた指導者=自分達による地球圏統一であったが、世界が混迷から抜け出しつつある中でこれを達成することは極めて厳しいことは当然理解していた。

彼らが最初に立てた計画では、プラントと連合の対立によって混沌とした世界で中立の立場を利用して力を蓄え、世界中の国が国力を大きく落す中で世界の列強の頂点に躍り出ることになっていた。

しかし、世界が安定を取り戻せばこの計画を成し遂げるのは困難だ。オーブが自力で世界の頂点に登り詰めることが不可能である以上、世界の頂点に君臨するためには世界中の国々が凋落することが不可欠だからだ。

そして予想を裏切り、混迷から抜け出しつつある世界を見た彼女達は計画の修正を試みた。今回の大戦でまた新たな戦いの火種が連合の中で生まれることは確実だ。冷戦となるか世界大戦となるかは分からないが、確実に深刻な対立が生まれる。

その争いの火種はもう一度世界大戦という大火になるだろう。その時に漁夫の利で疲弊した勝者を打ち倒して世界の頂点に君臨する。そのための準備をすることを彼女達は決めたのだ。

火種が大火となるのに何年かかるかは分からない。数年かもしれないし、もしかしたら半世紀かかるかもしれない。だが、いつ大火となったとしても即応できる準備は必要だろうと考えた彼女たちはまずプラントからの技術収奪を試みることとしたのである。

 

 双子の弟であるロンド・ギナ・サハクはまず、ザフトの新型MS、ゲイツの収奪を計画し、実行した。無論、オーブがこれに関与した証拠を残すわけにはいかないために。生存者は捕虜としたパイロット以外は殲滅したが、そこに目撃者がいたのだ。

ヘリオポリスが試作のMSを盗んだジャンク屋の男で、この際に試作機も奪還しようとギナは試みたが、これは失敗に終わった。撃破されたザフトの救難信号を受信して駆けつけたザフトの未知の新鋭機によって撃破されたのである。

それだけならばまだいい。ギナは敵対したザフトに返り討ちにあったということだ。ミナにとっての仇はザフトとプラントということになる。しかし、情報によればその場に居合わせたジャンク屋を拿捕することも無く見逃してその新鋭機は撤退したということだ。一方でヘリオポリスから盗んだMSを駆る男は今でものうのうと生き延びているらしい。

これが意味することは単純だ。ジャンク屋という組織はザフトとつながりを持っている。少なくとも、躊躇いなく見逃せるほどのつながりがあるということだ。ミナの諜報網を持ってしてもその決定的な証拠を掴むことはできなかったが、件のジャンク屋の一味は基本的にジャンク屋とは出島以外での接触を避けていたプラントから手形(パスポート)を発行されるほどには親密な関係であったという。ひょっとすると、現場の一個人レベルでの親交だったのかもしれないが、それでも状況証拠ではその可能性が一番高い。

 

 ミナが物的な証拠を抑えることができなかったのも無理はない。実際には件のジャンク屋――ロウ・ギュール一味とプラントには親交など存在しないのだから。ザフトのMSがギナを撃破した後に撤退したのは単純に運がよかっただけのことである。宇宙一の悪運と自称するだけあって、確かにロウの悪運は凄まじいものであった。

 

 

 

 ミナは掴めなかったが、今回の一件のあらましは実は単純な話だった。一人の快楽殺人鬼のきまぐれと情報屋のおせっかいが重なった結果に過ぎなかったのである。

あらましはこうだ。哨戒任務に就いていたザフトの巡洋艦からの緊急信号をキャッチしたザフト司令部は現場にザフト特殊防衛隊を投入した。その哨戒部隊は運用試験を兼ねてゲイツを先行配備された精鋭部隊であり、且つ詳細を電信する間もなく消息を絶ったこと。そのことから事態を重く見た司令部はちょうど実戦投入の準備をしていた機体を現場宙域に偵察のために向かわせたのであった。

その機体こそがZGMF-X11Aリジェネレイト。高出力レーザーの照射を受けることで爆発的な加速を実現し、類を見ない高速性能を実現した機体である。この機体よりも早く現場に駆けつけることができるMSは無く、偵察任務だけならば問題は無いために上層部も派遣を即決したのだという。

そして現場に駆けつけたリジェネレイトのパイロットが見たのはギナの駆るゴールドフレーム天がレッドフレームを嬲る光景だった。

ロウの第一の悪運がギナがロウを瞬殺することなく嬲り殺しを選んだことであるなら、第二の悪運は駆けつけたリジェネレイトのパイロットの興味がレッドフレームではなくゴールドフレーム天に向けられたこと、そしてリジェネレイトの性能はゴールドフレーム天を上回っていたことだといえる。

リジェネレイトのパイロットであるアッシュ・グレイは半壊しているレッドフレームよりも禍々しい空気を纏うゴールドフレーム天との戦いを所望し、狂気をむき出しにして襲い掛かったのだ。

 

 ギナの駆るゴールドフレーム天は驚異的な速度で接近する敵機に反応してすぐさまミラージュコロイドを展開、機体の姿を隠して迎撃体勢を取った。しかし、アッシュ・グレイは冷静に相手のステルス迷彩に対して手をうった。既にヘリオポリスで奪取されたブリッツによってミラージュコロイドの技術はザフトに流出しており、当然アッシュもミラージュコロイドについての知識を持っていたのである。

そしてアッシュは母艦から射出されていたミサイルコンテナを宙域にありったけ集めると、一斉にミサイルを射出させて自爆させた。そしてリジェネレイトは爆発の影響が無い宙域に向けて無差別にライフルを乱射した。

リジェネレイトはフェイズシフト装甲を搭載しているために至近距離で爆発を受けてもほぼ無傷に近いが、フェイズシフト装甲を搭載していなかったアストレイ2機は回避するしかない。しかし、天はミラージュコロイドによる迷彩を装甲に施しているので、熱紋を発しないAMBAC制御か、ミラージュコロイドで隠蔽できるレベルの熱しか発しないスラスターの微噴射による機動しかとれない。僅かな移動で爆発の影響から抜け出すとなれば当然パイロットが取る機動は限られてくる。そしてアッシュはそれを見抜く力を持った一流のパイロットであった。

天は乱射されたビームを右腕のトリケロスで防御するが、それで場所がアッシュに完全に割れた。アッシュはリジェネレイトの四肢にビームサーベルを展開し、そこに急加速で突っ込む。

 

 だが、それはギナが待っていた瞬間でもあった。ゴールドフレームの切り札はミラージュコロイドでは無く、標的とした機体の予備電力を一撃で放電させて稼動停止に追い込む一撃必殺の死の大顎(マガノイクタチ)だ。リジェネレイトがその切り札の間合いに入ってきたとき、ギナは切り札を絶妙なタイミングで展開し、その大顎でリジェネレイトを挟み込んだ。

この瞬間、勝利をギナは確信した。しかし、リジェネレイトは彼の目の前で予想外の行動を取った。なんと目の前の機体は前部と後部で分離したのである。そしてマガノイクタチで挟み込んでいた前部は切り離しと同時に自爆してゴールドフレーム天に大きな損害を与え、分離された後部は後方から射出されてきた予備パーツと合体して復活したのである。

至近距離での爆発の衝撃でゴールドフレーム天は大破し、コックピットにいたギナもその衝撃で爆ぜたコンソールから放たれた破片で重傷を負った。コンソールが爆ぜた衝撃とその痛みに一瞬身体が固まったのが運のつきであった。パーツの自爆で吹き飛んだゴールドフレーム天にリジェネレイトが間髪いれずに斬りかかったのである。爆発の衝撃で一瞬反応が遅れたゴールドフレーム天の機体をビームサーベルがコックピットごと一刀両断した。

ギナの身体は瞬時に蒸発し、骨も残らなかった。

 

 しかし、まだアッシュの狂気は止まらない。むしろ強敵を屠ってご機嫌となったアッシュはメインディッシュを堪能した後にデザートを欲した。

そのデザートは中破したレッドフレームと彼らの母艦、リ・ホームであった。ゴールドフレーム天を破った敵を相手に当然ロウたちはなす術などない。必死に抵抗するも、次々と武装は沈黙し、装甲は破られ、機体も船体もダメージが蓄積していく。

ロウたちが死を覚悟したその時だった。殺戮に興じるリジェネレイトのコックピットに司令部から緊急通信が入ったことを知らせるアラームがけたたましく鳴り響いた。アッシュは興を削がれたと言わんばかりの不快そうな表情で司令部からの通信に応える。

だが、『司令部が現在敵襲を受けている。即座に帰還してこれに対処せよ』と命じられた以上は命令に従わなければならない。アッシュは本心ではザフトが壊滅しようが核でプラントが焼かれようが別に気にはしていない。

ただ、ザフトが自身の望む殺戮の道具(MS)場所(戦場)相手()を与えてくれる最高の環境であることは事実なので、命令を聞くぐらいの義理は果たすべきだとも考えていた。そのためアッシュはこれ以上ロウたちを痛めつけることなく、素直に戦場から撤退したのである。

 

 アッシュは知らないことだが、実はこの帰還命令はザフト司令部が出したものではない。ロウ達の一味に興味を抱いている情報屋、ケナフ・ルキーニがロウ達を庇うためにリジェネレイトに出した虚偽の帰還命令だったのである。ルキーニは自分の知らない機体に恐怖を抱くと共に、興味を抱いているロウたちがここで果てるのは惜しいと考えてロウ達を救ったのだ。

これが、ギナの死の真相の一部始終である。

ルキーニはその後独自の調査でリジェネレイトが駐屯しているジェネシスのことまで突き止めるが、彼にとって邪魔となるジェネシスを破壊する手配は簡単には取れないと判断し、プラントへの外征を考えているという連合――大西洋連邦、ユーラシア連邦、大日本帝国の諜報機関に秘密裏にリークした。

ちょうど各国はモントリオール会談後で、日本の提供したジェネシスの情報の裏づけをしていたころであり、彼のリークは各国のジェネシスの情報の裏づけ作業を早めることに寄与していた。

 

 

 

 

 ミナは弟を討ったザフトのパイロットに対する恨みはそれほど湧いてこなかった。弟は敵の新鋭機とそれを刈るパイロットと万全の状態での一騎打ちの末に敗北したのだ。能力あるものが上に立つべきと信じていた弟もその決着には納得し、敵に敬意を表したであろう。

だが、ジャンク屋は違う。弟はオーブの資産を奪い、ザフトに媚びるジャンク屋を追い詰めたが、ジャンク屋は強いものを呼び寄せて生き延びたのだ。能力ある気高き男が盗人の呼んだ強者に殺されたのだ。だが、その怒りは到底試作機を奪った一味を殺すだけでは収まるものではない。ジャンク屋という組織そのものを一人残らず皆殺しにする。そうでなければ怒りが収まらない。

 

 ミナはジャンク屋という組織の徹底的な排除を望んだ。しかし、自身の力でそれを成し遂げることは不可能に近い。正確に言えば、自身が生きているうちにジャンク屋が哀れにも潰されていく光景を見ることは不可能に近いということだが。

そこでミナはカガリに取引を持ちかけた。我が城――アメノミハシラは抵抗せずにくれてやるからこちらの復讐に手を貸せという交換条件を突きつけたのである。カガリは迷った末にいずれジャンク屋は潰す必要はあると考え、彼女の交換条件を了承した。

結果、アメノミハシラは無血開城されてカガリの手に渡り、今日大日本帝国の手に渡ったのである。

 

 

 

 

 

 同刻 大日本帝国 佐世保中央病院

 

 

 黒髪で紅目の少年が病室をノックし、許可を受けて中に入る。病室の白いベッドに横たわっていたのは栗色の髪の少女だ。彼女は入室してきた少年に弱弱しく微笑んだ

「おはよう、おにいちゃん」

少女――マユ・アスカの兄、シン・アスカは妹の微笑みを見て一目で無理をしていることを察した。オーブにいたころの明るい笑みではなく、周囲に心配をかけまいと気丈に振舞う笑みだったからだ。だが、それを隠しきれていないほどに妹は精神的に追い詰められていたのであろう。

妹と少し他愛も無い話に興じる。日本で放映されているバラエティーや、日本で最速発売される漫画や小説という身近な話だ。その話のネタも尽きてきて部屋の空気が重苦しいものとなる一歩手前で病室のドアをノックする音が聞こえた。妹が入室を促すと、病室に女性が入室した。

 

「お母さん!!」

マユが嬉しそうな声をあげる。そしてその声にこたえるように母はマユに近づき、その身体を抱きしめた。

「おはよう、マユ。元気にしてた?」

「うん!!」

母は日本に来てからは職探しに忙しく、中々マユの見舞いにも来ることができなかった。幸いにも元スポーツトレーナーの経歴があったために先日長崎でインストラクターとして採用されたのであった。

「そうそう、マユ。あなたの退院の日も決まったから、今日はあなたの服も持ってきたのよ。試着してみる?」

母は先ほどまで佐世保市の商店街でマユのための衣服を買っていた。日本政府から支給された一時金はあったが、それも多くはなく無駄使いはできないためにセール品や古着を中心に買うしかなかったのだが。

 

 母が買ってきた服をベッドに並べようとしたとき、マユはその中に靴下が無いことに気がついてしまった。そして彼女はその瞳に涙を浮かべながら自身の足元へと視線を移す。

彼女の肌は白磁にように綺麗でなめらかだった。それはオーブにいたころと変わっていない。しかし、オーブにいたころは健在だった、膝から下にはついているべき足が無かった。

 

瞳から涙を流す妹の姿を見たシンは不意にあの日のことを思い出していた。

 

 

 

C.E.71 9月30日 アークエンジェル

 

「アスカさんですね?」

父と妹が大怪我を負ったために与えられた大部屋で意気消沈していたアスカ母子を凜とした女性が訪ねた。軍服からして女性はこの艦の乗員だとシンはあたりをつけた。母がそうですと答えると、女性は敬礼をした。

「大日本帝国宇宙軍のMSパイロット、篁唯依中尉です。船医から報告があるとのことで、医務室にご案内します」

今、この船の船医が自分達を呼ぶ心当たりなど一つしかない。九分九厘用件は大怪我をした妹と父の容態に関することだろう。親子は篁中尉に先導されて医務室に向かった。

 

「篁中尉です。アスカさんをお呼びしました」

医務室の自動ドアが開くと、篁中尉は中にいた壮年の男性に声をかけて敬礼した。シンもあの男を覚えている。父と妹の手術を担当した船医だ。アークエンジェルの軍医長――大崎閨秀軍医少佐はアスカ親子を先導してきた篁中尉に気がつくと、席を立って答礼した。

「篁中尉、ご苦労でした。本官はアスカさんと話がありますので、ドアの外で待っていてください。アスカさんはそちらの椅子におかけください」

「はっ!!失礼します!!」

篁中尉は敬礼をやめると、軽く一礼して医務室を去った。そしてアスカ母子は大崎に促されて椅子に腰掛けたが、同時に大崎の顔が沈痛な面持ちに変化した。

 

「アスカさん。手術の結果をご報告させていただきます」

その表情から彼の言う手術の結果は容易に想像できたはずだった。だが、それでもシンは船医の口からそのことが直接告げられるまで淡い期待を捨て去ることができないでいた。

「ご主人ですが、全力を尽くしましたが、力が及びませんでした。主要な動脈が傷ついていたために出血が酷く、手の施しようがありませんでした」

その言葉を聞いたシンの母――ケイコは膝から崩れ落ちた。そして慟哭した。その隣にいたシンもただ呆然とするしかなかった。

 

 時間の感覚は分からない。たった数秒だったようにも、数分だったようにも感じる。ただ、シンが母を慰めることを考えられるほど冷静になるにはそれほどの時間を費やした。その間目の前の船医は何も言わず、彼らが冷静になるまで待ち続けていた。

更に数分かけて母を慰め、大崎に謝罪する。

「申し訳ございません。取り乱してしまいました」

「いえ、気にしないでください。ご家族を失った以上は当然のことですから」

そこでシンが口を開いた。

「それで、マユは……妹は無事なんですか!?」

先ほど大崎は父の死については告げたが、妹についてはまだ触れていない。それならまだ妹が無事という可能性も残っている。そう考えたシンは一縷の希望に縋る気持ちで大崎に尋ねた。

「妹さんは無事です。一命は取り留めました」

ケイコとシンの顔に一瞬喜色が浮かぶ。だが、話はこれで終わりではなかった。

「……しかし、妹さんは瓦礫に脚を挟まれ、損傷が酷かったために両脚の膝から下を失われました」

その言葉を聞いて目の前が真っ白になった気がした。父が死んで妹が脚を失ったという事実は14歳の少年が受け止めるには大きすぎるものだったのだろう。

 

「あの子は……マユはもう、一生歩けないんでしょうか?日本の医療技術でも、あの子を救えないのでしょうか?」

今度はシンよりケイコの方が冷静に受け止め、脚を失った娘の身を案じて大崎に問いかけた。

「いえ、我が帝国の再生医療技術をもってすれば失った脚を再び取り戻すことも不可能ではありません。ただ……」

「ただ……?」

不安げに見つめるケイコの前で大崎は渋い顔を浮かべた。

「四肢の再生医療は数年前から認可が下りましたが、国内でも有数の設備の病院でなければ行えません。失った人体の再生にも年単位の時間を必要としますし、何よりもその手術費用は膨大なものとなります」

「マユの場合、どれぐらいかかるのでしょう?」

大崎は空で算盤を弾くような動きを見せ、軽く手術費を計算する。

「……脚一本の再生で日本円でざっと700万といったところでしょう。2本で1400万、それぐらいが最低でも必要となります。手術費用を合わせれば、1500万は下らないでしょう。また、再生医療は手術後も長いリハビリが必要となります。それも欠損から時間がたってから手術すればするほどリハビリには時間がかかりますから、手術は早急に実施する必要があります」

 

 日本円で1500万円など、オーブの一般市民から難民となった身に払える額ではない。しかも難民である自分には金を借りる当てだってないのだ。ケイコは絶望から顔を青くする。これからの暮らしだって目処が立っていないのに、どうすればいいというのか。狼狽するケイコだが、彼女を落ち着かせようと大崎は話を続けた。

「再生医療をすれば、娘さんは以前と全く同じ状態に限りなく近づくことができます。しかし、他にも生体義肢という選択肢もあります」

 

 

 生体義肢とは、人工的に作った限りなく人体のそれと同じ重さに近づけた義肢で、人工筋肉によって本物の身体と同じような動きは可能な特徴がある。その秘密の一つには神経に生体部品をつかっていることがあげられる。患者から採取した細胞から培養した神経を生体部品として組み込むことで、本来の腕や脚と同じようなタイミングで、同じ速さで反応することが可能なのだ。

欠点として、生体部品である神経部は定期的な交換が必要で、義肢そのものも定期的にメンテナンスが必要なために維持費がかかる事がある。また、生体義肢の装着のためには欠損部の付け根に手術を施す必要がある。その手術の苦痛は想像を絶するものだとも言われるのだ。

 

 

「生体義肢であれば、ひとまず500万ほどで手術が可能です。年間の維持費が40万円ほどかかりますが、再生治療よりは安くつくでしょう。……ですが、深く考えるのは今でなくともよろしいかと。息子さんも、奥さんもまだショックが大きいでしょうから、ひとまず食堂であったかいココアでも飲んで落ち着いたらじっくりと腰をすえて考えてください」

「そうですね……今はまだ、決められません。まだ、マユの意思も聞いていませんし、自分達のこれからの暮らしのこともまだ分からないのです。それらが落ち着いたら、一度マユと、シンと一緒に話してみたいと思います」

そう言うと、ケイコはゆっくりと立ち上がり、弱弱しく大崎に向けて頭を下げた。

「船医さん。夫と、娘をありがとうございました」

それに続いてシンが涙声を出しながら頭を下げる。

「……本当に、ありがとうございました」

 

 悲しみを押し殺した感謝の言葉を大崎は真摯に受け止めた。

「救えなかった命もあります。それが残念でなりませんでした」

「それでも、娘の命の恩人です。本当に、ありがとうございました」

 

 アスカ母子はもう一度頭を深々と頭を下げ、医務室を後にし、篁中尉の先導で収容者の大部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 ケイコはベッドの上で泣きそうな表情を浮かべる娘の姿とその視線の動きで娘が何を考えたのかを素早く察知した。

「マユ、残念だけど貴女の脚は……」

マユは何も言わず涙を流す。その様子を見てられなくなったシンは思わず目を背けてしまう。だが、ケイコはマユの涙から目を逸らそうとはしない。そしてそのことに気がついたマユが涙でぐしゃぐしゃになった顔をケイコに向ける。しゃくりあげながらでも、その目は母から逸らさなかった。

 

 涙で潤んだ娘の瞳を真っ直ぐ見据え、ケイコは意を決して口を開いた。

「マユ。今日はあなたの脚を取り戻す提案しにきたのよ」




アストレイ勢が久々に出演しましたね。自分はロウたちをあまり好きになれませんが。

生体義肢とは簡単に言えば神経だけは生体部品を使っている『鋼の錬金術師』のオートメイルです。ただし、限りなく人体を似せて造っていますので、表面は特殊樹脂で多い、フレームは軽くて丈夫なカーボン、各部の動作には人工筋肉を使用しています。

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