機動戦士ガンダムSEED ZIPANGU   作:後藤陸将

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皆様、ご愛読ありがとうございました。この話で最終話となります。最後まで楽しんでいただけたならば光栄です。


AFTER-PHASE そして次の時代へ

C.E.71 10月30日 プラント マティウス1

 

 

 マティウス市の造船所を二人の男女が視察していた。その中の一人、金髪の男が隣を歩く妙齢の女性に話しかける。

「ふ~ん……じゃあ、造船施設の接収も終わったわけか。使えそうなの?」

「はい。我が社の工作機械をマイウス市では開戦後も使用していたらしく、この設備に多少の改修をすればすぐに連合軍規格で再生産も可能かと」

「……でも、ここで大西洋連邦の船を整備するのは危ないでしょ。政府の方も長々とここで植民地経営する気は無いって聞きますから、月面……再建中のエンデュミオンクレーター基地に施設を移しますか。できます?」

 

 男に尋ねられた女性は手元にあるデバイスを操作し、様々な情報を照らし合わせる。その間にも金髪の男は歩みを止めずに造船所の施設を見渡しながら徘徊する。気づけば置いていかされそうになった女性は慌てて男に駆け寄り、先ほどの計算結果について報告する。

「そっくりそのまま月まで移設するとなると、新規に造船所を造る費用の半額ほどかかります」

「なら、元は取れそうです。視察が終わったら移設のための手配をしておいてください。軍と政府の方は僕が手を回しておきますから」

「わかりました、理事」

男の名前はムルタ・アズラエル。世界にその名を轟かせる大西洋連邦のアズラエル財閥のトップだ。そして国防産業連合理事でもあり、今日では反コーディネーターの急先鋒であるブルーコスモスの盟主でもある。そんな彼が今日マティウスにまで来たのは戦後のビジネスチャンスを得るためであった。

 

「戦争が終わったからって争いが終わったわけではありませんからね。平和(Pax)って言葉は次の戦争のための準備期間って意味なんですよ。大西洋連邦も今回の大戦で第三艦隊と第八艦隊を喪ってその再建に必死です。多少無茶してでも軍を戦前の規模まで回復させなければ世界に睨みを効かせられませんからねぇ……ってどうしました?コフィンさん?」

アズラエルは彼の演説を聞いて訝しげな表情を浮かべた女性――インヴィ・コフィンに尋ねた。

「いえ……アズラエル様のお考えが正しければ、これから我が社と軍との取引が活発になるはずです。それならば、何故アズラエル様はブルーコスモスから手をお引きなったのか、気になってしまいまして」

インヴィは続ける。

「軍との伝をブルーコスモスのシンパを通じて戦前よりも広げることでアズラエル様は多くの利益を得たはずです。それをわざわざ手放すようなことをしたのは何故でしょう?」

アズラエルはインヴィの質問に納得したのか、しきりに首を縦に振る。

「なるほど。確かにそういう風に考えることもできます。でもね、コフィンさん。現在の風潮とこれからのことを考えると、もうブルーコスモスは邪魔なんですよ」

そしてアズラエルはインヴィに今回の件についての説明を始めた。

 

 

 

 アズラエルの主張では、そもそもブルーコスモスは戦後統治にとっては邪魔以外の何者でもないとのことだ。

ブルーコスモスの会員とその支持者の大半は過激なコーディネーター排斥主義を信奉している。政・官・財・軍にも多数いた彼らが戦時中にはプラントの完全破壊を主張し続けたため、世論の厭戦気分は抑えられ、継戦論が世論の過半の意見となった。負け続きの中で戦争をし続けることができたのはブルーコスモスのおかげと言っても過言ではないのだ。

しかし、ザフトとの戦争は終結した。次は戦後統治とこれまで連合として共闘してきた各国のどれかが敵となるのだ。来るべき戦いに備えるためにはプラントの、コーディネーターの力も使うことも吝かでもないというのが政府や軍中枢の意見らしい。特に日本の力を見た後ではコーディネーターの力を借りることを躊躇してはいられなかったということも大きい。

プラントの遺産は物でも人でもできる限り接収してこの大戦で消耗した国力の回復に使うというのが大西洋連邦の基本方針であり、増強した国力で地球圏に睨みを効かすことが最優先事項であった。

プラントの統治のために貴重な戦力を常に一定数割き続けること自体を否定する考えも政府高官の間で議論されているのだ。プラントに戦力を割くことは無駄が大きいし、統治には金がかかる。そのためプラントは物と人を回収して空き箱となったら他の国に売りつければいいという意見も真剣に議論されていたのだが、ブルーコスモスのシンパはそれにも抵抗を示した。彼らは宙の化け物(コーディネーター)は忌々しい砂時計(プラント)ごと核で焼いて絶滅させるべきだと唱えているのだ。

しかし、大西洋連邦としてはそんな感情論をいつまでも唱えさせるわけにはいかない。国民が溜飲を下げることも重要だが、国民を守り、国益を守ることの方が遥かに重要なのだから。

アズラエルたち財界としてもプラントを破壊されるのは望むことではない。あれは自分達財界が投資したものなのだから、中身の物と人を抜き取って外側のコロニーを売り飛ばすのならばまだしも、元を取らずに破壊することは許されないというのが財界の主張だ。

 

 アズラエルは元々コーディネータ―にいい感情を抱いていないということは事実であったが、何もプラントの破壊までは望んでいなかった。そのため彼は戦時中もブルーコスモスの会員の間を走り回り、金や理による説得によってなるべく会員の間でプラント破壊論が噴出しないようにしていた。会員が過激な意見に感化されてテロなどの暴走行為の支援に走ることをアズラエルは危惧していたのである。

そのためにブルーコスモスの本丸が過激な意見に傾くのを押さえていたという点で、アズラエルは政府の高官からの受けはそれほど悪くなかった。ただ、彼の努力をもってしてもロード・ジブリールをはじめとする過激派の台頭を抑えることは至難の技であった。ジブリールは非会員からもブルーコスモスの顔としての認知度が高まっており、文字通り反コーディネーター過激派の首領といえる存在となっていた。

終戦後はプラントに対する仕置きの甘さからジブリール率いる過激派に同調するものも増えており、ブルーコスモスの総会で自分が罷免されて次期盟主としてロード・ジブリールが選出されることも時間の問題だとアズラエルは考えていた。

 

 ブルーコスモスは大西洋連邦有数のロビー団体でもある。もしこのままジブリールが盟主になれば、ブルーコスモスはプラントを破壊するように政府にロビー活動を積極的にするだろう。ブルーコスモスの会員として自分がロビー活動に協力させられることは御免である。

自称ブルーコスモスによるテロ活動も終戦後も治まる気配を見せていないため、ブルーコスモスはシンパ以外からも戦中以上に忌避されつつある。ブルーコスモスに参加しつづければアズラエルの心象もブルーコスモスの会員ということで悪くなりかねない。

そのため、アズラエルはブルーコスモスから脱退することを決断したのである。

 

 彼が軍や政府に持っていた伝は、主に非プラント破壊の主張に同調したものだったため、今更ブルーコスモスを辞めたからといって失われる様なものでもない。損失は盟主としての権力とネームバリュー、ブルーコスモスの組織力を使えなくなったことであるが、この程度であれば許容範囲内だとアズラエルは判断していた。

 

 

 

 説明をアズラエルから受けたインヴィは納得した表情を浮かべる。

「……なるほど、アズラエル様の慧眼、恐れ入りました」

「君は国防産業関係の秘書だから、ブルーコスモスとしての活動についてはノータッチでしたよね?疑問に思ってしまったのも無理もないことだと思いますよ?……さて、もう用事は済んだことですし、地球に帰るとしましょうか。このあたりもまだ治安があまりよくないと聞きますしね」

歩きながら説明を続けていたため、説明が終わるころには工場の出口まで来ていた。工場の出口には軍でも採用されている装甲車が3台駐車している。そしてアズラエルはそのうちの一両に足早に駆け寄り、後部座席に乗り込んだ。

 

 占領から一月ほどが経過したが、マティウス市の治安はあまりいいとは言えない。そのため、市内を巡るときは未だに軍の護衛が必要不可欠な状況にあったのだ。

 

 

 

 

 

 

C.E.71 11月20日 東京 元在日本オーブ連合首長国大使館

 

 

「スカンジナビアのアウグスト国王との会談のセッティングはどうなった!?」

「ヘリオポリスへの移住希望者が中々集まりません!」

「カガリ様が知恵熱を!!衛生兵(メディック)!!」

 

 この元オーブ大使館はある意味戦場だった。皇国ホテルを引き払った亡命オーブ政権の一行は拠点をここに移し、諸外国への協力要請や今後の計画の立案、ヘリオポリスの整備やカガリの教育を行っていた。

亡命政権のナンバー2であるウナトは激務で憔悴し、各国との折衝を任されたユウナは二日連続の徹夜で真紅眼を開眼し、カガリの教育係は激しい頭痛を抑えるために錠剤をぽりぽりと噛み砕いていた。

 

「……過労死するぞ、本当に」 

ウナトが書類を決裁しながら唸るように呟く。

「父上、僕最近思うんですけど?」

その息子、ユウナも亡命政権への協力を表明するオーブの在外公館絡みの書類に眼を通しながら答えた。

「……なんだ?」

「多分僕達はあのままオーブに残っていても投降すれば命までは取られなかったと思うんだ。僕達はアスハ家とは距離を置いていた氏族だし」

「……」

ウナトは黙って新たな書類の山の処理にはいる。

「でもさ、国外に脱出してみたらこの有様だよ。多分過労死するよね、これ。大多数の国民は生き延びるために出国したのに、僕らは出国したために過労死するのか……カガリが労災認定してくれるかな?」

「安心しろ、ユウナ。あの娘はお前が先に極楽に逃げようとしたら必ず現世(地獄)に連れ戻しに来る」

 

 オーブ亡命政権、一番の課題は人材不足だった。この1ヵ月後にオーブ亡命政権は日本側の身分照合でシロとされた民間からの人材を登用することに成功するが、その人材の教育やこれまで少人数に圧し掛かっていた負担の分配配分などで彼らが休みを取るには結局更に1ヶ月ほどかかった。

因みに、亡命政権のトップは月月火水木金金で礼儀作法、書道、一般教養、帝王学に政治のお勉強だった。休み時間は書類に判子を押す時間だったらしい。そして亡命政権が人材的にも安定し、首脳陣が休みを取れるようになるまでに栄養ドリンクが毎日10ダース消費されたらしい。

 

 

 

 

 

 

C.E.71 12月16日 大日本帝国 東京 日比谷大神宮

 

 

 日本の神前結婚式の中でも最も格調が高いとされているのが日比谷大神宮であろう。明治のころに皇子の結婚式が宮中以外では初めて行われた場所としてこの神社は有名で、以来昭和まではここで式を挙げることが上級階級のある意味ステータスとなっていた。

大東亜戦争終結後は欧米の文化が入ってきたことによって庶民や一部華族の間では教会での結婚式が一般的となっていたが、華族の中でも旧五摂家の一つである煌武院家では神前婚を行った例が多かった。

煌武院悠陽もその例に洩れず自分達の結婚式には神前婚、その中でも由緒ある日比谷大神宮での神前婚を選んだ。

 

 悠陽の婚約者である武はオーブでの戦闘後にアークエンジェルで帰国したその日に悠陽から結婚式までの予定表を目の前に突き出された。神社はあの日比谷大神宮を手配し、さらには衣装合わせの日取り、結納の日取りまで全て決まっていた。

引き出物や演出の準備も悠陽が既に手配していた。招待客のリストアップまで終了していたため、武がやらなければならないことは指輪と自分の衣装の準備、そして結婚式の招待状を贈ることぐらいであった。

 

 

 

 

 そして武は結婚式の当日を迎えた。この日は悠陽と武、そして親族として参列している悠陽の双子の妹、冥夜の誕生日でもある。

だが、結婚式の当日の武は緊張で硬直していたといっても過言ではない。傍目からは緊張を感じさせない精悍で凛々しい顔をしているようにも見えるが、それはあの世界での高官との交渉の経験から得たポーカーフェイスの賜物である。

だが、式が始まっても武は終始思考が止まった状態に近く、一言も発せずにただ淡々と巫女に先導されて本殿に入場した。因みに彼の前を歩く媒酌人は武の元上司である九篠醇一大尉だ。

 

 武が緊張から半ば呆然としている中、粛々と結婚式は進む。斎主がおはらいをする修祓の儀、斎主が神前で祝辞を読み上る祝詞奏上を終え、次は三三九度の儀式である三献の儀だ。

武は小の盃に口をつけ、新婦に手渡そうとする。だが、隣に座る綸子の色打掛に身を包んだ悠陽を見るたびに武は再び平静さを失ってしまった。

鮮やかな朱を基調とし、金糸や銀糸による刺繍が施された打掛を身に纏った悠陽は、普段見慣れている女性であるにも関わらずとても美しく見えた。その装いと柔らかな雰囲気はまるで中世のお姫様のようだ。正にこれが日本の美、大和撫子かと武は感嘆する。

次いで中の盃、大の盃を交わすが、動揺している武はその度に盃を一口で飲み干してしまいそうになった。

 

 次は誓詞奏上だ。武と悠陽は神主に促されて前に出る。武は緊張で喉がからからになりながら巻紙を開いて口述する。

「今日のよき日に、この日比谷大神宮の大御前において、私達は結婚式を挙げます。今後はご神徳のもとで相和し、相敬い、幸せな生活を営み、終生変わらぬことをお誓いいたします。なにとぞ、幾久しくご守護下さいますようお願い申し上げます……白銀武」

「煌武院悠陽」

続いて新婦である悠陽が神前に告げた。武は誓詞を元通りに巻きなおし、神前に奉納する。

 

 ここでいよいよ指輪の交換だ。本来の神事では指輪の交換は存在しないために昔は神前結婚で指輪を交換することは無かったらしいが、戦後に欧米の既婚者が指輪をする風習が定着した今日では神前結婚の儀式の一つに組み込まれている。これも時代の流れというやつだろう。

巫女が指輪を持ってくる。その指輪はS字をイメージした曲線を主調としたシンプルな白銀(プラチナ)の指輪だ。普段から身に着けていたいので華美な装飾がされた指輪は不要というのが武と悠陽の共通認識だった。

巫女が持ってきた指輪を手に取った武はぎこちない手つきで悠陽の左手をやさしく持つ。ここまで儀式を進めていながら武はまともに悠陽の顔を見ることができないでいたが、ここでついに武は指輪を手に、悠陽の顔を見た。

 

 悠陽は頬を少し赤く染めながら笑っていた。輝いているようにも思える、心から嬉しそうな笑みだ。そしてそのラピスラズリを思わせる群青色の瞳からは涙が零れていた。宝石のような雫の輝きに悠陽の麗しい貌が彩られる。

 

 ――――ああ、そうだったのか。単純なことだった。人の感情の機微に疎い恋愛原子核の武にしては珍しく気がついた。彼女はこの瞬間がただ嬉しくて、少し気恥ずかしくて、そしてこの上なく幸せなだけなのだ。緊張もしていないわけではないが、今この一瞬に彼女は満ち足りている。

何をそこまで緊張する要素があろうか。気恥ずかしさが無いとは言わないが、今の自分はそれ以上に満ち足りているはず。この瞬間の幸せを悠陽と分かち合える喜びに比べればこの程度の気恥ずかしさなどなんてことはない。

武はまるで壊れ物を扱うような手つきで慎重に悠陽の左薬指に指輪をはめる。指輪をはめられた左手を胸に抱く彼女の仕草すらも武にとっては愛おしい。そして今度は武が悠陽に左手を差し出した。悠陽もゆっくりとまるでその行為の意味を噛みしめるように武の左薬指に指輪をはめた。

 

 その後も玉串奉奠や御親族御固めの儀などがあったのだが、先ほどとは違い、幸せで半ば意識をとばしている状態にあり、ほとんど何も武は覚えていなかった。武は夢心地で生涯で最高の結婚式を終えたのだ。

 

 

 

 

 それから5時間後、結婚式も披露宴も終えて舞台は二次会へと移っていた。出席者は主に武や悠陽の学友である白陵柊学園の卒業生である。だが、結婚式、披露宴と比べて二次会は砕けた雰囲気で開かれる。二次会とは実際には結婚に託けた宴会である……と武は認識していた。

当然二次会では酒がジャンジャン振舞われ、酔いつぶれる中で地を出すものも少なからずいる。そしてここには酒癖が悪いものが少なからずいたことを幸せ一杯の武は失念していたのである。

 

 宴会場では出席者達が久しぶりにあった旧友と思い出話に花を咲かせていた。しかし、宴席上に突如悲鳴が響き渡った。出席者達は悲鳴の聞こえた方向に一斉に振り返る。そして彼らは戦慄した。

 

 敏腕外交官となった武の親友がもの言わぬ躯となってそこに倒れていた。そして犯行現場の隣では犯人らしき人物の手によって、次の犠牲者が生まれようとしていた。

「何で……なんで私よりも先に教え子が家庭を持つのよぉ……おかしいれしょうが!!ほら!!あんたもあらしの酒につきあいなひゃい!!」

「じ……神宮司先生、私、お酒は」

「何よ~あらしの酒がのめらいって!?だからいつまれたっても胸がへいらんらろよ!!」

「ひゃ……キャ~!?」

30過ぎて焦りを見せ始めた女性教諭が弓道師範をしてる教え子を捕食した。宴席には珠瀬の断末魔の声が残った。

――――彼らは忘れていた。ここには白陵大学に今でも残っているという狂犬伝説を持つ女性がいたことを。

 

「……ま……拙いぞ武!!神宮司先生がご乱心だ!!」

「分かってるさ、冥夜。でも……」

武は自身の寄り添う悠陽に目をやる。彼女は今日の結婚式で疲れが溜まっていたらしく、既に可愛らしい寝顔を曝しながら武に寄りかかっていた。冥夜は武の肩に寄りかかる姉の姿に嫉妬と怒りを覚えるが、今日は姉を祝う日であることを思い出して怒りをひとまず鎮める。

冥夜がまりもに視線を移すと、既に第三の犠牲者――彩峰慧がそこに沈んでいた。まりもは彩峰を撃沈すると、次なるターゲットに狙い定めるべく周囲を見渡した。そして獲物を狙う狩人と冥夜は目があってしまった。――ああ、次の犠牲者は私か。冥夜は悲痛な表情を浮かべながらもう一度武と相対する。

 

「たけ……いえ、義兄様。今日は幸せそうでなによりでした。姉上ともども末永く……爆発してください」

捨て台詞を残して冥夜は一人で狂犬の待つ断頭台へと踏み出した。

 

 

 

「あはは、白銀、まだ無事かしら?」

冥夜が倒れ、榊が狂犬に襲われている光景を見ていた武に恩師である夕呼が話しかけてきた。

「まだ標的からは外れているようです。もしかしたらまりもちゃんも俺には流石に遠慮してるのかもしれませんよ」

「ないない。今のまりもにそんなものがあったらそもそも二次会の空気を壊したりはしないわよ」

武の希望的観測を夕呼は笑いながら一瞬で切り捨てた。これには武も苦笑いするしかない。

 

 夕呼は武の隣に腰を下ろし、グラスに注がれているワインをあおった。そして僅かに赤みを帯びた顔を武に向けた。

「ねぇ……白銀。この世界はあんたにとって、望ましい世界だったかしら?」

突然の問いかけに武は訝しげな表情をする。夕呼は更にもう一杯ワインをあおって続ける。

「あの世界とは違ってここには霊長の種にとっての根源的な敵対種族もいないし、人類は滅亡の淵にいるわけでもないわ。でも、この世界では人類同士で総人口の数割を削る戦いをしている。ある意味ではあっちの世界よりも人は愚かしいことをやってるわけじゃない?……あの世界は間違ってる、狂ってるって散々喚いてた白銀にとってこの世界はどうだったか?って聞いてるのよ」

 

 武はしばし目を瞑り、考えた末に口を開いた。

「よく……分かりません。幸、不幸で考えればBETAがいない世界ほど幸せな世界は無いでしょう。この世界の日本では敵に命を脅かされることなく生きることができる。冥夜も、委員長も、彩峰も、タマも、純夏も尊人もまりもちゃんも夕呼先生も……そして悠陽も、みんな生きてます。あの世界と違って俺の大切な人たちはみんなが普遍の穏やかな日々を過ごせるし、だれも滅亡の淵にある国を、国民を、人類を背負う必要はありません。先生に喚き散らしてたころの俺なら、大して頭を回すこともなくこの世界が正しい世界だって言い切ったと思いますけど」

「BETAもいないし、みんな生きてるんだからハッピーエンドじゃない」

「俺の周りはそうです。でも、日本の外ではたくさんの人が死にました。結局のところ、相克や利害関係を克服できずに自滅するあの世界の人類も、人種の差で殲滅戦をしていたこの世界の人類も本質はいっしょなんだと思います。人類は常に誰かに剣を向けずにはいられない我慢のできない子供みたいなものじゃないですか。人類がその次元から抜け出せないかぎり、どの世界でも根本的に一緒で、狂ってるし間違っているんだと思います」

「ガキ臭いことを散々あたしに言ってた英雄様が人類をガキだって?面白いこと言うわねぇ」

夕呼の辛辣な言葉に武は苦笑する。

「でも、この国ではみんなが自分らしい生き方を選べますし、理不尽な力に命を奪われることもない。俺が守りたい人を守るだけの力を発揮させてくれるこの場所は間違ってないと思いますし、俺はそれに結構満足しているんです」

「かつて地球と全人類を救ってみせた英雄様にしてはちっちゃな望みねぇ。この世界を平和にしてみせる!!とかって青臭い考えは捨てたのかしら?」

「そりゃ、世界が平和なことにこしたことはないと思いますよ。でも……」

武は視線を自身の肩に寄りかかって静かな寝息を立てている妻に向けた。そして武は妻の髪を愛おしそうに撫でる。

「俺の足元のちっちゃな世界……夕呼先生がいて、冥夜がいて、みんながいて、そして悠陽がいるこの足元の小さな範囲の世界を守れなきゃ、この地球を救えたって俺にとっては意味が無いんですよ。あっちの世界みたく俺の足元の世界を救うか全世界を救うかって最悪の二者択一(オルタネイティヴ)でも突きつけられない限りは俺にとって何よりも一番大切な、守りたいものはすぐ足元の世界です」

 

 武の回答を聞いた夕呼は面白いものを見つけたときに見せる表情を浮かべる。それに危機感を覚えた武は咄嗟に質問を返す。

「夕呼先生にとってこの世界は望ましいものですか?」

「幸い、上のやつらもあの世界に比べれば物分かりがいいから下らない政治とかにあたしの天才的脳の貴重なリソースを割かなくて済むわ。……ああ、榊の父親は例外ね。あの世界でもこっちの世界でも色々と折衝するのが面倒くさいったらありゃしないわ」

……委員長の親父さんはこっちでも夕呼先生の扱いに苦労しているようだ。でもがんばって欲しい。あの天才の取り扱うにはストッパーの存在が必要不可欠なのだから。胃が痛くなりそうだが、がんばって欲しい。後は頭皮も後退しないことを祈る。

「この世界はあの世界では解明できなかったことを解明できるほど基礎科学が進んでいるし、あたしのやりたかったこともやらしてくれるわ。軍関係の仕事を片手間にやってさえいればね。……そうそう、思い出したわ。白銀、近いうちにアンタにあたしが設計した機体のテストをしてもらうから、その時はよろしくね」

付け加えられた一言に顔が青ざめる二次会の主賓であった。

 

 

 

 

 例の狂犬だが、結局出席者の8割を撃沈したところで動きは鈍り、そのまま四肢を投げ出すようにしてダウンした。かくして、狂犬の宴は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

C.E.71 12月20日 L5 フェブラリウス4 セル研究所

 

 

 東アジア共和国の軍服を着込んだ男がフェブラリウス市有数の再生治療研究施設であるセル研究所を訪れていた。彼は守衛に手帳を見せてゲートをくぐり、研究所に足を踏み入れた。

 

玄関を抜けると彼は階段の裏手にある男子トイレに向かい、左から3番目の個室に入る。彼は用をたすこともなくトイレの排水レバーを小小大大小大の順番で一気に回した。すると壁面から鍵が外れたような音が聞こえた。

彼がトイレの壁面を押すと壁が扉のように開き、その奥に細いエレベーターがあらわれた。彼はエレベーターに乗るとBと書かれたボタンを押し、下の階へと降りていく。そして数秒ほどでエレベーターは目的の場所に到着したことを告げるベル音を鳴らした。

 

 エレベーターから降りた男を白衣を着た初老の男が出迎えた。その容姿はまるで蟷螂を思わせるほど痩せている。その大きなサングラスと相まって本当に蟷螂そっくりだ。狙っているのではないのかと男が邪推するほどだった。

「ポールナイザトミーニィ研究所にようこそ。私はこの研究所の責任者、ロフト・ブラスキーです」

男もブラスキーに挨拶する。

「私は東アジア共和国陸軍のリ・テルミル少将だ。例の実験体を視察しに来た」

「話は既に上から聞いております。どうぞ、中へ……」

 

 ロフトの案内でテルミルは薄暗い実験室の中に足を踏み入れた。周囲を見るといくつもの水槽が並んでいる。どの水槽にも液体が満たされており、年端もいかない少女達が液体の中で一糸纏わぬ姿で眠っていた。

「ふむ……これが君たちの作品か。出来の方はどうなのだ?」

テルミルの問いかけにロフトは昆虫のような顔を綻ばせながら答えた。

「それはもう!!最高傑作と言っても過言ではありませんよ、シェスチナは!!」

ロフトは更に手元の端末を操作し、テルミルに画面を見せつける。なんらかの実験のデータなのだろうが、専門ではないテルミルにとっては理解不能な単語と数字の羅列でしかない。

「……すまないが、説明してくれないだろうか」

「ああ、そうですね。簡単に言えば、シェスチナはビャーチェノワの最高個体を凌駕するレベルのリーディング能力がほぼ全個体に備わっているのです。さらに自身のイメージを送り込むプロジェクション能力も個体差はありますが格段に延びています。ビャーチェノワのプロジェクションがサブリミナル効果レベルであったのに対し、シェスチナでは相手に数式や映像といった具体的なイメージを送り込むことまでも可能になっているのですよ!!そして!!」

説明しながら明らかなハイテンションになったロフトは研究所の奥にある大型の水槽に眠る少女を指さした。

「あの300番(トリースタ)はこれまでの実験においてずば抜けた成績を見せています!!あれが量産できれば、最強の超能力者軍団が誕生するでしょう!!」

 

 テルミルは300番(トリースタ)と呼ばれる少女に視線を移す。見た目は可憐な少女だが、その戦闘力はおそらく一国で十指に入る凶悪な兵士だ。テルミルの脳裏には彼女達が獅子奮迅の活躍をする光景が浮かんでいた。

プロジェクションで敵兵の意識を掻き乱し、リーディングで敵兵の動きを完全に読む超能力者が駆るMS軍団が小賢しい日帝のMSを粉砕し、やつらの戦艦を宇宙の藻屑に変えていく。その光景を想像しただけでテルミルの唇が吊りあがる。

「ロフト……面白いものを見させてもらった。予算については私からも上に掛け合うから心配しなくてもいい。更に研究に励み、超能力者を増産してくれ」

テルミルから援助を受けられると知ったロフトは満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます少将!!必ずや、貴方のご期待に添うような最強の超能力者を送り出してみせましょう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 テルミルも、ロフトも知らない。彼らが最強の超能力者軍団という妄想を語っている最中に後ろで眠っている300番(トリースタ)の口が微かに動いていたことを。

 

 

 

「たける…………さん……」

 

 

 

少女の言葉にならない呟きは泡となって水槽の中で掻き消えた。


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