ネコマジョ・カノジョ!【完結】   作:イーベル

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また会う日まで。

 目の前にはどこにまでも広がる水平線。バスから降りると、生暖かい潮風が吹き付ける。ハイルの髪を揺らした。被っているマスケット帽を抑えつつ、これから行く施設を見つめた。

 

「以前に行ったショッピングモールという所も大規模でしたが、ここもなかなかですね。サイズこそ劣りますが、立地が素晴らしい」

「性質上、海に近い方が良いからな、水族館は。珍しくは無い」

「水生生物の展示館なんて、初めてなので楽しみです。ほらツカサ、早く行きましょう!」

 

 はしゃぎ気味のハイルは俺の手を引いた。別にそんなに急がなくても水族館は逃げないってのに。

 でも、初めて来たと考えればその態度も納得か。俺もきっと、幼い頃はハイルの様にはしゃいでいたはずだ。いや、今も心躍らされていた。今回の外出はなんだかんだで、初めてのデートという事になっているのだから。

 入場チケットを買う列に二人で並びつつ、昨日の事を思い返す。彼女の提案。『逢引をしよう』という願いについてだ。

 聞いた当初は呆然としてしまった俺ではあったが、その理由を聞いて納得した。彼女が異世界に帰るためにはまだ魔力が足りないこと。俺への恩返しの締めくくりをしたかったこと。

 その両者を満たす為、男性が喜ぶであろう『逢引』をして、魔力を貰って異世界への門を開く。これが、彼女が取りたいプランだ。

 幸いにも、俺の取りたかった方針と合致していた。

 だから俺は提案に乗って、昨晩のうちに二人で楽しめる場所を考え、この水族館に白羽の矢を立てたのだ。彼女の反応を見るからに、俺の選択は間違いでは無かった。そう確認できてホッと胸を撫で下ろす。

 窓口が直前まで近づいて来た所でハイルは俺の肩を小突いた。

 

「ツカサ、手を繋ぎましょう」

「手を? どうして」

「だって今日は、逢引をするために来たんですから。これぐらい……」

 

 ハイルは控えめな声で意見する。それが彼女のしたい事だというのならば、俺も付き合うべきだ。それが彼女ほどの美少女ともなれば、光栄だった。

 

「じゃあ、ほら」

「フフッ、ありがとうございます」

 

 彼女は笑って手を取った。俺より一回り小さく、細い指が俺の指に絡まる。恋人つなぎで結ばれた手は柔らかく、温かい。彼女がいつもより近くにいるのだと実感させてくれた。

 ドキドキと高まる心拍音を聞こえないふりして、俺は前に進んだ。受付を務めている職員にハイルは笑顔で話しかける。

 

「すいません、カップル割引があるって聞いたんですけど」

 

 あれ?

 

  ▼

 

「ククッ……。あの時のツカサの顔と言ったらもう」

「笑うなよ。緊張してた俺が馬鹿みたいじゃないか」

「まあまあ。賢い支払いができたんですから良しとして下さいよ」

「それは、そうだけどさ……」

 

 彼女の手の平の上で踊らされてしまったようで何だか納得がいかない。いや、敵わない事は分かっているけれども、少し期待した自分がいた。

 ハイルは歩きながら、繋いだままの手を何度か握り直す。

 

「でも、好きですよ」

「何が?」

「ナイショです」

 

 ハイルは人差し指を口元に当てて、言葉を笑って誤魔化す。こういう時のハイルは追及しても答えてくれない。俺はそれを知っていた。だから「そうか」と水に流して、チケットと一緒に貰ったパンフレットを片手で開く。

 

「どこに行こうか?」

「ワタシは見た事無いものばかりなので、ツカサにお任せしますよ」

「ん? そうか。じゃあ道なり行って、なるべく多く見れるようにしようか」

「はい。お願いしますね」

 

 彼女の言葉を聞き届けてから手を引いて、一番近いコーナーを目指した。入口近くの階段を下って、光の届かない世界へと足を踏み入れる。広場に出ると青白くライトアップされた水槽が数多く展示されていた。

 

「ここは?」

「深海魚のコーナーだな」

「だから暗いんですね。ところでツカサ、あのやたらと足の長い生き物は何ですか?」

 

 ハイルが近くの水槽に指を刺す。そこに注目してみると。赤みのかかったボティに細長い手足。旅行先での食べ放題でお馴染みの生物。

 

「カニだな。種類によるけど、大抵食べると旨い」

「お、大雑把ですね」

「そんな事無い。俺に細かい説明を求めるんだったら、展示されているプレートを見た方がよっぽど有意義だろ?」

「それは、そうかもしれませんけど……ワタシはツカサに話して欲しいです」

 

 あからさまに残念そうに彼女は話す。

 俺は本をよく読むがそこまで博識な訳では無い。むしろ本を読めば読む程、無知であることを自覚させられてしまう。だから説明を求められても困る、というか自信が無いのだ。

 しかしながら、それでも彼女が俺を、俺の知識を求めてくれてる。それならば彼女に喜んで貰えるように尽くそう。そう決めた。

 

「――これはこの間、聞いた話なんだけど」

「っ! はい!」

「このカニ、タカアシガニって言ってな」

 

 元気に返事をしたハイルに俺は知っている知識を語り始めた。本当かどうか変わらない話だけれど、彼女は真剣に聞いてくれる。

 楽しくて、ついつい長々と語ってしまう。コミュニケーションを取る上で、一方的に語る状態は良くない。これは自分の悪癖だったのに調子に乗って、意識を外してしまっていた。気が付いて一旦止めた。

 

「どうかしましたか?」

「いや、悪い。……話し過ぎた。気持ち悪かっただろ?」

「いいえ。そんなことありません。ワタシ、ツカサの話が好きです。もっと、早く気が付いていればもっと聞けたのに」

 

 彼女は俺の手を取って、次の場所へと手を引く。

 

「次の場所に行きましょう。ワタシ、まだツカサの話を聞きたいですから」

「ああ、分かった。行こう」

 

 手を引くハイルの背中を見つつ、俺は安堵していた。彼女との最後の思い出を悪い形にしたくは無かったからだ。でもこれも、結局彼女に助けられた結果。最後まで助けられっぱなしだった。

 それからも俺達は水族館を二人で歩く。新しい水槽を見つけては、聞いたことのある話をして、ハイルがそれを笑って聞いて、また次へ行く。

 俺はこの時間がどうしようもなく楽しかった。その合間に彼女の新しい魅力に気が付いて、どうしようもなく惹かれてしまう。

 送り出す、そう決めたのに、この時間が終わって欲しくない。そう思う自分が常に顔を出し続ける。それを見て見ぬふりをして見学を続けた。

 昼食を摂りながら談笑をして、また歩いて、最後に施設の隅、大型プールでイルカショーを見ることに決めた。一番前で見たいというハイルの要望に応え、少し早めに出向く。

 待ち時間もそこそこに、ビニールのカッパを購入し臨んだショー。お互いに目の前で行われるダイナミックな芸を見て盛り上がる。ショーの終盤で水を被った俺をハイルは声を抑えつつ笑った。自分は魔法で防げるからって、笑い過ぎだろう……。

 そして、イルカが手を振りながら俺達を見送る。ショーは閉幕した。俺達も恥ずかしげも無く手を振って、その場を後にする。

 時計に目をやった。閉館にはまだ余裕があるようだ。一周はしたけれど、もう何カ所かは回れそうだった。

 

「もう一回、見たい所とかあるか?」

「それは、山ほどありますけど大丈夫です」

「もったいぶらずに言えばいいだろ? 閉館までまだ時間はあるぞ」

 

 彼女は一度目を閉じて、しばらく間を空けてから俺の問いに答えた。

 

「やっぱり、大丈夫です。これ以上いると、帰りたく無くなってしまいそうですから」

 

 正直に言えば、忘れていたかった言葉を、本人から告げられる。

 そうだ、彼女は帰るのだ。元のセカイ、魔法と戦いの溢れるセカイに。それを妨げようとするのは無責任だろう。

 

「分かった、出ようか」

「……はい」

 

 入場門から外に出る。正面に見える空は、透き通る水に薄くオレンジの絵の具を混ぜたみたいな色をしていた。今見る日没はハイルの眼にもきっと、綺麗に映るだろう。根拠なんてないけれど、そう思った。

 

「なあ、ハイル」

「何でしょう」

「最後に、夕焼けを見ないか。近くの、浜辺から。水平線に沈む太陽は綺麗だと思うんだ」

「良いですね。今日という日を締めくくるのに、夕暮れは最適です。行きましょうか」

 

 ハイルはまた最初の様に手を取った。近くの階段からゆっくりと、下って行く。砂浜の上を歩いて、波に触れるか触れないかのところで立ち止まった。

 光源に近づいたからか、空はさっきより濃い褐色に染まる。太陽は水平線スレスレにまで迫っていた。

 

「……ワタシはここに来て良かった。アナタに出会えて、良かった」

 

 繋いでいた手に、力が加わる。彼女の決意の表れ。これが、彼女との最後の会話になりそうだと直感した。

 

「最初はこの世界に不満しか抱きませんでした。重く動かない体に、見下ろす人々、通り過ぎていく足並み。自分が世界に一人しか居なくなったみたいで、不安で心が押しつぶされそうでした」

 

 でも、と言葉を区切る。彼女の視線が夕焼けから俺へと映った。

 

「アナタはワタシを見つけてくれた。優しさを、注いでくれた。それにどれだけ救われた事か……」

「そんな事無い。俺は当たり前のことをしただけだ」

「でも、その当たり前はワタシにとっての特別でした。ありがとう、ございました」

 

 手が離れた。代わりに後頭部に回され、逆らえない程の力でぐっと頭が引き下げられる。一瞬、頭一つほど低い彼女の顔が近くに見えて、その直後に接触した。

 温かく、しっとりとしている。

 その感触がわずか数秒で頭に刻み込まれた。決して消えない様に。離れた彼女の瞳には涙が滲んでいるのが見えた。

 

「……さよならです。ツカサ」

 

 ハイルは沈みかけの太陽に手をかざす。空間に黒い穴が開いた。古野に襲われたときに使っていた魔法と同じ物なのだろう。

 今更、キスされたことにようやく気がついたのか、鼓動が激しくなる。ハイルへの気持ちが、理性で抑え込んでいた気持ちが、とめどなくあふれ出てくる。

 俺はこのままでいいのか?

 この気持ちを抑え込んだまま、残りの人生を送れるのか?

 似たような問いが次々と浮かぶ。

それは考えないようにしてきたことだった。自分がかっこよく、彼女を送り出せるよう決めた事だった。でも、堪えきれなかった。

 俺はそんな建前を投げ捨てて、彼女との距離を詰める。

 

「待てよハイル!」

 

 穴に入りかけていたハイルの体。さっきまで繋いでいた手を再び掴んで引き戻した。背後から腕を回して抱きしめる。これ以上遠くに行かないように。存在がここに在る事を確かめるために。

 

「お前は、一方的すぎるんだよ。最初に人型になったときも、恩返しをするって言い出したときも、そうだった。最後ぐらい、俺に言い返させてくれよ。……頼むから」

 

 声が震えていた。その原因が緊張なのか、別れから来る悲しみなのか、分からなかった。

 俺の頼みにハイルは「はい」と返事をする。この浜風に吹かれて消えてしまうんじゃないかと思うぐらい、小さな声だった。

 

「お前は、俺に特別な事をしてもらったって言ったな。でも、それは俺だってそうだ。お前から貰った物は、数えきれない。不思議な魔法に、ちょっとしたトラブル。何よりも、大きかったのはお前と過ごした日常だった。

 お前との食事。雑談。買い物。今日のデート。俺だけでは手に入らない時間だった。これまでの人生で一番と言っても過言では無い。

 だから、そんな日々を手放したくない。もっと一緒にいたい。そう、思ってたんだ」

 

 一度深く深呼吸をする。蓋をしてきた自分の気持ち。心のパンドラボックスに残った最後の一言を言うために。彼女は次の言葉を黙って待っていた。

 

「俺は、お前のことが好きだ。叶わない事は分かっているけれど、最後にこれだけは伝えたかったんだ」

 

 両腕に込めていた力を緩めてハイルを開放する。彼女の体温が離れていく。

 なんて自分勝手な告白だろう。ハイルの事なんか言えない程に一方的だ。

 彼女の気持ちを無視して、思いの丈をぶつけて……予定とは大幅に変わっている。これは自分だけが後悔しない行動だ。彼女に嫌われたって仕方の無い。

 自己嫌悪に陥りつつ彼女を見ると、さっきまで背中を見せていたが、今は俺を見ていた。

 

「ツカサは、ズルいです。そんな事、言われたら帰りたく……なくなっちゃうじゃないですか」

 

 チラリと見えていた涙が大粒へと変わり、彼女の頬を伝う。

 

「ワタシだって、ワタシだって……もっと、一緒に居たかった」

 

 その一言。そのたった一言だけで、俺の視界が滲む。

 

「ワタシだって、この日々を手放したくなんて、無かったです。でも、帰らなければなりません。でなければ……ワタシは母国を救えません」

「ああ、分かってる」

「だから、約束をしましょう。手を、出して貰えますか?」

 

 俺は言われた通りに右手を差し出す。広げた手の平には髪の束が置かれた。つい先日、ハイル宛に届いた彼女自身の髪。金糸で束ねられている。

 

「ツカサ、アナタにそれを託します。アナタがそれを持っていてくれれば、ワタシがここに居た証を残せる。いつか、道標になってくれるはずです」

「……道標?」

「ええ、だから大切に持っていてください。約束ですよ。いつかまた、会いに来ますから」

 

 ハイルは髪を持たせた手を両手で包み込むと、俺の眼を見て微笑む。

それに答えるため、俺は左手で目を擦って、視界をはっきりさせる。情けない顔を少しでも誤魔化すために口角を意識して上げた。

 

「ああ、約束だ。もうちょっとだけ大人らしく、カッコ良くなって、待ってるよ。もっと早く来ればよかったって、後悔させてやる」

「それは楽しみです」

 

 ハイルは笑う。曇りの無い彼女らしい、太陽のような笑み。それが収まると、彼女は俺に背を向けて、自分が開いた黒い穴に、向き合った。

 

「では、行きます」

「ああ、またな」

「はい、また、です」

 

 ハイルは足を踏み出す。一歩、また一歩と漆黒の穴へと進んでいく。彼女の体が入り切ると穴は空気に溶けて消える。その後ろにあったはずの夕焼けは、水平線に呑まれていた。

 

  ☆

 

 あれから、もう五年が経つ。

 俺は大学を卒業後、サラリーマンとして朝起きて、通勤電車に乗り、働いて、帰って寝る。そんな風に代わり映えの無い普通の毎日を送っていた。

 相変わらず住んでいる部屋は大学生の頃から変わっちゃいないし、家に帰っても一人だ。あの頃とは違って、寂しく食事を摂る。

これは独り身の社会人としてはよくある光景なのだと思う。凡人である自分もその例にはもれなかったのだ。

ただ唯一、他の人には無い特殊な事があるとすれば……。

 

「おっ、ようやく来たな」

 

 郵便受けに投げ込まれた封筒。その口は赤い封蝋印(ふうろういん)で閉じられている。裏にはお世辞にも上手とは言えないカタカナで『ハイル・ミーツ・アルハンゲル』と署名があった。

 これが俺の特別な事。彼女が落ち着いて来ているときにだけ送られてくる手紙。中身は決まって少量の彼女の黒髪と、白紙の紙。

 他の人間には意味の無いどころか、(たち)の悪い悪戯にも見えるだろう。でも俺にとっては大切な宝物である。

 彼女の姿を見るために勢い良く紙を破った。視界が光に包まれる。今回はどんな話をしてくれるのだろうか。俺はそれを楽しみに目を閉じた。

 

 

『ネコマジョ・カノジョ!』 完

 




これにて『ネコマジョ・カノジョ!』は完結です。
読者の皆様、最後まで読んで頂きありがとうございました!
感想評価等を下さると作者としては大変うれしいです。

あとがきは活動報告にて。
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