「足音が多かったので妙だな~とは思っていたんですよ」
キッチンで二人。お茶の用意をしつつ、ハイルはそう言った。
その言葉に違和感を感じて俺は聞き返す。
「足音って聞こえるのか?」
「ええ。それはもうバッチリ。そろそろ帰って来る頃だと思っていたので耳を澄ましてました」
「澄ませてったって、魔法って訳じゃ無いのか」
「耳は良いんですよ。私……というか、私の家族は」
「へぇ」
と言う事は小声で何か呟いたとしてもはっきりと聞き取れるわけか。まあ、人の様で猫に近い魔女だしおかしくは無いのか。
だが、まあ無いとは思うが、ハイルの陰口は言わない方が良さそうだ。覚えておこう。
それと気になる事がもう一つ。今ハイルは耳を隠してはいない。あの象徴的な猫耳は堂々と
「なあハイル」
「何でしょうツカサ」
「お前の耳、詩央先輩には――」
「はい。見せてないですね」
キッパリとそう断言する。
見せてない? 『見せる・見せない』というより、『見える・見えない』じゃないか? 情報を送信する側では無く、受け手側の問題だと思うのだが……。
俺はそこを追及する。
「見せてない?」
「ええ、認識阻害ですね。魔法の一種ですよ。少し複雑で面倒なんですけどね」
「認識阻害って事は、詩央先輩にはお前の耳が認識できてないって事か」
「念のためにかけておいて正解でした」
フフーンと得意げに腰に手を当てる。
ハイルの存在が周囲にばれるリスクは俺だけでなく彼女も考えていただろうし、その対策もあった。つまり、俺の心配は杞憂に終わったのか。
俺はふっ、と息を漏らした。
「流石だな」
「ワタシ、こう見えて優秀なので」
「そうだったな」
そう言うと、やかんがピーっと音を立てた。俺は取っ手を持ってマグカップにお湯を注いだ。カップごとに異なる色へと染まっていくのを眺めつつ、俺はハイルに指示を出す。
「ハイル、棚に買って来たクッキーがあったろ? あれ出して、先に座っててくれ」
「了解でーす」
そう返事をしてハイルは詩央先輩を待たせているリビングへと戻って行く。俺はトレーにマグカップを並べてその後を追った。
リビングに戻ると詩央先輩が座布団の上に綺麗に正座をしていた。俺はトレーに乗せていたマグカップを
それを終えた後、俺は席につく。
「ありがとう、夏目君。お茶まで出して貰って」
「ティーバッグの安い奴なんで、そんな大したものじゃないですよ」
「それでも僕としては嬉しかったからね。言わないと、伝わらない事もあるだろう?」
そう言って詩央先輩はマグカップを両手で持ってお茶を啜った。
言わないと伝わらない事、ね。まあこの場合、伝えなくてもいい人に伝えるが正しかったのだろう。この言葉を聞いてハイルの目線が険しくなる。それを見て先輩は笑っているから、これはわざとだと俺は判断する。
どうしてこうも出会ったばかりで対立できるのか、俺は不思議でならない。
適当な所で止めないと話が進まなそうなので俺は彼女達に割って入った。
「まあ、その辺にして話を始めようか」
「そうですね、睨み合っていても仕方ありませんからね」
「そこは、僕も同意するよ。不本意ながら」
また二人はバチバチと視線で火花を散らす。俺はそれを「まあまあ」となだめた。
「聞きたい事は山ほどあるけれど、まずは一つ。君が来たのはいつからだい? 去年に一度、ここには遊びに来たが、その時は君の気配は感じなかったからね」
一つ目の質問。ハイルはそれに対して即座に返す。
「まあ、二週間ほど前ですかね。ここでちゃんと暮らし始めたのは」
「ふむ。と、言う事はそれよりかは前に知り合ってはいたのか」
「そうなりますかね」
「嘘ではないかい?」
まあ『知り合ってはいた』と言うよりかは『擬態して生活していた』が正しいのだが、それは新たな誤解を招く。俺は詩央先輩の言葉に頷く。
それを見てから詩央先輩は話を次に進める。
「端的に言って君たちの関係は何だい?」
「何って……」
二つ目の質問を前にして俺はハイルに目線を送った。するとハイルは少し首をかしげてから、何故かそれをウィンクで返す。俺はそれに戸惑った。
それを見かねてなのか先輩は言葉を付け加える。
「言いにくいのであれば、恋人かそうではないのかだけでも構わないが」
「そう言う事でしたら、俺とハイルはそうでは無いですね」
「ええ、ワタシは居候なので」
「ふーん……」
先輩は目を細めてハイルを見つめる。まるで目利きをする鑑定家の如くじっとりと。そして目線をずらして今度は俺にスポットを当てて、では最後にと切り出す。
「どうして夏目君は彼女を家に置こうと思ったんだい?」
「どうって……放って置けなかったんですよ」
道端で倒れていた猫の姿を思い返しつつ俺は続ける。
「あの時、俺はそのまま立ち去るという選択肢は頭に浮かばなかったんです。だから、彼女をここに連れてきた、それだけの事ですよ」
そう言うとハイルは頬に両手を当てつつ俺を見つめ、詩央先輩はため息を吐いてやれやれと両手を広げた。
「君のそういう
「何を言いますか。それがツカサの良い所なんですから、別に直さなくてもいいんですよ」
「現に君に利用されているじゃないか……。まあいい。最低限の情報はこれで貰った」
詩央先輩は袖を少しまくって、左腕の時計をチラリとみる。そしてこたつ机に両手で体重をかけて立ち上がった。履いているスカートが俺の眼前で揺れ、少しばかり俺の興奮を煽る。
そのスカートを二度
「じゃあ夏目君。そろそろ夕飯の支度をするよ」
「なっ……! 夕飯の支度って、アナタは帰って下さい! これからはワタシとツカサの時間です。ワタシにはまだ聞きたい事があるんですから!」
思わぬ言葉にハイルはそう返す。だが詩央先輩は気にした様子も無く耳元をかき上げ、更に言葉を紡いだ。
「分かっているさ。僕もさっきまでそうだったからね。だけれど――それが何だって言うのさ」
一方的で、身勝手なその言葉にハイルが息を呑む。
詩央先輩はそれを見つつ続けた。
「君に僕が気を使う理由は全くない。好きなようにやらせてもらう」
「そんな事が勝手な事、許されると思ってるんですか? ツカサからも何か言ってください!」
「まあ、それもそうか。どうだい夏目君? 君は私が居るのは嫌かい?」
机を挟みつつ、俺に詰め寄る二人。それに思わず俺は後ろへと下がりつつ言葉を返す。
「嫌って、そんな事は無いですけど、詩央先輩は帰らなくて大丈夫なんですか? 確か実家暮らしでしたよね」
「ああ、問題は無い。両親には遅くなると言ってあるからね。何だったら泊まって行ってもいい」
「何を言いますか! アナタは所詮他人でしょう! そんな急に……あ」
「おや、どうかしたかな? ひょっとして思い出したのかい。知り合って二週間。血縁でも恋人でもない間柄。そんな
ニヤリと影のある笑みを詩央先輩は浮かべる。それはハイルが認めた俺との関係、晒した設定を利用して、自分の方が
さらに先輩は言葉を続ける。
「そんな人間がここに泊まれるというのであれば、より付き合いの長い僕は泊まれて当然とも言える」
「うぐぐ……それは」
「まあ、泊まるのは大げさにしても手料理を振る舞うぐらいしても文句は無いはずだ。夏目君も嫌だとは言わなかったしね」
ばっちりと俺にアイコンタクトを取った。
料理を作ってくれるのは迷惑では無い。それどころか料理をそこまで楽しめない身からすればかなりありがたい。俺は詩央先輩の厚意に甘える事にした。
「じゃあ、詩央先輩お願いしてもいいですか?」
「ああ、任せておきたまえ」
「な、ちょっとツカサ! この女の好きにさせるんですか!?」
控えめなボリュームの右胸に拳を当てる詩央先輩に対してハイルが突っかかった。
俺はそれをなだめる為に口を動かす。
「別にいいじゃないか。俺としては料理は面倒だし、先輩の提案は素直にありがたい」
「確かにそうかもしれないですけど、もっとこう……無いんですか? 『自分のキッチンを荒らされたくない』みたいなこだわりは」
「いや、全然ないよ」
「そんな……」
俺の言葉を聞いてハイルは両手を床に突っ伏してうなだれた。何もそこまで大げさに落ち込まなくてもいいだろうに。
それに対して、詩央先輩は満足そうに声を出して笑うと、キッチンに向かって歩きながら語る。
「そう言う事だ。君は指をくわえて待っていたまえ」
「くっ……」
ハイルは詩央先輩を見上げつつ歯を食いしばり、拳を握った。腕が震えていてかなりの力を込めている事が分かる。
いや、だから何でそこまで対抗心を燃やせるの? 貴方たち初対面だよね?
そんな事を思いつつ見ていると、ハイルは何かを思いついた様に顔を上げて詩央先輩の後ろ姿に向かって話しかけた。
「待ちなさい。アナタの好きには絶対にさせません」
「へぇ、面白い事を言うね。でもどうする気だい? 僕を無理やり追い出す気かな?」
詩央先輩は振り返り、黒縁眼鏡を人差し指でクイッと上げてハイルに次の言葉を問う。
それに対してハイルは立ち上がると彼女の目の前まで歩き宣言する。
「そんな事はしませんよ。ツカサもそんな事望まないでしょうから。だから――ワタシも作ります。夕飯を作って、ツカサを満足させて見せます!」
こうして、我が家にてお料理対決の幕が上がった。
状況が飲み込めていない俺はその様子を眺めつつ、ただ一人冷めたコーヒーを飲んだ。
▼ ▼ ▼
俺は箸を運んだり、横でご飯を炊いたりしながら彼女たちの様子を見ていた。だがその途中で、キッチンから追い出されてしまった。なんでも「あとはお楽しみ」とのことらしい。
ハイルが料理をするのは見た事が無かったから少し不安もあった。だが、先輩もいたし任せても大丈夫だろうと判断してこたつ机に着く。
そしてしばらく待つと、彼女達がお盆に料理を乗せてやって来た。
「やあ、待たせたね。夏目君」
「いえ、それほど待ってません。むしろ任せてしまって申し訳ないです」
「ハハハ、良いよ良いよ。僕としては料理は楽しい事だから」
「そう思えるのは羨ましいです」
「そうかい? そこまで夏目君が億劫なら、僕に毎日任せて貰ったって構わないよ」
「はいはい、そこまでです。料理が冷めてしまいますから」
ハイルが二度手を叩いて会話を中断させた。詩央先輩は「そうだった」と頷いてテーブルに器を並べ始める。御飯と味噌汁。それにから揚げと卵焼き。どれも湯気を立てて美味しそうな匂いを漂わせている。
「おお、すっげぇ」
「こっちのお味噌汁とから揚げは僕が、そっちの卵焼きが彼女の作品だ」
「詩央先輩はともかく、ハイル、お前料理できたんだな」
「ええ、普段からツカサの姿を見てますから。一度見れば十分です。ささ、どうぞ食べて下さい」
そう勧められて俺は箸を手に取った。もちろん『いただきます』と口にすることは忘れない。茶碗を片手に早速メインのから揚げへと手を伸ばした。
パリッとした薄い衣を噛み切ると中からジュワッと肉汁が滲み出る。思わずご飯をかき込みたくなる衝動に狩られ手を動かす。
「おいしいかい?」
詩央先輩の問いにしたいして、口に物が入っていたので頷くだけに留める。頬杖を突きながら俺を眺めていた詩央先輩は口角を少し上げた。
「それは良かった。僕に遠慮せずに食べてくれ」
「ツカサ! ワタシのも食べて下さいよ!」
「分かってるから落ち付いてくれよ。あまり急かさないでくれ」
口の中身を空にした後、グイグイと俺に体を近づけるハイルをなだめる。そして俺はごく一般的な形をしたハイル作の卵焼きを口に入れた。
味わいつつ何度か
それにこの味付けはどこかで……。ああ成程、そう言う事か。
悩んだ末にたどり着いた答えを口に出した。
「何か、俺が作ったのにそっくりな味だ……」
「そうでしょう、そうでしょう! 真似することに関してならこのワタシ、そこそこ自信があるのです!」
ブイサインを付きつけつつハイルはそう言った。
俺はその答えに世間一般の回答を返す。
「でも真似するならもっと旨い人がいるだろうから。そっちにした方が良い」
「そうですか? ワタシはツカサの料理、好きですよ」
「……ハイルが良いなら、好きにしたらいいけど」
「はい! そうしますね!」
その後は三人で机を囲みながらご飯を食べ進めた。ハイルと詩央先輩の対立は相変わらずだったけれど、見ている側としては笑って済ませられる程度。
一人暮らしも一年を超えて、当たり前の様に一人で雑な料理を口にし続けいたからか、このにぎやかな食卓はとても温かく、心地よかった。そう言って置こう。
▼ ▼ ▼
「詩央先輩、本当に送らなくてもいいんですか?」
「ああ、問題は無いとも。言ってなかったかな? 僕の家は意外と近いんだ」
「それは初耳ですね」
「そうだったか。なら今度は僕の家に招待しよう」
「ええ、そのうちお邪魔しますよ」
詩央先輩はスニーカーを履き終えて、立ち上がる。振り返り、俺の後ろに経っていたハイルに向かって指を刺した。
そして宣言。
「君がどういうつもりなのかは知らないが、僕は負けるつもりは毛頭無いからそのつもりで」
「ええ、望むところです。ワタシもあなたに負ける気なんてありませんから」
少し睨み合った後、お互いを鼻で笑ってから視線を外す。詩央先輩はドアノブに手をかけると上半身だけで振り返った。
「じゃあ、夏目君また」
「ええ。また今度」
彼女の短い挨拶にそう返すと先輩は満足そうにわたってこの場を後にした。
「何だか嵐のような人でしたね」
「ああ、そうだな。初めて会ったときからって訳では無かったけれど、詩央先輩には振り回されてばっかだ」
俺は笑ってそう返すとハイルは『そうですか』と言った。俺は今日の出来事を思い出しながら言葉を続ける。
「でも、どうして今日はあんなに敵意むき出しだったんだ? 珍しいじゃないか」
「そう……ですかね?」
「ああ。ハイルはもっと人懐っこいイメージだった」
俺がそう言うとハイルは顎に指を添えて少し考える仕草を見せて、それから口を開いた。
「もちろん、人に合わせて振る舞う事も出来ました。でも、今日は何だか負けたくなかったんですよ」
「何に?」
「何でしょうね? ワタシにも良く分かりません」
「そっか」
それからハイルはだんまりを決め込んだ。ずっと話しているのではないかと思うほどにやかましい彼女にしては珍しいと言わざるを得なかった。
一方俺は風呂を洗ってからお湯を張り、その待ち時間に布団を敷いていた。意味がないだろうけれど一応二つ。何故ならハイルは暑かろうと寒かろうと、俺の布団に入って来るからだ。
だが翌朝。予想に反して、体重は掛かっておらず。横の布団から黒い耳が飛び出しているのが見える。
どのような心境の変化があったのかは分からないが、俺としては心が楽だった。