そうして俺は家を出て駅前のベンチ付近にたどり着いた。近くにあった自動販売機で緑茶を買って席に座る。
「詩央先輩は……まだ来てないみたいだな」
周りを見渡しても彼女の姿を見つけることができなかった。女性は出かけるまでの支度に手間がかかるとは妹から常々聞かされる。それは彼女とて例外では無いのだろう。
『まったく、待ち合わせの十分前になってもまだ来ていないとは。あの女は何を考えているのやら』
ハイルの声が頭の中に反響する。耳からではなく頭に直接響いているような、経験したことのない刺激。俺はすぐに両手で頭を抱えた。
『こいつ直接脳内に……』
『ええ、話しかけています』
思わず脳裏に浮かんだ台詞をノータイムで返された。まさかこの台詞を現実で使う羽目になるとは思っていなかったのだが、流石は魔女、テレパシー程度はたやすいらしい。
俺はそのまま口に出さずに脳内で会話を始める。
『テレパシーなんてできたのか』
『ええ、この程度なら簡単にできますよ』
『流石だな。こう見えて、優秀だもんな』
『ツカサ、台詞取らないで下さいよ』
『悪い悪い』
形だけで謝りつつ俺は辺りを見渡す。しかしながら人目をそこそこ引くハイルの姿は見えない。どこにいるのだろう。
俺は彼女にそのまま問いかける。
『なあハイルお前今どこにいるんだ?』
『どこって、すぐ近くですよ』
『本当か? 全然姿が見えないぞ』
「はい。だって、見せてませんから」
ハイルは耳元で囁く。急な事だったので反射的に俺の肩が跳ねる。だがしかし、首を左右に振っても彼女を発見することができなかった。
そして『見せていない』という言い回しで思い出す。つい先日詩央先輩に対して使っていた魔法。『認識阻害』の存在を。あの時は一部だけだったが、今回は全身に、そしてこの場にいる全員にかけているのだろう。誰もが彼女を視認することができないように。
納得のいった俺は次の言葉を紡ぐ。
『成程、それも魔法か』
『ええ、対象が多いので少し魔力の消費は激しいですけど。これでツカサの条件はクリアしました』
『そうだな。確かに、姿を見せていない』
俺がそう言うと、フフーンと彼女が得意げ声を出した。姿は見えなくても、胸を張っていそうだと言う事が分かる。
俺は家を出るときハイルに条件を出した。ついさっき言ったように姿を見せない事である。条件に指定した理由としては、偽装の恋人を演じるうえで彼氏役が他の女を連れていた場合、見せられた側は納得できないだろう、と考慮したからだ。
俺はてっきり離れて付けてくるのだろうと考えていたが、彼女の行動は俺の予想を大きく超えていた。もちろん良い意味で。俺からしてみれば想像で留まっていたファンタジーな事象が目の前で行われているのだからワクワクしない訳が無い。
俺も魔法使いになれればいいのに、とか思わない訳ではないが、それでもそれが目の前で見えるだけで喜ばしい。ドラゴンボールで言うのなら、ヤムチャ的なポジションでも十分特別なのだから。
そんな事を考えつつ数分待つと、改札から大きく手を振る詩央先輩が小走りで向かってきているのが見えた。それに合わせて俺も手を振り返す。
「待ったかい?」
「まあ、少しだけですよ」
「いや、君。そこは全然『待ってませんよ』とか僕に気を遣ってもいいじゃないか……」
ムスっと頬を膨らませつつ彼女はそっぽを向いた。
「そういう、まどろっこしいの嫌いなんですよ。ああいうのは小説で十分です」
「相手が彼女でも?」
「ええ、勿論。嫌いな事を嫌いだって言えない人と付き合うのはしんどいですからね。でも、まあ……待った
先輩の格好を頭のてっぺんからつま先まで見て、思うがままに口を動かした。もちろん世辞では無い。
改めて彼女の格好を見れば一目瞭然だ。白のワンピースにそこから伸びる真珠の様に白い手足。それに黒のヒールが彼女の身長を引き上げていて、スレンダーな体型がより強調されている。モデルとして雑誌に出ていても不思議では無い。
また、主観では無い証拠として『なんでお前が一緒にいるんだよ』と、周りの視線が次から次へと突き刺さっている。
俺だって未だに彼女と疑似デートすることが不思議でならないのだから、そんな目で見るなと言いたいが、それは
しかしながら誤魔化さずに伝えた言葉を先輩は理解してないのか、それとも不服だったのか、さっきからだんまりを決め込んでいる。不安になって俺は彼女に声をかける。
「詩央先輩、どうかしましたか?」
「……なんでもない。行くよ、映画の時間もあるんだから」
そう言って先輩は俺の右手を引いてカツカツとヒールの音を立てつつ映画館に向けて歩き出した。俺はされるがままについて行く。
正直な所、不機嫌にさせてしまったのかと思った。だが先輩の耳が赤く染まっているのが後ろからも分かって、俺まで体が熱くなった。
そんな俺の熱を冷ますかの様に、頭の中から声が響く。
『ツカサ、心拍数上がってます』
『え、なにそれ。心拍数とか分かるの』
『ええ勿論。毒を盛られるかもしれませんし、バイタルチェックは大事です』
『何警戒してんだよ、そんな事あるわけないだろ』
あったとしたらめちゃめちゃ怖い。というかハイルは警戒度高すぎじゃないか? 今までどんな世界に生きて来たんだか……。
気にはなったがここでは言及しないことにした。
そう決めるとハイルが言葉を切り返して来た。
『今回はそういうわけではなさそうですから。『女性に手を繋がれて緊張している』って所でしょうか』
『…………』
正解。その通りだ。快く彼氏役を買って出たが、これまで彼女の『か』の字すら感じさせたことのない俺にとって、手を繋ぐって行為そのものに緊張しない訳が無い。
でも口には、いや、頭には出さない。決して。だって恥ずかしいしな。
『何か言ったらどうですかっ!』
そんな言葉と同時に左腕が何かに包まれる。
「うあっ! ちょ!」
「ん? どうした夏目君。変な声出して?」
「ああ、いえ、何でもないです!」
首を振ってそう伝えると先輩は「そうか」と言って再び前に視線を戻した。
ほっと息を付くと俺は脳内で声を荒げる。
『ハイル! 急に何するんだよ!』
『別に、腕に抱き着いただけです』
『腕に、抱き着くって……』
左腕に意識を寄せると、じんわりとした温もり、弾力。そして肩に彼女の吐息が当たっている事が感じられる。その感覚が鋭くなればなるほど、心拍数は素早くなっていく。自分がその鼓動を感じられるほどに。
それに耐えるのがつらくなってきた所で、ハイルに向けて言葉を飛ばす。
『止めろよ。やたらめったらそう言う事するのは』
『何がいけないんですか?』
『お前は知らないのかもしれないけれど、そう言うのは好きな人とかにしかしないんだよ。……普通は』
急にこういうことをされると、どうも距離感が測り切れない。どう接して良いのか分からなくなりそうだった。
そんな俺の気持ちを蹴り飛ばす様にハイルは次の台詞を切り出す。
『じゃあ、ワタシ普通じゃないのでそう言う事で、受け入れて下さい』
『何でそうなるんだ。普通の振る舞いをしようとか思わないのか?』
『無いですよ。つまらないですし。それに、あの女だけにこういう事をさせるのは、なんというか……気に食わないです』
気に食わないって言われてもなぁ。俺としては納得ができない言い方だ。でもあえてこういう言い方をしたからにはハイルにも事情があるのだろう。
そんな事を考えていると先輩が二度強く俺の腕を引いた。
「夏目君。気分でも悪いのかい? さっきからここに在らずって感じだけれど」
「そんな事は……ない、ですよ」
一瞬抱かれている左腕に視線を向けそうになったが、こらえてそう答える。
「本当かい? ならいいのだけど」
「心配かけてすいません」
「良いよ。今は『恋人』だからね。これぐらいは構わないさ」
やけに一部を強調するその台詞に反応して、左腕がミシミシと締め付けられる。痛い。超痛い。彼女は俺を越える怪力の持ち主だという事を忘れてはならなかった。
というか、事実を語っているだけだから、そこまでムキになるなって!
俺はギブアップの意思を伝えるために左手首を動かして、彼女の体をタップした。
『ひゃんっ! ど、どこを触ってるんですか!?』
『どこって、分かんねぇよ。見えないんだから。それよりも腕を離してくれよ、先輩にばれちゃうだろ!』
『何ですかその言い方! ワタシのあんなところを触って置いて……もう怒りました。こうしてやります!』
そう言うと彼女は締め付ける力を更に強める。骨折れるって! 折れちゃうって! 偽装デートどころじゃ無くなるから! そう呼びかけるが、それを無視して締め付け続ける。
俺がそんな風に悪銭苦闘していると目の前の先輩は不思議そうに首をかしげつつ言葉を投げかける。
「しかし、どうして君は親の敵が如く左腕を睨みつけているのかな?」
「いや、そんな事無いですよ」
「あるよ。僕の感がそう言っているから」
恐るべし女の感。的中している。立ち止まると先輩は、左腕に手を伸ばす。
それに対して俺は慌ててハイルに語り掛ける。
『ハイル、すぐ離れろ。このままだとばれる』
『……』
『何か言ってくれよ!』
何も行動を起こさないハイルに対し、先輩はの手は伸びていく。意識ぜずにも聞こえていた心臓の音がさらに早まって行く。そして俺の腕に触れる直前にもう駄目だと目を閉じた。
「うーん。なんとも無いね。気のせいだったかな」
目を開けると先輩の腕は確かに俺の腕に触れている。肩から指先にかけてなぞるようにして手の平を動かすが、そこにいるはずのハイルに触れていない。
だがしかし、俺の腕は相変わらず締め付けられたまま。どういう事だ?
疑問は湧いたが、取りあえずこれ以上怪しまれないように先輩に話を合わせる。
「で、でしょう? だから言ったじゃないですか」
「うーん、おかしいな。僕の感結構当たるんだけど」
はい。当たってますよ先輩。ドンピシャ過ぎて逆に怖いです。
「まあ、いいや。行こうか」
「はい」
頷くと先輩は再び手を取って歩き出す。俺はホッと息を付くと文句を言うために頭に台詞を浮かべる。
『ハイル!』
『何でしょう』
『ばれないようにしているならそう言ってくれ。精神的にしんどかったぞ』
『罰ですから当たり前です』
『お前なぁ……』
確かに変な所に触れたのかもしれないが、流石にこの仕打ちは無いだろう。第一に勝手に抱き着いて来たお前にも非があるだろうに。
映画前にこんなにもドキドキ・ハラハラしたのは生まれて初めてだった。
そうして歩いているうちに映画館が見えて来て、先輩はそれを指差す。
「映画館見えてきたね」
「そうですね。ちなみに何を見るか決めてるんですか?」
「いや、全く。急だったからねぇ。まあ早く入って決めようか」
先輩は再び俺の手を引いて、映画館へと急かす。先輩は満足げに笑っていたのが、妙に印象に残った。