「夏目君、何か見たかったものとかあるかな?」
「いえ、急だったので特に調べてもいませんでしたから」
「そうか。ではどうしたものかね……」
先輩は顎に手を当てて、壁に並ぶポスターを眺める。映画館に来るのは、いや、そもそも映画を見るのも久しぶりだ。普段はバイトも兼ねる本屋か、食品を買うスーパーにしか出かけないし、家でも読書をしている事が多い。
最後に来たのはいつだったけか。確か……妹とポケモンを見に来たときだったかな。あの頃はダウンロードで手に入る奴が欲しくてたまらなかったけ。
そんな思い出に浸っていると先輩が俺の服の袖を二度引いた。
「一つ提案があるんだけれどいいかな?」
「はい、なんでしょう」
「僕たちは今日、恋人、を演じている訳だよね」
「そう、でしたね」
正直な所忘れかけていたが俺達は恋人を演じている。先輩がフッた人間に諦めて貰うために依頼された訳だが、俺は思った。『そいつ滅茶苦茶危ない奴じゃね?』と。告白して振られて、諦めきれず(偽装だが)彼氏とのデートについてくるって……メンヘラ? それともヤンデレ? まあ、定義に関してはあいまいな記憶しかないので断言はしないが、どちらにしたって危ない奴だろう。
そんな厄介ごとの処理に派遣された俺は爆弾処理班のような気分になって来た。恋愛、爆弾……これなんて『ときめきメモリアル』?
まあいいや。くだらない事を考えている暇があるなら先輩の話をちゃんと聞こう。
「で、それがどうかしましたか?」
「ああ、あまり恋人、つまりはカップルらしく見えないようでは今回の目的は果たせない」
「まあ、そうなりますね」
「故に、カップルらしい仕草が見せやすい映画を選択したいんだ」
「良いと思いますよ。それで、何にするんですか?」
そう聞くと先輩はビシッと一つのポスターを指差した。
「ホラー系の奴ですね」
「ああ、よくドラマや小説で見るだろう? あの彼氏の腕に抱き着いたりして怖がるシーン」
「比較的よく見るあれですね。確かに演じる側としてはやりやすいですかね」
「よし、なら決定だ。では、ここからは別行動といこうか」
「別行動? それはカップルっぽく見えないんじゃないですか?」
さらりと出て来た先輩の言葉を疑問を持ち聞き返す。先輩は殆ど間を空けずに俺の問いに答えた。
「それはそれ、これはこれさ。時間の無駄になる事は好きじゃないんだ」
「好きじゃないって、そうは言っても見る側は納得するんですかね?」
「だから良いって。これは偽物のデートかもしれないけれど、本番だって僕はこの行動を取るさ。少しでも一緒に、のんびりと過ごす時間が増えるならね」
先輩は周りに聞こえない様にボリュームを下げてそう言った。先輩がそこまで言うのであれば、俺が断る理由も無い。彼女の提案に頷く事にする。
「そうですか。先輩が良いなら俺はいいですけど」
「うん、物分かりの良い子は好きだよ。僕は」
「思い通りになる子が好き、の間違いなんじゃないですか?」
両腕を前で組んで頷く先輩に俺はそう嫌味を言ってみる。特に意味があった訳では無い。だが、先輩の琴線に触れたようで、眉がピクリと動いた。
「心外だね。僕はそんなに酷い女に見えるかい?」
「冗談ですよ。冗談」
「その冗談で僕がどれだけ傷ついたか……」
先輩は手の甲を口に添えて、オヨヨヨ……と弱々しく視線を逸らす。全然傷ついてなんかいない癖に、それっぽく見えるのが美女の強み。最初は良く騙されて、何回かジュース奢った事もあったなぁ。
なんて、昔を思い返しつつ会話を続ける。
「はいはい。すみませんでしたよ」
「えー納得できなーい」
「そんな棒読みじゃ、説得力の欠片も無いですね」
「釣れないなぁ、君は。ちょっとはひっかかっても良いのに」
「一回やれば十分ですよ。あんなのは」
ともかく、と脱線した話を元に戻す。
「先輩は何にします? 食べ物とか、飲み物とか」
「んー。僕はコーラだけでいいや」
「了解です。それじゃあ後で」
「んっ」
先輩は俺に背中を向けてひらひらと手を振る。俺はそれを見てから先輩とは反対の列に脚を向けた。フードショップの最後尾に並ぶ。
ただ並んでいるだけだと、とてつもなく暇だ。そこで中に来てから口を開いていない彼女に話かける事にした。
『なあ、ハイル』
『何でしょう?』
『いや、暇だったから話しかけただけ』
『ていのいい暇つぶし道具ですか私は!?』
ったくもぉ……と呆れつつ、頬をかいた。……気がする。まあ見えないからな。俺は彼女に「悪かった」と一言入れた。
『ところでツカサ、今並んでいるのは何の列なのでしょう』
『これは、映画館に持ち込む食べ物とか飲み物を買う列だよ。ほらあそこの看板にいろいろ書いてあるだろう?』
指差すと不自然に見えるので俺は視線を上にずらして彼女に場所を示す。その先にあるのはよくあるメニューリストの看板。写真がでかでかと表示されているものだった。
『ではツカサ、あのひときわ大きいバケツに入っている食べ物は何なのですか? さっきから持っている方をよく目にしますが?』
『ん? バケツ……ああ。ポップコーンの事か。映画館で食べるメジャーなお菓子だよ。塩とかキャラベルとかいろんな味付けがされている』
『ではでは! 「たい焼き味」なんて物もあったり……?』
『それは流石にないかな』
どんだけたい焼きが気に入っているんだお前は。
『そうですか……それは残念です』
『そんな気を落とすなって。他の味も結構いけるぞ。俺が買うからちょっと食べてみるか?』
『では、少しだけ』
それからしばらくすると俺の順番が回って来た。店員に向けてコーラ二つとポップコーンを注文する。味は俺が一番好きなキャラメルに決めた。
トレーに置かれたそれらを受け取って、列から離れる。
周りに見られていると空中にポップコーンが消えていく様に見えるのではないかと考えたけれど、その心配も杞憂だろう。ハイルは魔法を使っている。だから今の俺は、一人の男性に見えるはずだ。見る必要性なんて欠片も感じられないだろう。俺は安心して彼女に許可を出した。
『それじゃあ食べていいぞ』
『はい。頂きますね』
キャラメルを纏ったポップコーンが独りでに宙に浮き。虚空へと姿を消す。もしハイルの存在を知らなかったら本当にホラー映画見たいだなこれ。
『甘くて、パリパリとしてて……たい焼きまでは行かずともこれは中々』
『そうか。まあ適当に食べててくれよ。先輩はまだ時間がかかりそう――』
「やあ、待たせたね」
背後から肩をがっしりと掴まれた。振り返ると先輩が二枚のチケットを持っている。何というタイミング。まるでハイルが食べている所を見計らっていたかのような……。いや、まさかな。
「先輩、早かったですね。あんなに並んでいたのに」
「レジの人がこれまた見事な手さばきでね。僕も見習いたいと思うよ」
「そんなこと言って、いつも品出ししかしてないじゃないですか」
「はははっ、どうだったかな」
先輩は口元に手の甲を添えて静かに笑った。これ絶対やらない奴だ。店長もなんか先輩には甘いしなぁ。期待しない方が良いだろう。
まあそんな話をそこそこに、俺は先輩の方へと体を向けた。
「それで先輩、映画何時くらいになりました?」
「ああ、これからすぐのが取れたよ。あと……十分ぐらいかな? だからもう中に入ってもいいかも」
「そうですね。放送がかかると思うので、早めに移動しましょうか」
「うん。そうしよう」
先輩は頷く。そしてしばらく待つと、放送が流れて俺達は移動。チケットに書かれた席に陣取った。俺は座る前に先輩のドリンクホルダーにコーラを差し込んだ。
「おっ、ありがとう。レシート見せてくれる?」
「はい。えっと……これですね。じゃあ先輩の方もレシート見せて下さいよ。チケット代渡すんで」
「んっ、了解」
俺達は財布の中に入れていたレシートを取り出すと、それを交換してお互いに立て替えていた料金を渡しあった。料金の交換を終えた所で先輩は俺の持っていたポップコーンへと視線を移す。
「君はポップコーンを買ったんだ。好きなのかい?」
「まあ、ある程度は。映画館に来たらなんだかんだ言って毎回買ってますよ」
「そうか、まあ時間もある事だし、ここいらでカップルらしい事でもしてみようか」
「カップル……らしい事、ですか」
今回の目的は先輩の恋人を演じる事だ。だけれどそれをなぜこのタイミングで言い出すのか、俺には理解ができない。だから先輩に向けて俺はその意味を問う事にした。
「どうして今なんですか。別に始まってからでもいいでしょう?」
「それだとちゃんと見えないじゃないか。今回の目的は演じて貰う事。そして相手に『僕達が恋人である』事を見せつけ、そう認識してもらう事なんだよ。だから、さっき言ったようなベタな事だけじゃなくて些細な事でもその様に振る舞うべきなのさ。要所要所でね」
人差し指を立てて先輩はそう力説する。彼女の言い分も分からんでもない。それにこの問題は彼女の問題。彼女自身が出した方法、答えで解決すべきことだ。だから俺は彼女の提案に乗る事にした。
まあ、憧れの先輩とカップルらしい事をしてみたいという願望が無い訳でも無いが、ここでは伏せておく。
「分かりましたよ。では、どうしますか? ここでできる事なんて限られてますけど」
「カップルらしいものの定番としては……そうだ。『はいあーん』なんてやったらそれらしく見えないだろうか?」
「確かに定番と言えば定番ですが、そう簡単に行きますかね?」
「別にいいのさ。まずは形から入る事も大切だよ。君のそのポップコーンを貸して貰おうか」
手を差し出して、クイクイと指を動かす先輩。彼女に言われるがまま、俺は彼女にポップコーンが入ったバケツを手渡した。手を入れると先輩は一つを摘まんで俺の口元へと差し出す。
「はい。あーん」
「んっ」
口の中にポップコーンが一つ放り込まれて、それを俺は咀嚼した。その俺を見て先輩は尋ねる。
「どうだい?」
「どうって、味が変わったりはしてないですよ」
「それは当たり前さ。でも、僕にしてもらえて嬉しかったりするのかなーって。聞いてみたかっただけ。それで? どう?」
「それは……その」
「遅い、時間切れ。ではもう一回。はい、口を開ける」
再び先輩がポップコーンで口を塞ぐ。解答時間短すぎじゃない? なんて言葉を口にする間もなく、放り込まれたので仕方なく口を動かす。
それを見て先輩は首を傾げつつ俺に答えを問う。
「どうだったかな?」
「まあ、その嬉しかったですよ」
「なら良かった。じゃあもう一回して上げる」
先輩から再び差し出されるポップコーン。どちらでも結局未来は変わらないのかと言う間はまたしても無く、俺はポップコーンと共に飲み込む。
そんなやり取りを数回繰り返していると劇場が暗くなった。そしてようやく先輩の弄りが止まる。
「おっと残念。どうやらここまでらしい、続きは後で、だね」
「そ、そうですか……」
先輩がスクリーンに向かったので、それに習って俺も顔をそちらに向けた。そしてカラッカラに乾いた口を回復させるため、ホルダーに入れていた自分の分の飲み物を手に取る。だが、既にその中身が何故だか軽い。減っているというよりかは空になっているって感じだ。まさかとは思うが……。
『あ、すいませんツカサ。それ、頂きました。美味しかったですよ』
『ハイル……お前、この仕打ちはないだろう』
『デレデレしてるツカサがいけないのです』
『してないだろう!』
『いえ、してました~。絶対にしてましたっ! 普段より呼吸が荒かったです~』
『そんなニッチな方法で判別するなって!』
俺がそんな会話をテレパシーでしている間に広告は終わり、映画が始まろうとしていた。なので俺は『この話は帰ってからにしよう』と声をかけて、スクリーンに集中した。
▼ ▼ ▼
「ふう、たまにはこういうのも悪くない」
「そうですね。思っていたよりかは楽しめました」
先輩と映画館を出て、そんな話をしながら外に出た。すると突如として頭の中に声が響く。
『くっ……不覚を取りました。ツカサ、申し訳ありませんがワタシはお手洗いに行きます』
『まるで敵に攻撃を受けたみたいなトーンで言うなよ。コーラ飲み過ぎただけだろうに。まあ分かったから早く行ってこい』
『すいません。それと、その女と二人っきりになったら油断しないで下さいよ』
『だから問題ないって。先輩はお前が思っているほど酷い人じゃないぞ』
俺はそう答えたがハイルから返事は帰って来ない。どうやらもう既に行った後らしかった。俺は再び先輩との会話に集中する。
しかしながら先輩は何やら目つきを変えて俺の手を握った。
「ちょっ、先輩!?」
「早くこっちに来てくれるかな。
異質な言葉だった。『ようやく離れた』という言葉は彼女から、いやそれだけでなく人間からは出るはずも無いのだ。何故ならたった今、この場から離れたのはハイルであり、それは人間には認識しようが無い事だから。
故に。
ハイルの認識は正しかった。
彼女はただ者では無い。
今までその片鱗を見せていなかっただけだ。
だけれど、彼女の力に逆らう事が何故かできない。女性のか細い腕にも関わらずだ。俺にできる事は頭の中で呼びかけるだけ。届くかどうか、分からない助けを。