俺が先輩に連れられて来たのは公園だった。近くにあった時計によると時刻は三時半。しかし誰も人がいない。不自然に、故意的に作られたかのような状況。それがまた先輩の異質さを際立たせていた。
「このあたりまで来ればいいか」
ヒールである事をものともせずに走って来た先輩が腰に手を当てて立ち止まる。急に走ったからか運動不足の体が悲鳴を上げている。呼吸も乱れて口が上手く動かない。
そんな状況でも俺は精一杯の呼吸をしつつ、先輩に言葉を投げかける。
「急に……どうしたんですか、詩央先輩。そんなに慌てて。らしくないじゃないですか」
「そんな事ないよ。いつも通り。いたって普通の僕じゃないか。それより君こそらしくない。元バスケ少年なんだろう? 僕より先に息を切らしてどうする」
「何年前の話してるんですか。バスケやってたのは中学ぐらいまで。それからは高校大学と帰宅部です」
「そうだったかな。忘れてたよ」
視線を逸らして先輩はそう言った。誤魔化しているあたり
そのために先輩がこだわっている『普通』と言う言葉を言及することにした。
「普通、ね」
「何だい、その含みのある言い方は! まるで僕が普通じゃないみたいじゃないか」
「違うでしょう。普通の先輩だったら、こんな急に走り出したりしませんよ……」
何かあったんですか? と問いかける。先輩は一度目を伏せて、再び俺の目を見た。
「そう、だね。ちょっと座って話をしようか」
先輩は少し離れたベンチを指差した。
▼ ▼ ▼
話をする前に俺は近くの自販機で二つの缶コーヒーを購入。それを持って先輩の待つベンチへと向かった。買って来たうちの一つを彼女に向かって差し出す。
「はい。ブラックで良いんですよね」
「うん。悪いね」
「まあ、これぐらいはいいですよ」
先輩はプルタブを起こして缶を開けて一口だけコーヒーを煽った。唇を親指で拭う。その動作が色っぽく感じて俺は見惚れてしまう。
そんな様子の俺に首をかしげて先輩は自分の横を叩いた。
「どうしたの? 座りなよ」
「ああ、はい。失礼します」
先輩が叩いた所よりも少し間を空けて俺は座った。先輩はそれが気に食わなかったのか俺の方へ間を詰める。
「ちょっ、と先輩。なんですか? 距離、近いんですけど」
「近くしたんだよ。いけない?」
「いけなくはない、ですけど……。ちょっと恥ずかしいんです」
「やっぱり純情だねー、君は。そんなんじゃ僕の彼氏役は務まらないよー。まあ、嘘だったんだけどさ」
先輩はそう肩に何度か肘を当てて茶化してくる。嘘だったのか……。先輩が走り出した時点でこの(偽造)デートは疑っていたが、こうもあっさりとそれを明かしてくるとは思わなかった。
「そうですか」
「へぇ。僕はてっきり怒ると思っていたけれど」
「何となく気が付いていたので」
まあ俺が、では無くハイルがだが。
「そっか、じゃあ話をしようか」
先輩は缶コーヒーを包むように指を組んで、肘を太ももに乗せた。俺は「はい」と返事を返す。
「単刀直入に言うと僕は霊感が強いんだ」
「霊感? 幽霊が見えるとかそう言う感じの?」
「ああ、それそれ。霊と言うか、その波長が見えるって言った方が良いかな」
「成程、それで?」
「驚かないんだ?」
「まあ、最近こういうのにはなれましたから」
主にハイルのおかげで、だけど。先輩は二度相槌を打って話を続ける。
「それで、最近君には何かが憑いて回っているのが見えてさ」
「何かが憑いてる?」
「分かりやすく言うと人魂みたいなのが肩の周りをグルグル回ってるのが見えたんだ」
俺にそんなものは見絵もしなかったが、彼女の話を信じるのならばそんなものが肩に付いていたのか。何も知らなかった。今更ながら背中に冷汗が伝うのを感じる。
「それで気になってバイト中の数時間、それと今日のデートの間、僕は観察してみた。見れば見るほど違和感しかない」
「成程。それでこの間、詩央先輩は付いて来たんですね」
「そういう事。そしたら何やらとんでもない
「ああ……成程」
ハイルは霊感を持つ人にはとんでもない化け物に見えるらしい。先輩の話から察するに、ハイルの言う『魔力』はこちらの『妖気』と言う事なのだろう。
魔女なのだから、それが一般人と比べてとんでもない量になっていたとしても、不思議では無い。俺は納得しつつ自分もコーヒーのプルタブを立てた。
「だから今日は君を連れ出したんだ。嘘を付いてでもあの女から引き離したかった。操られたりしているようなら、助けたかったから。でも結局それはついさっきまでできていなかったみたいだったけどね」
風で
あの先輩がどうしてここまでがらりと雰囲気を変えたのか俺は気になって仕方が無い。故に俺は尋ねる事にした。その理由を。
「それはありがたいです。だけど、先輩はどうしてそこまで動くんですか」
「そんなの決まってるさ。僕は――」
「そこまでです!」
後ろから大声が先輩の言葉を遮る。
振り返ると、黒髪に白のシャツ、それにジーンズ。見慣れた俺の私服を着こなすあいつが姿を見せていた。先輩はそれを見て目を細める。
「ふむ、邪魔が入ったね」
「邪魔とはなんですか邪魔とは!」
「違うのかい? 僕の告白を邪魔してきた癖に」
え? 今何、告白って言ったのか? 先輩が? 俺に? そんなバカな。落ち着けよ。告白とは何も『愛の』とは限らない。秘密を暴露することも十分告白。先輩の事だ。俺をからかうためにそういう言い回しをしていても何ら不思議はない。
「何が告白ですか、こんな大々的に『人払いの結界』なんか張っちゃって! きっとツカサによからぬ事をしようとしていたに決まってます! 分かってるんですからね!」
「む、ばれてしまったか」
「ばれないと思っていたんですか。こんな結界、スライムを焼き払うより簡単に見つけられますー」
焼き払うとはずいぶん物騒な。ネコマジョにとっての公用語なのだろうか?
それは置いておこう。話を聞く限り先輩は、結界とか張ってて迎撃態勢整えていたようだ。つまり先輩は俺に危害を加えようとしていた訳じゃ無く、ハイルを敵対視していたという事か。
「見かけによらず、そこまで間抜けでは無かったか」
「失礼な。ワタシ、こう見えて優秀なんですから」
「こう見えて、とは見た目が間抜けそうなのは自覚してたのか」
「うぐっ……」
ああ、あの様子からして気にしてたみたいだな。見た目がドジっぽそうなの。今まであえて指摘してこなかったけれど、これからも地雷は踏み抜かない様にしないとな。
「そ、それはともかく、アナタ、ツカサに何をするつもりだったんですか!」
「さっきも言ったように告白さ。君が夏目君にとって危険な存在だと伝えたくてね」
「そんな事ありません! ワタシは、ツカサに恩返しするためにそばにいるんです!」
先輩はその言葉を聞いてベンチから立ち上がって、俺の手に飲みかけの缶を預けるとハイルの方に歩いて行く。
「信じられないね。僕の結界を打ち破る強力な悪霊の言葉なんて!」
「悪霊!? 違います! ワタシはマジョです!」
「ハッ! 言う事に事欠いて魔女だって? チャンチャラおかしいね」
さっきから霊感が強いとか霊が見えるとか言ってた先輩がそれを言っちゃうんだ。
二人は顔をスレスレまで近づけて睨み合う。そして数秒の間の後、俺の方へとほぼ同時に顔を向けた。
『夏目君(ツカサ)からも何言って(下さい)!』
言葉が被り、二人は再び睨み合う。
俺は言う事に困り、頬をかく。そう言われたところでどうしようもない。俺は現状に不満も危機感も持ち合わせてはいない。
彼女達とは決定的に価値観が異なるのだ。どちらかを排除しようだなんて、これっぽっちも考えちゃいない。
俺は立ち上がりその間に立つ。
「まず、俺が言いたい事は二人にいがみ合って欲しい訳じゃないって事だ」
「そうは言ってもだね、夏目君。この女はいつ危害を加えるか分かったもんじゃない。これまでが大丈夫だったからと言って、これからもそうだとは限らないだろう?」
先輩はそう言った。確かにそうだ。ハイルは人間からすればあり得ない力を持っている。それが何らかの原因で牙を剥くか分かったものではない。彼女がどういう人間であるかなんてこの一ヵ月にも満たない時間の中で測れる訳が無いのだから。
でも俺は――
「確かにそうです。先輩の言う事は何ら間違っちゃいない。警戒するのは正しい。だけれど」
「だけれど?」
先輩は俺の言葉を聞き返す。俺は持っているスチール缶を握りしめ、言葉を続けた。
「俺は疑うよりも信じたい。それが妄信的だとは分かっているけれど、そっちの方が気持ちがいい。それに性に合ってます」
「……それで騙されたとしても、君はそれに後悔は無いと?」
「言えます」
先輩にそう断言する。目をじっと見つめて。すると彼女はゆっくりと目を閉じてからハイルと少し距離を取った。
「……そう言う君だから僕は気にかけてしまうんだろうな。分かった。君がそこまで言うのなら、今日はこれ以上言うまい、ここは退く」
先輩はそう言って俺の方に歩いて来て手を差し出す。俺は自分の方では無い缶を返した。彼女は受け取って一口飲む。
「だけれど、いざって時の為に監視は続けさせてもらうよ。僕としては夏目君の様な、からかいがいのある人材を失うのは惜しいんだ」
「それはこっちの台詞です。少しでもおかしな行動を取ったら容赦はしませんからね!」
「ああ、望むところだよ」
そう言うと先輩は背中を見せて、この場から立ち去ろうとする。しかし何かを思い出したかの様に、振り返った。
「夏目君」
「はい。なんでしょう?」
「今回は少し妙なデートになったけれど、今度はちゃんとした物にしてくれよ。僕は楽しみにしてるからさ」
そう宣言すると「それじゃ」と手を振って来た道を戻って行った。
彼女の姿が見えなくなると、ハイルが方へ寄って来て両肩を掴んで前後に揺する。
「大丈夫でしたかツカサ! 何か変な事されてませんか!?」
「されてないよ、そんな心配されることは。あまり揺さぶらないでくれ」
「ああ、すみません……」
ハイルは弱々しくそう言うと、俺の肩を開放する。
「いや、いいけどさ。まあ、俺達も帰ろうぜ」
「ああ、はい」
俺達は来た時の道を逆に戻り、最初の待ち合わせ場所を目指す。沈み始めた太陽が眩しくて、思わず目を細めながら。そして駅が見え始めた所でハイルは口を開いた。
「ツカサ」
「なんだ?」
「ワタシ、嬉しかったですよ。信じたいって言ってくれたこと」
「別に、普通だろ? 一緒に住んでるんだから。そんなにありがたがるもんじゃない」
ハイルのその台詞に俺は思ったままに返す。だが横に立つ彼女はそれに対して「いいえ」と首を振る。
「それでも、嬉しいかったです。だから、どうしても言葉にしたかった。残念ながらツカサは
「芸当できるわけないだろうが、俺を何だと思ってやがる。……まあそう言う事ならその言葉、受け取っとく」
「はい。お願いします」
そう言って微笑むハイルを横目で見つつ、俺はこの後の夕飯に何を作るか考えながら帰った。
▼ ▼ ▼
翌日。俺はバイトのシフトが午後から夜にかけてだったこともあり、ゆっくりと目覚めた。具体的に言えば十時ごろだ。
そのとき既にハイルは目覚めていたようで、布団の中はもちろん、リビングにも居ない。となると彼女は今頃朝食でも作っているのだろうか? この間の一件で料理ができるのは分かったが、それでも一人でやらせるのは不安がある。だって、もともとネコだしな。となると俺も手伝わない訳には行かなかった。
俺は布団を畳んで立ち上がりキッチンへ向かうだが、その途中、玄関にて彼女の姿を発見。誰かと話て……いや、言い争っているみたいだった。
彼女と言い争いをするような人間なんて思い当たるのは一人しかいない。俺はため息をついてから足を進めた。
「起きて来たね、夏目君。おはよう」
「あ、おはようございます。ツカサ」
「おはよう。それと、何で先輩がここに居るんですか?」
そう聞くと先輩は不思議そうに首をかしげた。
「ん? 昨日言ったじゃないか。監視は続けるって」
「いや、待って下さい詩央先輩。監視ってもっとコソコソとやる物では?」
「もう正体ばれてるし『見てるぞ』ってこれ見よがしにやってる方が効果はあるさ」
「そうは言っても――」
「女性が既に一人いるんだ。増えたって大して変わらないだろう? そう言う事で、おっ邪魔しまーす」
そう言いって先輩は軽やかなステップでハイルを突破し、リビングの中へと入って行った。ハイルで無理な物を俺にはどうする事もできず、ただ見送るしかない。
その後ハイルは俺に問いかける。
「えっと、ツカサ。どう……します?」
「どうってなぁ……まあ、害は無いだろうから追い出さなくてもいいとは思う。後でバイトのときに一緒に連れてくよ」
「その方向性でお願いします」
早口でそう言うハイルに俺は苦笑いで応え、リビングへと足を向ける。一人だった部屋が随分騒がしくなったもんだ、なんて思いながら。