所在なく黎明の空を見ていると、コメットたちも今夜の作業を終えたようで尾を引くひかりは見えなくなった。今は夜が一番長い季節、まさか滞在するとは思わなかったから旅の支度なんて何にもしていない。空間を飛ぶのは一瞬だけど、その軌道計算は少し面倒なのだ。
クリスマスの夜はその日に向けた綿密に組まれたプログラムによる運航スケジュールがある。イレギュラーが発生してもフォロー隊も待機しているから、子どもたちにプレゼントが届かないという事態もないはずだ。
なのになんでタカノさんにはプレゼントが届かなかったんだろう?
プレゼントにはいくつかのNGが存在する。
・何かを呪うような不幸な望みはかなえられない。
死にたいとか、殺してなんて物騒なものは却下だ。サンタのプレゼントは夢にあふれたものでなければいけないし、どんなに懇願されても死んだ人を生き返らせてという世の摂理に反する望みも叶えられるわけがない。
これは実際にとても多い望みで、当然人の生をどうにかできるわけがない。
でも初代サンタクロースはそれを夢に見せることで叶えたという。マッチを擦ってその炎の中に見せるとか、窓の中に映像を映し出して見せるとか。
でも人の夢を操作するのにはかなりハイレベルな精神感応能力が必要で、修行でどうにかなるものではなく、持って生まれた適性に左右されるのだそうだ。
無機物を出すのとはずいぶん異なる力が必要となる。
・ 生きている動物などをプレゼントにはしない。
これはできるできないという問題ではなくてしてはいけない禁忌に属する。
子犬や子猫を欲しがる子は多いけど、ちゃんと育てられる環境かどうかまでは調べられないし、具現化した生き物が本当にきちんとそれに相当するかどうかわからないのだ。
サンタクロースは盗人ではない。どこかに存在しているモノを動かしてプレゼントにするわけではなく、大気の中にある元素を固定してそのものを作るのだ。有機物ならば、核酸、タンパク、糖質、脂質などで作ることになる。そしてその有機物の魂はどこから持ってくるのかというと…、やはり神様の領域だ。
さすがに初代のサンタクロースだってしなかっただろう。
サンタクロースを信じていなかったタカノさんだけど10年前はちゃんと信じていたってことなんだな。
▽
「昼夜逆転ってニートかゲーマーみてーだな。」
いつの間にか寝てしまっていたらしくて、借りた毛布にくるまったまま、覚醒未満の脳に辛うじて届いた声の方ぼんやりと向くと、その主はそう言って意地悪く笑っていた。
「夜の仕事なんで…。」
矜持の欠片が残っていたのか、思考するより先に口が表情と同様のいじわるな言葉に贖う。お日様は嫌いではない。でもサンタの仕事は夜だから秋以降は特に意識して昼夜逆転をするように努めているのだ。
「ネコはもう食事も終えてるから、お前も顔洗って食えば?」
え……っと…、ともう一度脳内でタカノさんの声で再生してみると、昨晩(今朝?)言われたことなんかが走馬燈のように思い出される。って、これ臨死の時の言葉か…。
そうだっけ、飯は食わせてやるとかなんとか言われたんだ。
反芻してもう一度言葉をごくんと飲み込むと、目の端でルドルフ二世がさも満腹ですと言わんばかりに幸せそうにペロペロと腕を舐めて顔を洗っていた。
裏切者め!
ここに来てからの何度目かの毒を吐く。
そもそもサンタシステムなのだから食事なんて必要としていない。腹に超小型の太陽炉を仕込んでいるから壊れるまで動き続けるエネルギーを蓄えているはずだ。
それなのに有機物のようにモノを食べるっていうのは作者である父の悪ふざけに他ならない。
これだってある種のシステムだ。食べておいしい、撫でられて嬉しいっていうものは天然の感情ではなく、プログラムされたものの筈なんだ。
なのに昨日からすっかり飼い猫みたいにタカノさんに擦り寄ってゴロゴロと喉を撫でられたりしているってどういう事なんだ。
「こいつ可愛いよな。前飼ってた猫にそっくりだ。なんでルドルフなんて名前つけたんだ?」
鍵のように人差し指を曲げて、タカノさんが喉の下をスルスルとさするとルドルフ二世は目を細めて気持ちよさそうに喉を伸ばした。本当に、本当に気持ちよさそうに…。
「トナカイの中でも一番先頭でサンタを導いたという伝説のトナカイの改良版ですから、栄誉ある名前なんです。」
「栄誉ねぇ…。どうみてもタビかソックスだろ。」
「タビとかソックスって何ですか?」
「だってそいつ靴下はいてるみたいなカラーリングじゃね?顔と手足の先だけ白い。それとも瞳の色でつけるとか?」
「トナカイは普段は青色の瞳ですけど、システムが起動すると赤くなるので違ってきてしまうかもしれません。」
「へえ…。瞳の色って変わるんだ。」
タカノさんはルドルフ二世の脇に手を差し込んで自分の顔の位置まで抱え上げると、点検でもするようにクリクリと顔の向きを変えて眺めた。そしておもむろに頬にチュッと軽くキスをする。
その瞬間、ドキッとしてシュっと息を小さく飲むとそれが聞こえたのか、濃い紅茶色の瞳が切れ長の目の中からコロリと俺を見た。
ルドルフ二世を可愛がっているだけだと分かっているのに、なぜかその唇の感触を知っているような気がして、自分がキスをされたような羞恥が湧く。
ルドルフ二世を抱き上げて笑う背高のシルエット、抱えている大きな手、形の良い指先の冷たさ、耳元でささやかれるリツという振動(声)。温かい腕の中で猫のようにスルスルと摩られると…、
「おい!起きてるか?」
珍しく素の尋ねるような声が聞こえて、顔の近くでフルフルとタカノさんが手を振るのでハッとして、脳の隅をかすめる何かから『今』に引き戻された。
そして俺が、触れられそうに近い目の前の紅茶色の瞳に焦点を合わせると「飯食うんだろ?」とタカノさんは口角を少しだけ緩めて静かに笑った。
▽
今の季節はクリスマスに向けて、夜遅くまで起きて昼の明るい時間は寝るというペースで生活をしている。
たとえ今は失敗した仕事のしりぬぐい中だとしても来たるべきその日に向けての準備を怠るわけには行かない。
当座はタカノさんの欲しかったモノを探るために居候しているけど、どうせタカノさんも昼は仕事で不在だし、初日にソファーで寝たせいで少しだけ風邪っぽくなってしまった俺に、タカノさんが昼はベッドできちんと寝るようと言いつけて仕事に行っていた。
そう、昼寝も仕事なのだ。
実際に風邪でサンタの仕事に支障が出るような事態になったら、それはやはり困るので、癪だけど俺はこの申し出を素直に受け入れることにした。
夜は高野さんの夢に忍び込んで、散らばっている夢や希望の成れの果ての中からヒントを探す。
セピアと灰色の間ほどの暗い彩度の部屋には、かつて宙に浮いていた夢や希望の入った風船だったものが無造作に転がっていた。
踏まれて爆ぜた残骸のようなモノ、劣化して半分どろどろの液状になっているモノ、焦げて変形したスチロール容器のようないびつな形のモノ、蓋の嵌らないさび付いた鉄の缶のようなモノ、無数の本、折れた木の枝…、こんなものの中から果たして俺は10年前の『希望』を見つけることができるのだろうか…。
宿泊3日目、ふと思い出したタカノさんの夢の残骸がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ痛ましく感じて、胸が苦しくてため息が出てしまう。大人になればキラキラした夢ばかりで生きてはいけないって分かる。絶望や断腸の思いであきらめたものの一つや二つあっただろう。でもおんなじように一つや二つ、日を浴びるクリスタルのようなキラキラと輝くものもあったっていいはずだ。
大人の夢に入り込んだことはないけど、大人になるってことが、もしみんなタカノさんのようだとすれば、それはなんて悲しいことなんだろう…。
手近にいたルドルフ二世を引き寄せてギュっと抱きしめるとルドルフ二世は迷惑そうに薄目をあけて髭をピピっと揺らしたけど、それでも逃げもせずにされるがままになってくれた。
そろそろ起きて、日が暮れる前に散歩という名の情報収集ぐらいしようか?身体がなまると思考も鈍る。
そんな風に思ったところでドアのチャイムが軽快な音楽を奏でた。
▽
「誰だお前?」
タカノさんも『アレ』だけど、目の前のこの人も大概だと思う。
人の家に来て、そこにいた人物に開口一番それはないよね。家族とか兄弟とかだったらって思わないのかな?恋人…、はないか…。
「新聞も保険の勧誘も間に合ってます。」
ドアを手前に引いてさっさとサヨナラしようとしたら、その人はガシっとドアのヘリを掴んでもう一度大きく開いた。
「ふざけてんじゃねぇ。マサムネはどうした?!」
「マサムネさん…。」
そうか、家主様は『タカノマサムネさん』だったね。うっかり忘れてた。
「真っ当な社会人の場合当然仕事だと思われますけど?」
「そんな事知ってる。もう帰って来るって言ってたから聞いた!」
「そうですか、でもまだ不在です。」
「っで、お前誰だ!」
またその問答に戻りますか?
はい、そうですか。気になりますか?まあ気になりますよね。ハイハイ。
でもどう説明したらいいのか分かんないしなぁ…。
「サンタです。」
「三太!?」
「はい。マサムネさんとはよいお付き合いをさせていただいてます。」
「ふざけんなよ、お前。」
「単なる居候なので気にしないでください。」
そんなやり取りをしていたら「人んちの前で何騒いでんの!?」と、件の家主様の声が聞こえて来た。
どうやらタカノさんのお帰りのようだった。
「とにかく入れよ。」
タカノさんが黒いホッキョクグマのように(黒いホッキョクグマって?)でっかい目の前の人にそう言って、俺の頭をポスンと軽く叩いてからさっさと部屋に入って行った。
玄関に取り残された俺と黒いホッキョクグマ(しつこい?)さんはにらみ合った不穏な気持ちを強制的に霧散させられて、落とし処のない気持を持て余したままタカノさんの背に続いた。
「あんまり時間がないから、日曜までこいつを頼む。」
タカノさんがサーバーで作った香りの良いコーヒーを大きめのカップに注いでいると、その人はそう言ってミルクチョコレートの色のケースを足元に置いた。
タカノさんはそのケースについている金属製の網目のドアのフックを爪でひっかけるようにして開いた。
ほんの少しだけ嬉しそうに見えるのは気のせいではなさそうで、中から「な~。」と鳴き声が聞こえるから、そこには生き物がいるのだろうという事が窺える。
「旅行だっけ?」
「旅行っていうか、ちょっと所用で実家に。」
「へえ、珍しいな。」
「挨拶したいって、その…、あいつが言うから…。」
「まあ、目出度くていいんじゃね。」
「それよりマサムネ、あいつはなんだ?」
せっかく俺から注意がそれていてホッとしていたのに、また自分に話題が戻ってドキッとした。屈んで入れ物の中を探るようにしていたタカノさんが立ち上がって、その動物を抱き上げながら俺の方を振り向いて「ソラ太の元々の持ち主だ。」と、そのルドルフ二世にそっくりの猫の喉をさすりながら、いたずらな猫のように目を細めて笑った。
「え?」
声を発したのは俺と…、目の前の黒ホッキョクグマさんの二人だった。
そこへ寝室で寝ていたルドルフ二世が珍しく「な~」と鳴きながらやって来た。ルドルフ二世はめったに鳴かない。声を発するときはサンタシステムが作動するときだ。
共鳴が呼応となって、端末であるルドルフ二世がサンタシステムの大元のサーバーのクラウドと同期する時、猫型を取っているルドルフ二世は喉を鳴らすのだ。
そして、ルドルフ二世のその声を聞くや否や、腕の中でクテっとしていたソラ太と呼ばれた猫が耳をピッと立ててタカノさんの腕からするりと抜け床にふわりと降りた。
ルドルフ二世の瞳が赤く輝き、ソラ太と呼ばれた猫の目も同じように赤く光る。
「同期…。」
クラウドを使わずに直接始まった同期に息を飲む。
この猫型は…。トナカイだ…。
10年前、事故で飛んでしまったというルドルフの零号機に間違いがないと、その瞳の赤さを見て俺は確信したのだ。