同期をはじめたルドルフ二世とそら太を呆然と見ている後ろから、「元のってどういうことだ!」と黒いホッキョクグマさんが低い声で唸るように言ったので、はっとしてタカノさんの方を振り返るけど、当のタカノさんはついさっき淹れた熱いコーヒーをズっとすすりながら「そうかなって思う、それだけのことだ。」と表情も変えずに短く言った。
感情の籠っていなさそうな声がただの意味を持たない音のように感じて、耳の周りをからりと滑り落ちる。
そうかも?ってなに?
俺のことじゃないだろ?
しかもそんなにどうでもよさそうに言い放たれると悲しくなる。
なんでか分からないけどひどく悲しくなる。
それでも説明がもう少し続くかという期待を持って言葉を待つけど、結局タカノさんはそれ以上何も言わなくて、なぜだか俺はあの暗いタカノさんの夢の中の情景を思い出してしまった。
結局黒いホッキョクグマさんだけがせわしなく自分の荷物を抱えて焦れたように「後でゆっくり聞かせてもらうからな!」と一声吼えてバタバタとマンションから出て行った。
ドアをバンと空けて勢いよく出て行ったけど、ドアクローザーは勢いを受け止めてふんわりゆっくりと閉じて行く。
その場の何もかもをリセットして時間の流れを穏やかにするように。
やがて金属製で重いはずなのにパスンと小さい音を立ててドアはしまって、最後にカツンとオートロックの機能がドアの鍵をかけて俺たちを閉じ込めた。
「横澤のヤツ、せっかく入れてやったのに飲まねーで行きやがった。」
ダイニングテーブルの上のカップをひとつ手にとって、シンクに運びながらタカノさんが、今度は少し悔しそうにそうつぶやく。その声にはちゃんと気持ちが乗っていた。
「お前は飲まねーの?」
棒立ちのままの俺はそういわれて「あ、いただきます…。」と何かに操られているかのように椅子に座って熱いカップを手の中に収めた。カップの中の黒味がかった濃い茶色はタカノさんの瞳の色に少し似ていて、タカノさんの瞳を見ているようでなんだか落ち着かない。
とりあえず何か声を発しようとした瞬間、足元の二匹の猫型からエラーメッセージが聞こえてきたのだ。
『システムエラー・OSの互換性が不明です。予期せぬエラーが発生しました。確認が必要です。サーバーのversion、アプリの容量に起因・一部のcontentsは同期を完了できませんでした。』
機械音が一通りメッセージを唸ったあと音声ガイダンスは説明をやめ、ルドルフ二世とソラ太の赤い目は元の青い色に戻っていた。
二匹はクインっと伸びを一回して、ソファーの上でまるで絡まりあうようにお互いの毛に埋もれて隙間なく丸くなった。
「ソラ太ももう10才だからな。疲れるんだろ。」
タカノさんが事も無げに言うけど、この状況で平然としていられるってすごく…、変だ…。よな???
「なんでトナカイがここにいるんですか?」
「なんで俺に聞くんだ?お前たちの世界のもんだろ?」
「そうですけど…。」
確かにトナカイはサンタの世界のシステムだ。だけど元の持ち主が俺って言ったのがよく分からない。
単にサンタの世界のシステムだから『俺たちサンタのもの』という意味の拡大解釈的な比ゆだろうか?
しかし、おそらくタカノさんはソラ太がトナカイだと知っていた…。
何の確証もないけど、直感でしかないけど、でもやっぱりタカノさんは知っているんだ。
この猫型が生物ではなく10年前に事故で飛んでしまったトナカイの零号機だって…。
タカノさんは俺が言いたいことを察している。
そもそもはじめから俺がサンタだって知っていたのかもしれない。
とぼけたふりをして俺の方がだまされていたのだろうか?
悪寒が走る。やっぱり怖い。俺はこの人が怖い…。何もかもを掴まれているような錯覚に陥って挙動不審に拍車がかかる。
「今日はヒント出しすぎだな。お前が自分で到着しなければいけないことだったのに。」
タカノさんはそう言って飲み終えたカップを片付けにはいる。
だめだ、このままでは話が終わってしまう。怖いけど何か言わなきゃ。そうしなければいけないって、このまま話を終えてしまってはいけないと警鐘がなる。
あわてて椅子から立ち上がり、後ろ姿のタカノさんの腕をつかんで引き寄せて「も、もうひとつだけ!」と腕にすがると少しバランスを崩したタカノさんが「なに?」と目を丸くして言った。
「お、俺は…。」
濃い紅茶色の瞳から、先を細く研いだきらきらの鏃のような視線が放たれて、怖さと綺麗さで身体の自由が奪われる。自分からすがったくせに結局そのままフリーズしているとルドルフ二世がされたみたいに、タカノさんの長い指がうなじに差し込まれて顔が固定された。
ルドルフ二世とは違って宙を浮いていないはずの身体がぶらぶらと揺れるように脱力する。
怖いのに、見つめられると怖くて震えるのにもっと近くに行きたい。
「俺はあなたに会ったことがあるんでしょうか?」
口から出たのは、結局そんな間抜けな言葉だった。
プっとタカノさんが噴出して、重かった空気がちょっとだけ軽くなった。
「自分のことなのになんで俺に聞くんだ?」
「だって…、」
「そういうことを含めてお前の仕事じゃねーの?」
「まあ…、そうですけど…。」
「10年前、俺が欲しかったもん探るんだろ?また上司にどなられっぞ。」
とたんにイサカさんの不機嫌な声と(今回は見てないけど)顔が浮かんでぞっとする。
基本的にはイサカさんは人を罵倒したりしない。どっちかと言えばねちねちタイプだ
なのに今回は開口一番能無しって怒鳴られた。仕事が済むまでかえって来るなって言われてルドルフ二世を使った直通電話もガチャ切りされたんだ。
「毎日夢ん中でごそごそやってんのにまだ見つからねーって、やっぱりお前サンタの才能ねーのかもな。」
「う、うるさいです。」
「今夜はカキフライ作ってやるからもういっぺん仕切りなおしたらどうだ?」
「仕切りなおし?」
「そう、視点をかえるっつうか、アプローチの方法を変える。」
「その心は?」
「俺のご機嫌をとる。」
とたんに血圧が上20は上がった。もちろん怒りで。
ちなみに下の血圧がどうなったのか分からない。
手にしていたクッションを力任せに投げるけど、タカノさんは片手で軽々とパフンとキャッチして、今まで見たことないほど顔をクシュクシュにして笑った。
「ソラ太がちょうどよく来るなんてお前ラッキーなんだから、あとでちょっとだけ昔話をしてやるよ。だからちゃんと見つけろよ。俺の欲しいもの。」
それからタカノさんはクッションをポンと俺の顔に押し付けて「メシの仕度するから。」とキッチンに向かった。
▽
「カキフライって美味しいですね。」
ダイニングテーブルの上のフライヤーの中でジュウジュウと軽快な音を立てて黄金色を輝かせているのはタカノさんが買って来た貝、牡蠣のフライだそうだ。
それほど大きくない身は熱で縮むのだそうだけど、生から加熱済みの丁度良い揚げ具合で掬い上げて目の前の皿に並べてくれる。
「くどく感じたらレモンで、そんでさっぱりしてきたらタルタルで、生姜しょうゆもおすすめだ。」
まずはそのまま何もつけずに、つまむだけでシャリンと音を立てる小ぶりの牡蠣フライを歯を立ててかりりと齧ると、熱くて口がホフホフと勝手にしてしまう。周りの味はやんわりとした塩味で、中の牡蠣はしっかりとしているのにとろりとしていて、薄くぱりぱりの衣との噛み応えの対比が絶妙だった。
「おいひー」
行儀が悪くても感嘆の言葉を発せずにはいられない。今日はご飯も牡蠣飯なんだ。
「ついでにレンコンのフライと小エビと貝柱の掻揚げも作るから、腹の隙間残しとけよ。」
食事を食べる時、タカノさんはいつも凄く優しく笑うので、俺は食事の時間が大好きになった。
普段はお腹が膨れればなんでもいいと思っていると言われても仕方がないぐらい、食べ物には頓着がない。そりゃ美味しいものを食べられる方がいいけど、父が忙しい人だったから、一人で食べる食事に興味が持てなかった。そして最近は便利にそれを言い訳に使ってもいる。
そもそも妖精族はどちらかと言うと悪食で妙なものを好む種族もいるのだからそれほど変わり種とは言えないだろ?。
「10年前。」
唐突にタカノさんが話を始めるからググっと喉にお芋のホクホクが詰まる。サツマイモの天ぷらはおかずというよりデザートのように甘くてとても好みだ。
「うちにあわてんぼうのサンタクロースがやって来たんだ。」
ビールのコップを揺らしてタカノさんがその琥珀色越しに覗くようにソファーに丸くなっているソラ太を愛し気に見た。
あの後俺はルドルフ二世にもソラ太にも触れるのをためらっている。サンタシステムが不完全に終わったという警告が少し怖かったから。
少なくともソラ太はリミッターが外れたままのようだし、サンタシステムに対して、どのような属性かも分からないのだ。
「あわてんぼうの?」
「そう、だって来たのが桜の季節だったんだぜ、おかしいだろ?」
タカノさんがグラスを両手でつかんでクックと笑う。
「なんでも、精神感応力が高すぎて、遠くにいるのに俺が泣いてるのが気になって仕方がないって、クリスマスまではとても待てなくてこっそり来たと言っていた。」
「精神感応力?」
それは意外な言葉だった。精神感応力のあるサンタは今存在していない。
というか、サンタの血族は混血が進み能力のあるものは減っている。それゆえ初代サンタクロース以来人に影響を与えるほどの精神感応力のあるサンタは生まれていないのだ。
「それ、本当ですか?」
疑問を口にすると、「単語は違うかもな。とにかく俺の望む風景を見せてくれたんだ。」と言った。
「俺の両親が不和でな、結局今は離婚してそれぞれ家庭をもってるんだけど、当時の俺は楽しそうに笑って食事をする風景とか、遊びに連れてってくれるシーンとかに焦がれていたんだ。そしてそれを見せてくれた。」
このふてぶてしい人がそんなものを望んだという事は、まあ…、意外だけどこの人にも子どもの頃はもちろんあったわけだから、一旦それは置いておいて…、「それは確かに精神感応力のあるサンタですね…。」と、俺は認めざるを得なかった。
「でもさ、結局それってまやかしなわけ。手に入らない絵にかいた餅なわけ。それに俺が切れてさ、色々あって…、そのサンタはクリスマスには必ず俺が欲しいというあるプレゼントを持ってくるって約束したんだ。」
「あるプレゼント?それが10年前ですか?」
「そ、」
「だったらやっぱり俺じゃないですね。だって俺サンタ歴3年ですから。」
10年前っつったらまだ俺15歳だし、サンタのシステムを使って空間をジャンプするなんて空恐ろしい事をした記憶もない。そもそもシステムって素人が簡単にいじれるほどセキュリティが甘くない。
「で、そいつの名前がさ…。リツって言ったんだ。」
タカノさんが小さく遠慮がちにリツと言ったあと、柔らかくてしかし諦めたような遠い目をしてふうっと長く息を吐いた。身体中から何かいけないものでも吐き出すような長い長い息だった。
「そ、それでその後リツさんはどうしたんですか?」
「どうもこうも…、ソラ太だけ残してそれっきりさ。だからお前が来たんだと思ったんだけど違うのか?」
「……ごめんなさい。俺はそういうのじゃないです。っで、プレゼントは何が欲しかったんですか?」
「それはお前が見つける約束だから言わねーよ。」
どさくさに紛れてぽろっと口を滑らせるかと思ったのにチェッ。
「だから俺はサンタの存在はある意味で信じてるけど、サンタのプレゼントなんて信じてない。だからお前が成功しようが失敗しようがどっちでもいい。ただ、10年も経ってお詫びに来た心意気に免じて付き合ってやってるだけだ。」
期待していないと言われてむっとしてしまう。俺がどんなにすごいサンタか知らないだろう…って言えないところが悔しいけど、それでも俺はサンタクロースなんだ。
タカノさんはプレゼントを欲しいと思っている。
精神感応力なんてなくても、それは10年間欲しくて欲しくてそのほかには何も考えられないぐらい欲しいものだってわかる。
タカノさんが昔の話を感情を込めないようにわざとあっさりと言ったのなんてバレバレだ。
さっき、リツと言った時の浮かぶような視線は見えない遠くに何かを見ているようだった。そう、壁の向こうのもっともっと遠くにタカノさんのリツがいるんだろう。
きっと泣いたのだろう。リツが来ないとずっとずっと泣いていたに違いない。
涙が流れなくても、声に出さなくても、きっと泣き続けたに違いない。
そして本当はまだ何かを隠してる。
プレゼントにつながる何かを。
それが分かれば絶対にタカノさんにプレゼントを渡せるんだ。
だから、だからあと数日だけど俺は絶対にこのミッションをコンプリーとしてやる。
タカノさんにプレゼントをあげて幸せも一緒に押し付けてやる。