翌朝、目を覚ました少年はすべてを理解していた。本当に夢の中で、角の生えた彼女が何者だったのかを聞かされたのだ。
夢を見ることなんて彼にとっては日常的なことで、体はしっかりと睡眠をとっていたので疲れを感じることもない。手足の自由も戻っている。
もしかして、全部夢だったんじゃないか。そう思い込もうとする少年の頭の中に直接、聞き覚えのある声が流れ込む。
「おはよう、起きたんだね。良ければ絞首台のところまでおいで、面白いものを見せてあげるよ。もちろん、嫌なことを思い出してつらいというなら、来なくてもいいけれどね」
夢ではなかった。昨日の夜に奇妙な体験をして、日が昇っても未だその体験の真っただ中にいるのだ。どうやらこれは少年が彼女を受け入れるか否かに関わらず現実らしい。
少年は言われた通りに絞首台へ向かった。何人もの魔女、つまりは濡れ衣を着せられた女性が殺された場所へ。少年にとってそこは悪い思い出しかない場所だけれど、あの得体の知れない化け物から「おいで」と呼ばれて、それをなかったことにできるほど彼に強い意志はない。
朝食も食べずに家を飛び出した少年は、背中にかけられた両親の声を聞きそびれてしまう。どこへ行く、という悲鳴のような声は、彼にはとどかなかったのだ。
絞首台の上には、木製のイスに尊大な態度で腰かけた角のある彼女がいた。彼女は誰かに呼びかけるように声を張り上げている。
「やあやあ、ボクは魔女である。繰り返す、ボクは魔女である。魔女の処刑執行に関わった連中は、至急絞首台の下に集まりなさい」
日の光に照らされる彼女の二本の角は、夜とはまた違う雰囲気で異質だった。夜のそれは夢と現実の境にいる化け物のようだったけれど、今は紛うことなき現実の異端として、彼女はそこにいる。
「私が処刑人だと何度言えばわかる、ええ?」
少年よりも早くに絞首台の下へ集まっていたのは処刑人である男と、彼の部下たちだ。魔女を名乗る怪しい女が声高らかに出てきたとあれば、彼らもそれが仕事だ、無視することはできない。
そして彼ら以外には誰一人として、この場所には来ていなかった。民衆がここへ集まるタイミングは決まっているのだ。それ以外の機会に、ここを訪れる者はいない。
少年は処刑人たちに見つかって余計な疑いを持たれないように、適当な物陰へ隠れて様子を見ることにした。
「ああ、ごめんね。キミたちは集まってくれたんだものね。ありがとう。でもほら、まだ全員じゃないからさ」
「処刑執行に携わる者は我々で全員だとも、もう何度も言っているだろう」
「それならボクだって何度も言うけどさ。直接手を下す人間と、その部下だけが「処刑に関わった連中」なわけないだろう? 全員だよ。ボクが呼んでいるのは、この村の人間全員だ」
「ふざけたことをっ……」
処刑人たちの表顔にはまるで、今すぐにでも目の前の少女をぶち殺してやりたい……と書いてあるようなものだった。けれども、なぜか彼らはそれを実行しない。
少年は彼らのやり方を知っている。魔女と断定した女性には有無を言わせず自分たちのテリトリーへと引きずり込み、女性に魔女であることを自白させて、絞首台に吊るす。彼ら以外の人間が同じことをやれば誘拐や暴行など様々な罪を負うことも自明だ。
拷問されて、焼き印を圧される人を何人も見てきた。それを肯定するかのような人々の熱気も、少年はすべて見てきた。目をそらさなかったのは、自分もそれを肯定しなければ、魔女の肩をもった裏切り者として扱われることを本能的に理解していたから。
だから違和感を覚える。彼らが、魔女とまともに会話している今の状況は異常だと感じる。何か彼らが「自ら魔女を名乗る存在」に手を出せない理由があるのだ。例えば昨日の夜に彼女が指先に灯して見せた火が、彼らの行動次第では、彼ら自身の身にも灯ってしまうとか。
「仕方ない。不本意だけど、ちょっと手荒にさせてもらうよ」
少女がそう言うと、絞首台の下にいる男たちは明らかに身構えた。やはり、すでに彼女から何かされていたようだ。
そして「手荒にする」と彼女が宣言してから数分で、村の人間ほぼ全員だと思われる大人数が、絞首台の下へと雪崩れ込むようにかけつけてきた。全員が怯えた顔をしていた。
少年は隠れている必要もなくなったかと思い群衆にまぎれようとしたけれど、その中に自分の両親を見つけ、二人がひどく怯えた顔をしていたため再び物陰へと戻っていった。
なぜかは上手く言葉にできないけれど、今自分が出て行ってはいけない気がしたのだ。絞首台の上で「王」か何かのように振る舞う彼女と、昨晩誰よりも先に対面した自分が、出て行ってはならない気がしたのだ。
「よしよし、みんな集まったね。ごめんね、まだ朝の支度とかいろいろあっただろうにね。でもまあ、ボクも譲れないんだ、許しておくれ」
満を持してという様子で、重々しく彼女は立ち上がる。その頭に生えた二本の角へ、この場にいる全ての人間が注目する。
「ボクの名前はカナリア、魔女カナリアだ! この村にいる全ての人間に警告する。魔女の処刑は、今後一切二度としないと誓いたまえ! さもなければ、ボクはキミたちを一人残らず土に還して見せよう」
カナリアと名乗った彼女は、呆気にとられる群衆に休む間を与えず続ける。
「ボクが人ならざる力を持っていることは、ここに集まってくれた皆ならよく理解してくれていると思う。同時に、ボクを処刑する、殺すなんてことは不可能だとも、理解してくれたと信じたい。だから重ねて言うよ。キミたち、おとなしく諦めて、魔女狩りはやめなさい」
演説を行う魔女に、誰かが石を投げつけた。どこかの無謀な愚か者が石を投げたのだ。
投げられた石はカナリアの目に当たった。彼女は片方の目から血を流しながら、石を投げた男をにらみつける。
ああそうだ、この村の人間は、魔女の存在なんか本当は信じていないのだ。いったいカナリアに何をされてここへ呼ばれたのかはわからないけれど、怯えながらも彼女の言葉通りここへ集った後でさえ、石を投げた男は魔女を信じていないのだ。この村の人間は多かれ少なかれ全員そうだ。
「ボクに石を投げるのは構わないよ。殺そうとしたっていい。無駄なこと極まりないけれど、そうしたいならボクは止めないよ。ただ、これだけ約束してほしい。もう誰かを魔女だと決めつけて殺すことだけは、頼むからどうかやめてほしい」
言いながらカナリアが傷ついた方の目を手で覆うと、次にその目が民衆たちへ晒された時には流れたはずの血が消え、傷一つ付いていない彼女の両目が絞首台の下に集った人々を見下ろしていた。
ようやくわかったのだろう。誰かが叫びだした。女性の声だった。
「ば、化け物!」
恐れをともなった悲鳴は連鎖する。男も女も大人も子どもも関係なく、口々に皆が叫びだす。化け物、化け物、化け物、化け物……。
…………次の瞬間、すべての民衆が首と体を切り離された。
そこら中に生首が転がる。糸が切れたように次々と倒れていった体の断面から、赤黒い液体が延々と垂れ流され地面を這っていく。
「は……?」
民衆は全員血の海に沈んだ。……が、処刑人とその部下たちは例外だった。
責任があるために、誰よりもカナリアに近い場所……最前列に立っていた彼らは異変を感じ取って振り返る。彼らは自分の目で見た光景を、すぐには理解することができなかった。
そして、それを物陰で見ている少年も、目の前の現実を受け入れられなかった。ただ、誰よりも先にカナリアという魔女が何者であるのかを知っていた少年は、受け入れがたくともそれが現実なのだと理解していた。
「処刑人さん……えーとごめん、名前なんだっけ」
名前なんか呼ばれずとも、迷子になった子どものような顔をして彼らはカナリアを見る。
「ボクはこういうこともできるんだ、ってことを理解してくれたかな」
「あ……あぁ……」
現実に心が追いつけず声の出せない彼らを、カナリアは無慈悲に睨みつける。石を投げた男に対するものより遥かに冷たい目をしたまま、刃物のような敵意をもって言う。
「返事は?」
カナリアは怒っている。物陰の少年は、どこか他人事のような気分でそう感じ取った。心を読める彼女が返事を求めるなんて、よほどのことだ。
「た、たすけてください」
何人もの罪のない女性に焼き印を圧し、首に縄をかけて殺してきた男が、震える声で言った。
「なんでもします。だから命だけは、どうか命だけはたすけてくだっ」
命乞いをする処刑人の首が飛んだ。
「ボクは返事が聞きたいんだよ。……おい、そこのキミ、今の彼の部下だろう? どうだい、ボクの力は理解できたかい?」
視線を向けられた部下が、場違いなほどハッキリとした声で答えた。
「はい、よくわかりました」
それを聞いて満足気に魔女がうなずく。
「うん、いい返事だ。偉いね」
カナリアが笑顔を見せた。
それと同時に、地面に転がった首の群れが動き出す。それぞれがそれぞれの体と正しい組み合わせになるように、正しく戻り、そして正しく治っていく。
一分と経たずに、血の海と化していた絞首台の下の風景は、民衆が雪崩れ込んできた時と何ら変わらない風景に戻った。血の海は一滴も残らずに消え去り、すべての人間の首が繋がり蘇生された。
自分たちの身に何が起こったのかを理解しきれない民衆へ、やはり考える暇など与えずにカナリアが語りかける。
「どうだい、一度死んでみた気分は。スパッと一思いに首を飛ばしてあげたけど、それでも十分に痛かっただろう? 意識を手放すまでに、ボクにとっては一瞬だけれど、キミたちにとってはとても長い「間」があっただろう? 首を吊って死ぬのがどんな風かも知りたいかい?」
ざわめく群衆。ほどなくして彼ら彼女らは理解する。自分たちはすでに処刑される側なのだ、ということを。それも、一度死ぬ程度では許されない。すべては魔女の気分次第なのだと、ようやく理解する。
群衆の中から、一人の少女が声を上げた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 私は今まで、次が自分になるのが怖くて、見て見ぬふりをしていました……! 処刑される人を助けようとなんてしませんでした! でも、でも私死にたくないです……! 謝ってもダメかもしれないけど、死にたくないです! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
涙を流しながら引きつった笑みを浮かべて、叫び、謝罪し、許しを乞う。何一つ偽らず、不都合な事実を包み隠すことさえ忘れて叫ぶ。死を経験した少女の見せたそれは、およそ発狂と呼べるものだった。
そしてそれを見たカナリアは、感動をあらわにする。昨日の夜、今は物陰に隠れる少年が、魔女と会話をすることを決めた時。あの時に彼女が見せた表情に、それはとてもよく似ていた。
「ああ、キミだ! 偉い、偉い、偉いよ! ボクはキミのような子が好きなんだ!」
カナリアが立ち上がる。同時に、狂ったかのように命乞いの言葉を叫んでいた少女の体が、ふわりと宙に浮かびあがった。
「ひいっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「大丈夫、ボクは怒ってないよ」
浮かび上がった少女の体はカナリアのいる絞首台の上まで引き寄せられるように移動して、そのままカナリアに抱きしめられた。愛おしそうな顔をした魔女はまるで踊っているかのように、いたいけな少女を抱きしめクルクルとその場で回る。
「キミのような子が大切なんだ。明日は我が身になることが怖くて声を上げられないのは、仕方がないことなんだよ。キミだって人間だものね。でも、そういう心が、それ自体がとても大切なんだよ。わかるかい?」
「は、はい。えっと、ありがとうございます……?」
「うん、うん。かわいいね」
踊るような足取りを止めて、少女を抱きしめたまま再び椅子に戻るカナリア。まるで自分の腹を痛めて生んだ赤ん坊を愛でているかのような、緩みきった表情で少女の頭をなでていた彼女が、唐突に冷たい無表情になる。
「でもキミ、ボクと同じ「女」だから許してもらえるかもって思ったね? 自分も被害者みたいなものだからって思ったね? そういうのはダメだよ」
突き刺すような言葉に少女の顔がこわばったのが、離れて見ていた少年にも伝わった。
「ご、ごめんなさ」
「ううん、いいよ。これからゆっくり時間をかけて治していこうね」
再びほほ笑んだカナリアが、花びらを風に乗せるように少女を手放す。ふわふわと浮かんだ彼女は、民衆の最後尾へゆっくりと着地した。
「さて、どうだいキミたち。特に何も言わない大人たちとか、どう? ボクの言っていることは理解できたかい?」
あからさまな作り笑顔を浮かべるカナリア。少女を抱きしめていた時は、あんなにも優しげだったのに。そのギャップがまた民衆を恐怖に結びつける。
「返事がないなぁ。ボクを無視するのかい」
民衆が一斉に口を開く。が、コンマ数秒差で誰よりも早く答えを出したのは、処刑人だった。
「よく理解できました。すべてあなたの言うとおりにします。ですから、どうか我々の命だけは、救ってはいただけないでしょうか……?」
何人もの女性を魔女と断定し、卑しい笑みを浮かべながらその手に掛けてきた男の吐く台詞とは思えなかった。
今この瞬間、彼の顔には怯えだけが残っていて、かつての醜悪な人間性が表に出てくることはない。きっとこれから先も、少なくともしばらくの間は出てこないだろう。
「うん、いいよ。何人もの罪のない女性を痛めつけ殺してきたキミたちを、本物の魔女であるボクが代表して許そう。それでいいかい?」
「は、はい! ありがとうございます!」
「それじゃあ、友好の印に握手でもしようか。ここまで上っておいで?」
まさか拒否するわけにもいかず、処刑人の男は、……いや、元処刑人の男は、恐る恐る絞首台の階段を上っていく。
カナリアは椅子から立ち上がり、絞首台から落ちる寸前のところに足を置いて待ち構えていた。今日の日に処刑が行われる予定はなかったので、絞首台に縄の輪はかけられていない。万が一ここから落ちても少し怪我をする程度になっている。うっかり縄が首にかかって……なんてことはあり得ない。
「どうしたの、こわい?」
怯えた顔で上ってきた男に、困ったような笑顔を向けてカナリアが手を差し伸べる。……差し伸べられた彼女の手には、どこから取り出したのか、首を吊る輪の形をした縄がかかっている。
「……っ」
差し伸べられた手を、彼は腹に力をこめて握ろうとする。次の瞬間に自分が吊るされているだとか、そんな光景が頭をよぎるもので、覚悟を決めなければその手を取ることはできない。けれども取らなければ確実に殺されるのだ、躊躇するわけにもいかない。
「ああ、すみません」
魔女から差し伸べられた手を男が取ろうとした瞬間。
「おっと、ダメだよ。みんなに見えるようにしないとね」
そう言ってカナリアが手を引っ込める。絞首台の足場ギリギリに魔女と人間の二人で立って、今度こそ正式に手を差し伸べる彼女の手には、どこに消えたのか、もう縄はかかっていない。
つつがなく二人は握手を交わした。
「はい、友好の印。これからよろしくね」
友好の印とやらは、絞首台の下に集まっている民衆にもよく見えた。これからよろしく、という言葉がその場にいる全員の頭の中に響いて、一向に抜けていかない。
あの魔女はこれからもこの村にいるつもりなのだ。そう悟った者から順に、言い表せない具合に表情を歪ませた。元処刑人の男がこの村の人間を代表して交わした握手に、はたしてどれだけの重みがあるのか。カナリア本人を除いて、それはこの場の誰にもわからないからだ。
この日から、魔女カナリアはこの村の新たな住人になった。