『王女の軍師』【完結】   作:OKAMEPON

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END④【掛け違えた道の先で、君と】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 何時からだろうか。

 ルキナは、大切な『何か』を忘れている。

 ……そんな気がしてならなかった。

 だけれども、何れ程それを探し求めようとしても。

 記憶には何も見通せぬ程の深い霧がかかり、その輪郭すらをも覆い隠してしまう。

『何』を忘れているのかすらも、そもそも本当に忘れているのかすらも、定かではないのに。

 自分が『とても大切な事を忘れている』と言う感覚だけが残っている。

 だけれども。

 何れ程思い返してみても、自分の記憶に欠けた所は無い。

 

 父の事も、母の事も。

 そして、幼い頃に大好きだった『ルフレおじさま』の事も。

 彼等との思い出を、ルキナはちゃんと覚えている。

 幾つかの思い出は擦り切れ、朧気になってきてしまってはいるものの。

 それでも、忘れたりなんかしてはいない。

 仲間の事、守るべき民の事、自らの使命の事。

 それらも、ルキナの胸には何時も変わらずに其処に在る。

 それなのに。

 どうしても、違和感を拭えないのだ。

 

 ふとした瞬間に。

 自分の傍らに誰も居ない事に。

 戦場を駆けるその背を預ける人が居ない事に。

 戦術を示してくれる人が居ない事に。

 酷い違和感を、感じる。

 

 ふとした折りに。

『誰か』の優しい微笑みを。

『誰か』の穏やかな声を。

『誰か』の温もりを。

 探し求めてしまう。

 

 まるで、『半身』をもぎ取られてしまったかの様に。

 ルキナは足りない『何か』を何時も探していた。

 

 この胸の何処にも欠落など在りはしないのに。

 もう何にも埋める事が出来ない程の虚ろが、心の何処かに在る様な気がしてならない。

 そこを埋めている『何か』が、確かに在ったと思うのに。

 それを、ルキナは思い出せない。

 何も思い出せないのに。

 ルキナは、『何か』を喪ってしまった気がしてならないのだ。

 

 それはモノなのか、ヒトなのか、思い出なのか、感情なのか、心なのか……。

 その正体すらも分からないけれど。

 

 喪ってしまった『何か』が、そしてそれがもう何処にも無い事が、どうしようも無く、哀しい。

 もう取り戻せない事が、辛く苦しい。

 

 そんな息苦しさと哀しみともどかしさを抱えながら。

 それでもルキナは世界を救う為に、その『希望』たるべく戦い続けていた。

 でも、どうしてなのだろう。

 それがルキナの『使命』である筈なのに。

 それこそがルキナの戦う理由である筈なのに。

 それすらも、何処か虚しく感じてしまうのだ。

 …………自分は『   』を守れなかったのに、と。

 そう責める自分が居る。

 しかしその自分に何を問い返した処で、存在しない筈なのに確かに其処にある『欠落』の正体が返ってきたりはしない。

 

 ……大切な『何か』を、そうと気付けぬままに喪ってしまったのだとしても。

 それでも、ルキナは。

 戦い続けるしか無かった。

 それしか、生き方を知らなかったからだ。

 

 その背を支える手が無くとも。

 共に苦楽を分かち合う『半身』が居ないのだとしても。

 それが、ルキナの『使命』であるが故に……。

 

 

 

 そして、『宝玉』の捜索の為に仲間達がイーリスを発ってから、凡そ二年程の年月が過ぎ行こうとしていた…………。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 仲間達が宝玉と台座を携えてイーリスに帰還した、との報告を受けたのは、ルキナが王都に程近い場所にまで出没した屍兵を討伐していたその時であった。

 

 近頃は、一時鳴りを潜めているかの様にその活動が緩やかであった屍兵の襲撃がより活発になり、王都の近くまでもが侵攻を受ける様になっている。

 最後の砦であるイーリス城が落ちれば、最早世界の滅びは決定的なモノとなり、人類も絶滅を免れ得ない。

 だが、その《終焉の時》は刻一刻と迫ってきていて。

 ルキナは時々、自分達の戦いは滅びるまでの時間の先延ばしに過ぎず、人々の苦しみを無駄に延ばしているだけなのではとすら思ってしまう。

 

 勿論、その様な弱音をルキナが誰かに溢せる筈も無い。

 ルキナに求められているのは、最後の瞬間まで『希望』として絶望に抗う事だけだ。

 

 だからこそ仲間達の帰還が、そして完成した『炎の紋章』を以て『覚醒の儀』を遂げれば、この絶望に抗う力を得られると言う……確かにこの手に届いた『希望』が。

 何よりも嬉しかった。

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 

 取り急ぎ王城に帰還したルキナを出迎えた仲間達は。

 旅立つ前よりもかなり草臥れてはいたが、皆壮健そうであった。

 少なくとも、目に付く様な大きな負傷は無さそうに見える。

 その事が、皆が誰一人欠ける事無く帰還してくれた事が、何よりも嬉しくて。

 ルキナは思わず涙ぐんでしまう。

 長い長い旅路の末に漸く帰還を果たしたからか、仲間達の顔には疲労の色が見えるが。

 それでも、『成し遂げた』のだと。

 彼等の目は、何よりも雄弁に語っていた。

 

 かつてイーリスから奪われた『炎の台座』と『白炎』。

 フェリアから喪われた『緋炎』。

 ヴァルム帝国との動乱の際に、ヴァルム大陸から行方知れずとなった『蒼炎』と『碧炎』。

 そして、ペレジアに隠されていると密かに囁かれ続けていた『黒炎』。

『炎の台座』と五つの宝玉を、仲間達の手から受け取ったルキナは。

 感動に打ち震えながら、宝玉を台座に納めてゆき、『炎の紋章』を完成させた。

 漸く、これで……。

 漸くこれで、『ギムレー』を討つ為の力を手に入れる事が、出来るのだ。

『希望』が。

 長い間ルキナ達が求めて戦い続けたそれが、やっと……。

 この手の届く所にまでやって来た。

 その事が、どうしようもなく、嬉しい。

 

 

「皆が無事でいて……何よりです。

 そして、有り難う……。

 これでやっと、『希望』が、この世界にも……」

 

 

 感謝の言葉は、嗚咽となって最早言葉としての形を成していなかったが。

 それでも、この想いを伝えるべくルキナは感動に震える唇を動かして言葉を紡ごうとする。

 

 無駄では、無かった。

 諦めず、皆の帰りを信じて戦い続けた日々は。

 決して、無駄では無かったのだ。

 諦めずに戦い続けたからこそ。

 今この瞬間が訪れたのだから。

 

 勿論、ルキナにとっての真の試練はこれからだ。

『覚醒の儀』を行い、『ギムレー』を討たねばならない。

 だけれども、ルキナが『孤独』に戦い続けていた日々は、今この瞬間に報われたのだ。

 だがそんなルキナの想いとは裏腹に、胸の内の何処かに抱えた『虚ろ』は囁く。

 

(ただ待つ事しか出来なかった日々でも、自分は『孤独』では無かった。

 私の傍には、何時だって『   』が、私だけの『  』が、居てくれたのだから……。

 なのに、私はそれを喪ってしまったのだ)

 

 胸の『虚ろ』がそう囁く度に、どうしてか酷く苦しくなる。

 あの日々に、私の傍には誰も居なかった筈なのに、ずっと『独り』で戦ってきた筈なのに。

 

 違うのだと。

『   』との日々を忘れるな。と。

『   』の事を忘れ、『孤独』であったのだと偽ってはいけないのだと。

 そう、心は叫ぶ。

 

 今は、漸くこの手に届きそうな『希望』の事に注力するべきなのに。

 ナーガの力を得て『ギムレー』を討ち、世界を覆う絶望を晴らす事を考えなくてはならないのに。

 何故か。

 このままでは『   』を永遠に喪ってしまうのだと。

 取り戻す事も、思い出す事も出来ぬままに、『   』は消えるのだ、と。

 そんな焦燥が、訳もなくルキナの胸の内に渦巻き、出口も見えないままに荒れ狂う。

 

 でも、ルキナにはどうする事も出来ない。

 思い出す事も出来ぬ『何か』に囚われて、手が届く場所にまで辿り着けた『希望』を喪う訳にはいかないのだ…………。

 

 だからこそルキナは、『虚ろ』の囁きに耳を塞ぐ。

 気付かない振りをして、見なかった振りをして、聞かなかった振りをして。

 

 自分には、忘れてしまった『何か』など無いのだと。

 思い出せない『何か』など、在りはしないのだと。

 そう自分に言い聞かせて、胸に根深く巣食ってしまった『虚ろ』から、必死に目を逸らすのだ。

 

 そうやってルキナが、心の『虚ろ』の囁きを追い払おうとしていると。

 

 感極まって言葉を喪ったのだと勘違いしたのだろうか? 

 仲間達が次々に旅の中での出来事を語って聞かせてくれた。

 曰く、仲間達は途中で三手に別れて、各々に手分けして台座と宝玉の行方を追っていたのだと言う。

 宝玉と台座は、どれもバラバラの場所に、強力な屍兵達に守られる様にして厳重に保管されていた。

 それを何とかして奪還して(ここでウードが大袈裟な身振り手振りと語り口で語ろうとしたが、他の仲間達によって口を塞がれた)、屍兵の追撃を受けながらもこうやって帰還を果たしたらしい。

 

 説明しながら、ふと気になった事でもあったかの様に、シンシアがポツリと呟く。

 

 

「そう言えばさ、『蒼炎』を奪い返した時に。

 弓兵の屍兵も一杯居た筈なのに、追撃してきた屍兵の中には弓兵が一体も居なかったんだよね」

 

 

 それで逃げ切れたから良いんだけど、不思議だよねと。

 そうシンシアが言うと。

 似た様な事が他にも思い当たったのか、俺も私もと、その『不思議な出来事』を口々に話していく。

 

 

 屍兵の勢力圏であった筈なのに何故か襲われる事が無い夜が幾度となくあったと、シャンブレーは語る。

 

 水と食料が尽きかけた時に偶々見付けた廃村に十分な量の保存食と新鮮な飲み水を見付ける事が出来た事が数回あったのだと、ブレディが語る。

 

 武器が摩耗して心許なくなった時に限って、倒した屍兵が自らの得物となる武器を残して消える事が多かったのだと、デジェルが語る。

 

 倒木や落石で道が塞がっていた為迂回するしか無かった時に限って、結果的に屍兵の集団を回避出来た事が多かったと、セレナは語る。

 

 厳重に宝玉を守っていた屍兵達がふとした瞬間に巡回するルートを変えた為に、無駄な損耗も無く宝玉を奪還出来た事があったのだと、アズールが語る。

 

『白炎』奪還時に、追撃してくる屍兵だけを巻き込む様に土砂崩れが発生した事があり、それによって追撃を辛くも振り切る事が出来たのだと、ロランは語る。

 

 仲間達との合流前に立ち寄った廃墟で一泊しようとした時に、偶然にも火事が起こって廃墟から出て行かざるを得なかったのだが、実は広い廃墟には大量の屍兵が潜伏していて、結果として火事が起こって屍兵が一体残らず燃えた為に、辛くも窮地に陥らずに済んだのだと、ノワールが語る。

 仲間との合流前に峡谷を通過した時に屍兵の大集団に追撃を受けたのだが、ウードと同行していたアズールとシャンブレーとブレディが吊り橋を渡り終えた直後に、吊り橋に雷が落ちて、追撃しようとしていた屍兵を巻き込んで橋が落ちた為に、絶体絶命の危機であった所を乗り越えられたのだと、ウードは語る。

 

 そんな一度や二度ならばまだしも、とても『偶然』や『幸運』によるものなんて考えられない程の『不思議な出来事』の数々によって、仲間達は帰還を果たしたと言うのだ。

 

「見守っててくれてたのかな」と溢したのは、誰だったのだろうか。

 それは分からないが。

『何者か』に守られていたとしか思えない様なその『不思議な』出来事の数々に、今は亡き父や母達が自分達を見守ってくれていたのであろうかと思うのも、当然の心理なのだろう。

 

 すると、それまで黙していたジェロームが、何事かを考える様な素振りを見せた後に、口を開いた。

 

 

「時折だが、……『何者か』の視線を感じる事があった。

 ミネルヴァが警戒する素振りも無かった為、気の所為なのかと、思っていたのだが……」

 

 

 もしかしたら、自分達を見守っていた『何者か』が実際に居たのかもしれない、と。

 そう語るジェロームにンンも、もしかして、と呟く。

 

 ノワールが語った、廃墟での出来事の時の事だ。

 火事が起きる直前に、遠目に人影の様なモノを見た気がするのだ、と。

 それはほんの一瞬の事であったし、その後直ぐに離れた場所とは言え火の手が上がってしまったので、その時はその人影の事を気にする余裕は無かったのだが。

 もしかして、その人影こそが、自分達を見守っていた『何者か』であったのではないか、と。

 ンンはそう少し自信無さげに語った。

 

 …………。

 彼等を見守っていた『何者か』が実在していたのかそれともそうで無いのかは、今となっては確かめようも無い事ではあるのだが。

 何にせよ、その『不思議な出来事』の数々に助けられ、仲間達は皆無事に合流を果たしたのだと言う。

 

 …………だが。

 

 それまでの道中での加護が途切れたかの様に、合流後のイーリスまでの旅路は苛烈を極めるモノとなったのだ。

 無限に現れる屍兵達の追撃は執拗に繰り返され、ロクに休息を取る事も出来ないままに王都への強行軍を敢行するしか無かったのだと言う。

 仲間達の誰もが窶れて見えるのは、その疲労の為なのだろう……。

 

 一通りの話を聞き終えたルキナは、とにかく今は休む様にと、仲間達に伝えた。

 

『炎の紋章』が完成した今、ルキナ達は可及的速やかに『虹の降る山』の祭壇へと向かい、『覚醒の儀』を執り行ってファルシオンに神竜の力を取り戻す必要がある。

 だが、ナーガの領域である山の周辺はまだしも、その道中は既に屍兵の蠢く領域だ。

 そこを突破せねばならぬのだから、十分に英気を養う必要がある。

 

 王都防衛の為にも、兵達の多くは残していかねばならないので、実際は少数精鋭で祭壇まで辿り着かなければならない。

 そして、その道中の困難も然る事ながら、何よりも。

 不気味な程に直接的には表に出ようとはしない『ギムレー』が、『覚醒の儀』の気配を察知すればどう動くのかが未知数である。

 自分を害する力を人が得ようとしているのに、幾ら何でも静観し続けると言う事もあるまい。

 屍兵によって妨害しようとするのならまだしも、『ギムレー』自身が乗り込んでくる可能性もあった。

 最悪の場合、『虹の降る山』が決戦の場となるだろう。

 それ故に、準備は万全を期しても足りない程である。

 

 だが、何れ程困難であろうとも。

『希望』の足音はもう直ぐ其処にまで近付いているのだ。

 だからこそ、ルキナ達が負ける訳にはいかないのであった。

 

 

 

 数日間の休息で完全に回復した仲間達と共に、可能な限りの支度を整えたルキナは。

 完成された『炎の紋章』を携えて、一路『虹の降る山』を目指すのであった……。

 

 

 

 

 

 

■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 遠くに見える彼等の小さな背中がもう視認出来ない程になって、漸く『僕』は一つ息を吐いた。

 その途端に己を蝕む『ギムレー』の衝動を、歯を食い縛って何とか耐える。

 

 まだだ、まだ、『僕』は、消える訳には、いかない。

 せめて、彼等が、もっと『僕』から離れる、までは──

 

 ルキナの元を去ってから、『僕』が『僕』で居られる時間は既にとても短くなっていた。

 それは最初から承知の上の事であったのだけれど。

 それでも、『僕』が消えていくのを、本来の『ギムレー』に溶けていこうとしているのを自覚しながらも、こうやって未練がましくしがみつこうとしているのは。

 偏に、何よりも大切な、彼女の力になる為だ。

 

『僕』が『僕』自身で決着を付けられるのならばそれが一番なのは、分かっているけれども。

 

 幾ら乖離していようとも所詮は、『ギムレー』の中の人格の一欠片に過ぎぬ『僕』では。

 自殺と言う形で、『ギムレー』を終わらせる事は、出来ない。

『ギムレー』の意志の中で、『僕』がそれに抗って成せる範疇を超えてしまっているからだ。

 

 ルキナを守る為にその傍を去った『僕』は、消え行く中でルキナの為に一体何が出来るのかと考えた。

 自殺は……残念ながら出来ない。

『ギムレー』の力を大きく使うような事をすれば、益々『僕』が完全に消えるまでの時間が早まってしまい、それは結果としてルキナを殺してしまいかねない。

 時間を稼ぐと言う観点では、このまま『僕』が完全に消えてしまうその時まで、『ギムレー』を抑え続けると言うのが一番なのであろう。

 それならば恐らくは……一年は叶わなくても、半年以上は『ギムレー』を抑え込んでいられるだろう。

 それもまた一つの道だ。

 ……だけれども……、その半年の間に『覚醒の儀』を行えなければ、結局ルキナを待つのは死の運命のみとなる。

 だから、『僕』は……。

 消え行く『僕』に出来るせめてもの手助けとして。

 彼女が『炎の紋章』を完成させられる様に……。

 そして『覚醒の儀』を行って、『ギムレー』を……『僕』を、殺せるように。

 宝玉と台座を捜索している彼女の仲間達の旅路を、陰ながらに見守り、可能な限りの手助けをしていた。

 

 ……彼女から離れて程無くして、『僕』は次第に『僕』では居られなくなった。

『ギムレー』の侵食は止まらず、もう『僕』としての意識も記憶も、欠片程にしか残ってはいない。

 彼女と過ごしてきた時間を、その時の心を。

『僕』は、もう、殆ど、……思い出せない。

 それでも、まだ残っているモノはある。

 

 彼女を守りたいという『想い』は、そして彼女を愛しその幸せを願う『心』は。

 何れ程『ギムレー』に削られてしまっていても、まだ、『僕』を繋ぎ止めていてくれた。

 ほんの僅かな時間であっても、『僕』が『僕』として彼女の仲間を助ける為の時間を与えてくれた。

 彼等の旅路を見守り、『ギムレー』が仕掛けた罠や追っ手から彼等を守る事が出来たのは、そのお陰だ。

 そして今、彼等は全員無事に合流を果たし、イーリスへ向かおうとしている……。

 

 それを、最後まで見守れたら……。

 いや、出来るならば。

 彼女が『覚醒の儀』を行い、この身にその刃を突き立てる瞬間。

 その時まで、『僕』が『僕』として、彼女を『ギムレー』から守れるのならば。

 そんな淡い『希望』を、抱いてしまう。

 そしてそれと同時に、『奇跡』も願ってしまうのだ。

 

 彼女がナーガの力を得れば、きっと『ギムレー』を封印する事が出来る。

 ……それを、『僕』が見届ける事は、きっともう出来ないだろうけれども。

 ……もし何かの『奇跡』が起きて、その瞬間に『僕』が存在出来れば。

 ルキナに、本当の意味での決着を……封印ではなく、『ギムレー』の消滅を、果たさせてあげられるだろう。

 ……それはきっと叶わない夢物語なのだろうけれど、それでもそんな『奇跡』を祈ってしまう。

 

 

 だが、もう……。

『僕』に、時間は残されていない。

 

 もう間も無く、『僕』は完全に消え、そして恐らくは、二度と表に浮かび上がる事は無いだろう。

 …………彼女から離れた時点で、遠からず『僕』に訪れる結末だ。

 だから、その事自体には未練は無いのだけれども……。

 

 それでも。

 彼女と『ギムレー』が相対した時に。

 もし、『奇跡』が起こるのなら…………、と。

 そんな事を考えてしまう。

 ……全く、未練がましい事だ。

 

 ここから先を、『僕』が見届ける事は叶わない。

 だからせめて、祈りを捧げよう。

 

 この先の未来に。

 彼女が『ギムレー』を討った未来に。

 彼女が彼女の思うがままに生きて、そして『幸せ』で在れる事を。

 彼女が、大切な『誰か』と笑い合える日々が訪れるであろう事を。

 

 彼女の旅路に、幸多からん事を……。

『僕』は、願おう──

 

 

 

 

 

 

■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 屍兵の大群を何とか潜り抜けて、漸く辿り着いた『虹の降る山』は……。

 かつての面影の一切を喪った地と化していた。

 ナーガの領域であるにも関わらずに屍兵は蠢き地に満ちて。

 美しい森林が拡がっていた山裾はもう見る陰も無い。

 まさか、既に『ギムレー』の手に陥落してしまったのかと。

 そう思ってしまいそうになる程の惨状に、仲間達は皆絶句している。

 

 だが、まだだ。

 まだ、諦めるには、早過ぎる。

 ナーガはまだ応えてくれると、そう自分達が信じなくてどうすると言うのだ。

 

 そう仲間と自分を叱咤して、ルキナは山頂への行く手を阻む屍兵達へと突撃する。

 それに続く様にして、仲間達もまた手に武器を取って屍兵達と斬り結び始めた。

 

 屍兵の呻き声と仲間達の怒号、剣や槍等が打ち鳴らす音が響く戦場で、ルキナ達は善戦していて。

 徐々に徐々に、屍兵達を圧して山頂へと近付いていく。

 そんな中で、その異変に真っ先に気が付いたのは。

 タグエルであるが故に人よりも遥かに耳の良いシャンブレーであった。

 彼は暫し立ち止まり、不安気に辺りを見回し始める。

 

 次にそれに気付いたのは、騎竜であるミネルヴァと彼女を駆るジェロームだ。

 落ち着き無く周囲の警戒を始めたミネルヴァの様子に、尋常ならぬ何かが起きているのだと察した。

 

 次いでンンが、ペガサスを駆るシンシアもまた異常に気付く。

 そしてそれからかなり遅れてルキナ達もソレに気が付いた。

 

 

「何よ……アレ……」

 

 

 セレナの口から溢れ落ちたのは、そんな言葉で。

 そしてそれは、この場の全員に共通する思いであった。

 

 厚い雲が重苦しく何処までも続く空は、薄暗いものである筈なのに。

 夕刻でもないのに、まるで空全体が燃えている様に紅く紅く染まっている。

 そして、その空を悠々と泳ぐ様に飛ぶ『ソレ』は……。

 未だ彼方に居る筈なのに、それでいても尚視界を埋め尽くす程に巨大な、三対六翼を持つ竜であった。

 人智を越えたその強大さに、誰もが呑まれた様にそれを見やる事しか出来ない。

 アレは、正しく……。

 

 

「邪竜、『ギムレー』……」

 

 

『覚醒の儀』の気配を察知してなのか、それとも他の理由なのか。

 それは分からないが。

 何にせよ、邪竜『ギムレー』が、この地を侵攻しようとしているのだけは事実だ。

 

 

「急げルキナ! 

 世界に混沌をもたらすあの邪竜がここに辿り着く前に、秘められし力を解放させる儀を執り行うんだ! 

 道は俺達が切り開く!! 

 ルキナは、山頂だけを目指して走れ!!」

 

 

 ウードがそう声を上げ、仲間達も皆それに頷いて。

 その道を阻もうと群がっている屍兵達へと武器を向ける。

 

 ルキナは、仲間達の想いに力強く頷き、駆け出した。

 

 今は一刻も早く『覚醒の儀』を行わねば、そしてファルシオンにナーガの力を甦らせねばならない。

 そうでなくては、ここで全てが終わってしまう。

 仲間を助けたいのなら、急ぐしかないのだ。

 

 大丈夫、『覚醒の儀』の手順は頭に叩き込んである。

 この手には、『炎の紋章』も、ある。

 だから、後は間に合わせるだけだ……! 

 

 

 山頂を目指してひた走るルキナの姿を、『ギムレー』が彼方から静かに見詰めているのを。

 ルキナは、気付く事が出来なかった……。

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 

 死に物狂いで走って辿り着いた山頂の祭壇は、少し荒れてはいるものの未だ健在で。

 その事に安堵したルキナは、走り続けた為に切れ切れになった息を僅かに整える。

 

 そして、祭壇に完成された『炎の紋章』を捧げ。

 聖王家に代々伝わる『誓言』を述べた。

 

 

「神竜ナーガよ……我、資格を示す者。

 その火に焼かれ、汝の子となるを望む者なり。

 我が声に耳を傾け、我が祈りに応えたまえ……」

 

 

 その言葉を捧げると共に、激しい焔がルキナの身を包んだ。

 焔に包まれる痛みに耐えルキナは一心に祈りを捧げ続ける。

 

 どうか、私に『ギムレー』を討つ力を……! と。

 

 焔が何れ程の時間、己の身を包んでいたのかはルキナには分からないが。

 ふとした瞬間に、その焔は掻き消えた。

 

 そして──

 

 

『【覚醒の儀】を行いし者よ……。

 我が炎に洗われた心に残った願いは、ギムレーを討つ力を欲す──。

 我が炎にも焼き尽くされぬ強きその想い、確かに私に届きました』

 

 

 フワリと。

 虚空から姿を現したのは、神竜ナーガだ。

 

 

『その願いに応え、力を授けましょう。

 私の加護を受けた貴女は……我が牙……ファルシオンの真なる力を引き出す事が出来ます。

 その剣があれば、私と同じ力を使う事が出来ましょう』

 

 

 その言葉にルキナは、やっと一つ成し遂げたのだと打ち震えた。

 

 

「これで、……これで、やっと……。

 あの邪竜を討ち滅ぼす事が……」

 

 

 出来るのだ、と。

 そう感極まって呟いたルキナに。

 ナーガは静かに首を横に振る。

 

 

『いいえ、ギムレーを滅ぼす事は出来ません』

 

 

 全ての前提を覆しかねないその言葉に、ルキナは瞠目した。

 

 

「そんな、貴方は神竜ナーガなのでは……。

 力を、授けると……」

 

 

 それに、千年前に初代聖王はナーガの力を得てギムレーを討ったのではないのだろうか……。

 混乱するルキナに、ナーガは滔々と説明する。

 

 曰く、強大な力こそ持ってはいるが、自分は神ではなく、そして万能でも無く万物の創造主でも無い。

 故に、自分と同格の存在である『ギムレー』を滅する事は出来ない……正確にはその方法が分からない。

 だが、『ギムレー』を千年封じる事ならば出来るのだ、と。

 

 そう、神竜ナーガはルキナに説明した……。

 

 …………。

『ギムレー』を討ち滅ぼす事が叶わないのだとしても。

 今、滅びに瀕した世界を救う事ならば、出来る。

 ……千年後の世にその禍根を引き継がせる事になるのは、遣る瀬無いが。

 ルキナは、今成せる最善の事を成さねばならない。

 ならば、成すべき事は、一つ。

『ギムレー』の封印だ。

 

 しかしそうは言っても。

 まるで一つの大陸の様に巨大な竜を相手に、どう対処すれば良いのだろうか。

 幾らファルシオンにナーガの力が宿っているとは言え、それを振るうルキナは人間だ。

 闇雲に攻撃を重ねていた処で、塵を払う様に薙ぎ払われるだけである。

 

 そんな時、ナーガが驚いた様に目を見開いた。

 

 

『これは……一体、何故……。

 ……ですが、この機を逃す訳には……』

 

 

 ルキナには知覚する事も叶わないが、ナーガは何かを察知したらしい。

 そして、改めてルキナに向かい合った。

 

 

『今は僅かな時間も惜しい……。

 今から、貴女を貴女の仲間達の前に……、ギムレーの前へと、送ります』

 

 

 そして、と続けて説明する。

 

 

『そこに居る者に、ファルシオンで止めを刺せば。

 ギムレーを封じる事が出来るでしょう……』

 

 

 どう言う事なのか、何が起きているのかはまだルキナには分からないが。

『ギムレー』を封じる千載一遇の機会がやって来ているのだと言う事だけは、肌で感じた。

 だから、ルキナはナーガの言葉に頷く。

 

 

 そして、次の瞬間には──

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 

 ルキナの目の前に広がっていたのは、全てが焼き払われた後の焼け跡の様な、そんな何も無い様な場所であった。

 そこが確かに『虹の降る山』の中腹である事を示す様に、崩れ落ちた遺跡が地面にしがみつく様に僅かに残されているが……。

 それがなければ、ただの荒野としか認識出来ない程の惨状であった。

 至る場所で地面が抉られた様に陥没し、大穴を開けていて。

 そして、重傷一歩手前まで追い詰められた仲間達が。

 武器を支えにしながら、必死に立ち続けていた。

 そして、そんな仲間達が対峙しているのは。

 

 見慣れぬ【でもよく見知った】黒いローブを身に纏い。

 冷え冷えと【そこに宿る優しい輝きをよく知っている】紅い紅い瞳を輝やかせて。

 悠然とその場に佇む。

 見知らぬ【誰よりもよく知っている】、一人の男であった。

 

 彼の姿を目にした瞬間。

 ルキナの胸の内に巣食う『虚ろ』が、今までに無い程に叫びだす。

 思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、と。

 彼を見ていると、割れる様な痛みを頭に感じる。

 知らない筈なのに何故か泣きたくなる程に懐かしくて……。

 いや、これは、『懐かしさ』ではなく、もっと、別の──

 

 思考がそれに囚われそうになった瞬間に、仲間達が上げた大声によって、ルキナは現実に意識を引き摺り戻される。

 

 

「気を付けて、ルキナっ!! 

 コイツが、『ギムレー』なんだ……!」

 

 

 そう叫んだアズールを、『彼』は虫を見る様な目付きで一瞥し、そして。

 軽く左手を払った。

 たったそれだけで、アズールの身体は大きく吹き飛ばされ、そのままアズールは身動きが取れなくなる。

 そんなアズールに構う事すらなく、『彼』は一歩ルキナに近付いた。

 それを見た仲間達は、『彼』に襲い掛かろうとするが。

 武器を向けた瞬間に、上から強い力で叩き潰されたかの如く、地に臥せたまま動けなくなる。

 全員まだ死んではいないけれども、もう、意識は無い。

 

 瞬く間に仲間達全員を無力化した『彼』は。

 また一歩、ルキナに近付いた。

 そして──

 

 

「……初めまして、ナーガの眷族の末よ。

 我は『ギムレー』。

 汝らが、『邪竜ギムレー』と呼ぶ者だ」

 

 

 そう名乗った『ギムレー』は、チラリと。

 ルキナが携えるファルシオンを一瞥した。

 

 

「『覚醒の儀』を行ったか……。

 その牙から忌々しいナーガの力を、感じるな」

 

 

 だが、と。

『ギムレー』は冷笑する。

 

 

「ナーガの力を得た所で、汝らに何が出来る? 

 ナーガの末よ、貴様の仲間は成す術も無く我に敗れたぞ。

 如何にナーガの力を得ようと、我に傷一つ付けられぬのならば、その力には何の意味もない」

 

「そんな事は……!」

 

 

 大きく踏み込んで、ファルシオンを一閃させるが。

『ギムレー』はそれを軽く避けてしまう。

 

 

「無駄だ、聖王の末よ。

 我が身にその牙を届かせる事すら、汝には不可能だ」

 

 

 そう言いながら『ギムレー』は軽く手を翳し、凶悪な程の威力の黒炎を生み出す。

 そしてそれを、ルキナに向けて放った。

 咄嗟にファルシオンで受けるが、あまりの威力に大きく後退させられてしまう。

 

 

「…………汝らの命運は、ここで潰える。

 滅びの定めは、変わらない」

 

 

 ポツリと呟いた『ギムレー』は。

 静かにルキナを見据えた。

 

 

「それでも、尚。汝は我に抗うか?」

 

「当たり前です! 

 私達は、邪竜なんかに……絶望なんかに、屈しない!! 

 ここで、あなたを討ちます!」

 

 

 そのルキナの返答に。

 ……何故か、『ギムレー』が。

『満足そうに』微笑んだ気が、した。

 だがそれは瞬きよりも短い時間の事で。

 自分の見間違えなのだと、ルキナはそう思ったが。

 

 心の何処かは、胸に巣食う『虚ろ』は。

 煩い程に警鐘を打ち鳴らし続けていて。

 それに耳を塞ぎながら、ルキナは『ギムレー』にファルシオンを向けた。

 

 

「成る程、抗えぬ現実に絶望し果てる事を望むか……。

 良いだろう、興が乗った。

 その魂を奥底まで絶望に染め上げようではないか」

 

 

 酷薄そうな笑みを浮かべた『ギムレー』は、闇を凝縮した様な魔力で周囲を薙ぎ払う。

 それをファルシオンの力で防ぎ、ルキナは『ギムレー』へと連擊を繰り出した。

 その攻撃は避けられてしまったが、それでも諦めずにルキナは食らい付く。

 

 一進一退の膠着状態が何時までも続いた。

『ギムレー』は未だ余裕を見せていて、その底は全く見えない。

 ルキナの攻撃を避け、往なすその動きは舞っているかの様ですらあった。

 反面ルキナはと言うと、圧倒的な力の差に心を削られそうになりながらも、何とか『ギムレー』に食らい付いている。

 そうやって『ギムレー』と斬り結ぶ中で、ルキナの心の内に一つの違和感が纏わり付いていた。

 

『ギムレー』から、ルキナは確かに攻撃されている。

 それは避けなければ、防がなければ。

 一撃で死んでいたであろう攻撃ばかりである。

 だが、それはどれも避けたり防いだりする余裕がある攻撃ばかりなのだ。

 

 例えば、ファルシオンが弾かれた時に。

 絶好の隙である筈なのに、『ギムレー』は絶対にルキナを攻撃しない。

 それだけでは無かった。

『ギムレー』が本気でルキナを殺そうと思っているならば、殺せる瞬間など幾らでもあった。

 それなのに。

『ギムレー』は一切その機会には攻撃しないのだ。

 必ず、ルキナが避けるか防ぐ余裕があるタイミングでのみ、攻撃してくる。

 

 態と甚振っているだけなのかもしれない。

 ここまで手加減されていても尚、傷一つ付けられない事に絶望させようとしているのかもしれない。

 

 だけれども。

『本当にそうなのか?』と。

 疑問がルキナの胸の内を支配していく。

 

 ルキナを絶望させたいのなら、そんなまどろっこしい手段など、取るのだろうか? 

 もっと圧倒的な力を見せ付けることだって……、『ギムレー』が人智を越えた存在である事を考えれば容易い筈だ。

 ならば、何故? 

 何か、別の目的があるのだろうか……? 

 

 考えた所で答えなど出る筈もなく、それを目の前の『ギムレー』に問える筈もない。

 だが、考えれば考える程、不可解な程の疑問と違和感が噴出してくるのだ。

 それと同時に、何かを叫び訴え続ける胸の『虚ろ』が、ルキナの意識を揺さぶってくる。

 

 分からない。

『ギムレー』が、何をしようとしているのか、何をしたいのか、が。

 ルキナには、分からないのだ。

 

 思考がそんな風に疑問と違和感に支配されていても、身体は最早無意識に動き続けていた。

 

 

 ── 『僕』は貴女を、何があっても、守ります

 

 ふと、脳裏に『誰か』の言葉が響く。

 

 ── 『何者』にも、貴女を傷付けさせたりはしない

 

『誰か』の温もりが、ルキナの心をそっと撫でる。

 

 ── 『僕』が、『僕』である限りは、絶対に

 

『誰か』の微笑みが、『虚ろ』の奥底に朧気に浮かぶ。

 

 ── 『僕』の全てを賭けて、貴女を守ります

 

『誰か』が遺した想いが、ルキナの心を震わせる。

 

 

 その時。後退した『ギムレー』が僅かに、対峙している者でなくては分からない程微かに、体勢を崩した。

 そして、それを認識した瞬間に。

 最早思考がそれを命じるよりも先に、身体は、動く。

 

 

 ── だから……、さようなら、『僕』の最愛の人よ

 

 

 そして……。

 ファルシオンの切っ先は。

 過たず『ギムレー』の身体を貫いた。

 その途端に『ギムレー』は苦悶の声を上げる。

 

 ルキナは、『ギムレー』に致命傷を与えた。

 自らに課せられた『使命』を『希望』を、果たした。

 

 だが、そんな事は。

 ルキナにとっては、最早どうでも良い事であった。

 

『虚ろ』であった場所が、そこにあったモノが、そこに居た存在が。

 一気にルキナの思考を支配する。

 

 思わずファルシオンを手離してしまったルキナに倒れ掛かる様にして、『ギムレー』が……いや、『ロビン』が。

 ルキナの、何よりも大切な人が──地に、膝を付いた。

 

 

「ぐっ…………。抜かった、か……。

 忌……いましき、聖王め……。

 一度、ならず、二度までも……」

 

 

 そんな、口では呪詛の様な言葉を紡いでいるのに。

『彼』の目は、とても穏やかで……。

 それは、『ロビン』の。

 ルキナだけの軍師の、ルキナの『半身』のそれと、全く同じで。

 

 ルキナはその瞬間に何もかもを忘れて、『彼』の身体を抱き締めた。

 

 

「どうして、どうして、ロビンさんが……」

 

 

 何でこんな事に、どうして? 

 どうして、自分は。

 ロビンの事を忘れていたのだ? 

 どうして、思い出せなかったのだ? 

 

 

 せめて、せめてこの剣が『彼』を貫く前に思い出せていれば、こんな事には──。

 

 ルキナがその名前を呼んだ事に驚いたのか。

『彼』は一瞬呆気に取られた様にルキナを見たが。

 直ぐに哀しそうな、寂しそうな、そして何処か……幸せな程に嬉しそうな。

 そんな優しい目をして、ルキナの頬を優しく撫でた。

 

 

「あぁ……、何で、こんなタイミングで。

 記憶が、戻ってしまったんで、しょうね」

 

 

 その時。

 ルキナは、ロビンの身体がサラサラと砂の様に端から崩れていっている事に気付いてしまった。

 

 

「困った、なぁ……。

 貴女を、哀しませたくないから。

 そんな顔を、して欲しくなかったから……。

『僕』は、記憶を持って行った、筈だったのに……」

 

 

『彼』の胸は、ファルシオンに貫かれたままだ。

 本来ならば、話す事も辛いのかも、しれない。

 それなのに。

 涙の向こうに曇る『彼』は、困った様に優しく微笑んで、自分を抱き締めるルキナの背をあやす様に撫でる。

「『僕』にはもう、記憶を封じる力も、残っていないから……。

 その記憶を……持って行く事は、出来ませんが」

 

 だから、どうか。と、『彼』は優しく囁いた。

 ……それは、優しい……だが何よりも残酷な【呪い】だ。

 

 

「『僕』の事は、忘れて下さい……。

 貴女は、ロビンなんて名前の軍師には、出逢わなかった。

 そして、世界を、滅ぼそうとした、邪竜を、討ち滅ぼした。

 それで、良いんです」

 

 

 サラサラと崩れ行くその身体を、どうする事も出来ずに。

 ルキナはただ看取る事しか、出来ない。

 

 

「ナーガは、『ギムレー』を滅ぼす事は、出来ない、と……」

 

 

 そう、呟くと。

『彼』は優しく微笑んだ。

 

 

「確かに、ナーガの力だけでは、『ギムレー』は、滅ぼせない。

 ですが、『僕』自身が、それを望めば、そしてそこに、ナーガの力が、加われば。

『ギムレー』は、無に消える。

 もう、二度と、甦りません」

 

 

 そして、止まらぬ涙に頬を濡らすルキナを。

 優しく抱き締め返した。

 

 

「『僕』は、『ギムレー』なんです。

 紛れもなく、『僕』は、『ギムレー』以外には、なれない。

 だから、貴女が、気に病む必要なんて、何処にも、無い。

 貴女は、正しい事を、した。

 世界を、絶望から、救ったんです、から」

 

 

 でも、と『彼』はルキナだけに聞こえる様に、その耳元で囁いた。

 

 

「だけれども。ルキナさん、貴女を想うこの気持ちは、『僕』だけの、ものでした。

 それだけは、『本当』なんです。

 貴女が居てくれたから、『僕』は『僕』で、居られた……」

 

 

 有難う、とそう微笑む彼の左手は。

 もう解ける様にして消えてしまっていて。

 

 何が起きたのか、どうしてこうなったのか。

 ルキナは何一つとしてまだ理解出来ていないのに。

 

 待って、と。逝かないで、と。

 その手を掴む事も、もう出来ない……。

 

 

「もしも、『僕』が、『ギムレー』では無かったら。

 貴女と共に、生きて行ける、存在だったのなら。

 ずっと、その傍に、居られたのでしょうか……」

 

 

 そうだったら良いのにな、と夢を見る様に呟いた彼は、瞬きの間にすらもう消えてしまいそうで。

 

 そして、辛うじて残っていた右手で、ルキナの頭を優しく一度だけ撫でた。

 

 

 

「さようなら、ルキナさん。

 どうか、貴女の、未来に。

 幸多からん事を──」

 

 

 その言葉だけを、その想いだけを。

 優しくて残酷な【呪い】をルキナに遺して。

 

 

『彼』は。

 この世界から、その欠片一つ残す事なく完全に消え去った。

 

 

 後に残されたのは。

 

 呆然と、彼が確かに居た場所を掻き抱きながら涙を溢すルキナと。

 彼が確かに存在していた筈の場所に落ちた、曇りなき刀身を耀かせたファルシオン。

 そして気を失っているが故に、二人のやり取りを何一つとして知らぬ仲間達だけであった。

 

 

 こうして、世界は救われたのだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 あの戦いの後、イーリス王都へと帰還したルキナは。

 救世の英雄であると、悪しき邪竜を討ち滅ぼした救世主であると。

 そう、人々に奉り上げられた。

 仲間達と共に、復興に尽力するルキナに寄せられるそれは、日に日に大きくなっていって。

 それは、熱狂とも狂信とも言える程のモノになっていた。

 

 あの戦いの真実を、ただ一人知っている当人からすれば。

 英雄などと奉られるのは酷く居心地が悪く。

 そして、自身を讃えるその声が。

 耐え難い程に、苦痛であった。

 

 ……幾度、違うのだ、と。

 そうルキナが声を張り上げたくても、それは誰にも届かず、届ける事すらも許されない事で。

 

 忘れられないのに、忘れたくなんて、ないのに。

 ルキナはまるで、『ロビン』の事など知らなかったかの様に振る舞う事しか出来なかった。

 それは、『彼』の最後の【呪い】通りで。

 ……そしてそれが、どうしようも無い程に、哀しい。

 ……一体、『ロビン』は何を想っていたのだろう。

 何を想って、『彼』はルキナの傍に居たのだろう。

 何を想って、ルキナから記憶を奪ってまでその傍を去ったのだろう。

 そして、その最期に。

 何を想って、逝ったのだろう……。

 

 …………。

 この世の何処にも居ない人の心の内など、最早誰にも分かりようが無い事だ。

 それでも、きっと。

 

『ロビン』が最期に伝えた言葉は、その想いは。

 きっと、紛れもなく真実だったのだ。

『ギムレー』だったにせよ、『ロビン』は心からルキナの事を、想っていた。

 傍に居たかったのだと、そう想ってくれていた。

 

 ……それなのに。

 

 …………ルキナは、『ロビン』のその想いに何も返せないまま、『彼』を逝かせてしまったのだ。

 消える瞬間の『彼』は。

 ルキナの目に映った『彼』は。

 満足そうに、幸せにそうに、微笑んでいたけれど。

 

 

「私、は…………」

 

 

 貴方に、ずっと、共に在って欲しかったのだ……。

 

 最早伝える術など無いその想いを、届く筈などない祈りを、永久に叶わぬその願いを。

 それでも忘れる事など出来ずに抱いたまま。

 もう二度と逢えぬ人を想って。

 ルキナは独り、満天の星空を見上げた。

 

 あの日『ロビン』と見上げた夜空と違って、星々はこんなにも輝いているのに。

 それなのに、こんなにも寂しい。

 この傍らに、貴方が居ない事が、何よりも哀しい。

 もう記憶の中にしか存在しない『彼』に、何度も何度も手を伸ばすが、その手が『彼』に届く事はない。

 

 忘れて欲しい、と。

 幸せになって欲しい、と。

 

『彼』が最後に遺した優しい【呪い】が、少しずつルキナの心を包む様に、記憶の中の『彼』の姿を隠していく。

 それでも、決して忘れる事など出来ないから。

 忘れたくなど、ないのだから。

 せめて『彼』の存在だけは、その名だけでも、最期まで忘れずにいられる事を願いながら。

 

 

 

 月と星が見守る中、ルキナは『彼』の名を呼びながら独り涙を溢す。

 

 

 

 それだけが、彼女以外の誰にも知られずに消えた『ロビン』への、手向けであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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