『王女の軍師』【完結】   作:OKAMEPON

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第三話・A『星灯無き夜に誓う』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ギムレーが甦ってから、夜の空から星々は姿を消してしまった。分厚い雲に覆われて陽の光が十分には届かない為昼間ですら何処か薄暗い世界では、夜になると灯された明かりの近く以外では何も見えなくなってしまう程の深い闇が世界を支配する様になっていた。

 そんな闇の中でも屍兵達は変わらず蠢き、無力な人々を襲っていく。こんな絶望の中では、人々は陽が射さぬ夜明けを生きて迎えられる様に祈りながら、死と隣り合わせの眠りの中で闇の終わりを震えて待つしか無い。

 

 そんな星も月も何も見えない闇夜を、篝火だけが頼り無く照らす野営地でルキナは一人見上げていた。

 ふと、背後から草を踏み分けながら近付いてくる足音が聞こえてくる。だが、ルキナは振り返らない。

 何故なら、その足音の主が自分を害する事など有り得ない、と。そんな全幅の信頼を彼に預けているからだ。

 

 

「ルキナさん、どうかしましたか? 眠れないのですか?」

 

 

 そう声を掛けられたルキナは、星明り無き夜空から背後の彼──ロビンへと視線を移した。揺らめく篝火に照らされたその顔は、ルキナに何時も向けている優しい微笑みを湛えて。

 その右手には温かな湯気を立ち上らせたマグカップが一つ。

 

 

「ええ、少しだけ夢見が悪くて……」

 

 

 そうは言うものの、父が命を落とし世界が絶望に包まれた日からルキナが悪夢を見ない夜は無かった。

 父が帰って来なかった日の夢、父が屍兵となってルキナ達を襲ってくる夢、仲間達が皆命を落とす夢、人々が死に絶えた世界にただ一人取り残される夢…………。

 狂いそうな程の悪夢や、そんな悪夢よりも凄惨な現実ばかりを見続けてきた所為か、最早今更悪夢の一つや二つ程度はどうとも思えなくなってきていたのだけれど……。

 だけれども、ここ最近見る様になってきた悪夢は、今まで見てきたそれらの中でも一等悪いものであると言えるだろう。

 …………ここ最近は、ロビンが命を落とす所をただ見ているしかない夢や、ロビンがルキナを置いて何処かへ去ってしまう夢ばかり見ていた。

 

 それらはただの夢、ただの悪夢であるとは分かっているのだけれど。眠る度にルキナを苛むそれらは、少しずつルキナの心を磨り減らす。……だから、眠る事が怖くて。

 ルキナは一人天幕を抜け出して、誰もが寝静まった野営地で、星一つ見えない夜空を見上げていたのだ。

 

 そんなルキナをロビンは心配そうに見詰めて。

 そして、そっと。

 その右手に持っていたマグカップを差し出してきた。

 

 

「これ、良かったらどうぞ。

 身体と気が休まる様に調合した特製の薬湯なんです。

 蜂蜜と果実で味付けしたので、飲みやすいと思いますよ」

 

 

 差し出されたマグカップを反射的に受け取ったルキナは、驚いてロビンの顔を見やった。

 食料自体が絶対的に不足し誰もが餓えているこの絶望の世界では、蜂蜜も果実も、どちらも貴重品だ。

 

 一応は王族であり食料に関しては優遇されているルキナでさえも、滅多に口に出来るモノでは無い。それを惜しみなく贅沢に使った物を、こんなにも気安く渡されては、どう礼を言って良いものか分からず、ルキナは戸惑うしか無かった。

 

 

「蜂蜜と果実は、今日助けた村の方からお礼に頂いた物です。

 ルキナさんと僕に、との事でしたので、気にせずに頂いてしまいましょう」

 

 

 そう言ってロビンは柔らかく微笑んだ。

 ……そう言われてしまっては、遠慮するのも失礼と言うもかもしれない。「ありがとうございます」と礼を言って、ルキナは薬湯に口を付けた。

 薬湯と言う事で多少の苦味は覚悟していたが、蜂蜜と果実で味付けしたとの言葉通りに、優しくスッキリとした甘い味で、とても飲みやすかった。

 マグカップの半分程飲んだ時には、悪夢の名残で冷たく強張っていた身体は温かく解され、強い不安に昂っていた心は穏やかさを取り戻していた。

 

 ルキナの顔色が良くなったのが分かったのだろう。

 ロビンは嬉しそうに笑った。

 

 

「良かった……。ルキナさんが最近あまり眠れていなさそうでしたので、心配していました。その様子なら、きっと今晩はもう悪い夢を見ずに安らかに眠れますね」

 

 

 ロビンのその心遣いが、ルキナに向けられた優しさが、ルキナの心に沁み渡る。

 ポカポカと、温かなモノが心と身体を満たしていく。

 

 

「ルキナさんは、何時も皆さんの為に……この世界の未来の為に、頑張り過ぎてますからね……。

 きっと、中々気が休まらないのでしょう。

 だけど、少しは我が儘を言っても良いのですよ? 

 他の人に言えないのなら、僕にだけでも。

 何もかもをそんなに背負い過ぎていては、何時か貴女は壊れてしまう……。だから、どうか。

 貴女が背負うモノを、僕にも背負わせて下さい。

 だって僕は、貴女の軍師なのだから……」

 

 

 そう言ってロビンは、右手で優しくルキナの頭を撫でた。

 その仕草があまりにも自然で……とても懐かしくて。

 幸せだった幼いあの日々に、ほんの一瞬だけでも戻れた様な気がして……。それでも、もう二度とは戻れず取り戻すことも叶わないあの『幸せ』とは少しだけ違うものだった。

 ルキナはこの幸せをもう二度と忘れない様に……噛み締める様に、目をそっと閉じる。

 

 

「あっ……! す、すみません、つい……」

 

 

 半ば無意識での行動だったのだろうか? 

 ルキナの反応を見て、ロビンは慌てて撫でる手を止めて離そうとする。だけど、そんなロビンに。

 

 

「あ、あの……。

 もっと、このまま……撫でてくれませんか……?」

 

 

 と、思わずルキナは頼んでしまった。

 

 言った途端にあまりにも子供っぽい事を言ってしまった事に気付いてルキナは気恥ずかしくなって顔が熱くなってきてしまったのだけれど、口から出てしまった言葉を取り消す術などこの世には無い。ルキナの『お願い』に、ロビンは少し驚いた様に目を丸くしたが。

 直ぐ様優しく頷いて、再びゆっくりと撫で始める。

 優しく温かなロビンのその手は、幼いルキナを褒めてくれた記憶の中の父の大きな手のそれに似ている様で、でももっと違う人のそれによく似ていて…………。

 胸が痛くなる程の懐かしさを、何故かルキナは、ロビンが撫でるその手に感じていた。

 不思議な懐かしさにルキナが暫し目を閉じていると、ロビンは優しく囁く様にルキナへと語りかける。

 

 

「ふふっ……貴女にこんな『お願い』をされると言うのも、悪くはないですね。

 ……ルキナさんは何時も頑張ってます。

 僕が戦えるのも、ルキナさんが傍に居てくれるからですよ。

 何時も、有り難うございます」

 

 

 ロビンの言葉は、優しくルキナの心を包む。

 温かな掌が、ルキナの心の深い場所に刻まれた傷を、そっと癒していく。でも、とロビンは呟く。

 その声には、幾許かの哀しみと痛みが混ざっていた。

 

 

「貴女は……傷だらけになってでも、誰かを、何かを守ろうとしてばかりで……。

 ……僕は、貴女を守れているのでしょうか……? 

 貴女の、力になれているのでしょうか……? 

 こんな小さな事ででも、少しでも貴女を支えられるのなら。

 それが、僕にとっては何よりもの幸いなのです」

 

 

 一通り優しく撫でられてからその手が再び離れた時は、一抹の寂しさこそ感じたもののルキナは自重した。

 だが、僅かに表情が曇るのは抑えられなかった様で。

 

 ロビンはそんなルキナの思いを汲み取ってか、「少し話をしましょうか」と微笑みかける。

 それを断る理由など無くて、ルキナは頷いた。

 

 二人して、野営地にあった篝火に照らされた切り株に座る。

 星明かり一つ無い夜闇の中。ユラユラと揺らめきながら頼り無く闇を散らす篝火に照らされたロビンの眼差しは、光の加減によって深い陰を落としていた。

 紅い瞳が焔の揺らめきを映して、燃える様に輝く。

 そんなロビンを見詰めながら、さあいざ話をしようとして。

 ルキナは急に言葉に詰まってしまう。

 思えば、ロビンとは今まで沢山話してきたけれども、その多くは戦に追われる日々の中のもので。

 こんな穏やかにも感じられる時間で何を話せば良いのか、ルキナには何も分からなかった。

 話したい事や聞きたい事は沢山ある筈なのに、言葉はグルグルと心の中で出口を見付けられないままに、確たる形もなく彷徨うばかりだ。

 言葉に詰まり迷ってしまっているルキナを見詰めて。

 ロビンは優しい笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

 

「じゃあ、ここは僕から一つ。

 もし世界が平和になったら……。

 ルキナさんは、何をしたいですか?」

 

 

『世界が平和になったら』。

 そうロビンに言われて、ルキナはそこで初めて。

 自分が全く……平和になった世界というものを今だかつて想像した事が無く、それどころか、想像しようとしても全く出来ない事に気が付いた、気付いてしまった……。

 

 この絶望の世界を終わらせたい、人々を救いたいと願いながらも、その実、ルキナにはその光景を全く思い描く事が出来ないのだ。ルキナは確かに平和だった頃を、幸せだったあの幼い日々の事を、確かに覚えている筈なのに。

 それなのに。ルキナにとって『平和な世界』とは、言葉だけが頼り無く存在するものであり、絵に描かれた空想よりも非現実的なものにすら感じるものであった。

 それをハッキリと自覚して、ルキナは愕然とする。

 

 何と言う事だろうか。……ルキナは、世界を平和にすると、人々を救うのだと、そう口で言い続けそれを実現させる為に戦い続けていると言うのに。

『それ』が叶うなど、微塵も考えていなかったのだ。

 

 今日を生き抜く事すら容易には叶わぬ終わりの見えない戦いの中、刻一刻と滅びの足音が迫り来る中で、『平和になった世界』だなんて、何時訪れるかも分からぬ遠い未来に思いを馳せる様な余裕は無かった。

 だが……辿り着くべき未来すら思い描けぬと言うのは、余裕の有る無しなどの問題ではない。

 かつて幼いあの頃は、ルキナも確かに幸せな『平和』の中に居た筈なのに。

 それを取り戻したくて今も戦い続けていた筈なのに。

 過ぎ去ったあの日々に戻る術などとうに無く、幸せな思い出は何時しか擦り切れ色褪せていて。

 ……最早自分の人生で『戦い』が無い瞬間を、ルキナは全く思い描けなくなっていたのだ。

 絶望が終わる瞬間を、『死』と言う形以外でそれから解放されるその未来を、……『希望』を、ルキナは何時しか喪っていたのだ。

 

 なんと皮肉な事であろうか。

『最後の希望』として人々の『希望』を一身に託された自身が、自分の『希望』を喪っていたのだから。

『平和な世界を』と謳いながら、その世界すらも想像出来ないのだ。

 妄執にすらも満たないものに縋って、今までルキナは戦い続けていたのだ。

 これでは今まで何も成せなかったのは当然ではないか……と、ルキナは至らぬ自分を責めた。

 が、自責に沈みそうになるルキナの意識を、膝上で固く握りしめられたその拳を包む様に重ねられた優しく温かな手が引き上げる。

 ふとルキナが顔を上げると、ロビンが真剣な眼差しをルキナに向けていた。

 

 

「ごめんなさい、ルキナさん。

 僕が、軽率にこんな事を訊ねてしまったから……貴女を、追い詰めてしまった……。

 貴女は、『未来』を……『これから』すらも考えられない程に……追い詰められていたのですね……。

 でもどうか、そんなに思い詰めないで下さい。

 例え今思い付かないのだとしても。今は何も思い描けないのだとしても。

 今ここから考えていけば良いんです。

 僕は、……僕だけは。

 何があっても、貴女の傍に居ますから」

 

 

 そうルキナを心から想って語り掛けるロビンの目に、ほんの僅かに痛みや哀しみを堪える様な色が走った。

 だがそれはたった一瞬の事で、見間違いかと、ルキナはそう思ってしまう。

 

 そして、そんなロビンを見て。

 ふと、ルキナの胸に、『平和になった未来』で叶えたい『願い』が一つだけ生まれる。

 

 それは、どんな世界になるのか分からない『未来』でも、絶対に叶っていて欲しい『願い』で。

 ロビンが居なくては、叶わない『願い』であった。

 

 だからルキナは、やっと生まれたその『願い』を無くさない様に。

 改めてロビンに向き直った。

 

 

「……『平和な世界で何がしたいか』、とは少し違うかもしれませんが。

 でも、私にも叶えたい『願い』が、見付かりました。

 私は……。

 私は、平和になった世界でも、貴方と一緒に居たい。

 戦う必要が無い世界になっても、貴方には、ずっとずっと……私だけの軍師であって欲しい。

 ……それが、私の『願い』です」

 

 

 その『願い』を聞いたロビンは、驚きからか一瞬目を丸く見開く。

 そして、目元を緩ませつつ苦笑した。

 

 

「平和な世界には、軍師なんて本当は必要無いとは思うのですが……。

 ……でも、それも良いですね……。

 僕も、ルキナさんと、ずっと一緒に居たいです。

 それに、僕は貴女の軍師だ。

 貴女が望む限り、ずっと傍に居ます」

 

 

 ロビンのその言葉に、ルキナは湧き上がる様な嬉しさから思わずはにかんだ。

 ルキナが一方的に求めるだけでは無くて、ロビンもまた、ルキナと共に在る事を望んでくれている。

 それは、ルキナにとってはこの世の何よりも幸せな事であった。

『平和な世界』はまだまだ遠くても。

 それでも、ロビンがずっと一緒に居てくれるのなら。

 きっと、何時かはそこに辿り着けるのだろう。

 漠然としていて何処かうっすらと恐ろしさすら感じていたその『未来』も、今はもう何も恐くない。

 だって、どんな世界でも、そこにロビンが……ルキナだけの彼が居てくれるのなら。

 そこは間違いなく『幸せ』を見付けられる世界なのだから。

 

 

「では、改めて貴方にお願いします。

 ロビンさん、ずっと私の傍に居て下さい。

 それが、私の心からの、たった一つの『願い』です」

 

 

 ルキナの言葉に、ロビンは優しく微笑んで恭しくルキナの右手を取って軽く口付けた。

 

 

「誓いましょう。

 僕は、貴女を離さない。

 ずっと貴女の傍に居ます。

 如何なる時も、何があろうとも。

 それが僕の望みでもあり、貴女の願いでもあるのだから」

 

 

 熱を帯びた様なルキナの視線と、穏やかで静かなロビンの視線が絡み合う。

 篝火に照らされたロビンの紅く輝く瞳は、優しさを湛えながら、ゆらゆらと揺らめく光によって闇夜よりも尚濃く深い影を落としていた。

 

 

 夜闇は深く、かつては道に迷った人々を導いていた星の明かりすらも見えない。

 そんな闇に閉ざされた様な、頼り無い灯りだけが人々を見守る夜に。

 篝火に焼べられた薪が爆ぜる音だけが時折静かに響く中で、揺らめく光が仄かに写し出す二人の影は、ゆっくりと一つに重なるのだった…………。

 

 

 

 

 

 

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