『王女の軍師』【完結】   作:OKAMEPON

5 / 18
END①【終焉の果て】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「私、は……。

 ……自分が背負ってきたモノを、捨てる事は……出来ません……。

 託された『想い』や『願い』を……、私は……背負い続けるでしょう……。

 きっと……。

 その『使命』を果たし終えるか、この命が尽き果てるその時まで……」

 

 

 ルキナは迷いつつも、そう答えた。

 迷いはある。

 喪いたくない『願い』を秤に掛けて尚、それでもそれを撰ぶのか、と。

 そう問い続けてくる己の心がある。

 身を縛る枷にすらなっているモノを捨てて、『願い』を選べれば、と。

 そう思ってしまう自分も居る。

 

 だが、しかし。

 選ばなくてはならないのなら。

 ……それが何れ程ルキナには重い枷であるのだとしても、そしてその為に……自分の『願い』を捨てなければならないのだとしても。

 それでも……。

 

 今ここにあるルキナを形作ったのは、今までルキナが背負ってきたモノ達だ。

 人々から託されたモノ、父より受け継いだモノ。

 それらは『希望』や『期待』……或いは『使命』と言う名でもあり、『国』と言った概念であったりもした。

 父が背負ってきたモノでもあり、ルキナが何れ誰かに託すその日まで背負い続けるべきモノ達だ。

 例えそれが今にも押し潰されてしまいそうな程に、重い枷なのだとしても。

 何時かルキナと言う人間そのものを磨り潰すかの様な『希望』であっても。

 それでも、他の誰でもなくルキナが託されたのだ。

 故に。

 ……それを自ら捨ててしまう事は、何があっても、例え何を対価に差し出さねばならないのだとしても、……ルキナには出来ない、選べない。

 

 ルキナのその答えに、ロビンは静かに目を閉じた。

 

 

「……ルキナさんらしい、ですね」

 

 

 静かにそう言って、再び目を開けた時には。

 先程までの何処か呑み込まれてしまいそうな雰囲気は、幻であったかの様に霧散していて。

 何時もの様な、穏やかで温かな眼差しで、ロビンはルキナを見詰めている。

 

 

「……僕は、貴女がどんな選択をするのだとしても、貴女の『望み』を叶えます」

 

 

 僕は、貴女だけの軍師ですから。と。

 ロビンは優しい微笑みをルキナに向けた。

 それは、何時も通りの……、何よりも愛しい笑顔で。

 ロビンを傷付けてはいなさそうな事に、何故かホッとして。

 ルキナは漸く胸を撫で下ろす。

 

 そんなルキナをロビンは優しく見詰め、そして。

 その髪を優しく梳う様にして掬い上げた。

 そこにキスを一つ落とし、ロビンはルキナの耳元で囁く。

 

 

「そんなに心配しなくても、これはただの『もしも』の話ですよ。

 でも、ルキナさんの想いを知る事が出来て、何よりです」

 

 

 ですが……、と僅かばかりロビンその目が曇った。

 哀しみすらをも内包したその眼差しで、ロビンはルキナを見詰める。

 

 

「ルキナさんが背負うモノが、貴女の『願い』を殺してしまうのだとしても尚、貴女がそれを背負い続ける事しか選べないのは……。

 少しだけ、哀しいです。

 自分の『願い』すらも自由に持てないのなら。

 ……貴女の意志は、心は、何処に在れば良いと、言うのでしょうか……」

 

 

 ……ルキナは、自ら背負うモノを捨てられはしない。

 例えその生き方が、人々の『希望』に縛られた、操り人形の様な生き方なのだとしても。

 ルキナはそれを背負い生きていく事を選ぶであろう。

 そこに、ルキナに『希望』を託す者が居る限り。

 ルキナがルキナである限りは、その生き方を変えられない。

 それを憐れだと、そう思う事も出来るのだろう。

『希望』と言う名の枷に縛られた奴隷の様だとも、そう感じる瞬間が無いとも言わない。

 しかしそれでも、託し託されて繋がる命の環の中にある者として、そしてそれに生かされてきた者としては、自らが背負うそれを捨て去る事など……やはり出来ないのだ。

 ルキナが背負わねばならぬ物は、確かに他の者が背負うそれよりも重く……故に苦しみもがいてきた。

 それでも、自らが負うべきその責から……重みから、逃げ出し背を向ける事は出来なかった。

 逃げる事は罪ではないのかも知れないが、人々の『期待』がそこにあったにせよ、どれ程苦しくともそこに踏み止まる事を選び続けたのは、結局はルキナ自らの意志である。

 だからこそ、何がその片側の天皿に載せられているのだとしても、選ばねばならぬというのであれば、やはりルキナはそれを選んでしまう。

 それこそが、ルキナ自身の『矜持』であるのだから。

 それに……。

 

 例えルキナ一人だけなら自らの『願い』を捨てねばならないのだとしても。

 ルキナは独りでは無い。

 

 

「でも、私にはロビンさんが居ます。

 だから、きっと、大丈夫……。

 貴方が私の『願い』を拾い上げてくれるのなら、私はきっと自分の『願い』を殺す事無く抱え続けていられる。

 そう、私は思います」

 

 

 その言葉に、ロビンは少し驚いた様にルキナを見て。

 「そうですね」と優しく微笑んだ。

 そして。

 

 優しくルキナを抱き寄せて、そのまま首筋に優しい口付けを残す。

 ルキナもまた、それに応える様に口付けを返した。

 二人は見詰め合い、どちらからと言う訳では無く、互いの唇を優しく愛で満たす様に塞ぐ。

 

 愛し合う恋人達の夜はそうやって更けて行き、そしてまた、厚い雲に覆われ陽の光を奪われた朝がやって来た。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 何故だか寒いと感じて、寝起きであるが故に朧気なルキナの意識はゆるゆると覚醒に向かった……。

 朝は何時も愛しい温もりの中で目覚める筈なのに。

 朝が寒いなんて、ロビンと結ばれてから一度も感じた事が無かったのに……。

 何故……? とぼんやりと考えながら、ルキナは傍らに在る筈の温もりを手探りで捜す。

 だが、何時もなら直ぐそこに在る筈の温もりは何処にも無く、冷えたシーツの手触りが返ってくるだけで。

 そこでルキナは、眠りに落ちる寸前には確かに傍らにあった温もりが、……何処にも無い事に気が付いた。

 言い様の無い不安に襲われたルキナは、寝惚け眼ながらも起き上がり、辺りを見回す。

 

 

「ロビン、さん……?」

 

 

 声を掛けても、静寂の中にルキナの声が響くのみで。

 ……ルキナを何時も包み込んでくれるその声が返ってくる事は、……無かった。

 

 居ても立っても居られない程の激しい不安に襲われ、ルキナは寝台から飛び出して、ロビンの姿を探す。

 

 だが……何れ程探しても、ロビンの姿は何処にも見付からなかった。

 ……それ処か、ロビンの私物も、その殆どが彼と共に忽然と姿を消していて。

 

 

 

 

 そうやってロビンは、ある日突然に。

 ルキナの前からその姿を消してしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 ロビンが突如居なくなってから、もう二週間も経ってしまっていた。

 

 イーリスの『希望』とまで謳われた二人の内の片翼が喪われたともなれば民に与える影響は計り知れない。

 故にロビンが忽然と姿を消した事は一部の兵達を除いて箝口令が敷かれ、今はまだ多くの人々はその事実を知らない。

 そしてロビン捜索の密命を帯びた一部の将兵が手分けしてロビンの行方を追ったが、何一つとして手懸かりを得られなかった。

 

 ロビンの存在を厭う何者かの手に落ちたのか、或いは自らの意志でルキナの元を去ったのか。

 それは、誰にも分からないが……。

 ルキナにとっては、最愛の軍師が自分の傍に居ないと言う事だけが絶対の事実である。

 

 ロビンが消息を絶って一週間程が経った時には、ルキナは窶れ果てていた……。

 

 どうして、と。

 幾度そう思ったのだろう。

 何処に行ってしまったのか、と。

 幾度そう思ったのだろう。

 

 ロビンは、確かにルキナの傍を離れないと、そう誓ってくれたのに……。

 自分は、また……喪ってしまったのか、と。

 ルキナはそう思い悩み続け、食事もロクにとれず、眠る事も出来なくなってしまっていた。

 

 ロビンが居た場所に、突如大きな虚ろが生まれてしまったかの様で。

 目に映る何もかもが虚無的にすら、感じられる様になってしまっていた。

 

 ロビンが傍に居てくれるだけで彩りが甦って見えた世界は、最早灰色を通り越して色すら喪い。

 それでも尚ルキナの耳に届く人々の『願い』が、酷く耳障りにすら聴こえてきてしまう。

 

 ロビンの声を聞きたい、ロビンに名前を呼んで欲しい、ロビンの微笑みが欲しい、ロビンにただ傍に居て欲しい……。

 だが幾らルキナが願えども、ロビンがその傍に居ない事実は変わらず。

 その度に、その現実に打ちのめされる。

 

 夢の中でならロビンが傍に居るのに、目覚めてしまえばその姿は何処にも無い。

 ルキナは次第に夢から起きる事が、怖くなってしまった。

 ロビンの温もりが何処にも無い朝が、ロビンが何処にも居ない現実が、それを実感する事が……辛くて。

 

 それでも、ルキナは進まなければならない、戦わなければならない。

 戦い進み続ける事こそが、ルキナに課せられた『使命』なのだから。

 ルキナは、人々の『希望』なのだから…………。

 

 生きていく為に必要な全てに限界を迎えていても、その使命感に縋る様に、ルキナは何とか生きていた。

 もう気力も何もかもが尽き果てた身体を、ただ使命感による惰性に引き摺られる様にしながら、今日も先の見えない戦いを続けている。

 

 

 

 久方振りに、屍兵が大規模な集団を組織しているらしい、との情報がルキナの元に届けられた。

 ……ロビンが、傍に居た時は。

 屍兵の集団が膨れ上がるよりも前に、それを事前に察知しては屍兵を掃討して、被害の拡大を抑えてくれていた。

 だが、ロビンが何処かに去ってからは、どうしてもそんな所までは手が届かず。

 屍兵が群れを成す事を許してしまっていたのだ。

 

 …………。

 相手となる屍兵の数が増えれば、それだけ犠牲となる兵も増える。

 薬も治療の杖も、何もかもが足りないこの世界では。

 治療の杖が、薬さえあれば助かったであろう命ですら、見捨てなければならない。

 それ所か、屍兵となって甦るのを阻止する為にも。

 その遺体は灰になるまで焼くのが、決まりである。

 仲間の遺体に縋り泣く時間すら許してやれない。

 一体この戦いで、何れ程の兵が犠牲となるのだろうか……。

 陰鬱たる想いを抱きながら辺り一面に蠢く屍兵を睨み付け、ルキナが戦闘開始の号令を出そうとしたその時だった。

 天馬に跨がり空から戦場を遠く見渡していた哨戒兵が、緊急事態を知らせる笛をけたたましく吹き鳴らす。

 が、その直後。

 まだ誰もが、何が起きたのかを理解する事も出来なかったその瞬間に。

 

 世界が終わってしまうかの様な轟音が響き渡り、辺り一面を薙ぎ払った。

 

 それと同時に、夜でもないのに視界の全てが闇に覆われ、まるで突然大嵐の中に投げ出されたかの様な烈風がルキナの周囲に吹き荒れる。

 だが不思議と。

 ルキナには傷一つ付いてはいなかった。

 何も見えない闇と、耳が壊れそうな程の轟音の中で、ルキナは必死に兵達を呼ぶが、何も返ってこなかった。

 悲鳴すらも、だ。

 そんな世界の終わりの様な異常事態も、その大嵐の中に投げ出されていた時は何時間にも及んでいた様な気もしたが、恐らくは一分も無い程の僅かな時間で終息を迎えつつあった。

 轟々と空が唸る様な音が止むと同時に、辺りを覆い尽くす闇は次第に薄れ、ゆっくりとルキナの視界が開けていく。

 が、そこに広がっていた想像を絶する凄惨な光景に、ルキナは思わず息をする事すら忘れて絶句した。

 

 

 ルキナの周りには、『何も』、無かったのだ。

 

 

 森を抜けた草原一面に蠢く屍兵達と対峙していた筈なのに。

 ルキナ達は、森の中にあった古い砦を中心として、一個大隊による布陣を築いていた筈なのに。

 ルキナの周囲には、木々や砦どころか、草一つすら残っていない。

 ただただ、何も無い開けた大地だけが、ルキナの視界一面に何処までも広がっている。

 兵の、遺体すらも、欠片も残っていなかった。

 そこに何かが居たと言う痕跡すらも無い。

 最初から、屍兵も、兵達も、何も居なかったのではないかとすら、錯覚してしまう程だ。

 何が起きているのか、何が起きたのか、ルキナには理解出来ない。

 理解を超えた衝撃的な光景に立っている事すら出来ず、ルキナはその場にへたり込む。

 ガタガタと、抑える事も叶わず身体が震える。

 何故、ルキナだけ生き残っているのか。

 偶然なんて、そんな都合の良い事など起こり得ない。

 ルキナ以外の全てが影も形も残さず消し飛ばされているのに、ルキナだけが怪我らしい怪我するも無くこうやって無事である事が、何者かの作為でなくて一体何だと言うのだろう。

 

 神竜の加護? 

 まさか、そんな事は、有り得無い。

 神竜の力はそんな都合の良いモノでは無いし、第一そんな事が可能なら、そもそも父をむざむざと殺させはしなかっただろう。

 本当に神竜の力が万能であるならば、こんな絶望しか無い様な世界になんてならなかっただろう。

 

 ルキナはギムレーを討つ為にその力を求めている一方で、彼の存在が人間にとって全くの都合の良いものであるとは微塵も思っては居なかった。

 人を慈しむかどうかの問題ではなく、彼の存在は何の制約もなくその力を振るえるものでもないのだろう。

 絶望を直視し続けた結果、ルキナは神竜が全知全能の神では無いのだろうと結論付けていた。

 彼の神にも成せる事の限界は有るのだろう、と。

 何にせよ、ルキナただ一人が生き残ったのは、神竜の思し召しなどでは無いのだ。

 なら、一体何者なのか。

 その者が一体何の意図を持ってルキナだけを生かしたのか。

 ルキナの脳裏には、その答えとしてある一つの存在が導き出されていた。

 

 ……こんな事は最早人や屍兵などが成せる業などでは無い。

 処理能力の限界を超えた光景に、凍り付いた様に動きを止めてしまいかけている頭の片隅で、ルキナはそう思考する。

 これを成せる存在がいるのだとしたら、それは最早『神』としか言い様が無い存在なのだろう。

 ならば。

 この様な光景を産み出し得る存在、とは──

 

 

 

 世界を滅ぼさんとし、絶望を世界に満たした、彼の邪竜ギムレーに、他ならないのではないのか、と。

 

 

 ルキナ一人だけを生かした意図は、かつて初代聖王に討たれた事への復讐か、或いはまた別の意図があるのか……。

 幾ら神竜の牙に選ばれたのだとしても、所詮はただの人でしかないルキナには邪竜の真意など理解出来よう筈もない。

 何にせよ、ルキナの命運は、ここで尽きたと言っても過言では無いだろう。

 手の中のファルシオンには未だ神竜の力は宿らず、ルキナには邪竜を前にして、抵抗らしい抵抗をする術すら無いのだから。

 

 その人智を超越した圧倒的な破壊の力を目の当たりにして、ルキナは嫌でも理解してしまった。

 神竜の存在故にか今まで邪竜が直接イーリスに侵攻してきた事は無かったが。

 彼の邪竜がほんの少しでもその力を振るえば、人の身でそれに抗する事など不可能なのだと。

 ルキナはその事実を、理解してしまった。

 それと同時に、何時だって胸の中にあった反抗の意志や希望も潰えていく。

 最後の聖王を継ぐ者としては、何としてでも生き延びなければならない。

 神竜の力を得て、再び邪竜と対峙するその時までは、ルキナは死ぬ事すら許されないのだ。

 だが、逃げた処で何になると言うのだろう。

 神竜の力を得た処で、どうなると言うのだ。

 ファルシオンに神竜の力が蘇った処で、ルキナはただの人間でしかない。

 人間が立ち向かった処で、その吐息一つでルキナは跡形もなく消し飛ばされるだけだ。

 残酷な現実を直視してしまったが故に、最早この場から逃げ出そうとする気力すら、ルキナには残っていなかった。

 第一、逃げ出した所で逃げ切れる訳が無い。

 

 全ては、無駄だったのだと。

 自分が今まで必死に戦ってきて、その結果が、これだったのだと。

 最初から人間に勝ち目など無かったのだ。

 この絶望の世界でも、細々とながらも人間が生き延びて戦う事が出来ていたのは、ただの邪竜の気紛れでしかなかったのだ。

 一体、自分は何の為に戦ってきたのだろう。

 何の為に生きてきたのだろう。

 絶望の中で『希望』に圧し潰されそうになりながら必死にもがいて戦って、そして。

 こんな場所で、何も成せないまま、邪竜に嬲られて殺されるのが、ルキナの最期なのだと。

 そう思うと、乾いた笑いすら込み上げてきそうになる。

 尤も、声を上げて笑う事すら今のルキナには辛過ぎて、掠れた様な息が口から溢れるだけだったのだけれども。

 

 

 …………せめて、最期なのだとしても。

 自分の傍に、『彼』が居てくれたなら、と。

 ルキナの心に未練が灯る。

 

 

 ロビンが傍に居てくれたのなら、こんな事にはならなかったのだろうか。

 ロビンがここに居てくれたら、この胸の虚ろは満たされたのだろうか。

 ロビンが居てくれたなら……。

 死に行く運命が変わらないのだとしても、それでも。

 こんな虚ろな最期では無かったのではないか、と。

 

 どうしようも無い未練だった。

 ロビンはもう、ルキナの元を去ってしまったのだ。

 それを分かっていながらも傍に居て欲しいと願い続けるなんて、未練がましいにも程がある。

 だが、避け得ぬ死を前にしているからこそ、自分の気持ちを偽る事など出来ない。

 

 もし、あの夜に。

 違う答えを、ロビンに返していたならば。

 こんな事にはならなかったのだろうか? 

 ロビンは今も変わらずにルキナの傍に居てくれたのだろうか……? 

 

 後悔しても時は戻らない。

 時を戻す術はなく、選んだ道を『無かった事』にする事は例え神であっても不可能だ。

 あの時に違う答えを返していたのだとして、それでロビンが居なくならなかったと言う保証も何処にも無いのだろう。

 それは、分かっている。

 それでも、それがどうしようもない未練なのだとしても、ルキナはそう思わずには居られなかった。

 

 そうやってロビンの事を考え続けていたからだろうか。

 

 酷く聞き慣れた、探し求めていた……だけどそれと同時に。

 この状況でだけは聞きたくなかった、足音が。

 ルキナの背後から近付いてくる。

 

 

「ルキナさん」

 

 

 何よりも愛しいその声は、『何時もの様に』穏やかで。

 そして、この光景には何よりもそぐわないものであった。

 

 ぎこちなくルキナが振り返ったそこには、ロビンが。

『何時もの様に』穏やかな微笑みを浮かべて立っていて。

 離れていた時間など一瞬たりとも無かったかの様に。

 ルキナを、愛おし気に見詰めていた。

 そして、足腰が立たなくなってしまっていたルキナへと歩み寄り、跪いた彼は、心配そうにルキナの頬へと優しく撫でる様にその指先を触れさせる。

 

 

「ごめんなさい、ルキナさん。

 こんなに、窶れさせてしまって……。

 僕の、所為ですよね……。

 本当にごめんなさい……。

 貴女の傍を離れず、ずっと傍に居ると約束したのですが、その為にはどうしても先にやらなくてはならない事があったんです」

 

 

 こんな、こんな……。

 世界の終わりの様な光景を前にしても、そう語るロビンは『何時も通り』で…………。

 …………だからこそ、剰りにも『異質』であった。

 

 

「でも、大丈夫ですよ。

 もう、『全部終わらせて』来ましたから。

 だから、僕はずっとずっと、貴女の傍に居られます。

 もう、絶対に離れたりしませんから。

 だから、安心して下さい」

 

 

 ニコニコと穏やかに微笑みながら、そう嬉しそうに語るロビンに。

 ルキナは何とか絞り出した様な震える声で、問う。

 

 

「ロビン、さん……。

 貴方は、一体…………」

 

 

 何者であるのか、と──。

 その答えに、ルキナはもう辿り着いているのに。

 ……それを認めたくなくて。

 だって、ロビンは……あまりにも変わらなくて、『何時もの様に』優しくて。

 だからこそ『異質』で、でも、今目の前に居る彼は、ルキナの愛する『ロビン』その人で……。

 混乱し支離滅裂な思考は空回りするばかりだ。

 僅かに残された理性が辿り着いた答えを、他でもないルキナ自身の心と身体が拒絶した。

 それなのに、縋る様なその淡い妄想の様な願望は、儚くも砕け散ってしまう。

 

 

「僕は──『邪竜ギムレー』。

 人々からはそう呼ばれている者です」

 

 

 剰りにもあっさりと。

 一番否定して欲しかった答えを肯定され、ルキナは最早力無く項垂れるしか無かった。

「勿論、貴女の軍師のロビンでもあります」、と。

 彼が続けた言葉は虚しくルキナの胸を通り過ぎるだけで。

 どうして、と糾弾する気力すら、もうルキナには残されていない。

 この光景を生み出して尚、『何も変わらない』彼に。

 彼我の間に横たわる、剰りにも埋め難い溝を、ありありと理解してしまったからだ。

 それでも、ポツリと呟かれた言葉は止まらない。

 

 

「私を殺す為だけに……こんな事を……?」

 

 

 いっそ、肯定してくれるなら。

 最初からルキナを裏切り殺す為だけに、聖王への復讐としてルキナに近付いたのだったら……。

 彼から与えられた温もりも愛も、何もかもが、……全てルキナに取り入る為の『偽り』なのだとしたら……。

 何れ程、救われるのだろうか……。

 

 だが、『彼』は「まさか」と言いながら首を横に振る。

 

 

「確かに最初は、僕を害し得るナーガの眷族の末裔とファルシオンをこの世から消し去ろうと思ったのが始まりでした。

 そしてどうせなら、聖王の末裔に飛びっきりの『絶望』を与えて、絶望と虚無に沈んだその魂を喰らおうと……そう、思ったのですが」

 

 

 でも、と彼は呟いて、困った様に指先で頬を掻いた。

 

 

「ルキナさんに信頼して貰える様に、『器』のかつての人格を模倣して近付いたのですが。

 でも……かつての『器』の人格を長く模倣し続けていたからでしょうか? 

 貴女と共に過ごす内に何時しか、貴女を忌々しいナーガの眷属の末裔ではなく、この手を離したくない存在だと……、愛しい存在だと、……そう本心からそう思えてきて」

 

 

 そして、何よりも大切な宝物を見詰める様な、優しい優しい眼差しで、彼はルキナを見詰めた。

 

 

「何時しか、ルキナさんにずっと傍に居て欲しいと。

 そう思うようになったんです。

 そして貴女を、その身を縛る全てから奪い去ってしまいたい、とも」

 

 

 にっこりとそう優しく笑う彼が、ルキナには何処までも恐ろしい。

 そこに何の偽りも無い事が嫌でも伝わってきてしまうからこそ、……それは何処までも悍ましいのだ。

 そして何よりも恐ろしいのは。

 ここまで聞かされて尚、他でもないルキナ自身の心が、彼を愛しく思ってしまう事だった。

 憎い筈なのに、それなのに、ルキナは未だに彼を愛しているのだ。

 

 

「だから、ルキナさんも僕の事を愛してくれているのだと理解した時に、とてもとても嬉しくて……。

 本当は、あの場で貴女を拐って僕のものにしてしまいたかったんですよ」

 

 

 それが歪であったのだとしても、本来は相容れないものであったのだとしても。

 彼がルキナに向けてくれていたその『愛』は、『優しさ』は、…………『嘘』では無かったのだ。

 

 もし彼の全てが偽りであったのなら。

 ルキナは彼を愛しいと想う心を殺せただろう。

 例え敵う術など無いのだと理解しつつも、その結果殺されるのだとしても。

 せめて一矢報いる事で、人としての矜持を示そうと。

 父より受け継いだこの剣を、彼に向けられただろう。

 

 でも、駄目だった。

 ルキナには、もう出来なかった。

 

 例え彼が、この絶望の世界を作り出し、世界に滅びを招いている張本人であるのだとしても。

 神竜とは決して相容れない邪竜なのだとしても。

 ……それでも。

 

 ルキナが彼と過ごした時間は、彼と交わした愛は。

 たったそれだけは……紛れもない本物だったのだ。

 例えその身の上が『偽り』から始まった関係であったのだとしても、そこにあった『心』だけは、掛け値なしの『真実』だったのだ。

 

 だからこそ……ルキナの憎しみは行き場を見失う。

 屍兵を生み出し、世界を滅亡させ、ルキナを絶望の闇の中を彷徨わせたのは、確かに彼だ。

 憎い筈なのに、許せない筈なのに、なのに……。

 

 彼がくれた幸せな時間が、彼と過ごした思い出が、彼がルキナに捧げてくれた愛が。

 ルキナの心を、千々に引き裂く。

 憎しみが行き場を無くして、ルキナの胸の内で悲哀の慟哭を上げた。

 

 

「ルキナさんの事が大切で、だから、貴女に無責任に課せられた『希望』や『期待』……。

 貴女を縛るモノ全てから、貴女を守りたかった。

 貴女の心が、それに壊されてしまう前に……。

 だから、貴女が自らの手では背負わされたモノを降ろす事も出来ないのなら、……貴女が自分の『願い』を選べないのなら、僕が代わりにそれを成そうと思ったんです」

 

 

 でも……、と彼は少し辛そうな表情で、誠意を込めて謝る。

 

 

「思っていたよりも手子摺ってしまい、少し時間が掛かってしまいました……。

 少しの間とは言え貴女との誓いを破って、貴女の傍を離れて、それで貴女を苦しめてしまって……。

 本当に……すみません……」

 

 

 もう何もかもに疲れ果てたルキナを包み込む様に、優しく優しく彼はルキナを抱き締めた。

 そして、ルキナを安心させようとする時の様に、彼はルキナにしか向けない飛びっきりの笑みを浮かべる。

 

 

「でも、もう大丈夫です。

 ルキナさんが戦わなければならない『理由』は、もう何処にもありません。

 貴女が戦い続けなければならなかったのは、貴女がこの世で唯一のファルシオンの継承者だから。

 そして、ファルシオンだけが、僕を封じ得る唯一の武器だったから。

 でも、もうそんなの関係無いんです」

 

 

 だって、と彼は言葉を区切る。

 そして、花が綻ぶ様な笑みを浮かべて、恭しくルキナの手を取った。

 

 

「もう、神竜はこの世界の何処にも居ませんから。

 次代の神竜と成り得た巫女も、厳重にその魂を一欠片も遺さずに抹消しました。

 だから、宝玉を集めて《炎の紋章》を完成させても、ナーガの『覚醒の儀』は絶対に行えません」

 

 

 彼は。

 この世界から一切の『希望』が喪われた事を、無邪気に笑いながらルキナに語る。

 

 

「ナーガの力を得られない以上、その牙であるファルシオンはただの切れ味が良い剣でしかありません。

 僕を封じる事なんて絶対不可能です。

 ね? ならもう戦う『意味』なんて何処にも無い。

 もうルキナさんが身も心も傷付き果ててまで、人々の『希望』なんてものの為に戦わなくて良いんです。

 それでもまだ戦うのだと言うのなら、国を、民を。

 貴女に《闘え》と『希望』を課すモノを全て壊してしまいましょう。

 そうすればきっともう、貴女は『希望』なんてものを背負わされて戦わなくても良くなるのだから」

 

 

 ルキナの手を柔らかく……だけれども絶対に離さないよう掴んだまま、そんな恐ろしい事を言う。

 なのにそこには一欠片の悪意も無くて。

 ただただ、彼が心からルキナの為を思って言っている事が伝わってきて。

 ルキナはもう、抵抗する事はおろか、何か彼に返せる言葉も失っていた。

 何を言っても、きっとこの溝を埋める事は叶わない。

 

 そして『彼』は、「ああそうだ……、宝玉はどうしましょうか……」と呟く。

 

 

「まあ、僕は既に甦ってますし、態々『炎の紋章』を集めなおす必要は無いかもしれませんけど……。

 でも、貴女に僕の眷族としてずっと傍に居て貰うなら、あれもあった方が良いですね」

 

 

 名案だ! と言いたそうに、彼は手を打った。

 

 

「そうと決まれば、今からでも宝玉と台座を回収しに行きましょうか。

 ルキナさんの仲間達が持っているんでしたっけ? 

 ……まあ、正直僕としてはルキナさん以外はどうでも良いので、彼らは殺しても良いのですが……。

 でも、ルキナさんのお友達なんですよね? 

 なら、ルキナさんが望むなら殺しても屍兵にして傍に置きますし……。

 何でしたら、生かしたまま眷族にしても良いですよ」

 

 

 そんな事を言いながら、彼は立ち上がる気力も意思もとうに喪ったルキナを優しく抱き起こした。

 

 

 

 

「ルキナさん。

 僕はずっと貴女の傍に居ます。

 僕は、貴女をずっと守り続けます。

 僕だけは、何があっても貴女の傍に居ます。

 時の果て、世界の終わりまで。

 ずっと、一緒に居ましょうね」

 

 

 

 

 彼は心からの愛情を籠めて腕の中のルキナの唇を奪い、愛しているとその耳元で幾度も囁く。

 

 絶望の果てで、何もかもを喪ったルキナは。

 その言葉を力無く聞くしか無かった…………。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 斯くして世界は滅びを迎えた。

 

 神竜とそれを継ぎ得る者達は一人残らず殺され、世界は『希望』を喪ったままに絶望へと沈んだ。

 最早、邪竜とその眷族達の他には、死に絶えた大地に辛うじてしがみつく様に生かされた僅かな人類が残るのみである。

 

 邪竜の気紛れによって絶滅こそ免れてはいるものの、文明も文化もとうに失った人々には、希望も何も無い、その日その日を相争う様にして生きる他ない生き地獄の様な時間が永遠に続くのであろう。

 

 僅かに生き残った人々の記憶からは、かつて神竜の牙を振るう人類最後の『希望』として人々を率い、絶望に抗い続けていた一人の王女の存在は次第に薄れていった。

 最早彼の王女に『希望』を託す者など居らず、人々は邪竜に恭順し隷属する事で辛うじて生き延びるばかりである。

 

 人の世は終焉を迎え、最早人類が文明を築いていた痕跡すら碌に残されてはいない。

 怨嗟の果てに人が望んだ、終焉はここに成った。

 世界を滅ぼしただけでは無く、幾多の異界すらもその手中に収めた邪竜には、何よりも……それこそ自身の命よりも大切にしている眷族が居ると言う。

 

 如何なる時如何なる場所であっても片時もその傍を離れず幾度でも愛を告げる邪竜を、その眷族がどう想っていたのかは、彼女と同じく邪竜の眷族である他の眷族達ですら分かり様も無い事であった。

 

 邪竜と、彼が愛した眷族は、時の最果てまでもを共に過ごしたと言われているが……。

 その真偽は定かでは無い。

 

 

 この滅び去った世界では。

 時の最果てまで至る彼らのその結末を、神であろうとも観測出来ないのだから。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。